君ともう一度出会えたら
作:湖畔のスナフキン
(01)
俺は手帳を開き、出発するための最終確認をした。
霊力の測定、行動計画の暗記、そして身辺整理。すべて完了している。
あとは一番世話になったあの人のところに、挨拶に行くだけだ。
出発したら、俺のいた痕跡(は完全に消える。それが惜しくはないが、一人くらいは事情を知る人を残しておきたかった。
愛用のバンダナを額に締めると、俺は何も残っていない部屋を後にした。
俺の名は……横島忠夫。
「あら横島クン、今日は早いじゃない」
事務所の中にいたのは美神さんだけだ。俺もその方が都合がいい。
「ええ、美神さんに話したいことがあって。今いいですか」
「いいわよ」
「突然ですが、俺、事務所を辞めます」
しばらく事務所の中に沈黙した空気が流れる。だが、しばらくして美神さんが口を開いた。
「そう……なんとなくわかっていたわ。あんた、仕事中もずっと上の空でいることが多かったからね。
理由くらいは聞かせてくれるかしら?」
「旅にでます。おそらく二度と戻ってきません」
「ルシオラの元に行くのね」
いきなり核心をつかれた。付き合いは長いが、やはりこの人はあなどれない。
「よくわかりましたね」
俺は苦笑する。
「横島クン、あんた私と何年つきあってると思うの」
「えーと俺が17の時にバイトで雇ってもらったから、ちょうど5年ですね」
「そのあんたが私のところを出て行こうだなんて、あの娘(のことしかありえないじゃない」
何もかもお見通しというわけか。俺はそんなにわかりやすい人間なのだろうか。
「他に気づいている人はいますか?」
「それは大丈夫。たぶん私だけよ。おキヌちゃんもシロもまだ気づいていなと思う」
「そうですか」
「それで横島クン、どこに行くの? ルシオラを救う手立てはあるの?」
「過去に戻って、ルシオラを救います」
「横島クンも知っているはずだけれど、過去を操作しても復元力が働くから、何でもできるというわけ
にはいかないのよ。時間移動は魔法の杖ではないわ」
「そのことはよく考えました。しかし、可能性はそこにしか見出せなかったんです!」
俺はこれ以上ないくらいの真剣なまなざしで、美神さんを見つめた。
「もう決心しちゃったのね」
「はい」
「あんたもずいぶん立派になったものね。昔の横島クンの姿からは、想像もつかなかったわ」
美神さんが戸棚からグラスを二つと年代物のスコッチを取り出した。
スコッチの封を空け中身をグラスに注ぐと、グラスの一つを俺に差し出す。
「たいしたことはできないけれど、餞別(よ」
「すみません、美神さん」
俺はグラスの中のスコッチを、のどの奥に流し込んだ。
「横島クン、どうやって過去に戻るの?」
「文珠を使って魂だけ過去に戻ります」
「残された人たちは?」
「俺という存在がこの時空からなくなりますから、みんな俺のことを忘れてしまうでしょう」
「私も?」
「美神さんは別です。勝手な話ですが、一人くらいは覚えていて欲しいなと思って」
「本当に勝手な話ね」
「無理にとは言いません。これを渡しておきます」
俺は『忘』の文珠を、美神さんに渡した。
「これを使えば、俺のことは記憶からなくなります。俺の記憶が邪魔だったら、使ってください」
「そういうことじゃないんだけど──」
美神さんは、グラスの中のスコッチを一気にあける。
「もう一つ餞別(があるんだけど。ちょっと目をつぶってくれない?」
なんだろうと思ったが、俺は黙って目を閉じた。
美神さんの手が俺の顔に添えられると、俺の唇と美神さんの唇が重ね合わされる。
「えっ……」
「本当に勝手な話よね。私の気持ちには少しも気づかないで──」
俺は何も言うことができなかった。
「私も悪いんだけどね。ずっと自分の気持ちに素直になれなかったから。でもあんたも悪いのよ。
いつまでもルシオラの影ばかり追いかけていて」
「すいません、美神さん。でもやっぱり俺はルシオラのことが──」
「ストップ! それ以上、言わないで。でも大丈夫。あんたのことはちゃんとわかっているから」
美神さんが、空になったグラスを片付ける。
「いつ出発するの?」
「いつでも出発できます」
「そう。じゃ、最後まで見送らせてね」
俺と美神さんは、事務所の中庭に出た。
「いい! 過去に戻ったら絶対負けちゃだめよ。ルシオラを犠牲にするような中途半端な勝ち方は、
絶対許さないからね!」
「……最後まで勝ち負けにこだわるんですね、美神さん」
「私を誰だと思っているの、美神令子よ! そしてあんたは、私の一番弟子なんだからね!」
俺はクスリと笑ってしまった。
「じゃ、行ってきます」
俺は『時』『間』『逆』『行』、それに『因』『縁』『消』『滅』の計八つの文珠を生成した。
最初に『時』『間』『逆』『行』の四つを発動させる。
「私……あんたのこと、絶対に忘れないからね!」
「えっ!?」
「絶対……絶対忘れないからね! そして来世まで追いかけて、今度こそ捕まえるんだから!」
「美神さん、今なんて?」
「絶対に忘れないからね……」
美神さんの最後の言葉は、よく聞き取れなかった。
俺の体は少しずつ透き通っていき、やがて時間を遡(って逆行していった。
俺は逆行前の時空から消える寸前に、『因』『縁』『消』『滅』の文珠を発動させた。
時間を遡(るにつれ、俺が通過していった時空から、俺という存在が消滅していく。
もともと魂という存在は、時間に縛られない存在だ。
しかし肉体をもつことで三次元空間に束縛され、因果律の影響を受けるようになるのである。
肉体ごと過去に戻ることも考えてみた。しかしその場合、肉体を通した因果律の影響を避けることができない。
たとえば未来の俺が過去に戻り、その時代の歴史に干渉する。
その結果は未来にまで影響し、未来の俺にまで変化が生じてしまう。
俺は過去の歴史に大きく干渉しようとしている。
その結果、数年後の未来にどういう影響が出るかについてまでは、俺の貧弱な頭脳では計算できなかった。
この問題を解決する手段が、魂だけの逆行であった。
未来の知識と経験をもったまま過去へと遡(る。
さらに遡(った後の俺の因縁を消しておけば、因果律も作用することができない。
過去に戻った俺は今までとは別の道を歩むわけであるから、そこから別の未来が生じるはずである。
さらに俺の因縁が消えることで、俺がいなくなっても俺を知っている人たちは困らなくなる。
ただそれでは少し寂しかったから、美神さんにだけは記憶が残るように文珠を調整した。
あの人ならば俺のことを分かってくれる……そう思った。俺の甘えにすぎないかもしれないが。
パチッ!
俺は布団の中で目を覚ました。どうやら目標とした時間帯に到着したようである。
起き上がって周囲を見渡すと、あのボロアパートであった。
未来の俺は、高校を卒業した後美神さんが俺を正社員にしてくれたので、普通のワンルームマンションに引っ越していた。
こうしてみると、この部屋にもいろいろと思い出があって懐かしい。
だが今は感傷にひたっている暇はない。俺は新聞を探して、日付を確認してみた。
ルシオラたちと出会う日から数えて、ちょうど一ヶ月前だ。ここまでは狙いどおりである。
俺は着替えると、霊力のチェックをはじめた。
……誤算があった。
霊力の絶対量が5年前に戻っている。
つまり今ここにいる俺は、5年先までの記憶をもっているにせよ、やはり5年前の自分なのだ。
だが取り返せないわけではない。今から修行をすれば、まだ間に合う。
霊力そのものを短期間で強化することは難しいが、修行をして今ある力を最大限に引き出すことは可能だ。
人は心と体を一致させれば、驚くほどの力を発揮することができる。
昔の俺はこんなことも知らなかった。やはりこの5年は無駄ではなかったようだ。
俺は美神さんに電話をして、進級が危ないから一ヶ月ほどバイトを休むと連絡した。
学校の方は……まあ、何とかなるだろう。
俺は寝袋と着替えの衣服をリュックに詰めると、部屋を出た。
しばらくは山ごもりだ。昔と違ってサバイバル技術を身につけているから、山の中で何ヶ月でも生活できる。
次にこの部屋に戻った時には、今とは見違えるほど強くなっているはずだ。
それでも5年後の俺と比べれば、まだまだのレベルであるが。
待っていろよ、ルシオラ! 今度こそは必ず、お前を助け出してみせる。
BACK/INDEX/NEXT