夢だ。
今、夢を見ている。
はっきりとわかる。
完全に覚醒――いや、夢を見ているのだから違うのだが――しているとしか思えないほど自分は意識を保っていた。
大映画館で、一人、映画を見るように、
大ホールで、一人、コンサートを聴くように、
臨場感たっぷりに夢を見ていた。
――自分が主演する夢を、第三者として。
腹立たしいほど軽快なBGMをバックに、過去を“こなしていく”夢の自分は、それはひどいものだった。
何一つ持ってもいないくせに、最強であるかのように振舞っている。
未熟で、傲慢で、拙劣で、短慮で、無礼で――挙げれば挙げただけ、きりがないほど出てくる。
最悪だ。
最悪と言う言葉でも足りないくらい最悪だ。
顔から火を噴くどころか、体中の穴という穴から火を噴いて、自分を焼き尽くしてしまうほど恥ずかしい。
あまりの羞恥に頭を抱え、悶え、転げ回っていると、
――唐突に男が現れた。
二十代半ばの東洋人。
適当に切った短めの黒髪を強風に弄ばせながら、真正面を見据えて歩いてくる。整った、美形と言うよりは精悍な顔立ちをしているが、その鋭い眼光が容姿を見た目よりきつく感じさせる。自分より少し低い身長と、無駄なく鍛え抜かれた体躯を袖のない麻の道着に押し込め、静かに夢の自分へと近づいてくる。
よく知っている男だ。忘れようとしたって忘れられる訳がない。
それこそ“最強”と言う言葉に、自分の知り得る限り最も近い男だ。
彼の登場に世界が変わる。
BGMが風の音になり、舞台は荒涼とした原野に移り変わる。
それだけで、これから夢の自分がどうなるかを理解した。
間違うはずがない。これは経験を伴った夢なのだから。
背筋を這う寒気に身震いしながら、これ以上自身の恥部を見ないですむという安堵と、これから自分に起こるであろう惨劇に対する不憫さ――自業自得とは言えども――に複雑な気分でいると――
不意に襟首を引っ張られた。
GHOST SWEEPER MIKAMI
―― 日と月の間で ――
作:藍月 刀
第一話 『距離』 A-Part
――引っ張られて――
ドンドンドンドン
あまりの音量に訳も分からず横島は覚醒した。
目に映るは、嫌味なほど木目の浮き出た天井。汚れでくすんだ壁。申し訳程度に揃えられた二束三文の調度品と、そんな部屋に有るのが全く似つかわしくないパソコン・テレビなど最先端の電化製品。
大丈夫。いつもと同じ四畳半。都心では今時珍しいボロアパートの自室だった。
安心して寝返りを打つが、その間にも扉はけたたましく叩かれ、大して厚くもない板が軋んでいる。
思わず無視と言う単語が頭をよぎるが、所詮は四畳半。抵抗を試みたところで布団を頭から被る程度。音から逃れる術などなく、観念して枕もとの時計を見やる。
時刻は、4時44分。
近所迷惑この上ない。
「くっそ〜、わざとじゃねぇだろうな……」
横島はそう呟きながら、寝間着代わりのTシャツ・ハーフパンツ姿で扉へと向う。
扉を叩く音はますます大きくなっていく。このままでは破られかねない。由々しき事体だ。扉を買い直す金など無いのだから。
慌てて格子戸を開けドアノブに手をかけるが、その途中、玄関の鏡にいつもと代わり映えしない自分が映る。
黒髪黒目の典型的な日本人。二十歳前後の人懐っこそうな目をした、どこか間の抜けた感じの男。耳元の寝癖が、それを助長していた。軽くため息が出る……もう少し何とかならないかと思う。知り合いの金髪並みとは言わないから、せめてもうちょっと。
(寝癖ぐらい直すかぁ)
跳ねた髪を弄りながら一瞬考えるが、やめた。どうせ扉の向こうは見知った顔だ。今更取り繕う意味が無い。それに扉も限界に近い。「はいはい」と、横島は鍵を開けドアノブを廻した。先程の行為を積み重ねることが“何とかならないか”に繋がるのだろうと思いながら。
と、唐突に扉を引っ張られ、軽く蹌踉く。
「遅いじゃない! 横島クン!」
開口一番、文句を言われた。
声をかけてきたのは予想通り……と言うより、一週間に必ず一度は起しに来る、見るからに気の強そうな女性が立っていた。
腰まである鮮やかな緋色の髪。意志の強そうな淡い翡翠色の瞳。小ぶりの通った鼻梁。潤った形の良い唇。誰が見ても一目でわかる美女だ、薔薇の様に華やかな。白いブランド物のパンツスーツも、身に纏う僅かな装飾品も、そのメリハリの利いたスタイルを際立たせるかのように――実際そう選んでいるのかも知れないが――似合っている。
若干、眉を吊り上げたその表情も彼女の美貌を損なうことは無く、寧ろその魅力を引き立てている。男なら『一度は』と思わせるほどの美しさだが、実際係わり合いになってみるとよくわかる。
――すざまじいまでの灰汁の強さが――
それを知る横島は胸のあたりを掻きながら面倒くさそうに目の前の、世界でも指折りのGS(悪魔払いの総称)美神令子に話しかけた。
「なんスか………美神さん」
一応不機嫌さをアピールしてみるが、無駄だ。彼女は全く気にした様子もない。
それどころか命令口調で、
「仕事よ。着いて来なさい」
「ちょっと今忙しいんスよ。それに俺、GS休業中」
核ハイジャック事件――GS通称・アシュタロス事件――より二年。
思うところあって横島はGSを休業していた。別に免許を返したわけでもなく自主的なモノなのだが、休業は休業。仕事など一切する気はなかったのだが、付き合い上已む無くと言うのがあったり、何かと入用で仕事を世話してもらっているうちに、こんな状態になってしまっていた。
だから、仕事を世話してくれている彼女の憤りはある意味尤もで、
「何が休業中よ。アンタ散々仕事してんでしょうが!」
「そりゃそうっスけど……」
「なら、さっさと来なさい!」
「いやね、今はまずいんスよ。忙しいんですって」
「いいから黙って来なさい! どうせお金もなくて困ってるくせに」
「だから、今日は無理だって言ってんでしょうが!」
「何を〜〜!!」
こうなると、もう収拾がつかない。いつもの口論になる。
「用事! 忙しい! 無理! 以上!」
「横島! アンタ、随分な口聞くようになったじゃない! 世話してもらってるくせに、最近生意気なのよ!」
「それについては感謝してますが、こっちだって予定ってもんがあるんです! いっつもかっつも呼び出しに応じてられませんよ!」
「何〜〜! アンタ! 恩を仇で返す気!」
「恩〜? これ以上返す恩なんてありましたかねぇ」
「この、クソガキが〜〜!」
お互い鼻がすり会う距離で、憎まれ口を叩きながら睨み合う。
一触即発の空気が立ちこめるが、元々横島には美神と事を荒立てるつもりはない。仕事の世話など確かに恩義はあるのだ。無碍にすれば、それこそ何とやらだ。立場も心情的にもこちらが不利。それになにより、横島は彼女の目に弱かった。
あの気強い瞳で睨まれると、気おくれする――色んな意味で。
……つまるところ、折れるしかないのだ。
この折れる行為そのものが、仕事に付き合わされる要因になっている事に気付いてはいるのだが、生まれついての性分は変えられない。
それに、
(ま、今日は助けてもらったしな)
引っ張ってくれたのは美神だろうと思う。
彼女にその気は無かったろうが助けられたのは事実だ。本気で助かった。正直あの続きをもう一度味わうなど、ゾッとしない。自分はマゾでもないし、あの“躾”を二度も受けねばならぬほど愚か者でもない。あんなものは一回こっきりで、十分すぎるほど十分だ。思い出しただけでも“縮む”のがわかる。
「ちょ、ちょっと、アンタ! どこ行くのよ!」
突然踵を返し、室内に戻ろうした横島を美神の声が呼び止める。
「着替えるんスよ。このままって訳にはいかんでしょうが」
「な、何よ。急に」
「お礼ですよ、お礼。今日も助けてもらいましたからね」
要領を得ない美神に、首だけ振り返って横島が言う。
が、それだけで説明をする気もないのかそのまま部屋に戻っていく。手持ち無沙汰になった美神は特に考えも無く、なんとなく後を追ってしまうが、
「あれ? 美神さん。そんな趣味ありましたっけ?」
その言葉に美神は呆けような表情を浮かべる。
状況がわからずボーっとしている彼女に、横島は「別に俺はかまいませんけどね」と付け加え、悪戯を思い付いた子供のように口元をゆがめた。
やおらTシャツを脱ぐ。上半身裸の男を見て彼女は先程の言葉や現在の状況を理解したのか、頬を染めオロオロとしはじめた。そんな小娘のような彼女がおかしくて、横島はニヤニヤとハーフパンツに手をかける。
――絶望的なほど真っ赤になる美神。
一瞬後、「ドガン」を破滅的な音をたててしまった扉に、横島は声を上げて笑った。
おそらく聞こえているだろうが、どうでもよかった――。
扉も壊れたかもしれないが、それもどうでもよかった――。
これくらい別にいいだろうと思う。今日だって自分が折れてやったのだ。引いてやったのだ。負けてやったのだ。たまに勝たないとやってられない。いつだって割を喰うのは自分なのだから。
ささやかな優越に浸りながら、横島はハーフパンツを脱いだ。
――アイ・キャッチ――
CM中(爆)
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