フェダーイン・横島
作:NK
第53話
「わ、私は未だお前を信用したわけではない。それにこれは極秘任務だ。
私は機密を神族側に漏らしたりはしない!」
何とか威厳を保ってそう答えると、自らを律して横島をグッと睨み付ける。
「まあ、軍人である貴女ならそう言うでしょうね。でも俺にも任務があるんでね。
貴女が美神さんを狙っているのではないにせよ、状況を分析すると魔族の一部が美神さんを
狙って動き出した事は確実だ。
俺としてもヒャクメを外すわけにはいかない。
それに知っているかどうかわからないが、美神さんのところのバイトは二人とも俺の弟子だよ」
「なにっ!? そうか……神族側でも手を回していたのか………」
意外ではあったがあり得ない事ではない、と考えるワルキューレ。
しかしこのまま実力もわからない相手を信用するわけにはいかない。
目の前の横島はメドーサとマンティアを倒したと言ったが、霊力をそれ程感じないのだ。
よほど上手く穏行の術で隠しているのだろうか?
「やはり軍人の貴女では、俺の力を見ないと納得しませんか……。
良いでしょう、ほんのさわりですが俺の霊力を見せましょう。
格闘戦に関してはジークが証言してくれますしね」
何やら葛藤しているように見えるワルキューレを見て溜息を吐くと、横島はワルキューレの周囲に配置した文珠を自分へと戻し、『結』『界』と念を込めると放り投げる。
途端に強力な結界が部屋を覆い、外から部屋の中を覗く事を完全に妨害した。
「…す、凄い……。こんな強力な結界を人間が………」
「では俺の霊力の一部を開放しましょう」
その言葉と共に、横島は穏行を解き一気にチャクラを全開にする。
ゴゴゴゴゴゴゴ……………
「これは……まさか人間が何の霊具も使わずに1,200マイト近い霊力を出すなんて………」
「姉上、横島さんの霊力はこんな物ではありません!
私は彼の修行を見せて貰いましたが、優に10,000マイト以上の霊力を放っていました」
「何だと!? 馬鹿な……人間が10,000マイトもの霊力を………。
それではこの男は人界でなら200,000マイトの霊力を持つ中級神魔と同等の霊力だという
のか!?」
ジークが自分の見た事を包み隠さず報告すると、ワルキューレは明らかに狼狽し横島に向き直る。
それが本当ならメドーサやマンティアが敗れたのも納得できるし、そのような人間がいる事自体が将来魔族にとって不利になる可能性もある。
「本当にジークが言ったようにそこまでの霊力を持っているというのか?」
「メドーサやマンティアと戦った時は、今よりかなり霊圧が劣っていたけどな。
とは言っても俺は単純に高い霊力を持っているというわけじゃない。
俺の場合は自分のチャクラを使って練り上げるんですよ。こういう風にね……」
そう言うと横島は神魔共鳴によって霊力の爆発的増幅を行った。
見る見るうちに横島の霊力が10,000マイトあたりまで上昇し、ワルキューレはその凄まじい霊圧に強い圧迫感を感じ、息苦しくなっている自分を自覚していた。
見れば化け猫だと言った美衣の周りには横島の文珠によってシールドが張られており、ジークも同様だった。
ここまで見せられて、ワルキューレは漸く目の前の男が人界では自分などより遙かに高い霊格を持っている存在だと理解した。
自分とて小竜姫とほぼ同格の51,000マイトの魔力を持っているが、この人界で発揮できる魔力はせいぜい2,550マイトにすぎない……。
さすがに自分の4倍近い霊力の相手に、こんな状況で真っ正面から戦いを挑むほど愚かではない。
「さすがですね横島さん……。このシールドが無ければ霊圧で弾き飛ばされるところでした……」
「なんて圧倒的な霊圧なんだ………。これでは私は無論、姉上だって勝ち目はない……」
シールドによって直接横島の霊力に晒されてはいない美衣とジークが畏怖したような口調で呟く。
「グ……ググ……わ、わかった。お前の実力は認める。だから霊圧を下げてくれ!」
あまりに凄まじい霊圧に苦しいのか、ワルキューレから降参の言葉が放たれる。
その一言で再び横島の霊力はあっという間に減少し、先程同様一般人並みになってしまう。
その見事な霊力コントロールに脱帽気味のワルキューレであった。
そう、今大事なのは任務の達成なのだから、これ程の実力者であれば共同した場合、成功率は高くなると冷静に計算してもいた。
「仕方がない……私の一存で話すのだから他言無用だぞ」
「ええ、ただし小竜姫様には話さざるを得ません。この点は了承して貰いませんと……」
「う…む…やむを得ん……」
諦めたようにガックリとしながらも話し出すワルキューレ。
なぜ魔族が美神の命を守るのか、という理由は聞かされていないが、魔族の反デタント派(つまり非主流派)の過激な一部が美神令子の命を狙っており、それを密かに守れとの命令を受けて人界へとやって来たのだと……。
「成る程……。貴女の様子から人間に対してそれ程良い感情は持っていないように思いますが、
それを無視して任務を確実に達成しようとする姿はさすが軍人というところですね。
それで敵の戦力はわかっているんですか?
貴女ほどの魔族が出張ってくる以上、厄介な敵なんでしょう?」
その言葉に、目の前の男はただ霊力が強いだけでなく冷静で明敏な頭脳を持っていると、即座に評価を修正するワルキューレ。
「いや……前回の定期連絡では未だわからないと言う事だった」
「私の知りうる情報では、武闘派勢力の殺し屋にはデミアンという奴がいて、非常に厄介な相手
らしいです。おそらく今回奴は確実に出てくるでしょう」
「そうですか……。
それでどうします? あくまで単独で任務を遂行したいというのであれば、一時的にヒャクメを
引き揚げさせても良いですよ。
俺達は貴女一人で手に負えなくなった時のバックアップとして監視するに止めます。
共同作戦でいこうというのであれば、ヒャクメか俺がサポートに廻りますが?」
言葉を濁すワルキューレだったが、この場合はある程度の情報を共有化した方がいいと考えたジークが現時点でわかっている事を教える。
ワルキューレは何となく不満そうな表情をしていたが、この際やむを得ないと諦めたようだった。
それに対して横島から発せられた言葉はワルキューレには予想外だった。
まさか自分に任せても良いというとは思っていなかったのだ。
「横島……お前私を信用するというのか?」
「貴女自身の事は信用するとさっきも言ったと思いますが…? 人格と言って良いのかな?
まあそう言う面ではジークを見ていれば信用に足ると判断しました。
能力的な問題は結果という点では相手との相対的な物になってしまいますが、魔界正規軍が
大丈夫と判断したから単独任務なんでしょう?
だったら信用できるレベルだと言う事です」
先程から突っかかってくるワルキューレをまるで気にしないように、極めて論理的というか冷静な回答を繰り返す横島にプレッシャーを感じてしまう。
自分は一体何を相手にこうして戦っているのだろう?
少なくとも目の前にいる横島は、自分を殺そうと思えばなんの問題もなく実行できるだけの能力と意志を持っている。
冷徹な軍人の眼を持つワルキューレはそれがわかってしまう。
「さて、そろそろ選んでくれませんか? 俺も早く帰らないとまずいんですよ。貴女の考えは?」
「おまえ達が許してくれるなら、私独りでやらせてくれ……」
これだけは譲れないと言う決意を持って答えるワルキューレに軽く頷く横島。
「わかった。でも貴女や美神さんが危なくなったら、こちらでも介入させて貰う。
それが交換条件です。
…………ところでワルキューレ、貴女はここから独りで帰れるのか?」
横島の言葉に頷いたワルキューレに、これ以上話す事は無いという感じでいきなり話題を変える横島。
「はぁ…? ………あ、あぁ、何とか帰れるぞ」
「ではこのまま何も言わずに帰ってください。貴女だけで任務を達成できるように祈っていますよ。
俺はまだ敵対する魔族過激派を相手に自分の能力をあまり見せたくないんですよ。
それよりジーク、お前さんはどうするんだ? 久しぶりに会った姉さんと一緒にいるか?
妙神山に帰るなら一緒に帰ろう」
「あ……姉上は任務中なので、私も妙神山に帰ります。姉上、任務の成功を祈っています」
そう言って見事な敬礼をして見せたジークに頷くと、ワルキューレは再び春桐の姿に化けて玄関の方へと歩き始める。
「済まないけど美衣さん、明日の朝は春桐さんの道案内をよろしくね。
一応、美神さんにああ言った手前、春桐さんが一人で行ったらまずい。
美神さんより朝は早いと思うけど用心する意味でも頼むね。
そう言う事なんで春桐さんも明日は美衣さんと一緒に行った方が良いですよ。任務のためにもね」
「わかっている! その細心の用心深さが気に入った。
お前ほどの戦士がそう言う以上、私もそれに従うとしよう」
それだけ言うと、春桐はさっさと部屋を出ていった。
後には何となく割り切れない表情の美衣と、あまりの出来事に考え込んでいるジーク、そして静かな表情で二人を見詰める横島が残る。
「横島さん、本当にあの人は信じられるのでしょうか?」
やがてポツリと口を開いて尋ねる美衣。
ジークは少しだけ複雑そうな表情でその言葉を聞いていた。
「大丈夫だよ。ワルキューレは厳格な軍人だ。
彼女は任務のためなら私情を殺して立派に勤め上げるタイプだよ。
それにジークの姉である以上、悪い魔族ではないさ。
まあ、その分任務となれば例え相手が知り合いでも躊躇わないかもしれないが…」
本当に何でもない事だという口調の横島に、ジークは嬉しそうな、そして不思議そうな表情を向ける。
横島は本心から魔族だからと言って敵とは限らない、と言っているように思えるし、事実彼の眼にはそうとしか映らなかった。
それになかなか姉の事をよく把握している。
「横島さん……貴方は不思議な人ですね……」
「そうかな? まあ俺としては美神さんもワルキューレも何事もなく事が終わって欲しいと思っている。
敵の戦力が掴めないのが面倒だがな。戻ってヒャクメに広範囲スキャンをやってもらうか……。
ワルキューレがいかに優秀でも、敵が複数で一度に動いたら守りきれまい」
そう話しながら横島は彼が知っている今回の事件の敵を思い出す。
ベルゼブルのクローンは文珠を使えば掃討は容易だ。
問題はデミアンである。
まあ、今の横島なら何とかなるが美神に最後のパワーアップをさせた方がいいだろうから、介入するタイミングが難しい。
だが下手をすればワルキューレは大怪我をする事になるだろう。
「横島さん、貴方は軍人なんかも向いていそうですね」
「よしてくれよ。俺は臆病なんだぜ? それにああいう組織の中で生きるのは窮屈だしな。
さて帰ろうか。美衣さん、夜に呼び出してすいませんでした。悪いけど明日は頼みます」
「はい、承知しました。横島さん、ケイも楽しみにしていますからまた寄って下さいね」
美衣の言葉に送られて横島とジークは妙神山へと戻っていった。
「ここが美神さんの事務所です。では私はこれで……」
「ありがとうございました、美衣さん」
翌朝、美衣は横島に頼まれたとおり春桐と待ち合わせして、彼女を美神の事務所へと案内した。
美衣としては春桐の正体を知っていると言う事もあり、道中お互いに会話は少なかったが……。
「ふう……それにしてもその変わり様は見事ですね。
私が言えた義理ではありませんが、頑張ってください。
横島さんは貴女にも傷ついて欲しくはないようですから」
「…………そう、そうですか。それでは」
見事に化けている春桐が美神から預かった合い鍵を使って事務所に入っていくのを見届けると、美衣は用事が終わったのでさっさと自宅へと向かった。
ケイを起こして横島の事務所の留守番をしなければならない。
それ程頻度は高くないが、ここ最近偶に他のGSから助っ人の依頼が舞い込んでくる。
横島ならば瞬時に解決可能な内容であるが、相応の時間を取られる事になる。
まあ、本人は特S級GSの義務みたいなものだと割り切っているのだが……。
『それにしても美神さんもいろいろとトラブルを引き寄せる人なんですね……』
美衣はとても素直で正しい事を思いながら、すでに春桐の事を処理済みということで片付けるのだった。
「ず…随分と荒れ果てた…いえ賑やかなオフィスね……」
おキヌがいなくなり事務所内の整理整頓をする人間がいなくなったため、何となく雑然としている仕事部屋。
無論、ヒャクメや九能市、雪之丞などが来ているのだが、ヒャクメはそういう事に熱心ではないし、雪之丞や九能市は戦闘要員である。
したがって所長のデスク周辺だけは、書類やら書籍、その他諸々が雑多に置かれていた。
「こんなに散らかっていては作業の効率も悪いだろうに……。まずは片付けを……
むっ!? 来たか……!?」
美神がまだ近くに来ていない事を確認して春桐は本来の姿に戻ると、どこからかスコープ付きのライフル銃を取り出す。
魔界正規軍の正式採用装備だ。
すでに朝の定時連絡で敵の数は3鬼と判明した。
そのうちの1鬼が行動を開始したのであろう。
訓練を重ね鍛え上げられた軍人の態度で、無駄なく戦闘準備を進めると行動に移った。
「ワルキューレ……!!
魔族の誇りを捨てて人間の味方をするとは――愚か! そして哀れなり!!」
500〜600m程離れたビルの屋上に一人の魔族が片膝を立てて前方を見詰めていた。
シュ○ちゃんのような筋肉質の肉体に蝙蝠のような羽を持つ魔族・グランザである。
アシュタロスの命によって先行し偵察と監視を行っていたのだ。
そして先程ワルキューレが美神の事務所に入っていくのを確認した。
幸い、今日は神族の調査官であるヒャクメは来ていない。
そうなれば現時点で美神暗殺の最大障害となるのはワルキューレである。
もともと殺戮と闘争が本能であるグランザは、攻撃を掛けて障害を排除することを躊躇わなかった。
彼の人界で発揮できる霊力は800マイト程度であり、本来ワルキューレに比べれば随分格下となるのだが……。
「他の2鬼を待つでも無し! 我、奇襲を実行するなり!!」
そう言って立ち上がったグランザの身長は2m近い。
ワルキューレが格上であっても、奇襲を書ければ勝機はあると踏んだのだ。
背中に畳んでいた翼を広げ、今正に飛び立とうとした時に彼の眼は奇妙な物が接近してくるのを見つけた。
「ん?」
彼が怪訝そうな表情で一瞬動きを止めたのは、それが机であり本来飛ぶ事など無いモノだったから……。
ドカッ!!
「べっ!?」
慌ててもの凄い勢いで飛んできた事務机を受け止めたグランザだったが、その行動が命取りとなる。
彼はワルキューレが自分を狙っている事など考えつかなかったのだ。
ビシッ!!
「ぎゃ!!」
机を抱きかかえるようにして視界が塞がったグランザは、次の瞬間その額に強烈な衝撃を受けた。
それが精霊石弾によるものだとわかった時にはすでに遅かったが……。
「ちょっ…ちょっと待て……。まさか、これで……?」
その言葉を遺言にしてグランザは哀れにも爆散して果てたのだった。
「まず1鬼………!」
未だに硝煙がたなびくライフルの銃口を上げて呟くワルキューレ。
今のところ任務は順調だ。
おそらく今回の敵の中では一番格下であろうが、敵の戦力を減らす事に成功したのだから。
「しかし……横島も神族も本当に手を出してこなかったな……。
まさか本気で私に任せるという事なのか?」
昨日の横島の言葉を思い出して少しだけ考え込むワルキューレだったが、今は時間がないと思い思考を中断する。
「さて、美神令子がやって来る前に掃除をするか……」
再び春桐魔奈美の姿に変身したワルキューレは、いつの間にかライフルをしまうと普通のOLの顔へと戻るのだった。
「さすがワルキューレなのねー。あれだけの距離で敵に気が付いて狙撃で倒すなんてー」
「ああ、大したモンだ。相手に特殊能力が無ければ大抵の相手には不覚を取らないな」
「ほぼ以前の私やメドーサと同じぐらいの霊格ですね。でも戦士としてのスキルはさすがです」
『へえ〜、さすがは正規軍士官というか特殊部隊ね〜。
魔力ではこの世界の私達3姉妹に勝てないだろうけど、やっぱり戦闘力は高いじゃない』
未来で何度か一緒に仕事をした記憶を持つ小竜姫やルシオラの意識、それに横島がワルキューレの手際を褒める。
妙神山にてヒャクメの能力を使い、現在監視している最中だ。
「さすがは姉上!」
ジークも頷いている。
無論、ジークがここにいる以上、ルシオラの意識の言葉は横島と小竜姫にしか聞こえていない。
「なあジーク。お前の姉さんって案外家事が得意なんだな……」
「ははは………任務以外でやっている姿は見た事無いんですが……」
その後の掃除や朝食の用意をするワルキューレを見た横島が漏らした感想に引きつった笑いで答えるジーク。
こんな事がばれたら後で何を言われるかわからないのだ。
無論、ワルキューレはこのような姿を見られている事を知らない……。
「おはよう!」
「おはようございます!」
オフではあるが春桐に簡単な説明をしておこうとオフィスにやってきた美神は思わず自分の眼を疑った。
そこは綺麗に整理整頓された輝くようなオフィスだったのだから……。
「うっ…こ、これは…?」
「す…すみません。差し出がましいとは思ったんですが…」
「いえ…悪かったわね、掃除なんかしてもらっちゃって」
春桐を雇ってよかったと思う美神にさらなる攻勢をかける春桐。
「今日はオフだと聞いていましたのに、私のためにわざわざ済みません。
それでお詫びに朝食を用意しておきました!」
「へえ……」
そう言ってせっかく用意してくれたのだからと、朝食を口に運ぶ。
それはなかなかに美味しかった。
「あら! おいしい……!」
「ありがとうございます! 私、一生懸命働かせてもらいます!」
最後に紅茶を飲んだ時、美神は素直な感想を口にする。
そんな美神に嬉しそうな表情で応える春桐。
「じゃあ早速仕事の内容を説明するわね。
といっても今日はオフだからざっと説明するだけになるけど……」
「いえ、構いません。早く仕事に慣れないといけませんから」
事務所で春桐が受け持つであろう仕事をいろいろと説明する美神だったが、春桐は頭が良く次々と内容を理解していった。
その優秀さに舌を巻いている美神。
『こりゃ…思ってたよりずっと優秀だわ! いい買い物したかも…!』
そんな事を内心で思いながら説明を続ける美神だった。
・
・
・
「まあこんなところかしらね……。でも春桐さんが優秀だったから思ったより早く終わったわ。
何か質問はある?」
「いえ、後は実際にやってみてからじゃないと……。でもおそらく大丈夫だと思います」
「そう。じゃあ今日はこんなところでOKよ。正式には明後日からって事でいい?」
「はい。では失礼します」
午前中に全ての用事が終わった美神は、今日は遊びに行けないので横島のところに修行に行くと言って出ていった。
春桐も事務所を出ると、事務所に鍵を掛けて自分もビルから出る。
「美神令子は修行に行ったか……。
まあ、あの横島のところに行くのなら過激派魔族も手を出せまい。
あの男は洒落にならないほど強いようだしな……」
そう呟くと束の間の期間だけである仮の宿へと帰るべく、駅へと足を向ける。
しかし暫く歩いたところでふと足を停め、キッと振り返る春桐。
周囲になぜか人はいない。
ビイイィィィイイン!
「――!? 殺気…!!」
一見怪しい物は何もない空を見上げた春桐は、持っていた紙袋を振り上げて楯とし俊敏な動きで身を翻す。
ヒュッ! ズパアァァアン!!
その瞬間、もの凄いスピードで空から襲ってきた何かが中身の入った紙袋を貫いて飛び去った。
「!!……ベルゼブル…! 貴様か!?」
回避行動後、素早く体勢を立て直した春桐が相手の正体を察して叫ぶ。
「さすがだなワルキューレ!」
ヴヴウウゥゥウン!
その叫びに応えるかのように動きを止めた敵がワルキューレの動きを賞賛する。
全長が5〜6cmしかない小さい身体、その姿は前脚しかないハエのようで、事実高速で動かしている2枚の羽を持っている。
より正確に言えば、上半身は亜人型の魔族で下半身が脚のない昆虫の腹部状の姿をしている。
「蠅の王」と呼ばれるベルゼブルである。
体が小さくとも、その身が放つ霊力は1,200マイト程はある。
それが弾丸のように超スピードで突っ込んでくると言う事は、横島が霊力を集束させて相手の霊波シールドを貫くのと同じような威力を発揮する。
さらに小型でスピードも速く高機動性を誇るため、銃や刀では命中させにくい。
「我々の邪魔はさせんぞ! 死ね! 裏切り者――っ!!」
そう言いながら春桐の懐へと飛び込むと、鋭い爪を使って斬り裂こうとする。
「うっ!」
即座に反応し右腕を上げてその攻撃を防いだ春桐だったが、このまま変身していて勝てる相手ではなかった。
「私とて人間にはムシズが走る! だが―――これも任務だ!!」
心の中に抑えていた本心を一瞬暴露したワルキューレだったが、それを即座にねじ伏せて光と共に本来の姿に戻り戦闘を開始する。
ドンッ!
「美神令子は殺させん!!」
「ムッ!? 奴も小さくなれるのか?」
自らの身体をベルゼブルと同じサイズにして空を疾走するワルキューレに驚きの表情を浮かべたベルゼブルだが、空中高機動戦では自らが上であると考え不適な笑みを浮かべる。
昆虫レベルの世界で今、高速空中戦が開始されたのだ。
「へえ……ワルキューレは自分の体のサイズを自由に変えられるのか……」
「あのスピードと動きは驚嘆に値しますね……」
「私には視えても付いていけないのねー」
『空中戦に関してはベスパより遙かに上ね……。ワルキューレって強いのね……』
「むっ! この状況は不利だ……」
妙神山で戦闘を見守っていた一同はベルゼブル対ワルキューレの空中戦に感心していたが、ジークだけは姉の能力を熟知しているが故にこの戦いの結末を予測できてしまう。
「やはり高速機動戦ではベルゼブルに勝ち目は無いか?」
「わかるんですか、横島さん?」
不安そうなジークに尋ね掛ける横島に驚いた表情で尋ね返す。
「ジークの不安そうな表情を見ればわかるさ……。
というよりワルキューレはかなり良く戦っているし、スピードや攻撃威力は互角以上だ。
でも決定的に劣っている点がある。それは反応速度だ。
まあこれは元々空中戦に特化しているベルゼブルの方が優れているのは当たり前だが……」
「どういう事ですか横島さん?」
横島の言葉に小竜姫が尋ねる。
「そうですね……ベルゼブブは例えれば空中で自由自在に飛ぶ方向を変える事ができるUFO、
ワルキューレは格闘戦闘機、と言えばわかりやすいかな?
空中で方向を変えるのにワルキューレは突然戦闘速度で進路変更できないでしょ?
でもベルゼブルはそれができる。このままでは後ろを取られるのは時間の問題です」
『成る程……上手い例えをするのねヨコシマ。確かにその通りだわ。
人型である以上、その制約を受けてしまうわね』
即座に頭の中で理解を示したルシオラの意識に頷いてみせる横島。
「………確かに横島さんの言うとおりみたいですね。このままではワルキューレは負けます」
小竜姫も横島に言われた視点で二人の戦いを見ていたが、納得したように頷いた。
「横島さん……お願いです、姉…いやワルキューレ大尉を助けてくれませんか?
姉の昨夜の態度は私から謝りますので……」
「言われるまでもないさ。それに美神さんも妙神山東京出張所に向かってるしな。
じゃあ俺は行ってきますから後の事は頼みます」
そう小竜姫に頼むと横島は文珠を使って『転移』していった。
「横島さん……お願いします」
既に姿を消した横島にそう呟くジーク。
おそらく横島ならベルゼブルにも勝てると信じて……。
キーン!!
ブウゥゥ…ゥン!!
「いくぞ! ワルキューレ!!」
ギュン! といきなり方向転換し、追いすがってくるワルキューレを撃墜しようと攻勢に転じるベルゼブル。
無論一直線に突っ込んでいくのではなく、ジグザグ飛行をしているのは流石だ。
ビシッ!!
「くっ! 速い!」
すれ違い際にお互い攻撃を繰り出したが、ワルキューレの放った一撃は空しく空を切った。
それに対し、ベルゼブルの一撃は掠っただけとはいえワルキューレに届いていたのだ。
ビキッ!
ガキンッ!!
進路上の電信柱や車のフロントガラスを直接、または間接的な衝撃波で破壊しながら戦闘を続ける2体の魔族。
だが形勢はワルキューレに不利だった。
既に身体を小さくし、戦闘を開始してから10分が経とうとしている。
その間に何度か斬撃を食らっているのだが、着込んでいるボディーアーマーによって負傷する事を免れているに過ぎない。
自分も飛行できるとはいえ、空中戦に特化しているベルゼブルは強かった。
ビシュッ!!
何度目かのアタックの際に、ベルゼブルの爪が浅いとはいえボディーアーマーに覆われていない肩口を引き裂く。
「グッ! ……うぅ……」
「ふっ…俺の得意なバトルフィールドに自ら飛び込むとは良い度胸だが、それが命取りだったな。
その程度で俺に勝てると思ったのか?」
傷口を思わず手で押さえるワルキューレに、再度攻撃をしようと向きを変えたベルゼブルが嘲笑うように挑発してくる。
牽制に過ぎないとわかっているが、ホルスターから銃を抜くと連射するワルキューレ。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
だが発射された精霊石弾は空しく宙を切る。
凄まじい高機動でそれらを躱したベルゼブルは一度上空へと向かい、そこから螺旋を描いて急降下してきた。
この一撃を受けてしまえば間違いなく自分はやられてしまう。
そう悟ったワルキューレはこれを迎え撃たずに下へと逃げる。
「ふっ…逃げるかワルキューレ!?」
後ろから迫ってくるベルゼブルの小馬鹿にしたような挑発をグッと唇をかんで耐えると、そのまま大地目がけて急降下していく。
激突寸前で反転急上昇し、ベルゼブルの自爆を誘おうという作戦だった。
『まだだ……まだ早い…。私は臆病者ではない! このチキンラン・ゲームに勝つのは私だ!』
そう心の中で呟いて、急速に迫り来る地面との衝突に対する恐怖を押し込める。
そのまま限界点へと達しようとした瞬間、ワルキューレは急激なGでブラックアウトしそうになるのに耐えて、一気にベクトルを変化させる。
ギューン!
そのまま上昇を続けるべく魔力も翼も全開にし、後はベルゼブルの激突を待てば勝てる、と思った矢先に背後に殺気を感じた。
「チッ!」
慌てて振り向き反撃しようとするが、既に手遅れだった。
「俺が地面に激突すると思ったようだが、そんな反応速度でこの『蠅の王』に勝てると思うか!?」
ビキ、ビキッ! バリッ!!
「ギャアアアッ!!」
背後を取ったベルゼブルはワルキューレが振り向くより早く彼女の翼を掴み取り、魔力を込めて力一杯引きちぎった!
「グ…グアッ……!」
痛みで一瞬意識が吹き飛び、さらに飛行バランスを狂わされたために錐揉み状態で落下していくワルキューレ。
「ふんっ! これで邪魔者は片づいた。後はターゲットの美神令子だけだな」
ベルゼブルは美神令子を追ってそのスピードを上げ、さっさと戦闘空域を離脱するのだった。
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