フェダーイン・横島

作:NK

第58話




「全部思い出しただか……。
 必ずおキヌちゃんが全てを思い出す日が来るって横島さんは言ってたけんど。本当だっただな」

 早苗は嬉しそうに記憶を思い出した事を告げるおキヌに、嬉しさと寂しさが混ざったような表情を向けて口を開く。
 何であるにせよ、こうしておキヌの悩みが解決する事は良い事だから……。

「ええ……。いままで色々とありがとう、お姉ちゃん」

「何言ってるだ! おキヌちゃんはわたすの妹なんだから当然の事だ」

 きっぱりと言い切る早苗に本来自分にあるはずのない肉親の絆を感じて涙ぐむおキヌ。
 既に自分が生きていた時代から300年の歳月が流れており、この世に自分の肉親はおろか知人・縁者など一人もいないとわかってはいたが、この数ヶ月で氷室家の人々はそれに匹敵する絆を与えてくれた。
 特に早苗は色々と自分のためにしてくれたのだから……。

「それで……おキヌちゃんはこれからどうするつもりなの?」

 早苗は最も尋ねたかった事を慎重に、しかし何気ない口調で尋ねた。
 あの日突然義妹となったおキヌだったが、早苗はおキヌの事を本当の妹のように思っており、記憶が戻った事で氷室家から離れてしまうのではないかと気に病んでいたのだ。
 尋ね掛けた早苗の言葉の裏に潜む不安を敏感に感じ取ったおキヌは、笑顔を見せて答える。

「別にどうもしないわ。
 ただ、美神さんや横島さんに私が記憶を取り戻した事をきちんと知らせたいと思っているだけ」

「そう。なら今度の休みに会いに行けばいいべ」

「そうね。ただ、一度は横島さんか小竜姫様に修業をつけて貰わないと駄目みたい。
 小竜姫様はずっと夢の中で私の肉体と幽体が1日も早く同期するように導いてくれていたの」

 そう言って、小竜姫がこれまで夢という形で自分を導いてくれた事を話す。
 そして今の自分は完全に霊能力に目覚め、それをしっかりとコントロール出来るようにしないといけないと言われた事も。

「そういえばおキヌちゃんは前から無防備だったべな。
 無意識に波長のピントを合わせて霊を見ちゃうものね。
 これまでより霊能力が強くなったんだったら、下手をすれば怨霊や悪霊が際限なく寄ってくるかも
 しれねえだな……」

 日頃、未だ自分よりかなり弱い霊能力しか発揮できないにもかかわらず、漂っている霊を即座に(無秩序に)見てしまうおキヌを思い出す。
 霊は自分の恨み、無念、思いを聞いてくれる存在に強く引き寄せられる。
 自分を認識してくれる存在に惹き付けられるのだ。
 そう言う意味では、おキヌはあまりにも無防備に霊に対して霊波を同調させてしまう癖があった。
 おそらく300年間幽霊として過ごしてきたためだろう、と早苗は考えている。
 聞けば小竜姫は横島の師匠に当たる神族だという。
 その事を危惧し、早急におキヌが自分の霊能力をコントロールできるように導こうとしているのだろう。

「ええ、小竜姫様もこのままでは悪霊に狙われる恐れがあるって言っていたわ。
 だから今後どうするにせよ、一度はみんなに会わないといけないの」

「じゃあ父っちゃと母っちゃにも全部話して、わたすが一緒に付いて行くだ。
 そうすれば横島さんにも会えるし………」

 最後の方はごにょごにょと聞き取れなかったが、何となくおキヌの表情がピシッと固まる。
 いかに姉といえども、淡い恋心を抱いていた横島に早苗が興味を持つのは嫌なのかもしれない。
 その事を敏感に感じ取っているのだから、女性の察知力というのものは恐ろしい………。

「ええ、このままでは義父さんや義母さんにも心配をかけちゃうし、これから話そうと思ってるから
 一緒にいてね、お姉ちゃん」

「そんただこと、当然だ。じゃあこれから話すのね?」

 姉の言葉にコクリと頷くとおキヌは立ち上がり、自分の部屋を後に両親の元へと向かう。
 早苗は後押しするように後ろから付いていくのだった。



 この日、氷室夫妻はおキヌの記憶が戻った事を喜び(少なくともおキヌの前ではその側面しか見せなかった)、彼女が切り出す前に次の休みに横島の事務所を訪れる事を勧めた。
 彼等もあの日、横島と美神から全ての事を伝えられていたのだから。
 さらに修業の件も即決で了承される。
 全てはおキヌのためなのだから、と言ってくれた父母におキヌは涙ぐんで感謝の言葉を返すのがやっとだった。






「そうですか、おキヌちゃんは記憶を思い出し始めたんですね………」

 なかなか複雑な表情で口を開いた横島の眼は小竜姫に注がれていた。
 おキヌが記憶を思い出しつつある事を小竜姫に伝えた翌朝、小竜姫からその事を教えられた横島。
 すでにおキヌが全て思い出したと言う事を知らない横島は、彼女が自分の未来の記憶のように再びGSの世界へと足を踏み入れる事が幸せなのかどうかに考えを巡らせていた。

『ヨコシマ……
 貴方の考えている事はわかるけど、どういうことになろうと決めるのは彼女自身なのよ』

「そうですよ横島さん。おキヌさんの未来は自分自身で決めるべきモノです」

 ルシオラの意識と小竜姫の言葉に頷く横島。
 おキヌの人生をどうするかを決めるのはおキヌ自身だという事ぐらい、横島とて分かり切っている。
 だがせっかく手に入れた家族という絆を放って置いてまで、再び美神の傍にいる事が良い事なのかどうかは判断が付かない。
 その考えは彼の表情に表れていた。

『大丈夫よヨコシマ。家族の絆は離れていてもお互いが思い合っていれば切れはしないわ……。
 ベスパとパピリオの事、覚えているでしょう?』

 ルシオラの意識の言葉で漸く心から納得したような表情になる横島。

「そうだったな……。ルシオラ達3姉妹はお前の復活後、3年間離ればなれで暮らしたんだもんな。
 それでも姉妹の絆は変わりはしなかったっけ」

『ええ、その通りよ』

「おキヌさんには帰るべき、帰る事ができる場所ができたんです。
 彼女はきっと、これまでより強くなれます」

 平行未来の記憶を思い出し、自分の義妹達を頭に浮かべた横島は大きく頷いた。
 そしてGS助手として働いていたおキヌが楽しそうだったと言う事を再確認する。
 ルシオラの意識から伝えられる暖かい想いを感じ、さらに小竜姫の穏やかな表情を見て横島も懸念を払拭したのだ。

「となると、おキヌちゃんに自分の霊力を制御できるようになってもらわないといけないか……。
 でも彼女は俺と違って高校生ですよ。どうするんです小竜姫様?」

 横島の問いかけは当然の事であろう。
 何しろおキヌの霊能力はある意味特殊なのだ。
 しかも現役の高校生ともなれば、横島や雪之丞、九能市のように修行に全てを費やすわけにはいかない。
 そんな事をすれば学校の方が危なくなってしまうだろう。

 横島の場合、高校には最初から行っていないのだが年2回行われる大検の試験をついこの前受けてきた。
 ちょうどデミアン達の一件が勃発する前、ジークが来た事以外は何ら事件が起こらなかったので、かねてからの計画を実行したのだ。
 結果はまだ出ていないが、試験を受けた感触では概ね主要科目は大丈夫だろうと横島は思っていた。
 まあ、大検の場合合格した科目については次回試験で免除されるので、幾つか駄目な科目があってもいいか、と考えている。
 さすがに1回で受かるかどうかはわからない、と本人も思っている。
 横島が苦手な筈の学問でここまで余裕を持っているのは、平行未来での記憶(コピーしたアシュタロスの記憶を含む)がある事が大きかった。
 彼の知識は軽く大学卒業者を上回るのだから。

「ええ、一番良いのはおキヌさんの家(氷室家)に私か横島さんが赴いて修業を行う事でしょうけど、
 毎日はとても無理ですね……」

『そうねぇ……。殆ど完了したとは言っても、ヨコシマも妙神山の霊力増幅器の改良作業が終わって
 いないし……。おキヌちゃんに修業を施すとなれば夕方から夜になるものね』

 そう言って考え込む小竜姫、横島、ルシオラの意識。
 だがそこに闖入者が………。

「3人とも……誰かの存在を忘れているみたいなのねー。
 何でいつも私を除け者にするんですかー?」

 それは美神の事務所のバイトを終えて一気に精神的苦労が無くなったヒャクメだった。
 無論、小竜姫による修行が再開されてはいたが……。

「あらヒャクメ。貴女がおキヌさんの修業を?」

『そういえば……平行未来でも心眼を与えた時指導したんだっけ……』

「ふーん。おキヌちゃんは戦闘向けの能力じゃないから、ヒャクメでも大丈夫かもしれないな……」

 ヒャクメの存在を思い出し、身も蓋も無い事を口にする横島。

「ちょっとー、私だって神族の端くれなのねー。人間を指導したって不思議は無いと思うんだけどー」

 横島の言いように拗ねたような口調で膨れてみせる。
 そんな姿はなかなか可愛いのだが……横島には通じないところが少し哀しい……。
 その程度では傍にいる小竜姫の機嫌すら全く変わらないのだ。

「そう、そうね。それがいいかもしれませんね。どうですか、横島さん?」

『おキヌちゃんの場合だと、案外ヒャクメさんが適任かもしれないわよ』

 そんな二人の後押しを受けて、少し考えた横島は頷いた。
 確かにネクロマンサーなどという能力は普通見抜けはしない。
 だが、ヒャクメが霊査すればそれぐらいわかっても不思議はないだろう、と周囲が納得すると思ったのだ。

「そうだな。じゃあヒャクメにお願いしようか。
 近々おキヌちゃんが尋ねてくるから、そうしたらヒャクメと引き合わせるとしよう。
 ああ、でもヒャクメ、南武グループの内偵はこれまで通り行うからな。
 修業を終えて帰ってきたら捜査の方お願いね」

「う――っ! わかったのねー。あれって結構疲れるけどしょうがないですねー」

 横島はこの話題に対する結論を口にすると、あの健気で優しい巫女服姿の少女の姿を思い浮かべる。
 彼女はこの世界でこの後どう成長していくのだろうかと思いながら……。






「あー、やっぱり美神さんの事務所じゃなくなってる……」

「場所を間違えたんでねえか?」

「ううん。私が幽霊やっている頃はこのビルの5階にあったのよ。
 夢の中で小竜姫様が、美神さん事務所を移転したって言っていたから確かめてみたかったの」

 そう言いながらシャングリラ・ビルを見上げている二人の少女。
 土曜日で学校が休みのため上京した氷室早苗とおキヌだった。
 デミアン事件で美神の事務所は吹き飛び、ビルのオーナから再入居を認められなかったためだ。

「じゃあ最初の目的通り、横島さんの事務所に行ったらいいでないの」

「そうね。横島さんの事務所はここから少し離れているの。行きましょう」

 二人はターミナル駅まで戻ると少し迷いながらも私鉄の電車に乗り込んだ。
 このターミナル駅にはおもしろい特徴がある。
 とはいっても構造が変わっているとか言うのではない。
 この駅を始発駅とする私鉄線は2本有り、東口に西○線の駅があり、西口に東○線の駅がある。
 従ってなまじ鉄道のイメージが残っていると、少々ややこしい事となるのだ。
 今回のおキヌは正にその典型的なパターン。
 彼女の記憶には何となく西という文字が残っており、普通の感覚に基づいて行動してしまった。
 すなわち西口から東○線に乗ってしまったのだった。
 正確には、横島の事務所はターミナル駅から西○線で2つ目の駅で降り、そこから7〜8分程歩いた幹線道路近くのマンションにある。
 おキヌもJR線ではないということまでは覚えていたのだが、さすがにそこまでは覚えていなかった………。

 朧気な記憶を頼りに2つ目の駅で降りてはみたものの、何となく違和感を感じながら歩き出すおキヌ。
 早苗は全然知らないから何の疑問も持たずに付いて行く。
 しかし暫くあっちこっち歩き回った挙げ句、おキヌは突然足を停めて青ざめた顔で何やらキョロキョロと周囲を見回し始める。冷や汗もかいているようだ。
 その姿はどうみても迷子のそれにしか見えない……。
 今更ながら、自分が全くもって記憶にもない見知らぬ場所を歩いている事に気が付いたのだ。

「おキヌちゃん、どうすたの?」

 ずっとこっちで過ごしていたんだからまさか、と思いつつも尋ねる早苗。

「……お姉ちゃん、よく考えたら私……横島さんの事務所に行った事殆ど無かったわ……」

 戸惑った表情で呟くおキヌの言葉を聞いてポカンと口を開ける早苗。
 それはそうだろう、おキヌから横島とは1週間に一度は顔を会わせていたと聞いていたのだから。

「はあ?……それってどういうことだべ?
 確か最初に横島さんが仕事で除霊する時一緒に行ったんでねえの?」

 よくわからんといった表情で尋ねてくるのも当然だった。

「ううん……考えてみれば横島さんが美神さんに修行をつけるために、こっちに出向いて来た事
 ばかりだったの。
 それにあの頃は幽霊だったから電車とかに乗って普通に行った事もないし、最初の時も六道さん
 の車で行ったから……」

 要するに、普通の人間のように公共交通機関を使っていった事が無いのだ。
 確か電車で2駅程離れていると言っていたように記憶しているが自信がない。
 もう1回ぐらい行ったような覚えもあるが、その時も美神の車に便乗した筈だ。
 あまりこちらに来ていなかった小竜姫はそこまでわからなかったし、おキヌの方も何となく知っているように思い込んでいたので、ここに来るまで気が付かなかったのだ。

「えっ!? ……そしたら本当に横島さんの事務所の場所がわからねえの?」

「うん………」

 しばし沈黙が二人を支配した。
 だがさすがは早苗、おキヌよりはやく復活しどうすればよいかを考える。

「そうだ! 電話帳を見たら電話番号が載ってるんでねえの?」

「でも横島さん達は、朝と夕方の短い時間しかあそこの事務所にいないの。
 普段は妙神山にいて修行しているから」

「じゃあ連絡がつかないの?」

「…多分………」

 おキヌはその後横島が美衣を雇ったため、今では日中であればいつでも連絡が取れる事を知らない。
 その前に復活して記憶を失い関わってこなかったのだから……。

 おキヌと小竜姫の二人ともが、ある種の錯覚を起こしていた事が今回の原因である。
 根が真面目なおキヌは焦りから思考が硬直してしまい半ばパニクっている。
 そんな状態で良い考えなど浮かぶはずもない。
 2つ目ではなく3つ目の駅だったのか? それとも駅の反対側だったのだろうか?
 疑念が次々に湧いてきている。

「どどど、どうしよう……お姉ちゃん?」

「どうするって………他に知り合いはいないの?」

 早苗の言葉に考え込んだおキヌは、やがて嬉しそうな表情で顔を上げる。

「そ、そうだ! 唐巣神父の教会は美神さんの元事務所から近かったし、道も知っているわ!」

「なら一刻も早く駅に戻るべ」

 駅があったであろう方向に歩き始めるおキヌと早苗だったが、迷いながら歩いていたのと初めての場所だった事も合わさりすでに方向感覚を喪失しつつあった。
 特におキヌは幽霊時代浮いている事が多く、高い視点から見ていたことが多かった事も違和感の原因となっている。
 結構うろうろと歩き回ったために、来る時の記憶と今見ている風景が何となく一致せず、どこかが違うような感覚が拭えない。

「おキヌちゃん、やっぱり横島さんの事務所に電話してみたらどうだ?
 ひょっとしたら誰かいるかもしんねえ」

「…そうね。じゃあ公衆電話を探してみるわ」

 そう言って周囲を見回すおキヌだが、携帯電話が普及したこのご時世、公衆電話はその数を減らしていた。
 駅などの施設でもないとなかなかお目にかかれないのだ。
 きょろきょろと公衆電話を探しながら歩いていると、何やら異質な気配が急速に接近してくるのを感じておキヌは振り向いた。
 早苗にも感じ取れたのか、ほぼ同時に振り向いている。
 すると一匹の中型犬が道の角を曲がって走ってくるのが眼に入る。
 体毛は白いのに頭の部分だけが一部赤いのが変わっているが、その表情は何か怖いモノから逃れようとでもしているが如く必死だった。

「お姉ちゃん……あの向かってくる犬…なんか感じない?」

「そうね。……何か普通じゃない感じがする……。でも邪悪なモノは感じないだよ」

 さすがに先祖の道士譲りの霊能力(霊媒としての能力に特化しているが)を持つ早苗と、元幽霊で霊能力を開花させたおキヌ。
 近付いてくる犬(実は狼)の異質さを見抜いていた。

「こらー! 待ちなさいっ! この――! なんてすばしっこいの!?」

 だがおキヌは次の瞬間、懐かしい声と共に犬の後を追って角を曲がってきた女性を見て歓喜の表情を浮かべる。

「…み、美神さん!!」

 それは死津喪比女事件の際に一時の別れを告げた、おキヌにとって大事な家族と言っても良い存在だった女性、美神令子だった。
 つい今まで道に迷って泣きそうだった顔が、美神も見慣れたあの優しい笑顔に早変わりしたのだ。

「ちょっと! その犬を捕まえて――!! って……おキヌちゃん!?」

 美神も本来ここにいるはずのない懐かしい顔を見て、思わずシロの追跡をしている事も忘れ驚きと嬉しさが混在した表情を浮かべた。
 だが逃亡を図っているシロにしてみれば、おキヌとの面識はない。
 予防注射が嫌で逃げ出したシロは、美神の脚が鈍ったのをこれ幸いと速度を上げおキヌ達の横を駆け抜ける。
 しかし擦り抜けて10mも行かないうちにいきなり頭上から投網のように打たれた霊糸の網がシロを捕獲してしまった。

「キャンキャン!」

「ふふふ……逃げられませんわよ。横島様の危惧は当たっていましたわね。
 シロさん、武士であるなら潔く覚悟を決めないといけませんね」

 おキヌがシロの鳴き声と聞き覚えのある女性の声に振り向くと、そこには道沿いの家の塀から飛び降りてきた九能市が立っており、網に絡まれて藻掻くシロをいつもの冷静な眼差しで見下ろしている。

「あっ! 九能市さん」

「あら……えっ! おキヌさん!? どうしてここに? ああ、記憶が戻ったんですか?」

 シロを捕縛する手を緩めずにおキヌと言葉を交わす九能市。
 その辺はさすがに忍者というかプロである。

「おキヌちゃん……この人、確か横島さんのところの人でねえか?」

「えっ? あっ! そ、そうよね。よかった〜」

 安心したせいか一気に脱力してへなへなとしゃがみ込んでしまうおキヌ。
 そこに漸く追いついてきた美神は、シロが九能市に首輪をつけられているのを確認するとしゃがみ込んでおキヌを覗き込む。
 その瞳は優しく、久々にあった妹分への想いが込められていた。



「おキヌちゃん久しぶり! 私の事がわかるってことは記憶を取り戻したのね……。
 よかった…本当によかったわ」

 そう言って手を差し伸べるとゆっくりとおキヌを立たせる。
 おキヌも漸く会えた美神を前にして涙が止まらなかった。

「美神さん………私、私、やっと全部思い出したんです……」

 そう言って美神に抱き付き泣き始める。

「おキヌちゃん………よかっただな」

「貴女は……確か神社の氷室さんの娘さん、早苗さんでしたわね?」

 捕獲したシロに首輪とリードを付け、さらに霊糸で逃げられないように拘束したシロを抱いた九能市が、義妹の感動的な再会シーンを眺めている早苗に尋ねかける。
 尤もそれは、質問と言うより確認だ。

「うんだ。アンタはあの時私に化けた人だべな?」

「そんなこともありましたわね。ええ、その通りですわ。
 貴女はおキヌさんに付き添って来たのですね?」

「んだ。だども道に迷ってどうしようか、って困ってたら皆さんと会えたんだ。正直、ホッとしただよ」

「そうでしたか。横島さんももうすぐ……あら、来たようですわ」


 早苗と九能市が話していると、美神達がやって来た反対側の角から横島と医師、看護師らしき3人が姿を現す。

「ここにいたね? よし、注射だ!」

 プスっ

 医師は獣医なのだろう。
 手に持った薬液入りの注射器を九能市に抱かれて藻掻いているシロに無表情のまま突き刺した。

「あうっ! ギャンギャン! ク〜ン……」

 この世の終わりのような表情をしたシロだったが、注射されてしまたために諦めたのかシュンとして泣き出していた。

「やれやれ……ひと騒動だったな。ほら、精霊石だ」
 
 そう言って横島がシロの首に精霊石のペンダントを掛けてやると、いきなりポッと中型犬が少女の姿へと変わる。
 勿論、すでにシロを束縛していた霊糸は解かれているから問題ない。
 犬(何度も言うが実は狼)から姿を変えた少女はキッとした目つきで横島を睨み付け、即座に飛びかかった。

「ひどいでござる! ひどいでござる―――っ!! 注射は嫌だって言ってるのに――」

 そう言って横島に抱き付いてペロペロと顔を舐めている姿は、本来何やら淫靡な想像を浮かべそうな光景なのだが、先程の犬の姿が目に焼き付いているだけに飼い犬がキャンキャンと主人にまとわりついているようにしか見えない。

「あの〜横島さん………お久しぶりだべ。会った早々何なんだけど……どういう事か教えてけろ」

 未だに美神に抱き付いて泣いているおキヌに代わって、早苗は怖ず怖ずと狼少女に抱き付かれている横島の傍に歩み寄って尋ねる。

「おっ…君は氷室さんのところの…確か早苗ちゃんだったよね? どうして君がここに?
 あれっ!? 美神さんと抱き合っているのはおキヌちゃん?
 ああ、記憶が完全に戻ったんだね。でもなぜこんなところにいたんだ?」

 シロを引き離し、シロの唾液まみれの顔をハンカチで拭きながら早苗に答える横島。
 その疑問はもっともだろう。
 この場所は美神の事務所とも離れ、横島の事務所からも離れている。
 おキヌにとって全然縁のない場所だったのだから……。
 そう言って僅かに首を傾げるその姿は、早苗の記憶に残る印象と何ら変わっていない。

「おキヌちゃんの記憶が戻ったんだ。
 夢の中で小竜姫様にきちんと自分の霊能力を制御できるようにって言われたもんで、おキヌちゃん
 が美神さんと横島さんに報告がてら会いに行くって言うんで、今後どうするか相談するために
 来たんだども………」

 最後は言葉を濁しながら、ターミナル駅でどうやら電車を間違ってしまった事、その後ここで道に迷っていた事などを話した。

「そうか、大変だったね。
 言われてみればおキヌちゃんはずっと幽霊をやっていたから、うちの事務所に車以外の普通の
 交通手段で来た事ってなかったな。これは俺や小竜姫様のミスだったなぁ……。
 ごめんね、早苗ちゃん」

 そう言って頭を下げる横島。
 早苗は慌ててそんな横島の頭を上げさせようとする。

「違うんだ。わたすらが最初に電話してから来ればよかったんだ。
 勝手にやって来たんだから、横島さんのせいじゃないべ!」

「いやいや、こっちの手抜かりだったよ。
 ところで俺達がここに来たのは、狂犬病の予防注射をコイツに受けさせるためだったんだけど、
 逃げ出されてね……」

 側に立ち未だ涙を浮かべているシロに視線を送りながら、自分達がここにいる理由を苦笑しつつ話し始めた横島と早苗の元に、美神と感動の再会を果たしたおキヌが歩いてきた。

「横島さん……お久しぶりです」

「ああ、元気でやっているみたいじゃないか。小竜姫様からそう聞いているよ。
 記憶が戻りかかっているということだったけど、その様子だと完全に思い出したみたいだね。
 やっぱり文珠は必要なかったか」

 長く会えなかった恋人を見る眼と言うより、ずっと会えなかった兄を見るような眼差しで横島を見るおキヌ。
 だが美神の時と同様、ぶわっと涙が溢れ出てきて横島の胸に飛び込んでしまう。
 そんなおキヌを優しく抱き締め、頭を撫でてやる横島。
 彼と同化しているルシオラや小竜姫の意識もさすがに黙認している。

「落ち着いた?」

「……は、はい。あ、あの……みっともないとこ見せちゃいました………」

「そんな事はないさ。人は良くも悪くも感情的な生物なんだから」

 そう言って顔を赤くしながら、ようやく泣き止んで身体を離したおキヌに微笑みかける。

「あのー美神さん、それで……その女の子は何なんだべ?」

 さすがにおキヌの再会による喜びを邪魔したくない早苗は、事情を知っていそうな美神に再度状況の説明を求めた。

「ああ、ゴメンね。こっちの騒ぎに巻き込んじゃって。
 この娘はシロっていってうちの従業員っていうかバイトなの。それで正体は人狼なのよ。
 人狼の女性は数が少なくってね。イヌから狂犬病やジステンバー、フィラリヤを移されないように
 予防注射を受けさせようと思ったら逃げ出して……」

 そう言ってシロが美神の事務所で働くようになった経緯を話す。
 フンフンと頷いていた早苗は漸く合点がいったようだ。

「じゃあさっきの姿はイヌじゃなくて狼だっただな?」

「拙者イヌなんかではござらん! 狼でござる!」

 早苗の確認に大きく頷くシロ。

「でもこんなところで会えたなんて偶然ですわ。
 私達はたまたま美神さんの知り合いの獣医さんのところへやって来てただけですから。
 本当なら会えなかったですわね」

 九能市の言葉に大きく頷く一同。
 特におキヌはばつが悪そうに身体を縮こまらせている。

「まあ何にせよこうしてシロの予防注射も終わったし、おキヌちゃん達とも再会できたことだし、
 場所を移さない?」

「そうですね。ここからだと美神さんの事務所と俺の事務所は同じくらいかな? どっちにします?」

「あ、あの……今後の事もあるので横島さんの事務所に行ってもいいですか?」

 おキヌの提案に他の面々は頷き、移動を開始する。
 こうしておキヌは何とか懐かしい人々との再会を果たしたのであった。 



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