フェダーイン・横島

作:NK

第67話




 ピリリリリリ〜ピュロリロリリリリ〜♪

 後2週間もしないうちに年末となり、初詣の時期になれば今よりは賑わうであろうが、それ以外の時期は人気の無い神社の境内に心に染み入るような美しい笛の音色が響き渡る。
 その演奏を聞く聴衆は僅か二人。
 演奏者の指導をしている神族・ヒャクメと姉である少女のみ。

「綺麗な音色だべ……」

「本当なのねー。これでおキヌちゃんは、自分の霊能力を完全に制御できたことになりますねー」

 自分の指導の出来栄えに自画自賛しながら大きく頷くヒャクメ。
 この1ヶ月程、ヒャクメは毎夜彼女たちの実家に姿をあらわし、霊能力の指導を行っていたのだ。
 そして姉の早苗は霊媒(テレパシストとしての能力も)としての能力をより洗練させ、かなり遠距離であっても相手と意思を伝え合う事が可能となった。
 いわゆる通信機としての特化した能力ではあるが、戦いにおいては重要な能力である。
 しかし本人も悔しがっているように、殆ど霊的戦闘に関する特殊能力は持っていないため、お札や神通棍等を使わなければ除霊は無理だろう。
 悪霊を説得するのであれば、それなりに有効ではあろうが……。

 対して妹のおキヌはこれまた特殊な霊能力の持ち主である。
 彼女は数少ないネクロマンサー能力の持ち主で、ネクロマンサーの笛を使いこなせる稀少な霊能者なのだ。
 尤も、いかに300年間幽霊をやっていたり、人一倍霊の事を理解していても、自分自身の霊能力を制御する事は別問題である。
 おキヌの霊能力が特殊である為、神族でも特に霊視等の能力に秀でているヒャクメが直接指導することとなったのだ。
 ヒャクメとしても生まれて初めて人間の弟子を持つとあって、小竜姫や横島とよく相談しながら張り切って教えていた。
 その甲斐あって、教え始めて3週間程で彼女は自身の霊能力を見事に開花させ、制御を可能としたのだった。

「あ、あの……どうでした、ヒャクメ様……?」

 演奏を終えたおキヌがオズオズと尋ねる。

「完璧なのねー。後はお札や除霊道具を使えるようになれば、普通のクラスのGSにならすぐなれますよ」

 ニコニコと笑顔で答えるヒャクメ。
 初めての教え子が優秀なので嬉しいのだ。
 何しろおキヌの基礎霊能力は現在約50マイト程……。
 平均的なGSに匹敵している。
 早苗の方も同じぐらいの霊能力を持っている。

「おキヌちゃんよかっただな。ヒャクメ様からお墨付きがもらえて」

「あら、貴女も同じですよ。除霊道具さえ使えれば、立派にGSとしてやっていけるのねー」

 おキヌが誉められた事を我が事のように喜ぶ早苗に、ヒャクメはもっと自信を持ってよいと告げる。

「ありがとうございます、ヒャクメ様。おかげで自分の霊能力をちゃんと使えるようになりました」

「わたすからもお礼を言わせてください。姉妹揃ってお世話になりました」

 深深と頭を下げる二人に、胸がジーンと振るえているヒャクメ。
 横島と知り合って以来、彼を始めとして心からのお礼を言われる経験が増えた。
 それはその能力故、神界で寂しい思いをしてきたヒャクメの心を暖かさで満たしていく。

「何だか照れますねー。でも二人の修業には横島さんや小竜姫もかなり相談に乗ってくれたのねー。だから私だけの手柄じゃないのねー」

 照れくさそうに答えるヒャクメ。
 そんな姿は、彼女が長い年月を生きている神族であるという事実を忘れさせてしまう。

「いいえ、どう言ってもヒャクメ様が私たちの師である事には変わりありません」

「わたすも同じ意見よ。この1ヶ月、本当にありがとうございました」

 自分を慕ってくれる二人を思わず抱きしめてしまうヒャクメ。
 二人も最初こそ驚いたが、抵抗せず身を委ねる。

「でも……修業が終わってしまったら、私は今までのように頻繁にはここに来る事ができないのねー。一応私にも仕事があるの。だから寂しくなるのねー」

 本当に寂しそうに呟くヒャクメ。
 神族の調査官たる彼女は本来、こうして人界で人を指導する事などないのだから…。
 本当に横島と一緒にいると、色々な経験ができると考える。
 それはヒャクメにとっても新鮮な体験だった。

「う…ぐすっ……。もう会えないんですか?」

「わたすも寂しいだよ……」

 おキヌは目に涙を溜め、早苗も寂しそうに呟く。
 そんな二人の姿に心を揺さぶられてしまう。

「当面は妙神山に長期出張中だから、横島さんの事務所を通ればすぐに来る事ができるんですけどねー」

 既にシロが入ったため美神が独りという事は無い。
 しかも、もう魔族の殺し屋に狙われる事はないはずなので、ヒャクメは美神ガードの役目を終えているのだ。
 まあ、現在継続中の南武グループの内偵、月に行く事になるであろう事件等、この世界のルシオラ達3姉妹の登場までにも大きな事件は起きるであろうし、彼女の能力を必要としている事もまた事実なのだが……。
 と言う事で、おキヌ達に言ったように相応に忙しいヒャクメである。

「そうなんですか……。東京にいればちょくちょく会えるんですね?」

「ええ、横島さんの事務所ならゲートを潜るだけで行けるから、ちょっとした合間に顔を出せるけど、ここまで来るとなると難しいのねー」

「さすがにわたすは父っちゃと母っちゃを置いて東京に行く事はできないけんど、おキヌちゃんだけなら大丈夫よ」

 それに、私には山田君っていう恋人もいるからね、と言ってウインクしてみせる早苗。

「えっ!? で、でも……早苗お姉ちゃんだってヒャクメ様に会いたいでしょ?」

「わたすは大丈夫だぁ。だって今ならもう、おキヌちゃんが強く念じればわたすもおキヌちゃんの眼と耳を通じてヒャクメ様に会えるんだから」

 早苗は既に相手の念波を受け取ったときも、自分の意識を失わないようになっている。
 だからこそ、ヒャクメであれば彼女の能力を使い遠距離でも会う事が可能なのだ。

「そうですねー。早苗さんとなら遠くでもおキヌちゃんを通してお話しができるのねー」

 遠視などヒャクメにとってはお手の物だから問題ない。
 その事に納得したのか、おキヌの顔も綻んだ。

「家が神社ですから年末年始は忙しいでしょうけど、その前に美神さんのところに顔を出してあげれば喜ぶと思うのねー」

「美神さんか……。暫く会っていませんものね……」

 おキヌが懐かしそうに視線を彷徨わせるが、実際には前回会ってから1ヶ月と立っていないのだ。

「おキヌちゃん、もう一人で行けるだろうから今度の週末に行って来たらいいだよ。父っちゃと母っちゃにはわたすから言っておくから」

「……ありがとう、お姉ちゃん…………」

 自分の事を気遣ってくれる姉に感謝しながら、やっと誇らしい気分でかつての知り合い達に会う事ができるとおキヌは考えていた。

「あっ、そうそう。横島さんから伝言なのねー。おキヌちゃんが自分の霊能力を制御できるようになって、中身を聞いても欲しいようなら何かあげる物があるって言ってましたよー」

「えっ…!? よ、横島さんが…ですか?」

「ええ。美神さんに会いに行ったときに会えますよ、きっと」

 その言葉に、胸に秘めていた想いが湧き上がる。
 横島忠夫……。
 彼女が心の奥で懸想している少年。
 だが決して想いが届く事のない少年。
 しかし会いたいと思う気持ちに偽りはない。

「わかりました……。今週末に伺います」

 だからおキヌは嬉しそうに返事をした。






「あれ…? どうしたのシロ? 今日はお客さんが来るから仕事は無しよ」

 シロが美神除霊事務所にやって来て、仕事部屋に入った途端の第一声がそれだった。
 昨日の帰り際にはそんな事は言っていなかったような気がして、少し首を傾げるシロ。

「それじゃあ、拙者は帰って良いのでござるか?」

「うーん、そうね……。アンタも知っている人なんだけど―――どうしようかしら?」

 個人的には、仕事がないのならばさっさと帰って横島に修行をつけてもらいたい。
 シロはそんな期待を胸に、美神に尋ねる。

「ふーん……誰でござるか?」

「ああ、ほらアンタが予防注射が嫌で逃げ出したときに会ったおキヌちゃんよ。覚えてるでしょ?」

「注射の事は忘れていないでござる! ……ああ、あの時会った優しそうな方でござるな? ネロクマンタとかっていう笛を吹いた……」

「ネクロマンサーの笛よ! でもその通りよ。ヒャクメとの修行が終わって、晴れて自分の能力をコントロールできるようになったの」

 そう言いながらも嬉しそうな美神。
 かつて苦楽をともにしたおキヌがやって来るので嬉しいのだ。

「でも急に来る事になったのでござるか?」

「えっ? どうして?」

「昨夜は何も言ってなかったでござる」

「あっ! ……ゴメン、昨日言い忘れちゃった。ああっ! しまった、アンタに横島君への伝言頼むのも忘れてたわ!」

 ハッとしてそう叫ぶと、慌てて電話へと手を伸ばす。
 その時、人工幽霊一号の障壁を潜って部屋の中で実体化する影が4つ。

「美神さん、誰に電話するんですか?」

「決まってるじゃない! 横島君の事務所よ! 美衣さんに連絡を取って貰うんじゃない!」

「美神殿……。先生はもう来ておられるでござる」

「はい……?」

 受話器を持ったままシロの声に振り向くと、そこには横島、ヒャクメ、小竜姫、それに留学生のジークが立っていた。

「横島君!? どうしておキヌちゃんが来るってわかったの?」

「ほら、やっぱり美神さんが伝えるのを忘れていたのねー」

「そうみたいだな……。美神さん、おキヌちゃんを教えていたヒャクメから聞いたんですよ。ヒャクメが確か今日の筈だって言うんですけど、シロは何も知らないようだからてっきり違うんだと思ってました」

「あは…あははははは…………。ゴメン、昨日はバタバタしててねー」

 頭を掻きつつ愛想笑いで誤魔化そうとする美神。
 だが横島もそれ程気にしてはいない。

「それにしても……ジークまで来たのね。貴方はおキヌちゃんと面識があったかしら?」

「いや、私も面識はありません。でも、ネクロマンサーという能力に興味があるんですよ」

 久しぶりの出番に緊張気味のジークだが、口調だけは何でもない事のように答える。
 だがバリバリの中級魔族であり、魔界正規軍の情報士官であるジークが、こうして何ら任務でも無い場所にいる事自体異例なのだ。

「機会があればジークさんにも人界で色々な人に会ってほしいんです」

 小竜姫が補足説明を加える。
 小竜姫や斉天大聖老師としては、魔族にそれ程偏見を持たない人間との交流を通しジークに人間を好きになって貰いたいと考えている。
 今回もその一環であった。

 ウキウキと準備をする美神を、珍しい物でも見るかのような目で見ていたヒャクメや小竜姫だったが、ジークは美神の事をそれ程知らないので普通に眺めていた。
 横島は複雑な眼差しで美神を眺める。
 自分と美神の前世を知った美神が、精神的に立ち直ったかどうかを心配していたのだ。
 尤も、美神はあれから少しだけ素直になって、横島にそれとなく誘導された西条にいろいろ優しく構って貰っていたおかげで、表面上はかなり持ち直しているように見える。
 そんな姿を見て、横島は美神が何とか前世での出来事と、それに起因する現世での様々な事を、乗り越えられるのではないかと期待を持った。
 かつて苦楽をともにしたおキヌが傍にいる事となれば、美神の孤独感はさらに癒される事だろう。

 飲み物と軽食の準備が出来た頃、人工幽霊一号が来客を告げる。

『オーナー。西条様とおキヌさんがお見えです』

「ん――、わかったわ。そのまま通して」

『わかりました』

 少ししてドアが開き、西条に押し出されるように部屋に入ってくる少女。
 巫女服姿の印象が強いが、ごく普通の私服を着た氷室キヌだった。

「あ……皆さん、お久しぶりです。…あれっ!? ヒャクメ様? 小竜姫様?」

 ペコリとお辞儀をして顔を上げると、そこにはついこの前まで指導をしてくれていたヒャクメと、その前に幽体と肉体の定着を指導してくれた小竜姫がいた。
 美神やシロ、横島は予想していたが、小竜姫やヒャクメまでいるとは思わなかったおキヌが少し驚いた声を出す。

「久しぶりね、おキヌちゃん。元気だった?」

「元気そうですね。ヒャクメから話は聞いていましたけど、完全に制御できているようですね」

「ね、東京だとすぐに会えるっていったでしょ」

 美神、小竜姫、ヒャクメから口々に返事をされ、嬉しそうに頷くおキヌ。

「どうやら基礎は完全にできたみたいだね。頑張ったんだね、おキヌちゃん」

「お久しぶりでござる!」

 続いて一歩下がっていた横島とシロの言葉に、先程よりも大きく頷いてみせるおキヌだった。







「ふーん、ヒャクメってちゃんと指導できたんだ……」

「美神さん、貴女…私の事を役立たずって思っていませんかー?」

「そっ……そんな事ないわよ!」

 おキヌから修業の話を聞いていた美神が茶々を入れる。
 最近、横島やおキヌには完全にその実力を認められたヒャクメとしては、美神がどうも自分を軽く見ている事が不満である。
 確かに戦闘には不向きだが、調査関係はこれでもプロなのだから……。
 美神としても、本当にヒャクメをバカにしているわけではない。
 その能力の価値は、スイスにタイムスリップした際に嫌と言うほど理解したのだ。

「美神さん、ヒャクメ様はきちんと教え、導いてくれました。私も姉も感謝しているんですよ」

 おキヌのヒャクメを見る眼は、本当にヒャクメの事を尊敬しているとわかるものだったので、美神としてもこれ以上からかうのは危険と判断したようだ。
 話題を変えて今度は姉の早苗の事を尋ねている。
 お酒やジュースを片手に歓談している女性達。

「そういえば横島君。……彼女の指導は小竜姫様とヒャクメ様が二人で行ったんだって? よくよく考えれば凄く贅沢な環境で修業したんだね」

「うーん……そう言われてみればそうですね……。幽体と肉体の定着を早めるため、霊気を身体の隅々まで行き渡らせる訓練は小竜姫様が教えたし、霊力を使った心眼や普通の意味での霊能力の使い方はヒャクメが教えたんですものねぇ……。うん、結構豪華な講師陣ですね」

「普通なら望むべくもない豪華講師陣だよ。それに何か君からもあげる物があるとか聞いたよ?」

 美神達が話しているのを横目に、西条が横島に話しかける。
 会話の内容からわかるように、おキヌの指導は非常に贅沢な環境で行われていたのだ。
 まあ、西条も犬飼ポチの事件のおり、妙神山で小竜姫と横島の指導を受けて第1チャクラの制御を会得しつつあるのだが……。

「ああ、彼女が望めば、の話ですよ。彼女には今、選択肢が二つあるんです。一つは霊能力の制御はできるけど、GSのような危険な世界に入らず平穏な生活を送る道。もう一つはさらにチャクラの使い方を俺から学んで、除霊道具の使い方や知識を習得してGSとなる道。彼女の意志次第ですが、どっちが彼女にとって幸せなのか俺には判断できないんですよ……」

「む……確かに君の言うとおりだね。もし彼女が昔のように令子ちゃんの側にいる事を望めば、彼女は嫌でもGSへの道を歩む事になる」

「ええ、彼女は死津喪比女を倒すため、300年間幽霊として独りぼっちだった。でも今は家族という絆を持っている。お義父さんやお義母さん、早苗ちゃんと一緒に暮らす方が幸せなのかもしれないと思うんですよ」

「そうかもしれないな……。だが、最後に決めるのは彼女だね」

 西条の言葉に大きく頷く横島。
 彼は未だにその事について迷っていた。
 そこに美神達との話を一旦終えたおキヌがやって来る。

「横島さん、ヒャクメ様から言われたんですけど、私に何かくださる物があるって……」

「ああ……うん。尤も、おキヌちゃんがそれを望めばなんだけどね」

 いきなりおキヌに核心を突かれて少し言いにくそうに口を開く横島。

「なあに〜? 横島君、おキヌちゃんに何かあげるの?」

 そこに美神がニヤニヤしながら参加する。

「横島さん、おキヌさんはしっかりした娘です。きちんと選択できると思いますよ」

「うん…そうですね小竜姫様。おキヌちゃん、君はこの後どうやって生きていきたい? 取り敢えず考えられる選択肢は二つあると思うんだ」

 小竜姫に促されて話し始める横島。
 少し前に西条に話したように、このまま今の家族と共に普通の生活を送るか、昔のように美神の側に来てGSの世界に足を踏み込むか、を尋ねる。

「もし美神さんの側にいたいと願うなら、小竜姫さまとヒャクメが教えてきた修業の最終段階を俺がやろうと思う。まあ、それで霊能力は十分なレベルになると思うけど、GSになるにはその上で体術なんかも鍛えなきゃならないけどね」

「横島さんは、もし貴女が望むなら第1チャクラを制御できるようにしてあげようと言うのです。私が夢で貴女の幽体と肉体を一致させるために教えた事は、チャクラを制御するための基礎ともなる内容ですから、後はちょっとした切っ掛けさえあれば貴女はチャクラを制御する事ができます」

 横島と小竜姫の言葉に考え込むおキヌ。
 もし美神の元で昔のような生活を送るなら、横島の申し出は何よりのプレゼントになるだろう。
 だが、横島本人が言うように今のままの平穏な生活を望むなら、別に必要のない申し出なのだ。
 横島が何となく切り出すのを躊躇ったのは、300年の時を経て漸く手にした平穏な生活を壊したくないと考えたからだ、とおキヌは理解した。

「もし普通の生活を送るのであれば、今言った能力は必要ない物です。いえ、持たない方が幸せかもしれません。おキヌさんの好きな方を選んでください」

 そう言って後は貴女の選択です、と告げる小竜姫。
 賽が投げられた以上、横島もおキヌがどちらかを選ぶまでやれる事はない。
 小竜姫とヒャクメは、おキヌが必要以上のプレッシャーを感じないように視線を外す。
 それとは対照的に美神は何やら考え始める。
 シロはと言うと……よくわかっていなかった。

「そうね……。横島君の申し出はGSを目指す者なら凄く嬉しい事だけど、普通の人にはあまり意味を持たない事だものね……」

「GSの世界は…おキヌちゃんも知っているようにリスクが大きい。家族の皆さんに心配をかける事にもなりかねないしね……」

 美神や西条も、今のおキヌの生活の事を考えると、慎重に考えるようにとしか言えなかった。
 美神との絆、今の家族との絆。
 おキヌにとってどちらも同じように大事だとわかっていたから……。



 漸く手に入れた暖かい家族。
 300年前であっても持ち得なかったもの。
 結婚でもしない限り、孤児であった自分には生涯縁がないと思っていた絆。
 それを復活した自分は手に入れる事ができた。
 優しい義父、義母、義姉。
 みんな自分のことを本当の家族のように扱ってくれる。
 何ら不自由なく暮らしている自分。

 これ程のものを脇に退けて、幽霊時代に世話になり多くの思い出を共に作った美神と共に生活する事を自分は望んでいるのか?
 だが、美神と共に過ごす事で確かに貴重な経験をすることができた。
 小竜姫やヒャクメ、そして横島に出会うことができたのも、美神と一緒にGS稼業に足を突っ込んでいたからなのだ。
 さらに言えば、自分が今こうして人間として生きているのも、美神や横島がいたからこそ。
 おキヌにとって、どちらも手放すことなどできない大切な絆。
 確かにリスクは大きいが、様々な刺激に満ち溢れたGSという仕事には魅力を感じる。
 しかし、今の自分は生身の人間であり、氷室家の娘という立場だ。
 運動神経はよくないし、以前から戦いの役に立ったことなど無い。
 そんな自分がGSとしてやっていけるだろうか?
 両親や姉は当然心配するだろうし、下手をすれば重傷を負うどころか命を落とすような道に娘が進むことに反対するだろう。
 それを説得するだけの理由……いや確固たる決意をおキヌは持ってなどいない。

「私は……どうしたいの……? 美神さんと一緒にいたい……。でも家族は掛替えの無い存在……」

 深く思考に没入したおキヌは、真剣な表情で考えながらブツブツと独り言を呟いている。
 そんな姿を見ている横島は、このような選択をさせなければよかったのではないか、と思い始めていた。
 美神や西条、小竜姫、ヒャクメは無論、シロまでもおキヌが答えを出すのを見守っている。
 しかし、誰も急かしたり口を出して誘導しようとはしない。
 これはおキヌが自分自身で考え、決めねばならないことだから……。

『やはり言わなければよかったか……。おキヌちゃんにはまだそこまでの選択をするだけのベースが無かったんだろう……』

『そうじゃないわヨコシマ。貴方のやった事は間違っていないわ』

『そうですよ忠夫さん。今きちんと考えないと、彼女は覚悟なしにGSへの道に足を踏み入れてしまいます。その前にしっかりと自分で悩み、考えることが重要なのです』

『GSはリスクを伴う仕事だもの……。失敗すれば自分が大怪我をしたり死んだりする事だってある。そしてその事で両親や姉妹を悲しませる事だってあるんだから』

 せっかく美神や自分に会えると楽しみにしてやって来たおキヌに、深刻に悩むような課題を与えてしまった事を悔やみ始めた横島。
 だが、小竜姫とルシオラの意識が彼の行動は間違っていないと告げる。

『それはその通りなんだけど……。だが、なまじ一流の美神さんのもとにいた彼女は、そこまで危険な状況に陥った事がない。だからこれまで実感が湧かなかっただろうな』

 ルシオラと小竜姫の意識も、横島が言いたいことを理解して頷く。
 確かに横島が言うように、幽霊であったころにはそこまでシビアに自分と周りの事を考えはしなかっただろう。
 無論、自分が失敗すれば美神が危険な目にあうとか、自分が消滅するぐらいは考えていただろうが……。
 しかし、今の彼女には自分を取り巻く家族がいる。
 漸く記憶を取り戻し、自分が本来生きていた時代と全く違ってしまった時代で日々を暮らし、自分の霊能力を制御することで精一杯だったおキヌに、そこまでの事を考えろというのは酷であることもわかっていた。

『でも……今考えなくても、将来必ず考えなければならない時が来るわ。それでは手遅れかもしれない。やはり道を選ぶ今こそ考えるべきだと思う……』

 ルシオラの意識の言葉に小竜姫の意識も大きく頷き、横島の中の小竜姫の意識とリンクを繋げている小竜姫も横島の方を向いて頷いている。
 横島達には、ただおキヌが答えを出す事を待っているしかなかった。



 美神と一緒にいたいと思う。
 しかし、その事でやっと手に入れた家族に心配をかけたくはない。
 その二つの考えがグルグルと渦を巻いて頭を駆け巡る。
 思考の無限ループに入り込みそうになったおキヌの耳に、美神の声が飛び込んできた。

「じゃ、じゃあさ……、こうしたらどうかしら、おキヌちゃん。貴女の霊能力は本物なんだから、自分がGSに向いているかどうか? 自分でやっていけると思えるかどうか? を少し時間を掛けて経験してみたらどうかしら?」

「はい? ……経験って…どうやってするんですか、美神さん?」

 これまで通り美神の助手をやってみないか、ということなのかと考え少し首を傾げるおキヌ。

「違うわよ。おキヌちゃんも冥子の事を知っているでしょう? 冥子の家の六道家が経営している六道女学院っていう学校があってね、そこには霊能科っていうのがあんのよ。そこに入れば基礎からきちんと教えてくれるわ。霊能科っていったって普通の勉強もするから高校卒業の資格も大丈夫だし」

「成る程……。君は今高校一年生だから、後2年間高校に通いながらじっくりとGSになるかどうか考えられるな」

 美神の説明に西条が補足を行う。

「もしそうするなら、この事務所の空き部屋に下宿すればいいわ。それなら休みには実家に帰れるでしょう?」

 美神の申し出にグラリと来て心が傾き掛けているおキヌ。
 横島も小竜姫もその事が手に取るようにわかった。

「確かに六道女学院に通えば、除霊道具の使い方から霊的格闘の基礎までしっかりと教えてくれるでしょう。でも、美神さんがおキヌちゃんを仕事に連れ出したら、普通のGSとそれ程変わらないリスクが生まれますよ」

 横島の一言に美神がギクッとしたような表情を見せる。
 西条も美神がおキヌを助手として使おうとしていた事を悟り、ちょっと責めるような眼差しを送る。

「令子ちゃん、さすがに今のおキヌちゃんを除霊現場に連れて行くのはまだ早いだろう。彼女はなまじ強い霊能力と霊の気持ちがわかる優しい心を持っている。もう少し成長するまで同行はさせない方がいいぞ」

「ほほほ…………。西条さん、何言ってるのよ! 私は一流GS・美神令子よ! そんな危ない事をさせるわけないでしょ!」

 西条にまで釘を刺され、笑って誤魔化そうとする美神。
 そんな彼女に未だジトッとした眼を向ける西条、横島、小竜姫、ヒャクメであった。

「美神さん、おキヌちゃんは霊能力を制御できるようになったとはいえ、まだお札も除霊道具の使い方も知らないのねー。まして格闘能力は皆無なんですからね。私の弟子にあまり無茶な事をさせたら、小竜姫や横島さんに言いつけるのねー」

「な、何を言っているのヒャクメ! そんな事しないって言ってるじゃない!」

 ヒャクメにそうまで言われれば、美神も邪な考えを捨てざるを得なかった。
 何しろヒャクメがその気になれば、美神がどれほど隠そうが即座に見破られてしまうのだ。

「わかりました。私も自分がGSに向いているのかどうかわかりません。でも、六道女学院で学んで自分自身で将来を決めるための経験を積もうと思います。横島さん、横島さんの申し出はそれを自分で決めてからでいいですか?」

「ああ、それがいいだろう。だが途中であっても君がしっかりと自分で決め、必要ならいつでも言ってくれ。その時はすぐに使えるようにしてあげるよ」

「はい、ありがとうございます横島さん!」

 頷きながら賛成する横島に、おキヌも少し安心したように御礼を告げる。

「でもおキヌちゃん、家族の説得が残っているのねー」

「この会話はお姉ちゃんも実家で聞いていますから、帰ったら相談してみます」

「ほう……早苗ちゃんもそこまで能力が強くなっているのかい?」

 ヒャクメの言葉に力強く頷くおキヌ。
 その言葉の中に無視できぬ一言を聞いて西条が尋ねる。

「早苗さんの霊媒としての能力も凄いですよー。おそらくおキヌちゃんを通じてなら、ここでの会話も光景も全部見えてると思うのねー」

 自分の教え子達の能力を嬉しそうに披露するヒャクメ。
 その言葉に思わず唸る西条だった。

「それではおキヌさん、勉強と修業の両立は大変でしょうが頑張ってくださいね」

「はい、小竜姫様。私、頑張ります」

 こうしておキヌは新たな一歩を踏み出した。
 彼女は再び東京での生活を始めようとしていた。



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