フェダーイン・横島
作:NK
第72話
キュッ
午前中の試合でかいた汗を洗い流し、身体にバスタオルを巻いたおキヌはチラッと自分の両隣でまだシャワーを浴びている弓と一文字を盗み見た。
二人とも黙々とシャワーを浴びているが、その雰囲気は完全に他人を拒絶している。
『さっきからずーっと険悪なムード……。なんとかしなくちゃ……』
B組チームの苦労人、氷室キヌは胃がキリキリと痛むようなプレッシャーに耐えながら、健気にそんな事を考えていた。
第2試合終了後、自分の指示に従わなかった一文字を完全に無視する弓と、こちらもバツの悪さを感じながらも日頃の関係から謝る事も出来ずに、やはり無視という形をとっている一文字。
そんな二人に囲まれて、おキヌはどうしていいかわからずに心の中で涙を流していた。
「ね、お昼にパン買いに行くんだけど―― よかったら二人にも何か買ってきますよ」
「いらないわ」
「あたしもいらない」
漸く意を決して口を開いたおキヌだったが、簡潔かつ素っ気ない二人の返事で会話は終わってしまう。
「あの二人が仲良くなったら、きっと素敵だと思うんだけどなあ……。でも、私にはこれ以上どーすればいいのかわからないわ……。誰か助けて……」
自分の霊衣である巫女服を着たおキヌは、珍しく弱音を吐きながら二人を残しシャワー室を後にした。
「……おいおい、氷雅さん。本当にこっちなのか?」
「私の情報に間違いはありませんわ」
「しかし! こっちは男の俺がうろちょろしたらまずいだろ!」
ドアを開けトボトボと歩き始めたおキヌの耳に、今一番会って話をしたいと考えていた横島の声が聞こえてきた。
一緒に聞こえる話し声は九能市だろう。
「えっ!? よ、横島さん?」
俯かせていた顔をパッと上げて声の方に向け、さっと走り出すおキヌ。
「横島さ――ん!!」
「あっ、おキヌちゃん。よかった……おわっ!?」
「あら、大胆ですわ」
ダッシュで近寄ってきたおキヌは、そのまま横島の胸に飛び込む。
いきなりおキヌがそんな事をしてくるとは思わなかった横島は驚いたが、さすがに日頃から鍛えているため受け止めてもバランスを崩す事はなかった。
そんなおキヌの行動を、少し羨ましそうに、微かに妬ましそうに評する九能市。
「どうしたんだ、おキヌちゃん? さっきの試合でどっか痛めたのか?」
横島に会えた安心感からポロポロと涙を零すおキヌに、さすがにいらぬ誤解を受けると焦った横島は九能市に目配せをして人払いの結界を張らせる。
なおかつ自分でも周囲の気配を探り、シャワー室の中以外には誰もいない事を確認してからおキヌに訳を聞き始めた。
「……いえ…ぐすっ………そんな事じゃ……ないんです……えぐっ…」
「じゃあどうしたんだ? 俺でいいなら聞いてあげるから言ってごらん」
「私…わた…し……もう…どうしていいか……わからないんです―――!」
そう言ってえぐえぐと泣きじゃくるおキヌ。
横島としても後が怖いのだが(こんな状態で胸ポケットにいる小竜姫が沈黙しているのが怖さを倍増させている)、こうしていても仕方がないので優しく頭を撫でてみた。
そうしているとおキヌも落ち着いたようで、チームの雰囲気がずっと険悪である事を涙ながらに訴える。
「そうか……試合自体は上手くいったのになぁ……」
「弓さんも貴女達の実力を見極めるためにも、負けないように指示を出しながら戦おうとしていたみたいなんですけどねぇ……」
「ええ……試合の前に相手の能力によって私か一文字さんに交代するって言ってました。でも……一文字さんが弓さんを無視して秦野さんと戦ったんで、弓さんが怒っちゃったんです……」
話を聞いて、先程会ったときに感じた弓の性格を考えると、仕方がないとしか言いようがなかった。
弓としてはかなり譲歩した結果が、先の試合だった。
事実、弓は秦野の非武装結界の攻略方法をいち早く考えついていたようだったし……。
「弓さんとしては面白くないだろうし、下手をすれば負けていたんだから腹を立てて当然だろうね。一文字さんからすれば勝ったんだから文句はないだろう、ってところかな?」
「ええ……二人とも無視しあっていて……」
「結局、弓さんはまだ一文字さんを認めていないんですわ。一文字さんは…弓さんの事は認めているでしょうけど、何かコンプレックスみたいなものがあるのではありませんか?」
忍び者だけあって、人の事をよく見ているというか把握している九能市。
この辺は雪之丞ではこうはいかない。
「しかし、おキヌちゃんも気苦労が耐えないね。やれやれ……これで上手くいくかどうかはわからないけど……」
そう言いながら横島は頭を撫でていた右手を離し、その掌に単文珠を一つ創り出す。
横島の手に霊気が集まるのを感じたおキヌは、自分が横島に抱き付いていた事に今更ながら気が付き、恥ずかしそうに身体を離して横島が出した文珠を見詰めた。
「…文珠……ですか?」
「うん。あんまりやりたくはないけど、言葉を通して理解し合うには時間がない。これをシャワー室に置いてきて。これを使えばお互いの心というか考えがわかる。危険な賭かもしれないし、今以上に関係が悪化するかもしれないけど、お互いの正直な気持ちを分かり合う事しか解決方法を思いつかない」
『覗』という文字が込められた文珠を眺め、横島の言う事を理解したおキヌはコクリと頷き、シャワー室のドアを開けると二人が未だシャワーを浴びている事を確認して、更衣室の弓の着物の上にそれを乗せる。
すぐに部屋を出たおキヌに、頑張ってね、と一言告げた横島は九能市を伴って戻っていった。
シャワー室のドアの横で、壁にもたれ掛かったおキヌは溜息を吐きながら上手くいく事を祈るしかなかった。
「横島様……あれだけでよろしかったんですの?」
「こればっかりは俺でもどーしようもない。何しろお互いが相手の力を認め合うっていうのは簡単な事じゃない」
横島の言葉に頷く九能市。
確かにそれが簡単に出来ないから人間なのだ。
「弓さんから見れば一文字さんの霊能力は荒削りすぎるし、あまり視野を広く持って戦う事もできない未熟者。根性だけで勝てるなんて甘い、と言う事だね。一方、一文字さんから見れば弓さんは尊敬は出来るけど、自分の事をいつもバカにして見下しているように思えてるから、何とか見返そう、いや、認めさせようって言うところじゃないかな?」
「そうですわね……。まさか二人とも洗脳するわけにもいきませんものね……」
何やら不穏な事を口走る九能市と共に歩いていると、向こうから近付いてくる集団が眼に入った。
よく見ると、先程おキヌ達のB組に敗退したD組チームの3人である。
「あら……あの人達は確か……」
「うん、おキヌちゃん達とさっき戦った娘達だ」
そう言葉を交わしていると、向こうも横島達に気が付いたようでなぜか立ち止まってしまった。
首を傾げながらも、美神達の元に返るために横を通り過ぎようとする横島。
その時、神保から声がかかる。
「あ、あの……横島さん…ですよね?」
「えっ? ああ、そうだけど……。何か用? 神保さん」
先程、元始風水盤事件の被害者であったことを思いだしていた横島は、声を掛けてきた神保の名前を即座に呼ぶ事が出来たのだ。
「えっ!? わ、私の名前を覚えていてくれたんですか!?」
「う、うん……。もう身体は大丈夫なの?」
「は、はいっ! あれから特に問題はありませんでした」
「そう。それは良かった。あの時は…………大変だったからね」
あの、少女にとっては忌まわしい事件の話を級友達の前でしても構わないのか、と躊躇した視線を送る横島に頷いた神保。
彼女は、横島が自分の事をそうやって気に掛けてくれる事に感動していた。
被害者の一人と言う事で、覚えていないかもしれない、と思っていたのだ。
「いえ、もう過ぎた事ですから。それで……あの魔族は横島さんがやっつけてくれたんですか?」
「いや…最終的には美神さんとカオス、マリアが倒したんだ。俺はその時、ヤツの護衛に付いていた魔族と戦っていたからね」
「でも…横島さんも尽力してくださったんですね? ありがとうございます」
そう言ってペコリとお辞儀をする神保。
なぜか、先程までの彼女とは別人のように素直で愛らしい。
「いや、いいよ。俺としたら当然の事をしただけだからね。それより、神保さんは勝負の見極めっていうか、状況判断が適切だったね。あれなら死なないというか負けない戦いができるよ。人間、死ななければ何とかなるし、リベンジだってできる」
「えっ!? そ、そうですか……。これからも頑張ります!」
先程までの不機嫌さはどこに行ったのか、という視線を向けるチームメイト達を無視して話している神保。
さらには満面の笑みまで浮かべている。
「むう……理恵ばっかりずるいじゃない」
「そうです。私達だって横島さんとお話しをしたいんですから」
そんな神保を押しのけるように、それまで完全に蚊帳の外だった狩野と秦野が不満げに話しに加わってきた。
神保はそんな二人の事を渋々紹介する。
何やら期待するような熱い眼差しを送られた横島は、彼女らの意図が読めないため無難な話をする事で切り抜ける事にする。
「ええと……狩野さんはオールラウンド型だけど、自分よりパワーがあったりスピードがあるタイプとの戦い方をもう少し修業した方がいいよ。秦野さんはもう少し攻撃方法や体術面の強化が必要だね。実際の除霊では、物理的な攻撃だってあり得るから」
横島が自分達の戦いをちゃんと見てくれており、しかもアドバイスまで貰ったため二人共非常に嬉しそうにしている。
端で見ると、試合に負けたにもかかわらずえらく幸せそうなD組チーム。
「じゃあ俺は戻るけど、今度のクラス対抗は頑張ってね」
しばらく3人と話していた横島は、腕時計を見るとそう言って九能市と共に去っていった。
そんな横島の後ろ姿を、いつまでも潤んだ眼差しで見詰めるD組の3人だった……。
『1年生の部決勝戦! 1年B組対1年G組!!』
アナウンスに従ってコート脇に現れる両チームの面々。
相手となるG組は、忍び装束に似た黒ずくめの格好におかっぱのような髪型の峰響子、おキヌと同じ巫女服姿で長髪まで一緒という神野美恵、長身で大きくパッチリとした眼が特徴の金髪少女、逢(ほう)メリッサである。
逢はその容姿から見てもわかるように、欧米系中国人の留学生だ。
レオタードのような服を着ている。
「な……何か落ち着いた感じの人達ですね。強そう……」
「――特にあの右端のコ、注意して。入試で実技成績が私と同点首位だったわ。攻守共にスピードもパワーも十分だし、他の人間にはやれない特技を持ってる」
「強敵だな……」
既に心配そうな表情のおキヌを尻目に、冷静に相手の情報を伝えていく弓。
前の試合で消滅した霊衣の代わりに、新しい服に着替えた(でもやっぱり特攻服)一文字が呟く。
「あ…あの…特技って、横島さんみたいに文珠みたいなのが出せるとか、雪之丞さんみたいに魔装術とか使うんですか?」
「は……? い、いえ…氷室さん、さすがにそこまで特殊な能力ではないと思うわ……。えっ!? 魔装術?」
身近にいた特殊能力を持つ人間とその能力を連想したおキヌは、思わず秘密を口にして尋ねてしまう。
弓もあまりにも極端な例に顔を引きつらせて答えたが、横島の弟子である一人が魔装術を使うと聞いて逆に尋ね帰す。
「あ…はい。雪之丞さんは魔装術の使い手ですから。九能市さんは特殊能力は持っていませんけど、攻守のバランスは凄く良いですし、体術も桁外れです」
「そう……。まあいいわ。今は目前の試合に集中しましょう」
何かを考えている素振りを見せた弓だったが、今は試合の方が大事だと意識を切り替える。
「決勝まで残ってきた相手ですもの、強いのは当たり前よ。でも勝てない相手じゃないわ。私達だって十分強いはずでしょ?」
「!」
「弓さん…!」
「これが最後の試合――。気合いを入れていくわよ!!」
「――あのチーム、気配が変わった……! わかる?」
「ええ、随分和やかになりましたね」
「どーいう事でござるか?」
美神と横島の会話を聞いて、九能市や雪之丞も納得顔をしているのを見たシロは、自分だけ仲間はずれのような気がして何の事を話しているのか尋ねた。
「おキヌちゃんのチーム、霊波動の相乗効果が増してるのを感じない? 前よりぐっと良いチームになってる…!」
「へえ……拙者には良く分からないでござるが、3人の心がバラバラでない事はわかるでござるよ」
「ああ、シロは霊気の匂いで感じているから、ちょっと見方が違うんだよ」
良く分かったような、わからないような会話が特別審査員席で繰り広げられている中、おキヌは漸くチームの心が纏まってきた事を感じてチラリと審査員席を見た。
どうやら横島に貰った文珠の効果があったらしい。
またもや彼に助けられた、と感謝の思いを込めて視線を送る。
『横島さん……とにかく頑張ってみます』
いよいよ決勝戦が始まる。
「で…誰からいくんだ?」
「そうね、まず先鋒は一文字さんに出て貰うわ。でもいい事、深追いはしない事と、必ず視野を広く持って戦うのよ? 貴女が一人で無理に倒す必要はないのだから」
「ああ、わかってるよ。横島さんにもそれ言われたからさ……」
どこかバツが悪そうに、頭を掻きながら答える一文字。
その返事に満足そうに頷く弓だった。
「相手次第だけど、氷室さんには特技が使えるここ一番に出て貰うわ。私は取り敢えずバックアップとして指示を出します」
「……なあ、本当にいいのか、それで?」
先程、シャワー室でいきなり涙を見せてから、妙にやわらかくなった弓に戸惑いがちに尋ねる一文字。
後から考えれば、先の試合はあまりにも自分勝手だったと反省はしていたのだ。
弓に自分の力を認めさせたい、という思いが全面に出過ぎてしまった結果だったのだが……。
中学生のころからの憧れというか、霊能力に目覚めてからは密かに自分の目標だった弓と肩を並べる存在だと認めてもらいたい、いつかそうなりたい。
それが一文字の頑張ってきた理由だったのだから……。
「……貴女の事、今でも好きとは言えないけど、でも、ま、――― だからって実力を正当に評価しないのは無意味な事だったわ。あくまで私の下であることは間違いないけど、下は下なりに力がある事は認める事にしたの」
「こ……この女(あま)ぁ……!」
「た、大した進歩じゃないですか! チームがやっと纏まってきたんですからっ…!」
フッと鼻で笑いながらそう告げる弓。
その言葉に瞬間湯沸かし器よろしく、真っ赤になって怒り始める一文字を何とか宥め賺すおキヌ。
先程、一文字の本当の気持ちを見せられた弓は、彼女を目標にして影ながら歯を食いしばって頑張ってきた一文字の事を認めた。
だが、今の一文字のレベルで自分と同じ位置にいると思われる事は許せなかったのだ。
何しろ今はまだ荒削りなだけなのだから……。
「先鋒、用意はよくて?」
「ええ!」
一方、G組の方は妙に落ち着いていたが、黒ずくめの峰が大将格らしく逢に出撃を促す。
余談だが、峰は彼女の特殊能力である霊体の触手を出した際の姿が、黒ずくめである事と相まってアリのように見えなくもなかった……。
ズイッと前に出てコートに入る逢。
B組サイドからは気合い十分の一文字が出てくる。
「始め!!」
「雷獣変化!!」
「なに!?」
鬼道の開始の合図と共に、逢は掛け声と共に獣化を始める。
その意表を突いた能力に驚く一文字だったが、そこは喧嘩慣れしているのが幸いして襲いかかってくる雷獣を見ても狼狽えはしなかった。
「ガアッ!!」
「こいつ……! 獣化能力か!」
鋭い爪の一撃を前に転がる事で辛うじて躱した一文字は、すかさず起きあがって雷獣を睨み付けた。
一文字のガン付けに、こちらも睨み返す雷獣。
バチバチと、文字通り火花が散るような鋭い視線の応酬が繰り広げられる。
「な…なんだ!? もしかして……」
「ええ、相手は獣だからね。あーやって……」
雷獣対一文字の格闘戦が始めると、息をのんで見詰めていた横島が、まさか、という口調で呟く。
それに同意しながら後を続ける美神。
雪之丞と九能市はキョトンとした表情で二人を見ているが、シロだけは狼という立場のため正確に状況を理解していた。
「眼を逸らした方が負けでござる!」
「「なに!?」」
シロの言葉にシンクロしながら疑問を発した雪之丞と九能市だったが、睨み合った状態からささっと眼を逸らした雷獣が負け犬のように鳴きながら自軍のコーナーに戻っていくのを見て納得せざるを得なかった。
「さすがは犬だな。獣同士よくわかるってことか?」
「犬ではござらん! 狼でござる!!」
独り言のように呟いた雪之丞の言葉を、耳聡く聞きつけたシロがお約束のフレーズを叫んでいる頃、G組のコーナーでも峰が逃げ帰ってきた逢に何とも言えない表情を見せていた。
「クウン! クゥン!!」
「…あ、あんたねぇっ!!」
あまりの情けない結果に怒鳴ろうとした峰だったが、勝負の最中と言う事で気持ちを切り替えて二番手の神野美恵を送り出す。
「雷獣を気合いで負かすとは、大した精神力だわ…! でも…これはどう!?」
颯爽と躍り出た神野は、手に持った濡れた榊の枝を勢いよく振り抜いた。
枝や葉に付いた水滴が霧のように一文字に降りかかる。
「…!?」
先程、秦野の非武装結界に囚われた経験から、相手の行動が何かの術の発動を目論んでいると看破した一文字。
だが、既に手遅れだった。
いきなり周囲の風景が変化し、いつの間にか常夏の海岸にいる自分。
さっきまで何をしていたのかすら思い出せず、妙に気持ちが良い。
既に眼は虚ろとなり、何かに憑依されているかのようだ。
「い、一文字さん!? どうしたんです!?」
「まずい!! 心理攻撃よ! 精神汚染が始まっているわ!! 全く、またあんな手に……」
B組のコーナーでは、何が起きたのかわからずに一文字を大声で呼ぶおキヌと、一文字の身に起きた事をほぼ正確に洞察した弓が焦っていた。
完全に神野の精神攻撃の術中にはまった一文字は、へらへらとした笑みを浮かべるだけで戦意など喪失している。
今攻撃されれば、アッという間にKOされるだろう。
大声で一文字を呼びながら手を伸ばす弓。
しかし、ハワイのビーチでくつろいでいると信じ切っている一文字は、反応を返す事さえしない。
だが、弓の霊力を込めた言霊は、辛うじて一文字の耳に届いていた。
一文字の眼には、海をバックに幽霊のように宙に浮かぶ弓の姿が映っている。
一文字の主観では弓は何か言っているみたいだが、さすがに声までは知覚できていないのだ。
手にトロピカルドリンクのグラスを持っているつもりの一文字は、弓が自分の持っているドリンクを欲しがっていると思った。
「なんだ弓か……。これが欲しいのか? 自分で頼めよ、ビンボーくさい」
「誰がビンボーですかっ!? 寝ぼけていないで手を出してっ!!」
逝っちゃった眼で此方を見ながらとんでもない暴言を吐く一文字に、ぶち切れそうになりながらも我慢して指示を出す弓。
その姿は、おキヌをしてよく我慢していると思わせていた。
「わーったよ、そんなに欲しけりゃやるよ。ホラ……」
バシッ!
「しょーがない人ねっ!!」
寝ぼけながらも、何となく指示通り手を伸ばす一文字とようやくタッチした弓は、一文字をおキヌに任せると捨て台詞と共に入れ替わり、コート内へと入った。
だが交代した弓にも水滴を飛ばす神野。
「フン!! あなたもバカンスを楽しみなさいっ!!」
その言葉と共に、弓の周囲の景色が南国のビーチへと一変し、波打ち際で海に足を浸した状態で佇んでいる自分に気が付く。
だが……すぐに弓はそれが幻影だと看破し、自分を取り戻した。
「フン! ハワイですって!?」
「えっ!?」
心の底からバカにしたような口調でそう言った弓に、怪訝な表情を向ける神野。
術が効かなかったのだろうか、という不安が過ぎる。
「車が左側を走っている!! 日本人が一人もいない!!」
「えっ、えっ!?」
糾弾するかの如く、神野が見せているハワイの風景の矛盾点を突いてくる弓。
その指摘に狼狽え始める神野だった。
「全く陳腐な幻覚だわ! さてはあなた……一度もハワイに行った事ないわね!?」
がーん!!
ビシッと指差して止めの一言を突きつけた弓。
神野はその最後の一言で顔を引きつらせ、精神崩壊を起こしてしまった。
それによって術が敗れたために、弓の周りの風景が元のコートへと戻る。
弓によって凄まじい精神的ダメージを負った神野は、ブツブツと何か呟いていたが突然大声で喚き始める。
「そ…それがどーしたって言うのよ……!? そーよ!! 私はハワイどころか海外旅行した事ないわよ!! 悪い!?」
既にプルプルと震えている姿は、とても戦いを継続できる状態ではなかった。
「なによ、なによ――っ!! 日本人は日本で遊べばいいのよ―――っ!! 海外なんて……海外なんて―――っ!!」
そう叫んで膝を突き、わあああっ、と顔を地面に擦りつけるぐらい近付けて号泣しはじめる神野。
試合中にもかかわらず、さすがの弓もあまりに想定外の展開に唖然とする。
だが今攻撃をかければ確実にKOできるのだと、ハッと瞬時に気が付きダッシュをかける。
そして走りながら手に持った薙刀に霊力を込めていく。
敵チームの神野は今が試合中だという事を忘れ、無防備にも蹲って泣いている。
彼女が我を失っている今こそ、この試合中での数少ない確実な勝機なのだ。
そしてG組のコーナーでも、我に返って動き出した弓の意図に関して、峰が正確に理解していた。
このまま黙視すれば自分たちの負けは必至なのだから……。
「何してるの美恵! 早く立ち上がってこっちに戻って!!」
泣き伏していた神野は、聞こえてきた峰の大声に『えっ?』という表情をしながら身を起こす。
すると目の前には薙刀を振り上げた弓が迫っているではないか。
状況の変化に混乱しつつも、慌てて立ち上がろうとする神野。
そこに峰の次なる指示が飛ぶが……。
「美恵! 後ろに下がって、手を伸ばして!!」
「えっ!? あ――! ちょ、ちょっと待って……。きゃ―――!!」
峰の指示は聞こえたのだが、神野は数瞬後に繰り出されるであろう弓の攻撃を思い描いて、反射的に両手を上げて顔を庇い、防御体勢を取ってしまう。
だがその格好は、中腰のまま両手で顔を覆っているという、相手からすればほとんど的にすぎない状態なのだ。
「美恵!!」
後数歩に過ぎないというのに、どうにもならないその距離に絶望の声を上げる峰。
いかに手を伸ばしたところで、タッチできる距離ではないのだ。
神野の慌てふためく姿を目にしながら、後味が悪いだろうなと思いつつも千載一遇のチャンスを逃す事などできない弓。
これが真剣勝負の作法とばかりに、一瞬で雑念を振り払い霊力を込めた薙刀を、峰の叫び声を聞きながら気合と共に振り下ろす。
ドガッ!!
「きゃっ…!!」
弓の一撃をまともに後頭部に食らった神野は、顔から地面にダイブするように地面に討ち据えられてしまう。
即座にうつ伏せの神野を引っくり返しフォールしようとした弓は、相手が既に意識を失っている事に気が付いた。
だが審判より止めの合図がかかっていない事から、そのまま薙刀で押さえ込む体勢を取り審判の鬼道に顔を向ける。
「KO勝ち! 勝者B組!!」
神保の状態を確認した鬼道が試合の終了と勝者を告げ、ここに1年生の部決勝戦は呆気ない幕切れを向かえたのだった。
「やりましたね! 弓さん!!」
「ええ、何とか優勝したわね……。それに、こんなに楽しかったの初めてだわ。……これからも頑張りましょうね」
「弓さん……! はいっ…!!」
完全に心を通わせて、漸く一つのチームとなった事を実感している弓とおキヌ。
優勝した喜びを噛み締めようとしたが、最後に問題が残っている事に気が付いた。
「……それはそれとして、このコ何とかしなくちゃね……」
カメハメハ〜〜、カメハメハ〜〜、と脳天気に歌っている一文字を見詰める弓の言葉に、引きつりながら頷くおキヌだった。
「…そんな…………私の出番って無いの…?」
優勝に喜ぶB組と落胆するG組みがそれぞれ作り出している対照的な喧騒の中、呆然と佇む黒装束の峰の言葉は、誰に聞かれる事も無く空しく宙に消えていく。
今回の試合では思いっきり割を食った峰響子……。
彼女にもいつか(来年)活躍の場は訪れるであろう。
「何だか……予想外の展開だな……」
「そうですわね。でも精神攻撃は周りの人達には見えませんから、本人達はともかく見ている分にはさっぱりわかりませんわ」
「何だかハワイがどーの、こーの、って言ってるわね」
「でも、本当のハワイを知らねーと、あの幻覚は破れないのか?」
いきなり泣き出した神野美恵の姿に、一体どんな精神攻撃をかけていたのか? また、何で弓の言葉だけでそれが破れたのか? 見ているだけではさすがにわからないため、横島達は首を捻っていたのだ。
尤も、ハワイとは何かすらわかっていないシロは、もっと手前の段階で首を捻っていたが……。
そしていきなり弓が蹲っている神野の駆け寄り、一撃で神野をKOしてしまった。
「試合……終わっちまったな…………」
「……ええ、終わったようですわね……」
「卑怯ではござらんが……何だか釈然としないでござる」
どうも物足りないという感じの弟子達を見ながら口を開く横島。
「これは試合っていうか勝負であって練習じゃないんだから、別に相手に全部の力を出し尽くさせる必要はないだろう? 勝負の場合はいかに『相手に力を出させずに勝つか…』が基本だ。魔族や強力な妖怪を相手にする事を考えれば当然の事だよな? いかに相手が特殊能力や強力な技を持っていようと、出す前に倒す事ができれば安全だ」
「成る程……、確かにその通りだな。魔族の必殺技なんて出されたかーねえよな」
「忍者の基本でもありますわ」
横島の言葉に納得し、大きく頷く雪之丞と九能市。
そしてシロも犬飼ポチとの死闘を思いだして頷く。
「確かに勝負って言う意味では横島君の言う通りね。相手の大技なんていちいち対処してたら身が持たないし、何より赤字になっちゃう」
「でもね〜〜学校教育という意味では〜あまり勝敗だけに拘られても困るのよ〜〜」
横島を肯定する美神の言葉に、教育者としての立場から異論を唱える六道理事長。
「まあ、タッグマッチ戦である以上戦えない生徒がいても仕方がありませんね。日を変えて個人戦でもやれば収まるんじゃないスか? あの隙を見逃さなかった弓さんは賞賛されるべきでしょう」
そう言って話を締めくくる横島。
こうしておキヌの初めてのクラス対抗戦は無事終わったのだった。
『ありがとうございました、横島さん、美神さん。私にこんな楽しい思い出を作る機会をくださって』
そう書き記して日記帳を閉じる。
もう夜も遅くなってしまったので、早苗に電話をかけるのは諦めたおキヌ。
だから今日は自分の正直な気持ちを姉に送ろうと考えていた。
早苗なら距離が離れていても、自分の心の声を受け取ってくれるだろう。
そんなわけで―――お友達が増えました。
私、この学校が好きになれそうです。
苦しい事や悲しい事もあるけれど―――私は元気にやってます、早苗お姉ちゃん!
(後書き)
「バッド・ガールズ!!」編も漸く終わりました。私は弓かおりというキャラは案外好きなので、
ちょっと扱いが良すぎたかもしれません。
取り敢えずおキヌは六道女学院に通って、将来GSを目指すかどうかは別として体験を積む事に
なりました。
そのため、原作のように美神の助手としてポンポン仕事に同行する、という事は少ないでしょう。
何しろ原作の横島はGS免許を持っていましたが、おキヌはそれすらも持っていませんでしたしね。
本当は、原作で除霊の手伝いをさせる事自体問題だと思うのですが……。
さて、次は順番が前後しましたが「サバイバルの館!!」編をお届けします。
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