フェダーイン・横島

作:NK

第81話




「ちっ、無様を晒しちまったぜ」

 ブツブツ言いながら戻って来た雪之丞だったが、九能市が何か言いたそうに佇んでいる事に気が付き首を傾げる。
 取り敢えず医務室に行って浅いとはいえ負った傷の手当てをしなければならない。

「なんか言いたそうな顔だな?」

「いえ、大したものだと思っていただけですわ」

 忌々しそうに尋ねた雪之丞だったが、返ってきたのは予想外の賞賛の言葉だった。

「どういう事だ?」

「貴方が受けたあの術、忍術にも似たものがあるのよ。やはり影縫いと言うんですけどね。まあ、忍術の方は催眠術の応用ですけど初めてその術を掛けられたら、大抵はやられてしまいますから……。よく破る事ができたな、と感心していました」

「そう言う事か。まあ横島に教わった技が役に立ったぜ。アレがなければ結構きつかったからな」

「そうですわね。大安という選手の技は催眠術ではありませんでしたから」

「まあ勝てたからいいさ。それより次はおめーの番だろ?」

「ええ、この後ですわ」

「まあ頑張れよ。おめーとは決勝に行かなけりゃ戦えないからな」

「わかっていますわ。この前の借りを返してさしあげます」

 それだけを言うと九能市は踵を返して自分のコートへと歩いていった。
 雪之丞はその後ろ姿を見送り医務室へ行こうとしかけたが、ふと九能市が自分を励ましてくれたのだと気が付いた。
 慌てて振り向くと、九能市は既にコートに上がっている。

「ふう、このまま医務室へ行くわけにもいかねーか」

 そう呟くと雪之丞は九能市が闘うコートへと向かった。






「光あるところに影がある。そして影は光の場所次第でいくらでもその位置を変えるって事さ。な、簡単な事だろ?」

「でも、横島さんが教えたサイキック猫騙しがなければ、雪之丞さんも勝てなかったかもしれませんよ」

「ははは……。教えたって程の技じゃないだろ、ジーク。まあそれがなくたって霊波砲を拡散モードで撃つとかいろいろあるだろうし」

 雪之丞がサイキック猫騙しを放った瞬間、呪縛が解けたかのようにいつもの動きで攻撃に転じて、危なげなく勝利するのを見ていた少女達に声を掛ける横島。
 自分の考えの斜め上を行くアイディアに脱帽していたのだ。
 しかし原理としては子供の頃から知っている事に過ぎない。
 コクコクと頷くおキヌ達を尻目に、それまで黙っていたジークが口を挟む。
 横島としてはその事に苦笑しながらも、雪之丞が選択した以外の手段も口にした。
 そう、要するに強烈な光源を作り出し、影を現在の位置から動かしてしまえばいいだけだから……。

「でも……霊能力っていろいろなモンがあるんだなあ……。俺も学校でいろんな能力を見たけど、こんなの初めてだよ」

「そうですわ。それに雪之丞さん程の体術がなければ、正体を見抜いたところで敗れてしまうはずです」

 感嘆の声を上げる一文字に、それだけの事ではないと告げる弓。
 もし対戦したのが雪之丞ではなく自分だとしたら、最後の技はともかく繰り出された斬撃を全て避ける事などできなかっただろう。
 大安の攻撃は、はっきり言ってかなり剣術を修めた者の動きだったのだから。
 霊力では間違いなく自分の方が上だが、それでもあの妖刀の攻撃の前には深手を負う事間違いないのだ。

「あれ、雪之丞さんと九能市さんが何かお話ししていますね」

「次は九能市さんの試合ですからね。これで勝てば2人ともGS資格取得ですし」

 おキヌの惚けた一言に当たり障りのない答えを返す小竜姫。
 彼女は九能市の心が雪之丞に傾き掛けている事に気が付いていた。
 しかし九能市自身がはっきりと自覚していないため、静かに見守っていたのだ。
 意外な事に、この事は横島も何となく気が付いていた。
 自分の事になると、小竜姫とルシオラという大きな存在が身近にいる(魂で繋がっているし)ため、それ以外の女性に対する関心が極端に薄くなってしまう横島だが、雪之丞と九能市の間の雰囲気が昔と微妙に変わってきている事は知っている。
 平行未来の記憶で、雪之丞が弓と付き合っていたのを知っている横島としては何となく違和感があったが、自分も平行未来のこの頃とは違って、しかも彼女と呼べる相手が2人もいるため納得してしまっていた。

「でも……あれだけの相手に対しても、魔装術を使わないで勝てるんですね……」

 微妙に嫉妬の炎を瞳に宿らせながら、九能市と話す雪之丞を見詰めて残念そうに呟く弓だった。



「黒川選手対九能市選手!」

「厄珍さん、ご推奨の九能市選手の登場ですが……」

「あのねーちゃん、胸も大きいしスタイルもいいあるからね! たまんねーあるよ!」

「対する黒川選手も女性ですが……。勝負の行方はどうでしょう?」

「能力はよくわからないあるが、それにしても色気のない格好あるね!」

 コートに立った九能市を見て、どう考えてもセクハラと言われる言動を叫ぶ厄珍。
 言われた瞬間、ピクッと九能市の眼が動き厄珍に向けられる。

『おいおい……。命知らずな事をしねーでくれよ……』

 結界の外で見守っていた雪之丞が内心で愚痴る。
 九能市はなかなかそういう感情を表に見せないが、内心では結構怒っているとわかっているから。

「厄珍は放って置いて……、どうにも能力レベルが掴めない相手だな。手ぶらと言う事は格闘家か? いや、その方面で鍛えている様子はない。とすれば……」

 そう言って対戦相手である黒川を見詰める。
 年齢は20歳前後であろう。
 おそらく九能市とそう違わないはずだが、長い黒髪と妙に表情が無く暗そうに見える事からやや年上にも見える。
 体形は可もなく不可もなく、と言ったところだ。
 服装はダボッとした都市迷彩の軍用パンツと上着、足元はブーツ。
 はっきり言って色気も素っ気もない格好なのだ。
 一時期エミのアシスタントとして雇われていた傭兵達(仕事の時のタイガーの格好)と殆ど同じと言えばわかりやすい。

『見たところ……何も霊具は持っていないようですわね。と言う事は、呪術か操作系の術者の可能性が高いですわ』

 対峙する九能市も、マントの下でヒトキリマルの柄に手を掛けながら、黒川の能力を量っていた。
 そして雪之丞とほぼ同じ結論に到達するのに時間は掛からなかった。

「まずは様子見ですわね」

 ドン! ドン! ドン!

 低出力の霊波砲を速射する九能市。
 相手の能力が不明な以上、無闇に近接戦闘に持ち込む事は危険だからだ。

「くっ! 行きなさい、赤王!」

 その攻撃を霊波シールドで防いだ黒川が叫ぶと、彼女の影から一頭の狛犬が飛び出し九能市に襲いかかった。
 それは名前どおり赤銅色の体色を持つ、体長1.5m程の狛犬の形をした彼女の式神、赤王(セキオウ)だ。

「グルルルルッ! ガアッ!!」

 猟犬のごとき素早い動きで襲いかかる赤王の攻撃を、華麗な体術と抜きはなったヒトキリマルで捌いていく九能市。
 先程の雪之丞同様、その体術は人間の限界を遙かに越えたものだった。



「黒川さんって六道女学院の出身みたいですよ」

「へえ…。じゃあ卒業生の方なんですね」

「あの式神は結構強力なんじゃねーか?」

「ええ、鬼道先生の夜叉丸程ではないけど、この前闘った神保さんのキョンシーよりは強力だわ。尤も、神保さんのは4鬼いるから互角か少し上ってところね」

 お得意の遠視(とおみ)で役員達の手元にある書類を視たヒャクメが、弟子であり六道女学院の生徒であるおキヌに話題を振る。
 その言葉に思い思いに意見を述べる女生徒達。
 黒川と式神の動きはもの凄い速さも威力も無い代わりに、実戦を経験してきた者が持つ無駄のないものだった。
 恐らく自分達では相当に苦戦する事、間違い無しである。
 しかし横島の弟子である九能市は、その攻撃を身体に掠らせもしない。
 そんな姿を見て、彼女たちは自分達が目指す先のレベルを思い知らされていた。



「速いわ! 赤王、広範囲掃射よ!」

 九能市の動きを捕らえきれない黒川が、業を煮やして新たな指示を式神に与える。

「グオオォォオッ!」

 その命令に一声唸った赤王は、口を開き霊波砲を拡散モードで発射した。
 素早い動きの敵に対処する方法として、その考えは間違ってはいなかった。
 しかし、九能市程の者にはいささか短絡的だったと言えよう。

 ドガッ! ドドドドド!

 掃射モードで発射された霊波砲を避ける事などできはしない。
 この攻撃で相手を倒したり戦闘不能にしたりはできないだろうが、こうして段々と敵の力を削いでいけばいい。
 ボディーブローのようにダメージを蓄積させ、最後に勝利をもぎ取る。
 それが六道女学院を卒業して1年間、現役GSの元でアシスタントをしながら身に付けた黒川の闘い方。
 だが彼女の目は次の瞬間、驚きで見開かれる。

 薄く広がった霊波砲のエネルギーは確かに九能市に命中した様に見えた。
 だが実際は、九能市が振り下ろしたヒトキリマルの斬撃によって、呆気なく斬り裂かれてしまっていた。
 そして次の瞬間、九能市の姿がぶれるように視界から消えた。

「えっ!? ど、どこ? し、しまった、うしろ……」

 ドカッ!

 一瞬の狼狽。
 それによって黒川は、赤王に自分を守らせる指示を出すのが僅かに遅れた。
 人の気配を感じて振り向こうとした瞬間、九能市のヒトキリマルに打ち据えられて黒川は意識を失った。
 赤王も主の意識が消失すると同時に影の中へと戻る。

「大丈夫、峰打ちですわ」

 そう告げるとすかさず跳躍して距離を取り、万が一の反撃に備える。
 しかしその必要はなかった。

「それまで! 勝者、九能市選手!」

 審判が試合の終了と勝者の名前を告げる。
 それを聞き、ヒトキリマルを鞘に戻して一礼してからコートを出る九能市。
 これでGS資格の取得という、去年の雪辱は果たす事ができた。
 いよいよ、次の目標である優勝を目指して意識を切り替えなければならない。
 おそらくそこで闘うだろう雪之丞を、今度こそ倒すために。



「ふう、危なげなく勝ったな。さすがは九能市ってところか……」

 九能市の勝利を確認した雪之丞は、そう呟くと踵を返し今度こそ医務室へと向かった。
 霊力を上げて傷口からの出血を止めていたが、きちんと血止めの処置を受けた方がいいだろう。
 何しろ九能市と闘う前に、こちらは能力をセーブした上で腕を上げたタイガーと闘わなければならないのだから……。






「おめでとう、横島君。君の弟子は2人ともGS資格を取得できたね」

「ありがとうございます、西条さん。これで1年間教えてきた俺としては、肩の荷が下りましたよ」

 西条から受けた言葉に、ホッとしたような笑顔で答える横島。
 彼も2人が2回戦を突破する事は信じていたが、実際にこうして勝ち上がる姿を見るとどこかで安堵している自分に気が付いていたから。
 おそらく去年、小竜姫も同じような感じで自分を視ていたのだろう。
 そう思ってチラリと横に座る小竜姫に視線を送ると、気が付いた彼女はニコッと笑って頷き返した。
 そんな小竜姫の可愛いしぐさに、思わず微笑みを返してしまう横島。

「横島君の所は2人とも無事受かったわね。さて、うちのタイガーも受かってくれるといいんだけど……」

「大丈夫ですよ。恐山のおかげで、タイガーさんの霊的格闘能力は桁違いにアップしましたからね」

 自分の弟子の事を考えて呟くエミに、ジークがタイガーの実力を保証して見せる。
 彼も時折、タイガーの稽古相手を努めたのだ。
 おかげでタイガーの実力に関しては、かなり詳しく把握していた。

「そうっスよ。タイガーだって、既に第2チャクラを制御できるようになってきてますしね。大抵のヤツには負けないはずです」

 横島もだめ押しのように肯定してみせる。
 自らのチャクラを制御できるようになったタイガーは、既にエミの笛無しでも自らの精神感応能力を制御できる。
 その能力に、恐山に師事して鍛えた相撲技を使った格闘戦のスキルが加わり、今やタイガーは相当に強くなっているのだ。

「まあ私もわかっているけど、勝負は時の運とも言うワケ。師匠としてはやはり心配なものよ」

「あはは……。その気持ちはわかりますよ。俺も雪之丞と氷雅さんが受かった時、やっぱり安心しましたから」

 横島が苦笑しつつも己の心情を吐露すると、エミもやはり苦笑しながら頷く。
 この辺は同じ師匠同士、共通の心情なのだろう。

「横島さん、タイガーさんの試合が始まるのねー」

 ヒャクメが声を掛けてきたので、横島もエミもコートの方へと視線を戻す。
 そこには何やら威風堂々、といった感じのタイガーが立っており、対戦相手は昨年の二次試験第1試合で横島に瞬殺された巨漢のモヒカンだった。

「ねえねえ、一文字さん。一文字さんならあんな大きな相手とどう闘う?」

「うーん、普通の喧嘩なら急所でも狙うしかないだろうなー。でもこれは霊能バトルだから、とにかくスピードで攪乱して渾身の一撃を食らわせるしか思いつかないや」

「一文字さんの言う通りね。もし霊力が同じぐらいだったら、私達は足を停めたら負けてしまうわ」

 真剣な表情で試合を観戦している学生3人組を尻目に、タイガーのGS資格をかけた闘いが始まった。



「フフフ……。このジード様と闘うとは運のないヤツよ。この1年、修行した俺様の力を見せてくれるわ!」

「ワッシも血の滲むような修行をしましたケン、負けられないんジャー!」

 斧を片手に霊力を放射するジードと、第1チャクラを廻して霊力を練り上げていくタイガー。
 見る者が見れば、2人の霊力制御技術が雲泥の差だとわかる。

「グハハハハ! 死ねいっ!!」

 床を蹴破らんばかりの勢いで踏み込み、もの凄い速さで斧を振り下ろすジード。
 霊力を纏わせた強烈な一撃は、まともに食らえば一撃でノックアウトだろう。
 事実、1回戦ではその戦法で圧勝しているのだ。

「フンっ!」

 だがタイガーはその巨体に似合わぬ素早い動きで一気にジードの懐に飛び込むと、肘を折ったまま左腕を勢いよく上げてジードの振り下ろしてくる肘を掬い上げるように受け止め、さらにそのまま力の向きを変えて受け流してしまう。

「何だとっ!?」

 自分の一撃を苦もなく防いだ上、完全に体制を崩されてしまったジードは驚愕する。
 しかしその隙を見逃すような今のタイガーではない。

「どすこ――い!!」

 ヴドドドドドドドッ!!

 霊力を集め纏わせた右腕で怒濤の突き押しを食らわせる。

「ぶべらっ!」

 その連打を食らったジードは信じられないような強烈な衝撃に、叫び声を残して後方へと吹き飛び、床に横たわったまま動かない。
 タイガーの攻撃で意識が吹き飛んだのだ。

「それまで! 勝者、タイガー選手!」

「エミしゃん、ワッシは、ワッシはやりましたじゃー!」

 勝ち名乗りを受け、感涙にむせび泣くタイガー。
 彼は今日までの修行で得た成果を遺憾なく発揮し、昨年の雪辱を見事に果たしたのだった。



「なあ…おキヌちゃん、タイガーさんも強いんだなぁ……」

「あの連続攻撃の威力は凄まじいわ……」

「ほええ……まるでお相撲みたいですねぇ……」

「うむ、見事でごわす!」

「きゃ!?」

 タイガーのこれまで知られざる強さに驚き、感嘆しながら話し合っていると突然横から聞こえてきた野太い声に、驚き可愛い悲鳴を上げてしまったおキヌ。
 驚きながら振り返ると、隣の席には浴衣を着た大柄な霊がどっかりと腰を下ろしていた。

「あれ、横綱。わざわざ見に来たんスか?」

「タイガーはわしの弟子でもあるでごわす。師は親も同然でごわすから、弟子の試合を見に来るのは当たり前でごわす」

 霊の気配を感じた横島が後ろを振り返り、親しげに話し始める。
 おキヌは何でもないように話している横島の言葉で、この霊がタイガーに霊的格闘を教えた「恐山」であるとわかった。
 確か……江戸時代のもの凄く強い横綱だったとか……。
 にわかに親近感が湧いてくる。

「あっ、私は氷室キヌと申します。江戸時代に人柱として一度死んだんですけど、横島さんやみなさんのおかげで生き返り、こうして第2の人生を生きています」

「ほう、わしが生きていたのと同じ頃かもしれんでごわすな。それで生まれはどこの国で……」

 さすがに幽霊時代はご近所浮遊霊親睦会の取り纏め役だったおキヌ。
 同じ江戸時代に生きていた者同士、懐かしい話に花を咲かせ始めた。
 どちらも楽しそうなので、横島も他の面々も恐山の相手をおキヌにまかせてしまったのはご愛敬である。



 こうして、雪之丞、九能市、タイガーの3人は順当にGS資格を手にしたのだった。







 2回戦を突破した雪之丞は順当に対戦相手を「撃破」して勝ち進み、九能市は「斬り伏せ」て3回戦、4回戦をクリアーしていく。
 2人とも横島や小竜姫の注意通り、かなり能力を抑えているために大怪我をした相手はいない。
 無論、タイガーも怒濤の突き押しや体当たりを披露しながら準決勝戦までやって来ていた。
 九能市は勿論、雪之丞も2回戦の大安以外は何ら危なげない試合運びだったため、霊力も体力もかなり余裕がある。
 タイガーは第1チャクラを廻しているために霊力はそれ程減ってはいないが、雪之丞達に比べれば実戦経験が少ない分、ペース配分が下手くそだ。
 そしていよいよ、タイガー対雪之丞の闘いが開始されようとしていた。

「まさかお前が此処まで勝ち上がってくるとは思わなかったぜ。見くびっていた事を詫びておかねーとな、タイガー」

「ワッシもエミさんや横島さんや、横綱といった多くの師匠に教えを受けましたケン。無様に負ける事はできませんジャー」

「そうだな。どっちが勝っても恨みっこ無しだぜ」

「わかってますケン、始めましょう」

 審判の試合開始の合図後、静かに向き合ったまま会話していた雪之丞とタイガーだったが、タイガーが口を閉じるのと同時に動き出す。

「ウガァアッ!!」

 タイガーの第一チャクラが全開し強力な霊波が放出される。
 瞬時にその姿をワータイガーへと変貌させ、周囲の光景が密林となる。

「お――っと! これは一体どういう事だ? 厄珍さん、一体どうなったんでしょう?」

「あの大男、エミちゃんの所の助手をしているあるが、強力な精神感応能力を持っているある。これは一種の幻覚あるね」

「しかし……これ程多くの人間に同時に幻覚を見せるとは……。凄まじい能力です!」

 自分の周りをキョロキョロと見回して声を上げるアナウンサーと、冷静に霊視ゴーグル片手に解説を続ける厄珍。
 厄珍は珍しく真面目モードだ。

「これがタイガーの幻覚か!? 幻覚とわかっていても破れねーとはな……。俺の制御できるチャクラを全部使えば、霊力差で吹き飛ばせるだろうが……ここで使うワケにはいかねーだろうな……」

 そう呟いて視覚以外の感覚を研ぎ澄ましていく雪之丞。
 彼は横島との修行で、暗闇での戦闘訓練を受けていた。

『暗闇では視力の事は忘れろ。その代わり、他のあらゆる感覚を研ぎ澄まし敵の存在を感じ取るんだ。今日だって物音の方向に眼を向けたのがお前の敗因だ』

 横島の言葉通り、物音のした方に顔を向けて霊波砲を撃とうとした矢先、横島に後ろからチョークスリーパーを決められたのだ。
 廻した腕を外し、ゲホゲホと咳き込む雪之丞にさらに言葉を続ける。

『闇の中の闘いは普通、先に動いた方がやられる。忍耐のない方が負けるんだ……』

 横島の教えを思いだし、ジッと動かずに聴力、触覚、霊力感知を研ぎ澄ましタイガーの動きを探る。
 1分、2分と緊張感漂う時間が過ぎていく……。
 やがて4分が過ぎようとする頃、雪之丞の触覚が空気の微かな揺れを感知した。
 それに一瞬遅れて感じられるタイガーの霊力。

 ゆらり…………

 ビシュッ!!

 ごく自然に上半身を動かした雪之丞。
 その動きはあまりにも自然で、見ていた者達も、そして対戦相手のタイガーさえも違和感を感じないものだった。
 雪之丞の対捌きに数瞬遅れて、雪之丞の後頭部があった場所を凄まじい勢いで手刀が通り過ぎる。

「なっ!?」

「ほあっ! あたあ!!」

 ドスッ! ズザザッ!

 タイガーの一撃を事前に察知して躱した雪之丞は、そのまま身体を流れるように動かしてタイガーの顔面にパンチを繰り出す。
 自らの自信を持った攻撃を躱されたタイガーは一瞬驚愕するも、即座に反応して霊力を集めた左手を顔の前に上げて雪之丞の攻撃を受け止めた。
 だが、体格で遙かに小柄な雪之丞の一撃は、その拳を受け止めたタイガーの巨体を後ろに後ずさらせる程強力だった。

「くっ……!? さすが雪之丞さんですジャー」

「今の一撃でおめーの攻撃は見切ったぞ、タイガー」

 再び気配を断ち姿を幻覚の中に溶け込ませるタイガー。
 その姿に言い放つ雪之丞。
 ハイレベルな攻防戦に、観客達は息をのんで闘いの行方を見守る。

「それはどうですケンのー? それより魔装術は使わなくてもいいですかのー?」

「心配してくれてありがとうよ。そう思うならもう一度試してみるか?」

「ふふふ……。では行きますケン」

 タイガーの声は四方から聞こえてくる。
 これはタイガーが動き回っているのか、幻覚の影響が聴覚にまで影響を与えているのか判断が付かない。
 雪之丞は微かな空気の揺れと霊気を感じる事に集中する。


 ヒュン! シャッ!!

 左側面の空気の流れに乱れが生じ、タイガーの霊力を込めた掌底が迫る。
 ビリビリと感じる霊気の凄まじさから、魔装術無しでこれを食らったら相当なダメージを受ける事間違い無しだった。
 横っ面を狙ったタイガーの一撃を紙一重の見切りで躱す雪之丞。
 この辺りは流石としか言いようがない。
 観客席で見ていた横島、小竜姫、ジークでさえも感心していたし、おキヌ、弓、一文字にしては眼を見開いている。
 尤も、雪之丞と同じように幻覚に囚われている彼女たちには、タイガーの攻撃はほんの一瞬見えたように感じられるだけであり、彼の姿そのものを見る事さえままならない。
 頬を皮一枚裂いた一撃を躱し、流れるような動作で先程同様攻撃に転じようとした雪之丞は微かな違和感を感じていた。
 タイガーの掌への霊気の纏わせ方が、先程とは異なっているように感じたのだ。
 この時、雪之丞が眼を開いてタイガーの手を見ていたら、あるいはこの違いをより明確に感じられたかも知れない。
 まあ、その時はこの攻撃を躱す事ができたかどうか怪しかったが……。

「猛虎幻魔拳!!」

「なにっ!?」

 ビシッ!!

 躱したと思った瞬間に聞こえてきたタイガーの声に、思わず声を上げて反射的に距離を取ろうとする。
 そしてこれまでの落ち着いた態度が嘘のように、一瞬のうちに魔装術を発動して霊気の鎧を身に纏う。
 それは実戦を潜り抜けて身に付けた勘だった。

「やっと奥の手を出しましたノー。だが少しばかり遅かったようジャー」

「なに? それより……俺の前に姿を見せるとはどういう事だ、タイガー?」

「簡単な事ですジャー。雪之丞さんはもうワッシの術中に落ちましたケン、姿を隠す必要なんぞ無いんジャー」

 タイガーの言葉を聞いた雪之丞は、密かに身体の随意筋に力を込め動かしてみる。
 彼の脳裏には2回戦で闘った大安伸也の能力、影縫いが浮かんでいたから……。

『違うな……。さっきの影縫いと違ってこの場を動く事ができる。俺の運動能力は麻痺していねえ……』

 距離は変わっていないが、ジリジリと場所を移動しつつ考える。
 妙に余裕を浮かべるタイガーが不気味であり、彼の第六感がしきりと危険を訴えているのだ。

『このままじゃわからねえな……。仕方がねえ、こちから攻撃を仕掛けるか……』

「いくぜ、タイガー!」

 ドンッ! ドドドドッ!

 そう叫ぶとサッと右手を上げて霊波砲を連射する雪之丞。
 マシンガンのように撃ち出された集束霊波砲がタイガーに襲いかかる。
 だが……。

「無駄ですジャー! 全ての攻撃は放った者へと跳ね返りますケえ」

 悠然と佇むタイガーがそう言った途端、タイガー目掛けて直進していた霊波砲が全て反射されたかのように雪之丞の方へと向きを変え殺到してきた。

「ばかなっ!?う、動けねえ!?」

 様子見だったこともあり即座に反応しようとした雪之丞だったが、突然自らの身体を動かす事ができなくなったのだ。

「くっ! サイキック・ソーサーが出ねえっ!?」

 ならばと横島の得意技であるサイキック・ソーサーによる迎撃を試みるが、彼の両腕からは何も現れはしなかった。

「これは…一体!?」

 ドガガガガガッ!!

 為す術無く身体を縮こまらせた雪之丞に次々と突き刺さる霊波砲。
 牽制のために威力をそれ程高めていなかったのがせめてもの救いだった。
 しかしその身に受けたダメージにより後方に吹き飛んでしまい、辛うじて片膝を突きながら身体を起こす。

「グハッ……。ちっ…! 自分の技にやられるたあ、様ぁねえな……」

 微かに自嘲するような笑みを浮かべ、なおも闘志を失わない双眸で佇むタイガーを睨み付ける。
 タイガーは先程と同じように悠然とこちらを見ているだけだ。
 今の一撃で迂闊な攻撃はできないとわかった雪之丞には、タイガーの技を見極めない限り勝機はなかった。



「横島さん、雪之丞さんは先程のタイガーさんの攻撃でダメージを負ったんでしょうか?」

「いや……タイガーの打撃自体は完全に避けたはずだ……。だが様子がおかしいよな」

「ええ、あんなに棒立ちになっているなんて雪之丞さんらしくありませんね……」

 タイガーが猛虎幻麻拳と言った攻撃を躱してから、雪之丞の様子がおかしい事にジーク、横島、小竜姫は気が付いていた。
 あの一撃を避けられた後、タイガーが先程と違って姿を遮蔽しない事も気になるが、それ以上に雪之丞がまるで腑抜けになったかのように棒立ちになっているのだ。

「何だか……雪之丞さんの視線が変ですねー? まるで幻でも見ているみたいなのねー?」

 横島達より遠くがよく見えるヒャクメの一言に、何かが頭の中で閃いた横島は心眼モードで霊気の流れを注視する。
 すると……雪之丞の身体が、タイガーから伸びた雲のような霊気の塊に完全に捕らえられていた。
 さらにタイガーからは強力な霊波がその塊に送り出されている。

「成る程……。エミさん、タイガーは随分恐ろしい技を身に付けましたね……」

 漸く理解した横島が、寒そうな表情でエミの方へと顔を向ける。
 悪戯が見つかったような笑みを浮かべているエミ。

「さすが横島君なワケ。一発でタイガーの新しい技を見破るなんてね」

「いや、ヒャクメの一言がなけりゃあ、直ぐにはわからなかったでしょうね。雪之丞もこのカラクリに気が付けばまだ勝機はあるんだが……」

 そんな会話が繰り広げられている中、横島が何をやったのかを悟った小竜姫、ジーク、ヒャクメが真剣な表情で霊視を行っている。
 そして成る程と頷く。

「凄いのねー。タイガーさんはさっきの攻撃で雪之丞さんに二重の幻覚を掛けたんですねー」

「ええ、それも対象をピンポイントに絞り込んだ、もの凄く強力なヤツをね……」

「あれなら下級魔族程度なら完全に術中にはまりますね……」

「ああ、おそらく精神的に相当ダメージを食らっているはずです。多分……自分の攻撃が全く通用しないで滅多打ちに合っているとかね」

 繰り広げられる横島達の会話を聞いて、漸く何が起きているのかを理解し始めたおキヌ達。
 自分の学校にも精神攻撃というか幻覚能力を持つ生徒はいるが、ここまで強力で巧妙な技を仕掛ける事などできはしない。

「なあ、やっぱレベルが違い過ぎねーか……?」

「そうですね……。タイガーさんがあんなに強いだなんて知りませんでした……」

「やはり準決勝ともなるとレベルが違いますわね。いや……横島さん関係の方々が常識破りなだけかもしれませんが……」

「オタク達、良く覚えておく事ね。強力な暗示を伴う幻覚は本物と同じくらい危険なのよ。絶対の確信を持たずに幻覚で死ぬような攻撃を受ければ、そのために精神が死んだと思って精神死(崩壊)を起こすワケ」

 エミのわかりやすい説明に冷や汗をかく3人。
 つまり、人間同士の闘いでは強力無比な魔装術を誇る雪之丞が、タイガーの幻覚攻撃によって倒されてしまう事になる。
 そう、文字通り指一本も使わずに……。

「だが……雪之丞の闘志は並大抵じゃない」

「ええ、あの瞳はまだ闘志を失っていませんね」

 雪之丞の師匠2人の言葉に、おキヌ達は本当の意味で諦める事のない闘志というものを知る事になる。



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