フェダーイン・横島

作:NK

第92話




…………ここは…どこ……?
…………私…知ってるわ
…………確か……人間達の病院って呼ぶ所ね
…………そう…。私…また見るはずのない光景を見ているのね
…………今回は……私、誰かに寄り添いベッドで寝てる――これって、添い寝ってやつかしら?
…………でも、暖かいわ。これが…温もりというもの?
…………あっ、顔が見えた!
…………相手は……やっぱり、いつも出てくるこの人間
…………これって、やっぱり夢っていうものなのかしら?
…………私がこの調整槽で生を受け、魂がこの世に定着したと同時に、頭の中に流れ込むように浮かんだビジョン
…………それは楽しそうに笑う自分自身と、頭に角を生やした…おそらく神族の女性。そして……いつも優しい眼差しで私を見詰める人間のオトコ
…………その時にはわからなかったけど、あの時私は確かに喜びと安心を感じていた
…………私を愛おしむように抱き締める、おまえは誰?
…………私の心をこんなにかき乱す、おまえは何?
…………私、壊れているのかしら?
…………でも……私はおまえに会いたい……
…………その時、おまえはその優しい笑顔で、私を抱き締めてくれるかしら?
…………そうね、もうすぐ外に出られるから、必ず探し出してみせるわ
…………それが……アシュ様の言いつけに背く事に……ならないといいけど……

 ゴボリ……

 シリンダー状の調整槽に揺蕩(たゆた)う1人の女性。
 頭に昆虫の触角のような突起を一対持ち、髪型は六道冥子によく似たショートボブ。
 眼を閉じてはいるが、整った顔立ちにスレンダーな均整の取れたボディ。
 さらに、隠しようのない知的な雰囲気を漂わせた美女である。

 彼女は未だこの調整槽の外に出た事はない。
 否、未だ眼を見開き自発的な行動を取った事すらなかった。
 その魂(幽体)と身体は最終的な調整の真っ最中であり、同時にさまざまな知識や情報を、睡眠学習よろしくインプットされている最中なのだ。
 だが、彼女の半覚醒状態の意識が夢現に考えているように、明らかにその創造主が意図しないビジョンと情報が、かなりの頻度で頭の中に流れ込んできていた。
 それは自分がこの世に存在して以来、幾度となくこの身に起こった出来事であるため、彼女の中では『まただ』ぐらいにしか感じていなかった。
 それが、とんでもなくイレギュラーな事であると、今の彼女にはわかるはずもない。
 そして、暫くして頭の中に浮かぶビジョンは途切れ、再び彼女の意識は静寂の中へと落ちていった。

「うん……? またNo.1のルシオラに微弱だが妙な反応が現れたな。一体何なのだ?」

 3つ置かれた調整槽の操作・管理をしていた土偶羅が、何度目かの極弱い未知のシグナルを感知したため呟いた。
 また観測機器のチェックを行わなければいけない。
 そんな事を考えながら、土偶羅はルシオラに度々起きる微妙な魂の波動の揺らぎのようなものに、微かな懸念を持ち始めていた。
 だが、土偶羅は見逃していた。
 微かな異常を検知した時、ルシオラの顔に穏やかな微笑が浮かんでいた事を……。



「うふふふ……。ヨコシマ〜」

「だ、大胆な行動を取るんだな、ルシオラ……」

 南米のアシュタロス基地で、この時代の本体であるルシオラが夢を見ていた頃、日本のとある病院の一室ではピンク色に染まった光景が繰り広げられていた。
 横島の『投影』の双文珠によって姿を半実体化させたルシオラは、いきなりニッコリと微笑むと横島に抱き付き、そのままベッドへと押し倒すように横島を寝かせると、身体を擦りつけたまま添い寝を始めたのだ。
 これにはさすがの横島も驚き、小竜姫が人払いの結界を展開させた事も忘れて慌てふためく。
 半実体化したために接触は可能となっているが、残念な事にかつてのおキヌに近い状態のルシオラの身体はヒンヤリとしており、体温を感じる事はできない。
 しかし、そんな事とは関係無しに、横島は自分の愛するルシオラが実際にそこにいるのだと強く感じる事ができた。

「ん――っ! ヨコシマの身体は暖かいわね」

「そ、そうか? それで…いきなりどうしたんだ?」

 ゴロゴロと喉を鳴らすように、横島の胸に頬を擦りつけていたルシオラだったが、一頻り堪能して満足したのか漸く口を開く。
 即座に尋ねる横島だが、阿吽の呼吸を感じさせるタイミングだ。

「だって……ヨコシマをベッドから動けないようにするには、この方法が一番確実で、お互いに嬉しいじゃない。こーいうのを一石二鳥っていうんでしょ?」

「そりゃそーだけどな。ふう……まあいいか、せっかくルシオラが姿を実体化させたんだ。偶にはこうするのも……まあ、俺も嬉しいし」

「クスクス……。それは私も同じよ、ヨコシマ。じゃあ、小竜姫さんが帰ってくるまでこうしていましょ!」

 横島の中の小竜姫の意識は沈黙を守っている。
 ここのところ、小竜姫本体と横島の一次的接触が多かった事もあり、ルシオラの意識が拗ねていたのを知っているから。
 無論、ヒャクメは意識的にこの部屋を視界から外している。
 出がけの小竜姫に釘を刺されていたからだが、そんな事が無くてもヒャクメにもそれぐらいの良識はあるのだ。
 横島はこれから訪れるであろう疾風怒濤のような事件を前に、心と体を休めるのであった。






 2日後、退院を1日早めた横島は美神除霊事務所を目指していた。
 美神が訪れたあの日、西条の所へと行って戻って来た小竜姫とルシオラの意識、ヒャクメと話し合った結果、既に完調している横島の退院繰り上げを二人が承諾したのだ。
 元々、中学を卒業して以来ずっと修行の毎日を送り、この1年間は魔族や強力な妖怪などを相手に戦い、さらにアシュタロスの襲来に備えて努力を重ねている横島の事を心配した小竜姫が、最終決戦を前に横島をゆっくり休ませようとしたのが今回の入院である。
 大気圏突入の際に消耗した体力や霊力は、既に元へと戻り完調していたし、休息も十二分に取っていた。
 既に所定の目的は完全に達成されていたため、1日ぐらい早めても何ら問題ないのだ。
 この日、久しぶりにたっぷりと甘えたルシオラの意識も、これには異論を唱えなかった。
 こうして、横島の退院が決まったのである。

『さて……、今回は上手くやらないとな。目的はあの妖怪の毒を受けない事だが、もし誰かが傷を負ったら血清を作るために原形を留めて奴を倒す事、か……』

『今回、相手のレベルとしては、美神さんで何ら問題ない程度なんだけど』

『そうですね。今の美神さんの実力なら、忠夫さんがいなくても十分な筈です。それに、西条さんにもそれとなく情報は流しておきました』

『まあ仕方がないよ。10年後に今回の事が原因で、美神さんが死んじゃうなんて後味悪いからね』

『大丈夫よ。ヨコシマの技を使えば、多分最初の一撃で勝負を決められるわ』

 そんな事を脳内で話ながら、横島は久しぶりとなる美神の事務所を訪れた。

「やあ、『人工幽霊1号』、久しぶり。美神さんはいるかい?」

『はい、美神オーナーは中におります。それより、もう身体は大丈夫なのですか、横島さん?』

「ああ、もう完全に復調したよ。心配してくれてありがとう。じゃあ、中に入れてくれるか?」

『はい、どうぞ』

 自分の事を心配してくれる人工幽霊に礼を言うと、横島は中へと招き入れられた。
 階段を上ると、ドアがサッと開きシロが飛び出してくる。

「先生! 退院おめでとうでござる!」

「1日早まったからな。おまえの都合がつかないって雪之丞から聞いたんで、美神さんに挨拶がてら顔を出したんだが……」

 尻尾をパタパタと振って、身体全体で嬉しさを表すシロ。
 横島の退院が1日早くなった事を聞き、シロは雪之丞、九能市と共に病院へ師匠を迎えに行きたかったのだが、急遽美神から仕事があると連絡を受けて叶わなかったのだ。
 それ故、横島が来てくれた事が嬉しかったのだ。
 ちなみに、雪之丞と九能市は入院中だった横島の荷物を持って、先に東京出張所へと戻っていた。
 小竜姫も素直に一緒に戻ったのは、この2週間、殆ど横島と一緒にいられ、世話を焼く事ができた事に深く満足しているからである。
 ルシオラの意識も、久しぶりに横島と触れ合う事が出来たため、今は満足そうに心の奥に引っ込んでいる。

「いらっしゃい、横島君、予定より早く退院できたみたいね」

「横島さん、もうすっかり良いんですか?」

 横島に纏わり付く子犬のように、無邪気にじゃれついているシロに呆れながらも、一歩出遅れた美神とおキヌが姿を現し声をかける。
 二人も横島が無事に退院できた事に、嬉しそうな表情を浮かべていた。

「漸く小竜姫様からOKが出ましたよ。あっ、これこの前のお見舞いの御礼です」

 そう言って、買ってきたケーキの箱を持ち上げる横島。
 和やかなムードで所長室へと通された横島は、美神に勧められてソファに座る。
 おキヌは早速お茶を入れに姿を消した。
 ケーキも配るつもりなのだろう。
 美神が対面に、シロが横島の隣へと腰を下ろす。

「でも、本当に何でもなくてよかったわ。あの時……コックピットから横島君が地球へと墜ちていく姿を見た時、絶対に助からないと思ったもの……」

「俺もまさか、生身で大気圏突入をする羽目になるとは思いませんでしたよ。まあ、こうして無事でしたから、あれも貴重な体験って言う事ができますけどね」

「あの時は……拙者も基地のスクリーンで、先生が突入する姿を映像を見てましたけど、心が押し潰されそうでござった……」

 美神とシロは、あの時の事を思い出すと未だに心がざわめくのだ。
 こうして横島が無事に目の前にいるのだとわかっていても、親しい人が死ぬかもしれない瞬間を目の当たりにしたのだから。
 そんな二人を労り、何でもないような口調で答える横島。
 おそらく、おキヌも同じ思いなのだろう。

 そんな事を話していると、おキヌがお茶とケーキを乗せたトレイを持って戻って来た。
 そしてみんなの前にそれらを置くと、自分も美神の横に腰を下ろす。
 さすがにこのまま暗くなっていても仕方がないと思ったのか、おキヌが戻って来た事を切っ掛けに全員が雰囲気を変える。

「ところで、一昨日美神さんが言っていた仕事の件は、問題なく終わったんですか?」

「ええ、私の予想通りカマイタチの仕業だったから、ファンで風を巻いて足止めし、シロに結界ネットで一網打尽にさせて除霊したわ」

「大きな魚を捕まえるのと同じだったでござる」

「成る程、相手はカマイタチでしたか。まあ、今の美神さんなら苦戦せずに祓える相手でしたね」

「でも、カマイタチって鼬みたいな姿だと思ってましたけど、まるで鮫みたいでした。ちょっと驚きました」

「今は高層ビルが沢山できて、特有のビル風が吹いたりしますからね。それに紛れて活動の場所を広げたんですね」

 一転して、昨日の除霊の件で盛り上がる面々。
 美神も無事終わった事件の事なので、口調も軽い。
 あまり活躍できなかったおキヌは勢いが弱いが、除霊ネットを投網の要領で投げ、カマイタチを一網打尽にしたシロは嬉しそうに報告している。
 美神達の説明を聞き、どうやらカマイタチの除霊は何の問題もなく、平行未来の記憶通りに終わった事を確認できた。
 問題はこの後に控える事件である。
 自分の技を使えば、美神達に毒の件を知らせることなく敵を倒せると思っているが、実際にその場に行ってみれば不測の事態も起きるだろう。
 今回は仕事は、何としても付いていかなければならない。

 ピピピピ…………

「あっ、美神さん。もうこんな時間ですよ」

「あら、本当ね。そろそろ行かなけりゃ……」

「うん? 今日の仕事って午前中に終わってなかったんですか? 悪い時間帯に来ちゃったかな?」

 話し込んでいた美神達だったが、おキヌの腕時計のアラームが鳴り、本人がハッとしたような表情で美神を見る。
 その言葉に急遽入った依頼を思いだしたのか、美神も打ち解けた表情から真面目な顔へと戻った。

「ごめんなさい、これからなんです。地下鉄で妖怪の仕業らしい失踪事件があって――」

「――失踪事件か。おキヌちゃんも一緒に行くの?」

「はい、私は後方支援しかできませんけど、もし悪霊とかが出てくればネクロマンサーの笛でサポートできますから」

 屈託のない笑顔で答えるおキヌを見て、少し考えるようなポーズを見せた横島は美神に問いかけた。
 まあ、八割方演技なのだが……。

「美神さん、今回の相手、推定でもいいから正体はわからないんですか?」

「うーん、今回は相手の正体を特定できそうな情報は無いのよ。この前はカマイタチだって予想がついたから、おキヌちゃんも連れて行ったんだけどね」

「どうも引っ掛かりますね……。本当に妖怪絡みの失踪事件だとすると、目的は餌にするためか、他に目的があるのか……? 嫌な予感がするな」

 そんな横島の呟きを聞いて、美神まで少し真剣な表情で考え始める。
 横島は一流の霊能力者だ。
 そんな横島の霊感が、何か引っ掛かるものがあると言っているのだ。
 これまでの経験から、こう言う時は用心した方がよいとわかっている美神である。
 幸い、本人は仕事も入っておらず暇そうであり、休養も十分なのだ。

「そう……、なら横島君、今日は空いてる?」






「先生と一緒に除霊ができるなんて、拙者、嬉しいでござるよ」

「大げさだな、シロ。南武グループの事件の時、一緒に除霊しただろ」

 月での事件の時も、シロは魔族と戦っているのだが、その時横島は美神と共にロケットの中だった。
 本音を言えば、もっと横島と一緒に戦い、いろいろと彼から教えて貰いたいのだ。

「しかし、拙者も雪之丞殿や氷雅殿のように、早く一人前になりたいでござる」

「力としては十分合格できるレベルなんだけどな。ただ、シロはもう少し人間社会の事とか、常識みたいなものを覚えてからだ」

 暗い地下鉄の線路内を歩いている横島とシロ。
 あれから仕事の依頼を美神より受けた横島は、一緒に東京駅から地下鉄の線路を歩いて失踪事件の起こった場所へと向かっていた。
 暗い地下を照らすのは、前にいるおキヌの持つライトだけ。
 だが、元々夜目の利くシロは十分視界を確保していたし、心眼を持っている横島もある程度視えている。
 この中で光源を必要としているのは美神とおキヌだけなので、ライトは一つで十分なのだ。
 いや、このメンバーの中で光源を必要としている者がもう1人いた……。

「令子ちゃん、この地下鉄はオカルトGメンによって現在運行を停止している。だから探索と戦闘に集中してくれ」

「ええ、ありがとう西条さん」

 そう、小竜姫から事前に怪しい妖気をこの辺で感じる、と言われていた西条が耳聡く今回の事件を掴み出張ってきていたのだ。
 東京駅でばったりと令子に会った西条は、素早く横島とアイコンタクトをすると問題の地下鉄線の封鎖を行い、美神に同行を申し出た。
 横島と違って、西条には依頼料を祓わなくてよいため、あっさりと同行を許可した美神である。
 美神と西条は、ちょうどライトを持っているおキヌのすぐ後ろを連れ立って歩いている。
 そんな2人の姿は、傍目にも悪くはない雰囲気に見えた。

「でも、考えてみると凄いメンバーですよね。相手の正体はわからないけど、これって魔族相手でも勝てちゃう布陣じゃないですか」

「そう言われてみればそうね……。西条さんは一流のオカルトGメンだし、横島君は中級魔族と互角の戦闘力。それにシロも人間以上の身体能力を持つ人狼。おキヌちゃんは世界で数名しかいないネクロマンサーですものね」

「その通りだが、備えあれば憂いなしってね。相手が妖怪と思われる以上、どんな特殊能力を持っているか分からない。用心すべきだよ」

 用心は怠らないものの、軽口を叩きながら構内を歩いている5人。
 だが前を歩いていた美神と西条の足が突然止まる。
 おキヌが振り返ると、横島も飛竜や霊波刀こそ出していないが、足を停め既に臨戦態勢に入っている事がわかった。
 それに引きずられるように立ち止まり、妖気の匂いを嗅ぎつけたシロも霊波刀を出している。

「……けて」

「たすけ……」

「……て……」

 おキヌが慌てて周囲の気配を探ると、彼女の耳にどこからともなく聞こえてくる人の声。
 それは、遙か遠くから千切れ飛ぶように断片的に聞こえてくるか細いものだった。

「上!!」

 無言で顔を上に向ける横島とシロに続き、美神と西条がハッとしたように上を見上げる。
 釣られるようにライトを向けたおキヌは、目の前に明かとなった光景に呆然と立ち竦み声を出す事ができなかった。
 そこには……地下鉄構内の天井にトリモチのようなもので貼り付けられた、失踪者達の姿があったから。

「助けて…! 助けてくれ――!!」

「いやあああ―――っ!!」

 おキヌが当てたライトの光に、救援が来た事を悟った被害者達がここぞとばかりに大声で助けを求める。
 1人が発した叫びは、まるで連鎖するかのように全員へと広がっていった。

「これは……妖怪の巣か!?」

「……そうみたいね」

 西条がジャスティスを抜きながら呟くと、無意識に近い反応で美神が答えを返した。

「おキヌちゃん、俺達の後ろに下がっているんだ。シロ、敵の気配を見逃すなよ」

「は、はい!」

「……先生、敵は近いでござる!」

 慌てて下がるおキヌを尻目に、くんくんと妖気を探っていたシロが天井の一角を見上げたまま、横島に敵の接近を伝える。
 その言葉に美神は銃タイプのグレネードランチャーを、シロの持っていた荷物から取り出した。
 横島も両手に栄光の手を展開させている。

『ン――♪ ンンンー』

 そこへ、なにやら脳天気な声と共に天井の穴から姿を現す巨大グモ。
 全長2mを超える巨大な姿は、人間の生理的嫌悪感を抱かせるのに十分なものだった。
 だが、それがただの巨大グモではなく妖怪だと断定させるのは、頭胸部に付いているムンクの叫びのような仮面の存在。

『ふーん。どうやら、あの仮面がコアのようだな』

 瞬時に敵の中枢を探り当てた横島は、両手に現した栄光の手に霊力を注ぎ込んでいく。
 その間に、カサカサと天井を這い回っていた妖怪グモは、天井に貼り付けられた犠牲者の1人に近付き、脚で押さえながら腹部先端を押し付けた。
 そして……。

『ハンショク、ハンショク――♪』

「ぎゃ――――ッ!!」

 プチプチと掌大の球体を産み付け始めたのだ。
 その声から、球体の正体が卵である事がわかる。

「タ……タマゴ産んでる――っ!?」

「何かの理由でクモが変化した妖怪みたいね。あんなのが繁殖したら大変…!」

 現実に巨大な虫が、人間を餌にしようという光景を見て、おキヌの精神は限界を迎えたようだった。
 悲鳴と共に横島の背中に抱き付いてしまう。
 これは、戦いの際に味方の動きを妨げる行為であるが、幸い横島はこういう状態でもあの程度の妖怪相手に攻撃を仕掛ける事は十分可能だった。

「落ち着け!! すぐに助けるぞ!!」

「ちっ……。てなわけで、極楽へ――――」

 一瞬、『優先的に助かりたい人は、金出してね――』と言おうと思った美神だが、隣にいた西条が即座に叫んだためにその台詞を口に出す事はできなかった。
 悔しそうに舌打ちした美神だが、即座に思考を切り換えて先程用意したグレネードランチャーを構え、発射する。

 ボンッ!!

『ヴギッ!?』

 至近に着弾したグレネードの爆発で、天井から吹き飛ばされ落下する妖怪グモ。
 美神は目標の着地位置を見極め、既に神通棍を片手に走り出していた。

「援護するぞ、令子ちゃん!」

 ガンガンガンッ!

 落下中の妖怪グモに、構えたベレッタから銀の弾丸を連射する西条。
 目標が巨大なため、全ての銃弾はその身体を抉る。

『ギギッ……』

「――逝かせてやるわッ!!」

 銃撃によって怯んだ妖怪グモに、両手で構えた神通棍を一気に振り下ろす美神。
 だが、妖怪グモも防御と攻撃のために2本の第1脚を振り上げる。
 その第1脚こそ、平行未来で美神を死の淵に追いやる呪われた脚なのだ。

「危ないでござる!」

 このままでは美神も傷を負うと察したシロが大声を上げるが、既に横島は技を繰り出していた。
 美神を迎撃しようとした妖怪グモの脚が、いきなりその動きを止め、瞬時に斬り飛ばされたのだ。
 それだけではなく、妖怪グモ本体も何かに縛り付けられたかのように、一瞬その動きを止めて無防備となっていた。
 そんなチャンスを見逃す美神ではない。
 霊力を込めた神通棍を気合いと共に振り下ろす。
 横島の方は、斬られた脚が美神や自分達を傷つけないよう、伸ばし、絡みつけた霊刃糸を操りそのまま後方へと持っていく。

 ズバッ!!

『グアァアッ……!!』

 迎え撃つ武器を奪われた妖怪グモは、美神の振り下ろした神通棍によって為す術もなく身体を真っ二つにされた。
 敵は、そのコア部分の仮面を破壊され、呆気なく妖気を霧散させただのクモへと姿を変える。
 その正体は、極々普通のクモ(真っ二つにされているが)だった。

 その間に、横島は絡み付かせた霊刃糸に力を込め、斬り飛ばした脚を幾つもの断片へと変えている。
 今の横島にとって、高々100〜200マイトの妖怪を数本に分割した霊刃糸で寸断する事など、朝飯前なのだ。
 片手分の霊波刀を5本の霊刃糸に分割しても、1本が120マイト近い霊力を持っているのだから。

「やった……! これで失踪事件の原因である妖怪を倒しましたね!」

 背後で美神の勇姿を見て、嬉しそうに話すおキヌ。
 先程感じた生理的悪寒は収まったようだ。



「……? どうしたんですか、横島さん?」

 しかし、妖怪グモを倒したというのに横島の表情は、戦っている時と変わらぬ厳しい雰囲気のまま空中の一点を凝視していた。
 そんな姿に何やら不安を感じたのだろう。
 尋ねるおキヌの口調は、普段の呑気なモノから再び堅いものへと戻っている。

「……先生、まだ何かいるでござる!」 

「コアを破壊したと思ったが……。どうやら甘かったか」

「そうね。でも私や西条さん、横島君の眼を欺けると思ったのかしら?」

「これがただのクモを妖怪にした原因か」

 人間よりもずっと優れた霊感を持つシロ。
 そして心眼を持つ横島。
 GSとしては一流の美神と西条。
 全員が空中の同じ場所に視線を向けている。
 その時になって初めて、おキヌはその場所に昏く淀んだ何かがあるのに気が付いた。
 悪霊や怨霊ではない。
 それなら、おキヌももっと早く気が付いたはずだ。
 悪霊や死霊よりも、もっと禍々しい気配が急速に大きくなっていく。
 無意識のうちに、自分の武器であるネクロマンサーの笛を構えていた。

「み、美神さん。あれって……?」

「質が悪いわね……。かなり古い上に、世の中に漂う悪意や恨みを吸収して、既にかなり変性してるわ」

「……呪いか。本来の目的は既に消失している可能性が高いけどね」

 かなり険しい表情で、おキヌの質問に答える美神と西条。
 だが、当然こんなに簡単に言われてもシロには理解できなかった。

「先生……。拙者、理解できないでござる」

「あの禍々しい瘴気は、おそらく元は誰かに対する怨念や呪いの類だったんだろう。だが、理由は分からないが対象を見失ってしまい、自らの存在意義を失ったにもかかわらず、陰気や恨みなんかを吸収し続けて、今では一種の妖怪になっちまったみたいだな」

「横島君の言う通りよ。おキヌちゃんにシロ! しっかりと自分を見失わないようにしないと、憑依されてしまうわ」

 妖怪グモの正体というか…普通のクモを今回妖怪化させたものは、横島達の予想通り呪いだったモノが何らかの原因で発動する前に相手を失ってしまい、この世に残って長い年月を経る事によって自我ともいえるものを持った存在だった。
 呪いであった頃の名残として、妖怪グモでは例の超遅効性の毒という能力を持っていたが、その前はずっと人間に憑依していた。
 そして、取り憑いた相手を衰弱させ、その精を貪り尽くし自らの力としてきた。
 こうして力を蓄えた呪いは、クモに取り憑き自らの力を増やそうと企み、今回の事件を引き起こしたのだった。

「くるぞ、みんなっ!」

 西条が自らの霊力を上げながら、警告を発する。
 せっかくの依り代を失ってしまい、ダメージまで受けた呪いは、回復を図るためにも即座に殺した者に憑依し身体を乗っ取ろうと考えていた。
 しかし、今回だけは油断無くプレッシャーをかけてくる横島の存在によって、近付く事ができなかったために正体を現したと言える。
 その姿は今や半実体化し、先程妖怪グモの頭胸部に付いていたムンクの叫びのような仮面の姿となって、美神達を見下ろしていた。

『オオォォォォォォオン!』

 西条の警告が終わるや否や、頭の中に押し寄せる呪いの声。
 呪いの力によって、相手の身体を、意志を支配しようというのだ。

 横島はチャクラ全て廻し霊力を練り上げ、エミの霊体撃滅波のように身体から放射することで呪いを弾き飛ばす。
 美神と西条は精霊石を、おキヌはネクロマンサーの笛を、シロはその雄叫びを以て、それぞれ自分の身を守っていた。

『オォォ……?』

 自らの支配力が通用しないと悟った呪いは、自己保存の本能に従い即座にこの場を逃げ出そうとする。
 だが、それを許す美神達ではなかった。

 ピリリリリリッ!

 おキヌの奏でるネクロマンサーの笛により、半ば怨霊化している呪いの動きが鈍る。
 そのため、呪いは無防備な体勢をGS達に晒してしまった。

「チャンス!」

 シュッ! ドゴオォォォン!!

 すかさず投げつけられたサイキック・ソーサーが唸りを上げて呪いに突き刺さり爆発。

「今度こそ……極楽へ逝かせてやるわ!」

 ビュッ! バシィィィッ!!

 そして横島と同時に動いた美神が、ダメージを受け停止した呪いに神通鞭を叩き付ける。

『グオオォォォオッ……!』

 その一撃で今度こそ、妖怪の中枢たる呪いは完全に殲滅された。
 そして念のために、横島は『浄』の文珠で周囲を浄化する事を忘れない。
 数分後、妖気と瘴気は完全に浄化され、GSであってもここで妖怪が暴れた痕跡を感じる事はできなくなっていた。



「やれやれ、今度こそ本当に終わったようだね」

「ええ、あの呪いをコアにした妖怪グモが繁殖したら、かなり手強かったと思うわ」

「ああいう、肥大化して変質した呪いっていうのは、初めて見たな」

 漸く緊張を解いた美神と西条が、いつものようなやり取りをし始めた。
 それを尻目に、珍しいものを見たな、といった表情の横島。
 どちらも、完全にいつもの調子である。

「ううう……出番がないでござる……」

「私も……台詞が少ないです……」

 こちらは何やら、今回活躍できなかった事を悔やんでいる二人である。
 まあ、遠距離攻撃能力を持たないシロと、妖怪相手では能力的に対処が難しいおキヌでは仕方がないだろう。
 それでも、ネクロマンサーの笛で呪いの動きを鈍らせたおキヌは、活躍の機会があった方だ。

「残りは後始末ね」

 美神の言葉通り、その後西条の手配でやって来た救助隊によって、貼り付けられた犠牲者の救助が滞りなく行われた。
 こうして、未来で美神を脅かすはずの事件は、西条と横島の手によって未然に防がれたのであった。



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