フェダーイン・横島
作:NK
第111話
横島達が妙神山の地下で、プレッシャーを受けつつも楽しい生活を送っていた頃、海中をゆっくりと進む異形の影があった。
それはエイに似たシルエットを持っていたが、大きさが普通ではない。
その正体は、アシュタロスが南極の本拠地からの脱出に使用した海中用兵鬼。
やがて巨体はその動きを止め、上面より小さな影が水中へと飛び出る。
人型の影は、まるで魚のように素早く海中を泳ぎ、陸地に近づくと上陸するために深度を上げた。
波が打ち寄せるテトラポットの一つに、海中から腕が伸びてガシッと指を食い込ませ、そこを支点にサバッと人影が海中より躍り出た。
暗闇の中、目が不気味に光っているが、よくよく見れば長身でプロポーションも抜群の女性に見える。
「さて…………と! 現在位置は―― 予定よりそう離れちゃいないはずだけど……」
そう呟き、水を滴らせながら上陸した女は周囲を見回す。
やがて、自分の位置を確認したのだろう。
小さく頷くと、ヒュンっと宙へ舞い上がった。
そんな彼女の姿を、雲間から顔を出した月の光が照らす。
金色の背中まで伸びた長髪に、頭から伸びる一対の触角。
ハチの化身たる魔族、ベスパだった。
「やることが山ほどあるからね……!! テキパキやんないと――――」
ニヤリと笑ったベスパは、さっとその場を後にするとスピードを上げ夜の闇に消えていった。
姿を隠していたアシュタロスは、己の野望を果たさんと再び深く静かに動き出したのだった。
「どうしたの、ヨコシマ? なんだか難しい顔をしているけど……」
「……そうか? まあ、ルシオラには隠せないか」
スタンドの明かりのみ、という薄暗い部屋で天井を眺めていた横島に、身体をすり寄せるようにして横になっていたルシオラが、少しだけ上半身を起こし、愛しい人の顔を覗き込みながら怪訝そうに尋ねる。
ここは横島達の寝室である。
時間はもうすぐ12時になろうとしており、当然の事ながら横島達は夜の修行(?)を終えそろそろ眠ろうとしているところだった。
べスパが人知れず上陸してから3日程経った夜、横島は不意に微かに眉を寄せたのだが、一緒に寝ているルシオラは想い人の変化を見逃さなかった。
「何か感じるのですか?」
ルシオラの反対側で横島に身体を寄せていた小竜姫も、横島の様子に気が付き尋ねてくる。
彼等はいつもどおり、3人で身を寄せ合い、肌を合わせながら横たわっていたのだ。
「……何だか胸騒ぎっていうか、嫌な予感がする。二人とも悪いけど、起きて服を着させてくれないか」
「わかりました。私達も緊急事態に備えます」
「そうね。ヨコシマがそう言うんだったら、準備したほうがいいわ」
真面目な表情で告げる横島の言葉に、こちらもサッと真剣な表情に変わった小竜姫とルシオラが同意して横島から離れる。
無論、これから寝ようとしていたのだから、そのままの格好で部屋から出るわけにはいかない。
なぜかは不明だが、3人共その身体に何も身に付けていないのだから……。
「アシュ様が動き出したのかしら?」
「でも……ヒャクメからは何も連絡がありませんが……」
「今のヒャクメは、この周辺に意識を集中させているからなー。もし離れたところで行動を開始したら、発見は遅れるだろう」
そんな事を話しながらも、慣れた様子で傍らに脱ぎ捨てていた服を身につけていく。
本当はシャワーでも浴びたいのだが、そんな事をしている暇は無いと心が急いていた。
身繕いを終えた3人は、ヒャクメとジーク、雪之丞達が詰めているモニター室へと向かう。
異常があれば、そこに何らかの情報が入っているはずなのだ。
「あれ? どうしたんですか、横島さん?」
「しかも3人お揃いで、一体なんなのね?」
「まさか、惚気に来たんじゃないだろうな?」
モニター室に顔を出した3人に、訝しげな顔を向ける不寝番組。
それはそうだろう。
明日から横島達が1人ずつ深夜シフトに入るため、普段ならこんな時間に絶対に寝室から出てこないのだ。
「いや、何だか胸騒ぎっていうか、嫌な予感がしてね。何か変わったことはないか?」
「……変わった事? いえ、センサー網には何も異常はないですが……」
「センサー類は比較的近距離用に設置しているからな。ヒャクメ、少しいつもより見る範囲を広げてみてくれないか」
「うーん、横島さんがそう言うならやってみるわ」
納得はしていないようだが、横島の言葉に従ってヒャクメは視る範囲の半径を2倍に拡大した。
それに伴い、ヒャクメの視線は少し虚ろなものへと変わる。
今やルシオラと小竜姫だけでなく、ジークと雪之丞も真面目な表情でヒャクメに注視していた。
「…………うーん、何も見えないけど……あれっ!? 今何か動いたのね!」
何かを見つけたヒャクメは、視点を集約させ動いたものの正体を探る。
彼女の視界の端で、何かが揺れたように感じたのだ。
ズームインさせた視界の中で、黒ずくめの人影が低い姿勢で素早く移動している。
3人一組の黒ずくめは、背中に魔界正規軍採用のライフルを背負い、魔界正規軍のコスチュームというよりは人間の特殊部隊のようなタクティカルベストを身に付け、その下には防弾ベストを着込んでいた。
腰にはやはり、魔界正規軍が使用する拳銃を入れたホルスターを下げている。
ヒャクメは遠視で正体不明の連中を監視しながら、自分の額に電極のようなものを貼り付けキーボードを操作した。
すると、ヒャクメの見ている光景がモニターの一つに映し出される。
「敵……だよな、ジーク?」
「ええ、現状で魔界からの援軍が来るはずはありません。アシュタロスの部下と考えていいでしょう」
「ちっ! 全員銃火器で武装してやがる」
尋ねるというよりは確認するような口調の横島に、頷きながら答えるジーク。
既に頭の中は戦闘態勢に切り替わっている。
そんな二人を尻目に、雪之丞が近接戦闘できない事に不満の意を示す。
スパイダロスとの戦いで、銃による戦闘を経験してはいるが、彼としては銃撃戦を好んではいない。
あくまで近接戦闘が好きなのだ。
「ジーク、全員に戦闘態勢を伝えてくれ。ヒャクメ、敵の数は?」
「あの場所を移動中なのは6人よ。彼等の周辺には、仲間はいないみたい」
「おそらく、幾つかのチームに分かれてここへの侵入・制圧を目論んでいると思うわ。ヒャクメさん、連中はどこに向かっているの?」
「……修行場跡地ではないのねー。どうやら……山腹にある通気ダクトの一つに向かっているみたい」
横島とルシオラが敵の動きを推測しているうちにも、敵は進撃を続けている。
再び視野を広げたヒャクメが敵の目指している場所を見つけている間に、ジークは休んでいるメンバーに非常事態を告げていた。
「他の侵入経路としては……やはり上からではないでしょうか? ただその場合、埋まっている出入り口を捜し出し、さらに土砂を爆破しなければなりませんが……。陽動としてなら、我々の目を集めますからそれでもOKかもしれません」
「陽動をかけてくるなら、今映っている部隊が本命かもしれません。狙いはやはり、美神令子の身柄でしょう。でも、こうまであからさまな力押しをしてくるとは……」
ルシオラの言葉に少し考え込んだ小竜姫が、誰に向かって言うでもなく呟く。
連絡を終えたジークは、その言葉に頷きながらもアシュタロスの採用した作戦の荒っぽさにどこか作為的なものを感じていた。
ヒャクメに見つかったあの部隊が、本命なのか囮なのか?
だが、迷っている時間が無いの事も彼は理解している。
「だがよ、どうして通気ダクトの場所がわかったんだ? あの辺はヒャクメの監視範囲に入っていたし、アシュタロスの眷族は偵察になんて来てないってのによ」
「可能性は幾つか考えられるが、一番妥当そうなのはベスパの眷族である妖バチが偵察を行っていたんだろう。あれなら、ただ飛び回っているだけの時はそれ程魔力も強くないし、単独行動ならヒャクメがいかに遠くが見えるとは言っても、山の中に虫がいることは不自然じゃないから見落としても不思議はない」
どうやって敵が通気ダクトの場所を突き止めたのか不思議がる雪之丞に、横島は最も可能性が高そうな推理を話す。
だが、横島も雪之丞に答えながら、ジーク同様アシュタロスの今回の作戦にどう対処すべきか、脳をフル回転させていた。
「あの戦闘員をどうやって集めたのかはわからないが、残った戦力を考えると多分べスパが指揮を執っているだろう。眷族を連れていると厄介だから、彼女の相手は俺がする。みんなは他の連中を頼む」
「アシュ様が直接出てこないなら、最大の驚異はベスパですものね……。ヨコシマ、あの娘をお願いね」
ルシオラの言葉に頷きながら、ロッカーを開けてルシオラ作のFN・P-90とFN・ファイブ・セブンを手にする。
拳銃を手際よくホルスターに収め、さらに予備弾装をポーチに放り込んでいく。
小竜姫やルシオラも横島に習い、いつもの武器に加え機関拳銃と拳銃を装備した。
既に拳銃は装備済みのジークと雪之丞は、自分用のP90を横に置き戦闘準備は完了している。
そこに起き出してきた面々が走りよってきた。
「横島君、敵襲か!?」
「ええ、どうやらアシュタロスは正統な戦術を選択したみたいです。ジークから状況を聞いてください」
既に完全装備の横島を見て、質問と言うよりは確認のために尋ねる西条。
横島に説明役を押し付けられたジークが、やって来た面々に現状の説明を行う。
「成る程……、典型的な強襲作戦というわけね。でも、それなら他の方面からも必ずやって来るはずよ」
「ええ、必ずやって来るでしょう。ヒャクメはここに残って監視を続けてくれ。敵の動きを逐一報告して欲しい。西条さん、武装してここで美神さんを守ってください。シロ、お前もここにいるんだ。通気ダクトへ向かっている敵に対しては、ジークとワルキューレ、氷雅さんと雪之丞で迎え撃ってほしい」
「わかったけど、横島はどうするんだ?」
「俺と小竜姫、ルシオラは敵の別働隊に備えてここで待機する。敵を見つけたら直ぐに動くけどな」
横島の言葉に頷くと、即座に4人は動きだし部屋から出ていった。
恐らく、ワルキューレと九能市、ジークと雪之丞という2チームに別れて迎撃するのだろう。
そしてモニター室に残るのは、ヒャクメ、美神、美智恵、エミ、西条、おキヌ、シロ、パピリオの8人である。
全員が武装しているし、西条や美智恵がいるので、万が一施設内に潜入されて銃撃戦になったとしても、的確な反撃が可能なはずだ(おキヌは除く)。
美神を守る戦力が十分にある事を確認した横島達が、いよいよ出発しようとするところへパピリオが怖ず怖ずと進み出てきて、上目遣いに横島達を見詰め口を開く。
「ルシオラちゃん、ヨコシマ……。やっぱり、アシュ様とベスパちゃんが来たんでちゅか?」
「アシュタロスの部下が攻めてきたのは確かだけど、御大将自らとベスパが来ているかは分からない」
ルシオラと横島に付いていく、と決めたパピリオだが、やはり創造主と次姉に対する想いは残っている。
どことなく不安そうなパピリオの表情に、こちらも事実だけを告げる横島。
だが、その表情は微かな笑みを浮かべている。
「パピリオ、残るメンバーの中で一番強力なのはお前よ。頼んだわよ」
「任せるでちゅ! だから……みんな無事に帰ってきてね」
「ああ、約束する」
横島の表情によって少し不安を解消されたパピリオに、ルシオラがここの守りは任せるとばかりに肩に手を乗せ、ジッと覗き込みながら言い聞かせた。
そんな姉の言葉に力強く頷き返す彼女の願いに、横島は当たり前だと言わんばかりに応える。
他の面々からの声を背中に受けながら、横島達3人は装備と共に敵を迎え撃つべく走り出した。
だが直ぐに外に出るのではなく、モニター室より入り口に近い会議室まで進むと、そこの廊下にバリケードを設置する。
このような事態を予想し、複合素材でできた衝立様のものを用意していたのである。
外での迎撃に失敗し、押し込まれた際の最終防衛線となる。
勿論、横島達としては外で決着を付けるつもりだが、万が一の時の備えと言えよう。
「そろそろ連中、通気ダクトに到着するな……。連係してる筈だから、残りの連中も動き出すはずだ」
横島のそう呟いた時、それに応えるかのようにヒャクメの思念が頭に響いた。
『横島さん! 地上部分に敵が転位してきたのねー! 数は今のところ12よ』
「わかった、ありがとうヒャクメ。敵の動きをイメージで、俺や小竜姫達に送る事は可能か?」
『大丈夫、そのぐらいは問題ないのね。じゃあ送るわ』
ヒャクメは横島の要望に気軽にこたえ、即座に3人へと地上の俯瞰図をイメージとして送った。
横島は敵の配置と動きを見て、一瞬訝しげな表情を浮かべる。
「ヨコシマ、何か気になる事があるの?」
「ああ、3人ずつ3チームが周囲を警戒しているってのは、まあ当たり前だよな。だけど、後方にいる3人の横にある装置は何だろうと思って……」
「……そうね。何かの放射装置かしら? 可能性として高いのは、霊波とかの妨害装置じゃない?」
「……でも、特に結界や霊波シールドに影響はありませんよ、横島さん」
「うん、だから正体が分からなくて気になってるんだ。だけど……むっ!? あれはハニワ兵! そうか、ここへの通路を塞いでいる土砂を吹き飛ばすつもりだな」
イメージに新たな動きが見え、敵兵が周囲を警戒する中、多数のハニワ兵が空間転位で姿を現したのだ。
「ぽーぽー」言いながら、敵陣の中央にドサドサと折り重なり、山積みになっていく。
「ルシオラ、小竜姫! 二人は左右から敵を迎撃してくれ。俺は上から攻撃をかける」
「わかったわ。こっちは任せて、ヨコシマ」
「この施設内に入れはしません」
しっかりと頷く愛しい2人に、こちらも大きく頷くと、横島はハイパーモードになって転位していった。
「さあ、行きましょうルシオラさん」
「ええ、手榴弾の影響が及ばない場所で迎撃しないとね」
サブマシンガンを抱えた2人も、表情を戦士のそれへと変え転位するのだった。
同じ頃、妙神山より遠く離れた東京でも異変が起きていた。
住民が寝静まった住宅街の一角で、突如地響きが起きて轟音が響き渡る。
夜の静けさを破り、突然高級マンションの屋上が吹き飛んだのだ。
そして中から現れたモノは……高さが6m程もある巨大なタマゴと、4本の支持脚を持った台座だった。
その側面には、南極で横島に破壊された土偶羅によく似た上半身だけのモノが突き出している。
「……アシュ様」
土偶羅の代役として、宇宙処理用演算器として急遽製造された土偶羅Uがチラリと横に眼を向け、自分の主人の名を呼ぶ。
歩み寄り、横を通り過ぎたアシュタロスは、そのまま台座の側壁に手を当てた。
すると壁面の一部が開き、何やらカップのようなものがアームの先端に付いた装置が出てきた。
アシュタロスはおもむろにシリンダー状のものをそこへ乗せると、戻っていく装置には眼もくれず土偶羅Uへと歩み寄り声をかける。
「土偶羅Uよ、状況を報告せよ」
「ハッ! 現在、予備エネルギー充填250%で起動可能レベルです。起動後、一度だけ入力に対し出力可能です」
「よろしい、土偶羅U!! 宇宙処理装置(コスモ・プロセッサ)起動!!」
「…了解!」
土偶羅Uの返事と共に、台座上のタマゴが光ながら回転を始め、さらなる破片をまき散らしながらその姿を変貌させていく。
高級マンションの屋上に出現した謎の物体は、無数の管状の物を束ねた巨大なキノコ様のシルエットを持ち、基部はまるでパイプオルガンのような構造を模した異様な装置へと姿を変えたのだ。
その前に設置された座席に腰を下ろすと、アシュタロスは静かに指を鍵盤へと伸ばした。
「……メフィスト、私から逃れる事などできはしないと、今から教えてやろう」
そう呟くとアシュタロスは、ニヤリと口の端を吊り上げながら命令を入力した。
「ぽー、ぽっぽー!」
「よし、爆破!」
ハニワ兵からの合図を受け、後方で妙な装置をガードするように立っていた1人がサッと手を上げた。
今命令を発した者が指揮官なのだろう。
ズガアアァァァアン!!
合図に従って次々と自爆していくハニワ兵達。
轟音と閃光、そして爆煙が周囲を彩る。
やがて爆煙が薄らいでくると、身を隠していた戦闘員達が立ち上がり爆心地の方へと素早く移動する。
今の爆発で敵が自分達に気が付いたのは当然だろうが、慌てて飛び出してくるかも知れないし、包囲して制圧しなければ突入もままならないだろう。
爆発跡は見事にクレーターとなっており、その中に下へと通ずる通路が穴のようにポッカリと口を開けていた。
ライフルを両手で持ち、無駄のない動きで動いていた戦闘員の1チームが、いきなり紫色の血飛沫を上げて前に倒れる。
同時に背後から金属質の低い連発音が響き渡った。
上から見て、装置が置かれた場所から左手に位置していた3人のうち2人が、背中側からの連射によって反撃する間もなく次々と崩れ落ちる。
そして、ギョッとして銃撃音の方に眼を向けた対面のチームにも、1秒程遅れてやはり背後から容赦のない銃撃が浴びせかけられた。
瞬く間に6人中4人が薙ぎ倒されたが、微かに聞こえてくる低い呻き声は生きている者がいるを事を教える。
だが、生きていたとしても、最早戦力としては使い物にならないだろう。
「くっ! 待ち伏せだ! 散開しろ!」
その言葉を聞くまでもなく、残りのメンバーは身体を低くして少しでも遮蔽物となるものの影へと飛び込む。
だが一度沈黙した銃撃は、残った戦闘員が跳躍すると同時に、低い連続音と共に再開された。
その銃撃で標的となっていた2つの部隊の残存戦力が撃ち倒されるが、既に電波妨害装置の周囲にいたチームと、クレーターを挟んで反対側にいたチームの戦闘員達は、左右のチームを戦力としてカウントしていない。
全滅するのは避けられないと瞬時に判断し、味方の犠牲の上に撃ってきた敵の位置を探ろうと慎重に周囲に眼を向けていた。
「良く訓練されてるわね、流石はアシュ様。こっちも反撃を喰らう前に移動しなきゃ」
いかにサプレッサー付きとはいえ、敵もこちらの発射炎や弾道から位置を割り出す事ぐらいやってみせるだろう。
2連射で最初の担当である3人を撃ち倒したルシオラは、即座に身体を伏せ、匍匐前進(はいはい)を開始した。
無論この時、彼女と反対側で戦闘していた小竜姫も、同じように場所を移動しようとしている。
2人の行動が正しい事は、僅かの静寂の後、先程までいた射撃位置に敵の銃撃が集中したことで証明された。
残った2チームが敵の銃撃位置に見当を付け、身振りでどちらを担当するか意思の確認を行った後、制圧を目的とした集中射撃を開始したのだ。
「やはり油断は禁物ですね……。でも、そろそろ横島さんが動き出す頃です」
時折頭の上を通過していく銃弾の中、予め見つけて置いた窪地まで到達した小竜姫は、即座に身を滑り込ませて呟く。
ルシオラもほぼ同時に遮蔽物の影へと転がり込み、P90のマガジンを交換していた。
敵は未だ半分が残っており、最初のような奇襲でない限り迂闊に反撃でもしたら、即座に逆襲されてしまう。
それ故、今は敵の動きを止めるための銃撃に徹し、決して無理をしないよう横島に言われていた。
一方、アシュタロス側は装置を守る必要のない戦闘員達が、アイコンタクトを行うと小竜姫を倒すために前進を開始していた。
2人が援護の銃撃を行う中、1人が低い姿勢で素早く走り遮蔽物へと辿り着くと、そこから今度は仲間を呼び寄せるための援護を開始する。
小竜姫も反撃するのだが、精確な射撃を行えないため倒す事は難しかった。
だが……戦闘員達は自分達の行動が真上から見られている事に気が付かなかったのだ。
「ルシオラと小竜姫を殺らせるワケにはいかねーんだ。悪いな……」
『よ、横島さんっ!! 美神さんが…美神さんが消えたのね――――っ!!』
上空30mほどの位置から、『遮蔽』の文珠で姿を隠していた横島はそう呟くと、眼下で動いている敵に銃口を向けようとする。
だがその時、彼の頭の中に地下に残っているヒャクメからの、切羽詰まり泣きそうな声が頭の中に響いた。
無論、その声はルシオラや小竜姫にも届いている。
『おいっ!? どういう事だ、ヒャクメ?』
『わからないのねー。私は横島さん達や雪之丞さん達の様子を見るために、外に意識を集中していたんだけど、いきなり西条さんや美智恵さんの慌てたような声がしたと思ったら美神さんの姿が消えていたの。慌てて周囲を捜したんだけど、全然見つからないのねー』
その言葉に横島はピクッと片方の眉だけを吊り上げる。
そして原因を考えようとして即座に止めた。
今は目前の敵を倒す方が優先なのだ。
『……雪之丞さん達の方はどうなったのですか、ヒャクメ?』
『大丈夫、横島さん達とほぼ同時刻に戦闘が始まったけど、待ち伏せする時間があったので包囲する事ができたわ。ちょうど今、敵は壊滅して戦いは終わったのね』
『そう、だったらまずこっちの戦闘を終わらせなきゃね。頼むわよ、ヨコシマ』
遮蔽物の影からP90の引き金を引きながら、小竜姫は換気ダクトから敵が侵入したのかと思い尋ねたが、ヒャクメは明快な言葉でそれを否定した。
同じ事を懸念していたルシオラは、銃撃しながら考えても原因がわかりそうもないと悟り、極めて現実的な言葉を口にする。
そしてルシオラの言葉に応えるかのように、横島は既に自分の役割を果たすために動いていたのだ。
『……小竜姫に向かっている連中から片付けるぞ……』
一度は中断した動作を再開させ、そう呟くと機械のように正確な動作でP90を構える。
そして、狙いを付けると静かに引き金を絞った。
リズミカルに作動したP90は勢いよく5.7mm 弾を吐き出し、数発毎に込められている曳光弾が遠くからでもその射線を明確にする。
横島は曳光弾の射線を基に、狙いを微調整しながら3人の目標目掛けて一気に弾倉の4/5を空にした。
小竜姫を追いつめようとしていた敵兵は想定もしていなかった真上からの攻撃に対処できず、たちまち紫色の血飛沫をまき散らしながら崩れ落ちる。
残った最後のチームは、思いがけない方向からの攻撃に狼狽え散開しようとしたのだが、自分達が後ろの装置を守らなければならない事を思いだし、一瞬動きが止まってしまう。
その隙を見逃す横島と小竜姫ではなかった。
即座に超加速に入り、それぞれ飛竜と神剣を用いて瞬時に敵を斬り捨てる。
そして最後の1人が気が付いた時には、既にライフルを取り上げられ、喉元に切っ先を突きつけられていた。
恐らく違うだろう、と思ってはいるが、最後に残った指揮官らしきこの敵兵はベスパの可能性がゼロではない。
だが、何しろ顔も大部分を黒いフェイスマスクで覆っているため、その正体がわからないのだ。
だからこの敵兵だけは斬り捨てるわけにはいかなかった。
「言葉は理解できるな? 抵抗を止め降伏しろ」
「くっ! ……うっ! ううっ!」
無表情で降伏を勧告する横島だったが、自分が置かれている状況を理解した戦闘員は悔しそうに呟き、直ぐに苦悶の表情を浮かべ始める。
その変化に眉根を寄せた横島達だったが、即座にそれが仕込んでいた何かを作動させたのだと気が付いた。
だが時既に遅く、最後の戦闘員は苦しそうに呻きながら膝を折り、ガックリと地面に倒れ伏す。
「…………死んだ。えらく厳しい軍律に縛られているみたいだな」
「……そうですね。でも、確かに魔族ですが随分魔力レベルは低いみたいです。まるで使い捨ての兵士みたい」
既に事切れた敵を屈み込んでチェックした横島が、小さく首を振って絶命している事を告げる。
溜息を吐いた小竜姫も近くに倒れている敵を検分し、やはり骸になっていため頷いたが、先程から感じていた違和感を口にした。
「そうだよなぁ。訓練されているみたいだけど、どう見てもランクとしては下級魔族だ。何でアシュタロスはこんな攻撃を? それにどこから集めてきたんだ?」
「ヨコシマ〜! 取り敢えず全部片づいたみたいよ!」
小竜姫の疑問に横島も首を捻っていると、周囲を確認していたルシオラが小走りに近付いてきて声を上げる。
横島も考えを一時中断して、P90を片手で持ち手を上げてルシオラに応えた。
「ご苦労さん、ルシオラ。それで生きている奴はいた?」
「いいえ、スキャンしてみたけど全員死んでるわ。私達の攻撃で死ななかった人も、どうやら自分で命を絶ったみたいね」
手に小さな装置を持っていたルシオラだが、どうやらそれはスキャン装置の一種だったようだ。
横島と小竜姫が超加速に入ったと同時に、ルシオラは銃を片手に持ちながら隠れていた場所を後にし、この装置を持ってスキャンしながら横島達の方に向かったのだ。
したがって、彼女は既に戦場に敵がいなくなった事を理解していた。
「何だか前によく似た感じを………むっ! これはメドーサ?」
「……確かに似ていますね。でもこれは……?」
ルシオラがやって来るのを待ちながら、横島は何となく気になっていた敵兵士のフェイスマスクを剥ぎ取った。
そして現れたのは、髪こそ短いがコギャルバージョンのメドーサそっくりな容貌だった。
横島がその顔を見て、ベスパでない事に内心ホッとしていた事は内緒である。
「あら本当ね。でも……これはクローンみたいね」
「クローン? というと、あのガルーダみたいな人造魔族なのか?」
「ええ。どうやらメドーサを再生させる際に残った霊破片を培養し、急速成長させた急ごしらえの魔族兵士みたいね」
2人の所に走ってきたルシオラが、2人が覗き込んでいるものをスキャンしてその正体を告げる。
その言葉に、横島と小竜姫は漸く感じていたものの正体を悟り頷いていた。
だが、なぜアシュタロスはこのような雑兵を創り出したのだろう?
それに残されたこの装置は一体何なのか?
「それにしても……この装置は何なんだ? 何かの妨害装置みたいだけど、爆弾かもしれないな」
「そうね……。あっ! ヨコシマ、あまり近付いちゃダメよ! 私が少し調べてみるから、離れていて」
ベスパがいなかった事で既に敵兵士に興味を失った横島の事を、そう言いながら手を上げて制したルシオラは、2人と共に自分も下がりながら置かれた装置をスキャンし始める。
こういう機械関係に関しては、ルシオラの右に出る者はいないため、横島と小竜姫も素直に従った。
だが、下がりながらもルシオラを護るように警戒する事を怠りはしない。
「じゃあこの機械はルシオラに任せて、いきなり姿を消した美神さんの事だけど……」
「そうですね。方法はわかりませんが、やはりアシュタロスの手に落ちたと考えるべきではないでしょうか?」
「小竜姫もそう思うか。だけど。一体どうやって…………」
2人で首を傾げ考えていると、調べ終わったルシオラが顔を上げて話しかけてきた。
「終わったわ。どうやらこれは電波妨害装置みたいね。自爆装置の類も仕掛けられていないから、破壊して大丈夫よ」
「……電波? 電波の妨害装置なのですか? 霊波ではないんですね?」
「ええ、これは紛れもない電波妨害装置ね」
ルシオラの言葉に小竜姫が怪訝な表情を浮かべるが、それは横島も同様だ。
なぜアシュタロスは電波妨害装置などを据え付けたのだろう?
「わかった。おそらく連中にとって必要なモノなんだろうから、さっさと破壊しちまおう」
何であるにせよ、アシュタロスにとっては必要な物だろう結論付け、即座に破壊を決定する横島。
この辺の決断は早い。
頷いた横島は遮蔽物に身を隠し、肩から上を出すとFN・P90を構え弾倉に残っている弾丸をフルオートで叩き込んだ。
装置自体は脆いらしく、目標は呆気なく爆発、四散する。
今一つアシュタロスの考えが読めない横島達は、厳しい表情のまま戦闘が終了した事を確認し西条達の元に戻る事にした。
急いで美神の行方を捜さなければならない。
今や剥き出しになった地下への通路の周りに結界を張り、横島達は彼等を待つ仲間の所へと向かった。
「よお、お疲れだったな雪之丞。それにみんなも」
「銃撃戦はあまり好きじゃねーんだけどな。だが、ワルキューレやジークがいてくれたから、案外簡単に終わったぜ」
「大丈夫だとは思ってたけど、ワルキューレさん達も無事でなによりだわ」
「私もジークも魔界正規軍の士官だぞ。こういう事のための訓練は嫌と言うほど受けている」
「それに、今回もヒャクメさんのサポートがありましたから、敵の動きを正確に把握できています。この状況でなら絶対に負けませんよ」
戻って来た横島は、会議室前のバリケードのところで戻っていた雪之丞達に出会った。
彼等は横島達より一足先に戻って、自主的にこの場所で万が一のための警戒に当たっていたのだ。
少し不満げな雪之丞だったが、ワルキューレやジークの事を信頼しているため、砕けた口調で答えた。
その傍らでは、魔族同士と言うわけでもなかろうが、笑顔のルシオラに相変わらず真面目な表情で応えるワルキューレの姿。
ジークもヒャクメの的確なサポートに感謝しながらも、取り敢えず直近の戦闘がこちら側の勝利だったことを喜んでいる。
小竜姫も九能市の無事な姿に嬉しそうだ。
「さて、攻撃に関してはきちんと退けたんで一安心なんだが、美神さんの姿が消えちまったらしい。状況を分析して対策を練らなけりゃならないんで、一旦モニター室に集まろう」
「そうだったな、私もヒャクメから少しは聞いたのだが、誰も侵入させなかった事だけは断言できる」
「私達の方も、敵は全員倒しましたし……。一体どうやったのでしょう?」
横島の提案に頷いた面々は、ゾロゾロと西条達のいる部屋へと向かいながら、口々に疑問を述べている。
自分達はきちんと役割を果たしたというのに、どのようなトリックを使ったのかアシュタロスは美神を攫ったのだ。
しかし、7人がそれぞれ考え込みながら残った者達と会合した時、その疑問は呆気なく氷解する事になる。
「……なにっ!? 令子ちゃんのマンションが崩壊して、謎の巨大物体が出現しただとっ!? 何で今まで連絡しなかったんだ? ……無線も携帯もジャミングされたらしくて通じなかったって?」
西条が携帯電話に怒鳴るように話している内容を聞いて、横島は事態を大体ではあるが把握した。
美神のマンションに出現したという巨大物体は、恐らくコスモ・プロセッサだろう。
宇宙の構成を部分的にせよ完全に組み換えるコスモ・プロセッサであれば、この地下基地から美神を転位させる事も可能だろう。
だが、魂の結晶がなければあの装置は作動しないはずだ。
『ヨコシマ……。もしかして魔体の予備エネルギーを使ったのかしら?』
『俺も同じ事を考えていた。正直、コスモ・プロセッサを一時的にせよ動かせるものって、それぐらいしかないだろ』
『と言う事は……美神さんはあの宇宙のタマゴの中でしょうか?』
『……わからない。だが、アシュタロスがこっちの予想を超えた作戦で来た事は間違いない』
西条がなおも携帯を通じて話している間、横島は自分に融合している小竜姫とルシオラの霊基構造コピーの意識を通じて、3人で状況を分析していた。
横島同様、小竜姫もルシオラも美神が消えたカラクリに気が付いたのだ。
様々なシミュレーションを行ってきたが、このような方法は見落としていた。
今更ながら、アシュタロスの頭脳を甘く見ていたと、横島達は苦い思いを胸にしまい込む。
とにかく、状況は動いたのだ。
今為すべき事をせねばならない。
「ヒャクメ、今西条さんが言っていた美神さんのアパートを見る事はできるか?」
「ちょっと待って、今見てみるから……」
素早く手を動かしながら、ヒャクメは焦点を指定の場所へと合わせていく。
リンクしているスクリーンには、巨大なキノコのようなシルエットが浮かんでいる。
あの姿は……間違いなくコスモ・プロセッサだ。
「…………コスモ・プロセッサ、ね」
「まさか、魂の結晶抜きで動かせるとは……」
スクリーンを見詰めながらポツリと呟いたルシオラと小竜姫の言葉に、巨大な物体の正体を理解した残りの面々が息を呑む。
それはアシュタロスが望む天地創造を為すための切り札。
「でも……令子の魂に融合している結晶を手に入れないと、あれは動かせないんじゃなかったの?」
「ええ、そのはずなんですが……。どうやらアシュタロスは予備エネルギーを使って、一時的にあの装置を起動させたみたいですね」
「おそらくアシュ様は、自分の残ったエネルギーやいろいろな事のために蓄えていた魔力を全部注ぎ込んで、コスモ・プロセッサを動かしたんでしょう。こうなった以上、ここで籠城していっても無意味ですね」
僅かな希望を求めるかのように美智恵が尋ねる。
その顔は青白く、感じている不安を隠しようもない。
横島はそんな美智恵の感情を無視して、冷静に自分達が検討した結果を推測として披露した。
それを補足するルシオラも、努めて表情を抑えながら淡々と言葉を紡ぐ。
だが美神美智恵も、有能なGSであり指揮官である。
横島とルシオラの言った事を即座に理解し、考え込み始めた。
その脳内では、対応策が必死になって考えられているのだろう。
「なあ、と言う事はさっき戦った連中は全部囮だったっていうことか?」
「本命はあの電波妨害装置であって、東京での動きを私達に知られないようにするのが目的だったのでしょうか?」
「それならば、全員で早速東京に戻った方が良いのではござらんか?」
事態を頭の中で整理し終えた弟子3人も、自分達が考えた内容と意見を口々に述べる。
今は議論している時ではないというのが、彼等の共通認識だった。
「そうね。令子がどうなったか分からないけど、私達の動きが遅れれば遅れるほど不利になるワケ」
「小笠原さんの言うとおりだわ。横島君、さっそく私達も向かいましょう!」
「待つのねー! 新しい反応が地上に現れたわ。…………アシュタロスが来たのね!!」
エミの意見に頷いた美智恵が、この場の全員の思いを力強く言った直後、ヒャクメの叫び声が続こうとした台詞を妨げた。
ヒャクメの台詞に全員の視線が一斉にスクリーンへと向かう。
そこには、美神の身体を抱いたアシュタロスの姿が映っていた。
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