もうすぐ春がやって来る。
あと一ヶ月もすれば、あの、のどかで優しい季節がやって来る。
確かめたわけではないけれど、きっとアイツはあの季節を知らない。
あの暖かな日差しを知らない。
アイツが好きな夕日。
それが季節ごとに表情を変えるということを知らない。
周囲の景色によって、色んな表情を見せることをアイツは知らない。

だから―――春よ、早く――――来い―――

アイツに、彼女に、その優しい夕日を見せる為に……。





 春よ、来い

作:トレヴァー






南極で横島と再会してから数日。
現在、ルシオラとパピリオは美神のもとで暮らしていた。
横島の部屋で共に住むのは叶わなかったけれど、その気になれば横島とはすぐ会える。
だからその意味では寂しくはない。
でも……。
でも…ほんの少し、ほんの少しだけれど、寂しいと思う気持ちはある。

―――それはまだ聞いていないから

横島から、あの言葉を聞いていないから。
ルシオラは横島に『愛してる』と言った。
己の胸にある想いを告げた。
でも、横島もそうだとは限らない。
横島から……『愛してる』と言われていない。
横島に預けたルシオラの心は、今も彼の返事を待っている。
ずっと、ずっと―――待っている。
だが、それとは別に、不安はどうしても沸くものだ。
もしかしたら言って貰えないのではないか?
そんな、冷静になれば馬鹿げた考えも浮かんできてしまう。

普段ならそんなことは考えない。
ただ、ふとした時によぎる恋ゆえの不安。
横島を好いているからこその不安。
自分の出自が魔族であるという事実ゆえの、不安。
それらの不安ゆえに、自分は横島にとって『幸(さち)』となる人物なのか?
自分は彼に害をもたらしているのではないか?
そうも考えてしまうのだ。

それは余りにも馬鹿げた考えかもしれない。
横島を軽視した考えかもしれない。
事実―――、日常を、初めて味わうヒトの世界の日常を過ごしていると、自分は横島に愛されていると感じることが出来る。

だが、感じることが出来てもやはり言葉に出して貰いたい。
別にモノなど欲しくはない。
ただ言葉だけで良いのだ。
でも、横島はその言葉を言ってくれない。

―――あとどれだけ一緒にいれるのかわからないのに………
―――まだ、アノ方が生きているかもしれないのに………

そう思うと―――今の生活をどれだけ続けることが出来るのだろう?―――そんな不安が浮かんでくるのだ。
自分の生命はどれだけなのか?
この生命が尽きる前に、横島にアノ言葉を言って貰えるのか?
恐れと、不安で、押し潰されそうになる。

横島との恋が生まれて初めてのモノであるルシオラは、純粋過ぎるほどに純粋だった。
もしかしたら自分には横島以外に依るべき相手がいない。
そう考えているのかもしれない。

―――いや、それはあながち的外れな考えとも言えなくはない。
そこがルシオラの純粋たる所以とも言えるのだから。

かつてルシオラは言った。

『下っ端魔族は惚れやすいのよ―――子供と…同じ』

信じたものに愚かしいまでに縋りつく。
ルシオラは純粋で、そして人間以上に人間らしい、か弱き女性であった。

そしてある日、ルシオラは一輪の花を見る。
道端に咲いていた、一輪の花。
彼女の心に強く印象を残すこととなる花を―――。







あともう少しで春がくる―――。

そんなことを考えながらぼうっとしていたところに、ルシオラは現れた。
いつものように、元気な顔を見せて。
ただ―――

「―――なにしてんだ? ルシオラ」

今回は少し勝手が違っていた。
部屋を訪れてくるなり、ルシオラはノートを広げて筆を走らせ始めたのだ。
だから要領を得ない様子で横島は尋ねた。
まぁ、これは普通の反応だろう。
恋人との折角の逢瀬だというのに、会っていきなりコレでは疑問を持つのも無理はない。
今までになかったことだけに尚更だ。

ルシオラは手が離せないのか、「ん〜〜」と生返事をするだけでまともに応えない。

(…やれやれ。こうなったら終わるまで絶対に顔を上げないんだよな、コイツ)

一つのことにのめり込んだら最後、納得がいくまでソレを止めようとしないルシオラの性格を横島は僅かな期間でありながら把握していた。
その性格に僅かに嘆息するも、恋人である彼女の性格を判ることが出来る、という事実に横島は顔を綻ばせる。

(まぁ、いいか…。終われば向こうから話すだろ…)

さりとて、特にするべきことも今はない。
横島は夢中でノートと格闘しているルシオラの姿を、その視界に納めながら壁にもたれることにした。







「―――ん。 よし、と」

ルシオラが来てから数十分―――それはそのままルシオラがノートに向かっていた時間だが―――彼女はようやく満足がいった、と顔を上げた。

「一体なにしてたんだ?」

ようやく会話が出来る。
今までの疑問を解決すべく、横島はそのままソレを口にする。

「んふふ。 知りたい?」

「そりゃまぁ、ね」

ルシオラの逆質問に、横島はさもありなんと相槌を打つ。
自分のしていることに横島が興味を示してくれる。
些細なことだ。
でも生きているからこそソレも感じることが出来る。

「はい、これを書いてたの」

ルシオラは、嬉しそうに、楽しそうに目を細め、横島にノートを差し出した。
そこには――――――――――





――――――野原で花を摘みましょう
      その花弁が散り逝く前に
      綺麗な花を咲かせたままに
      その命の種を貰いましょう

      空に種を蒔きましょう
      小さく儚い命の種を
      それはそよぐ風に乗り
      やがて綺麗な花が咲く

      荒野に花を咲かせましょう
      儚く切ない命の花を
      けれども強く大地に根ざす
      綺麗な花を咲かせましょう――――――





「―――詩?」






『命の花』






そう題されて――――――――――詩が、切ない詩がしたためられていた。

「ええ、そうよ」

横島の呟きに、ルシオラは得意そうに頷く。
見てすぐに横島が詩と解したのが嬉しいらしい。
来る途中にあることがあって、それがどういうわけか気になって。
それで半ば勢いで書き上げたものだった。
自分では出来の如何は分からなかったから、実のところ横島に見せるのは若干不安だったのだ。
でも初めて書いたその詩は、どうやら成功のようだ。
ルシオラは「どう?」と横島に感想を求める。

だが―――

だが横島は、食い入るようにその詩を見つめ、答えない。

「……ヨコシマ?」

ルシオラはその横島の態度に訝しげな視線を送る。

「ん? ああ、悪い…」

「本当よ、可愛い恋人が感想を聞いてるのに」

「はは、よく言うよ。 ……でも」

「ん?」

「でも…なんだってまた詩なんか書くようになったんだ? お前、今までそんな真似したことなかったろ?」

「あら、いいじゃない。 いいものよ、詩は。思ったこと、感じたことを形に出来る。
 その時の感情、感動、想い……。それらがそのままずっと残るのよ。
 素晴しいじゃない」

それはルシオラであるからこその考えだ。
横島はそのルシオラの言葉に僅かの焦燥を覚えつつ、次の言葉を考える。
そして―――

「でも、どうして題材が『花』なんだ?」







ルシオラが詩をしたためることには納得した。
彼女の言い分は至極もっともだと自分でも思う。
確かにその時の想いを形に残せるのは素晴しいことだ。
でも、何故題材が『花』なんだ?
アイツの好きな夕日。
それとは好対照な朝日。
夜になれば満月、三日月、朧月。
いくらでも綺麗で、それでいて詩の題材にうってつけなモノは沢山ある。
なのに何故花なのか?
花なんてそこらじゅうに幾らでも咲いているものなのに。

何故花でなければならないんだ?




この詩は……この内容は……。
これでは……まるで………。




何故……題材が『生命』なんだ……。







「―――なによ? 詩の題材に理由が必要なの?」

横島から発せられた質問に、ルシオラは憮然とした表情で食い掛かった。
横島の―――質問の意図を解せずに。
何故、横島が食い入るように詩を見つめていたのかを解せずに。

そして、自分の意図とは別の意味で己の質問をルシオラが受け取った事に横島は気付き弁解を試みる。

「いや、ほら、…その〜……なんだ! 詩の題材なら他に良さげなのが幾らでもあるだろう?
 それなのになんで花なのかなぁ…なんて思ってみたり…した…んだけど…その…」

しどろもどろに、段々と尻すぼみになっていくその話し振りは、傍から見れば滑稽極まりない。
その横島の様子に、ルシオラの表情が徐々に和らいでいく。

(クスクス。 なにもそこまで慌てなくったっていいのに)

自然、知らずに笑みもこぼれてしまう。

「あのね…・・」

ひとしきり笑った後、ルシオラは横島の質問に答えるべく、口を開いた。







「ここに来る前に花を見たの……」

いつものようにここへと来るのに利用する道。
いつもなら、見過ごしていたであろう一輪の花。
誰にも気付かれずに、咲いて枯れるだけの花。
今となっては珍しい。路傍に咲いた一輪の花。
ルシオラでさえ、常ならば気付かない。
それは日常の中に埋もれていく出来事。
でも今日、その花はルシオラの目に留まった。

「…・花を?」

その花は枯れていた。その哀しき事実が為に……。
ルシオラはその花を目に留めた。
でも気付いてあげられた。気付いて貰えた。

「ええ。 その花はね、何かに潰されてしまったみたいでクシャクシャになってたわ……。
 でもね、きっと綺麗な花だったと思うの。
 潰されたその姿は無残だったけれど、でも私には綺麗に見えた。 だから―――」

それは花にとっては幸運だったのではないだろうか。

「―――潰される前の…・。咲き誇っていた頃の…・。
 その花の姿は、きっと綺麗だったと…・思うのよ……」

こう思って貰えたのだから。
少なくとも一人。
ルシオラにとってその花は確かに存在していたのだから。
詩として、形を変えてはしまったけれども、その存在を残すことが出来たのだから。

ルシオラは哀しそうに目を閉じる。
そして、あの、ここに来る最中にみた花を思い出す。

もっと花を咲かせていたかっただろうに…・。
まだ散るべき時は先にあったであろうに…・。
悲惨にも、その生命を散らしてしまったアノ花を。

何という名の花なのかはわからない。
今まで見たことがあるかも知れないし、見たことはないかもしれない。
恐らくはありふれた種類の、何処にでも咲いているような花なのだろう。
でも何故か、無残にも根元から折られたその花の姿が、ルシオラには気になった。
気になったから、その姿が何故か鮮明に自分の脳裡に焼きついたから。
だからルシオラは詩を書いた。
途中のコンビニでノートとペンを買った。
生まれて初めて、詩を書いた。
その姿を、せめて綴ることで留めてあげたい、と。
だからルシオラは、綴った。
思いのままに。
彼女の心の赴くままに。
愛の……詩を………。
生命の……詩を………。







「なんで、花は枯れるのかな…・? すぐに潰れてしまうのかな…・・?
 なんであんな場所で咲かなきゃいけなかったのかな…・?
 あんな、簡単に…・。 
 咲くところも選べずに…・・。他者に簡単に潰されてしまうような処に…・」

横島に話しているうちに、ルシオラの声は徐々に震えてきていた。
理屈ではない。
感情が、その花を哀しいと思うだけではなく、別の理由で揺り動かされている。

「……ルシオラ?」

横島もソレを敏感に感じ取る。
声に、表情に、彼女を見る目に、心配の色が浮かぶ。

「なんで…・・。なんで……」

ルシオラは今まで感じたことのない焦燥に駆られていた。
もっとこの男と時間を共有したい。
もっとこの男のことを知りたい。私のことを知って欲しい。
いつも彼女の頭の大半を占める思考が、奔流のように流れてきた。

何故ここまで焦っているのか、自分でもワケがわからない。
ただ、今の彼女の頭の中には、あの潰された花の姿が鮮明に描き出されていた。

(――――なんなのよ、一体!?)

何故あの花が気になったのか?
花なんて、いつかは枯れるものなのに。
ソレが、潰されたことで生命を散らすのが少し早まっただけなのに。
何故何時までも頭に焼きついて離れないのか?

その姿が余りにも哀れで、それが理由で詩をしたためたのは間違いない。
だが何故ここまで心が乱される?
何故アノ花に自分が重なって見える?

考えながらも押し込めていた不安。
悩まされながらも口には出すまいと決めていた想い。
それが、一気に爆発した。



―――アノ花ノ姿ハ自分カモシレナイ



寒い。怖い。苦しい。
あらゆる負の感情が、負の言葉が彼女の身体を駆け巡る。

―――違う! 自分は今幸せの中にいる

好きな男と共に時間を過ごし、共に日常を過ごしている。
自分は今、幸せだ。
なのに―――何故?
何故―――今もアノ花の姿が浮かぶのだ?

「―――ねぇヨコシマ? 私は貴方の邪魔になってない?」

気がつけば、ルシオラは横島に禁忌とも言える質問を投げていた。

「―――――なに?」

突然のルシオラの言葉に横島はまともに反応を返すことが出来ない。
ソレほどに、彼女のこの言葉は唐突だった。
そして、横島にとって予期しないものだった。

――― 一体…・何を…・? 何故、そんなことを思うのか?

だがルシオラは構わずに堰を切ったようにまくし立てる。

「貴方の立場を悪くしていない? 貴方の行動を制限してない? 貴方に余計な苦労をさせてない? 貴方に―――」

決してしてはいけない質問だということはわかっていた。
わかっていたから、しなかった。
だがもう駄目だ。

―――『してはいけない』

そう思うほどに、戒めるほどに、その質問は甘美な果実に思えた。
本当のところ、横島はどう思っているのだろう?
横島は言ってはくれない。
ならば自分で聞くしかないではないか。

一度出てきた想いは、留まることなくルシオラの口をついて出た。

「ねぇ、ヨコシマ―――」

「――――っルシオラ!!」

放っておけば、何時までも続きそうなルシオラの不安と自責がおりなす自虐の言葉。

俺は欠片もそんな思いなど抱いていない。
それなのに何故コイツはそんなことを…・・。

「一体…どうしたって言うんだ?」

ルシオラは、一瞬声を詰まらせる。
更に、数瞬。

「……・花が…ね」

そして……答える。

「花が……あの花の姿が…・頭から離れないの」

その瞳に…涙を浮かべ…・・。







特に何も語らなかった。
時間が流れるままに、二人は何も語らなかった。
横島はルシオラを抱き締め、ルシオラは横島の腕の中に、胸の中に身を委ね。
そのままに、時間は穏やかに流れていった。

「―――落ち着いたか?」

心地よい、静寂に身を任せるのは良いことだ。
だがそのままに刻を過ごすのはあまり良いことではない。
頃合を見計らい、ルシオラの身体を抱き締めたまま、横島は彼女の耳元で言った。
優しく、落ち着かせるように。
抱き締める今の格好のように、彼女の心を包み込むように。

「……うん」

ルシオラは、それに応えて頷く。
言外に『ありがとう』そして、『取り乱してごめんなさい』と。

横島も同じように頷く。
その顔には安心が覗いていた。

(よかった…・もう、大丈夫だよな…・)

そして―――横島は今日考えていたことを口にする事にした。

「ルシオラ…・お前、『春』って知ってるか?」

コイツと共に過ごしたい。
そう願った季節のことを。

「『春』…・? この国の特徴でもある四季の内の一つよね?」

「ああ」

「知識としては知ってるけど…・・」

「まだ自分の身体で感じたことはない?」

「……ええ」

「……そう…・か…」

(…………やっぱり…な)

ルシオラの言葉尻を濁した答えに、横島は思案げに頷く。

「じゃあ、さ。 春が来たら、二人でどこか郊外へ旅行に行こう」

「旅行?」

「ああ、別に遠出なんてする必要はないんだ。二人でのんびりと過ごせるなら何処だって良い。
 春になれば色んな花が咲く。晴れた日は陽気も良いし、ポカポカと暖かい日が注ぐ」

横島は続ける。

「夏に比べればまだ肌寒いかもしれないけれど、春は本当にのんびり出来る。だから二人で出掛けよう」

その提案にルシオラは目を円くする。
そして数瞬の後、

「――――――うん!」

嬉しそうに、本当に嬉しそうにルシオラは力一杯頷いた。
まるではしゃぐ子供のように。
顔全体で、喜びを表現している。

そんな様子を横島は穏やかな表情で見つめ、思う。

そう、コイツ等はまだ生まれたばかり。
ヤツの為に身体はでかく、知識も充分に持って生まれてきた。
でも…・・。
でも、俺達が当たり前のように過ごして来た季節を……。
当たり前のように見てきた景色を…コイツは…知らない……。

横島はルシオラが言った台詞を思い出す。

『―――私達は寿命が一年と設定して作られたの』

なんて、なんて不憫な奴等だろう。
そう、思わずにはいられない。
それが彼女達を侮辱する思いだということはわかる。
彼女達よりも寿命が長いからこそ思うことの出来る驕りだということもわかる。
しかしそれでも。
それでもそう思わずにはいられない。

更に横島は思う。
だけどコレからは違う、と。
ヤツはもういない。
ルシオラとパピリオ。
べスパに関しては残念だったけれど、この二人の『一年』という寿命は解除された。
コレからはもう自分達と一緒に刻を過ごしていくことが出来る。
それは素直に嬉しいことだ。
だから横島は、こう思うのだ。
コレからの、未来を思って。







――――――春よ―――――――早く
―――――――やって―――――来い―――――――

―――――と。






 〜 fin 〜



(作者からのお知らせ)
 この作品は以前『夜に咲く話の華・小ネタ掲示板』に投稿したものです。
 夜華の両管理人様の承諾を得て、改めてこちらのHPに投稿させて頂きました


INDEX

inserted by FC2 system