交差する二つの世界
作:湖畔のスナフキン
第一話 −使徒・襲来− (02)
「特務機関ネルフ?」
「そう。国連直属の非公開組織。私もそこに所属しているのね。いわゆる、国際公務員ってやつ。
あなたのお父さんも同じよ」
「人類を守る立派な仕事……ってやつですか」
シンジの言葉には、どこか投げやりな思いが感じられた。
「ミサトさん、父はなぜ僕を呼んだんですか。父はもう、僕のことなんて忘れているかと思いました」
「それは──、お父さんに会って、直接聞いた方がいいわね」
「これから父のところへ行くんですよね」
「……苦手なのかな、お父さんのこと?」
「別に。面倒くさいだけです。それに会ってもギクシャクするだけなのは、分かってますから」
ミサトの運転する車はゲートをくぐり抜けると、そこで待機していたカートレインに乗って、地下へ向かっていった。
カートレインはしばらくトンネルの中を走っていたが、やがて広々とした地下空間を見下ろす場所に出ていった。
「すごい! 本物のジオフロントだ!」
(ヒューッ!)
シンジの中にいる横島も、思わずシンジにしか聞こえない口笛を吹いてしまうほど、壮大な眺めが広がっていた。
天井からは数多くのビルがぶら下がっており、眼下には広大な森と湖が広がっている。
森に囲まれた中央部付近には、ピラミッド状の建築物がそびえたっていた。
「これが私たちの秘密基地、ネルフ本部よ」
シンジと横島は、始めて見るその風景を、飽きることなく眺め続けていた。
「エヴァ初号機、回収完了!」
「パイロットは重傷。脾臓破裂の可能性があります」
苦しそうに息をする少女がストレッチャーに載せられて運ばれていく様子が、発令所のモニターに映し出されていた。
「UNもご退散か」
ネルフの制服を着た白髪の老人が、そうつぶやいた。
「碇司令。どうなさるおつもりです?」
ネルフの制服の上に白衣をはおった女性が、ネルフの長である碇に話しかけた。
「もう一度、初号機を起動させる」
「無理です! パイロットがいません。レイにはもう……」
「問題ない。たった今、予備が届いた」
碇は一つのモニターに目を向ける。
そこには、ちょうどネルフの本部の建物に入ったシンジの姿が映し出されていた。
「ミサトさん」
「なーに?」
「さっきからずいぶん歩いてますけど、まだ父の所につかないんですか?」
「えっ!?」
ビクッとした様子で、ミサトが立ち止まった。
「う、うるさいわね! あなたは黙ってついてくればいいのよ!」
ミサトは、慌てた様子を隠しきれない。
(迷ったんだな……)
(俺も同感……)
その時、シンジたちの背後にあったエレベータのドアが開いた。
エレベーターの中から出てきた女性が、二人に声をかける。
「どこへ行くの、二人とも?」
シンジとミサトは、その声のした方向を振り返る。
「遅かったわね、葛城一尉!」
ショートカットの髪を金髪に染め、制服の上に白衣を羽織った女性が、そこに立っていた。
「あ……リツコ」
「あんまり遅いから、迎えにきたわ。人でも時間もないんだから、グズグズしないの」
「ごめ〜〜ん、迷っちゃったのよ。まだ不慣れでさ」
((やっぱりそうだったのか!))
シンジと横島が、心の中で同時にツッコミを入れた。
「その子ね、サード・チルドレンって」
リツコと呼ばれた女性が、シンジに視線を向けた。
「あたしは技術一課E計画担当の赤木リツコよ。いちおう博士号はもっているわ。よろしくね」
「あ、はじめまして。碇シンジです」
「いらっしゃい、シンジ君。お父さんに会わせる前に、見せたいものがあるの」
「見せたいもの……ですか?」
リツコはシンジとミサトがエレベーターに乗り込むと、別の階へと移動するボタンを押した。
エレベーターを出ると、目の前に人工の地下水路があった。
リツコはシンジたちを地下水路に浮かんでいた小型の高速艇の座席に乗せると、自分は高速艇の運転席に座る。
(なあ、シンジ。さっきから感じていたんだが、本当は父親に会いたくないんじゃないのか?)
(……)
(無理に答えなくてもいいけど……)
気が進まない父親との面会に加え、巨大な化け物との遭遇・正体不明の組織の存在と、一人の少年の心には荷が重過ぎる出来事が、わずか数時間の間に立て続けに起きていた。
何か手助けして、シンジを支えてやる必要があると横島は感じていた。
もっとも今は、話し相手になること以外に、できることはなさそうである。
『総員第一種戦闘配置、繰り返す、総員第一種戦闘配置』
『対地迎撃戦、初号機起動用意』
スピーカーから、戦闘準備を告げるアナウンスが流れた。
「ちょっと、どういうことリツコ!?」
「初号機はB型装備のまま、現在冷却中。いつでも再起動できるわ」
「そうじゃなくて、レイにはもう無理なんじゃないの? パイロットはどうすんのよっ!」
「……」
「何考えてんのかしら。あの司令は……」
シンジたちの乗った高速艇は、地下水路を奥に向かって進んでいく。
「それで、N2地雷は使徒に効かなかったの?」
「ええ、表層部にダメージを与えただけ。依然侵攻中よ」
「ATフィールド……かしら?」
「そうね。おまけに学習能力もちゃんとあって、外部からの遠隔操作ではなく、
プログラムによって動作する一種の知的生命体と、MAGIシステムは分析しているわ」
「それって……」
「そう。エヴァと一緒よ」
(横島さん、今の会話わかりました?)
(全部はわからなかったけど、N2地雷って、さっき地上で大爆発したアレのことだろ。
あれで倒せなかったということは、使徒ってのは相当な化け物だな。
ATフィールドはよくわからないが、使徒のバリアか何かじゃないのかな)
(すごいですね、横島さんって……)
(全然すごくなんかないさ。まあ歳の割には、いろんな経験をしているけどな。それから、もう一つわかったことがある)
(何ですか?)
(あの使徒は、間違いなく生物だよ。霊波を出していた)
(霊波?)
(人間も動物も植物も、生きている存在はすべて固有の霊波動を出しているんだ。
そしてその霊波動が、あの使徒からも感じられた。あの化け物は、間違いなく生きているよ)
(何なんでしょうね、あの使徒って……)
(それは俺にもわからん)
やがてリツコは、高速艇を水路のつきあたりにある船着場に停めた。
船着場の階段を上ると、壁に開いている入り口へと誘導する。
「暗いから気をつけて」
シンジとミサトが中に入ると、リツコは部屋の入り口にあるスイッチを入れた。
「わっ!」
部屋の電気が灯ると、巨大な顔がシンジの目の前にあった。
「これは……さっき僕らを助けてくれたロボット!?」
そのロボットは、水のような赤い液体の中に、その体を浸していた。
頭部のみが水面の上に出ている。
「厳密に言うと、ロボットじゃないわ。人の造り出した究極の汎用決戦兵器。人造人間エヴァンゲリオンよ!」
リツコが、そのロボット──エヴァンゲリオン──を見つめながら、そう答えた。
「我々、人類の切り札。これはその初号機よ」
「これも……父の仕事ですか」
「そうだ」
上の方から、男性の声がした。
シンジが声が聞こえてきた方を見上げると、そこにあごひげを生やし、メガネをかけた中年の男性が立っていた。
「久しぶりだな」
「父さん!」
シンジに声をかけた男は、碇ゲンドウという名をもつ。
国連直属の非公開組織ネルフのトップであり、そして碇シンジの父親でもあった。
「シンジ、私が今から言うことをよく聞け。これにはおまえが乗るのだ。そして、使徒と戦うのだ」
「な……」
シンジが口を開きかけた時、シンジのすぐ隣にいたミサトが割り込んできた。
「待ってください、司令! レイでさえ、エヴァとシンクロするのに七ヶ月もかかったのですよ。
今日来たばかりのこの子には、無理です!」
「座っていればいい。それ以上は望まん」
「しかしっ!」
そこにリツコも口をはさんできた。
「葛城一尉! 今は使徒撃退が最優先事項よ。
そのためには誰であれ、エヴァとわずかでもシンクロ可能な人間を乗せるしか方法はないのよ!
それとも、他にいい方法でもあるの?」
「……」
ミサトはリツコの論理だった物言いの前に、沈黙を余儀なくされる。
「さ、シンジ君こっちへ来て」
しかしシンジは動かなかった。頬(が緊張のあまり、青白くなっている。
「ぼ……僕が、これに乗ってさっきの化け物と戦う……だって? 冗談だろ? そんなことできるわけないじゃないか!」
「説明を受けろ。おまえが一番適任だ。いや、他の人間には無理なのだ」
ゲンドウが威厳をおびた口調で、シンジに命令する。
「……なぜ僕なの!? 全然わかんないよっ!」
「今はわからなくていい。出撃しろ」
「嫌だっ! 僕に死ねってゆーのかよ。今までほったらかしにしてきたくせに、虫がよすぎるじゃないか!」
「おまえがやらなければ、人類全てが死滅することになる。人類の存亡が、おまえの肩にかかっているのだ」
「嫌だ! なんて言われたって嫌だよ!」
シンジはゲンドウの言葉を完全に拒絶した。よほど興奮していたのか、ハァハァと荒い息をしている。
その場に、しばしの沈黙が流れた。
「そうか……わかった。おまえなど必要ない、帰れ。人類の存亡を賭けた戦いに、臆病者(は無用だ」
その言葉を聞いたシンジは、悔しさのあまり目じりに涙を溜(めていた。
「冬月、レイを起こせ」
ゲンドウが、かたわらにあるモニターに目を向けた。
「使えるのかね?」
「死んでいるわけではない。こっちへよこせ」
「もう一度初号機のシステムを、レイに書き換えて。再起動よ」
「うっ……」
感情を激しく高ぶらせたシンジは、堪えきれなくなったのかガクリと膝をついてしまう。
その時、別の入り口から、ストレッチャーの上で横たわっている一人の少女が運ばれてきた。
その少女は、素人が見てもすぐにわかるほどの大ケガをしていた。
両腕と右目は包帯に巻かれており、左腕から点滴を受けていた。
顔には幾筋もの冷や汗が流れており、その表情はいかにも苦しげな様子である。
その少女を載せたストレッチャーは、シンジのすぐ横──ゲンドウの目の前──で止まった。
「レイ、予備が使えなくなった。もう一度だ」
「はい」
少女は返事をすると、体を起こしはじめた。
腹部にケガをしているためか、体を捻(りながら起き上がろうとする。
「くっ……」
しかもそれすらも難しいらしく、少女は半身を起こしたところで動きが止まってしまった。
「うう……」
それでも起き上がろうと必死に努力する。
その少女の表情には、苦痛を堪えている様子がありありと浮かんでいた。
ズズズ……ン!
その時、上の方から地響きのような大きな音が聞こえてきた。
「天井都市が崩れはじめたかもしれないわ!」
ミサトの推測は当たっていた。
天井都市の一部が崩壊し、その破片が本部の建物の周囲に落下していた。
ズズン!
今度は地震のような衝撃が襲ってきた。
この空間に据えつけられていた大きな照明器具が、少女のストレッチャーのすぐ脇に落下する。
「あっ!」
ガタンと音がすると、少女がストレッチャーの上から落ちてしまった。
シンジは慌(てて、少女の傍(に駆け寄ると、その体を抱きかかえる。
「しっかり!」
しかし、少女からの返事はなかった。シンジの腕の中で、苦しそうな息をするばかりである。
(こんな子が、パイロットをしていたなんて……)
「シンジ君」
ミサトがシンジに声をかけた。
「私たちは、あなたを必要としているわ。でもエヴァに乗らなければ、あなたはここでは用のない人間なのよ。
わかる? あなたが乗らなければ、傷ついたその子がまた乗ることになるのよ。
自分を情けないとは思わないの!?」
控えめにみても、ミサトの言葉はかなりキツイ口調であった。
しかし今は、使徒という正体不明の化け物と戦闘中である。気が高ぶるのも、無理はなかった。
「放っておきたまえ、葛城一尉」
ゲンドウの口調は、どこまでも冷徹であった。
「シンジ。帰るのなら、ぐずぐずしていないで、さっさと帰れ!」
「くっ……」
シンジはうめいた。今までの生涯の中で、最大の決断をしなければならない。
しかも考える時間は、まったく与えられていなかった。
「……わかったよ、父さん。乗ればいいんだろ? 僕が乗るよ」
シンジには、目の前にいる傷ついた少女を見捨てる選択はできなかった。
「シンジ君……」
「シンジ君、よく言ったわ」
ミサトとリツコ、二人の女性が、ほぼ同時にシンジに声をかけた。
「さあ、こっちよ。簡単に操縦システムを説明するわね」
リツコが、シンジをエヴァンゲリオンの登場口に誘導する。
シンジは足を進める前に、背後を振り返ってゲンドウの顔を見つめる。
「……」
しかしゲンドウは、姿を現した時とまったく同じ表情をしていた。
(僕を必要としていなかった父さんが造ったロボット……。そいつが今、僕を必要としている?
ふん、面白いじゃないか。やってやる。もう臆病者なんて、絶対に言わせるもんか!)
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