交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第ニ話 −やさしさのかたち− (01)




 ミサトの運転する車は、第三新東京市郊外のマンションの駐車場に入っていった。
 その10階建てほどの大きさのマンションは、入居者が少ないためか、最上階付近を除き灯りがほとんどついていない。

「ここはね、ネルフの職員専用のマンションだけど、ほとんど入居者がいないのよ」

 ミサトはエレベーターに乗ると、最上階のボタンを押す。

「シンジ君の荷物は、もう届いていると思うんだけど……。あっ、ここにあったわ」

 シンジの荷物らしきダンボール箱が、ミサトのマンションのドアの脇に積まれていた。

「実をいうと、私もこの街に引っ越してきたばかりなのね」

 ミサトはドアについていた電子ロックにIDカードを通して、ロックを解除した。

「さっ入って。ちょっとちらかっているけどさ」

 シンジが部屋の中に入ったが、思わずその場で立ち尽くしてしまった。
 ドアの先がダイニングキッチンになっているが、部屋の真ん中に置かれたテーブルの上は散らかったままになっており、テーブルの下も様々なゴミで埋め尽くされていた。

「ね、悪いけれど、それを冷蔵庫にしまってくれる?」

 シンジが冷蔵庫のドアを開くと、中は缶ビールで埋め尽くされていた。

(ビールばっかり。どーゆー生活してるんだ、この人?)

 シンジはリビングの隅に置かれていた、もう一つの大きな冷蔵庫に目を向けた。

「あの、こっちのでかい冷蔵庫は?」

「そっちはいいの。まだ寝ていると思うから」

「寝てる?」

 その時、冷蔵庫の下部に設けられた小さなドアが開き、中からペンギンが飛び出てきた。

「へっ!?」

 そのペンギンはシンジの目の前を駆けていくと、そのまま風呂場に飛び込み、お湯がはってある湯船につかりはじめた。

「な、なんだアレ!?」

「可愛いでしょ。彼、新種の温泉ペンギンなのよ。名前はペンペン」

「はぁ」

 シンジは、あっけに取られた表情をしていた。

「ところで、シンジ君」

「今度はなんです?」

「あたしと君が同居をはじめる上で、やっとかなきゃいけないことがあるわ」

「な、なんでしょう?」




 リビングの壁の一角に、「家事分担表」が貼り出された。
 食事・ゴミ出し・風呂洗い・洗濯など、8割近くの項目がシンジの分担で埋まっている。

「ちゃんと公平に、じゃんけんで決めたのよ〜〜」

 後日、リツコにつっこまれた時に口にした、ミサトの弁解の言葉である。

「それじゃあ、シンちゃん。ご飯にしましょ」

 テーブルの上には、レンジで温めたレトルト食品が並んでいた。

(とりあえず、食事だけは僕がやらなきゃダメだな)

 シンジは、大きなため息をついた。




 翌朝、横島が目を覚ますと、知らない天井が目に入った。

「むぅぅ〜〜」

 うなり声を上げながら体を起こし、周囲をきょろきょろと見回す。

「うん? ここはどこだ?」

 その部屋には、ベッドと衣装ダンス以外にめぼしい家具はなかった。
 部屋の片隅には、ダンボール箱が幾つか積み重ねられている。

「たしか、部屋に帰って、寝ていたはずだけどな?」

 横島はぼやきながら、その部屋を出た。

「きったないリビングだな」

 尿意をもよおしていたので、雑然とした感じのリビングルームを通過し、トイレへと向かった。

 ジョボジョボジョボ

「ふーっ」

 用を済ませたあと、洗面所で手を洗い、何気なく鏡をのぞいてみる。

「うわっ! この顔はシンジ君!」

 鏡に写っていたのは、先日憑依していたシンジの顔であった。

「あっちゃ〜〜、また来ちまったのか」

 とりあえず横島は、心の中でシンジに呼びかけた。

(シンジ、いるか?)

(う……うーん……)

(起きろ、シンジ!)

(お……おはようございます)

(俺だよ、俺。横島だよ)

(よ、横島さん!?)

(今、体の制御を渡すからな)

 ガクンと一瞬体が震えると、シンジの意識が表に出てきた。

「うわっ!」

 シンジはさっきまで半分寝惚(ねぼ)けていたが、一瞬で目が覚めた。

「よ、横島さん。戻ってきたんですか」

(何かしらないけど、またこっちに来ちまった。というわけで、またよろしくな!)

「は、はぁ……」

(ところで、ここはどこなんだ? おまえの家か?)

「いえ。ここはミサトさんの家です」

(ミサトさんって……。ああ、あの胸の大きなお姉ちゃんか)

「胸が大きいって、そんな露骨な……」

(でも、なんでシンジが、ミサトさんの家にいるんだ?)

 シンジは答えようとしたが、その前にはっと気づいた。

「横島さん、すみません。朝食つくらなきゃいけないで」

 シンジは台所に飛び込むと、近くに置いてあったエプロンを身につけて、食事の準備をはじめた。




「おっはよー、シンジ君」

 ミサトが寝床から出てきたのは、シンジが朝食を作り終えた時であった。

「あっら〜〜、もうご飯ができているじゃない。さすがシンちゃんね!」

 テーブルの上には、ご飯と豆腐のみそ汁、それに焼き魚をのせた皿が並べられていた。

「いただきま〜〜す」

 シンジとミサトが、食事をはじめた。

「ちゃんと料理ができるのね、シンちゃん」

「えっ、ええ」

「これなら夕食も期待できるかな?
 それから今日はフリーだけど、明日からこっちの学校に通ってもらうから」

「はぁ、わかりました」

「これから出勤するけど、なにかあったらここに電話をちょうだい。
 それから、これシンちゃんのIDカード。ネルフに入る時にはこれを使ってね。
 銀行のカードも兼ねているわ。仕度金が振り込まれているから、買い物もできるわよ」

 ミサトはシンジに自分の携帯の電話番号を記したメモと、ネルフのIDカードを渡した。




(……で、結局ここに居座るハメになったのか)

「ええ。他に行くあてもないですし」

 シンジは部屋の片付けをしながら、横島と会話をしていた。

(あの父親のところには行かなかったんだな。そういえば、他に家族は?)

「母さんは、十年前に事故で亡くなりました。
 今までは叔父さんのところにいたんですが、あそこにはもう戻りたくないです」

(……そうか。悪いことを聞いちまったな)

「いえ、いいんです」

 横島はエヴァの中にシンジの母がいることを知っていたが、そのことには触れなかった。
 シンジの家庭にはいろいろと事情がありそうで、話すにしても時期を見計らう必要があると感じていた。




 シンジは一時間ほどでダンボール箱の荷物を整理すると、次にリビングルームの清掃にとりかかった。
 だいぶ手間がかかったが、それでも昼までにはなんとか片付いた。

「そろそろ、お昼にしましょうか。横島さん、何か食べたいものはありますか?」

(俺が食うの?)

「一人で食事を作っても、張り合いがないんです」

(そっか、じゃあヤキソバでも頼もうかな)




 シンジは手早くヤキソバを調理し、朝に作ったみそ汁を温めなおした。
 シンジと入れ代わった横島は、ヤキソバを一口食べ、みそ汁をぐいっと飲み込んだ。

(どうです?)

 シンジが横島に、出来ぐあいをたずねた。

「……うまい」

(そ、そうですか?)

「いや、マジにうまいって。シンジがこれだけ料理できるとは思わなかったよ」

(本当ですか?)

「ああ。ひょっとして、シンジは料理が趣味とか」

(趣味ってほどでもないですけど、前から料理は自分で作っていたので)

「まさか、ヤキソバだけじゃないよな?」

(いちおう、和食で家庭料理の範疇(はんちゅう)でしたら、けっこう作れますけど)

「そっか。また今度、別のメニューを食わせてくれよな」

(はい……)

 横島は、シンジが涙ぐんでいることを感じていた。
 今は横島が表に出ているはずなのに、両目の涙腺がゆるみかけている。

「お、おい。どうしたんだ?」

(いえ……、人から()められたのが久しぶりだったんで……)

 横島は感じたままを口にしただけだったが、どこかシンジの心の琴線に触れたようであった。

「ま、まあ、人生いろいろあるよな。次も楽しみにしているよ」

 シンジの予想外の反応に、横島は驚きの色を隠せなかった。







 昼食をとったあと、シンジと横島は街に繰り出すことにした。

「そういえば、あの使徒を倒したのは、横島さんですよね?」

(ああ。シンジが途中で気を失っちまったからな。ほっとくわけにもいかないから、俺が引き継いだってわけさ)

「僕なんか、エヴァを歩かせたり走らせるのが、やっとだったんですけど」

(エヴァをうまく動かすには、コツが必要だよ。慣れるまでには、けっこう苦労するかもしれない。
 まぁ、あの場で練習する余裕はなかったから、ちょっとズルをしたけどね)

「ズルですか?」

(そう。文珠を使って、強引にシンクロしたんだ)

「文珠ってなんですか?」

(俺の能力の一つさ。必殺技みたいなもんだよ。
 けっこう応用範囲が広いんだが、まさかロボットまで動かせるとは思わなかった)

「そういえばミサトさんが、何か剣みたいなモノで使徒を倒したと言ってましたが」

(あれは霊波刀。それから、サイキック・ソーサーも使ったなあ)

(霊波刀?? サイキック・ソーサー??)

(どっちも、俺の技さ。シンクロした時にエヴァと一体となったような感覚になったから、
 普段使える技が、エヴァでもできると思ってやってみたら、ドンピシャだったのさ。
 まあ、そのうち見せてやるよ)




 二人はしばらくの間、街をぶらぶらしていた。
 横島は二十年先の都市の街並みに驚きを感じることが多かったが、シンジの方はさほど興味を示さなかった。
 シンジは日用品と台所で使う生活用品をデパートで買い揃えたが、マンションに帰って夕食の準備をはじめるまで、時間が空いてしまった。

(ヒマな時間ができちまったな、シンジ)

「他に行きたいところはありませんか?」

(行ってみたいところはいろいろあるけど、今から遠出するだけの時間もないしな。
 そうだ。あの子のところに見舞いに行かないか?)

「あの子って、誰のことですか?」

(はじめて出撃した時に、シンジの代わりに出ようとした女の子がいただろう?
 けっこうケガをしていたから、まだ入院しているんじゃないかな。
 パイロット仲間なんだから、見舞いにいっても問題ないだろう)

「で、でも、僕は一人で女の子のところに行った経験なんてないですよ」

(俺が一緒だから、一人じゃないって)

「ま、まあ、そうですけど……」

 結局、シンジは横島に押し切られてしまい、病院に見舞いにいくことにした。




 昨日のうちに、シンジは入院して入る少女の名前をミサトから聞いていた。
 シンジはつい先日まで入院していた病院に行くと、受付でネルフのIDカードを見せ、目的の病室の場所をたずねる。
 その病院はネルフの直属ということもあり、すぐに病室を教えてもらった。

 コンコン

 シンジはドアをノックした。
 そのまましばらくドアの前で待っていたが、返事がなかったので、シンジは病室のドアをそっと開けて中に入った。

「失礼します」

 その部屋は個室であった。
 部屋の中央にベッドがあり、その上でひとりの少女がスースーと小さな寝息をたてて眠っている。
 右手にギブスと額に包帯が巻かれており、少女のケガのひどさが感じられた。

(よ、横島さん、寝てますよ。いったいどうしたらいいんですか!?)

 今までの人生で、女性にほとんど触れる機会のなかったシンジは、ひどく動揺(どうよう)していた。

(まぁ慌てるな、シンジ。少し座って様子をみよう)

 そういうと横島は、ベッドの脇にあったパイプ椅子にシンジを座らせた。




 しばらくして、少女が目を覚ました。
 ゆっくりと目を開けたあと、部屋の中に人の気配を感じて、顔をそちらに向ける。

「……あなた、誰?」

 少女はいぶかしげな表情で、シンジの姿を見つめていた。

「は、はじめまして。僕は碇シンジ。君と同じエヴァのパイロットだよ」

「サード・チルドレンね」

 少女は、淡々とした口調で答えた。

「そ、そうだね。ネルフの人たちからは、そう呼ばれているよ。君も番号があるのかな?」

「私は綾波(あやなみ)レイ。ファースト・チルドレンよ。ところで、何の用なの?」

「あの、覚えているかな? 初号機の前で綾波さんがベッドから落ちたとき、僕が抱え上げたんだ。
 その時とても苦しそうな息をしていて、それから病院で綾波さんが運ばれるのを見て気になってさ、
 それでお見舞いに来たんだ」

「そうなの……」

 レイの素っ気ない返事を最後に、二人の会話は途絶えてしまった。
 言いようのない気まずさが、シンジに襲いかかってくる。
 一分ほど沈黙を続けたあと、シンジがおずおずとしながら口を開いた。

「あ、あの、邪魔だったら出ていこうか?」

「別にいてもかまわないわ」

 レイがシンジを拒絶していないことがわかると、シンジの気まずい思いが少しだけ緩和された。

「あの、ケガはどうなの。大丈夫?」

「問題ないわ」

 レイの口調には、ほとんど抑揚がなかった。
 シンジは彼女の気持ちを計りかね、困惑してしまう。

(よ、横島さん。僕はどうしたらいいんですか!)

 シンジは内心、かなり狼狽(ろうばい)していた。
 感情を表に出さないよう注意しながら、横島に手助けを求める。

(うーん、ずいぶん変わった子だな。まあ初対面だし、嫌われなければ、いいんじゃないのか?)

 かつての横島は、女性がからむと感情的になることが多かった。
 しかしその横島もいくぶん成長し、直接深い関わりがなければ、客観的な目で観察できるだけの余裕ができている。

「そ、そうだ。リンゴをもってきたんだけど、よければ食べない?」

 シンジはベッドの脇においてあったパイプ椅子に座ると、もってきたリンゴを果物ナイフで四等分し、皮をむきはじめた。

「はい」

 シンジは皮をむいたリンゴを、つまようじに刺してレイに渡した。

「リンゴ……果物の一種ね」

「??」

 シンジはレイの言葉にとまどいを覚えたが、自分もリンゴ一つ手にすると、口の中に放り込んだ。

「うん、おいしい」

 シンジがリンゴを頬張(ほおば)る様子を見て、レイもベッドから上半身を起こしてリンゴを食べはじめた。

「どう?」

「……悪くないわ」

「よかった。残った分はここに置いていくから、あとで食べるといいよ」

 シンジは買ったばかりのラップでリンゴを包むと、ベッドの脇の机の上に置いた。

「そろそろ、僕は帰るよ」

 他にやることがなくなったシンジは、病室から引き上げることにした。

「じゃあ、またね」

 シンジは荷物を手にもつと、病室をあとにした。




【あとがき】
 いただいたメールの中に、「横島が横島っぽくない」という感想がありました。
 まあ、そういう感想が出てくることは予想していたので、ヘコんだりはしてませんが、
 最近は自分でも、「うーん、なんだか横島らしくないなあ」と感じることが多くなりました。

 実は、これには理由があります。
 この作品におけるシンジと横島の関係ですが、GS原作の『誰が為に鐘はなる!』で登場した
 心眼と横島の関係を強く意識しているからです。(ワイド版コミック 5巻〜6巻を参照)

 この心眼というキャラは、横島がへっぽこGSアシスタントから一人前のGSに成長する
 上で、非常に重要な役割を果たしています。

 少しネタを明かしますが、このSSのテーマの一つは『シンジ君成長物語』です。
 本編では途中からねじれにねじれて、成長どころか最後には壊れてしまいましたが、
 そういうシンジを主人公らしく成長させるにはどうしたらよいかと考えた時に思いついたのが、
 『横島を心眼の代わりに登場させる』というアイデアでした。

 心眼は横島のバンダナに宿っています。シンジにバンダナを締めさせるのも少し変かなと
 思ったので、最初から横島を憑依させることにしました。
 また、憑依した状態では肉体がありませんので、必然的に横島の煩悩的な行動は減ります。
 さらに指南役であった心眼の役割を横島に持たせているので、必然的に横島がシンジに
 助言や指導をすることなり、原作の横島らしさが薄れてしまったようです。

 なるべく、この作品でも横島らしさを表現したいとは思いますが、基本的な横島の役割が
 上記のとおりですので、今度もこんな感じで続いていく予定です。


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