交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第ニ話 −やさしさのかたち− (02)




 シンジが第三新東京市に引越してから三日目。
 手続きが済んだので、シンジは今日からこの町の第一中学校に通うこととなった。

(学校ってところは、何年たっても変わらないもんだな)

(そうなんですか?)

(変わったところといえば、全員がノートパソコンをもっていることくらいか)

 横島が、第一中学校を一通り見物したときの感想である。

「──というわけで、人類は科学の発達とともに、爛熟(らんじゅく)した文明を謳歌(おうか)してきたわけですが、
 すべてが灰燼(かいじん)に帰すときが、やってきたわけであります。
 二十世紀最後の年、巨大隕石が南極に衝突し、これによって氷の大陸は一瞬にして溶解、
 海面の水位が二十メートルも上昇したわけであります。
 そして干ばつや洪水、火山の噴火など異常気象が世界中を(おそ)い、さらに経済恐慌をはじめ、
 民族紛争や内戦などにより、わずか半年の間に世界の人口が半分失われたのであります。
 これが世にいう『セカンドインパクト』の実態であります」

 初老の教師が授業から脱線して、かつて世界を襲った大災害『セカンドインパクト』について、雑談をはじめた。

(ふーむ、未来にはこういうことが起きていたのか。シンジもいろいろと大変だったんだなぁ)

(僕が生まれる少し前のことですから、僕自身はほとんど覚えていないんですが、
 周りの大人の人に聞くと、本当に大変だったみたいです。生き地獄さながらだったと言う人もいました)

(俺の時代の五年先だから、戻って準備をすれば、まだ何とかなるかな?)

(僕にはよくわかりませんが、過去の出来事を変えてしまうことはできるんでしょうか?)

 シンジは、自分の胸に生じた疑問を、横島に(たず)ねてみた。

(不可能じゃあないが、変えた内容によっては、時空の復元力が働くことで同じような出来事が
 再現してしまうこともある。
 例えば、何かの手段で南極への隕石落下を防いでも、別の災害が発生して、結果として人口が
 半分にまで減ってしまうこともありうるんだ)

(難しいんですね)

(逆のパターンもある。
 誰かが人為的でない力で、世界の運命を激変させるような出来事を起こそうとする。
 それが個人的な欲望によるもので、大多数の人間の意思や世界全体の流れを無視する内容であった場合、
 その動きを阻止するような力が起こることもあるんだ)

(……やっぱり、運命には逆らえないんでしょうか?)

 シンジの言葉には、わずかではあるが、(あきら)めと無気力な思いが入り混じっていた。

(そんなことはない。過去の出来事を変えることは難しくても、未来はいくらでも変えられるんだ。
 人間には自由意思があるからな)

(そうなんですか……。そうだといいんですが)

 シンジの心に、過去の様々な思いでが(よみがえ)った。
 父親の拒絶、母のいない寂しさ、誰も本当の自分を見てくれない、正面から向き合ってくれない(つら)い思い……
 シンジにできることは、これが自分の運命だと思いこみ、すべてを(あきら)めることだけであった。

(なあ、シンジ……)

 自分の殻の中に閉じこもりかけたシンジに、横島がそっと声をかけた。

(おまえにも色々と事情があるんだろうけど、あまり一人で抱え込むなよ。俺でよければ、いつでも相談に乗るから)

 シンジは少しの間、沈黙していたが、やがてコクンとうなづいた。




「ねぇねぇ、碇君。ちょっといい?」

 授業の合間の休憩時間に、クラスメートの女の子二人がシンジに話しかけてきた。

疎開(そかい)がはじまっているのに、なんで今ごろこの学校に来たの?」

「えっ? その……」

 突然話しかけられたシンジは、返事に詰まってしまう。

「やっぱり(うわさ)は本当なのね?」

(うわさ)って……」

「とぼけないでよ。君があのロボットのパイロットだって(うわさ)よ!」

「あれ、ホントなんでしょ!?」

 二人の女の子にジッと見つめられたシンジは、たじろいで固まってしまう。

「ホント……だけど……」

「「キャー、やっぱりそうなのね!」」

 突然の大声に、他のクラスメートの視線がいっせいに集まった。

「なになになに!」

「やっぱりホントだったのよ〜〜。碇君があのロボットのパイロットだったってこと!」

「スッゲー! カッコイイ!」

「しつも〜〜ん! どうやって選ばれたの?」

「テストとかあったのかしら」

 教室のあちこちに散らばっていたクラスメートたちが、どっとシンジの机の周りを取り囲んだ。

「怖くなかった?」

「必殺技とかあんのかよ?」

(必殺技か。でもあの技を使ったのは横島さんだし、僕が答えていいんだろうか?)

 シンジは立て続けに浴びせられる質問に、困惑した表情をみせていた。

「それじゃあねぇ、これだけ教えて。あの怪獣みたいなのは、いったい何なの?」

 いつまでも黙っているわけにもいかないので、一人の女子生徒の質問にシンジは答えた。

「僕もよくわからないんだ……。
 みんな『使徒』と呼んでいるけど、はっきりしたことは誰も知らないみたいだし」

「おうおう。エラソーにしとっても、なーんも知らへんのやな。パーちゃうか?」

 教室の後ろの方から、ガラの悪い関西弁で会話に割り込む声が聞こえてきた。
 シンジが声のした方を振り向くと、黒のジャージを着たやや背の高い男子生徒が、出入り口の扉に寄りかかっていた。

「あー、鈴原君! あなた何日も無断で学校を休んで──」

 ジャージの生徒に声をかけたのは、委員長の洞木ヒカリであった。
 華奢な体格をしており、おさげな髪と、(ほほ)に残ったそばかすが印象的な少女である。

「じゃかあしい! 委員長は黙っとれ!」

 しかし、黒のジャージを着た男子生徒──鈴原トウジ──は、邪魔な机を手で払いのけながら、シンジに近づいてきた。

「おい、転校生。ちょっとツラ貸せや」




 トウジは、シンジを人気の少ない体育館の裏まで引っ張っていった。
 やや背が低めのメガネをかけた男子生徒が、二人の後をおそるおそるついていく。

「えーか、転校生。よう聞けよ。ワシの妹はなぁ、今ケガして入院してんねんぞ。
 オトンもオジーも、おまえのおる研究所勤めで、看病するものはワシしかおらん。
 誰のせいやと思う?」

 トウジがシンジに向かって、ズイッとにじり寄った.

「オマエのせいや! オマエがムチャクチャ暴れたせいで、ビルの破片の下敷きになったんや!
 チヤホヤされて、ええ気になってんちゃうわ!」

「アッ……ごめん」

「なめとんのかワレ! ごめんで済むかあ!」

「おい、よせよトウジ」

 怒気をあらわにし、シンジに殴りかかろうとするトウジを、もう一人の少年が肩を(つか)んで引きとめる。

「じゃ、どうして欲しいの? 土下座しろってのならするけど」

 トウジの頭の中で、プチンと何かが切れた。

 バキッ!

 トウジの右手の拳が、シンジの(ほお)に激突する。

 ドサッ

 トウジに比べてやや小柄なシンジは、背中から地面に倒れ込んでしまった。
 驚いた表情で、もう一人のメガネをかけた少年がトウジを見つめる。

「おーし、ヤル気やな。くるんならこいや!」

「コラァ! 何やってるのよ、アンタたち!」

 そこにヒカリがやってきて、トウジを怒鳴りつけた。

「チッ、邪魔が入りよった」

 トウジはシンジに背を向けるが、一歩足を踏み出す前にシンジの方を振り返った。

「ええか、ドアホ! 今度戦う時は、足元よお見てから戦えや!」

 トウジは捨て台詞を残して、その場を去っていった。

(横島さん……助けてくれなかったんですね)

(悪いが、中坊のケンカには口を出さない主義なんだ。
 ただよく考えたら、あのトウジってヤツの妹をケガさせたのは、俺かもしれんな。
 そうだとしたら俺の代わりに殴られたわけだから、それはすまないと思うよ)




「碇……」

「冬月か」

「葛城君からの報告書は読んだか?」

「ああ」

「シンジ君は、第三使徒を倒した時の記憶がないそうだな?」

「そうだ。赤木君は、初号機が暴走したのではないかと言っている」

「だがおまえもあの映像を見ただろう? あの動きはエヴァの暴走とは思えないぞ。
 まるで……そうだな、よく訓練された兵士か、腕のたつ武道家が戦っているとしか思えん」

「だがシンジには、武道の心得はいっさいない」

「かといって、エヴァの暴走と片付けるわけにもいかん。
 猛獣が暴れるようなエヴァの暴走とは、まったく次元の異なる動きだ」

「問題ない。どのみち我々とて、初号機のすべてを分かっているわけではないのだ」

「しばらく様子を見るということか?」

「そうだ」







 学校でトウジに殴られた次の日、シンジは訓練のためにネルフ本部に足を運んだ。
 射撃訓練と戦闘シュミレーションのために、初号機のエントリープラグに乗り込んでいる。
 最初にエヴァに乗った時はYシャツに学生ズボンという服装であったが、今はシンジ専用のプラグスーツを身につけていた。

『初号機、起動完了しました。シンクロ率41.3%』

「オッケー、シンジ君。引き続き連動試験に入るわ。ATフィールドを出してくれないかしら」

 発令所から、リツコがシンジに指示を出した。

「ATフィールドですか?」

「エヴァは理論上、使徒と同じATフィールドを展開できるはずなのよ。試してもらえない?」

(本当は、第三使徒戦で見せたあの光り輝く盾がみたいんだけどね……)

 リツコは、初号機の未知の能力に対して強い関心をもっていたが、先ずは解明が進んでいるATフィールドの発生を確実にすることで、エヴァの戦力アップを計ることが重要だと判断した。

「で、でもどうやって……」

(あわ)てるな、シンジ)

 戸惑うシンジに、横島が声をかけた。無論、聞こえるのはシンジだけである。

(エヴァはパイロットのイメージどおりに動く。
 リツコさんが言っているんだから、もともとATフィールドが張れるような作りになっているんだろう。
 ATフィールドを張った状態を、イメージしてみるんだ)

 シンジは、ビデオで何度も見た使徒のATフィールドを思いおこしてみた。
 しかし、実験室の空間には何の変化も起こらない。

「やっぱり無理なんだ……」

(シンジ! 最初から疑ってちゃダメだ!
 最初からできないと思い込んでいては、いつまでたってもできない)

「でも、自信ないです」

(自分を信じろ……って言っても、無理だろうなあ)

 横島は苦笑した。
 横島自身も、かつて「この世に自分ほど信じられんものが、ほかにあるかあああっ!」というセリフを口にしたことがある。
 自分に自信がもてない場合、そういうネガティブシンキングに(おちい)りやすいことを、横島は実体験で理解していた。

(心配するな、シンジ。俺がサポートしてやるから。ダメでもともとなんだから、気楽にいこうぜ)

 横島は初号機の前方に、ATフィールドが展開されているイメージを思い描き、シンジの心に伝達した。
 シンジの脳裏に薄い赤色の八角形の壁が広がっているイメージが浮かび上がり、徐々にそれが鮮明になっていく。

 ブォン

 わずかな空気の震動が、実験室の空間を()らした。

『位相空間の発生を確認。ATフィールドです!』

 初号機の前方に、薄い赤色の壁が広がっていた。

「やったわ、シンジ君! もう一度、見せてくれない?」

 シンジはミサトの求めに応じて、もう一度試してみることにした。
 ATフィールドのイメージを消すと、初号機のATフィールドも解除される。
 その状態からもう一度、先ほどの赤い壁のイメージを強く脳裏に描いた。

 ブォン

 今度は、横島の手助けなしに、ATフィールドの展開に成功した。

(やればできるじゃないか、シンジ)

(はいっ!)

 普段、気弱な少年の顔に、喜びの表情が浮かんでいた。




「ただいまー、ミサトさん。夕食の材料を買ってきました」

 スーパーで買ってきた野菜や肉の入った袋を両手に抱えて、シンジはマンションに入った。

「ミサトさん?」

 しかし、台所にもリビングにもミサトの姿は見えなかった。
 シンジがミサトを探していると、脱衣所のアコーディオンカーテンが開けたままになっていた。
 中を(のぞ)くと、風呂場のくもりガラスに、うっすらとミサトの裸身が映し出されている。

「風呂か。まったく無防備なんだから」

(おい、シンジ!)

 横島がシンジに声をかけた。

「なんですか、横島さん?」

(ナイスバディの美女が入浴中ときたら、ヤルことは一つだろ?)

「なんです、やることって?」

(鈍いヤツだなあ。のぞきだよ、の・ぞ・き♪)

「そ、そんな! バレたら僕はこの家から追い出されちゃいます!」

(バレなきゃ、大丈夫だって)

 そのテのことに興味が無くは無いのだが、そこは内罰的なほどに自分を責める傾向のあるシンジ。
 バレたときのことを考えると、そのような行為をする勇気は、とても持てなかった。

「ダメといったらダメなんです! やりたかったら、横島さん一人でやってください!」

(そんなこといっても、体はシンジの一つしかないからなあ)

「とにかく、ダ・メ・で・す!」

 そのとき、台所のテーブルの下にいたペンペンが、買い物袋の中からビーフジャーキーを取り出すと、そのままミサトの部屋へと駆け込んでいった。

「こら、待て!」

 シンジは、ペンペンの後を追って、ミサトの部屋へと入っていった。

「まったくもう……。なんでミサトさんも、おまえみたいなのを飼っているんだろうね」

 シンジは、ペンペンからビーフジャーキーの袋を取り上げた。

「まあ、飼い主のミサトさんが、これだからなあ」

 脱いだままの靴下やジーパンなどが散乱している部屋のありさまに、シンジはミサトの部屋のため息をついた。
 部屋を片付けようと思い、何気なく部屋を見渡していると、机の上に置かれた一冊のノートがシンジの目に入った。

「なんだろ、これ……」

 シンジが手にしたノートには、『E計画 サードチルドレン監督日誌』と書かれていた。
 ノートを開いて、パラパラとページをめくってみる。

「……」

 中には、シンジが第三新東京市に来てからの行動と、それについての所感が記されていた。
 最近の出来事では、シンジがトウジに学校で殴られたことにまで触れている。

(ミサトさんも組織の人間だからな。これくらいのことは、やってても不思議じゃないさ)

「そうですよね……やっぱり僕のことも……仕事……なんだ……」




「ぷはーっ。やっぱ風呂上りのビールは最高よね♪」

 風呂から上がったミサトは、台所のテーブルでシンジと夕食をとっていた。
 ショートパンツにタンクトップと、青少年にはかなり刺激的な服装である。
 しかし、肩にタオルをかけ主食のえびちゅをゴクゴクと飲む姿は、色っぽさとはほど遠く、シンジが見てもオヤジ臭さが全開だった。

「どう。シンジ君もちょっとだけ」

「ダメに決まってるでしょ。僕は未成年なんですから」

「……相変わらず、ミもフタもない子ね」

 ミサトは空になったビールの缶を、テーブルの上においた。

「訓練の方はどう? エヴァにはだいぶ慣れてきたみたいだけど」

「まあまあです」

「ATフィールドが展開できるようになったのには、ちょっと驚いたわ。
 ただ、ちょっと注文を付けるとすれば、命令を聞いてから操作に移るのが、もう少し早ければね……」

 ミサトの言葉を聞いたシンジは、少しムッとした表情となった。

「しょうがないですよ。僕には向いていないんですから。仕事だから、しかたなく乗っているだけです」

「ちょっとぉ、しかたなくとはなによ。あなたは全人類の命を背負っているのよ。
 少しは自覚持ちなさいよ。
 そんないい加減な気持ちで乗っていたら、あっという間にあの世行きよ」

 ミサトの言葉が、やや詰問(きつもん)調に変化する。

「いいですよ、別に。僕はいつ死んだって……」

 ダンッ!

 ミサトは手にしていたビールの缶を、勢いよくテーブルの上に置いた。

「なに寝ぼけたこと言ってるの!?
 あんたはそれでいいかもしれないけどね、そんなに簡単に死んでもらっちゃあ困るのよ!
 あなたは大切なパイロットなの。もう自分一人の体じゃないんだからね!」

 ガタッ

 シンジは椅子を引いて、席を立った。

「どこ行くの、シンジ君!」

「わかりました。要は敵に勝てばいいんでしょ」

「シンジ君!」

「ごちそうさま。もう寝ます」

 シンジは台所を出て自分の部屋に入ると、次の日になるまで一歩も部屋から出なかった。



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