交差する二つの世界
作:湖畔のスナフキン
第五話 −マグマダイバー− (01)
碇シンジの朝は、同年代の少年たちと比べると、若干早いかもしれない。
ピピピピ……
午前6時。シンジの枕元に置いてある目覚し時計のベルが鳴った。
「う、うーーん」
(シンジ、起きてるか?)
「あっ、おはようございます、横島さん」
横島がこちらの世界に来ている日は横島がシンジを起こすが、そうでない日は、このまま10分ほど布団の中で格闘を続けることが多い。
(早く仕度しろよ)
「ふぁい、そうします……」
シンジは目をこすりながら、寝巻きを脱ぎ、Tシャツと短パンに着替えはじめた。
午前6時10分。シンジはマンションを出て、入り口のすぐ脇の空き地に移動した。
軽い深呼吸をして息を整えると、円を描くようにゆっくりと両手を振りながら、体全体を捻るように回し始めた。
(横島さん、いつも思うんですけど……)
(なんだ?)
呼吸に合わせて体を動かしているため、喋(ることが難しい。
シンジは心の中で、横島に話しかけた。
(太極拳の練習をしていて、本当に強くなれるんでしょうか?)
(今は基礎の段階だからな。
ボクシングなんかでも、走り込みをしたり、サンドバッグを叩いたりしながら、まず体を鍛(えるだろ?
基本がある程度できたら、次のステップを教えるから)
シンジはいったん体を止めると、腰に手を当てて息を吐きながら前に上半身を倒し、そのまま円を描くように体を起こしながら息を吸い込んだ。
体を全部起こすと、息を吐きながら同じ回転方向で体を回し、再び上半身を倒していく。
(シンジ、こうやって体を動かしていて、何か変わった感じがしてこないか?)
(そうですね。体を動かしているうちに、頭がすごく冴えてくるような気がします)
(血液の流れがよくなるから、脳に酸素が補給されて活性化するんだ)
(あと手を振っていると、なんだか手のひらのあたりで、ムズムズする感じがしてきます)
(おっ、それはいい変化だ。そのムズムズした感じがするのが“気”なんだよ)
午前6時45分。トレーニングを終えたシンジは、マンションに戻ると、エプロンをつけて台所に立った。
冷蔵庫から卵や野菜など何種類かの食材を取り出すと、弁当と朝ご飯を作りはじめる。
(今朝のメニューは、鮭の焼いたのと豆腐のみそ汁か。ほうれんそうはどっちにまわすんだ?)
「ほうれんそうはソテーにして、弁当のおかずにします。朝は生玉子か納豆で我慢してください」
(俺は関西生まれだから、納豆は苦手なんだよな。生玉子と焼のりにするよ)
午前7時30分。横島は、シンジの作った朝食を食べはじめた。
シンジは料理を作ることへのこだわりは持っているが、食べることにはさほど執着していない。
一方、横島は食うのが専門のため、横島が来ている日は横島がシンジの料理を口にすることが多かった。
(なんで横島さんは、納豆がダメなんですか?)
納豆が苦手な横島は、生卵を炊きたてのご飯にかけていた。
「あのネバネバーってしているのが、ちょっとな。感覚的に受け付けないんだ」
(トウジも、あんなネバネバした気色悪いもん食えるかって言ってました)
「全員ってわけじゃないけど、関西育ちで納豆が好きなヤツは、ほとんどいないと思うよ」
午後8時。制服に着替えたシンジは、学校に行くため玄関へと向かった。
玄関に向かう途中、ようやく寝床から這い出してきたミサトが、自分の部屋から出てきた。
寝惚(け眼(で髪の毛がボサボサなミサトの姿は、さすがの横島も引いてしまっている。
(なんつーか、何度見てもミサトさんの寝起きの姿はすごいな)
(僕はもう、見慣れちゃいました)
朝食で使った食器は、台所のシンクにそのまま置いてある。
ミサトが出勤前に洗うことになっているが、シンジが帰ってくるまで放置されていることも多かった。
「ミサトさん、いってきます」
「……いってらっしゃい、シンちゃん」
ミサトの半分寝惚(けたような声を背中で聞きながら、シンジはマンションを後にした。
「あっ、いけない。大事なことを言い忘れたわ。……ま、いいか。学校から帰ってくればわかるわよね」
その日は、なぜかアスカが学校に来ていなかった。
シンジは少しいぶかしがったが、彼女にも事情があるだろうと思い直し、先ずは目先の課題を片付けることにした。
「綾波」
昼休みにシンジは、勇気を振り絞ってレイに話しかけた。
よくよく考えたら、エヴァやネルフ以外の用事でシンジがレイに話しかけたのは、これが始めてかもしれない。
「なに?」
「あの……今日、大丈夫だよね。もし都合が悪かったら、別の日にするけど……」
今日はシンジがレイに、手料理をご馳走(することを約束した日であった。
実際に約束をしたのは横島だったが、その場の状況に流されてしまい、シンジは約束を取り消すことができなかった。
結局、横島のもくろみどおりに、レイを食事に招くことになったのである。
「問題ないわ」
「それから、肉のほかにダメなものある? 魚とか玉子は大丈夫かな」
「肉以外なら大丈夫」
「よかった。それじゃあ、また後で」
クラスメートの目が気になったシンジは、レイの傍(を離れると周囲をきょろきょろと見まわした。
幸い、ネルフ関係のことで、シンジとレイが会話を交わすことは珍しくなかったので、先ほどの二人の会話に聞き耳をたてた人は、誰もいないようだった。
放課後、シンジとレイの二人は、ミサトのマンションへと向かった。
「綾波、好きな料理は?」
「……よくわからない」
「そう……」
シンジは、冷蔵庫の中の食材を脳裏に浮かべた。
メニューにはシーフードを具に使ったパスタと、かぼちゃのポタージュスープ、そして生野菜のサラダを考えていた。
買い物は昨日のうちに済ませていた。必要な調味料も揃(えている。
何も問題はないはずであった。
「ただいま」
だが玄関を一歩入ったシンジは、今日の予定が根本から覆(されたことを知った。
(な、なんだ、このダンボール箱の山は!?)
キッチンの片隅(からリビングルームまで、多くのダンボール箱が山積みにされている。
「あ、お帰り、サード」
部屋の奥から顔を出したのは、今日学校に来ていなかったアスカだった。
「惣流!?」
「ミサトから聞いてない? 今日から私も、この家に住むことになったから」
「全然聞いてないよっ!」
「それはミサトの怠慢(ね」
「ミ、ミサトさん……」
ミサトの晩飯抜きが、この場で決定した。
「それから、なんでファーストが一緒にいるのよ?」
「碇君との約束だから」
「約束?」
「今日、一緒に食事をしようって」
「へーっ。アンタたち、そんな仲なんだ」
アスカはニヤニヤしながら、シンジとレイを見つめた。
「な、なに誤解してるんだよ。僕と綾波は、そんなんじゃないってば!」
「女の子を自分の家に連れ込んどいて? 説得力ないわね」
「べ、別に、どうだっていいだろ。そんなこと」
「それから、アンタの部屋は私が使うから、アンタの荷物を早く隣の部屋に運んでよね」
「……僕に一言も相談なしに?」
「何よ、文句あるの!」
「いったい、何なんだよ……」
シンジは小さな声で、ぶつくさとつぶやいた。
「ファースト、アンタも手伝ってちょうだい」
「嫌よ。私、関係ないもの」
レイはアスカの頼みを、あっさりと拒絶した。
次の瞬間、アスカとレイの間に緊張した空気が流れる。
(シンジ。この場はレイちゃんに帰ってもらった方が、いいんじゃないのか?)
(そ、そうですね)
二人の間に挟まってオロオロとしていたシンジに、横島が助け舟を出した。
「あ、綾波。せっかく来てもらって悪いんだけど、また日を改めた方がいいと思うんだ」
「……碇君が言うなら、そうするわ」
レイはそう返事をかえすと、そのままその場から立ち去っていった。
「ただいま〜〜。二人とも仲良くしてる?」
ミサトが帰宅した時、シンジとアスカはシーフードパスタを食べていた。
「おおおっ! 今日の晩御飯はスパゲッチーね」
「ミサトさんの分はないです」
シンジが、ぶすっとした表情で答える。
「えーーっ、どうして〜〜?」
実のところ、シンジは材料は三人分用意していたが、シンジもアスカも引越しの後片付けで普段よりエネルギーを消費しており、二人で三人分の量を食べてしまっていた。
「だって、惣流さんがこの家に来るなんて、一言もいわなかったじゃないですか」
「……ひょっとして、怒ってる?」
「当たり前です!」
バン!
シンジがテーブルを強く叩いた。
「ひどいですよ、僕に何の断りもなく!」
「ゴメンね〜〜、シンちゃん。
急に決まったことだし、今朝言おうとしたら、シンちゃんがすぐに出かけちゃったから」
ミサトは両手を顔の前で振りながら、必死に弁解に努めた。
「無駄よ、ミサト。サードはファーストとのデートを邪魔されたのを、根に持っていんだから」
「えっ!? ちょっと、アスカ。その話、詳しく聞かせて」
「ななな、なに言ってんだよ、惣流!」
「このバカサードが、ファーストを学校帰りに連れてきたのよ。
なんでも、一緒に食事をする約束をしてたんだってさ」
「もー、シンちゃんったら、隅(におけないわねっ♪」
「ミサトさん、それは大きな誤解ですっ!」
ミサトはポットのお湯をカップに注ぐと、5分待ってからふたを開けた。
そして、お湯で温めておいたレトルトカレーの封を切ると、カップの中のうどんの上にドバッとかける。
「うーん、これをやるのも久しぶりねっ」
そう言いながら、ズルズルとうどんをすすり始めた。
シンジとアスカは、あきれた顔をしながら、ミサトの食事の様子を眺めている。
「アスカ。シンちゃんの作った夕食は、どうだった?」
「まあ、悪くはなかったわね。ネルフの食堂より、ちょっとはマシかな」
「よかったわね、アスカ。これからは毎日、シンちゃんの手料理が食べられるわよん」
「毎日って……ひょっとしてミサト。アンタ料理していないの!?」
「シンちゃんが来た頃は、当番を決めて料理していたんだけどね。
けれども、しばらくしたら、シンちゃんが毎日作ってくれるようになったのよ」
「だって……ミサトさんが作る料理って、全部レトルト食品ばかりだから……」
シンジがジトッとした目つきで、ミサトの方に視線を向けた。
「や、やーね、シンちゃん。たまにはカレーとかも作ったりしたじゃない」
(あれは絶対カレーなんかじゃないよ……)
シンジは心の中で、ボソッとつぶやいた。
(シンジ……おれも同じ意見だ)
横島が、シンジの意見に賛同する。どうやら横島も、この惨禍(に遭遇(したことがあるらしい。
「ところでアスカ。あなた料理はできるの?」
「私、料理はパス。今まで料理なんてしたことないもの」
「シンちゃ〜〜ん、これからはアスカの食事もよろしくねん」
(なんだか、ミサトさんが二人に増えたみたいだ……)
シンジは心の中で、大きなため息をついた。
アスカがミサトのマンションに来た次の日、シンジはリツコの研究室に呼び出された。
「シンジ君。さっそくなんだけど、前回の使徒戦について聞きたいことがあるのよ」
リツコは、前回の使徒戦で、初号機が霊波刀とサイキック・ソーサーを出して戦っているシーンの画像を、シンジに見せた。
「この刀と盾は、初号機が第三使徒と戦った時に出したものと同じようね。
ただ以前は、シンジ君に意識がなかったみたいだけど、今回はそうではなかった。
間違いないわね?」
「はい、そうです」
この件について、リツコから事情を聞かれることはわかっていたので、どう答えるかについては、横島と話し合っていた。
「どんな感じだったの?」
「弐号機が敗退したあと、僕一人だけになって、すごく緊張したんです。
そうしたら、急に力が湧いて出てくる感じがしてきました」
「それで?」
「少しすると、両手の先に力が集まるような感覚になりました。
ふと、第三使徒戦のビデオを見た時のことを思い出して、あの時に初号機が出していた刀を、
イメージしてみたんです。
そうしたら、右腕にあの時と同じ刀が出ていました」
「盾の方は?」
「刀が出たんだから、盾も出せるんじゃないかと思って、同じようにイメージしてみたんです」
「倒した第七使徒についてなんだけど、二体に分裂したあと、お互いに補完しあっていることが
MAGIの分析でわかったわ。二体の使徒のコアを同時に攻撃しないと倒せなかったんだけど、
戦っている最中にどうしてわかったの?」
「気がついたのは、本当に偶然でした。
たまたま使徒の左手を斬った時、なぜかすぐに再生しなかったんです。
そうしたらもう片方の使徒の同じ場所を、綾波が偶然攻撃していて、それでひょっとしたらと思って、
綾波とタイミングを合わせて使徒の右肩を攻撃したら、やはり再生しませんでした。
それで、同時にコアを攻撃すれば倒せるとわかったんです」
「最後の質問だけど、あの刀と盾はまた出すことができそう?」
「わかりません。あの時は、普段とは感覚が全然違ってましたし」
「次の起動実験の時に、テストするからよろしくね。今日はご苦労さま」
ようやく解放されたシンジは、大急ぎでリツコの部屋を出ていった。
「サード! ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
リツコの尋問(から解放され、精神的に消耗していたシンジは、フラフラとしながら休憩室へと向かった。
そこで缶ジュースを飲んでいると、制服姿のアスカが来てシンジに話しかけた。
「惣流か。何の用?」
「この間の使徒戦で、またエヴァで変な技を使ったでしょ」
「その話なら、さっきもリツコさんに色々と質問されたばかりだよ」
「アンタねぇ、いいかげん本当のことを吐きなさいよ!」
アスカがシンジに、ズイッとにじり寄った。
「ご丁寧に、私が投げ飛ばされてから、あんなことをしてさ。
そんなに自分が目立ちたいわけ!? エヴァのエースは自分だって主張したいんでしょ!」
「だから知らないんだってば! あの時だって、突然ああなっただけなんだ。
自分だけ目立とうなんて、これっぽっちも考えてないよ」
カッカッカッカッ
二人が言い争っている最中、廊下に靴音を響かせながらゲンドウが二人の方に近づいてきた。
「あ……司令」
「どうだね、調子は」
「はい、順調です。次の使徒戦では、必ず勝ってみせます!」
ゲンドウの問いかけに、アスカが答えた。
「そうか、期待している」
そう言ってゲンドウがその場を離れようとした時、シンジがゲンドウに話しかけた。
「と、父さん」
「なんだ、シンジ」
ゲンドウは足を止めると、シンジの方を振り返った。
「あの、忙しいかもしれないけど、たまには少し話でも……」
「悪いが、仕事がある」
ゲンドウは踵(を返して、その場を立ち去っていく。
二人は口喧嘩(していたのも忘れ、黙ってゲンドウを見送った。
「あ、あのさ、サード……」
「惣流、悪いけど先に帰る」
シンジはポケットに手を入れ、背中を少し丸めながら、その場を立ち去っていった。
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