交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第五話 −マグマダイバー− (02)




「ただいまー」

 アスカが帰宅した時、シンジはリビングにいた。
 耳にイヤホンを付け、壁に背をもたれながらS−DATを聞いている。

「サード?」

 アスカが声をかけたが、シンジはまったく反応しなかった。
 無視されたアスカは、リビングに入るとシンジの(そば)にしゃがみこんだ。

「アンタってさ、ファザコン?」

「いきなり、何を言い出すんだよ」

 ファザコン呼ばわりされたシンジが、ようやくイヤホンを外した。

「だってそうじゃん。司令と二人で話したかったんでしょ?
 それを断られて、しょんぼりしちゃってさ」

「違うよ、ファザコンなんかじゃない」

 シンジは壁から背を離すと、ひざを丸めて前にもたれかかった。

「嫌いなんだ。なんであんなヤツが、父親なんだろうって思うくらい。でも……」

 シンジはそこで口を閉ざした。
 そして数秒間沈黙したあと、再び口を開く。

「……本当は嫌いたくない。たぶん僕は、心のどこかでそう思っているんだ」

「そーゆーのを、普通ファザコンって言うと思うんだけど」

「惣流だって、お父さんいるんだろ? そっちこそ、うまくいっているの」

「あたし、父親なんていないもん」

「えっ!?」

 シンジが、きょとんとした顔をした。

「……死んじゃったの?」

「違うわ。最初からいないの。
 精子バンクって知ってる? あたしの父親は、その精子バンクでママが買った精子の一つなの。
 あたしは、試験管の中で生まれたのよ」

「…………」

「なによ、(ほう)けた顔をして」

「あ……いや、そういう話って、映画とかでよく聞くけど、現物見るのはじめてだから」

「でね、聞いて。それがただの精子じゃないのよ。
 あたしの父親の精子を売ってたバンクは、学歴・人格ともに厳しい審査にパスした人の精子しか
 置いてないの。もちろん、それを買う女性の方も、相当な資格がいるのよ」

(どーでもいいけど、中学生の女の子が精子精子っていうかな、普通)

 シンジは半ば(あき)れながら、アスカの話を聞いていた。

「それで?」

「その中でも、最高と言われているある天才科学者の精子が、あたしの父親なんですって。
 あたしは一流の精子と一流の卵子が出会って、生まれてきたのよ。
 つまり、あたしは選ばれた人間。特別ってことなのよ」

(結局、それが言いたかったんのか)

 結果としてアスカの自慢話を聞かされる羽目になってしまい、シンジは一人苦笑した。

「でもさ、(さび)しくない? 生まれた時から、お父さんがいないなんて」

「別に」

 アスカはシンジから、そっと視線を外した。

「だって関係ないもん。父親がいようがいまいが。
 あたしは大勢の中から、エヴァのパイロットとして選ばれて。そして戦って使徒を倒して。
 それで(みな)に認めてもらえたら、最高に幸せなのよ」

(……本当に、そうなんだろうか?)

 シンジに横顔を見せながら話すアスカの表情には、どこか(かげ)りがあるように感じられた。




 リツコは、司令室の入り口にあるインターフォンに向かって話しかけた。

「赤木です」

「入りたまえ」

 リツコが司令室の中に入ると、いつものようにひじを立て、両手を前に組んで座っているゲンドウと、その後ろに立つ冬月の姿があった。

「初号機のイレギュラーの件についての報告です」

「何か新しいことがわかったかね?」

 冬月が、リツコに(たず)ねた。

「今回のイレギュラーについてですが──」

 リツコがプロジェクターに、前回の使徒戦の映像を映し出した。

「第三使徒戦の時と同じ現象が確認されました。
 前回と異なるのは、第七使徒戦ではサード・チルドレンの意識がはっきりしていたということです。
 今回は、ここに重点を置いて調査を行いました」

 リツコはコントローラーを操作し、弐号機が投げ飛ばされるシーンに切り替えた。

「弐号機が敗退して戦線を離れるまで、初号機に異常は見られませんでした。
 しかし弐号機が離脱後、初号機に変化が現れます」

 リツコは、初号機が霊波刀とサイキック・ソーサーをかまえる場面を映した。

「サード・チルドレンは、初号機だけで二体の使徒と対した時に、ひどく不安を覚えた。
 そしてその直後に、力が湧いて出てくるのを感じたと話しています」

「力?」

「はい。彼は両腕に力を感じ、その時から例の刀と盾が出せるようになったそうです。
 実際、シンクロ率を調べてみると、95%にまで上昇していたことがわかりました」

「赤木博士」

「はい」

「その時のコアの波形は?」

 ゲンドウが、リツコに質問をした。

「戦闘中にはノイズが多く発生するため細かい変化まではわかりませんが、
 コアの波形に大きな変化はありませんでした」

「見極めが難しいな」

 冬月が、小さな声でつぶやく。

「これは個人的な推測ですが、覚醒(かくせい)までには至らなかったものの、初号機パイロットの危機を感じた
 彼女が、何か行動を起こしたものと思われます。半覚醒(はんかくせい)状態と言えるかもしれません」

「そうかもしれんな。一時的にせよ彼女が覚醒(かくせい)すれば、初号機が暴走を起こす。
 そこまで至らなかったということは、覚醒(かくせい)が不十分だったと考えるべきかもしれん」

 リツコの見解に、冬月が同意する意見を述べた。

「引き続き、初号機の監視を続けることにしよう。赤木博士、ご苦労だった」

 ゲンドウからねぎらいの言葉を受けたリツコは、うっすらと微笑を浮かべながら、司令室を退出した。







 午前5時40分。タイマーにセットしたS−DATの音楽で、アスカは目を覚ました。
 眠気をこらえながらも、物音をたてないように注意しながら、服を着替える。
 そして、ベッドの中に潜りこみたい誘惑を(こら)えながら、隣の部屋の住人が起きるのをじっと待った。

 午前5時50分。アスカが引っ越してくるまで、物置だった部屋のドアが開く音が聞こえた。
 廊下を歩いていく足音が聞こえてくると、アスカはそっとドアを開けて部屋の外に出た。

 廊下から注意深くキッチンを覗くと、ちょうどトイレから水の流れる音が聞こえてきた。
 アスカは(あわ)てて頭を引っ込めて、自分の体が見えないように隠れる。
 しばらくして、玄関の方でゴソゴソと物音がすると、ドアをバタンと開ける音が聞こえてきた。




 アスカは、外に出かけたシンジを追いかけることにした。
 おそらくシンジは、エレベータを使うに違いない。
 エレベータの入り口でシンジに見つからないために、玄関の中で一分ほど待ってから行動を開始した。

(こんなに朝早く、どこに行くんだろう?)

 アスカはシンジに気づかれないために、階段を駆け下りていた。
 アスカがシンジの朝の行動を突き止めようとしたのは、実はこれが三回目である。
 最初は七時に、次は六時半に起きたが、既にシンジは起床したあとであった。
 アスカは朝は決して強くなかったが、シンジの行動を知ろうとして早起きしたのである。




 シンジの姿はすぐに見つかった。
 階段で一階まで下りて、コンフォート17の入り口で周囲をキョロキョロと見まわすと、シンジが近くの空き地で体を動かしていた。
 アスカはシンジに気づかれないよう注意しながら、建物の影に隠れて接近する。

(何やってるのかしら?)

 アスカの心に、“ラジオ体操”という言葉が浮かんできた。
 早朝に日本人の子供やお年寄りが、ラジオから流れてくる曲に合わせて体操をする習慣があるという話を聞いたことがある。
 しかし、シンジの周囲からはラジオの音楽は聞こえてこないし、シンジのする体の動きは普通の体操のようには見えなかった。

(妙な動きね)

 シンジは手や足、そして体全体を、ゆっくりとしたスピードで動かしていた。
 普通の体操と違って、一つ一つの動作が、流れるようにつながっている。
 動きそのものは奇妙に感じるが、流れるようなその動作は、(なが)めているだけでも()きることがなかった。




 三十分ほどたって、ようやくシンジはその妙な体操を止めた。
 近くの岩の上に置いてあったタオルで、顔や首に浮かんだ汗を(ぬぐ)っている。

 アスカは、シンジの様子を見ているうちに眠くなってしまい、うつらうつらしていた。
 しかし、先に自分がマンションに戻らないとシンジに怪しまれることに気がつき、(あわ)ててその場を離れた。
 そして、ミサトのマンションに戻ると、そのまま風呂場へと直行してシャワーを浴び始めた。

 ガチャリ

 シンジはドアを開けてマンションの中に入ると、汗を流すために風呂場へと向かった。
 しかし、中からシャワーの音が聞こえてきたため、台所に移動して朝食の準備をはじめる。
 しばらくしてシャワーを浴び終えたアスカが、脱衣所から出てきた。

「サード、おはよう」

「おはよう、惣流。今日は早いね」

 アスカは今起きたばかりというふりをして、シンジに声をかけた。
 そのまま朝の挨拶(あいさつ)が返ってきたところを見ると、シンジはアスカの尾行に気がついていないようである。

「朝ご飯、まだ〜〜?」

「すぐ支度するよ」

 アスカはそのままリビングへと向かったが、何もしないのは悪いと感じたのか、リビングのテーブルの上を片付けはじめた。




 学校の授業が終わったあと、アスカはネルフ本部に移動した。
 そして、初号機の起動実験が行われる第三実験場へと向かう。

「アスカ。今日はあなたの実験の予定は、入ってないけど?」

 制御室に入ったアスカに、リツコが声をかけてきた。

「見学よ。それくらいは、かまわないでしょ?」

「あら、珍しいわね。そんなにシンジ君のことが、気になるのかしら?」

 クスッと小さな笑みを一瞬浮かべると、リツコは実験の準備にとりかかった。

「シンジ君、準備はいい?」

「はい、いつでも大丈夫です」

 初号機にエントリーしたシンジが、マイクで答えた。

「それじゃあ、はじめるわよ」

 まもなく、初号機が起動する。

『初号機、起動しました』

「続いて連動実験に入るわね。シンジ君、第七使徒戦の時の刀と盾を出してみて」

 スクリーンに映ったシンジの表情が、一段と真剣なものとなった。
 アスカも固唾(かたず)を飲んで、実験の様子を見つめる。
 そしてそのまま、十数秒が経過した。

「……ダメです。うまくいきません」

 シンジの返事を聞いた技術部のスタッフの表情に、失望の色が浮かんだ。

「マヤ、初号機の状態は?」

「シンクロ率63%、ハーモニクスも正常です」

「シンジ君、なんでうまくいかないの?」

「力を感じないんです。うまく言えませんが、躍動感(やくどうかん)が感じられないというか……」

「仕方ないわね。他にもチェックしたいことがあるから、しばらく待機してちょうだい」

「わかりました」

 実験はまだ続いていたが、アスカはそこで制御室を退出した。

(アイツ、絶対何か隠してる)

 根拠はないがアスカの直感は、シンジが隠し事をしていると告げていた。
 もっとも、この場でそれを追求したところでシンジは(しら)を切るだけだろうし、下手をすればアスカに対して警戒感をもつかもしれない。

「今に見てなさい! 絶対に、動かぬ証拠を(つか)んでやるから」




 夜の9時過ぎに、シンジは帰宅した。
 一足先に帰っていたアスカは、スナック菓子を食べながらテレビを見ていた。

「ただいま」

「お帰り、サード。ミサトは?」

「ミサトさんも、もうすぐ帰ってくるって。今から晩御飯の用意をするから」

 そう言うとシンジは、エプロンを着けて台所に立った。
 そして作り置きしていたみそ汁を温めながら、フライパンで肉野菜炒めを作り始めた。




 ミサトが帰宅してきて、皆で夕飯を食べたあと、テレビを見たり雑談しながら交代で風呂に入った。
 そして11時を過ぎた頃、シンジが自分の部屋へと引き上げていった。

「ミサト、私もそろそろ寝るから」

「お休み、アスカ」

「ミサトも夜更(よふ)かしは。ほどほどにしといたら? お肌の曲がり角は、もうとっくに過ぎてるんでしょ?」

「わかってるわよ」

 そう言いながらも、えびちゅで晩酌(ばんしゃく)をしているミサトの手は止まりそうになかった。
 この様子だと、あと一時間は飲んでいるに違いない。

「お休み、ミサト」

 アスカは自分の部屋に入る前に、シンジの部屋のドアを確認した。
 ドアの隙間から灯りが漏れてこないところを見ると、どうやら既に消灯したようだ。
 アスカは自分の部屋に入ると、机に座って鉛筆を手に持ちノートを開いた。

「6時少し前に起きて、近くの空き地で変わった体操。8時に学校に出かける。
 放課後はネルフに直行して実験。9時過ぎに帰宅。
 夕食と入浴をすませ、11時に就寝か。朝をのぞけば、普通の生活よね」

 ノートにドイツ語で書きこみながら、アスカはじっと考えた。

「まあ、リツコにも隠しているみたいだから、そう簡単には尻尾を見せないか。
 こうなったら、持久戦かな」

 アスカがこの家に来た理由、それはシンジが初号機で起こしたイレギュラーを、解明するためであった。
 リツコたちと違い、エヴァの構造に詳しくないアスカは、それがパイロットの仕業であると考えている。
 シンジの生活を観察することで、秘密を解明する糸口が(つか)めると思い、アスカはミサトに同居を申し出たのである。

 アスカはノートを閉じると、寝巻きに着替えてベッドの中に入った。

(サードは全然覇気がないヤツだし、ミサトのズボラさは予想以上だったけど……)

 アスカはベッドの中で横向きになりながら、背中を丸めて目をつぶる。

(ま、アイツの作るご飯は、けっこうおいしいし……でもたまには、ハンバーグも食べたいな……)

 そんなことを考えながら、アスカは眠りの中に引きこまれていった。



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