交差する二つの世界
作:湖畔のスナフキン
第八話 −使徒、侵入− (01)
使徒戦が終わってから数日後、シンジとミサトとアスカは、三人揃って朝食をとっていた。
「そうそう、シンちゃん。今日、加持が出張から戻ってくるわよ」
その言葉を聞いたアスカが、横目でシンジを睨んだ。
アスカの強烈な視線を受けたシンジは、その場でコクコクとうなづく。
「それじゃあ、学校が終わったら本部に寄ります」
シンジは食事を終えると、学校に行く支度をするため、自分の部屋へと戻った。
「それじゃ、シンジ頼んだわよ。絶対、加持さんに直接渡してね。間違っても中を見ないでよ!」
「わかったよ」
放課後、シンジはネルフへと向かった。
シンジが途中で逃げないよう、アスカはシンジがネルフ行きのバスに乗るまで、一緒についてくる。
シンジはバスに乗って、ようやく一息ついた。
「でも、手紙を読むなと言われたら、かえって読みたくなりませんか?」
(そうだな、シンジ)
今日は横島が、こちらの世界に来ていた。
バスの中はがら空きだったので、シンジは小声で会話をする。
「でも、封を切ったら、すぐわかっちゃいますよね」
たとえアスカには直接バレなくても、加持の口からアスカに伝わる可能性はあった。
「横島さんの力で、何とかなりませんか?」
(文珠を使えば何とかなるけど、こんなことで文珠を使うのも、もったいないしな。
そうだ、シンジ。封筒を窓ガラスに押し当ててみろよ)
「こうですか?」
シンジはアスカの手紙の入った封筒を、バスの窓ガラスに押し当てた。
すると、窓の外から射す太陽の光で、封筒の中が透けて見えた。
『……私が好きなのは、加持さんだけなんです。
あの時は、暗闇の中でバカシンジが急に私に迫ってきて……
私は嫌だって言ったんだけど、シンジがむりやりしようとしただけなの。
加持さんのことだから、ミサトとは何でもなかったと思うけど、加持さんも
私のことを信じてくれるよね?
本当に私が好きなのは、加持さんだけなの。悪いのは、全部バカシンジで……』
手紙を読んでいたシンジの額(から、冷や汗が一筋流れ落ちた。
(加持さんには、手紙を見せない方がいいんじゃないのか)
「そ、そうですね」
シンジはネルフ本部に入ると、加持の部屋へと向かった。
部屋のおおよその場所は、ミサトから聞いている。
「たしか、この辺のはずだけど……」
だがシンジは、加持の部屋の近くまで来たところで、道に迷ってしまった。
誰かに道を尋ねようと周囲をきょろきょろと見回すが、あいにく誰も通路を歩いていない。
「弱ったな」
シンジがトボトボと歩き始めたとき、近くからカツカツという靴音が聞こえてきた。
しばらくその場で待っていると、通路正面のつきあたりの横合いからミサトが姿を現した。
「ミサトさ……」
シンジはミサトに呼びかけようとしたが、ミサトが固い表情をしているのに気がついた。
ミサトもシンジに気がつかず、シンジのいる通路を横切り、そのまま行ってしまった。
(シンジ、替われ)
「えっ!?」
(追うぞ、ミサトさんを)
ミサトのただならぬ様子に気がついた横島は、シンジと入れ替わった。
そしてミサトとやや距離を置きながら、ミサトの後をついていく。
コツコツコツコツ
ネルフの通路の中に、ミサトの靴音が小さく響いていた。
その目は何かを追うように、まっすぐ正面だけを向いている。
シンジはたまたま靴底の柔らかい靴を履(いており、また横島も足音をたてないように歩いていたので、ミサトには気づかれなかった。
ミサトはエレベータや階段を使って、どんどん下の階へと降りていった。
セキュリティチェックのある場所では、IDカードを使ってドアを開けていく。
横島はその場所に監視カメラがあることに気がつくと、文珠を使って姿を消し、さらに文珠で強引にドアを開けて、ミサトの後を追っていった。
ネルフ本部の最深部に位置するターミナルドグマ。
その薄暗い通路の中を、加持は一人歩いていた。
やがて加持は、あるドアの前で足を止めた。
そして懐(からネルフのIDカードを取り出し、ドアの横のカードスロットに通そうとする。
そのとき、カチャリと音がすると、加持の後頭部に何か固い物が突きつけられた。
「よ、よぉ、君か……」
加持が背後に視線を向けると、そこには銃を構えたミサトが立っていた。
「これがあなたの仕事? それともアルバイトかしら」
加持は銃をもったミサトの姿を確認すると、両腕をゆっくりと上げる。
「どっちかな」
「特務機関ネルフ・特殊監察部所属・加持リョウジ。
同時に、日本政府・内務省調査部所属・加持リョウジでもあるわけね」
「バレバレか」
「ネルフを甘く見ないで。今は私の胸の中だけに留(めておくわ。
でも、これ以上アルバイトを続けると、死ぬわよ」
ミサトは語気を強くして、加持に警告の言葉を発した。
「まだいけるさ。碇司令は、俺の正体に気づきながらも利用している。
だけど、葛城に隠し事をしていたのは、謝(るよ」
「謝(られても嬉(しくないわよ!」
「じゃあ、いいことを教えてやろう。司令やリッちゃんも、君に隠し事をしている。それがこれさ」
加持は手に持っていたIDカードを、『L.C.L PLANT:CL3 SEG』と書かれたプレートの横にあるスロットに通した。
鈍(い音がしてドアのロックが外れると、目の前のドアが上下に割れて、ゆっくりと開いていく。
ミサトは、部屋の中にあるものを見て、思わず息を呑(んだ。
そこは巨大な空洞となっており、真っ赤な色をした巨大な十字架がそびえていた。
そしてその十字架には、エヴァ程の大きさのある巨人の上半身が、磔(のまま放置されていた。
巨人の両手は、巨大なボルトで十字架に縫(い付けられており、そして顔には大きな七つ目の仮面が被(せられている。
巨人の胴体は腰のあたりまでしかなかったが、そこには人の下半身のような形状をしたものが、何本も生えていた。
「これは……エヴァ……?」
ミサトは構えていた銃を下ろすと、吸い込まれるようにして、部屋の中に足を踏(み入れた。
「いえ、まさか……」
「そう。人類補完計画、E計画、その全ての要(であり、そして始まりでもある……アダムだ」
「確かに、ネルフは私が考えているほど、甘くはないわね」
そのとき、二人の背後でカタンと音がした。
そこには、文珠の効果が消えて、元に戻ったシンジの姿があった。
「シンジ君! どうしてここにいるの!?」
ミサトが大声で、シンジに呼びかけた。
(驚(いたな。ネルフに何か秘密があるとは思っていたが、まさかこんな物まであるとはな)
横島は真剣な表情で、目の前の巨人をじっと見つめる。
だが一方のシンジは、まったく予想外の現実を突きつけられて、混乱の極(みにあった。
(父さん……父さんは、いったい何をしようとしてるんだ……。
こんな、僕の考えなどおよびもつかないもので、いったい何を……)
シンジは、加持とミサトと一緒にターミナルドグマを出た。
セントラルドグマまでたどり着いたところで、加持が手を振って二人と別れる。
シンジはミサトに送られて、マンションに戻った。
「シンジ君」
ミサトの車でコンフォート17に戻る途中、ミサトがシンジに話しかけてきた。
「わかっていると思うけど、あそこで見たことは全部忘れて」
「はい……」
未だ茫然(としていたシンジは、ミサトの言葉に素直に答えた。
「でも、加持さんのことはどうするんですか。
大人どうしのことはよくわからないけど、好きなんでしょう?」
ミサトはしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。
「好きでも、どうしようもないこともあるわ」
それからマンションに着くまで、二人は一言も話さなかった。
その頃、リツコは自分の部屋で、一人呆然としていた。
先の使徒戦で、瞬間移動をした初号機の記録の解析が、終わったところであった。
「まさか……」
初号機が落下する使徒に向かって駆けていく途中、突然姿を消したかと思うと、使徒の落下地点に出現していた。
しかし、初号機に積んであった各種センサーの記録を調べていくと、瞬間移動などなかったという結果が出たのである。
センサーの記録では、初号機の移動速度は最大で、マッハ1前後しか出ていなかった。
最初に疑ったのは、センサーの故障であった。
だがマヤに命じてセンサーをチェックしたところ、初号機に搭載されているセンサーは全て正常であった。
他の可能性について、リツコは必死に考えた。
様々な可能性を検討していく中で、ある答えが浮かび上がってきた。
(時間の進み方が、変化している!?)
時間の流れが一定でないことは、相対性理論を学んだ者にはよく知られた事実である。
物体の速度が光速に近づくほど、その物体の時間は遅くなっていく。
だが、今回の初号機に起きた出来事は、まったく逆であった。
初号機が高速で移動したにも関わらず、むしろ時間の流れは速くなっていたのである。
周囲が1秒経過する間に、初号機だけ10秒進んでいるような感じであった。
「……フフフ」
普通の科学者であれば、ありえないことと一言で切って捨てたであろう。
だがリツコは、エヴァが現在の科学の常識を、はるかに超越した存在であることを知っていた。
「本当、楽しませてくれるわね。次は何を見せてくれるのかしら。シンジ君……いえ、ユイさん」
マンションに着いたシンジは、そのまま自分の部屋に引き籠(った。
ベッドで横になりながら、S−DATから流れる音楽をずっと聞き続ける。
「横島さん」
(何だ、シンジ?)
「僕は父さんのことを嫌いでした」
(まあ、そうなんだろうなあってことは、薄々わかっていたけど)
「ずっと憎んでいたんです。母さんを死なせ、僕を捨てて」
(……)
「でも、ここに呼ばれて、はじめてエヴァに乗った日から、いつかは父さんに認められたいと願う
気持ちが、心のどこかで芽生えていました」
(そうか)
「でも、それは無理な願いだったんです。
父さんは、僕がどんなに手を伸ばしても、決して届かない遠い所にいるんですから……」
横島はしばらく考え込んでいたが、やがてシンジに話しかけた。
(いや。それはちょっと違うぞ、シンジ)
「何が違うんですか?」
(シンジの親父は、たしかに俺たちの手の届かないところにいるかもしれない。
けれどもこっちだって、向こうから見たらそうなんだ。俺のことがバレない限りな)
「それは、そうかもしれませんが……」
(ネルフが謎や秘密だらけだってことは、前に話したよな。
その隠された秘密の一端がわかっただけでも、大きな収穫だ。
こうなったら、本腰入れて調べていくしかないな)
シンジは上半身を起こすと、膝(をかかえて背中を丸めた姿勢で座った。
「でも、僕には無理です」
(わかってるって。無理なことは頼まないよ。ついでに言うなら、俺一人でも無理だ)
「そうなんですか? 横島さんなら、何とかなるんじゃないんですか?」
(人には、得手不得手ってものがあるんだよ。
スパイの仕事もした経験があるけど、まあお世辞にも褒(められた内容じゃなかったしな。
だから、助っ人を頼もうかと思ってる)
「横島さんって、スパイもしたことがあるんですか!?」
横島の話を聞いたシンジは、目を丸くしていた。
横島の多芸さぶりには今までにも何度も驚(かされていたが、まさかスパイの経験まであるとは、思ってもみなかった。
(まあ、そこにはあまり触(れないで欲しいな。思い出したくない記憶ってのも、けっこうあるから)
「す、すみません。ところで、助っ人って誰なんですか?」
(今度、向こうに行ったときに、教えてやるよ)
翌日は、午前中からシンクロテストの予定が入っていた。
シンジは学校には行かず、マンションから直接ネルフへと向かった。
「どうしたのかしら、シンジ君? このところ、順調に上がっていたのに」
シンジたちチルドレンは、テストプラグでエヴァとシンクロしていた。
だが、レイとアスカがいつもどおりの結果を出すのに比べ、シンジは極端にシンクロ率が低下していた。
(無理もないわね。あんなモノを見せられたあとじゃ……)
リツコの横でミサトが、心配そうな様子でシンジの映るモニターを見つめていた。
「OK。三人とも上がっていいわ」
シンジはパイロット控え室に入ると、カーテンで仕切られた場所でプラグスーツを脱ぎ、学生服に着替えた。
シンジは着替えたあともその場所を出ずに、椅子(に座ったまま一人で物思いにふけっていた。
「碇君」
レイが、出入り口のカーテンを開けて、中に入ってきた。
「どうかしたの?」
「え?」
シンジはレイの声に反応すると、自分に近づいてきたレイに視線を向けた。
「元気、ないみたいだから」
「そうかな……いや、そうかもしれない」
シンジはレイの顔から視線を外すと、軽く顔をうつむかせながら、ポツリポツリと語り始めた。
「綾波の言ったとおり、父さんと話をしてみようと思ったけど……ダメだった。
たぶん僕と父さんは、二度と話し合うなんてことは、ないと思う」
「……そう」
その時、シャッという音とともに、出入り口のカーテンが大きく開いた。
「二人で仲良くお話中に悪いんですけど〜〜」
会話に割って入ってきたのは、アスカだった。
アスカの声を聞いたシンジは、急に渋(い表情になる。
「ちょっと! あからさまに嫌な顔をしないでよ」
「な、何の用だよ」
「加持さんにちゃんと誤解を解いてくれたでしょうね。手紙、ちゃんと渡してくれた!?」
「ああ、あれね……」
シンジはカバンから手紙を取り出すと、アスカの前に差し出した。
「返す。自分で渡してよ。自分で蒔(いた種なんだから」
「ちょっと! なによ、それ!」
「先に帰る。じゃあね」
「シンジ!」
シンジはカバンを肩にかけると、一人で控え室を出て行った。
「なに……その手紙?」
二人の会話を黙って聞いていたレイが、ボソッとした口調でアスカに尋(ねた。
「うるわいわねっ! アンタには全然関係ないわよ!」
アスカはシンジへの怒(りをレイに向けたが、レイは「そう」と言って、軽く受け流した。
ネルフを出たシンジは、第三新東京市の繁華街(へと向かった。
(もうよそう。父さんのことを考えるのは……)
シンジが父親への想いをめぐらせながら、大通りを歩いていたとき、クラクションの音で呼び止められた。
「どうした? ぼんやり歩いていると、車に轢(かれるぞ」
シンジを呼び止めたのは、加持だった。
やや古めかしい感じのオープンスポーツカーに乗っている。
「加持さん……」
「帰るんだろ。送ってくよ」
「でも……」
シンジは遠慮したが、加持は引かなかった。
「ハハハ。そんなに警戒しなくていいって。いいから乗りなよ」
加持は手を伸ばして、助手席のドアを開けた。
「君と少し話もしたいしね」
その言葉を聞いたシンジは、加持の車の助手席に乗り込んだ。
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