交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第九話 −死に至る病、そして− (03)




 シンジは、古びた電車に乗っていた。
 その電車の床は木製で、シートもかなり固めである。
 シンジの向いの席に顔をうつむかせた少年が座っていたが、その少年以外に乗客は誰もいなかった。

「君は誰?」

「碇シンジ」

「それは僕だ」

 少年が顔を上げる。その少年は、小学生の頃のシンジと同じ顔をしていた。

「僕は君だよ。人は自分の中に、もう一人の自分を持っている。
 自分というのは常に、二人でできているものさ」

 そう言うと少年は、しばらくの間シンジの顔をじっと見つめた。

「逃げているんだね」

 少年がつぶやいた。

「何のこと?」

「他人と向き合うことからさ」

 思いがけない少年の言葉に、シンジは返答に詰まってしまう。

「頼まれてもいないのに同居人の食事を作ったり、顔見知りの女の子の部屋を掃除したりしてるね。
 本当は、彼女たちと正面から向き合うのが、(こわ)いだけなのに」

「仕方ないじゃないか。(いや)なことは嫌なんだ」

「違うだろ。人に(きら)われたくないから、そうしているんだ」

 その少年の言葉に、シンジははっと目を見開いた。

「僕が誰かのために何かをすれば、その間は安心していられる。それのどこが悪いのさ」

「正直に相手に言ったらどうなの? 僕を嫌いにならないでって」

「……今まで(いや)なことばかりだったんだ。だから、(きら)われたくないんだ。
 僕はただ、少しでも楽しく生きていたいだけなのに」

「見たくないことに目をつぶり、耳を(ふさ)いでいただけだろ?」

「じゃあ、どうすればいいって言うのさ!」

 少年の言葉に反発したシンジは、思わず少年に食ってかかってしまう。

「その答えは、君の(みちび)き手が知ってるよ」

「導き手?」

 シンジが少年に問い返す。

「そう、導き手さ。君には導き手が与えられている。
 君を解放し、そしてこの世界を救うための導き手がね」

 少年が座っていた席から、すっと立ち上がった。

「人を完全に理解するのは難しいけど、たとえ理解できなくても信じることはできる。
 このことを絶対に、忘れちゃ駄目だよ……」




 シンジが目をさますと、目の前が赤く染まっていた。
 さらに、口の中にザラザラとした不快感を感じる。

「LCLが(にご)っている。浄化能力が落ちているんだ!」

 (あわ)てたシンジは、エントリープラグのハッチのレバーを、ガタガタと引っ張った。

(ん? ここはどこだ? なんか生臭(なまぐさ)いし、それに血の味がするぞ)

 シンジの頭の中に、どこかで聞いた声が(ひび)いた。
 その声を聞いたシンジは、表情がパァッと明るくなる。

「横島さん!」




 状況をシンジから聞いた横島は、入れ替わって表に出ると、文珠でエヴァの電力を回復させた。

「ふーっ、これで一安心だな」

(でも、これからどうしましょう?)

「もう少し、詳しい情報が知りたいな。通信鬼が無いから、文珠を使うか」

 横島は『念』『話』の文珠を作り、発動させる。

「おーい、ヒャクメ。聞こえるかー」

「聞こえるのね〜〜。ところで横島さん。いったい今、どこにいるの?」

「今はエヴァの中。精神だけこっちに来たんだけど、今の詳しい状況を教えて欲しいんだ」

「了解なのね〜〜」

 横島はヒャクメから、詳しい状況説明を聞いた。

「虚数空間か。また厄介(やっかい)な場所に、引きずりこまれたもんだな」

(どうするんですか、横島さん!)

「まずは、ここから脱出するか。ヒャクメ、どうやったら外に出れる?」

「近くに実空間へつながる空間の裂け目があるはずだから、その場所を文珠で探せば、脱出は
 可能なのね〜〜」

「よし、わかった」

 横島は『探』『査』の文珠を生成し、周囲の空間を調べ始める。

「ところで、横島さん」

「なんだ、ヒャクメ?」

「もうすぐ、リツコさんの初号機サルベージ計画が実行されるわ」

「それで?」

「虚数空間に、ありったけのN2が投下されるから、脱出するなら早くした方がいいのね〜〜」

「そういうことは、早く言えって!」

 ありったけのN2という言葉を聞いた横島は、一瞬顔が真っ青になってしまった。






 リツコとミサトは、指揮車の中で作戦の開始時刻を待っていた。

『エントリープラグの予備電源、理論値ではそろそろ限界です』

『プラグスーツの生命維持システムも、危険域に入ります』

 オペレーターの日向とマヤが、二人に報告した。

「時間を十分早めましょう。シンジ君の生きている可能性が、まだある内に」

 リツコのその言葉に、ミサトは素直にうなづいた。

『エヴァ両機、作戦位置に着きました』

『ATフィールド発生準備よし』

『N2爆雷、投下60秒前』

 そのとき、初号機を飲み込んだ使徒の黒い影の中央が、前触れもなくググッと持ち上がる。

「ちょっと……何が起きたのよ!」

 やがて盛り上がった箇所が()け、そこから初号機の手が突き出された。

「あれは……」

「シンジ君!」

 まるで水の中から浮き上がるように、初号機の腕が、頭が、胴体が、影の中から出てきた。
 そして、初号機の全身が空中にフワッと浮き上がると、影の外の地面に着地をする。

「ちょっと、通信できないの!?」

「ダメです! 初号機に回線がつながりません!」

 (つか)みかからんばかりの勢いを見せるミサトに、日向が急いで答えた。




「このまま、こっちの空間に、使徒を引きずり出してやる!」

 横島は『実』『体』『化』の文珠を作ると、使徒の影に向かって投げつけた。




『使徒の反応消失……いえ、空中にいます!』

 地面に広がっていた使徒の影が消失し、使徒のパターンが空中に浮いている方に移った。

『初号機の腕に強固な相転移空間の反応を確認! 収束します!』

 初号機は両手を組んで頭上に上げると、身長の数倍の長さの霊波刀を出現させた。

『初号機、動きました!』

 初号機が巨大な霊波刀を、思い切り振り下ろした。
 その軸線上にあった使徒の体に、スッと赤い線が入る。
 次の瞬間、使徒の体から赤い血がドバッと()き出た。

「うそ……」

 弐号機に乗っていたアスカは、少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
 アスカが見守る中、シャワーのように噴き出る使徒の血が、みるみるうちに初号機の全身を真っ赤に染め上げていく。

「私、こんなものに乗っているの……!?」

 夜が開け、太陽の光が初号機を照らし出した。
 朝日の中、使徒の血を全身に浴びて立つ初号機は、文字どおり鬼神(きしん)のような姿をしていた。

(エヴァが、ただの第一使徒のコピーでないのはわかる。
 でもネルフは、使徒すべてを倒した後、エヴァをいったいどうするつもりなの……)

 ミサトは(くちびる)をキッと結んだまま、使徒が惨殺(ざんさつ)される様子を(なが)めていた。

『パターン青、消滅。使徒の殲滅を確認しました』

 沈黙が続く中、使徒殲滅(せんめつ)を告げる青葉の声が、指揮車の中に静かに響き渡った。




 弐号機の手により、初号機のエントリープラグが外され、地面に置かれた。
 指揮車から出たミサトは、初号機のエントリープラグに向かって、全力で走っていく。

「シンジ君!」

 エントリープラグの中のLCLを強制排出すると、ミサトはハッチを開けて中に飛び込んだ。
 そのままシートに横たわるシンジに、ギュッと()きつく。

「み、ミサトさん!」

 このとき、表に出ていたのは横島だった。
 ミサトの胸の弾力を感じた横島は、心の中でラッキーと叫んだが、首筋にミサトの涙を感じると、自分が場違いな思いをしていることに気がついた。

(シンジ。すまん、替わってくれ)

(よ、横島さん!)

 突然入れ替わったシンジは、内心かなり(あわ)てていたが、自分を包み込むようなミサトの温かさに気がつくと、そのまま相手の好意に甘えることにした。

(しか)るんじゃなかったの?」

 ふと気がつくと、エントリープラグの入り口に立っていたアスカが、シンジとミサトの姿を半分(あき)れたような目で見ていた。




 回収されケイジに格納された初号機は、使徒の血の汚れを落とすため、全身を水で洗浄されていた。

「私は今日ほど、エヴァが恐いと思ったことはありません」

 その初号機をリツコとゲンドウが、アンビリカル・ブリッジから見上げている。

「初号機のイレギュラーは、いつものことだろう」

 軽くうつむいたリツコに、ゲンドウが声をかけた。

「シンジは覚えているのか?」

「いえ。虚数空間から出てきた時のことは、何も覚えていないそうです」

「暴走か?」

「はい、おそらくは……」

 リツコは、歯切れの悪い返答をした。
 本当に暴走した時のエヴァの動きと、やはり違っていたからである。
 もっとも、ゲンドウもそう思っていたらしく、それ以上この話には触れなかった。

「葛城三佐、何か気づいているようです」

「そうか。だが今は放っておいていい」

 リツコは視線を上げると、汚れが落ちたエヴァの顔を見つめた。

「シンジ君やレイ、そしてアスカがエヴァの秘密を知ったら、きっと許してもらえないでしょうね」

 リツコのその言葉に、ゲンドウは何も答えなかった。




 シンジはエントリープラグから出ると、そのまま病院へと向かった。
 体中にべとついたLCLが気持ち悪かったので、先にシャワーを浴びてLCLを落とす。
 そして簡単なメディカルチェックを受けた後、病院のベッドで昼過ぎまで眠った。

「おはよう、碇君」

 シンジが目を覚ますと、一中の制服を着たレイがベッドの脇に座っていた。

「今日はもう、ゆっくり休んでて。後は私たちで処理するわ」

「うん、ありがとう」

「お(なか)()いてない?」

「そうだね」

「食事、もってくるわ」

 レイは病室を出ていった。

(ふわぁ〜〜。よく寝た)

「あれ? いたんですか、横島さん」

(いたら悪いのか?)

「そ、そんなことはないです」

(そーだよなー。気になるレイちゃんとお話ししてるのに、俺がいたらお邪魔だもんな)

「ち、ち、違いますって!」

 シンジはベッドの上で、一人でじたばたとしていた。

(それはそうとして、シンジ、もう一人見舞いにきたぞ)

 シンジが病室の出入り口に目を向けると、ドアのガラス越しに紅い髪の毛がちらちらと見えた。

「アスカ。入ってきてもいいよ」

 シンジがドアの外に声をかけると、アスカが病室の中に入ってきた。
 アスカはズンズンとした歩調でベッドに近づくと、仁王立ちの姿勢でベッドの脇に立った。

「シンジ!」

「なに、アスカ?」

「そ、その、昨日は悪かったわ!」

 アスカは胸を張り、顔を横に向けつつも、シンジに謝罪の言葉を述べた。

「いいんだ。昨日は僕も、調子に乗りすぎてたからね」

「わ、わかればいいのよ」

 そう言うとアスカは、もってきたビニール袋の中から、缶コーヒーと調理パンを取り出した。

「お腹、減ってるんじゃないかと思って、売店で買ってきたわ」

「ありがとう。でも、今綾波が……」

 そのときレイが、食事を()せたトレイをもって、病室の中に入ってきた。

「碇君、お昼ご飯」

「ありがとう、綾波」

 レイはベッドを挟んでアスカと反対側の位置にくると、食事の載ったトレイをベッドの上に置いた。

「はい、シンジ。(のど)(かわ)いてるでしょ?」

 アスカは缶コーヒーのプルタブを引き、シンジに手渡した。

「碇君。間食ばかりしてはいけないと、赤木博士も言ってたわ」

 レイは、アスカが持っているパンと缶コーヒーをちらちらと見ながら、シンジに話しかける。

「お腹空いてるんでしょ。いっぱい食べたらいいじゃない」

「病院食は、きちんと栄養管理されているから、健康にいいわ」

 ベッドの両側から(せま)るレイとアスカに、シンジはあたふたとしてしまう。

(フッ。男として、うらやむべき状況だな)

(横島さん! ケンスケみたいなことを、言わないでください!)

 横島のツッコミに反発しながらも、今までの人生で始めての体験に、シンジはただ(あわ)てるばかりであった。



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