交差する二つの世界
作:湖畔のスナフキン
第十話 −四人目の適格者− (04)
「シンジ、遠慮せんと上がってくれや」
「おじゃまします」
トウジの家に入ったシンジは、部屋の電気が消えていて人気がないことに気がついた。
「今日はトウジ一人?」
「そや。ナツミは友達の家に遊びにいっとるからな」
リビングに通されたシンジは、カレーのにおいがすることに気がついた。
「今日のご飯、カレーなの?」
「ワイの特製やで。ぎょうさん作ってあるから、シンジも食べてってや」
「え、でも大丈夫?」
「大鍋いっぱいあるから、大丈夫や」
トウジが台所でカレーを温めている間、シンジはリビングでテレビを見ていた。
台所とリビングの間の引き戸を開けておいたので、学校の話題や好きなゲームの話で一時盛り上がる。
その後、温めたカレーを皿によそったご飯にかけて、二人で少し早めの夕食を食べた。
「けっこういけたやろ、ワイのオリジナルカレー」
「あまり辛くないけど、けっこうおいしかったよ」
「妹が辛いのが苦手やからな。辛さをわざと抑(えとるんや」
トウジが作ったカレーは、辛さを抑えつつも、複雑な味わいをしているのが特徴だった。
一般家庭で食べるには、十分なレベルに達している。
「まさか、話ってカレーの感想のことじゃないよね」
「さあな」
トウジは空になった皿を、台所に持っていった。
「トウジ、片付けるの僕も手伝うよ」
トウジとシンジは、台所のシンクの前に並んで立ち、二人で皿を洗い始めた。
「あんた、家の人が心配しとるんとちゃうの? 連絡もなしに、あまり遅くまでおったらあかんよ」
夕食の途中に帰宅したトウジの祖父が、シンジに声をかける。
「はい。これ洗ったら、家に帰ります」
食事の後片付けを終えたシンジは、家に帰ることにした。
「もうそろそろミサトさんも帰ってくるし、あまり心配させると悪いから」
「遅くまで引き止めて、悪かったな」
「それじゃあ、また明日学校で」
「あ、ああ」
トウジは玄関からシンジを見送っていたが、シンジが下に下りる階段に近づいたとき、ダダダッと駆け寄った。
「シンジ!」
トウジは階段を下りようとしたシンジの肩を、ガッチリと掴(んだ。
「トウジ、どうしたんだよ」
驚(いたしたシンジが、あわてて背後を振り返る。
「あ、あのな……初めてエヴァンゲリオンに乗ったとき、どないやった?」
「えっ?」
トウジの予想外の質問に、シンジはすぐに返事をすることができなかった。
「どんな感じやった? 怖(かったか?」
「なんで、そんなことを聞くんだよ」
「ワイ……昨日な、ネルフの人来て、パイロットになれ言われたんや」
追い討ちをかけるようにして、トウジが衝撃の告白をした。
衝撃を受けたシンジは、その場で顔色を失ってしまう。
「ナツミはな、ワイと違って頭ええんや。
エヴァのパイロットやるんやったら、妹に私立中学への推薦(と奨学金(を出してくれるゆうねん。
ワイの家も楽とちゃうし……ほんで、ワイ引き受けてしもうた」
トウジがすがるようにして、シンジの袖を掴んだ。
「ワイ、ごっつ怖いんや。最初は大したことあらへんと自分に言い聞かせとったんやけど……
見てみ。手が震えとる」
トウジは片手でシンジの袖にすがりながら、膝をコンクリートの床につけていた。
もう片方の手が、シンジの目の前で細かく震えている。
「大丈夫……だよ」
シンジは脅(えているトウジを慰めるようと、そっと声をかけた。
「心配いらないよ。最初は怖いけど、すぐに慣れる。
確かに直接戦うのは僕らだけど、スタッフが全力でバックアップしてくれるし。
それに、案外エヴァの中は安全なんだ」
シンジは膝(をつくと、うなだれているトウジに顔を近づけた。
「トウジなら大丈夫。ちゃんとできるって。僕がやってるくらいなんだから」
「すまん……すまんかったな」
トウジの目から、涙(がポツリポツリと零(れ落ちた。
「ワイ、シンジの気持ちも知らんとエラそうに殴(ったりして。ホンマにすまんかった……」
シンジが見守る目の前で、トウジは大泣きに泣いていた。
翌朝、ミサトはネルフ士官の正装を着て、部屋から出てきた。
ミサトが松代(に出張することは、シンジは昨夜のうちに聞いている。
「じゃあ、四日ほど留守にするけど、よろしくね。何かあったら、加持に連絡してね」
「はい」
「アスカもね、わかった?」
シンジは、既に学校に出かける準備を済ませていたが、アスカはまだ部屋から出てきていなかった。
ミサトはアスカに聞こえるように、大きな声で呼びかける。
だがアスカは、ふすまを開けて部屋から顔を出してミサトをジロッと睨(むと、すぐに部屋の中に引っ込んだ。
「何なの、あれ? 昨夜遅く帰ってきてから、ずっとあの調子なのね」
「さ、さあ?」
そのまま玄関のドアへと向かうミサトを、シンジが呼び止めた。
「ミサトさん……どうして、トウジなんですか?」
ミサトはフォース・チルドレンがトウジに決まったことを、シンジに話していなかった。
戸惑(ったミサトは一瞬表情を強張(らせたが、すぐに肩の力を抜き、ため息をついた。
「決まってしまったことを、とやかく言っても仕方がないわ。
彼も快(く、引き受けてくれたことだし」
心配そうな表情をするシンジの肩を、ミサトがポンと叩(いた。
「今回はただの起動実験だけだし、あたしもリツコもついているから、そんなに心配しないで。
それじゃ、行ってくるわ」
同時刻、エヴァンゲリオン三号機を輸送しているウィングキャリアが、太平洋上空を飛行していた。
『エクタ64よりネオパン400。前方航路上に、積乱雲を確認』
『ネオパン400確認。積乱雲の気圧状態、問題なし。航路変更せず、到着時刻を遵守(せよ』
黒の装甲板を着けたエヴァンゲリオン三号機は、十字架に似た形状の台座に固定されていた。
その姿は、あたかも磔(にされた咎人(のようであった。
ヒカリはいつもより早く家を出たが、直接学校には向かわなかった。
寄り道をしてトウジのマンションまで来ると、入り口のところで大きく深呼吸する。
「ヒカリ、行くわよ」
ヒカリは決心してマンションの階段を上がろうとしたが、誰かが階段を下りてくるのに気がつくと、あわてて建物の陰(に隠れた。
「イインチョ?」
階段を下りてきたのはトウジだった。
「お、おはよう。鈴原」
「なんでそんなとこに隠れとんのや?」
「昨日、学校休んだでしょ? 委員長として気になったから……」
「そりゃ、ご苦労なこっちゃな」
「それに……」
ヒカリが大事な用件を伝えようとしたとき、ふとトウジが肩にかけたかばんが、いつもよりずっと大きな物であることに気がついた。
「どうしたの、その荷物? どっか行くの?」
「イインチョ、悪い。ワイ、急いどんのや」
「あ……」
トウジがヒカリの横をすっと過ぎ去った。
声をかけるタイミングを外されたヒカリは、その場で困惑(してしまう。
「イインチョ」
たがトウジは、数歩進んだところで、背後を振り返った。
「ワイ、2・3日学校休むけど、帰ってきたらイインチョにも話すわ」
「う、うん」
「ワイら今まで鼻つき合わすとケンカばっかやったけど、帰ってきたらもう少し仲良うしようや」
淡々(とした口調で話すトウジの表情は、いつになく落ち着いたものだった。
初めて見る大人びたトウジの表情に、ヒカリは思わず赤面してしまう。
「それじゃ、行ってくるわ」
「待って、鈴原!」
ヒカリはトウジに駆け寄ると、自分のかばんを開けた。
「なんや、イインチョ?」
「これ、持ってって」
ヒカリがトウジに差し出したのは、ハンカチで包(んだ弁当箱だった。
「鈴原、残飯(処理に協力してくれるって約束してたでしょ!? 余らせると腐(っちゃうのよ」
「あ……悪い。そういう約束しとったっけな」
「空の弁当箱は、今度、学校来たときに返してくれればいいから」
「おおきに、イインチョ」
「鈴原、気をつけて行ってきてね!」
ヒカリが背後から見守る中、トウジは学校とは別の方角に向かって、駆け出していった。
「なんか、全員で仕事に出かけるの久しぶりッスね」
「横島クンが、いつもいないだけじゃない」
「そうッスね。最近、妙神山にばかり行ってたもので」
美神が運転する四人乗りのポルシェ・カブリオレが、関越高速から上越信道に入り、長野方面へと向かっていた。
乗っているのは、美神・横島・おキヌ・シロ・タマモの五名だが、車が四人乗りのため、タマモは狐の姿に戻って後部座席のシロの隣に座っている。
「でも、旅館の除霊に、フルメンバーで出かける必要があるんですか?」
「バッカねー。最近、横島クンが忙(しそうだから、こうして息抜きできる仕事を入れたのよ」
「そうですよ。仕事が終わったら、みんなで温泉入りましょうね」
後部座席から、おキヌが話しかけてきた。
ちなみに、出かける時間が早かったせいか、シロとタマモは熟睡中である。
「なぬっ!? お、温泉だって!」
「今日はお客さんがいないから、私たちで貸切よ。スケジュールの都合で、宿泊はできないけどね」
「おいしい食事も出してくれるそうですから、お仕事頑張りましょうね」
「よっしゃあっ! なんかヤル気が湧いてきたぞ!」
助手席で子供のようにはしゃぐ横島を見て、美神がクスッと笑った。
午前中のうちに、トウジは松代にあるネルフの第二実験場に到着した。
『三号機起動実験、マイナス90分前です』
『主電源問題なし』
『第二アポトーシス問題なし』
『各部冷却システム順調』
『左腕圧着ロック固定終了』
『エヴァ初号機とのデータリンク問題なし』
『Bチーム作業開始してください』
『了解』
制御室のドアが開くと、ミサトが部屋の中に入ってきた。
「思ったより順調そうね」
ミサトが、起動実験の準備をしていたリツコに話しかけた。
ミサトは先ほど到着したばかりだが、リツコは昨日のうちから松代入りして作業を指揮している。
「これだと、即実戦も可能だわ」
「ふうん。そう、よかったわね」
「気の無い返事ね。この機体も納入されれば、あなたの直轄(部隊に配属されるのよ」
「エヴァを四機も独占か……」
ミサトは腕組みすると、制御室のスクリーンに映っている三号機をじっと見つめた。
「その気になれば、世界を滅ぼせるわね」
そのとき、制御室にある電話が鳴った。
近くにいたリツコが、受話器を取り上げる。
「私よ。ええ、そう。わかったわ」
リツコは電話を切ると、ミサトに用件を伝えた。
「フォース・チルドレンが到着したそうよ」
「わかったわ。迎えに行ってくるわね」
美神の運転する車は、上越信道の佐久ICで高速道路から降りて、依頼元の旅館に向かった。
到着してすぐに仕事を開始し、一時間もしないうちに、旅館に巣食っていた悪霊を除霊した。
「ふーっ。いい湯だなあ」
午前中のうちに仕事が終わったので、横島は昼食前に一風呂浴びることにした。
今日は宿泊客が誰もいないので、露天の大浴場に入っているのは横島一人である。
「せんせーーっ!」
脱衣所の引き戸がガラリと開き、すごい勢い駆け寄ってきたシロが、ざぶんと風呂に飛び込んできた。
シロは横島の目の前に飛び込んだため、横島は水しぶきをもろにかぶってしまう。
「ぶわっ! な、なにするんだ、シロ! つーか、ここ男湯だぞ」
「先生、知らなかったでござるか? ここ混浴でござるよ」
「な、なんですとーーっ!」
「でも、恥(ずかしいから、水着を着てきたでござる」
シロはベージュ色をしたセパレートの水着を、横島に見せた。
「へー。なかなかの場所じゃない」
続いて白いワンピースの水着を着たタマモが、脱衣所から出てくる。
「温泉に水着は反則って気もするが……まあ、おまえらだけならいいか」
横島は近くにおいていたタオルを取ると、自分の腰に巻いた。
「私たちだけじゃないわよ。美神もおキヌちゃんも、来るんじゃない?」
「へっ!?」
ガラリと脱衣所の引き戸が開くと、美神とおキヌが露天風呂に入ってきた。
「わーっ。美神さん、露天風呂ですよ」
「けっこう、いいところね」
美神は真っ赤なビキニの水着を、おキヌは紺色(のスクール水着を身に着けていた。
美神はもちろんであるが、成長段階にあるおキヌのスタイルも、かなりのものである。
二人は湯船に近づくと、横島の両側に並んで入った。
「温泉に来たのは、久しぶりね」
「そうですね。皆で温泉に入るのは、たぶん初めてですよ」
成熟した二人の水着姿を見た横島が、急に顔をうつむかせる。
「? どうしたんですか、横島さん」
「ブ……」
「ブ?」
「ブボッ!」
温泉で血行がよくなったことに加え、美神とおキヌの水着姿に刺激された横島は、とうとう臨界点を突破してしまった。
横島はパタンと背後に倒れると、のけぞった姿勢のまま盛大に鼻血を噴出(させた。
昼休みにシンジは、弁当をもって校舎の屋上に上がった。
(そろそろ、三号機の起動実験が始まるかな)
シンジは屋上から、松代があるであろう西北の方角の山々に目を向ける。
「あの、碇君」
シンジが背後を振り返ると、ヒカリがそこに立っていた。
「ごめんなさい。突然、声をかけて」
「どうしたの急に?」
「今朝、ちょっといいことあったから。それで碇君にお礼を言いたくて」
「え?」
「碇君のアドバイスどおりにしたら、鈴原、喜んでくれたみたいなの」
「そうなんだ。よかったね」
「ありがとう、碇君。それじゃ」
ヒカリは頬(を赤らめると、タタタと小走りしながら去っていった。
「今の……委員長だよね?」
ヒカリと入れ違いに屋上に上がってきたケンスケが、ビックリして背後を振り返る。
「あ、うん」
「なんか不気味……ニヤニヤしながら走ってた」
「そ、そう? 別に普通だったよ」
「ま、いいか。メシにしようぜ」
シンジは自分の弁当を、ケンスケは購買で買ったハンバーガーやサンドイッチの封を開ける。
「三号機、もう日本に到着したんだよね」
「うん。今朝からミサトさんも、松代に出かけてる」
「いいなあ。誰が乗るのかなあ」
ハンバーガーをかじっていたケンスケが、急に口を離した。
「ひょっとして、トウジのやつだったりして。昨日から学校を休んでるし」
その言葉を聞いたシンジは、ゴクリと唾(を飲み込んでしまう。
「まさかな。そんなことあるわけないよな」
アハハハと笑いながら、ケンスケがシンジの背中をバンバンと叩いた。
松代では、三号機の起動実験が始まっていた。
三号機に、トウジの乗ったエントリープラグが挿入される。
『エントリープラグ固定完了。第一次接続開始』
『パルス送信』
『グラフ正常位置。リスト1350までクリア』
『初期コンタクト問題なし』
「了解。作業をフェーズ2に移行」
リツコの指示に従い、オペレーターたちが次の作業を開始した。
『オールナーブリンク問題なし』
『リスト2550までクリア』
『ハーモニクス全て正常位置』
エントリープラグに座っていたトウジは、無表情のままじっと正面を見つめていた。
『絶対境界線、突破します』
そのとき、三号機の目がカッと赤く光ると、制御室内に警報が鳴り響いた。
「どうしたの!?」
「中枢神経に異常発生!」
「実験中止! 回路切断して!」
リツコの指示により、三号機のアンビリカルケーブルが急遽(外される。
「ダメです! 体内に高エネルギー反応! 三号機、止まりません!」
「まさか……」
拘束具を排除しようとした三号機の装甲版の一部が、突然めくれ上がった。
その中には、粘菌状の物体がビッシリと埋まっていた。
「使徒!?」
拘束具(を強制排除した三号機が、グオオオオッと大声でうなる。
第二実験場を覆(っているドームに幾筋もの光が走り、次の瞬間、大爆発を起こした。
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