交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十二話 −MOTHER− (01)




 第十四使徒を殲滅(せんめつ)してから、一夜が明けた。
 陽光で照らされたジオフロントは、予想以上に荒れており、大破した弐号機と零号機も回収されずに放置されたままであった。

「エヴァ零号機、弐号機の損傷は、ヘイフリックの限界を超えています」

「そう。時間がかかるわね」

 リツコとマヤは、使徒によって破壊された発令所にいた。
 マヤの報告を聞きながら、リツコは戦闘でズタズタになった発令所をぐるりと見渡す。

「でも、ここはもうダメね」

「破棄決定は時間の問題ですね。
 (さいわ)い、MAGIに損傷はありませんから、別の場所に移すことは問題ありません」

「とりあえずは、予備の第二発令所を使用するしかないわね。
 明日から、作業を開始してちょうだい」

「はい。でも椅子(いす)はきついし、センサーは固くて、いろいろやりづらいんですよね。
 第一発令所と作りは同じはずなんですけど」

「今は使えるだけマシよ。使えるかどうかわからないのは……初号機ね」




 その初号機は、包帯のような簡易拘束具でグルグル巻きにされた状態で、ケイジにつながれていた。
 装甲板が外れた今の初号機は、見た目は巨大なミイラ男そのものである。
 その初号機を、ミサトと作戦部所属のオペレーターである日向が、アンビリカル・ブリッジから見上げていた。

「ケイジに拘束(こうそく)……大丈夫でしょうね?」

「内部には、熱・電子・電磁波の他、化学エネルギー反応はまったくありません。
 S2機関は、完全に停止しています」

「でも……初号機は二度も動いたわ。電源切れにもかかわらずね」

 ミサトは第十二使徒戦と、前回の第十四使徒戦のときのことを、思い出していた。
 もっとも、第十二使徒戦で初号機が動いたのは、パイロットの中の人が横島だったからであるが、そのことを知らないミサトは、前回の使徒戦と同様、初号機の暴走によるものだと考えていた。

「直上都市の防御システムに、大きなダメージがなくて助かりましたね」

 前回の使徒戦で暴走した初号機は、ジオフロントを脱出して第三新東京市に出ていた。
 そこで兵装ビルから射出された何百ものワイヤーに体を(から)みとられ、ようやく動きが止まったのである。

(まさか、対使徒迎撃要塞のシステムが、暴走したエヴァを止めるのに役立つなんて。
 ……いえ、最初からそのつもりの防御システムだとしたら?)

 加持によって植えつけられたネルフへの疑問は、ミサトの中で着実に成長していた。




 大きな円形の広間に、人類補完委員会を構成する五人のメンバーが立っていた。

「エヴァシリーズに生まれいずるはずのないS2機関。
 まさか使徒を食うことで、自ら取り込むとはな」

 目に大きなバイザーを掛けた初老の男─―人類補完委員会議長、キール・ローレンツ─―が、重々しい口調で語り始めた。

「我らゼーレのシナリオとは、大きく違った出来事だよ」

「この修正、容易ではないぞ」

「碇ゲンドウ。あの男にネルフを与えたことが、そもそもの間違いではないのかね」

 他のメンバーも、キールに続いて次々に発言した。

「だが、あの男でなければ、全ての計画の遂行(すいこう)はできなかった」

「しかし、事態はエヴァ初号機だけの問題ではない」

「左様、零号機と弐号機の大破」

「本部施設の半壊、セントラルドグマの露呈(ろてい)

「被害は甚大(じんだい)だよ。我々がどれ程の金と時を失ったのか、見当もつかん」

「これも碇の首に、(すず)をつけておかないからだ」

「いや。鈴はついている。ただ、鳴らなかっただけだ」

 キールの言葉に、他のメンバーの注目が集まった。

「だが鳴らない鈴に意味はない……今度は、鈴に働いてもらおう」




 同じ頃、加持はネルフの司令室にいた。

「いやはや。この展開は予想外ですな。
 委員会……いや、ゼーレの方にはどう言い訳するつもりです?」

「初号機は我々の制御下ではなかった。これは不慮(ふりょ)の事故だよ」

 加持の質問に、冬月が答えた。

「よって、初号機は凍結。委員会の別命あるまでは……だ」

「賢明な処置です。しかし……ご子息を取り込まれたままですか?」

 加持の質問に、ゲンドウは(もく)したまま答えなかった。




 ビーッ! ビーッ!

 新たに稼動(かどう)を始めた第二発令所内に、MAGIが発した警告音が鳴り響いた。

「やはりダメです。エントリープラグ排出信号、受け付けません!」

「予備と擬似信号は?」

「拒絶されています。直轄(ちょっかつ)回路もつながりません」

 リツコの指示のもと、マヤは何とかして初号機とコンタクトを取ろうと、懸命(けんめい)にMAGIを操作していた。

「プラグの映像回路、つながりました。メインスクリーンに回します」

 日向が初号機のエントリープラグ内の画像を、発令所のメインスクリーンに映し出した。

「なによ、これ!」

「これが、シンクロ率400%の正体……!?」

 メインスクリーンの中にシンジの姿はなく、シンジの着ていたYシャツや学生ズボンが、エントリープラグ内のLCLの中を(ただよ)っていた。
 スクリーンの片隅(かたすみ)で、『PILOT VANISHED』(パイロット消滅)の文字が、赤く点滅(てんめつ)していた。

「シンジ君は一体どうなったの!?」

 左腕をギブスで巻いたミサトが、隣に立つリツコに、食ってかかった。
 ミサトの怪我(けが)は、第十三使徒戦で、松代で起こった爆発に巻き込まれた時のものである。

「エヴァ初号機に、取り込まれてしまったわ」

「どういうこと!? エヴァって、何なのよ!」

「人の造りだした、人に近い形をした物体としか、言いようがないわね」

「人が造りだした?」

 ミサトが、リツコの顔をキッと(にら)んだ。

「あのとき南極で拾った物を、ただコピーしただけじゃないの! オリジナルが聞いて(あき)れるわ」

「ただのコピーとは違うわ。人の意思が込められているもの」

「これも、誰かの意思だって言うの!?」

「あるいは、エヴァの……」

 パン!

 激昂(げきこう)したミサトは、負傷していない右手でリツコの(ほほ)(たた)いた。

「そんな他人事みたいな、のん気なこと言ってんじゃないわよ!
 造ったのはあんたでしょ! 最後まで責任持ちなさいよ!」

 リツコはミサトから視線を外すと、叩かれた頬にそっと手を当てた。




「まさかシンジの体が、LCLに溶けちまうとはな」

 第二発令所からやや離れた一室で、横島とヒャクメも同じ映像を見ていた。

「ヒャクメ。シンジの霊魂はどうなってる?」

「大丈夫。エントリープラグの中に(とど)まっているわ」

 エントリープラグの映像を霊視していたヒャクメが、横島の問いに答えた。

「死んでるわけじゃ、ないんだよな?」

「ええ。体がLCLに液化しただけよ」

「それなら、体を復元すればシンジは元に戻れるのか」

「理屈の上ではね」

 横島は(あご)の先に親指と人差し指を当てると、その姿勢でじっと考え込んだ。

「ヒャクメ。シンジがこうなったのって、やっぱりエヴァが原因なんだよな?」

「ええ。それは間違いないわ」

「リツコさんがどう動くか、しばらく様子を見よう。
 エヴァのことを一番よく理解しているのは、あの人だからな」




 レイは零号機から救出された後、一昼夜たった二日目に目を覚ました。

(まだ生きてる……)

 レイは右手を上げると、それを目の前にかざした。
 指の間から漏れてくる光が、網膜(もうまく)に軽い刺激を与え、自分が死ななかったことをレイに実感させる。

(……どうして?)

 零号機で使徒に突貫(とっかん)し、N2爆弾をぶつけたところまでは、はっきり覚えていた。
 その直後、激しい衝撃に巻き込まれたため、それからどうなったのかよくわからない。
 だが、意識を失う直前に、屹立(きつりつ)して天に向かって咆哮(ほうこう)する初号機の姿を見たことを、レイは思い出した。

「碇君……」

 レイはベッドから上半身を起こすと、シンジの名をそっとつぶやいた。




 一方、アスカは大きなケガもなく、病院で検査を済ますとすぐに家に帰った。
 シンジが初号機に取り込まれ、ミサトが戦いの後始末に忙殺(ぼうさつ)される中、アスカはずっと部屋に引きこもっていた。

(何も……何もできなかったなんて……あのバカシンジに助けられたなんて……)

 アスカの脳裏(のうり)に繰り返し浮かぶのは、自分が使徒に敗北したことと、その使徒を初号機が殲滅したという事実だった。

「悔しい……」

 ベッドでうつ伏せになるアスカの目に、涙がじわりと(にじ)み出た。




「シンジ君のサルベージ計画!?」

 リツコの意外な発言に、ミサトが(おどろ)きの表情を見せた。

「シンジ君の肉体は、自我境界線を失って、量子状態のままエントリープラグを漂っていると推測
 されます」

「そう。彼の精神――魂と呼ぶべきものも一緒にね」

 マヤの説明に、リツコが一部内容を補足する。

「つまりシンジ君は、私たちの目では確認できない状態に変化しているってこと?」

「プラグ中の成分は、原始地球の海水に酷似(こくじ)しています」

「生命のスープってことね」

「そうね。そこに外部から刺激を与えて、シンジ君の肉体を再構成して、精神を定着させるわ」

「本当に、そんなことができるの?」

 ミサトが(うたが)わしそうな目つきで、リツコの顔を見つめる。

「MAGIのサポートがあればね」

「理論上は……でしょ?」

「でも今は、その理論にすがって、やってみるしかないわ」




 人類補完委員会の五人のメンバーが、キールを先頭にして地下施設の通路を歩いていた。

「たとえ、うまく鈴が鳴ったとしてもだ……あの男を使うのは、もう潮時だろう。
 それに碇のことだ。それぐらいは、推察の範疇(はんちゅう)かもしれぬ」

 五人は通路から円形の大きな広間に、足を踏み入れた。

「そろそろ、正鵠(せいこく)を射る我々の切り札に、目覚めてもらおう」

 キールが部屋の中央に置いてある、LCLで満たされた大きなガラス管に目を向けた。

「タブリス。我々のシナリオの(かなめ)よ」

 そのガラス管の中には、銀髪をした少年が入っていた。
 少年はキールの声を聞くと、うっすらと目を開ける。
 その少年の(ひとみ)は、レイと同じ赤い色をしていた。

「どうだね、気分は?」

 LCLの中にいた少年は、(くちびる)を小さく引きつらせると、(かす)かに笑みを浮かべた。







 シンジが初号機に取り込まれてから、数日が経過した。
 状況に大きな変化はなく、リツコはMAGIによる初号機の監視を続ける一方、シンジをサルベージさせるための計画の立案に着手した。

「よぉ、リッちゃん元気?」

「加持君」

 コーヒー豆の入った真空パックの袋とケーキを手にした加持が、リツコの研究室にやってきた。

「どうしたの、急に?」

「シンジ君のサルベージ計画に腐心している、赤木博士への陣中見舞いさ」

 加持は机の空いている場所に、焙煎(ばいせん)済みのコーヒー豆の入った袋を置いた。

「で、調子はどう?」

「まだ資料集めの段階よ。念のため、ドイツ支部にも問い合わせをしてるわ」

「じゃ、今はそれ程忙しくないんだ」

「そうね。気分転換も兼ねて、別の調査をしてたところ」

 リツコは席を立つと、加持の持ってきたコーヒー豆の袋を開けた。

「あら、けっこういい豆じゃない」

「上の街で特売してたのを、たまたま見つけたんだ。それ、全部あげるよ」

「そう、悪いわね」

 リツコはその豆をコーヒーミルに入れ、コーヒーを()れ始めた。

「それで、別の調査って?」

「機密……と言いたいところだけど、ちょっと加持君にも見てもらおうかしら」

 リツコは、加持に自分のノートパソコンの画面を見せた。
 加持はリツコの淹れたコーヒーに口をつけながら、ノートパソコンの画面を(のぞ)き込む。

「これは、シンジ君じゃないか。いつの映像なんだ?」

 パソコンの画面には、薄暗いエントリープラグの中に座っているシンジの映像が映し出されていた。

「第十三使徒戦の時よ。今、映像を再生するわ」

 リツコがマウスをクリックすると、映像の再生が始まった。

『くそおおおっ! 父さん、やめて! やめてくれよ、こんなのっ!』

 エントリープラグの中で、操縦桿(そうじゅうかん)をガチャガチャと動かしながら、シンジが泣き(さけ)んでいた。
 だが、しばらくすると、シンジの動きが突然止まった。
 そして、うつむいていたシンジが顔を上げたとき、泣き顔はすっかり姿を消し、シンジは満面に喜びの表情を浮かべていた。

「ん? 今、何か(しゃべ)らなかったか?」

 シンジは顔を上げると、喋ったときと同じように口を動かしていた。
 だが、その声がなぜか聞こえてこない。

「そうなのよ。なぜか、この部分だけ録音されていないの」

「誰かが消したんじゃないのか?」

「まさか。ボイス・レコーダーは人の手で操作できないのよ。ログにも記録は残っていなかったわ」

 ボイス・レコーダーの録音を消したのは、もちろんヒャクメである。
 外部から侵入したヒャクメは、ボイス・レコーダーの音声を消したあと、ログまできれいに消去していた。

「この直後に、初号機にイレギュラー発生。
 ダミープラグから制御を(うば)い返した上に、三号機に侵食していた使徒を、分離する離れ技まで
 やってのけたわけ」

「すごいな、シンジ君。さっきまでとは、まるで別人のようだ」

 見違えるように凛々(りり)しい顔をしたシンジが、初号機を動かしている様子が映像に映されていた。

「それで、これを見てどう思った?」

 リツコは映像を止めると、加持に感想を求めた。

「やっぱり、さっきのところが気になるな。もう一度、見せてくれるか?」

 リツコは、録音が消えている箇所(かしょ)をもう一度再生した。
 加持がその画面を、じっと注視する。

「ヨ……コ……シ……マ? 誰か人の名を呼んでるみたいだな」

「わかるの、加持君?」

「ああ。いちおう読唇術(どくしんじゅつ)はマスターしてるんでね」

「ヨコシマねえ。いったい誰なのかしら? 加持君、心当たりない?」

「おいおい。俺が何でも知ってると思ったら、大間違いだぞ」

「さあ、本当のところはどうなのかしら?」

 怜悧(れいり)な表情を(くず)さないリツコを見て、加持は思わず苦笑してしまった。

「まあ、興味が湧いたから、少し調べてみるよ。じゃあな、リッちゃん」

 加持はリツコに向かって片手を振ると、そのままリツコの研究室を出て行った。




 その頃、横島は妙神山の建物の一室で、ワルキューレとジークに会っていた。
 妙神山の管理人である小竜姫も、その場に同席する。

「シンジ君が……エヴァンゲリオンに取り込まれたというのですか!?」

 横島の報告に、小竜姫が驚きの表情を見せた。

「ええっと、そのとおりです」

「それで、横島さんはどうするつもりなのですか?」

「シンジの救出は、ネルフでその作業を準備しています。ただ、気になることが」

「気になること?」

 小竜姫が首をかしげながら、隣に座っていた横島の顔を覗き込んだ。

「零号機と弐号機が大破。
 唯一残った初号機も、パイロットのシンジが取り込まれてますから、実質戦力ゼロなんですよ。
 ところが、ネルフの上層部に(あわ)てる気配がないんです。
 これって、おかしくありませんか?」

「たしかに、おかしいですね」

 小竜姫が、さらに小首をかしげる。

「情報だな」

 今まで喋らずに、話をじっと聞いていたワルキューレが、口をはさんだ。

「敵がいつ(おそ)ってくるかを知っていれば、慌てる必要は何もない。
 その時に備えて、準備を進めればいいだけのことだ」

「そうか。やはり死海文書……いや公表されてないという意味では裏死海文書と呼ぶべきなんだろう
 が、それにはそこまで詳しい記述があると考えるべきなんだろうな」

 ワルキューレの意見を聞いた横島は、納得した表情を見せた。

「実は、ワルキューレとジークに頼みたいことがあるんだ。
 今までヒャクメに手伝ってもらってずいぶんいろんなことがわかったけど、正直ネルフやゼーレ
 そしてエヴァについては、まだわからないことの方が多い。
 問題の鍵は二つ。一つは、ゼーレが保管していると思われる裏死海文書。
 もう一つは、ネルフの司令である碇ゲンドウの真の目的がどこにあるかだ」

「待ってください。ネルフは、秘密結社ゼーレの計画を遂行する組織ではなかったのですか?」

 話を聞いていたジークが、横島に疑問を投げかけた。

「いや、それがどうも違うみたいなんだ。
 たとえば、ファースト・チルドレン、綾波レイの情報は、ゼーレの表の顔である人類補完委員会
 に対しても、かなり隠蔽(いんぺい)されている。
 また、ネルフから人類補完委員会への報告書も、あちこちに情報操作された形跡(けいせき)があるんだ」

「つまり碇ゲンドウは、表向きはゼーレに従いながらも、裏では別の行動をとっているということ
 なんだな?」

 ワルキューレの発言に、横島が首を縦に振って賛意を示した。

「おそらく、そうだと思う。
 だが、ゲンドウが何の目的でそうしているかが、はっきりと見えないんだ」

「それで、私とジークを呼んだというわけか」

「ワルキューレには、ドイツに行ってもらいたんだ。
 ドイツは、人類補完委員会の長である、キール・ローレンツのいる国だ。
 ジークは、ネルフの保安諜報部に(もぐ)り込んでくれ。
 経歴の偽造や(にせ)の配属命令書は、ヒャクメがもう準備している」

「それで、ミッションの目的は?」

 ワルキューレが横島に、潜入工作の目的を(たず)ねた。

「ワルキューレは、裏死海文書の入手を頼む。
 ジークはゲンドウが保安諜報部を使って何をしているかを調べることと、それからシンジたちの
 身辺警護を。今まではパイロットの身の安全についてはネルフを信じていたけど、これからは
 どうなるかわからないからな」

「了解した。ところで、ヒャクメは今何をしている?」

「ヒャクメなら休暇(きゅうか)をとって京都に。今頃は観光でもして、楽しんでるんじゃないかな」

 ワルキューレの質問に、横島が笑って答えた。



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