交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十二話 −MOTHER− (02)




 シンジが気がついたとき、白いもやに包まれた空間の中にいた。

(ここは……どこだろう……)

 上下左右も定かでないその場所で、シンジは行くあてもなく(ただよ)っていた。

(僕は……初号機のエントリープラグの中にいたはずなのに)

 しばらくすると、遠くの方から子供が泣く声が聞こえてきた。

(誰かが泣いてる)

 シンジが、泣き声のする方角に行ってみると、そこには幼い自分の姿があった。

(あれは、僕だ。僕が泣いてる。その前にいるのは……父さん?)

 幼いシンジの前に、スーツケースをもったゲンドウが立っていた。

『行かないでよ、父さん! 僕を置いてかないで!』

 ゲンドウは幼いシンジに背を向け、そこから立ち去ろうとしているところだった。

『わがままを言うな。叔父(おじ)さんのところで、おとなしくしてろ』

『母さんはどこ? 母さんはどこへ行ったの!?』

『母さんは死んだ』

『ウソだ!』

『ウソじゃない。おまえも見ていたはずだ。シンジ、後ろを見てみろ』

 幼いシンジと今のシンジが背後を振り向くと、そこには体のあちこちにパイプが差し込まれている巨人の姿があった。

(母さん? ……いや、違う。これはエヴァだ)

 いつのまにか、幼いシンジの姿が消えていた。
 シンジは一人で、ギョロリと目をむき出しにしたエヴァと向き合う。

『これに乗って戦え。おまえがパイロットだ』

 背後からゲンドウが、シンジに語りかけてきた。

「イヤだ! 何だよ、今頃! 父さんは、僕がいらないんじゃなかったの!?」

 シンジの脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックした。
 三号機と向き合って立つ初号機。
 コントロールが効かなくなり、勝手に三号機に(おそ)い掛かっていく初号機。
 そして、血まみれになってエントリープラグから運び出された……トウジの姿。

「やめろおおおっ!」

 シンジの心に、強い衝撃(しょうげき)が走った。
 シンジは立っていることができず、ガックリと(ひざ)をついてしまう。

「よくも……よくも、トウジを殺そうとしたな。よくも、母さんを殺したな」

 いつのまにか、シンジとゲンドウは円形の広間に移っていた。

「父さんは、僕を裏切ったんだ!」

 シンジの右手に、鋭い刃をした小刀があった。
 シンジはそれを(にぎ)り締めると、一歩踏み込んで、ゲンドウの胸にその小刀の刃を押し込んだ。

 ズルッ

 小刀を抜くと同時に、ゲンドウの体から血が()き出した。
 力を失ったゲンドウは、前のめりになって床に倒れる。
 ゲンドウの体から流れ出した血が、みるみるうちに床を赤黒く染めていった。

「わあああああっ!」

 錯乱(さくらん)しながら大声で泣き(さけ)ぶシンジの声が、その場に(ひび)いた。




 ヒャクメは京都から戻ると、家に荷物を置いてから、待ち合わせに使っているファミレスへと向かった。
 ヒャクメがレストランの建物の中に入ると、横島が一足先に席で待っていた。

「よっ、お疲れさん」

「ただいまなのね〜〜」

「それで、収穫はどうだった?」

「ちょっと、待ってなのね〜〜」

 ヒャクメは持ってきた紙袋の中から、包装紙で(つつ)まれた二つの箱を取り出した。

「京都みやげは、やっぱり八ツ橋なのね〜〜。
 堅いのと普通のと両方買ってきたから、どっちか選んでなのね〜〜」

「って、違うだろ。おい!」

 横島が、バンとテーブルを軽く(たた)いた。

「ちょっと、冗談(じょうだん)を言ってみただけなのねー」

 ヒャクメはキーホルダー型のメモリーチップを、横島に渡した。

「これが、そうなのか?」

「そうなのね。京都大学の研究室に残っていたユイさんの論文、全部コピーしてきたわ」

 今までおちゃらけていたヒャクメの口調が、急に引き締まった。

「非合法な手段も、ちょっと使っちゃったけど」

「証拠が残らなければ、かまわないさ。ところで、これを俺が読んで、内容を理解できるかな?」

「時間をもらえれば、こっちで要約するわ」

「頼むよ、ヒャクメ」

「わかったわ。ところで、シンジ君の様子はどうなの?」

 心配そうな表情を浮かべたヒャクメが、横島にシンジの様子を(たず)ねた。

「現状、変化なし。ネルフも、長期戦で対処する方針のようだ」




 シンジが初号機に取り込まれてから、二週間が経過した。
 部屋に引きこもっていたアスカも、部屋で何もしないことに()きたのか、三日目から普通の生活に戻った。
 今はケイジにある通路から、測定用の様々な機器が設置された初号機のエントリープラグを見下ろしている。

「あのバカ。二週間も戻ってこないけど、いったいどうなっちゃったんだろ?」

 アスカが心配そうな表情をして、初号機のエントリープラグを見つめていると、突然後ろから肩をポンと叩かれた。

「シンジ君が心配かい」

「加持さん!?」

 アスカが背後を振り向くと、そこに加持の姿があった。

「残念でした。これで、私が活躍する場面が増えるから、喜んでたのよ」

()我慢(がまん)はよくないな。素直にならないと、彼氏できないぞ」

 揶揄(やゆ)するような口調の加持の言葉に、アスカは敏感(びんかん)に反応した。

「痩せ我慢じゃないわ! 加持さん以外の男なんて、いらないモン!」

「おっとっと」

 アスカは加持に向かって突っかかろうとするが、加持は片手でアスカの体を押さえた。

「そうだな。その意気だよ、アスカ」

 加持の意外な言葉に、アスカはきょとんとした表情をする。

「確かに、今のシンジ君の状態は心配だが、彼も今頃きっと戦っている。
 だから、アスカも彼に負けないように頑張(がんば)れ」

「戦いって……どんな?」

 エントリープラグから出てこないシンジがどんな戦いをしているのか、アスカはよく理解できなかった。

「そうだな。おそらく自分自身の姿を取り戻すための戦いだろう」

「よくわからないけど、それって自分との戦いってこと?」

「あるいはエヴァとの」

 アスカは加持の意味深な言葉を理解できず、しきりに首をひねっていた。




 それから、一週間が経過した。
 その間にリツコは、シンジを初号機からサルベージする計画のアウトラインを取りまとめた。

「シンジ君のサルベージ計画のアウトラインを、たった三週間でまとめるなんて、さすが先輩ですね」

 マヤはリツコの指示で、サルベージ計画の概要(がいよう)を記した資料を作成していた。

「まだ細部の詰めが残っているけどね。それに、原案は私じゃないわ」

「えっ? どういうことです?」

「十年前に、実験済のデータなのよ」

「エヴァの開発中に、同じようなことがあったんですか?」

 リツコは体を乗り出すと、マヤの横から端末の画面を(のぞ)き込んだ。

「まだ私が、ここに入る前の出来事よ。私の母が立ち会ったらしいけど」

「先輩のお母さんって、MAGIシステムを開発した赤木ナオコ博士ですよね?」
 それで、その時の結果はどうなったんですか?」

「失敗よ」

「えっ!?」

 驚いたマヤが、隣にいたリツコの方を振り向いた。

「失敗したのよ。そして……碇司令が変わったのは、おそらくその時からだわ」

 沈鬱(ちんうつ)な表情を見せるリツコに、マヤはかける言葉がなかった。







 ドイツから帰国したワルキューレは、第三新東京市に移動すると、郊外にあるマンションの一室に入った。

「ヒャクメ、入るぞ」

「お帰りなさいなのね〜〜」

 ヒャクメが玄関まで、ワルキューレを迎えに出た。

「横島は?」

「横島さんなら、今買い物に出かけてるのねー」

「そうか。それなら、先に着替えさせてもらおうか」

 ワルキューレは紺色のビジネススーツを着ていた。
 横島や美神と始めてあった時と同じように、やり手のキャリア・ウーマンを(よそお)っている。
 偽名(ぎめい)も、以前と同じ『春桐魔奈美(はるきりまなみ)』であった。

「ただいま」

 しばらくすると、両手に買い物袋をぶら下げた横島が帰ってきた。

「お帰り、横島」

「お疲れさん。ドイツはどうだった?」

「そんなに難しい任務ではなかったよ。手間は、それなりにかかったがな」

 この世界では、オカルト技術がほとんど進歩していない。
 そういう状況下にあっては、どんなに科学の(すい)を集めた警備施設であっても、魔族や神族の前ではさしたる意味を持たなかった。
 もっとも、目当ての裏死海文書には、そう簡単にはたどり着けなかったようである。

「横島。ドイツワインはないのか?」

 横島が持ってきた買い物袋の中から、ワルキューレはワインのビンを取り出したが、銘柄が甲州ワインであることに気づくと、残念そうな顔をした。

「無茶言うなって。こっちではセカンド・インパクト後の物流の復旧が、あまり進んでいないんだ。
 海外産のワインには、どれも目をひんむくぐらいの値段がついてるよ」

「まあ、ドイツワインは向こうで飲んできたし、たまには日本のワインもいいかもしれんな」




 しばらくして、三人で酒盛りが始まった。
 横島が買ってきた甲州ワインを三人で飲んでいる。
 ちなみに、つまみはヒャクメとワルキューレが二人で作った。

「ワルキューレが家事上手なのは知ってたけど、ヒャクメが料理できるなんて意外だったな」

 ワルキューレは短期間であったが、秘書として美神事務所で働いていた。
 そのときの書類整理や掃除の手際のよさを、横島はよく覚えている。

「ひどいのねー。私だって年頃の女性なんだから、料理くらいきちんとできるのね〜〜」

「ごめんごめん」

 横島は、ヒャクメが作ったイワシのマリネを一口食べた。

「あ、けっこうおいしい」

「でしょでしょ?」

 ヒャクメがチラリと、横島の顔を覗き込んだ。

「横島。こっちもどうだ」

 ワルキューレが、アウフラウフ(ドイツ風グラタン)の皿を差し出す。

「これも、なかなか」

「そうか」

 普段は気難しい顔をすることの多いワルキューレが、横島に向かって微笑を浮かべた。




「全然関係ない話だけどさ……」

 ワインを三分の二ほど空けたとき、横島が突然、真面目(まじめ)な口調で語り始めた。

「女って、恐いよな」

「どうしたんだ、急に?」

 小さなちゃぶ台を挟んで、横島の向かい側に座っていたワルキューレが顔を上げた。

「どこかの女と、トラブルにでもなったのか」

 ワルキューレは、横島の周囲の人間関係に思いをめぐらせた。
 この男に好意を寄せる女性は、自分が知っているだけでも、片手で数える以上の数に上る。
 自分自身、横島に対して微妙な感情を持っていることを、自覚していた。

「そうじゃないのねー」

 ヒャクメが横から、会話に割り込んできた。

「横島さんの言ってるのは、たぶん碇ユイさんのことなのね」

「碇ユイ……ああ、そういうことか」

 ネルフ司令である碇ゲンドウの妻であり、初号機パイロット碇シンジの母親である女性。
 彼女の名は、ゼーレとネルフの背後を調べている中で、幾度となく浮かび上がってきていた。

「俺って、自分で言うのもなんだけど、煩悩丸出しのところがあるし、美神さんや隊長とかを身近
 で見てきたから、あまり女性にそういう想いを持ったことはなかったんだけど……」

 横島はグラスに半分ほど残っていたワインを、一気に飲み込んだ。

「初めて初号機とシンクロしたとき、少しだけユイさんと会話したんだ。
 その時は普通の女性だと思った。
 理知的だったし、シンジを心配する気持ちが伝わってきて、母親らしいとも思った。
 でも、その女性が、裏でこんなことを計画していたとはな……」

 ワルキューレはボトルを取ると、空になった横島のグラスにワインを注いだ。

「それでショックを受けたのか」

「まあね。何かこう、信じていたものに裏切られたって気がするんだよな。
 別に俺の母親でも、何でもないってのにさ」

 横島は一人、苦笑していた。

「ねえ、横島さん」

 ヒャクメが、ひょいと横島の顔を覗き込んだ。

「シンジ君が戻った後、ユイさんのことをどう話すつもりなの?」

「今はまだ、わからない」

 横島の表情に、一瞬影が差した。

「でも、何も話さないわけにはいかないだろう。
 ユイさんやゲンドウの思惑がどうあれ、この世界で最後の鍵を握るのは、たぶんシンジだ」




 トウジが目を開けると、目の前に白く光る物があった。
 輪郭(りんかく)がぼやけて見えていたが、しばらくすると、それが天井にある蛍光灯の光であることに気づいた。

「鈴原……」

 トウジが声のした右側に首を回すと、自分を見下ろしているヒカリの姿が目に入った。

「なんや……委員長やないか……」

「目を覚ましたのね、鈴原……」

 トウジを見下ろしているヒカリの両目に、みるみるうちに涙が(あふ)れていった。

「ワシ……ずっと寝とったんか」

「三週間以上もよ。私、鈴原がこのまま目を覚まさなかったらどうしようって……」

 ヒカリはポケットからハンカチを取り出すと、それで涙をぬぐった。

「お医者さんは大丈夫って言ってたけど、私、本当に心配で……」

「そうか……委員長にも迷惑かけて、すまなんだなあ」

 トウジがヒカリに向かって、柔らかな笑顔を見せる。
 自分に向けられたトウジの眼差しを見て、ヒカリの顔が一瞬で赤くなった。

「あの、これはその、委員長としての公務であって……」

「ええんや。わかっとる。それよりイインチョ。その辺にワイのバッグ置いてあるか?」

「特に荷物は、無いみたいだけど……」

「そっか。爆発に巻き込まれて、なくなったんやろうな。
 すまん、イインチョ。イインチョにもらった弁当箱、返せそうにないわ」

「いいのよ、気にしないで」

「それよりイインチョ。シンジたちはどうしてる?」

 その言葉を聞いたヒカリの表情に、暗い影が差した。

「あのね、碇くんのことなんだけど……」

 ヒカリはトウジから視線を外すと、うつむきながら話し始めた。

「鈴原が眠っている間に、別の使徒が(おそ)ってきたの。
 アスカや綾波さんは無事だったんだけど、その時の戦いで碇くんは……」

「シンジが、どないしたんか?」

「碇くんが大ケガをしたらしいの。
 学校にもずっと来ていないし、病院に来ても面会は許可されないの一点張りで。
 アスカに聞いても、はっきりしたことを答えてくれないし」

「シンジのやつ、大丈夫なんやろか?」

 トウジは寝返りをうつと、カーテンの隙間(すきま)から見える窓の外の風景に視線を向けた。



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