交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十二話 −MOTHER− (03)




 加持は上の街でハンバーガーを買うと、それをテイクアウトした。
 そしてハンバーガーの入った袋をもって、ネルフ本部内のミサトの部屋へと向かう。

「何か用?」

「用がなきゃ、来ちゃいけないのか?」

 ミサトは、入り口に背を向けた姿勢で座っていた。
 加持が部屋に入ってきても振り向きもせず、目の前にある液晶モニターをじっと見つめている。

「最近ロクに寝てないし、食事もきちんと()っていないだろ。大丈夫なのか?」

「こんな時に、のん気に寝たり食ったりできないわよ」

 ミサトは、(あご)に手を当てた姿勢で、フーッとため息をついた。

「……シンジ君の学校を調べたわ。まさか、あのクラス全員がパイロット候補だったとはね。
 ネルフの手は、いったいどこまで伸びているの?」

「そんな固い話は、メシ食ってからにしろよ。ほら、おまえの好きな店のハンバーガー買ってきたぞ」

 加持は手にしていたハンバーガーの袋を、ひょいと持ち上げた。

「あんたが簡単に、ペラペラ話すとは思わないけど……」

 ミサトは席から立ち上がると、後ろを向いて加持と向き合った。

「人を(ほろ)ぼすアダム、なぜ地下に保護されているの?
 碇司令は、あれで何をしようとしているの? 人類補完計画って、いったいなに?」

「葛城、少し落ち着け」

 加持はミサトをなだめようとしたが、ミサトはさらにヒートアップしていく。

「シンジ君があんな風になっているのに、司令もリツコもあんなに冷静でいられるのはなぜ!?
 ネルフの本当の目的は、いったい何なのよ!」

 激昂(げきこう)したミサトが加持に食ってかかろうとしたとき、加持は一歩前に出てミサトの体を抱きしめた。

「な……何するのよ!」

「いいから、少し黙れ」

 ミサトは加持の腕の中でもがいたが、すぐに力を抜いた。

「深呼吸して……そうだ。少しでいい。ネルフのことは忘れろ」

 加持はミサトの(ほほ)に手を当てると、そのまま(くちびる)を重ね合わせた。

「ん……んん、ん!」

 ミサトは唇のはしから声を漏らしていたが、キスが終わるとすぐに加持を突き放した。

「相変わらずの馬鹿力だな」

「な……なに考えてんのよ! 時と場所を選びなさいよ!」

 羞恥心(しゅうちしん)で顔を真っ赤にしながら、ミサトが加持に文句を言う。

「ちょっと、リラックスさせようとしただけなのに」

「こんな事で、リラックスできるわけないでしょ! 出てけ!」

「わかった、わかった。退散するよ」

 加持はミサトに背を向けて部屋を出ようとしたが、入り口のところで背後を振り返った。

「葛城」

 先ほどまでのにやけた顔と打って変わり、加持は真剣な表情でミサトの目を見つめる。

「俺の気持ちは、八年前からずっと変わってないよ。俺はずっと君のことを……」

 思わせぶりなセリフを残し、加持は去っていった。
 加持が部屋を出た後、ミサトは片手で唇を軽くなでて、加持が口の中に残した物の感触をそっと確かめた。




 ゲンドウはレイと共に、セントラルドグマ大深度施設の水槽(すいそう)のある部屋にいた。
 今日はシンジのサルベージ計画を実行する日である。
 リツコ率いる技術部のメンバーが、ケージで準備作業を進めていたが、ゲンドウはサルベージの予定時刻が近づいても、部屋から動こうとしなかった。

「初号機の所へは、行かないのですか?」

 テストが終わり、レイはLCLで満たされたプラグから出ると、一糸まとわぬ姿でゲンドウの前に立った。

「全ては赤木博士に任せてある。私が行く必要はない」

 ゲンドウは指でサングラスの位置を整えると、近くに置いてあったバスローブを手に取り、レイの体に掛けた。

「碇君は、どうなるのでしょうか」

「それはまだ、誰にもわからんよ。わかっているのは、エヴァだけかもしれない」

 長身のゲンドウとレイでは、身長さがかなりあった。
 レイは顔を上げて、ゲンドウの目をじっと見つめる。

「レイ……」

 ゲンドウは右手を伸ばし、レイの頬に触れようとした。
 レイは一瞬ハッとしたが、頬に手の感触を感じると、反射的に左手でゲンドウの手を払った。

「失礼します」

 レイは(きびす)を返して、この場から立ち去っていった。




(私は……私の心がわからない)

 レイは通路を歩きながら、ひとり自分の気持ちを考えていた。

(私の心の中にはいつも、わら人形のようにぽっかりと空っぽの部分がある。
 その空洞が、ときどき私を(おび)えさせ、不安にさせた)

 レイはシャワー室まで歩くと、シャワーを浴びてLCLを洗い落とした。

(でも、碇司令を想うことで、その部分を埋められるような気がしていた)


 ――レイ、食事にしよう。
 ――はい。

 ――レイ、学校はどうだ。
 ――問題ありません。

 ――レイ、実験は終了だ。帰って休め。
 ――はい、帰ります。


(それなのに……いつの間にかそこに、碇君がいる)


 ――は、はじめまして。僕は碇シンジ。
 ――サード・チルドレンね。

 ――綾波は、怖くないの?
 ――何が?
 ――その……エヴァに乗ることが……

 ――よかった……。綾波が生きてて、よかった……
 ――また、泣いてる……。昨日も眠りながら泣いてた。何がそんなに悲しいの?
 ――バカ……違うよ……。綾波が生きてたから、うれしくて泣いてんじゃないか。

 ――紅茶って、どれくらい葉っぱを入れるのかな?
 ――自分で飲んでなかったの?
 ――紅茶って、あっても()れたことがないから……

 ――だ、大丈夫!?
 ――少し、ヤケドしただけだから……
 ――ダメだよ、早く冷やさないと!


(鈴原君のことで、もう立ち直ることはできないと思ってた。
 でも、彼は帰ってきて、私たちを救ってくれた)

 レイはシャワーから上がると、学校の制服に着替えた。
 時間を確認すると、シンジのサルベージ開始時刻まで、もう間も無くだった。

(碇君、戻ってきて。これ以上、そこには居ないで)

 レイはターミナルドグマを後にすると、初号機が置かれているケージへと向かった。







 サルベージの開始時刻となった。
 初号機のケージに隣接している制御室には、実行責任者のリツコとオブザーバーのミサトの姿があった。
 日向・青葉・マヤの三人は、既にオペレーター席に着いている。

『全探査針、打ち込み終了』

『電磁波形ゼロ・マイナス3で固定されています』

『自我境界パルス、接続完了』

「了解」

 リツコが、サルベージの最終確認を行った。
 作業を見守っていたミサトが、緊張からゴクリと(つば)を飲み込む。
 制御室の中は、使徒戦のとき以上に真剣な空気となった。

「サルベージ、スタート!」

 リツコの命令とともに、各オペレーターが一斉に操作を開始した。




 シンジは、白いもやの中を(ただよ)っていた。
 心がボーッとしており、自分が今起きているのか、それとも眠っているのかすらわからなかった。

『シンジ……』

 ふと気がつくと、目の前に一人の女性が立っていた。
 始めて見る女性のはずなのに、以前からずっと知っている人のように感じられた。

「誰?」

『おいで……シンジ』

「母さん……母さんなの!?」

 その女性は、シンジに向かって歩み寄った。

『大きくなったわね、シンジ。すっかり大人びちゃって』

「母さん、今までどこにいたの? 急に居なくなって悲しかったよ。なぜ帰ってこなかったの?」

『ここでずっと待ってたの。あなたが、ここへ来ることはわかっていたから。
 でも、もう何も心配いらないわ。これからは、母さんがずっと一緒よ』

 女性はシンジに近づくと、優しくシンジの体を抱きしめた。

「でも……僕は戻らないと。戻って、エヴァに乗らなければいけないんだ。
 エヴァに乗って、敵に勝たなければならないだ。横島さんだって、きっと僕を待ってる」

「いいえ」

 女性は、シンジの両肩に手を置いて顔を近づけた。
 そして、幼い子供に(さと)すように、シンジに優しく語りかける。

「あなたはもう、十分頑張(がんば)ったわ。皆の為に戦って、そして傷ついた。
 もう、心も体もボロボロのはずよ。だから……ずっとここに居ていいのよ、シンジ」

 女性が子供を寝かしつけるようにして、シンジの体を横にしかけたとき、別の人の声が聞こえてきた。

『シンジ君』

 シンジが振り返ると、そこにはネルフの上級士官の制服を着たミサトの姿があった。

「ミサトさん……」

『シンジ君、あなたはもう、あなただけのものではないのよ。
 あなたはエヴァのパイロットなの。私たちは、あなたに未来を(たく)すしかないの』

『そう、戦うのよ』

 いつのまにか、ミサトの隣にリツコが立っていた。
 そして、シンジに向かって語りかける。

『今、あなたを(うしな)うことはできないわ』

『そうだ、戦うんだ』

 リツコの次に、加持が声をかけた。

『逃げてはいけない。真実から、目を(そむ)けるな』

『戦うのだ。人類の存亡(そんぼう)を賭けた戦いに、臆病者(おくびょうもの)は不要だ』

『アタシたちは選ばれた人間なのよ。戦って、使徒をやっつけるの』

 続いてゲンドウが、そしてアスカが、シンジに向かって声をかける。

『シンジ君。お願い、戦って!』

『戦うのよ、シンジ君』

『使徒を倒せるのは、使徒と同じ力をもつエヴァンゲリオンだけだ』

『戦うのだ、シンジ』

『戦うのよ、バカシンジ!』

 ミサトが、リツコが、加持が、ゲンドウが、そしてアスカが、シンジを囲い込むようにして立った。

「イヤだ!」

 皆が自分を責めたてる言葉に、シンジが猛然と反発した。

「僕は今まで頑張ってきたじゃないか! もう使徒とは戦いたくないんだ!」

 シンジは皆を拒絶するかのように、頭を(かか)えてしゃがみ込んだ。

「僕はここにいるんだ! ずっと、ここに居たっていいんだ!」




 制御室内に、ブザーの警告音が鳴り(ひび)いた。

「ダメです! パルスがループ状に固定されています!」

「全波形域を、全方位で照射してみて」

 リツコの指示に従い、マヤが急いで端末のキーを(たた)く。

「ダメです! 発信信号が、クライン空間に捕らわれています!」

「どういうこと!?」

 ミサトは(あわ)てて、端末の画面を(のぞ)き込んでいたリツコに、今の状況を(たず)ねた。

「つまり……失敗」

 リツコは青ざめた表情で、ミサトに答える。
 最悪の事態に(おちい)ったことを、リツコははっきりと認識していた。




 横島とヒャクメは、別室でサルベージの様子を監視していた。

(まず)いな……」

 サルベージの経過を見ていた、横島がつぶやいた。

「いくらシンジを起こすためとはいえ、プレッシャー掛け過ぎだ。
 あれじゃあ、かえってシンジが引きこもっちまう」

「横島さん、どうするの?」

「シンジを(むか)えに行ってくる。ヒャクメは引き続き、監視を頼む」

「了解」




『エヴァ、信号を拒絶!』

『プラグ内、圧力上昇!』

「まずいわ! 作業中止! 電源を落として!」

 次々に発生する異常事態に、リツコはサルベージの中止を決断した。

「ダメです! プラグが排出されます!」

 初号機からエントリープラグがイジェクトされると、エントリープラグが勝手に開いて中に入っていたLCLが噴出(ふんしゅつ)した。
 LCLと一緒に、シンジが着ていたYシャツや学生ズボンが外に流れ出てくる。
 ケージで作業を見守っていたレイが、目を大きく見開いた。

(碇君、もう戻らないつもりなの?)

 レイは床に流れ出した、シンジの衣服や靴に目を向ける。

(いえ、まだ間に合うかもしれない)

 レイは目をつぶると、祈るようにして初号機に語りかけた。

(碇君。お願い、戻ってきて。私はもう、わら人形に戻りたくない)




 ミサトたちから逃げ出したシンジは、母親と思われる女性にしがみついた。
 その女性はシンジを、優しく抱擁(ほうよう)する。
 だが、レイの祈りとともに、その女性が顔をかきむしるようにして姿を変えた。
 その姿は、幼い頃にシンジが見た、体中にパイプをつながれた装甲のない初号機の姿だった。

(私はあなた。あなたは私。昔、私だったもの)

(そうだ。おまえはワタシ。ワタシはおまえだったもの……なのに、なぜ邪魔をする!?)

(ダメ、碇君を連れて行かないで。私に返して)

 そのとき、周りの雰囲気が変わったことに気づいたシンジが、目を開けた。

「わああああっ!」

 母親と思っていた女性ではなく、異形(いぎょう)の人物にすがっていることに気づいたシンジが、大声で悲鳴を上げた。

『どうしたの? 私と一つになりたいのでしょう?
 痛みも悲しみも感じない、永遠の世界へ行きましょう』

 母親と同じ口調で語りかけてくることに異形の人物に対して、シンジは(さら)なる恐怖感を感じる。

「イヤだ、放せ! おまえは母さんなんかじゃない!」

 シンジは必死になってもがき、その異形の人物から離れようとした。

「ここは嫌だ! 助けて、母さん!」

 シンジの助けを呼ぶ叫び声とともに、異形の存在の背後から光り輝く女性が現れた。
 顔の表情ははっきりと見えなかったが、長い髪と体の輪郭から大人の女性であることがわかる。
 その女性が異形の人物から離れようともがくシンジに触れたとき、シンジの全身が光の中に(つつ)まれていった。







 エントリープラグから(あふ)れるLCLを見たミサトは、すぐさま制御室を飛び出した。
 そしてLCLと一緒に床に流れ出たシンジのYシャツを見つけると、ギュッと胸に(いだ)いた。

「うっ……うううっ……」

 シンジのシャツを抱えたまま、ミサトはポロポロと(なみだ)をこぼす。

「人ひとり助けられなくて、何が科学よ……」

 ミサトは顔を上げると、ケージにつながれている初号機をキッと見つめた。

「返して!」

 ミサトの両目から、大粒の涙が流れ落ちた。

「シンジ君を返してよっ!」




 ザッ……ザザザッ……

 シンジは気がつくと、裸のままで海辺に漂っていた。
 水深は浅く、波間に浮かんだまま、両手を簡単に海の底につけることができた。

(ここは……どこだろう……)

 シンジは体を起こすと、その場で立ち上がった。
 シンジのいる場所から、数メートル先に波打ち際がある。
 さらにその先に一本の大木があり、その木の根元に赤ん坊を連れた一組の若い男女の姿があった。

「セカンド・インパクトの後に生きていくのか、この子は」

 女性は赤ん坊を抱えて椅子(いす)に座り、子供に乳を飲ませていた。
 そして、その女性の前に長身の若い男性が立っていた。
 その男性の声は、シンジがよく知っている男性――父親の碇ゲンドウ――と同じであった。

「……この地獄に」

「いいえ、生きていこうと思えば、どこだって天国になれるわ」

 慈愛に満ちた表情で子供に乳を含ませていた女性が、ゲンドウの言葉に答えた。

「だって、生きているんですもの。(しあわ)せになるチャンスは、どこにでもあるわ」

「そうか、そうだな――」

 シンジは二人の会話を、海の中に立ったまま聞いていた。
 そこに近づこうとしたのだが、なぜか足が一歩も進まなかった。

「シンジ」

 椅子に座っていた女性が、シンジの方を振り向いた。

「いいのよ、こちらに来ても。足が動かないの?」

 その女性を見るのは始めてだったが、シンジは彼女が自分の母親であることを確信していた。

「それとも、あなたが行きたいのは、私のところではなく――あの人のところかしら?」

 ユイの視線が、シンジの背後へと動いた。
 シンジが後ろを振り向くと、そこには水の上に立つ横島の姿があった。

「横島さん――」

「シンジ。あんまり遅いから、迎えにきちまったよ」

 どういう理屈かわからないが、横島は海面の上をすたすたと歩いて、シンジの近くまでやってきた。

「お久しぶりです。碇ユイさん」

「横島さん、母さんを知ってるんですか?」

 シンジがきょとんとした表情で、横島の顔を見上げた。

「シンジには(だま)ってたんだが、前に一度だけ話をしたことがあるんだ。
 こうして直接会うのは、始めてだけどな」

「そうだったんですか」

 横島が陸地を振り向くと、ユイと一緒にいた赤ん坊のシンジとゲンドウの姿が、いつの間にか消えていた。

「シンジ、時間がない。おまえは早く戻れ」

「でも、どうやって?」

「このまま、沖に向かえばいい。レイちゃんとミサトさんが、おまえを待っている」

「横島さんは、行かないんですか?」

「俺は少し、おまえのお母さんに話がある。後で戻るから、心配するな」

「はい、わかりました」

 シンジは一瞬だけユイの方を振り返ると、そのまま波の中に飛び込んだ。
 泳げないはずのシンジがスイスイと海の中を泳ぎ、沖に見える光の中に入った。

(人のにおいがする……綾波?……ミサトさん?)




 パシャンという水音が、ミサトの耳に聞こえた。
 ミサトが音のした方を振り向くと、そこには裸のまま床に横たわっているシンジの姿があった。

「シ……シンジ君!」

 ミサトはすぐに駆け寄ると、シンジの頭をギュッと抱きかかえた。

「先輩! シンジ君が……!」

 制御室の中で、リツコとマヤが同じ光景を見つめていた。

「成功です」

 マヤは(うれ)しさのあまり、目尻に涙を()めていた。

「私の力じゃないわ……たぶんね」

 リツコはサルベージの成功に喜びながらも、全く予想外の展開に、困惑(こんわく)する思いを隠せなかった。

「碇君……よかった……」

 レイはケージの手すりに(つか)まって立っていたが、シンジが無事戻ってきたことがわかると、そのまま床にペタリと座り込んでしまった。




 横島は沖合いへ向かったシンジを見送ると、海から陸地に上がり、大木の下に立っているユイの所まで歩いた。

「こうして会うのは初めてですね、碇ユイさん」

「こちらこそ、シンジがお世話になってます。シンジと仲が良さそうなので、安心しました」

「シンジとは、一緒にいることが多いですからね。俺にとってシンジは、弟みたいなものです」

「その言葉を聞いて、安心しました」

 ユイが手を振ると、目の前に、一組の椅子とテーブルが出現した。
 ユイは新しく出した椅子に横島を座らせると、自分は元々あった椅子に座った。

「私に話があると言いましたね。ご用件をうかがいましょう」

「それじゃあ、ずばり言わせてもらいます。人類補完計画、中止してもらえませんか?」

 今まで優しげであったユイの表情に、一瞬緊張が走った。

「……その言葉を、いったいどこで?」

「いろいろ調べましたよ。なにせ、わからんことだらけでしたから。
 キーパーソンがユイさんだってことに気づいたのが、ようやく一月前のことでした」

 横島はいったん言葉を区切ったが、ユイからの応答が無かったため、話を続けた。

「碇ユイ。1977年、京都生まれ。
 大学に入る前から環境問題に興味をもち、環境破壊を引き起こす人類の未来に限界を感じる。
 京都大学に在学中、父親を通じてゼーレと接触し、裏死海文書を入手。
 その解読と研究に没頭する。
 同じく在学中に、六分儀ゲンドウと知り合い、後に結婚。
 大学卒業後、人工進化研究所にて、エヴァンゲリオンの開発に着手。
 2004年、初号機とのシンクロ実験中の事故で死去。享年(きょうねん)27才。
 エヴァの開発に関わったことと、若くして死亡扱いにされたこと以外は、ごく普通の人生ですね」

 ユイは一瞬緊張した表情を見せたが、再び微笑を浮かべると、横島の話に耳を傾けた。

「そのあなたが、どうしてあんな計画を立てたのか、俺にはさっぱり理解できないんです。
 エヴァに取り込まれたことは、まだわかります。
 セカンドインパクトの発生で、使徒の襲来(しゅうらい)は避けられなくなった。
 それに対抗し、人類の未来を守るには、エヴァしかないですからね」

「人類の未来のためですわ」

 優しげな笑顔を浮かべたまま、ユイが横島の質問に答えた。

「欠けた心の補完ってやつですか?
 俺は科学者じゃありませんが、霊とか魂といったものには、職業柄けっこう詳しいんです。
 ユイさんには悪いですが、まともな発想じゃありませんよ」

 美神やカオスのように、霊的な分野の知識があれば、もっと高尚な言葉――例えば、宇宙の摂理に反しているなど――を使ったかもしれないが、あいにく横島はボキャブラリに乏しかった。

「既にサイは投げられました。計画の遂行(すいこう)については、すべて夫に任せています。
 私はここで、計画の成就(じょうじゅ)を待つだけです」

「ここから出る気は無いんですね。わかりました」

 横島はやれやれといった様子で、両手を上にあげた。

「ところで――あなたはいったい誰ですか?」

 今度は、ユイが横島に質問を投げかけた。

「あなたはどうやって、この場所まで来たんですか?
 前にも、適格者(てきかくしゃ)でもないのに、エヴァを動かしてますね。
 まさか、知恵の実をもった使徒――」

「何でも使徒のせいにすれば、いいってもんでもないですよ」

 ユイの言葉を、横島が(さえぎ)った。

「俺は人間です。特殊な力を使えますが、それでも人間であることには変わりません。
 ユイさんのような科学者が、こういうわけのわからん話を、信じ難いというのは理解できますが。
 一つだけ言わせてもらうと、俺はその気になれば、ユイさんの承諾なしにユイさんをサルベージ
 することだってできます。
 ただ、それをやるとシンジが初号機を動かせなくなりますから、今はしないですけどね。
 それでは、失礼します」

「待ってください」

 椅子から立ち上がった横島を、ユイが呼び止めた。

「あなたはどうして、そこまでシンジのことを?」

「シンジはもう、俺の身内みたいなもんです。
 俺は以前、親しい仲間を見殺しにして、死ぬより(つら)い目にあいました。
 シンジを見捨てて、同じ想いをしたくない――ただ、それだけですよ」

 横島はユイから視線を外すと、(さび)しげな笑顔を浮かべた。

「俺は、彼女と世界を(はかり)にかけて――そして世界を選んだ男ですから」



BACK/INDEX/NEXT

inserted by FC2 system