交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十二話 −MOTHER− (04)




「失礼します」

 ネルフ保安諜報部の制服を着たジークが、ネルフ本部内の一室に入った。

春桐(はるきり)君か、こっちに来たまえ」

「はっ!」

 シンジが初号機に取り込まれた後、ジークは春桐魔沙人(まさと)の偽名を使って、ネルフの保安諜報部に(もぐ)り込んでいた。
 もっとも表向きは、ネルフに中途採用されたジークが、保安諜報部に配属されたことになっている。

「君の仕事ぶりは聞いているよ。
 ここ数週間で、敵対組織が築いた拠点を、三つも(つぶ)したそうじゃないか」

「恐縮であります」

「春桐君は、以前はヨーロッパの民間軍事会社に勤務していたそうだね」

「北アフリカと中東で、五年間勤務していました。
 対テロリストの部隊に所属していましたので、その時の経験が役立ったものと思われます」

 もちろん、ジークの過去の経歴は、ヒャクメが偽造した全くのでっち上げである。

「その、君の優秀な実力を、買ってのことだが……」

 保安諜報部長は、ゆっくりと席を立つと、ジークに背中を向けた。

「ネルフのチルドレンは知ってるね?」

「はっ。ネルフが誇る、エヴァンゲリオンのパイロットですね」

「だが君も知ってのとおり、彼らはパイロットとはいえ、外見はまだ十四歳の子供だ。
 そのチルドレンを、今までも我々保安諜報部が護衛していたのだが、上から護衛を強化するよう
 に指示がでた」

「私に、そちらに回れということでしょうか?」

「そうだ。今までのように派手な仕事ではないが、これも重要な任務であることを理解して欲しい」

「了解しました」

 ジークは上司に向かって、サッと軍隊式の敬礼をした。




 シンジが目を覚ますと、いつもの病室のベッドで横たわっていた。
 シンジは上半身を起こすと、ベッドの上でボーッとしていたが、しばらくしてからベッドを降りて病室の外へ出る。
 だが、病室から出たときに、食事を盛り付けたトレイを運んでいたレイと、ばったり出会った。

「碇君……」

 レイはその場で立ち止まると、じっとシンジの顔を見つめた。
 シンジもまた立ち止まってレイの顔を見つめていたが、しばらくしてから口を開いた。

「ありがとう、綾波」

「……どうして?」

 レイはシンジに、自分に礼を言う理由を(たず)ねた。

「エヴァから出てくるときに、綾波が僕を呼んでいたような気がしたんだ。
 綾波の顔を見ていたら、急にそのことを思い出して」

「よかった。また、碇君の顔を見れて」

「うん」

「でも、碇君は、これでよかったの?」

「正直、よくわからないんだ。エヴァに取り込まれていた時のことを、全部覚えていないし」

「そうなの?」

「途切れ途切れしか、覚えてないんだけど……でも、僕もまた綾波に会えて、本当によかった」




「副司令が拉致(らち)されたですって!?」

 ミサトの執務室にやってきた、黒服を着た二名の保安諜報部員のうちの一人が、そうミサトに告げた。

「今より二時間前です。ジオフロント西の第八管区を最後に、消息を絶っています」

「うちの所内じゃない。あなたたち、諜報部は何やってたの!」

「内部に内報および先導した者がいます。その人物に裏をかかれました」

 話をしていた黒服の男が、黒いサングラス越しに、ミサトの顔をジロリと見つめる。

「加持リョウジ。この事件の首謀者(しゅぼうしゃ)と思われる人物です」

 加持の名を聞いたミサトは、思わず面食らってしまう。
 気勢を()がれたミサトは、椅子の上にストンと腰を落とした。

「……それで、私の所に来たってわけね」

「作戦部長を疑うのは、同じ職場の人間として心苦しいのですが、これも仕事でして」

「彼と私の経歴を考えれば、当然でしょうね」

 ミサトは、上着のポケットから護身用の拳銃を取り出し、机の上に置く。
 ミサトと話していた黒服の男が、その銃を取ってポケットに収めた。

「これでいい?」

「ご理解が早くて、助かります」

 ミサトと話していた黒服の男が、もう一人の男に目配せする。

「お連れしろ」

「はっ」

 もう一人の黒服の男がミサトの片腕を(つか)み、そのまま独房へと連行していった。




 冬月は真っ暗な部屋の真ん中で、後ろ手を手錠でくくられて、粗末なパイプ椅子に座らせられていた。

『久しぶりだな、副司令殿』

 冬月の目の前に、“SEELE01”と刻印された長方形の石板が現れた。
 黒い色をした4メートル程の長さの石板は、実体ではなくホログラムである。
 その石板の中央に、キール・ローレンツの顔が浮かび上がった。

「キール議長、まったく手荒な歓迎ですな」

『非礼を()びるつもりはない。君とゆっくり話をするためには、当然の処置だ』

「相変わらずですね。私の都合は、おかまいなしですか?」

『議題としてる問題が急務なのでね』

左様(さよう)

『わかってくれたまえ』

「委員会ではなくゼーレのお出ましとは……」

 冬月の周囲は、全部で12枚の石板で囲まれていた。

『S2機関を搭載(とうさい)したエヴァンゲリオン初号機。
 それは理論上、無限に稼動する半永久機関を手に入れたのと同意義だ』

 最初に“SEELE01”のキール議長が、話を切り出した。

『五分から無限。突飛な話だ』

『絶対的存在を手にしてよいのは、神だけだ』

『人はその分を、超えてはならん』

『我々に具象化された神は不要だ』

 続いて、“SEELE04”、“SEELE09”、“SEELE06”、“SEELE11”の人物が発言をする。

『まして、あの碇の息子を、神の子とするわけにはいかないのだよ』

「おっしゃっている意味が、よくわかりませんが……」

 冬月はこの場でしらを切ったが、その程度の誤魔化(ごまか)しが、ゼーレ相手に通用するはずもなかった。

『碇ゲンドウ――はたして、君の信用に足る人物かな?』

『よく考えてみたまえ。君が碇につくのか、それとも我々の側につくのか。
 どちらにしろ、君の知る限りのことは全て話してもらうが……
 その気になったら教えてくれたまえ、冬月先生』

 キールの言葉を最後に、最初の尋問(じんもん)が終わった。




 同じ頃、ゲンドウとリツコはネルフ本部の司令室にいた。

「今回の件、委員会はどう対応するつもりなのですか?」

「動かんよ。拉致を命じたのは、委員会のやつらだ」

 司令席に座っていたゲンドウは、目の前で手を組んだ姿勢でリツコの顔を見つめる。

「君は余計な心配をしなくていい。レイとアスカの再テストを急ぎたまえ」

「はい」




 シンジは検査のため、数日間入院することとなった。
 エヴァからサルベージされた数少ない事例のため、精密に検査する必要があったからである。
 一日の検査が終わって、病室のベッドの上で考え事をしていたとき、入り口のドアがノックされた。

「はい、どうぞ」

 部屋の中に入って着たのは、ネルフの一般職員の制服を着た横島とヒャクメ、それから保安諜報部の黒服を着たジークだった。

「よっ、シンジ。元気にしてたか」

「横島さん、ヒャクメさん、それにジークさんまで……」

「実は、保安諜報部に入ったジークが、チルドレンを護衛する部署に入ったんだ」

「よろしく、シンジ君」

 シンジは、右手を差し出したジークと、軽く握手を()わした。

「チルドレンを護衛する部署って、そんなのあったんですか?」

「ネルフの保安諜報部は、怪しい人間が近づいたりしないように、チルドレンを見張っていたんだ。
 今までは、主に監視カメラに頼っていたんだけどね。
 ところが、上から護衛を強化する指示が下って、それで要員が増強されたんだよ」

「そうだったんですか……それじゃあ、横島さんの所に行くのは、少しまずいですよね」

「そうだな。様子がはっきりするまで、シンジが移動するのは中止しよう」

「わかりました。それから、横島さんに聞きたいことがあるんですけど」

 シンジはシーツの裾をギュッと(にぎ)ってから、横島の顔を見つめた。

「あの時、横島さんと僕は、母さんに会いましたよね。
 教えてください、母さんのこと。
 母さんはなぜ、あそこにいるんでしょうか……」

「そうだな、シンジ。俺も今日、それを話しに来たんだ」

 横島は窓に近づくと、窓にかかっていたカーテンを勢いよく開いた。
 ジオフロントから入る白い光が、部屋の中を柔らかく照らし出した。







「すべては、京都から始まったんだ」

 横島が語る言葉に、シンジは耳を傾ける。

「碇家は、京都でも古くから続く名家だった。
 中でもシンジのお母さんの父親、碇ソウイチロウは日本の政財界にも強い影響力をもつ大物だった。
 彼がいつから、秘密結社ゼーレと関わりを持ち始めたかはわからない。
 だが、ユイさんが京都大学に入学したとき、既に彼はゼーレの一員となっていた。

「お母さんのお父さん……つまり、僕のお祖父(じい)さんが、ゼーレと関係があったと?」

 シンジが、横島に尋ねた。

「そうだ。当時から既にゼーレは、世界を裏から操る存在だった。
 どこから聞きつけたのか、ゼーレがもつ裏死海文書に強い興味を示したユイさんは、父親を通じて
 それを入手すると、裏死海文書の研究を始めた。
 冬月教授――副司令は当時、京都大学の教授だったんだ――のゼミに入ったのも、裏死海文書が
 予言する使徒の存在について、研究するためだったと思う。
 その頃かな、シンジの父さんとお母さんが出会ったのは」

「父さんと……母さんが……」

「どういう経緯(けいい)で二人が知り合ったかまでは、俺は知らない。
 当時、まったくの無名だった六分儀ゲンドウが碇ユイに接近したのは、おそらく碇家とそのバック
 にいるゼーレと関わりを持ちたかったからだと思うが、これは推測の域を出ないだろう。
 とにかく二人は恋仲となり、大学を卒業してすぐに結婚し、まもなくシンジが生まれた。
 普通に考えれば、夫婦仲はかなりよかったんじゃないかと思う」

「そう……なんですか」

 シンジが、どことなく嬉しげな表情を浮かべた。

「まもなく、裏死海文書の予言どおり南極で第一使徒が発見され、葛城調査隊が南極に派遣された」

「葛城って、まさか……」

「そのとおり。調査隊を率いていたのは、ミサトさんのお父さんだ。
 それから、当時シンジと同じ14歳だったミサトさんも、その調査隊に同行していた」

「ミサトさんもですか!」

「南極でどのような調査が行われたか、詳しいことはまだ把握していない。
 だが、調査の途中で第一使徒が目覚めてしまい、調査隊は使徒の再封印を試みるものの、失敗して
 使徒のS2機関が暴走。調査隊で生き残ったのは、ミサトさんただ一人だった。
 これがセカンドインパクトの正体なんだよ」

 横島が話した内容は、以前に加持から聞いた話とほぼ一致していた。
 シンジは横島が話した内容について、確信を深めた。

「アダムの覚醒(かくせい)とセカンドインパクトの発生により、使徒の襲来(しゅうらい)がほぼ確実となった。
 予想される使徒との戦いに備えるため、ゼーレは人工進化研究所を設立。
 そこで所長を勤めたのが現ネルフ司令の碇ゲンドウであり、そして使徒に対抗するため、
 エヴァンゲリオンを開発したのが、シンジのお母さん、碇ユイさんだったんだ」

「母さんが、エヴァを作ったんですか!?」

「シンジが今乗っている初号機、あれは設計から製造まで、全てユイさんが担当したんだよ」

 意外な事実を知ったシンジは、驚きの表情を見せた。

「その後のことは、シンジも知ってのとおりだ。
 自ら被験者に志願したユイさんは、シンクロ実験中の事故で消失。
 公式には死亡となっているが、本当は死んでなんかいない。
 エヴァのコアの中で、今も生きているんだ」

 横島の話を聞いたシンジは、顔を軽くうつむかせながら、横島に尋ねた。

「……母さんは、なぜエヴァの中から出てこなかったんでしょう」

「シンジは、エヴァのシンクロシステムがどうなってるか知ってるか?」

「えっ!? わ、わかりません」

「エヴァは機体とパイロットのパーソナルパターンが合わないと、シンクロできないんだ。
 エヴァが専属パイロット制になっているのは、それが理由なんだけど……」

「はい。以前にリツコさんから同じ話を聞きました」

「エヴァは、実は使徒をコピーしたものなんだ。
 ところが、人と使徒は別種の生物だから、普通の方法では絶対にシンクロしない。
 それで、どうしたと思う?」

「……」

「エヴァのコアに、人の魂を宿らせることを考えたのさ。
 エヴァのシンクロってのは、実はエヴァのコアの中にいる人とシンクロしているんだ。
 ユイさんがエヴァのコアに残ったのは、使徒からシンジを守るためなんだよ」

「そう……そうだったんですか……母さんが……僕のために……」

 シンジの目から涙があふれて、ベッドのシーツに()(あと)を残した。




 シンジの病室を出た横島とヒャクメとジークの三人は、本部施設へ戻るため通路を歩いていた。

「全部は、話さなかったですね」

 横島の左側を歩いていたジークが、小声で横島に話しかけた。

「今のシンジが、ユイさんの事情を全部理解して、受け止めるのはまだ無理だ。
 それに、『人類補完計画』については、わかってないことも多いしな」

「でも、シンジ君にいつ話すの?」

 ジークと反対側を歩いていたヒャクメが、横島に質問する。

「ゼーレとゲンドウが、行動を起こす前までにさ。
 奴らが計画を実行するのは、17番目の使徒を倒した後だから、まだ時間に余裕はある。
 それから、ヒャクメ。そろそろ、加持さんとコンタクトを取りたいんだ。
 どこか、人目の少ない場所を探してくれないかな?」

「わかったわ」




 翌日、出勤したリツコは、初号機のケージにふらりと足を運んだ。
 そして、アンビリカルブリッジから初号機を見上げていたとき、マヤがリツコのいる場所に駆け寄ってきた。

「あの……先輩」

「どうしたの?」

「零号機のシンクロテストの時間になったんですけど、レイがまだ来ないんです。
 居そうな所は、(さが)してみたんですけど」

「珍しいわね。彼女が無断で行方をくらますなんて」

「そうですね」

 マヤがリツコの発言に、相槌(あいづち)を入れた。

「仕方ないわ。テストは午後に延期して」

「いいんですか?」

「たまには、息抜きも必要よ」

「そう言えば、葛城さんも昨日から姿を見ませんね」

「そうね、どうしたのかしら……」

 マヤに対してはわざと言葉をぼやかしたが、ミサトが今どこに居るのか、リツコにはおおよその見当はついていた。




 ミサトが独房に拘束(こうそく)されてから、一昼夜が経過していた。
 独房には窓がなく、真っ暗ではないが、部屋の中がぼんやりと見える程の明るさしかない。
 ミサトはベッドに腰掛けながら、一人物思いにふけっていた。

(暗い所は、まだ苦手ね。イヤな事ばかり思い出すわ)

 ミサトの脳裏には、自分をエントリープラグに押し込む父親の姿と、そして天を(おお)いつくそうとする光の巨人の姿が、何度も浮かんでは消えていた。

(あの頃……)

 出会った頃の加持は、髪も短く、髭もきれいに()っていた。
 ミサトは加持の胸に飛び込んでは、幾度となく(くちびる)を重ね合わせたものだった。

(あいつといる間だけは、あの時の事を全て忘れていられた。
 あのまま、ずっと幸せに浸っていられたら、よかったのに……)

 ミサトは(ひざ)を抱えて、うずくまった。
 いつしか、ミサトの目から涙が(こぼ)れ、彼女の足を()らしていた。



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