交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十二話 −MOTHER− (05)




 レイは朝起きるとすぐに、シンジの見舞いに出かけた。
 午前中に零号機のシンクロテストがあることは知っていたが、わざとすっぽかした。
 命令に従わなければいけないという意識がレイの心を揺さぶったが、レイはシンジの病室へと向かう足を止めなかった。
 零号機はいつでも起動できるという自信もあったし、何よりも一刻も早くシンジの顔を見たいという衝動(しょうどう)が、レイの心を突き動かしていたからである。

「綾波、おはよう」

 レイが病室に入ると、シンジが食事用のトレイを片付けているところだった。

「食事、済んだの?」

「うん、今食べ終わったばかりなんだ」

「飲み物は?」

「そうだね。何か買ってこようか」

 ネルフのカードをもって病室を出ようとするシンジを、レイが引き止めた。

「待って。私が行ってくるわ。碇君、何がいい?」

「じゃあ、アイスミルクティーをお願い」

 レイは缶ジュースの自販機が置いてある場所まで移動すると、自分のカードを入れてアイスミルクティーのボタンを押す。
 そして、しばらく迷ったあと、同じボタンを押して自分の分を購入した。

「はい、碇君」

「ありがとう、綾波」

 病室に戻ったレイは、シンジにアイスミルクティーの缶を渡す。
 そして、二人でベッドに並んで腰掛けると、プルタブを引いて口をつけた。

「綾波」

「なに?」

「時間まだある?」

「ええ、問題ないわ」

 レイの口からすらりと(うそ)の言葉が出たが、不思議と罪悪感はなかった。

「これ飲んだら、ちょっと外に出てみない?
 次の検査は昼からだから、僕もそれまで時間があるんだ」




 レイはシンジは服を着替えるのを待って、一緒にネルフ本部の外に出た。
 シンジは、ジオフロント内にあるネルフ本部から歩いて五分ほどの場所にある公園に、レイを案内する。

「きれい。本部の庭に、こんな所があったのね」

 シンジとレイの目の前には、よく整備された噴水(ふんすい)と、そこから水が流れ出る水路があった。
 周囲は芝生(しばふ)が広がり、噴水と水路の周りには背丈の低い刈り込まれた植木が並んでいた。
 また、公園の庭のあちこちに、ギリシャ風の柱が立っており、中央には石でできた東屋(あずまや)があった。

「ずっと、ここで働いていたのに、知らなかったの?」

「必要のない所には、行ったことないから」

 レイは通路から外れて石段を降りると、水路の水の中に片手を入れた。
 水路を流れる水は、ヒヤリとして冷たかった。

「初めて触れた時は、何も感じなかった」

「え?」

「碇君の手」

 レイがシンジを初めて会ったとき、負傷していたため、ストレッチャーで運ばれていた。
 使徒の攻撃でケージが()れたときに、ストレッチャーから落ちてしまい、あわてて近寄ってきたシンジに抱きかかえられたのだが、傷の痛みで朦朧(もうろう)としていたため、そのときの感触はよくわからなかった。

「二度目は……」

 シンジの顔が、サッと赤くなった。
 シンジが初めてレイの部屋を訪れたとき、シャワー室から出てきたレイは、レイが(はだか)であることに動揺(どうよう)したシンジによって、その場で押し倒されていた。

「少し気持ち悪かった……かな?」

「あ、あの時はごめん!」

 (ひたい)に浮かんだ汗を(ぬぐ)いながら、シンジはレイに謝罪の言葉を述べた。

「三度目は暖かかった。スーツを通して、碇君の体温が伝わってきた」

 第五使徒の加粒子砲で撃たれた後、エントリープラグを出たレイは、回収班と合流するまでシンジの肩を借りて歩いた。
 その時に感じたシンジの優しさが、ゲンドウ以外の人物に対して、レイが心を開くきっかけとなっていた。

「四度目は(うれ)しかった。私を心配してくれる、碇君の手が」

 シンジが二度目にレイの部屋に来た時、レイはお湯を()かしていたケトルに触れて軽い火傷をしてしまった。
 その時、シンジはすぐさまレイの手を(つか)むと、痛みが治まるまで流水でレイの手を冷やした。
 その時に感じた胸の鼓動(こどう)の高まりは、今でもレイの心の中で、色あせずに残っていた。

「もう一度、触れていい?」

 レイはゆっくりと後ろを振り返ると、そうシンジに()げる。

「……いいよ」

 レイは手を伸ばすと、シンジの手のひらを(にぎ)った。
 つないだ手から伝わる暖かさが、レイとシンジの胸の中にまで広まっていった。




『冬月先生』

 冬月にかけられた手錠に、ピリッと電流が走った。
 うとうとと眠りかけていた冬月は、その電流の刺激で目を覚ました。

『眠ってもらっては困るよ。まだこちらの質問に答えてもらっていない』

 冬月の目の前の空間には、“SEELE01”の石板があった。
 その石板を通して、キールが冬月への尋問(じんもん)を続けている。

『これで三十時間、不眠の上、飲まず食わずだ。老体にはきつかろう。
 そろそろ限界ではないのかね?』

『お気遣いはけっこう。これでも、年の割りには頑丈(がんじょう)な方でね』

 じっと歯を食いしばる冬月の表情には、絶対に口を割らないという固い決意が表れていた。




 翌朝、シンジが目を覚ますと、久しぶりに横島が来ていた。

(おはよう、シンジ)

「あ……おはようございます」

(なんだ、まだ入院してたのか)

「いちおう、今日で退院する予定です」

 シンジは起き上がると、タオルを首にかけて洗面所へと向かう。
 冷たい水で顔を洗うと、一発でしゃきっとした気分になった。

(今日は、ずいぶんと調子よさそうだな)

「ええ、こんなにいい気分になったのは、久しぶりです」

(さては昨日、何かいいことでもあったか? とうとう、レイちゃんとの関係が進展したか)

 横島の(するど)い指摘に(あわ)てたシンジは、勢い余って、洗面所の鏡に顔をぶつけそうになってしまう。

「な……な、な、な、何でもないです!」

(隠さなくても、バレバレだっての)

「ミサトさんみたいなことを、言わないでくださいっ!」

(ま、シンジのことだから、手でもつないで、すっかり舞い上がってるってとこだろうな)

「み、見てたんですか!」

 シンジの顔が、ゆでだこのように真っ赤になった。

(おっ、図星だったか。これで、美神さんや小竜姫さまたちに、報告するネタが一つ増えたな)

「や、やめてください! ()ずかしいじゃないですか」

 横島はシンジと入れ替わると、監視カメラのない場所に移動してから、通信鬼でヒャクメを呼び出した。

「もしもし、横島だけど。あのさー、シンジのことで面白い話が」

「横島さん!? よかった〜。ちょっと、重大な事件が起きたのよ」

「重大事件て、いったい何が起きたんだ?」

「加持さんのことなんだけど、加持さんが副司令を拉致(らち)して、行方をくらましちゃったのよ」

「なんだって!」

 横島は周囲に聞かれないよう小声になると、ヒャクメから状況について、詳しい説明を聞いた。







 ゼーレによる尋問が行われてから、数時間が経過した。
 冬月は拘束(こうそく)されてからずっと、真っ暗な部屋の中に留め置かれている。
 今は尋問は行われていなかったが、監視は続けられており、眠ろうとするたびに金属製の手錠に電流が走った。
 さすがの冬月も焦燥(しょうそう)しかけたとき、突然ガタンという音と共に、背後から光りが部屋の中に差し込んできた。

「君か」

 部屋の中に入ってきたのは、冬月を拉致した加持だった。

「ご無沙汰です。お元気そうでなにより」

 加持は冬月に近づくと、冬月を拘束している手錠に手をかけた。

「外の見張りには、しばらく眠ってもらいました」

「私をさらっておいて、また助けるとは理解に苦しむな」

「真実に近づきたいだけですよ、僕なりのですが」

 加持は、見張りから奪った鍵を、手錠の鍵穴に入れる。

「どうやら、ゼーレや委員会より、ネルフの方が真実に近いようです」

 ゴトリという音ともに、頑丈(がんじょう)な手錠が外れた。

「それに、このままあなたが消されるようなことがあれば、胸が痛みますからね」

「……この行動は、君の命取りになるぞ」

「もとより、覚悟の上です」




「では、冬月は無事なんだな」

「はい。身柄(みがら)は先ほど、こちらで確保しました」

 ネルフ本部の司令室で一人の保安諜報部員が、冬月を保安諜報部で保護したことをゲンドウに報告していた。

「ただ、随行者(ずいこうしゃ)の行方は不明ですが」

「……そうか」

 ゲンドウは机の上で手を組んだ姿勢のまま、一言うなずいた。




「ご協力、ありがとうございました」

 ミサトが入っていた独房に、保安諜報部員がやってきて、ミサトの釈放(しゃくほう)を告げた。
 ミサトから取り上げた銃も、その場でミサトに返された。

「もう、いいの?」

「はい。問題は解決しました」

「そう……」

 ミサトは銃を受け取ると、胸のフォルダーにそれを収めた。

「ところで、彼は?」

「存じません」

 ミサトに返答した保安諜報部員は、最後まで無表情のままだった。




 第三新東京市のビルの通路の中を、加持は銃で撃たれた傷を手で押さえながら、一人歩いていた。
 ビルの管理用に設けられたその通路には、加持と加持を追う男以外に人影は見られない。
 足を引きずりながら歩く加持の(あと)には、ズボンから(したた)り落ちた血が点々と残されていた。

「ようっ。やっと来たか。ずいぶん遅かったじゃないか……」

 換気口から入る夕陽の光で、加持の全身が赤く照らされていた。
 加持を追ってきた男は、無言のまま持っていた拳銃を加持に向けた。

遠慮(えんりょ)はいらない。今度は外すな」

 死を覚悟した加持が、その男に向かって不敵な笑みを浮かべたその時、通路に別の声が(ひび)き渡った。

「危ない! 加持さん!」

 大きな靴音(くつおと)をたてて通路を駆けてきたのは、シンジだった。
 そしてシンジの後から、加持の部下であるヒャクメと、浅黒い肌をした一人の保安諜報部員が、こちらに向かってくる。

「来るんじゃない、シンジ君!」

 加持がシンジを制したが、シンジの足は止まらなかった。
 シンジの名を聞いたその男は、一瞬銃口を下げかけたが、すぐに構え直した。。
 男がゼーレから受けた命令は、加持の暗殺である。邪魔者(じゃまもの)は、排除しなければならなかった。

 ガーーン!

 その通路に、大きな銃声が鳴り響いた。




 釈放されたミサトが自宅に戻った時、部屋にはペンペン以外誰もいなかった。

「ただいま、ペンペン」

 ミサトは近寄ってきたペンペンを軽く抱き上げると、ペンペンを床に下ろしてから台所にあるテーブルの席に座った。
 椅子に腰を下ろすと、思わずふうっとため息が()れてしまう。
 気分転換にビールでも飲もうかと席を立ちかけたときに、テーブルの上に置いてある電話機に録音が入っていることに気がついた。
 ミサトは手を伸ばすと、録音再生ボタンを押した。

『葛城、俺だ。多分この話を聞いているときは、君に多大な迷惑をかけた後だと思う』

 加持のことを心配していたミサトは、ハッとした表情となった。
 ミサトは両方の手をテーブルに付けた姿勢で、加持のメッセージに聞き入る。

『もし、もう一度会えることがあったら、その時はこの前言いそびれた言葉を言うよ。
 葛城、真実は君と共にある。迷わず進んでくれ』

 そこで、加持のメッセージは終わっていた。
 メッセージが録音されていた時間は、ミサトがまだ独房に入っている間だった。

「バカ……」

 ミサトの目から、大粒の涙が(こぼ)れ落ちた。
 加持はネルフとゼーレのどちらか、もしくは両方を敵に回したのだ。
 このメッセージも、遺言(ゆいごん)のつもりで残したに違いない。

「バカよ……あんたは……」

 ミサトはテーブルの上に伏せながら、ずっとすすり泣いていた。




 男は、目の前の少年が無傷であることに、(おどろ)いていた。
 弾が外れたのではない。
 男にとって、その少年が立っている場所は、狙いを外すはずのない距離であった。
 だが、少年の右手にある白く光った(たて)が、男の銃弾を完全に受け止めていた。

「チッ!」

 男はうめき声を漏らすと、拳銃の引き金を連続して引いた。
 だがシンジは、右手の盾を素早く動かし、男が撃った弾丸を全て弾いてしまう。
 やがて、弾切れとなった拳銃からは、カチッカチッという音しか聞こえなくなった。

「クソッ!」

 状況が不利なことを悟った男は、身を(ひるが)して逃げようとした。
 だが、シンジの右手にあった盾が手の形へと変化し、その手がグッと長く伸びて、逃げようとした男の足首を掴んで床の上に倒した。

「ジーク、頼む!」

 ジークと呼ばれたネルフの黒服は、床に倒れた男を押さえつけると、後頭部に一撃を加えて男を気絶させた。




「加持さん、大丈夫ですか?」

 加持はガクッと膝を曲げると、そのまま壁に背もたれしたまま床に腰を下ろした。
 その加持に向かって、シンジが近づいていった。

「助かったよ、シンジ君……いや、もう一人のシンジ君と呼んだ方がいいかな?」

 シンジは一瞬ハッとしたが、すぐに元の表情に戻った。

「……気づいてましたか」

「確信したのは、たった今だけどな。
 実は以前からゼーレには、碇シンジは二重人格だとか、二人いるんじゃないかという、冗談みたい
 な(うわさ)が流れていたんだ。戦闘中にときおり見せるシンジ君の態度が、あまりにも普段と違っている
 というのが理由なんだけど、あまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)な話なんで、俺は信じちゃいなかった。
 だが、第十三使徒戦の映像を見て、考えが変わった。
 わずか数秒の間に、一人の人間の顔つきが、あれほど変わることはありえないからな……クッ!」

 そこまで一気に(しゃべ)ると、加持は傷が痛むのか、顔を強くしかめた。

「ヒャクメ、加持さんの手当てを」

「わかったわ」

 ヒャクメが傷口に手を当てると、腹の傷が一瞬熱くなり、そして痛みが和らいだ。

「ありがとう。だいぶ楽になったよ」

「止血して痛みを止めただけですから、無理は禁物ですよ。
 できるだけ早く、専門の医療機関で診察を受けてください」

「悪いけど、肩を貸してくれないかな。
 近くにネルフにもゼーレにも知られていない隠れ家があるんだが、そこまで頼む」

 シンジでは加持と身長差があるため、ジークとヒャクメの二人が加持の肩を支えた。

「ところで、君たちの目的は? まさか酔狂(すいきょう)で、俺を助けたわけではないだろう」

「俺たちと手を組みませんか、加持さん?
 俺たちなら、加持さんの目的にも力になれると思いますよ」

「オーケイ。命を助けてもらって、(ことわ)る道理はないしね。それに、君のことにも興味が出てきたよ」

 加持は首を回して、斜め後ろを歩いていたシンジに視線を向けた。

「ところで、君のことは何と呼べばいいのかな? ヨコシマ君でいいのかい?」

「そこまで気づいてましたか……あなたと組んで正解でしたよ、加持さん」

 横島はその場で、自分のフルネームを加持に教えた。




「ただいま」

 帰宅したシンジが、マンションのドアを開けると、ミサトがすすり泣く声が聞こえてきた。

「ミサトさん?」

 ミサトはシンジが帰ってきたことに気づくと、顔を上げながら、服の(そで)で顔を拭った。

「大丈夫。何でもないわ」

 だが、ミサトの目は赤く()れており、つい先ほどまで涙を流していたことは、シンジにもすぐにわかった。

「あの、加持さんから手紙を預かっているんですけど」

 加持の名を聞いたミサトは、ダッシュでシンジに近づくと、(うば)い取るようにして手紙を取った。

『葛城、たびたび済まない。
 事情があってしばらくここを離れるが、命に別状はない。
 しばらくは会えないかもしれないが、許して欲しい』

 ワープロではなく手書きで書かれたその手紙は、間違いなく加持の筆跡(ひっせき)だった。

「シンジ君、この手紙はいつ受け取ったの?」

「つい、三十分ほど前です」

 シンジの返事を聞いたミサトは、その場でへなへなと座り込んでしまった。

「あの、大丈夫ですか、ミサトさん?」

「ごめん、シンジ君。冷蔵庫からビールを一本もってきて」

 シンジは冷蔵庫からえびちゅの缶を取り出して、床の上にペタリと座っているミサトに渡した。
 ミサトは缶のフタを開けると、中身を一気に飲み干した。

(なによ、あのバカ。人に心配ばかりかけさせて……本当に仕方ない(やつ)なんだから)

 ミサトはシンジから二本目のえびちゅを受け取ると、今度はゆっくりと口をつけた。
 いつしかミサトの顔に、安堵(あんど)した表情が戻っていた。



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