交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十三話 −フィフス・チルドレン− (01)




「どうしたんですか? 少し顔色が()えないようですけど?」

「そうね。少し疲れているかもしれないわ」

 ミサトは、同じ作戦部の日向を助手席に乗せると、ジオフロント内にある大きな()り橋の上で車を停車させた。
 ジオフロント内は一般車両の通行が禁止されていることもあり、ミサトの乗るルノー以外の車は見られない。
 新鮮な空気を吸いたかったミサトは、車から降りてから日向と会話を始めた。

「それより、その情報本当なの? 世界七か国でエヴァ13号機までの建造を開始するって……」

「上海経由の情報です。ソースに信頼はおけますよ」

「なぜこの時期に、量産を急ぐのかしら?」

「現在エヴァは二機も大破してますし、予備戦力の増強を急いでいるのでは?」

「そうかしら? ここの二機にしても、ドイツで建造した五号機と建造中の六号機の両腕を回して
 もらってるのよ?」

「では、使徒の複数同時展開のケースを、設定したものでしょうか?」

「そうね。でも、非公開に行う理由がない……。
 私には、委員会の(あせ)りらしきものを感じるわ。委員会には、何か別の目的があるのよ」

「もっと、詳しく探りましょうか?」

「そうね。できるなら」

「まかしといてください!」

 やる気をアピールするためか、日向は指を三本立てたピースサインをミサトに見せる。
 その振る舞いを見ていたミサトは、わずかに口元をゆるめてクスリと笑った。

「日向君。ちょっと考え事をしたいから、車の中で待っててもらえる?
 五分くらいで戻ってくるから」

「わかりました」

 ミサトは一人で吊り橋の上を歩いた。アスファルトの道路の上に、コツコツとハイヒールの音が鳴り響く。

(間違いないわ。委員会とネルフは、仲違(なかたが)いを起こしている)

 シンジが初号機に取り込まれている頃、ミサトの執務室を訪れた加持が、口移しでミサトに渡したものは、マイクロフィルムの入ったカプセルだった。
 そこには、加持が今まで調べてきたことが、克明に記録されていた。
 電子データのまま情報を渡し、MAGIに情報を盗まれることを(おそ)れた加持がとった苦肉の策だった。

(勝手な行動をするネルフを(おさ)えるため、委員会が副司令を拉致した。
 ……加持が行方(ゆくえ)をくらませたのは、おそらくそれが原因ね)

 加持が委員会から命ぜられた本当の仕事は、ネルフ上層部が勝手な行動を取らないよう、監視することだった。
 だが加持は、委員会の指示に背いて、副指令を解放してしまう。
 委員会に造反した結果、命の危険を感じた加持は、ネルフはもとより、第三新東京市からも脱出せざるを得なくなったのだろう。

(事態はどんどん変わっていくわ……だから私は、あなたの言うとおり先に進むことにする)

 ミサトはポケットに手をいれると、加持から受け取ったカプセルを取り出した。
 マイクロフィルム自体は別の場所に隠しておいたが、ミサトは加持の形見(かたみ)として、このカプセルを肌身離さず持ち歩いていた。

(あの時受け取った、このあなたの心と一緒にね)




 ネルフ本部にあるリツコの部屋に、受付から外線の電話が入った。
 電話の相手が祖母であることを知ったリツコは、すぐに受話器を取った。

「そう……いなくなったの、あの子」

 電話の用件は、祖母に預けていた飼い猫が、行方不明になったという連絡だった。

「ええ、多分ね。猫にだって寿命はあるわよ……泣かないで、おばあちゃん」

 その猫をリツコは、学生の頃からずっと可愛がっていた。
 だが、母親が亡くなった後、母親の仕事を引き継いでネルフに詰めることが多くなったリツコは、愛猫の世話を祖母に託すしかなかった。

「時間ができたら、一度帰るわ。母さんの墓前にも、もう三年も立っていないし……。
 うん、今度は私から電話するから。じゃあ、切るわね」

 受話器を置いたリツコは、外の光を取り入れている(くも)りガラスの窓をぼんやりと見つめた。

「そう……あの子が死んだの……」

 しばらくしてからリツコは、ノートパソコンのキーを押した。
 すると、高校の制服を着た自分と、まだ若い頃の母親、そして(ひげ)を伸ばす前の碇ゲンドウが並んで写ったスナップ写真が、ノートパソコンのウィンドウに表示される。
 リツコはにこやかに笑っている母親の隣でむっつりとした表情をしている自分と、そしてやや陰鬱(いんうつ)ではあるが、今のように険しい表情をしていない碇ゲンドウの姿を見つめながら、しばらくの間、物思いに(ふけ)っていた。




 レイは、本部内にある病院の一室で、椅子に座ってリツコが来るのを待っていた。

(この部屋……イヤな感じのにおい。いつ来ても慣れないわ)

 レイ専用の病室であるその部屋は、窓がないことと換気が十分でないため、薬品の臭いが部屋全体に染み付いていた。

「ごめんなさい。待った?」

 約束の時間を少し過ぎてから、リツコが部屋に入ってきた。

「あ……いえ」

「そう。じゃあ、いつものように腕を出して」

「はい」

 レイは椅子の脇にある台の上に、右腕を置いた。
 リツコはゴムで肘の辺りを軽く(しば)り、血管を浮き出させてから、注射器で薬品を吸い上げてレイの右腕に注射した。

(うっ……)

 レイの顔色が、みるみるうちに青ざめていく。
 右腕の血管から入ってくる液体の感触は、何度経験しても気分のよいものではなかった。

「レイ。あなた、最近変わったわね」

 しばらくして、レイの顔色が回復してから、リツコがレイに話しかけた。

「昨日、シンジ君と仲良く歩いているところを見たわよ。
 表情が人間らしくなったのは、そのせいかしら?

「……いけないことですか?」

 レイが、リツコに問い返す。

「まさか、いけないだなんて……ただ少し、驚いているのよ。
 今まで碇司令しか、眼中になかったみたいなのに」

 突然、リツコの目つきが険しくなった。
 だがリツコは、レイから視線を外すと、反対側の壁に置いてある机で注射の後片付けを始める。

「ふふっ。たいしたものね。
 ただの人形かと思ったら、父親と息子を同時に手玉に取ろうとするなんて」

 リツコの敵対的な発言に当惑したレイは、しばらく考えてから口を開いた。

「私、人形じゃないわ……碇司令ばかり見ていたのは本当のことかもしれないけど、でも、それは
 赤木博士も同じじゃないですか」

 その言葉を聞いたリツコが、急に背後を振り向いた。
 憎しみで燃えたリツコの手には、先ほどまでレイの右腕を縛っていたゴムのチューブが(にぎ)られている。
 リツコはそのゴムをレイの首に巻きつけると、力いっぱいレイの首を()め上げた。

「うっ……」

 苦しそうにうめきながら、急激に青ざめていくレイの顔色を見て、リツコがハッと我に返った。

「ご、ごめんなさい。冗談が過ぎたわ」

 リツコは(あわ)てて、レイの首からゴムを外した。

「仕事が(いそが)しくて……ついイライラして……」

 ようやく呼吸が戻ったレイが、こわごわとした表情でリツコの顔を見上げる。

「でも……口の聞き方には気をつけて。あなたがその体を維持できるのは、私のおかげなのよ」

「……すみません」

 部屋の中に、重苦しい空気が漂う。
 いたたまれなくなったリツコは、後悔する想いで顔を引きつらせながら、急いで部屋の外に出た。

(何やってるのよ、私……これじゃまるで、母さんと同じじゃない)

 リツコの脳裏に、嫉妬(しっと)の感情で目を血走らせた母親の表情が浮かび上がっていた。







 退院した次の日、シンジは久しぶりに台所に立って、葛城家の夕食を作った。

「アスカ。あなたに伝えたいことがあるの」

 おかずの皿が半分に減った頃、ミサトがまじめな口調で語り始めた。

「加持はこの街から出て行ったわ。しばらくの間、会えないと思う」

「ちょっと、ミサト! 加持さんが出て行ったって、どういうこと!?」

「公式にはどう発表されるかわからないけど、ネルフにはもう戻ってこないでしょうね」

「そんな……突然()めるだなんて、信じられないわ!」

「私も、急に聞いた話だもの」

「シンジ! あんた、何か聞いてるんじゃないの。加持さんのこと」

「知らないよ! 僕はただ、加持さんからメモをミサトさんに渡すよう頼まれただけで」

「加持さん、私のこと、何か言ってなかった?」

「別になにも」

「あっ、そう」

 そのとき、外から電話がかかってきた。
 ミサトが電話に出たが、「もしもし」と言った後、何やら聞きなれない言葉を口にする。

「アスカ、国際電話。義理のお母さんからよ」

「ママから!?」

 アスカは電話に出ると、ペラペラとミサトと同じ外国語で話し始めた。

(英語……じゃないな。ドイツ語かな?)

 シンジは、妙に澄ました表情で電話に出ているアスカの姿を、チラリと横目で見た。

(義理のお母さんって言ってたよな。そうなると、アスカの実のお母さんは?
 僕の母さんは、初号機のコアの中にいた。だから、僕は初号機とシンクロできるって。
 すると、ひょっとしたら、アスカのお母さんも弐号機のコアの中に……)

 シンジは思わず、ゴクリと唾を飲み込んでしまう。

(まさか……考えすぎだよな)

 そのとき、アスカの電話が終わった。
 反射的に顔を上げたシンジと、電話が終わって後ろを振り向いたアスカの視線が、テーブルの上でかちあった。

「なにジロジロ見てるのよ!」

「なんで僕には、そういう態度なのさ。さっきまで、ニコニコ話してたくせに」

「好きでニコニコしてるわけじゃないわよ。義務よ、義務!」

 アスカはシンジから視線を外すと、指で髪の毛をいじりながら話を続けた。

「本当の母親じゃないけど、いちおう育ててくれたんだし。
 それに嫌いってわけじゃないのよ。ただ、ちょっと苦手なだけで……」

 そこまで話したところで、アスカは急に表情を強張(こわば)らせた。

「なんであんたに、こんなこと話さなきゃいけないのよ! バカっ!」

 アスカは勢いよくリビングを出ると、ピシャリと大きな音をたてて自分の部屋のドアを閉めた。

「荒れてるわね、アスカ」

「たしかに、いつもよりひどいかも」

 片手でえびちゅを飲んでいたミサトと、いい加減アスカの罵詈雑言(ばりぞうごん)には慣れてきたシンジは、アスカが飛び出しても特に動じることはなかった。




『ママ……ママ聞いて!』

 まだ幼い自分が、ツインテールの髪をなびかせながら、病院の廊下を走っていく。

『あたし、選ばれたの。人類を守るエリートパイロットに! 大勢の中から選ばれたのよ!』

 私は、廊下の突き当たりにある病室にたどり着くと、廊下にあるガラス窓から部屋の中の覗き込んだ。

『あたし、特別なの! ママの望んだとおりになったのよ!』

 病室のベッドの上に、子供の人形を抱いたママがいた。

『だから、お願い。こっちを向いて。ママ!』




 アスカが目を覚ますと、額にびっしょりと寝汗をかいていた。
 時計を見ると、夜中の二時である。
 普段着のままでベッドに横たわっているところを見ると、夕食の後ベッドの上で横になってから、そのまま眠ってしまったらしい。

「夢……か。ママの夢を見るのも、久しぶりね」

 アスカは枕を胸に抱きしめると、ゴロリと横を向いた。

「あたしが自力で倒したのは、第六使徒の一体だけ。
 分裂する使徒は、弐号機が行動不能になった後、シンジが倒した。
 マグマの中の使徒を倒すきっかけは、シンジのアドバイスだった。
 クモみたいな使徒と落下してくる使徒は、ファーストも含めて三人で。
 MAGIに侵入した使徒と初号機を飲み込んだ使徒は、どうにもできなかったにしても……
 それから後の使徒には、手も足も出なかった」

 三号機を乗っ取った使徒には、一瞬で行動不能に(おちい)ってしまったし、その次のジオフロントに侵攻した使徒は、全力で戦ったにも関わらず、両腕と頭を切り落とされるという(みじ)めな結果に終わった。

「どちらも倒したのは、無敵のシンジ様……か。
 あたしは本当に特別なの? 教えて、ママ。教えて、加持さん……」

 アスカが(かか)えた枕に、目から流れ落ちた(なみだ)()み込んでいった。




 加持はベッドから上半身を起こすと、枕元に置いてあったタバコを取って火をつけた。
 一服してから、テレビのスイッチを入れて朝のニュースを一通り聞く。
 加持が二本目のタバコを吸い終わったとき、玄関の鍵が開く音が聞こえた。

「私だ」

 その声を聞いた加持は、枕の下に隠しておいた拳銃から手を引いた。
 しばらく台所で物音がしたあと、ワルキューレが朝食を()せたお盆をもって、加持が寝ている部屋に入ってきた。

「朝飯だ」

「すまないね、春桐(はるきり)さん」

「気にするな。これも任務だからな」

 横島たちに救出された加持は、いったん第三新東京市内の隠れ家に避難した後、ワルキューレとジークの手を借りて新湯本にある別の隠れ家に移動した。
 ネルフやゼーレに情報が()れないよう、わざわざ第二新東京市からもぐりの医者を呼んで銃創(じゅうそう)の手当てを受けると、そのまま傷が()えるまで潜伏生活に入る。
 ちょうど手が空いていたワルキューレが、隣室を借りて加持の世話と護衛(ごえい)を担当していた。

「頼みごとばかりで悪いんだが、パソコンも一台欲しいんだ。ネットワークにつながる環境込みで」

「かまわないが、重要情報にアクセスするのなら、前もって時間を教えてくれ。
 その間、MAGIの目をごまかさなくてはならないからな」

「MAGIも掌握(しょうあく)済みってわけか。君たちの諜報力には、ホント驚かされるよ」

 加持はやれやれといった感じで、両手の手のひらを上にあげた。

「それから、今日の夕方に横島がここに来る。聞きたいことがあるなら、早めに考えておくんだな」

「俺としては、春桐さんから聞いてもかまわないんだが?」

「差し障りのない情報なら、今までにも伝わるようにしたはずだ」

(自分から話す気は、ないってわけか)

 加持は心の中で、舌打ちをした。
 春桐魔奈美(まなみ)という女性が軍人らしきことはすぐにわかったが、どうやら諜報員のスキルもあるらしく、加持が言葉巧みに誘導しても、肝心な話はほとんど口にしなかった。

「オーケイ。彼が来るまで、大人しく待つことにするよ。でも、なぜ今日の夕方なんだい?」

「決まってる。昼間は学校があるからだ」




 その日、シンジとレイは学校に出かけたが、アスカだけはシンクロテストの予定が入っていたため、ネルフ本部へと向かった。

「アスカ、聞こえる? いつもどおり、余計なことは考えずに集中して!」

 だが今日のアスカは、いつものような調子ではなかった。

「やってるわ! いつもどおりよ!」

 見かねたリツコが発破(はっぱ)をかけたが、アスカは表面では反発するものの、やはりシンクロ率は低い状態を続けている。

「どうしたんでしょう、アスカは?」

「困ったわね、この忙しい時に」

 オペレーターのマヤが、心配そうな表情を見せた。

「やはりレイの零号機を優先させるわ。今は同時に修理できるゆとりはないし。
 マヤ。弐号機の修理要員を、零号機に回すよう計画を立ててちょうだい」

「わかりました」



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