交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十三話 −フィフス・チルドレン− (02)




 放課後、横島とシンジは新湯本に向かった。

「横島さん。加持さんに会いに行って、大丈夫なんですか?」

(俺たちの監視は、ジークとヒャクメが誤魔化(ごまか)しているし、加持さんが潜伏(せんぷく)しているアパートは、
 まだネルフには見つかっていないから、大丈夫さ)

「なら、いいんですけど……」

 今日、横島は精神だけでこちらの世界に来ていた。

「横島さんは、まだ加持さんには正体を明かさないんですね」

(最初から全部話しても、とても信じちゃくれないと思うよ。
 加持さんには、様子を見ながら、少しずつ手の内を明かしていくつもりだ)

 こちらの世界で、シンジ以外の人間に自分の存在を知られるのは始めてであるため、横島は慎重になっていた。
 特に相手は、腕利きの諜報員でもあり、裏切ったとはいえゼーレやネルフにもつながっている人物でもある。

(それに、加持さんには幾つか仕事を頼みたいんだ。
 そのためには、すぐには正体を知らさない方がいいと思ってる)

「そうなんですか」

(実際、厄介(やっかい)な交渉相手だよ、加持さんは。
 味方につけば頼もしいけど、もし裏切られたら俺たちの活動に致命的な影響が出るかもしれない)

 横島のその言葉に、シンジは思わず(つば)をゴクリと飲み込んでしまった。




 新湯本に着いた二人は、ヒャクメと合流してから加持が潜伏しているマンションへと向かった。
 シンジがマンションに入ると、加持の護衛をしていたワルキューレが出迎える。
 横島はシンジと入れ替わってから、加持の部屋に入った。

「よお、シンジ君……じゃなかった。横島君か」

「当たりです、加持さん。よくわかりましたね?」

「まあ、雰囲気みたいなものかな。あとは、俺の(かん)

 加持はベッドから上半身を起こすと、ワルキューレが()れた茶を一口飲んだ。

「黙ってると、ネルフの人たちにも、ほとんど気づかれないんですがね」

「俺も以前は、全然気がつかなかったからな。それから、ヒャクメちゃんもお久しぶり」

「お久しぶりなのね〜〜」

 ヒャクメが、加持に向かって片手を振る。

「怪我の具合はどうです?」

「全治二週間だそうだ。手当てしてくれたヒャクメちゃんのお陰だな。医者も奇跡だと言ってたよ」

「でも、まだ顔色が悪いですよ?」

「血がずいぶん流れたからな。ところで、タバコ吸ってもいいかな?」

 横島がうなずくと、加持はタバコを口にくわえて火をつけた。

「俺がどんな立場で仕事をしてきたか、君たちの方は知ってると思うけど、俺の方は君たちのこと
 をよく知らないんだ。
 ヒャクメちゃんがスパイだったのは知ってたけど、ほとんど(すき)を見せなかったからね」

「あっちゃ〜〜。加持さんにはバレちゃってたのね〜〜」

「MAGIのガードが固いのは知ってたから、コンピューターで情報を収集する分には、実害は
 さほどないだろうと判断したんだが、まさかリッちゃんに気づかれずに、MAGIを掌握(しょうあく)する
 とは予想外だったな」

 加持は灰皿を手に取ると、吸っていたタバコの灰をそこに落とした。

「そんな訳で、君たちと手を組む前に、ある程度君たちのことを知っておきたいんだ。
 これから、いくつか質問をするから、答えてくれないかな?」

「ええ、いいですよ」

「じゃあ、最初の質問。横島君とシンジ君の関係は? いわゆる二重人格みたいなものなのかな?」

「俺とシンジは、記憶も思考もまったく別々です。
 まあ、わかりにくいでしょうから、二重人格みたいなものだと思ってもらってけっこうです」

「シンジ君の調査資料には、二重人格についての記述は、特に無かったと記憶しているが?」

「俺とシンジが一緒になったのは、第三新東京市に来たときです。
 それ以前のことを調べても、何も出てこないと思いますよ。
 まあ、俺の正体については、そのうち加持さんにも話しますから、楽しみにしてください」

「わかった。期待しているよ」

 加持はタバコを一口吸ってから、次の質問に入った。

「それじゃ、ずばり聞くけど、君たちの目的は何なんだい?」

「目的……ですか。それは、難しい質問ですね」

 横島は腕を組んで、考え込んだ。

「最初は、使徒を倒していくだけで手一杯(ていっぱい)でした。
 ですが、ネルフが看板どおりの組織でないことに気づき始めた頃、加持さんがいろいろとシンジ
 に吹き込んでくれたことがきっかけで、本腰入れて調査を始めたんです」

「おいおい。それじゃあ、俺が原因ってわけか」

「別に加持さんだけが、理由じゃあないですよ。
 ただ、加持さんが話してくれたことは、ずいぶんとヒントになりました」

「まあ俺も、シンジ君をたきつけるようなことを言ってきたしな」

「俺たちの目的は、()いて言えば、平和な毎日を取り戻したいってことです。
 だから、使徒や人間の手によるサードインパクトは、ご免こうむりたいですね」

「世界を救うボランティアってわけかい? 今時、サンダーバードは流行(はや)らないと思うんだが。
 だが、サードインパクトだけはご免というのは、俺も同じ気持ちだよ」

 加持が横島に向かって、にっこりと笑いかけた。

「男の笑顔を見せられても、あまり(うれ)しくないんですけどね」

「やれやれ。本当に君は、シンジ君と違う性格なんだな。
 さて、最後の質問だけど、君が銃弾を(はじ)いたあの(たて)のようなものを見せてくれるかな?」

「いいですよ」

 横島は、右手にサイキック・ソーサーを作り出した。

「やはり……な。これは、初号機のイレギュラーで発生したのと、同じものだろう」

「そのとおりです、加持さん」

「初号機のイレギュラーは、君が起こしていたのか!?」

「バレちゃいましたね。ええ、そのとおりです」

「本当に君には驚かされるよ。後で、その力についても、教えてくれないかな?」

「今日は無理ですけど、いずれ時間のできた時にでも」

「そいつはありがたいな。ところで、横島君も俺に用事があるんじゃないのか?」

 加持が、横島に(たず)ねた。

「加持さんには、ネルフに対する日本政府の動向を探って欲しいんです。
 たしか、内務省の仕事もしてましたよね?」

「まあ、伝手(つて)はあるからできないこともないが。でも、なぜ日本政府を?」

「加持さんが一番ご存知でしょうが、いずれネルフとゼーレの衝突は、避けられないでしょう。
 加持さんなら、『約束の日』が来たときにネルフをどう始末しますか?」

「確実なのは暗殺だが、ネルフ本部に()もられてはそれも難しいだろうな。
 となれば……そうか、そういうことか」

「そういうことです。加持さん」

「それに、うまく話が運べば、ゼーレとネルフの両方を排除できると。なるほど、面白くなってきたな」

「その辺については、加持さんにお任せします」

「俺は傷が治りしだい、第二東京に行くことにするよ。
 できればしばらくの間、護衛役に彼女をつけておいてくれないかな」

 加持は横目で、ワルキューレをチラリと見た。

「すみません。ワルキューレには他に仕事を頼みたいので、護衛役については別に手配をします」

「了解。それにしても、君たちがいったいどこの誰なのか、本当に知りたくなってきたよ」

 横島に向かって、加持が右手を差し出す。
 交渉締結(ていけつ)の意を理解した横島は、加持の右手をガッチリ(つか)んで、大きな握手をかわした。




(横島さん、ちょっといいですか?)

「なんだ、シンジ?」

 話が終わった後、横島とシンジはワルキューレが運転する車で、第三新東京市に戻った。
 シンジは、加持と横島が話をしている間ずっと話を聞いていたが、理解できない箇所があったので、帰り道の途中で横島に質問した。

(さっきの話なんですけど、ネルフを始末とか暗殺って、どういうことなんでしょう?)

「シンジは、ゼーレとネルフ上層部の仲が悪いことは理解してるよな?
 それで、使徒を全部倒した後に、ゼーレがネルフ司令、つまり碇ゲンドウを排除するために、
 暗殺する可能性もあるってことさ」

(そんな……父さんを……)

 シンジは、父親を(うと)ましく感じる気持ちが以前より強くなっていたが、だからといって、殺される話を聞いて、落ちついたままではいられなかった。

「まあ、副司令が拉致(らち)された後だし、ネルフもガードを固めているだろうから、実際に暗殺されることは
 ないと思うよ」

(そうですか)

「問題はその次なんだよな。暗殺がダメとなったら、ゼーレは次にどんな手を打ってくるか……」

 横島は窓の外の景色に視線を向けると、車が第三進東京市に着くまで、ずっと考えごとに(ふけ)っていた。







「なあ、シンジ」

 学校の授業の間の休み時間に、ケンスケがシンジに話しかけてきた。

「昨日、トウジから電話があったんだ。
 トウジのやつ、今日退院して、明日から学校に出てくるんだってさ」

「そ、そうなんだ……」

 ケンスケからトウジの退院の話を聞いたシンジは、急に声のトーンが低くなった。

「シンジ、どうかしたのか? 体の具合でも悪いのか?」

 今まで喜色満面だったケンスケが、心配そうな表情をしながら、シンジの顔を(のぞ)きこむ。

「ごめん……何でもないんだ……」

 シンジはケンスケから視線を外すと、席を立ち上がって教室の外に出て行った。




 翌朝、学校に出かける時間になっても、シンジはベッドで寝たまま、部屋から出てこなかった。

「シンジ君」

 心配したミサトが、シンジの部屋に入ってくる。

「どうしたの? 風邪?」

「いえ、何でもないです」

「熱はないみたいね」

 ミサトは腕を伸ばして、シンジの(ひたい)に手をあてた。

「……学校、行きたくないんです」

「今まで学校をずいぶん休んでたじゃない。
 そろそろ行かないと、授業についていけなくなるわよ」

「でも、アスカだって、ずっと学校休んでるじゃないですか」

 アスカは、ミサトから加持がネルフを出て行った話を聞いてから、ずっと部屋に閉じ(こも)ったままだった。

「アスカはアスカ。シンジ君はシンジ君よ。
 アスカを特別扱いするわけじゃないけど、保護者としては、学校にはなるべく通って欲しいわ」

「はい……」




 ミサトにせかされたシンジは渋々家を出たが、学校へは行かずに、先の使徒戦で廃墟となった住宅街の一角で腰を下ろした。

(どうした、シンジ? 学校で何かあったのか?)

 今日、精神だけで来ていた横島が、シンジに尋ねた。

「トウジが、今日から学校に戻ってくるみたいなんです。それで、顔を合わせずらくて……」

(まあ、逃げたくなる気持ちはわかるけど、いつまでも会わないわけにもいかないだろう)

「それは、そうなんですが……」

 元はビルの土台だったと思われる手ごろな大きさの石に座って、シンジと横島が会話をしていると、不意に足下から「ミーッ」という鳴き声が聞こえてきた。

「えっ!?」

 シンジが目を下に向けると、白い毛をした小さな子猫が、シンジに向かって鳴いていた。

(猫だな)

「猫ですね」

 シンジは前に(かが)みこむと、両手で子猫を掴んで、ひょいと上に持ち上げる。

「でも、どうしてこんな場所に猫が?」

(たぶん、前の使徒戦で母猫とはぐれちまったんだろうな)

 シンジの手の中で、子猫が「ミー」と鳴いた。

「お腹が()いてるのかな……そうだ!」

 シンジは肩にかけていたカバンを開けると、中からパックの牛乳を取り出した。
 シンジは今朝弁当を作らなかったし、また学校に行く気もなかったため、途中のコンビニでパンと牛乳を弁当代わりに買っていた。

(おっ。よく飲んでるな)

 シンジは、左の手のひらにパックの牛乳を注いでから、その手を子猫の前に差し出した。
 すると子猫は、シンジの手のひらの上の牛乳を、むさぼるような勢いで舌を使って飲み始める。
 間もなく手のひらの牛乳がなくなると、子猫は手のひらだけでなく、シンジの指先まで()めた。

「こら。くすぐったいだろ。おかわりする分は、ちゃんと残ってるから」

 シンジが手のひらに牛乳を継ぎ足すと、子猫は最初と同じくらいの勢いで牛乳を飲んだ。




(で、シンジ。その猫、どうするんだ?)

「どうしましょうか……家にはもう、ペンペンがいますし」

 今、シンジの(ひざ)の上で、さっきの子猫が尻尾を巻いて座っていた。
 どうやら、牛乳をたらふく飲んで、満足したらしい。

(そんなこと、俺に言われてもなあ……)

 そのとき、どこからかシンジの耳に、ピアノを()く音が聞こえてきた。

 タン♪ タンタンタンタンタンタン♪ タンタタタタ、タ、タタン♪

(どこかで、聞き覚えのある曲だな)

「あ、ベートーベンの第九ですね」

 チェロを習っていたシンジは、その曲が何なのか、すぐにわかった。

(でも、誰がこんな廃墟(はいきょ)の中で、ピアノを弾いてるんだ?)

「行ってみましょうか」

 シンジは子猫を抱きかかえると、ピアノの音のする方角に歩いていった。




 ピアノが鳴っている場所は、すぐに見つかった。
 そこにはどうやら教会が建っていたらしく、床には壊れた十字架が落ちており、また崩壊(ほうかい)(まぬが)れた壁には、ステンドグラスの窓が残っていた。
 そして、廃墟の真ん中に置かれたグランドピアノの席に、一人の少年が座っていた。

「知ってる、この曲?」

 少年はピアノを弾くのを止めると、シンジに話しかけてきた。

「ベートーベン第九の第四楽章……だと思う」

「さっき、街を歩いていたときに、この曲が流れていたんだ」

 その少年の髪は、見事な銀髪だった。
 肌は病的なほどに白く、また端正(たんせい)な顔つきをしていることもあって、平均的な日本人とはかけ離れた容姿(ようし)をしていたが、シンジはその少年が誰かに似ているような気がした。

「その制服、第一中学のものだね」

「あ、うん」

「連れてって?」

「え?」

 シンジは、きょとんとした顔つきを見せた。

「道に迷ったんだ。こんな所に、来るはずじゃなかったのに」

「君……転校生?」

「まあね」

 少年は、シンジが抱いていた猫に目を向けた。

「君も道に迷ったの? それから、何で猫を抱いてるの?」

「いや……それは、その……」

 シンジは迷ったが、やがて抱いていた子猫を地面の上に置いた。
 まさか猫を連れて、学校の建物に入ることもできないだろう。

「僕たちはこれから学校に行くから、ここでお別れだね」

 だが子猫は、すがるような目つきでシンジを見上げると、「ミーミー」と鳴いた。

「ごめん。連れていけないんだよ」

 シンジが困った表情をしていると、隣にいた少年がひょいとその子猫を摘み上げた。
 そして親指を子猫の首に当てると、そのまま親指に力を入れて猫の(のど)を押し(つぶ)した。

 ミギャアッ!

 グキッという音とともに、子猫が悲鳴を上げ、そして動かなくなった。

「何するんだよ! やめろよっ!」

「もう死んだよ」

 少年は、動かなくなった子猫をポイッと投げ捨てた。

「なんで、こんなことを……」

「だって君、(こま)ってたんだろ?」

「だからって、殺すことないじゃないか!」

「でもこの猫、放っておいても、どうせ死んでたよ」

 少年の冷たい視線を感じたシンジは、その場で立ち止まってしまう。

「親もいないし、食べ物もない。
 こんな場所、君と僕以外に誰も来ないだろうし、やがて()えて死んでいくんだよ。
 だから、今殺したほうがいいんだよ」

 シンジは、目の前の少年が誰に似ているのか、ようやくわかった。

(白い肌、そして赤味がかった(ひとみ)……そうだ、綾波に似てるんだ。
 それに、この感じ。出会った頃の綾波に、そっくりの気がする……)

 シンジは草むらに捨てられた子猫を拾い上げると、少年に背を向けて歩き出した。

「どこへ行くの?」

「どこかに()めてくる」

「なぜ、そんな無駄なことを?」

「いいじゃないか。気持ちの問題なんだから。すぐに戻ってくるから、そこで待ってて」

 子猫は、まだ死にきっていなかった。
 シンジの手のひらの中で、わずかではあるが小刻(こきざ)みに動いていた。

(横島さん……何とかなりませんか?)

(シンジ、今すぐ替われ)

 少年が見えなくなってから、横島はシンジと入れ替わると、『蘇』の文珠を使った。
 すると、子猫は何事もなかったかのように、むくりと起き上がった。

(よし、これで一安心だ。シンジ、この猫やっぱり捨てるのか?)

(今さら捨てるのも可哀(かわい)そうですし、あとで引き取ってくれる人を探します)

(そうか。それなら、一緒に持っていくか)

 横島は『眠』の文珠で子猫を眠らせると、タオルでくるんでから、子猫をかばんの中に入れた。
 シンジは横島と替わってから、少年の所へと戻った。

「そういえば、まだ君の名を聞いてなかったね」

「僕は渚(なぎさ)カヲル。フィフス・チルドレンだよ。聞いてないの? 碇シンジ君」



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