交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十四話 −涙− (05)




 使徒戦の翌日の夕方、ネルフ本部の自分の部屋で仕事をしていたリツコに、レイを捜索(そうさく)していた回収班から電話がかかってきた。

「はい、赤木です……なんですって! レイが見つかった!?
 わかったわ。すぐにレイを病院に搬送(はんそう)して。私も行くから」

 リツコはハンガーに掛けていた白衣に袖を通すと、すぐに本部内の病院へと向かった。




 箱根の長尾峠近くの外輪山の斜面で発見されたレイは、そのままVTOLに乗せられてネルフ本部に緊急搬送された。
 レイを載せた担架が診察室に入ると、リツコが診察室の中で待っていた。

「レイ。どこか痛かったり、気分が悪かったりする?」

「問題ありません」

「検査を受ける前に、少し聞いておきたいことがあるけど、いいかしら?」

「はい」

 レイはいつものように、無表情な顔つきで答えた。

「どうやって、あの自爆から助かったの?」

「……わかりません」

「あれから、丸一日が経過しているわ。今まで何をしてたの?」

「……覚えてません」

「自分が、零号機で自爆したことは覚えてる?」

「はい」

 レイの返事を聞いたリツコは、軽くため息をついた。

「つまり、零号機で自爆してからの記憶が、ほとんどないってことなのね」

「そうです」

「わかったわ。検査が終わるまで、病院に入院していて。碇司令には、私から報告しておくから」

「はい」

 リツコは問診を終えると、レイにメディカル・チェックをするよう、医療班に指示を出した。




 シンジが夕食の支度をしていると、携帯に電話がかかってきた。

「はい、碇です……あ、ヒャクメさんですか。
 ええ、わかりました。わざわざ、ありがとうございます」

 シンジが電話を切ると、リビングにいたアスカが話しかけてきた。

「誰からの電話?」

「ヒャクメさん。綾波が見つかって、無事病院に入院したって」

「ふーん」

 シンジは炊飯ジャーのスイッチを入れると、一休みするためリビングに移動した。

「それにしても、今日は驚いたわ。
 アンタたちが戻ってきたと思ったら、レイが一緒だったんだから」

「綾波は、横島さんが助けたときは意識を失っていて、気がつくまでずっと向こうにいたんだ」

「横島さんって、ほんと何でもありね。まさか、あの爆発の中からファーストを助けだすなんて」

「でも、今回はギリギリだったみたいだよ。
 あと一秒遅れたら、俺も爆発で吹っ飛んでたって本人が言ってたから」

「ま、なんにせよ、ファーストが助かってよかったわ。
 同じエヴァのパイロットが自爆して死ぬなんて、やっぱり気分悪いもの」

 シンジがまじまじとした表情で、アスカの顔を見つめた。

「ちょっと、どうしたのよシンジ?」

「いや、アスカって、綾波のこと嫌いじゃないかなって、ずっと思ってたから」

「好きかって聞かれたら、あまり好きじゃないって答えるかもしれないけど、今までファーストとも
 ずっと一緒にやってきたんだし、少しは気も使うわよ」

「少し変わったね、アスカは」

「そう?」

「うん。ちょっと、肩の力が抜けてきたって感じかな」

「そうかもね……」

 アスカは立ち上がって台所に行くと、冷蔵庫から缶ジュースを二本取り出す。
 アスカはそのうち一本を、シンジに手渡した。

「アンタさ、初号機の中に自分のママがいることを知ってるでしょ」

「あ、うん」

 予想外の話を持ちかけられ驚いたシンジが、(あわ)てて返事をかえした。

「私も、弐号機の中に私のママがいるって横島さんから聞かされて、まあ、そのときはずいぶん
 驚いたけど、それからはずいぶん気持ちが楽になったかもしれない」

「そうなんだ」

「まあ、落ち着いて考えると、私もけっこう余裕のない生活をしてたかもね」

「ふーん」

「なにが、ふーんよ。いったい、誰のせいだと思ってるの!?」

 アスカは飲みかけの缶ジュースを、机の上にドンと音をたてて置いた。

「えっ! ぼ、僕なの!?」

「だいたい、アンタが早く横島さんのことを教えてくれたら、私がずっと一人でやきもきすることも
 なかったのよ!」

 ミサトが早めに仕事を切り上げて帰宅するまでの間、シンジはアスカになじられる破目となってしまった。




『いよいよ、約束の時は近い』

 薄暗い空間に、黒い長方形の石板が複数出現した。
 石板全部で十三枚あり、ある一点を中心として円く並んでいる。
 どの石板にも、“SEELE”の文字の下に、01から13までの番号が表示されていた。

『これで、死海文書に記されていた使徒は、あと一つ。
 しかし、その道程は長く、犠牲も大きかった』

 “SEELE01”の石板に続いて、他の石板から発言があがる。
 それらの発言は、全てゲンドウを非難するものであった。

『左様。ロンギヌスの槍に続き、エヴァ零号機の損失。さらに第三新東京市消滅』

『碇の解任には、十分すぎる理由だな』

『バカな男だ。冬月を無事返した意味のわからぬ男でもあるまいに』

『新たな人柱が必要だな、碇に対する』

 “SEELE01”のキール議長が再び発言した。

『加えて、事実を知る者が必要だ』




「碇、赤木博士からの報告書は読んだか?」

 ネルフ本部の司令室に、ゲンドウと冬月の姿があった。
 ゲンドウは背を椅子に寄りかかりながら、長々と足を伸ばして座っている。

「ああ」

「やはり、レイが助かったのは、力に目覚めたからか?」

「わからん。今までにレイがそれを使ったことは、一度もなかった」

「これから、どうする?」

「現状維持だ。監視だけは、(おこた)らないようにする。
 セカンド・サード・フォース・フィフスに関しても、同様だ」

「しかし、碇。レイが生きているとなったら、キール議長がうるさいぞ。
 レイに、どんな言い訳をさせるつもりだ?」

 ゲンドウはそれまで自分の手元を見ていたが、そこからゆっくりと視線を上げた。

「――心配はない。ゼーレの老人たちには、別のものを差し出す予定だ」




 翌日も、リツコは病院に(おもむ)いた。
 担当者からレイの検査結果を聞いたあと、レイ本人から事情聴取を行う。
 昨日に続いて、自爆してから後のことを尋ねたが、何も覚えていないの一点張りだった。

(一時的な記憶喪失かしら? 本人が知らないという以上、他の手段で調べるしかないけど)

 だが零号機の自爆の直後は、爆発の影響で全ての観測機器が使用不能になっていた。
 レイが発見された周囲にも、参考になるような物品は発見されていない。
 とりあえず第一次の報告書には、自分の推測とそれについてのMAGIの判定結果を記しておいた。

(私はいったい、いつまであのコに苦しめられなきゃならないの……)

 自室に戻ったリツコが、椅子(いす)に座って深いため息をついたその時――

「赤木博士」

 部屋の片隅(かたすみ)にいた二人の保安諜報部員が、リツコの前に立った。

「失礼、勝手に入らせていただきました。至急お連れするようにとの、委員会からのお達しです」




 薄暗い部屋の中央に、リツコは一糸まとわぬ姿で立っていた。
 その彼女を、ゼーレの黒い長方形の石板がぐるりと取り巻いている。
 部屋の中には、他に誰もいなかった。

『いい加減に素直になったらどうだね。赤木博士』

 “SEELE01”のキール議長が、リツコに話しかけた。

『我々も、穏便(おんびん)に事は進めたい』

『君にこれ以上の陵辱(りょうじょく)や、(つら)い思いはさせたくないのだ』

 続いて、“SEELE04”、“SEELE03”の石板が発言する。

「私は、何の屈辱(くつじょく)も感じていませんが」

 表情をまったく崩さずに、リツコは答えた。

『気の強い女性だ。碇が側に置きたがるのもわかる。だが――』

 キール議長は、そのまま発言を続ける。

『君を我々に差し出したのは他でもない。碇君だよ』

 その時、リツコの(まゆ)がわずかに動いた。

『零号機パイロットの尋問(じんもん)を拒否。代理人として君をよこしたのだ。赤木博士』

 すべての感情を押し殺していたリツコの目に、暗い影が差し込む。

(レイの代わり? 私が……)

 リツコは押し黙ったまま、わずかに顔をうつむかせた。







『よいのか、赤木博士の処置?』

 “SEELE04”の発言に、“SEELE01”のキール議長が答えた。

『冬月とは違う。彼女は返した方が得策だ。
 エヴァシリーズの功労者、いま少し役に立ってもらおう……
 我々、人類の未来のために』




 リツコは何も証言しないまま、ゼーレの査問から解放された。
 まっすぐネルフ本部の自分の部屋に戻った彼女は、部屋に入るとすぐに受話器をとり、保安諜報部に電話をかけた後、続けて別の場所に電話をかけた。

「はい、葛城です」

「シンジ君ね。そのまま話を聞いて」

 リツコが電話をかけたのは、ミサトの自宅だった。

「リツコさんですか?」

「あなたの監視を解いたわ。今なら誰にも見つからずに、私の所まで来られる」

「何の話ですか?」

「レイの秘密、知りたくない?」

 受話器の向こう側でシンジが息を()んだ音が、リツコに聞こえた。

「綾波の……ですか?」

「来ればわかるわ。それじゃ、待ってるから」

 そこまで話したところで、リツコは電話を切った。




「今の電話、どういう意味なんでしょう?」

 リツコの意図について疑問をもったシンジが、横島に(たず)ねた。
 今日は、横島は精神だけでこちらの世界に来ていた。

(さあな。会って話を聞いてみないと、何ともわからんな)

「とりあえず、行ってみますか」




 上司から電話で指示を受けたジークは、受話器を置いた後、しきりに首をひねっていた。
 着任して以来、監視を強化しろという命令は何度か受けたが、監視を解けと命令されたのは今回が始めてだった。

「どうかしたんですか、春桐隊長」

 ジークと同じ浅黒い(はだ)の男が、ジークに尋ねた。

「上から、シンジ君の監視を解けという命令がきたんだ。
 これに何の意味があるのか、疑問に思ってね」

「そんなの決まってますよ。俺たちの目の届かないところで、何か悪だくみでもしたいんでしょう」

「そうだな」

 ジークは苦笑したあと、目の前の部下に指示を出した。

「部隊全体は、命令どおりサード・チルドレンの監視を中止する。
 ただし、“俺たち”だけは、引き続き任務を続行だ」

「了解!」




 シンジがネルフ本部のリツコの部屋に赴くと、リツコはシンジを連れて部屋の外に出た。
 そして、シンジのIDでは利用できないエレベーターに乗ると、まっすぐに地下深くへと降りていく。

(リツコさん、どこに行くつもりなんだろう……?)

 エレベーターが一番下の階に着くと、リツコはエレベーターを出て、薄暗い廊下をまっすぐに歩き始めた。
 来る経路に違いはあったが、この場所にシンジは覚えがあった。

(ここは、確か……)

 ネルフで停電が起きたとき、加持を追いかけるミサトの後を追って、シンジと横島はこの場所に来たことがあった。
 この先には、巨大な十字架に(はりつけ)にされた巨人がいるはずである。

 ピーッ!

 リツコが『L.C.L PLANT:CL3 SEG』と書かれたプレートが張ってあるドアに、自分のIDカードを通した。
 だが、ドアは開かず、エラー音が鳴ってしまう。

「無駄よ」

 近くにある暗がりからミサトが姿を現し、リツコの背中に銃を突きつけた。

「私のIDが無いと、このドアは開かないわ」

「……加持君の仕業かしら」

「この部屋の奥に入るには、生体認証をパスするためにあなたの虹彩(こうさい)が必要ね。
 ここの秘密、この目で見せてもらうわよ」

「いいわ。ただし、彼も一緒にね」

 リツコの数メートル後ろにいたシンジに、ミサトは始めて気がついた。
 一瞬、ミサトは目を大きく見開いたが、すぐに元の引き締まった表情に戻った。

「わかったわ。リツコ」




 三人はリツコを先頭にして、LCLプラントの部屋に入った。
 そして、ここまで降りてきたのとは別のエレベーターに乗り、さらに地下深くへと降りていく。

(まさか、リツコさんは……)

 リツコは、自分たちをどこに連れて行こうとしているのか。
 横島はようやく、リツコの意図に気がついた。

(横島さん?)

 横島の感情の()れに気づいたシンジが、声を出さずに横島に尋ねた。

(いいかシンジ、よく聞け。
 おまえは、レイちゃんにどんな事情があっても、それを受けとめることができるな)

(綾波を……ですか?)

(この先シンジは、予想もしなかったものを見るだろう)

(いったい、綾波に何があるんですか?)

(今は言えない。自分の目で見て、自分で判断しろ。俺に言えるのは、ただそれだけだ)




 やがて、エレベーターが、目的地に到着した。
 シンジたち三人は、レイが育った『人工進化研究所 3号分室』を通過し、エヴァの廃棄場所を見下ろす(おど)り場へと出た。

「これは……エヴァ?」

「最初のね。全部失敗作よ。10年前に破棄させたわ」

 シンジの口から()れた言葉に、リツコが答えた。

「今はただのゴミ捨て場だけど、あなたのお母さんが消えた場所でもあるわ」
「リツコ!」

 リツコの言葉に怒りを感じたミサトが、再び銃を突きつける。

「……大丈夫です、ミサトさん」

 だが、リツコの次の言葉が、シンジの心に大きな揺さぶりをかけた。

「そして、代わりに生まれたのが、綾波レイ」

 その言葉に、シンジだけでなくミサトも驚いた。
 一方、既にそのことを知っていた横島は、沈黙を続けている。

「あなたのお母さんが消えたのと同じ場所で、あの子は生まれたのよ。
 魂のない、空っぽの状態でね。
 今あるあの子の心は、サルベージして宿らせたもの」

 リツコはシンジに背を向けると、数歩進んでから背後を振り返った。

「いらっしゃい。真実を見せてあげる」




 リツコは、一番奥にある大きな円形の部屋で足を止めた。
 シンジたちの目の前には、人が一人入る程の大きさのガラス管があり、脊髄(せきずい)のような形状の管が天井の機械へと伸びていた。

「なによ、これ……」

「ダミープラグの元となるプラントよ」

 ミサトの問いかけに、リツコが返答する。

「そして、これがダミーシステムのコアとなる部分」

 リツコは(ふところ)からリモコンを取り出し、あるボタンを押した。
 部屋をぐるりと取り囲んでいる水槽(すいそう)にオレンジ色の光が宿り、ゆっくりと明るくなっていく。

「これが、真実よ」

 シンジとミサトの目に入ったのは、オレンジ色の液体の中をゆらゆらと(ただよ)う、(うつ)ろな目をした数十体もの綾波レイだった。

「綾……波……」

「いいえ。ここにあるのは、みんなダミー。ダミーシステムのために生産されているだけ。
 そして、レイのためのただのスペアパーツにすぎないわ」

「そんな……」

 シンジは、大きな衝撃を受けた。
 足下がふらついたが、先ほどの横島の言葉を思い出し、かろうじてその場に立ち止まった。

「人は神様を拾ったので、喜んで手に入れようとした。だからバチが当たった」

 リツコがセカンド・インパクトについて語っていることに、ミサトは気がついた。

「それが15年前。せっかく拾った神様も、消えてしまったわ。
 でも今度は、神様を自分たちで復活させようとしたの。それがアダム。
 そして、アダムから神様に似せて、人間を作った。それがエヴァ」

「人間? 人だって言うんですか!?」

「そうよ、シンジ君。本来、(たましい)のないエヴァには、人の魂を宿らせてあるの。
 あなたも気づいているでしょう? 消えてしまったあなたのお母さんが、どこにいるのか」

 シンジは、黙ってうなづいた。

「でも、ここにあるレイと同じものは、人じゃない。魂のないただの入れ物よ。
 たった一つの魂を守り続けるための、ただの器。
 どうかしら、シンジ君? あなたを好きになった女の子の正体を知った気分は」

 シンジはうつむいて、水槽の中のレイたちから目を背けた。
 以前と違い、霊的な感性が(みが)かれたシンジには、彼女たちが“生きて”はいるものの、魂のない空っぽの状態であることはすぐにわかった。

「シンジ君は以前と同じ目で、レイを見ることができるかしら?
 真実を知る前と同じ気持ちで、レイに接することができる? それとも……」

「リツコ、よしなさい! いくらなんでも、悪趣味過ぎるわ!」

 ミサトがリツコを制止しようと詰め寄るが、シンジは片腕を上げてミサトを押し止めた。

「いいんです、ミサトさん。綾波が普通の女の子じゃないってことは、薄々気づいていました」

 シンジは顔をうつむかせながら、淡々とした口調で語り始めた。

「綾波は、僕にこう言ったことがあるんです。『自分には何もない』って。
 その時はよくわからなかったんですが、今ようやくわかりました。
 綾波には本当に、何もなかったってことが……」

 シンジの両目から、涙がポタポタと流れ落ちた。

「でも……だからといって、僕まで態度を変えたら、綾波から全てを奪ってしまうことになるじゃ
 ないですかっ!」

 シンジは顔をあげると、まっすぐにリツコの目を見据(みす)えた。

「僕はまだ中学生で、綾波にしてあげられることは何もないかもしれませんけど、それでも僕は
 綾波に何かしてあげたいんです!
 綾波が、自分には何もないって思わなくなるように!」

 リツコを見つめるシンジの目には、一点の(くも)りもなかった。
 シンジの思わぬ態度にリツコはあっけにとられていたが、しばらくしてからフフフと笑いはじめ、やがて室内に大きな笑い声を(ひび)かせた。

「リツコ、なに笑ってるのよ! シンジ君がこんなに真剣にしてるのに!」

「ごめんなさい。あの人と親子のはずなのに、まるで違うなと思ったら、急に可笑(おか)しくなってきて」

 リツコが自嘲(じちょう)するような笑みを、自らの表情に浮かべた。

「あの人が、あなたと同じ気持ちを少しでも持っていたら、私はきっとこんなに苦しまなかったわ。
 ……レイは幸せものね」

「えっ!?」

 シンジが、きょとんとした表情を見せた。

「シンジ君。ミサトと二人だけで話したいことがあるから、少し外に出ていてくれない?」

「は、はい」

「それから、一つだけ忠告しておくわ。
 あなたがレイを想う気持ちを変えない限り、あの人は、いずれ必ずあなたの敵になる。
 このことは、忘れないでね」

「……わかりました」


 シンジはリツコとミサトを残したまま、一人で部屋を出て行った。







 水槽のある部屋を出たシンジは、横島に話しかけた。

「横島さん。この部屋のこと、知ってたんですね」

(すまん、シンジ。いつか話そうとは思っていたんだが、リツコさんがこういう行動に出るとは
 予想していなかったんだ)

「教えてください。綾波のことを」

 横島はやれやれと心の中でため息をついてから、話しはじめた。

(シンジは、お母さんが初号機のシンクロテストで、消失したときのことを覚えているよな?)

「ええ、いちおう……」

(当然、ネルフも手をこまねいていたわけではない。
 すぐさま、ユイさんのサルベージが行われた。
 だが、シンジも知ってのとおり、ユイさんは初号機から出てこなかったんだ。
 代わりに、初号機から出てきたのが……)

「綾波だって言うんですか?」

(そうだ)

 横島は、一息置いてから話を続けた。

(実はな、シンジ。今いるレイちゃんは、二人目なんだ)

「二人目って、どういう意味ですか!?」

(最初に生まれたレイちゃんは、まだ幼い頃にリツコさんのお母さん、赤木ナオコさんに殺された。
 理由はわからない。ナオコさんはその後すぐに自殺したし、記録にも残っていないからな)

「そ、そんな……」

(殺されたレイちゃんの魂は、バックアップの体に転生した。
 一方、自殺したナオコさんの霊は、自縛霊(じばくれい)となってMAGIに取り()いたってわけさ)

 シンジはLCLの中をゆらゆらと漂っていた大勢のレイと、MAGIの中にいた赤木ナオコの霊のことを思い浮かべた。

「横島さん、もう一つ教えてください。綾波の体はいっぱいあるのに、なぜ魂は一つなんですか?」

(第二使徒、リリス。それがレイちゃんの正体だ。
 ここに来る前に磔になった巨人を見ただろう?
 加持さんはあれをアダムと呼んでいたが、本当はアダムじゃない。第二使徒、リリスなんだ)

「綾波は、使徒なんですか!?」

(初号機と零号機は、リリスから作られたんだ。特に初号機は、リリスのコピーと言ってもいい。
 その初号機から生まれた体に、リリスの魂が宿った。それが今のレイちゃんだ)

「そうだったんですか……」

 シンジは顔をうつむかせながら、(くちびる)をギュッとかみ締めた。

(シンジ。元はどうあれ、今のレイちゃんは、身寄りのない一人の少女なんだ。
 そこんとこ、勘違(かんちが)いするなよ)

「わかっています。僕は絶対に、綾波への態度を変えたりしません」




 シンジが部屋から出て行ったあと、リツコは白衣の内ポケットからタバコを取り出して火をつけた。

「リツコ。あんた、いつから司令とそういう仲になったの?」

「母さんが亡くなったあと。私の支えになって欲しいなんて、あの人から直接言われて。
 でも、すがってきたあの人の手を、私は振り払えなかった。その後は、なし崩しね」

「ふーん。あんたがそんなに情のある女だったなんて、思ってもみなかったわ」

「司令を利用しようという考えも、少しはあったかもしれない。
 でも、今ではこう思うわ。恋愛はロジックじゃないって」

「ロジックねぇ。そんなことを言ってる方が、よっぽどリツコらしいわよ」

 普段タバコを吸わないミサトは、ポケットから仁丹を取り出して、数粒口の中に放り込んだ。

「で、私への話ってなに?」

「私の母さんのこと。最初はシンジ君にも、()げるつもりだったけど」

「また、エグい話?」

「そうね。実は私の母さんも、司令の愛人だったの」

「!!」

 さすがのミサトも、絶句してしまった。

「私がそれを知ったのは7年前。まだここが、ゲヒルンと呼ばれていた頃のこと。
 私は母さんと一緒に、まだ出来たばかりの本部の建物を見学にきた時、母さんの想いを知った。
 レイに始めて会ったのも、その時だったわ」

「私たちが入所する、2年前のことね」

「ええ。それで事件が起きたのは、私たちがネルフに入って、少し経った頃。
 ミサトも覚えてるでしょう? ちょうどあなたがドイツから帰国していて、私はあなたに会う時間
 に遅れそうになって、本部の中を走っていた」

「そういえば、あのとき……」

「私はまだここの構造に慣れてなくて、偶然発令所の上部に出てしまったわ。
 そこで見たの。一人目のレイと母さんが、二人だけで話をしているのを。
 レイは今と同じで無口だったけど、そのときはズケズケと話していたわ。
 母さんに向かって、バアさんはしつこいだの、バアさんは用済みだのってね」

「あのレイがねぇ……ちょっと、想像できないわ」

「結局、それはあの人が吐いた言葉だった。
 推測だけど、母さんがあの人に再婚を迫って、あの人がそれを(うと)ましく思っていたのでしょうね。
 あの人の身近にいたレイがその言葉を耳にして、それをそのまま母さんに伝えたってわけ。
 そして、それを聞いた母さんが逆上して、レイをその場で()め殺した」

「ちょっと待って! いくらひどいことを言われたからって、殺すことはないじゃないの!」

「……レイはシンジ君のお母さん、ユイさんにとてもよく似ているのよ。
 母さんは恋敵(こいがたき)であるユイさんへの嫉妬(しっと)を、レイに重ね合わせていたんでしょうね。
 私には、よくわかるわ」

 ミサトが驚きながらも、今まで疑問に思っていたことが、いくつか頭の中でつながった。
 なぜゲンドウが、よくレイを連れて歩いていたのかを。
 また、そのレイに対して、リツコが冷たい態度で接していたのかも。

「レイがシンジ君のお母さんに似ているってのも、偶然じゃないわよね」

「当然よ。レイには、ユイさんの遺伝子情報が使われてるもの。
 シンジ君がレイに引かれたのも、無意識のうちに母親の姿を求めていたからだと思うわ」

(こりゃ、とてもシンジ君には、聞かせられない話ね)

 ミサトはハァと、大きなため息をついた。

「それで、あんたはこれからどうするの?」

「ミサトとシンジ君に何もかもぶちまけて、()さ晴らししようと思ってたけど気が変わったわ。
 私もシンジ君に、少し賭けてみようかなって」

「それって、どういう意味よ?」

「教えない。だけどヒントだけあげるわ。司令が計画を遂行するには、レイの協力が不可欠なの」

(人類補完計画のことね……)

 ミサトは口には出さなかったが、リツコが何を言いたいかをすぐに察知した。

「司令をめぐっての泥沼のあとは、今度はレイを親子で取り合う?
 いつからネルフは、昼ドラの舞台になったのかしら?」

「後のことは、ミサトに任せるわ。
 私としては、ミサトがシンジ君をプッシュしてくれれば、ありがたいけど」

「よく、考えさせてもらうわ」

「それから、もう一つ教えてあげる。シンジ君に第三の勢力が介入している可能性があるわ」

 ミサトはまたもや、リツコの言葉に驚かされた。

「第三勢力? ネルフでも委員会でもなくて!?」

「ミサトは、シンジ君が始めてここに来た時のことを覚えてるわよね。
 あの頃のシンジ君は、ただの気弱な中学生にすぎなかった。
 正直言って、私はシンジ君が真実を知ったとき、もっと動揺すると思ってたわ。
 シンジ君がこんなにも精神的に成長していたなんて、不思議に思わない?」

「……よくわからないわ」

 ミサトはシンジと同じ歳の頃、セカンド・インパクトとその後の父親の死で失語症になっており、入退院を繰り返していた。
 その年代の少年たちが考えていることなど、理解の範囲外である。

「気になって調べてみたことがあるけど、精神的に支えになる人がいるはずなのよ。
 優秀なカウンセラーとか、立派な保護者とかがね。
 言っとくけど、ミサト。私はあなたが、それに該当するとは思ってないわ」

「悪かったわね。立派じゃない保護者で」

 ミサトが、ブスッとした表情で答えた。

「加持君はシンジ君とかなり接触していたみたいだけど、シンジ君の心の支えとなるには、絶対的
 な時間が不足しているわ。だから、他に誰かがいるはずなのよ」

「証拠はあるの?」

「直接的な証拠はないわ。MAGIにも保安諜報部の情報網にも、引っかかっていない。
 だけど加持君が、ヒントだけ見つけてくれたわ」

「それって、何?」

「キーワードよ。『ヨコシマ』って言葉」

「なにそれ? 人の名前?」

「私にもわからないわ。加持君が調べるって言ってくれたけど、答えを聞く前に行方がわからなく
 なっちゃったし」

「まったく、何やってるのよ、アイツは!」

 ミサトが小声で、加持に毒づいた。

「で、その第三勢力の狙いは、何かしら?」

「さあね。でも、ひょっとしたら、ネルフも私たちもその勢力の手のひらの上で、踊らされている
 のかもしれないわね」

 リツコが人の悪そうな笑みを浮かべながら、クスクスと声を出した。

「あまり笑えない冗談は言わないでちょうだい。それで、用事は終わり?」

「ええ。私は後片付けがあるから、ミサトとシンジ君は先に帰ってちょうだい。
 出るときに、セキュリティチェックは不要よ。
 それから、あなたたちがここに来たことは、司令にも内緒にしておくから」

「頼んだわよ、リツコ」

 ミサトが部屋を出て行った後、リツコは部屋を取り囲んでいる水槽と、その中を漂うレイたちを見回した。
 そして、白衣の右側のポケットからリモコンを取り出す。
 リツコがリモコンのボタンを押すと、水槽のLCLが泡立ち、その泡に触れたレイたちの体が千切れていった。
 目の前でバラバラになっていくレイたちの肢体を見ながら、リツコは一人涙を流していた。




 ――翌日、ネルフ本部に出勤したミサトは、リツコがネルフの保安諜報部によって、拘束(こうそく)されたことを知った。



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