交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十五話 −最後のシ者− (01)




 零号機の爆発で第三新東京市が甚大(じんだい)な損害を受けたため、市全域の住民に避難勧告(かんこく)が出された。
 そのため、トウジの妹とヒカリとケンスケが、疎開(そかい)のため第三新東京市を離れることとなった。
 彼らが疎開する日、シンジとアスカ、そしてトウジの三人は、見送りのため新湯本の駅に来ていた。

「ナツミ、気をつけてな。オバハンの家で、あまり迷惑かけんなよ」

「うん!」

「それから、“シンジ”の世話もちゃんとするんだぞ」

「えっ? 僕の世話って、どういうこと?」

 近くにいたシンジが、トウジに(たず)ねた。

「センセが子猫をワイに預けたやろ。妹が、その猫にシンジって名をつけたんや」

「だって、シンジ兄ちゃんの猫だから、シンジがいいかなって」

 ナツミが手に持っていた大きな(かご)を上に持ち上げると、中にはシンジが拾った子猫が入っていた。
 子猫は籠の中で、背中を丸めて眠っていた。

「ごめんね。本当なら、一時的に預かってもらう予定だったのに」

「気にせんでもええ。ワシもネルフの訓練で家にいる時間が減ったさかい、妹が家で(さび)しがっとった
 んやけど、シンジが猫を預けてくれたお陰で、妹も元気が出て大助かりしとるしな。
 なんなら、ずっと家で飼ってもええくらいや」

「それなら、お願いしていいかな。ネルフ本部は、ペットの持込禁止だしね」

 市民に対しては避難勧告が出されたが、ネルフに勤務する職員については、本部内の職員用居住域が住まいとして割り当てられた。
 シンジやアスカたちチルドレンも、今まで住んでいた家を離れ、ネルフ本部内に住むことになった。

「本当!? ありがとう、シンジ兄ちゃん」

 喜んだナツミが、シンジに向かって礼を述べた。

「シンジー」

 そのとき、ケンスケが横から、シンジに抱きついてきた。

「トウジまでエヴァのパイロットになれたのに、どうして俺だけなれないんだよ〜」

「そんなこと、僕に言われても困るよ」

「次のパイロットは、外部からきたよくわからんヤツだっていうし、もう、望みはないのかな……」

 肩を落として、すっかりしょげかえったケンスケの姿に同情したシンジは、ケンスケの(そで)を引っ張って人気のない場所に移動した。

「どうしたんだよ、シンジ?」

「あのさ、これ超極秘(ごくひ)の情報だけど、エヴァのパイロット候補生って実はうちのクラスに集められて
 いたんだ。だから、ケンスケもパイロットになれる可能性があったんだよ」

「シンジ、それ本当かよ!」

「しっ、声が高いってば」

 シンジはあわてて、ケンスケの口を手で(おお)った。

「ミサトさんから、個人的に聞いた話なんだ。たぶん、間違いないと思う」

「そうか、ミサトさんから直接か。それなら間違いなさそうだな。
 しっかし、すげー話だな。実は俺たちのクラス全員が、パイロット候補生だったなんて!」

「わかってると思うけど、誰にも話さないでよ。
 もしバレたら、僕だけじゃなくて、ミサトさんにも迷惑がかかるから」

「大丈夫。疎開先に行っても、誰にも話さないよ」

 本当に大丈夫なんだろうかと一抹(いちまつ)の不安を抱えながら、シンジはケンスケと一緒に皆のいるところに戻った。




「ほら、ヒカリ。早く渡してきなさいよ」

「う、うん」

 駅のホームでヒカリは、手に包みを持ったまま右往左往していた。
 見かねたアスカが、ヒカリの背を軽く押したが、一歩進んだところで立ち止まってしまう。

「だ、ダメ。やっぱり、恥ずかしい」

「なに言ってるのよ。前にも一度やってるじゃない。
 このチャンスを逃したら、次がいつになるかわからないんだから。本当にわかってるの?」

 ようやく決心したヒカリは、深呼吸してから足を前に踏み出し、シンジたちと雑談(ざつだん)していたトウジの所まで歩いた。

「あ、あの、鈴原!」

「なんや、イインチョ?」

「その、鈴原にもいろいろお世話になったから、何かプレゼントしようと思って」

「そんな、気を使わんでええのに」

「いいから、受け取って」

 ヒカリが、手に持っていた紙包みをトウジに手渡した。

「あのね、クッキーとビスケットを焼いたの。
 お弁当でもよかったけど、日持ちのする物の方がいいかなと思って」

「あ、ありがとさん、な」

 トウジが、微妙に照れた表情を表に浮かべた。

「無くなったら、連絡ちょうだい。また送ってあげるから」

「その、いろいろとすまんな。イインチョ」

「気にしないで。それより、本当にケガには気をつけなさいよ」

「わかってるって。イインチョこそ、気ィつけてな」

 ヒカリは、にこやかに笑いながら手を振ると、家族と一緒に電車の中に入った。

「あの人、兄ちゃんの彼女?」

 トウジの妹のナツミが、ヒカリの方を指差しながらトウジに尋ねる。
 妹からの思いがけない質問に、トウジは思わずどもってしまった。

「な、ななな、なんでイインチョがワイの彼女なんや!
 あれはただのクラスメートや。クラスメート」

「ふーん」

 ナツミはまだ小学生とはいえ、そろそろ男女交際に興味が出てくる年頃である。
 まるで気が利かない態度をとる兄に、ナツミは冷ややかな視線を向けた。
 一方、トウジの背後でケンスケとシンジが、「うわー、トウジのやつ本気でわかってないよ」「洞木さん、あんなに頑張(がんば)ってたのに」と、小声で話していた。




 新湯本の駅でナツミとケンスケを見送ったあと、シンジは一人でレイのマンションへと向かった。

「綾波、僕だけど」

 シンジがレイの部屋のドアをノックすると、すぐにレイが顔を出した。

「碇君」

「引越しの荷造りは終わった? もし終わってないなら、手伝おうか」

「大丈夫。もう、終わったわ」

「それから、他に綾波に話したいことがあって。一緒に少し、外を歩かない?」

「わかったわ」

 シンジがレイに誘いの言葉をかけると、レイはその場でうなづいた。




 外の気温はまだ高かったが、日が(かたむ)いてきたこともあり、日中よりはいくらかすごしやすくなっていた。
 前にこの場所に来たときは、老朽化(ろうきゅうか)したマンションの解体工事の音がかなりうるさかったが、避難勧告と共に工事も中止されたため、今はセミの鳴く音がわずかに聞こえる程度の静けさである。
 シンジは、前にもきたジュースの自販機の横のベンチに、レイと並んで腰掛けた。

「碇君。話ってなに?」

「そのことなんだけど、一昨日の夜、リツコさんにネルフ本部に呼び出されて。
 僕とリツコさん、そしてその場に居合わせたミサトさんの三人で、ネルフ本部の地下深くに移動
 したんだ」

 シンジの口から、ネルフ本部の地下深くという言葉を聞いたレイは、目を大きく見開いた。

「エレベーターで降りた階には、白い巨人がいた。
 実はこれを見るのは二度目なんだけど、僕たちはその場所を過ぎて、さらに地下へと降りて
 いったんだ」

 シンジの話が進むにつれて、もともと白かったレイの顔色が、いっそう青ざめていく。
 レイはわずかに肩を震わせながら、「(いや)……」と小声でつぶやいた。

「そして、一番奥の部屋で僕は見たんだ。大勢の綾波が、その部屋の水槽(すいそう)の中にいるのを」

「イヤ……」

 だが、正面を向いていたシンジはレイの変化に気づかず、そのまま話を進めた。

「その場でリツコさんから、綾波のことをいろいろと聞いた。
 正直、全部は理解できてないと思う。
 でも、僕は綾波が特別な存在だからって、気持ちが変わったりは……」

「イヤッ!」

 ガタンと音をたてて、レイがベンチから立ち上がった。
 そして、そのまま、その場から走り去っていく。

「綾波っ!」

 シンジはレイの不意の行動に(おどろ)きの様子を見せたが、すぐに立ち上がってレイの後を追った。




 レイはマンションの自分の部屋に入ると、この部屋にきて始めて、自分の意思でドアに(かぎ)をかけた。

「綾波っ! お願い、ドアを開けて!」

 シンジがガチャガチャと音をたててドアノブを回そうとするが、ドアノブはわずかに()れ動いただけだった。

(碇君……)

 今まで秘密にしていたことがシンジに知られ、レイは混乱していた。
 不安な思いが次々と湧き上がってきて、レイは今、シンジの顔を見ることができなかった。

「綾波っ、綾波っ!」

 シンジが鉄製のドアを、ドンドンと強く叩いた。
 だが、レイがドアの鍵を開けることはなかった。

「綾波……その、ごめん」

 ようやく落ち着いたシンジが、ドアの外からレイに向かって話しかけた。

「綾波を傷つけるつもりはなかったんだ。でも僕は、綾波の気持ちを全然わかっていなかった。
 今日はいったん帰るけど、明日また来るから……」

 コツコツと部屋から遠ざかる靴音が、レイの耳に聞こえた。
 レイは玄関から離れると、制服のままベッドにうつ伏せになった。

(碇君……)

 (かわ)いた血がこびりついた枕に、レイの目から流れた涙が次々に()みとおっていった。







 レイは、ドアの(たた)く音で目が覚めた。
 ベッドでうつ伏せになって泣いているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。
 部屋の中は薄暗く、窓を見ると月の光が差し込んでいた。

「誰?」

 レイは玄関に行くと、部屋の外にいる誰かに声をかけた。

「私よ、レイ」

葛城(かつらぎ)三佐?」

 レイの部屋のドアを叩いていたのは、ミサトだった。

「レイに話したいことがあるの。鍵を開けて」

「……それは、命令ですか?」

「命令じゃないわ。お願いよ」

 レイはドアの鍵を開けて、ミサトを部屋の中に入れた。

「お邪魔するわね」

 ミサトを部屋にあげた後、レイは灯りのスイッチを入れる。
 始めてレイの部屋を見たミサトは、その殺風景(さっぷうけい)さに驚いたが、とりあえず部屋にあった椅子に腰を下ろした。

「あなたの部屋って、前からこんな感じだったの?」

「はい」

 レイは食器を入れたダンボールから、ティーポットとカップを取り出し、お湯を()かした。
 手持ち無沙汰(ぶさた)になったミサトは、部屋の中をきょろきょろと見回す。
 もうすぐ部屋を引き払うため、部屋の片隅(かたすみ)にダンボール箱がいくつか置かれている以外に目立った調度品はなかったが、窓際に一つ観葉植物が植えられている(はち)が置かれているのが目に入った。

「ねえ、レイ。その植物は、あなたが買ったの?」

「いえ。碇君からもらいました」

 ミサトは奥手なシンジの意外な行動に驚いたが、レイの部屋の有様を知ったシンジが、世話を焼いたのだろうと考えた。

「どうぞ」

「ありがとう、レイ」

 レイは沸いたお湯の中に紅茶の葉を入れ、葉が開ききるまで数分間待ってから、カップにお茶を注いだ。
 ミサトがその紅茶を一口飲むと、味音痴のミサトでさえはっきりわかるほど、レイが()れた紅茶は美味(おい)しく感じられた。

「へえーっ。レイって紅茶を淹れるのが上手ね」

「碇君から、教えてもらいました」

「そうなの」

 シンジがレイに好意をもっていることは理解していたが、目の前にシンジがいるとついからかってしまうため、シンジの恋愛感情については今まで正確に把握していなかった。
 だが、シンジが相当レイに入れ込んでいたことだけは、これではっきりとわかった。

「レイ。シンジ君から、話は聞いたわ」

「……」

 ミサトが本題について話し始めると、レイは返事をせずに押し黙ってしまった。

「あなたの承諾(しょうだく)なしに、あなたの秘密を知ってしまったことは、悪いと思ってるわ。
 ただ、正直言って不意打ちに近かったし、私もまだちょっと整理しきれていないのよ」

 レイはミサトから視線を外しながらも、その話にじっと耳を傾ける。

「でもね、これだけはわかって欲しいの。
 私もあれを見たとき、驚いて声もでなかった。シンジ君も驚いたみたいだけど、でもそれだけ。
 シンジ君はあなたのクローンを間近で見ても、それでもあなたへの気持ちは変わらない、あなた
 への態度を変えたりはしないって、リツコの前ではっきり言ったわ」

 多少脚色(きゃくしょく)が入ったが、シンジがあの時口にした言葉を、ミサトはレイに伝えた。
 それを聞いたレイは、ハッと顔を上げてミサトの目を見つめる。

「私にもね、人に知られたくない思い出とか、けっこうあるのよ。
 レイとは比較にならないかもしれないけど、あなたの事情も少しは理解できるかなと思ってる。
 だけど、シンジ君の気持ちも、少しはわかってあげて欲しいかなーなんて」

 レイはしばらくミサトの顔を見ていたが、やがて顔を下げると、床に視線を向けながら何かを考え始めた。

「レイも気持ちを整理する時間が必要でしょうし、今日はこれで帰るわね。
 あと二日ぐらいなら、ネルフに引っ越さずに、このまま部屋にいて大丈夫だから」

「わかりました」

 ミサトはレイにおやすみなさいと告げてから、彼女の部屋を出て行った。




(レイ……)

 見渡す限りオレンジ色の世界が広がっている。
 そこで、レイを呼ぶかすかな声が聞こえた。

(綾波レイ……)

「誰?」

 レイの正面に、レイと同じ顔と体をもったものが現れた。

(クス……)

(クスクス……)

(クスクスクス……)

 その数は一つ、二つと増え、やがて視界いっぱいにまで増えていった。

「あなた、誰?」

(レイ。綾波レイよ)

(私も綾波レイ)

(私もレイよ……)

 目の前にいたレイたちが、答えた。

「違うわ。私が綾波レイ」

(いいえ、違わないの)

(そう、私とあなたは同じ)

(私たちは、皆同じなのよ)

 オレンジ色の世界を漂うレイたちが、レイの言葉を否定していく。

「いいえ、同じじゃないわ。私はヒトよ」

 レイたちの言葉に、レイが反論した。

(人は、男と女から生まれるもの)

(あなたは、どこから生まれたの?)

(あなたも私も、赤い土から生まれたのよ)

(そう。私たちは出来(そこ)ないの使徒。人ではない化け物)

 今までバラバラに(しゃべ)っていたレイたちが、一斉に口を(そろ)えた。

(それが……)

(それが……)

(それが……)

(それが、私たちの真の姿なの)




 ベッドの上で眠っていたレイが、ハッと目を覚ました。
 部屋の中は明るくなっており、窓からは太陽の光が差し込んでいる。
 部屋の気温は決して高くなかったが、レイは全身にびっしょりと汗をかいていた。

(今のが……夢?)

 レイは今まで夢を見た記憶が無かったが、始めて見た夢は、今のレイにとって最悪の内容だった。
 レイはベッドから出ると、汗を流すためにシャワールームに入った。
 汗と一緒に嫌な気分までを洗い流そうと、シャワーを浴びるのにいつもの倍の時間をかける。
 シャワー室から出たレイが、新しい下着を着け、学校の制服に着替えたとき、玄関をノックする音が聞こえた。

「誰?」

「横島だけど」

 レイは、知り合って間もない横島の顔と声を思い出すと、ドアのロックを外してから玄関のドアを少しだけ開けた。

「シンジから話を聞いてさ。昨夜、ミサトさんも来たみたいだけど、俺もレイちゃんと話がしたくて」

 レイは横島の後ろに、見知らぬ女性が立っているのを見た。
 わずかに、いぶかしげな表情を浮かべたレイを見て、横島が説明の言葉を加える。

「彼女はマリアって言うんだ。俺とはけっこう長い付き合いで、シンジも名前だけは知っている。
 できれば、彼女も同席させたいんだが」

 レイは少し考えたが、断る理由が見つからなかった。

「入って」

「それじゃ、お邪魔します」

 横島とマリアは、レイの部屋に入った。

「椅子が一つしかないし、ちょっと、雰囲気的に落ち着かないな。レイちゃん、朝飯は食べた?」

「いいえ、まだ」

「場所変えていいかな? もし、よければだけど」

 レイがうなずくと、横島はレイの手を軽く(にぎ)った。

「ちょっと目をつぶってくれるかな。すぐ済むから」

 レイが目をつぶって数秒すると、周囲の空気が変化したことに気がついた。

「もう、いいよ」

 レイが目を開けると、見覚えはあるものの、自分の部屋とはまったく別の場所にいた。

「ここは、妙神山?」

「そう。別の場所でもよかったけど、まったく知らない場所だと、レイちゃんが落ち着かないんじゃ
 ないかなと思ってさ」

 横島が目の前にあった建物の中に入ると、そこには小竜姫がいた。

「こんにちは、小竜姫さま」

「いらっしゃい、横島さん。今日は、マリアさんとレイちゃんが一緒なんですね」

「すみませんけど、何か食べるものあります?」

「ちょうど、中華粥(ちゅうかがゆ)を作ったところなんですよ。もし食事がまだだったら、召し上がってください」

「すみません。ゴチになります」

 横島たちは小竜姫に案内されて、食卓のある部屋へと向かった。







 横島たちが部屋に入ると、小竜姫が茶碗(ちゃわん)を二つと中華粥の入った(なべ)をもってきた。
 横島は茶碗に粥をもると、それをレイに差し出した。

「……あの人は?」

 レイは食事も()らずに、テーブルの片隅でじっと座っているマリアに、視線を向けた。

「ああ、マリアならいいんだ。マリアはご飯が食べられないから」

「そう……」

 レイは何か訳があるのだろうと思い、それ以上は口をはさまなかった。




 食事を終えたレイは、茶碗とレンゲをテーブルの上に置いた。
 一膳(いちぜん)しか食べなかったが、食べ終わると落ち込んでいた気分が、いくぶん晴れてきた。

「ごちそうさま」

 横島もほぼ同時に、二杯目のおかわりをちょうど食べ終えた。

「少しは気分がよくなったかな。さっき見たときは、かなり顔色悪かったから」

「ええ」

「それじゃあ本題に入るけど、実は俺は以前から、レイちゃんの秘密を知ってたんだ」

 その言葉を聞いたレイは、一瞬目を大きく見開いた。

「ネルフを調査していたヒャクメが、セントラルドグマの奥にある部屋を見つけて、俺をそこに
 案内したんだ。時期的には、だいたい三号機が使徒に乗っ取られた時の少し前かな?
 ただ、俺はその事について、シンジには何も話さなかった。十分な基礎知識がないのに、余計な
 ことを知っても混乱するだけだからな。
 だけど、リツコさんが突然あんな行動に出て、シンジは知ってしまったんだ」

 レイは、黙って顔をうつむかせる。レイの表情が、かなり固くなっていた。

「はっきり言うけど、シンジはレイちゃんのことを拒絶したりしちゃいない。
 むしろ、大事に思っているんじゃないかと俺は思う」

「でも、碇君は人間で、私は……」

 レイは、そこで言葉が詰まってしまった。
 知らず知らずのうちに、目に涙が()まってくる。
 その様子を見ていた横島は、とても気まずそうな表情を浮かべた。

「あ……ごめん。そんなつもりはなかったんだ。
 マリア。悪いけど、話相手を代わってくれないかな?」

 横島が、近くの席に座っていたマリアを招き寄せる。
 横島はマリアと席を交替すると、「あと、よろしくな」と言って部屋を出て行った。




「ミス・綾波。あなたと少し・お話しが・したいのですが」

 レイが、こくんとうなずいた。

「私の・名前は・マリア」

「ええ、さっき聞いたわ」

「私は・ドクター・カオスによって・作られた・アンドロイドです」

「アンドロイド?」

「はい」

 マリアは服の前を開き、地肌(じはだ)をレイに見せた。
 人の肌とは異なる人工的な素材を見て、レイはマリアの発言の内容を理解した。

「私を作ったドクター・カオスは、千年以上生きている錬金術師です」

「錬金術師?」

 聞き慣れない言葉を耳にしたレイが、マリアに問い返した。

「現代の・言葉に直すと・科学者・のような・存在です」

 レイは、マリアの全身をざっと(なが)めた。
 話し方がややたどたどしいこと以外は、ほとんど普通の人間と変わらないように見える。
 頭のアンテナも、髪飾(かみかざ)りと言われれば信じてしまいそうだ。

「ミス・綾波。私の・ボディは・ドクター・カオスが・作りました」

 マリアは、右手を自分の左胸に当てた。

「私の心。つまり・(たましい)も・ドクター・カオス・によって・作られた・人工霊魂です。
 ですが・ミス・綾波。あなたの心は・どこから・来たのですか?」

 マリアの問いかけに、レイは即座に答えることができなかった。
 自分がどうやって生まれたかについては、十分理解している。
 だが、自分の心がどこから来たのかなど、今まで考えたこともなかった。

「私は……赤い土から……」

「ミス・綾波。あなたの・事情は・横島さんから・聞いています。
 あなたの体は・ミスター・碇・の手によって・生み出された・と聞きました。
 ですが・あなたの心も・ミスター・碇が・生み出した・のですか?」

「……」

 マリアの質問に答えることができず、レイはそのまま押し黙ってしまった。

「ミス・綾波。あなたの体は・作られたものかも・しれませんが・あなたの心は・人と同様に・
 この世界から・自然に・生まれた・ものです。
 あなたと・人とは・広い意味では・同じ存在と言っても・過言では・ありません」

 マリアは窓に近づいて、それを開けた。
 窓からは小さな庭が見え、そこには談笑する横島と小竜姫、そして横島の足下にまとわりつくパピリオの姿があった。

「ミス・小竜姫は・神族。ミス・パピリオは・魔族。そして・横島さんは・人間です。
 ですが・種族が違っても・あのように・親しく・しています。
 それに・横島さんが・以前に交際していた・女性は・ミス・パピリオ・の姉。
 つまり・魔族でした」

 レイは、横島が人間以外の種族の女性とつきあっていたと聞き、わずかに驚きの表情を見せた。

「不幸にも・彼女は・亡くなって・しまいましたが・二人はとても・愛し合っていたと・聞いて
 います。
 ミス・綾波も・シンジさんに・心を開けば・以前と同じように・親しくなれると・思います」

 レイはうつむきながら、しばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。

「わかったわ。碇君と話し合ってみる」

「それがいいと・私も・思います。ミス・綾波」




 横島とレイが元の世界に戻ったとき、シンジの部屋には誰もいなかった。
 横島が、物音をたてないよう気をつけながら部屋の外に出ると、シンジが台所で洗い物をしていた。

「シンジ」

「あ、横島さんですか」

「今一人か?」

「ええ。ミサトさんもアスカも、ネルフに出かけています」

「わかった。おーい、レイちゃん。出てきてもいいよ」

 横島が呼ぶと、レイがシンジの部屋から出てきた。

「あ、綾波!?」

「レイちゃんが、おまえと話がしたいんだってさ。
 俺は席を外すから、あとでレイちゃんを自宅まで送っておいてくれ。
 ジークには俺から連絡しておくから、監視の目は気にしなくていいからな。
 じゃあ、頼んだぞ」

 横島はそう言うと、持ってきた(くつ)を玄関で()いて、部屋から出て行った。

「綾波。昨日はごめん」

「どうして?」

「僕が、綾波を傷つけたんじゃないかと思って……」

「そのことは、もういいの」

 廊下の入り口の所にいたレイは、シンジに向かって歩み寄った。
 レイを意識したシンジは、思わず顔が赤くなってしまう。

「碇君」

「なに、綾波?」

「碇君。私のこと好き?」

「あ、それは、その……」

 レイのストレートな物言いに、シンジは思わずどもってしまう。

「う、うん。好きだよ、綾波のこと」

「私が、ヒトじゃなくても?」

「うん。綾波のこと知ったときには驚いたけど、でも落ち着いて考えたら、そんな大したことじゃ
 ないって気づいたんだ。
 向こうの世界では、人じゃない神族や魔族に、当たり前のように接してたしね。
 綾波もそうなんだなって思ったら、そんなに気にならなくなったんだ」

「そう……」

 レイは顔をうつむかせると、両手を前に下げてから手を組んだ。

「ありがとう……碇君」

 シンジは、レイの両手を持ち上げると、そこに自分の手を重ね合わせる。
 二人の間に、今までにないほどの暖かい空気が流れていた。



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