交差する二つの世界
作:湖畔のスナフキン
第十五話 −最後のシ者− (02)
マンションから退去する日の朝、ミサトがしょぼくれた顔で食卓に座っていた。
「はーあ。これでしばらく、シンジ君の手料理ともお別れね」
一番散らかっていたミサトの部屋も、シンジとアスカが手伝ったお陰で、ようやく荷造りが終わった。
あとは、業者の引取りを待つばかりである。
「残念ね、ミサト」
「なに言ってるのよ、アスカ。あなただって同じじゃない。
上級士官用の個室には、キッチンが備え付けられているけど、あなたたちパイロットの個室には
キッチンはないのよ」
「まだまだ、下調べが甘いわね。
確かに個々の部屋にはキッチンはないけど、フロアには共同で使える調理室がちゃんとあるのよ!
まあ、ランチはネルフの食堂で済ますにしても、夕食はやっぱりきちんと食べたいわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、アスカ!」
ようやく家事から解放されると内心喜んでいたシンジは、アスカの発言を聞いてあわてて口をはさんだ。
「僕はまだ、ネルフで料理するなんて、誰とも約束してないけど」
「なによ! それじゃアタシに、業者が作ったご飯で三食済ませろっていうわけ!?」
アスカがシンジにつっかかろうとしたが、ミサトが慌てて二人の間に割って入った。
「まあまあ、アスカ。心配しなくても、シンジ君はそのうち、自分から料理を始めるわよ」
「ミサトさん。僕は誰にも、そんな話はしてないんですが」
「あたしね、たまにレイがネルフの食堂で食事しているのを見るけど、あの子が注文するのはいつも
カレーかラーメンばかりなのよ。他のものを食べているのを、見たことがないわ」
「ミサトさん! 今の話、本当ですか!?」
投げ込んだエサにシンジが見事に食らいついたことを確認すると、ミサトはムフフと笑った。
「だからね、そのうちシンジ君が、『綾波はこんなものばかり食べてちゃダメだ』とか言い出して、
自分で料理を始めるに決まってるわ」
「さっすが! 頭いいわね、ミサト」
「伊達に、作戦部長をしてないわよん」
「あの……全部、僕に丸聞こえなんですけど……」
口ではそう抗議しつつも、頭の中ではレイの食生活の心配を始めているシンジであった。
ネルフ本部に用意された自分の部屋で、シンジがダンボール箱を開けていると、入り口のドアが開いて横島が入ってきた。
横島は変装のため、ネルフの一般職員の制服を着ている。
「横島さん」
「よう、シンジ。引越しの片付けは済んだか?」
横島は部屋の中を、キョロキョロと見回した。
部屋の印象は、やや広めのビジネスホテルのシングルといった感じである。
ベッドと机の他にめぼしい家具はなく、生活臭はあまり感じられなかった。
「殺風景(な部屋だな」
「僕の前には、誰も住んでいなかったみたいです」
ミサトの話によると、ジオフロントはそれ自体が巨大なシェルターとしての機能も持っており、外部から隔絶(された状態でも長期間生存が可能とのこと。
使われていなかった職員用居住区も、ジオフロントに籠(もるケースを想定して用意されていたらしい。
「ところで、今日は何の用事ですか?」
「シンジたちが引っ越したからな。
向こうから、こっちの世界に転移する場所を、新しく作ろうと思う」
「わかりました。また、僕の部屋に設置するんですか?」
「いや。今度は、同じ階の空き部屋にするつもりだ。
今までは、同居人がミサトさんだけだったから誤魔化しやすかったけど、今度はトウジやカヲルも
いるからな。レイちゃんやアスカの部屋に近くて、なるべく目立たない部屋をキープしている」
「そうですか」
たしかに、レイやアスカが頻繁(にシンジの部屋に出入りする様子が人に知られると、真相はともかく、誤解を招くような噂(の一つや二つは立ってしまうだろう。
横島とシンジは、ヒャクメに頼んでキープしていた空き部屋に入った。
チルドレンたちの部屋はすべて同じ階にあるが、男性陣であるシンジ、トウジ、カヲルの部屋と、女性陣のレイ、アスカの部屋は通路が別になっている。
この部屋はレイとアスカの部屋のすぐ近くにあり、また枝分かれした通路の先にあるので、人目につきにくい場所だった。
「それじゃ、俺はお札(を部屋に貼ってるから、シンジはアスカを連れてきてくれ」
「綾波はいいんですか?」
「今日は修行と訓練だけだから。レイちゃんが来たいって言うのなら、かまわないけど」
「わかりました」
室内の気を整えるため、横島が部屋の四隅にお札を貼り終えると、シンジがレイとアスカを連れて戻ってきた。
「ねえっ! 今日は何をするの?」
アスカは、まるでこれからピクニックか遊園地でも行くかのように、わくわくした表情をしていた。
一方レイは、いつもどおりの落ち着いた表情である。
「シンジは事務所で、シロと霊波刀の修行。アスカは、今日から特別メニューだ。
レイちゃんには特に用事はないけど、シンジの修行の様子でも見学するか?」
レイは、コクリとうなずいた。
「それじゃ、転移するよ」
横島が文珠を使うと、一行は美神除霊事務所の大部屋に転移した。
「あっ、横島さん。今日は大勢ですね」
転移した横島を見つけたおキヌが、横島に声をかけた。
初めて事務所に来たレイは、部屋の中をきょろきょろと見回していた。
「ここは美神除霊事務所っていって、俺の勤務先なんだ。
霊能力の基礎的な訓練は、妙神山よりこっちでやることが多いかな。
そして、彼女は俺の同僚のおキヌちゃん」
横島が、レイにおキヌを紹介した。
「んでもって、この子が綾波レイ」
「はじめまして。氷室キヌです。レイちゃんのことは、横島さんやシンジ君からよく聞いてるわ」
「……綾波レイ」
おキヌがレイに、にっこりと微笑(みかけた。
一方のレイは、自分の名前だけ告げると、黙(ったまま、じっとおキヌの顔を見つめている。
「すみません、おキヌさん。綾波は無口な性格なんです」
ひょっとすると、レイは人見知りが激しいのかもしれないと、シンジは思った。
もっとも、自分も人見知りをする性格であることは、棚(に上げているのだが。
「レイのことはともかく、私の特別メニューってなに?」
周囲の注目がレイに集まっていたので、アスカは少々むくれ気味だった。
「そのことなんだけど、おキヌちゃん、隊長は来てる?」
「ええ。奥の部屋で待ってます。呼んできましょうか?」
「頼むよ」
しばらくして、事務所の奥の部屋から、美智恵が姿を現した。
「あなたが、惣流・アスカ・ラングレーさんね。
私は、ICPO超常犯罪課、非常勤顧問の美神美智恵です」
美智恵が、アスカに右手を差し出す。
ビジネス・スーツをぴたっと着こなし、威厳を見せている女性を前にして、アスカは緊張しながら握手を交わした。
「ICPOって、たしかインターポールのことですよね?」
「さすがね。噂どおりの秀才ぶりだわ」
「あの、国際刑事警察機構の方が、私に何の用ですか?」
「別に、あなたたから事情聴取をしようとか、そういう用事ではないわ。
ただ、これから行く施設が、オカルトGメン――ICPO超常犯罪課の通称だけど――の管理下
にあるから、私の付き添(いが必要なの。それじゃ、横島君。移動しましょうか」
美智恵と横島とアスカは、オカルトGメンの隊員が運転する車に乗って、東京都庁地下の秘密基地へと向かった。
「ここに来るのも、久しぶりッスね」
「そうね。あの戦いの後、ここはほとんど使われていなかったから」
幾重(にも鳥居が連なった通路を通り過ぎ、一行はかつての戦いで使われた基地へと入った。
「地下の秘密基地か……ジオフロントは無いけど、なんだかネルフ本部みたい」
アスカは、頭上にある鳥居(や周囲にある玉砂利(などを、興味深そうに眺めていた。
「着いたわ」
美智恵を先頭にした一行は、やがて学校のグラウンドほどの広さのあるドーム型の部屋に入った。
「ここは……?」
「霊動実験室。一種の仮想空間なんだけど、ここでは記録された魔物や妖怪の霊波動を再現して、
シミュレートできるんだ」
「エヴァで、MAGIの3次元立体シミュレーションをするようなもの?」
「まあ、そんな感じなんだけど、MAGIと違うのは、ここでは自分の体を使って戦うことなんだ」
美智恵が入り口から出ると、ドームの上部にある制御室へと入った。
横島が手を振ると、ドームの中央に巨大な悪霊(が現れる。
悪霊を初めて見たアスカは腰が引けてしまったが、横島は霊波刀を構えると、出現した悪霊を一刀両断した。
「ま、こんな感じかな」
「敵の攻撃を受けると、どうなるの?」
「実戦と同じようにダメージを受ける。まあ、攻撃力とかは調整できるけどね」
「特別メニューってひょっとして、私、ここで悪霊や妖怪とかと戦うってわけ!?」
アスカは内心、かなり引いていた。
「いや。シンジには、訓練をかねて悪霊退治を手伝ってもらったことがあるけど、アスカの相手はこれだ」
横島が手を上げると、ドームの中央に等身大の大きさの第三使徒が現れた。
「使徒!」
「武器は用意するから、自分が弐号機になったつもりで、使徒と戦ってくれ。
それから、この部屋の中だけ、ATフィールドが使えるようになってる」
アスカが弐号機でATフィールドを張るような思考をすると、本当に目の前に赤い壁(が現れた。
「遠距離からビームを撃ってきたり、衛星軌道から落っこちてくるような使徒は出てこないけど、
接近戦を挑んできた使徒のデータは既に入力してある。
目標は、出現する使徒全てを撃破することだ」
「面白いじゃない!」
アスカは、ヒャクメが用意していた予備のプラグスーツを横島から受け取ると、別の部屋に行って着替えた。
プラグスーツを着たアスカが霊動実験室に戻ると、ナイフや銃などの装備が床に並べられていた。
「準備はいいか?」
制御室に移動した横島が、スピーカーでアスカに呼びかけた。
「いつでもいいわよ」
アスカは腰に付いていたフォルダにナイフを差し、右手にパレット・ガン代わりのライフルを構える。
「それじゃ、始め!」
アスカは、始めの合図と同時に現れた第三使徒に向かって、手に持っていたライフルを乱射した。
美神除霊事務所の中庭で、シンジとシロが霊波刀の稽古(をしていた。
稽古とはいっても、実戦形式でのかなり激しい内容である。
「やーーっ!」
大上段から振り下ろしたたシンジの一撃をシロは自分の霊波刀で受け流し、そのまま右に抜けてから斜め後ろを振り向いた。
そして、勢いがついたシンジの体を背中からトンと押すと、シンジは「うわっ」と叫びながら、前につんのめってしまう。
ぺチャンと前のめりに倒れたところに、シロが霊波刀をシンジの後頭部に押し付けた。
「また、拙者(の勝ちでござるな」
「シロさん。少しは手加減してくださいよ」
シンジが、ズボンについた土を払(い落としながら起き上がる。
「それでは、修行にならないでござるよ」
実際のところ、シロはかなり手加減をしながら、シンジの相手をしていた。
人狼のシロが本気を出せば、シンジの腕前では10秒ともたないであろう。
「今日は、これでおしまいでござる」
シンジは、稽古をつけてくれたシロに頭を下げて礼をすると、中庭の隅(に座っていたレイのところに駆け寄った。
「綾波、退屈じゃなかった?」
シンジがそう尋(ねると、レイは軽く首を横に振る。
「僕たちも、部屋に戻ろう」
シンジとレイが事務所に戻ってしばらくすると、横島とアスカが外から帰ってきた。
「あーもう、疲れた」
いかにも疲れきった様子のアスカが、部屋に入るとすぐにソファーの上に倒れて、そのまま寝転がった。
「アスカ。特別メニューって、そんなに大変だったの?」
シンジが、ソファーの上でゴロゴロしていたアスカに話しかけた。
「霊動実験室っていう体感式のシミュレーターを使ったんだけど、そこで使徒と戦ってきたのよ」
「使徒だって!?」
「まあ、大きさは私たちと同じだけどね。
第三使徒から始まって、第四・第六まで倒したけど、七番目でとうとうぶっ倒れちゃったわ」
「へーっ。そうなんだ」
生身で使徒と戦うという訓練内容をシンジは今ひとつ実感できなかったが、それでもアスカが連続して三体の使徒を倒したことには驚(きを感じた。
「だいたい、最初の二つが強すぎよ!
第三使徒は、接近すればパイル打つし、距離をとると光線出して始末におえないわ。
第四使徒は第四使徒で、こっちが近づこうとすると両手の鞭(をブンブン振り回すし。
アンタ、よくあんなのに勝てたわね?」
「第三使徒を倒したのは横島さんだし、第四使徒もアドバイス受けながら戦ったんだ。
それに、あの尖(った鞭で背中から刺されて、ほとんど刺し違えて倒したようなもんだよ」
「結局、第四使徒でほとんどスタミナ使い果たしちゃって、第六使徒は何とかやっつけたけど、
その次でやれちゃったってわけ」
はーっとため息をつきながら、アスカがソファから手をぶら下げた。
「横島さん。なんでアスカだけ、そんな訓練をしてるんですか?」
「目的は、短期間での戦力の底上げなんだけど……」
「戦力の底上げって、どういうこと?」
アスカが、横島に聞き返した。
「アスカも修行を積めば、シンジと同レベルの霊能力が使えるようになると踏んでるんだが、
正直それには時間がかかるんだ。
だけど、前にも話したように、使徒戦の終結はもう目の前まで近づいてる。
敵は、こちらの準備ができるまで、待ってはくれないしな」
「でも、それが今日の訓練と何の関係があるの?」
「俺は基礎からじっくり積んだ方がいいと思ってたんだけど、美神さんがアスカみたいなタイプは
ハードな内容の方が向いてるって言うんだ」
「美神さんって、この事務所の所長さんの方?」
アスカは今日会った美智恵が、この事務所の所長である美神令子の母親だということを、帰りの車の中で聞いていた。
「そう。その美神さんが、アスカを短期間でパワーアップさせるには、失敗したら死ぬくらいの強烈
なメニューで訓練させれば、いいんじゃないかって」
「ちょ、ちょっと待ってよ!
短期間でパワーアップするのはいいけど、失敗したら死ぬって、なによそれは!」
「まあ、アスカなら乗り越えられるとも言ってたけど」
「な、なんなのよ、いったい……」
アスカは、自分を評価してくれることは嬉しく思ったが、どこか見透かされているような気がして、落ち着かない気分になった。
数日後、シンジはネルフ本部の自分の部屋と同じ階にある調理室で、多くの食材を相手に奮闘していた。
「トウジは、大皿を部屋に運んどいて。
綾波は、キャベツをみじん切りにしてくれないかな」
「よっしゃ、まかせとき!」
レイは冷蔵庫からキャベツを取り出すと、包丁でそれを二つに割ってからみじん切りにした。
その間にトウジは、タレに漬けた肉を並べておいた大皿をもって、調理室の外に出て行く。
シンジは鶏肉をからあげ粉にまぶしていたが、レイの丁寧(な包丁使いを見ているうちに、しばらく手が止まってしまった。
「どうしたの?」
シンジの視線に気づいたレイが、包丁を動かす手を止めた。
「綾波って、包丁使うのがうまいなって思って」
「学校で習ったわ」
「そっか。女子は家庭科の時間が多いもんね」
「私は、碇君の方が上手だと思う」
レイにそう言われたシンジは思わず照れてしまったが、やがて鶏肉にからあげ粉をまぶす作業を再開した。
「碇君は、どうして料理が好きなの?」
「もともと、料理は好きで始めたわけじゃないんだ。
寂(しさをまぎらわすために、やむをえずみたいな感じで。
だけど、こっちに来て、横島さんや綾波に僕の料理を食べてもらってるうちに、料理することが
だんだん楽しくなってきたんだ」
「なぜ、そう思うようになったの?」
「最初は、作った料理を褒めてもらうのが嬉しかったんだ。
僕がまだ料理に自信がなかった頃、横島さんがいろいろ褒(めてくれて、それが励(みになってたし。
だけど、料理を食べた人が満足している顔を見る方が、ただ褒められることよりも嬉しくなって
きたんだ。
だから、僕の料理をいつもきちんと食べてくれた綾波には、本当に感謝しているよ」
「そう……」
特に何かをしたつもりもなかったが、シンジに感謝されていることを知ったレイは、思わず頬(を赤く染めてしまった。
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