交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十五話 −最後のシ者− (03)




「お待たせ」

 鶏のから揚げとサラダを載せた皿をもって、シンジが自分の部屋に入った。
 続いて、キャベツのみじん切りの入ったタッパーをもったレイが、部屋に入る。

「遅いわよ、シンジ!」

「ごめん。準備に時間がかかっちゃって」

 ベッドと机以外に目ぼしい家具もない殺風景(さっぷうけい)な部屋だったが、今は部屋の固い床の上にレジャーシートが()かれており、その上にテーブルと人数分の座布団が置かれていた。
 テーブルの中央には大きなホットプレートがあり、その周囲に肉や野菜ののった皿が置かれていた。
 シンジは持ってきた皿を、テーブルの上の空いているスペースに置くと、レイと並んで座った。

「全員(そろ)ったわね。それじゃあ、飲み物を準備して」

 シンジは用意してあった紙コップにオレンジジュースを注いで、他の人に渡した。
 部屋の中には、シンジとレイの他に、アスカ・トウジ・カヲルの姿があった。
 つまり、チルドレン全員がこの場に集ったというわけである。

「それでは、わたくし惣流・アスカ・ラングレーの復帰祝いと、このたび正式にチルドレンとなった
 フォースとフィフスの歓迎会をはじめます。みんなコップを持って」

 第十五使徒戦で精神的なダメージを負ったアスカは、その後、通院治療を続けていた。
 かなり長引くだろうと思われていたが、周囲の予想を裏切ってアスカは急速に回復した。
 そして、シンクロテストでそれまでの不調が(うそ)のような好結果を出したため、アスカは晴れて現役復帰となったのである。

「それでは、乾杯(かんぱい)!」

 だが、大きな声で「かんぱ〜い」と合わせたのは、トウジだけだった。
 シンジは()ずかしがって、小さな声で「乾杯」と言い、カヲルは声を出さずにコップだけ持ち上げる。
 レイに至っては、コップを両手で持ったまま、最後まできょとんとしていた。

「もう、ノリが悪いわね! こういうときは乾杯と言ってから、グラスを上げて隣の人のグラスと
 カチッと合わせるものなのよ。まあ、紙コップだから音は出ないけど」

「まあ、いいじゃない。僕たち、こういうのに()れていないんだしさ。
 それより、早く何か焼こうよ」

 以前にミサトのマンションでミサトの昇進祝いに(なべ)パーティーをしたことがあったが、今日はバーベキューだった。
 できれば、本格的に炭火を使いたかったのだが、場所の関係でホットプレートになってしまった。

「それじゃ、最初はタン塩からな」

 トウジが嬉々(きき)とした表情で、薄くスライスされ、塩と胡椒(こしょう)で味付けされた牛タンをホットプレートの上に並べた。

「ねえ、トウジ。なんでタン塩から焼くの?」

 カルビやロースなど他の肉もあるのに、タン塩ばかり鉄板の上にのせることを、シンジは疑問に思った。

「先にカルビとか他の肉を焼くとな、肉汁(にくじる)が鉄板の上に流れでるやろ?
 その後にタン塩を焼くと、前に焼いた肉汁がタン塩の味を消してしまうんや。
 タン塩の美味しさを味わうには、鉄板に最初に置かなあかんちゅうわけや」

「ふーん。そうなんだ」

「なんや。センセが鉄板焼きを知らんなんて、ちょっと驚いたわ」

 トウジにそう言われたシンジは、軽くうつむきながら恥ずかしそうな表情を浮かべた。

「バーベキューとか、このまえの鍋パーティーみたいなことって、あまり経験ないんだ。
 もちろん、どんなものかは知ってるけど、細かいことまではよくわからなくて」

 シンジの特殊な家庭事情をいくぶん知っていたトウジは、急にすまなそうな顔になった。

「ま、まあ、経験ないなら、これから経験積んでけばいいだけのことやしな。
 それより、シンジ。タン塩そろそろ焼き上がるで」

 シンジが食卓につく前から、ホットプレートの電源を入れておいたため、割と短時間で食べ頃となった。
 トウジは焼き上がったタン塩を一枚拾うと、シンジの皿に入れた。

「へー。牛の舌なんて始めて食べたけど、けっこう美味しいわね」

 焼き上がったタン塩を、絞りたてのレモン汁に漬けて食べたアスカが、まずまずといった表情をしていた。

「ドイツでは、牛タンを食べたりしないんだ?」

「私は、食べた記憶はないわね。ドイツはソーセージやベーコンが本場だから」

 それからしばらくの間、シンジはドイツの食肉事情について、アスカから講義を聞かされる羽目になってしまった。




 タン塩が一巡すると、次は牛カルビや牛ロース、鶏肉や野菜などが鉄板の上に置かれた。
 シンジは、肉を食べられないレイのために、鉄板の一角を空けてそこでお好み焼きを作り始めた。

「なんや。綾波は肉食べんのか?」

 レイの皿には、シンジが作ったサラダや玉子焼きなど、肉以外の料理しか入っていなかった。
 気を()かせたトウジが、焼いたカルビをレイの皿に入れようとしたが、レイはそれを拒否した。

「綾波は、肉が嫌いなんだよ」

 レイの代わりに、シンジが答えた。

「ホンマに? これっぽっちもダメなんか?」

 トウジが右手を目の前に上げると、親指と人差し指の間に小さな隙間(すきま)を作った。

「玉子や魚は大丈夫なんだけど、肉は全然ダメなんだ」

「そりゃ、もったいない話やのう。
 なあ、綾波。好き嫌いばかりしとると、健康に育たんで」

 シンジの作った玉子焼きを、(はし)で小さくちぎって食べていたレイは、トウジの言葉に少しも反応しなかった。
 レイに相手にされなかったトウジは、お好み焼きのコテを巧みに操っていたシンジの手元に目を向ける。

「センセのお好み焼きは、広島風なんやな」

「関西風のも作れるよ。なんとなく、広島風にしてみたかっただけで」

「なあ、シンジ。あとでワイも作ってええか?」

「そういうと思ったよ。材料はまだ残ってるから」

「よっしゃあ! ワシの究極のお好み焼き、あとで披露(ひろう)したる!」

 シンジはお好み焼きを完成させると、空いた皿にのせてレイに渡した。




 やがて、テーブルの上の料理や食材が、あらかた参加者の腹の中へと収まった。
 一番食べたトウジも、最後に自分で作った海鮮(かいせん)豚玉(ぶたたま)ミックススペシャルを食べ終わって、(ふく)れた腹を右手でさすっている。
 シンジも普段の1.5倍くらいの量を食べ、カヲルもマイペースながら、かなりの肉や料理を平らげていた。
 アスカとレイは、甘いものは別腹(べつばら)とばかりに、デザートのショートケーキに手を出していた。

「でも、あんな目に()ったのに、よくまた乗る気になったわね」

 不意に、アスカがケーキを口に運ぶ手を止めると、楽な姿勢でくつろいでいたトウジに視線を向けた。

「正直、まだ(こわ)さも残っとるんやけど、疎開(そかい)した連中が戻るまで、この街を守りたい思うてな」

「三号機、そろそろ修理が終わるんだっけ?」

「三日後に起動試験するって、マヤさんが言うとったわ。
 そういや、最近リツコさんの顔を見ないけど、どないしたんやろ?」

 リツコの事情を知っていたシンジとアスカが、そっと目をそらした。
 レイも知っていたが、まばたきを一回したあと、そのままケーキを食べ続けた。

「でもな、正直シンジたちについていけるかどうか、不安やわ。
 シンジや惣流もすごいけど、(なぎさ)のような操縦(そうじゅう)もすぐにはできんやろうし。
 それに綾波のように、自爆して敵を倒すっちゅう覚悟(かくご)も、ワイにはまだないしな」

 自爆という言葉を聞いて、シンジの顔色が一瞬青くなった。
 レイが乗る機体が今は無いとはいえ、あの場面をもう一度見たいとは絶対に思わない。

「それは(ちが)うわ」

 トウジの発言を聞いたレイが、ポツリとつぶやいた。

「私は、自分がどうなってもかまわないから、碇君を守りたかった。ただそれだけ」

 普段口数の少ないレイが、突然話に口をはさんできたことにトウジは(おどろ)いたが、やがてそれが、とんでもない内容の発言であることに気づいた。

「な、なあ、綾波。ひょっとしてそれは、シンジへの愛の告白と思ってええんか?」

「ええ、かまわない」

 トウジは一瞬顔を赤くさせたが、口に手を当ててムフフッと笑うと、隣に座っていたシンジの首に腕をまわした。

「センセ。いつの間に綾波と、そんな深ーーい仲になったんや」

「ちょ、ちょっと綾波! こんな場所で勘弁(かんべん)してよ!」

「否定せんっちゅうことは、やっぱそうなんか!」

 やっかみ半分の気持ちでトウジは、首に腕を回した姿勢でシンジを振り回す。
 シンジはトウジの腕から逃れようと、必死になってもがいた。
 そんなシンジの姿を、アスカはジトッとした目つきで(にら)んでいた。

「シンジ君は、女の子にモテるんだね」

 紙コップに入ったウーロン茶を飲みながら、カヲルがつぶやいた。

「そういう渚もけっこうイケメンやし、女にモテるんとちゃうか?」

「カヲルでいいよ、トウジ君」

「せっかくやから、言うてみい。カヲルは、彼女おるんか?」

 (から)むような口調で、トウジがカヲルに(はなし)を振った。

「特定の交際相手という意味なら、いないよ。それより僕は、シンジ君に興味があるね」

 その言葉にすぐさま反応したのは、シンジではなくアスカだった。

「ま、まさか! アンタ、そっち系の人じゃないでしょうね!?」

「そっち系って、どういう意味?」

 普段どおりの冷静な口調で、カヲルがアスカに聞き返す。

「えと、BLとか受けとか攻めとか、その……」

「よくわからないな?」

「ああっ、もう! 別れ際に、ヘンな本を渡すヒカリがいけないのよ!」

 顔を真っ赤にしたアスカが、なぜかこの場にいないヒカリに責任を転嫁(てんか)させた。







「シンジ君、あれは?」

 食後に一休みしていたカヲルが、シンジの部屋の片隅(かたすみ)に置かれていた楽器ケースに目を向けた。

「ああ、あれはチェロだよ。前に習っていたんだ」

「へえ。アンタが楽器できるなんて、知らなかったわ」

 アスカが、二人の会話に加わった。

「でも、そんなにうまくないよ。やめる機会がなかったから、続けていただけだし」

「僕は、シンジ君の曲を聞いてみたいな」

 カヲルは上半身を起こしながら、シンジの顔を(のぞ)きこんだ。

「せっかくだから、()いてみなさいよ。上手かどうかは、聞いてから判断するから」

「わかったよ」

 シンジはケースからチェロを取り出し、軽く調律(ちょうりつ)してから弾き始めた。
 物静かにチェロを弾くシンジの姿は、普段とはまったく異なるものだった。
 目を細めて一心にチェロを弾くその姿は、どこか神々(こうごう)しさすら感じられる。
 この場にいた全員の視線が、シンジに集まった。
 やがて、曲が終わると、皆が一斉に拍手をした。

「どうだった? 久しぶりだから、あまり出来はよくなかったと思うど」

「それは謙遜(けんそん)だよ、シンジ君」

「センセは大したもんやわ。こないな楽器の演奏ナマで聞くのは始めてやけど、ほんま感動したで」

「ふーん。シンジもなかなかやるじゃない。ちょっとだけ、見直したわ」

 一方レイは、目を大きく見開きながら、シンジの顔をまじまじと見つめていた。
 唇がわずかに開いており、頬がほんのりと紅潮していた。

「綾波、どうだった? どこもおかしくなかったかな」

 シンジが声をかけると、レイは(あわ)てて首を横に振った。

「ところで、今のは何て曲なの?」

「アスカも知らないことがあるんだ。今のは、バッハの無伴奏チェロ組曲の第1番だよ」

「この天才少女アスカ様もね、時間がなくて音楽までは手が回らなかったのよ」

 アスカの横でトウジが、「ほんまは音痴(おんち)なんとちゃうか?」と小声でツッコミを入れたが、アスカの地獄耳がその声を聞き逃さなかったため、トウジはアスカの鉄拳制裁を食らい、余儀(よぎ)なく沈黙してしまった。

「シンジ君は、アンサンブルとかやらないの?」

「うん。ずっとソロで練習してたから。そういえば、カヲル君はピアノが弾けたよね」

「えっ!? シンジ、こいつピアノができるの?」

 アスカはカヲルを指差してから、シンジに(たず)ねた。

「始めて会ったとき、ピアノを弾いていたんだ。とても上手だったよ」

「ネルフ本部には、ピアノは置いてなさそうだからね。
 シンジ君以外の人に、聞いてもらえないのが残念だよ」

 余裕ある表情で、カヲルが答えた。




 リツコが入れられた独房は、ミサトが入っていたのとは別の場所だった。
 その部屋には窓も家具も何もなく、金属の壁にネルフのマークだけが(えが)かれていた。
 閉じ込められてから幾日か経った頃、部屋の中央にある椅子にリツコが一人腰掛けていると、ゲンドウが部屋の中に入ってきた。

「なぜ、ダミーシステムを破壊した?」

 ゲンドウは、リツコの背後から声をかけた。

「ダミーではありません。破壊したのはレイですわ。
 司令にとって重要なのは、ダミーではなくレイ自身。そうでしょう?」

 リツコは振り返らないまま、ゲンドウの問いに答える。

「今一度問う。なぜだ?」

「あなたに抱かれても、(うれ)しくなくなったから」

「君には失望した」

 ゲンドウは身じろぎひとつせずに、淡々(たんたん)とリツコに言い放った。

「失望? 私には最初から、何も期待も望みも持たなかったくせに!」

 振り向きざまに、リツコがゲンドウに向かって(さけ)んだ。

「私には何も! 何も! 何も!」

 リツコから鋭い視線を浴びせられたゲンドウは、くるりと後ろを向く。

「逃げないで!」

 愛人の悲鳴に近い叫び声を聞きゲンドウは一瞬足を止めたが、振り返ることなく部屋を出て行った。
 リツコはゲンドウが退室するとがっくりとうなだれたが、やがてゆっくりと顔を上げると、録音されないよう小声でつぶやいた。

「……もうあの娘は、あなたの人形ではないわ」

 リツコは、山中で見つかったレイと会話したときのことを思い出した。
 以前のレイは、聞かれたことに何でも答え、言われたことを愚直に実行する、まさにロボットのような存在だった。
 しかし、あの時のレイは違っていた。
 聞かれたことには素直に答えるものの、そこには何か一本(しん)の通ったものが感じられた。
 レイは自らの自我を確立しつつある、そうリツコは(とら)えていた。

「後は頼んだわよ、シンジ君」

 レイの替えの器は、もうない。
 レイをリセットして、再度人形に戻すことはできないのだ。
 リツコは、一番(にく)んでいた女の息子に、最後の望みをかけた。




 リツコのいた部屋を出たゲンドウは、初号機が置かれているケイジへと向かった。
 ケイジに着いたゲンドウは、アンビリカルブリッジの上に立ち、正面から初号機と向き合った。

「我々に与えられた時間は、これでまた残り少なくなった。
 だが、我々の願いを妨げるロンギヌスの槍は、すでにここにはない。
 間もなく、最後の使徒が現れるだろう。それを消せば、願いはかなう」

 ゲンドウは右のズボンのポケットの中から、小さなケースを取り出した。

「ユイ。もうすぐだよ。もうすぐ、おまえに会える時が来る」

 ゲンドウはそのケースを右手の上に置き、左手でゆっくりとケースを開けた。
 そこには、大きな目をギョロリと開けた胎児のような生物が入っていた。
 ゲンドウは、左手の親指と人差し指でその生き物を(つま)むと、口を大きく開けてそれを飲み込んだ。




 翌朝、カヲルは起床するとネルフ本部を出て地上へと向かった。
 その日は天気が悪く、空には暗い雲がかかっている。
 カヲルは、前の使徒戦で零号機が自爆してできた湖の(ほとり)に着いた。
 第三新東京市のある箱根の外輪山から白い(きり)が下り、湖面はその霧に(おお)われていた。
 カヲルは、背を曲げて両手をだらりとぶら下げ、湖面から上半身だけ出していた首のない石像を岸辺(きしべ)近くの湖の中に見つけると、岸辺からひょいとジャンプしてその石像の背中の上に立った。

『タブリス』

 カヲルが顔を上げると、カヲルを囲むようにして十二枚の石板が頭上に現れた。

『事は重大だ。急がねばならん』

 “SEELE01”のキール議長が、声を発した。

『ネルフ。そもそも我らゼーレの実行機関として結成され、我らのシナリオを実践するために用意
 されたもの。それが今は、一個人の占有機関と成り果てている』

『神と等しき力を、手に入れようとしている男がいる』

『パンドラの(はこ)を我々より先に開け、そこにある希望が現れる前に閉じ込めようとしている
 男がいる』

 “SEELE01”のキール議長に続いて、“SEELE05”と“SEELE02”の石板が発言した。

「希望? あれが人類(リリン)すべての希望だっていうの? あんたたちのじゃなくて?」

 希望という言葉に疑問を感じたカヲルが、彼らに聞き返す。

『左様』

 カヲルの質問に、キール議長が答えた。

(いつわ)りの継承者、黒き月より生まれし我らが人類。
 この地に無節操(むせっそう)にはびこり、お互いを理解できないまま、憎しみあい傷つけあうことしかできぬ
 (おろ)かな生き物。
 偽りの継承者であるがため、未来に行き詰った我々に残された希望はただ一つ。
 神の子として、正当な継承者に生まれ変わることなのだ』

 淡々と続くキール議長の話に、カヲルはじっと耳を傾けている。

『正当な継承者たる失われた白き月よりの使徒。その始祖たるアダム。
 そのサルベージされた魂は、君の中にしか存在しない。
 だが、再生された肉体は、既に碇の肉体に取り込まれたと見て間違いないだろう。
 だからこそ、おまえに(たく)す。我らの希望を』

 キール議長は一呼吸置いてから、カヲルに向かって力強く言葉を発した。

『機は熟した。行くがよい、タブリス』

「わかってるよ。最初からそのために、僕はいるんだから」

 カヲルは、“SEELE01”の石板から目を外して正面を向く。
 ポケットに手を入れたまま、じっと虚空(こくう)を見つめたカヲルの目には、まるでこれから特攻にでも(おもむ)くかのような、強い決意の色が現れていた。







 ワルキューレは、ドイツにあるゼーレ傘下(さんか)の研究所に潜入していた。
 幾重(いくえ)にも張り(めぐ)らされたセキュリティを突破し、地下深くに設置された機密ゾーンへと侵入する。
 そして、最下層のある部屋に入ったとき、ようやく目的の物を見つけ出した。

「……」

 ワルキューレは無言のまま、その広いその部屋をゆっくりと見回した。
 時折り、ゴボッゴボッというLCLから沸き上がる(あわ)の音以外、物音はほとんどなかった。
 その部屋にはガラス管が何本も張り巡らされ、その中にはLCLと思われるオレンジ色の液体が流れていた。
 そして部屋の壁沿いに太くなったガラス管が十数本も縦に並んでおり、その中に渚カヲルと同じ顔と体をもった物体が入っていた。
 ワルキューレは、亜空間から通信鬼(つうしんき)を取り出すと、ヒャクメを呼び出した。

「私だ。ワルキューレだ……ああ、ようやく目的の物を見つけた。
 ……そうだ。渚カヲルの正体は、やはり予想どおりだった」

 ワルキューレは、ヒャクメが遠隔(えんかく)監視できるようにこの部屋の座標ポイントを伝えると、その部屋を立ち去っていった。




 ミサトと日向は、朝早くからネルフ本部を出て、ジオフロントから地上に向かったカヲルを、こっそりと尾行していた。

「ダメだわ。何かつぶやいているみたいだけど、ここからじゃ唇の動きが読めない」

 零号機の自爆でできた湖の畔で一人たたずんでいるカヲルを、車に乗ったミサトは離れた場所から双眼鏡で監視していたが、あきらめて車の窓を閉めた。

「それにしても、ひとり言をいうためにこんな朝っぱらか散歩するなんて、ちょっと危ないヤツね」

 ミサトは、助手席に座っていた日向の方を振り向いた。

「それで、彼のデータ入手できた?」

「ええ。伊吹二尉から無断で借用したものです」

 日向は、手のひらサイズのPDAをミサトに手渡した。

「すまないわね。泥棒みたいなことばかり、させちゃって」

 ミサトは、日向から受け取ったPDAの画面を見て驚いた。

「……なに、これ?」

「マヤちゃんが公表できないわけですよ。理論上、ありえないことですから。
 エヴァとのシンクロ率を自由に設定できるとはね。それも自分の意思で」

 パイロットとエヴァとのシンクロ率は、パイロットの体調やメンタル的な要素で変化するが、それはパイロットの表層意識とはほとんど無縁だった。
 ところが、マヤのデータによると、渚カヲルは自らの意思でシンクロ率を自由に制御できることが、数値に示されていたのである。

「そろそろ、はっきりさせないといけないわね。彼の正体」

「そう思って、ちょいと諜報部(ちょうほうぶ)のデータに割り込みました」

「あっぶない事、するわね。バレたら、クビじゃ済まないわよ」

「その甲斐(かい)はありましたよ。目的とは別ですが、いい情報が見つかりました」

「なにが見つかったの?」

「リツコさんの居場所です」




 ミサトはネルフ本部に戻ると、リツコが監禁されている独房へと足を運んだ。

「よく来られたわね」

「聞きたいことがあるの」

 リツコは、椅子に座ったまま答えた。
 ミサトは独房の入り口近く、リツコからやや離れた場所に立って、反対側を向いてうなだれていたリツコに、背後から話しかける。

「ここでの会話、録音されるわよ」

「かまわないわ。あの少年、フィフスの正体はなに?」

 リツコは唇を開き、一語一語かみ締めるようにして語り始めた。

「渚カヲル。彼の生年月日がセカンド・インパクトと同じなのは、たぶん、あの日、あの場所で、
 最後に生まれた使徒だからよ」

 思いもよらないリツコの言葉に、ミサトはあっけにとられた。

「すべて使徒は、アダムから生まれたというの?
 あの日、人はアダムに何をしたの?」

 リツコは一呼吸置いてから、話を続ける。

「人は、他の使徒が覚醒(かくせい)する前に、アダムを卵にまで還元させようとした。
 その結果が、あのセカンドインパクト」

「ええ、そこまでは知ってるわ」

「事前に引き上げられた、あなたのお父さんの調査隊のデータの中に、何らかの形で人の遺伝子を
 使おうとした痕跡(こんせき)があったと聞くわ。
 もし、それが秘密裏(ひみつり)に行われていて、その時生まれた使徒が人の形をしていて、それを委員会が
 手に入れていたとしたら、すべてのつじつまが合うとMAGIは言ってるわ」

 リツコから理路整然とした答えを聞いたミサトは、息を飲んだままその場で立ち()くしていた。




 カヲルは、弐号機が格納されていたケイジに向かうと、アンビリカル・ブリッジの上から弐号機に語りかけた。

「時間だ。そろそろ、行こうか」

 カヲルはポケットに手を入れたまま、アンビリカル・ブリッジから空中へと一歩足を踏み出した。
 普通ならバランスを崩して落下するはずなのに、カヲルはみじろぎ一つせず、そのまま空中へと浮かび上がった。

「おいで、アダムの分身。そして、リリンの(しもべ)




 突然、発令所に警報音が鳴り(ひび)いた。

「エヴァ弐号機、起動!」

 リツコとの会話を終え、発令所に戻ってきたミサトに日向が報告を上げる。

「どういうこと!? アスカは?」

『確認しました! 現在、パイロット居住区から発令所に向かっています』

 発令所のサブスクリーンに、ネルフ本部の通路を駆けるアスカの姿が(うつ)し出されていた。

「じゃあ、フィフスは?」

「無人です! 弐号機にエントリープラグは、挿入されていません!」

 マヤが操作する端末に、『ENTRY PLUG NOT PRESENT』のメッセージが表示されていた。

「そんなバカな……」

「セントラルドグマに、ATフィールドの発生を確認!」

「弐号機?」

「いえ。パターン青。間違いありません、使徒です!」

 使徒侵入の報告に、発令所内の緊張が一気に高まる。

(やはり、フィフスね)

 ミサトは気を引き締めると、すぐさま決断を下した。

「サードチルドレンは、ケイジに直行して!
 フォースチルドレンは、ケイジにて待機。
 ファーストとセカンドは、発令所に来るように!」

「了解しました!」

 日向はすぐさま、ミサトの命令をシンジたちに伝達した。




『目標は第四層を通過!』

『ダメです! リニアの電源は切れません!』

 発令所に着いた冬月が、すぐさま命令を下す。

「セントラルドグマへ続く全隔壁(ぜんかくへき)を緊急閉鎖! 少しでも時間を(かせ)げ!」

 メインシャフトに設置された全ての隔壁が、すべて閉鎖された。
 自由落下でメインシャフトを降りていた弐号機は隔壁で足止めされるが、すぐさま隔壁を破壊して降下を続ける。

「まさか、ゼーレが直接送り込んでくるとはな」

「老人たちは、予定を一つ()り上げるつもりだ。我々の手を使ってな。
 だが、思いどおりにはさせん」

 一足遅れて発令所に着いたゲンドウは、司令席に座るとミサトに指示を出した。

「エヴァ初号機に、追撃させる」

「はい」




 ケイジについたシンジは、プラグスーツに着替えるとすぐさま初号機へと乗り込んだ。

(まいったな。悪い予想が的中しちまったな)

 今日は、精神だけでこちらの世界に来ていた横島が、ぼそっとつぶやいた。

(どうしたんですか、横島さん?)

 一人でぼやいていた横島に、シンジが心の中で話しかける。

(いや。裏死海文書の記述だと、本来の第17使徒が来るのはもう少し先のはずなんだ)

(それって、どういうことなんでしょう?)

(今来た使徒は、本来の第17使徒ではないってことさ)

(……意味がわかりません)

 横島の言葉が理解できず、シンジは本気で首をひねっていた。

(まあ、すぐにわかるだろうけど、先に言っておくよ。今回の使徒は、渚カヲルだ)

(……はい?)

(だから、渚カヲルの正体は、使徒だったんだよ)

(なんですって!)

 ようやく事態を理解したシンジが、心の中で大声をあげた。

(ついさっき、ヒャクメから連絡があったんだ。
 シンジが驚くといけないから、俺にしか聞こえない方法でな)

(ど、ど、どうしましょう、横島さん!)

(とにかく、どんな手段を使っても渚カヲルを引き止めるんだ。
 もし、渚カヲルがリリスに接触したら、最悪サード・インパクトが起こって、すべてが水の泡に
 なっちまうかもしれないからな)



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