交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十六話 −約束の日− (03)




『通信機能に異常発生!』

『外部との全ネット情報回線が、一方的に遮断(しゃだん)されています!』

 MAGIから緊急事態を報せるメッセージが、発令所の全スクリーンを使っても表示されないほど次々に発信される。
 それを受けた発令所の中は、大騒ぎとなっていた。

「左は青の通信回線に切り換えろ! そうだ、衛星(えいせい)を使ってもかまわん!」

 使徒戦の最中であっても、ゲンドウが座る発令所の司令席の斜め後ろのポジションから滅多(めった)に離れることがなかった冬月が、日向や青葉たちのいるオペレーター席まで降りてきて、陣頭指揮を()っていた。

「全ての外部端末から、データ侵入! MAGIへのハッキングを目指しています!」

「やはり、目的はMAGIか」

 青葉からの報告を聞いた冬月が、小さく舌打ちをした。

「侵入者は、松代(まつしろ)のMAGI2号機か?」

「いえ。松代からではありませんが、少なくともMAGIタイプ5機からの攻撃を受けています。
 ドイツと中国、そしてアメリカからの侵入を確認しています」

「ゼーレは総力を挙げているな。兵力差は1対5。分が悪いぞ」

 深刻な状況を理解した冬月は、(ひたい)に深く(しわ)を寄せた。

「第4防壁(ぼうへき)、突破されました!」

「データベースを閉鎖しろ!」

「ダメです! 侵攻をカットできません!」

「さらに外郭(がいかく)部侵入! 予備回路も、阻止不可能です!」

「まずいな……」

 MAGIの占拠は、設備の維持管理機能をほぼ全面的にMAGIに依存しているネルフ本部の占拠と、同意義である。
 日向とマヤの報告を聞いた冬月は、ある決断を下した。

「碇」

「どうした、冬月?」

 上段の司令席に座っていたゲンドウが、冬月の呼びかけに答えた。

「赤木博士を釈放するんだ。一刻も早く!」

「わかった」

 ゲンドウは冬月に返答すると、受話器をとり保安諜報部に電話をかけた。




 自室のベッドでゴロゴロしていたミサトは、日向からの電話を受けて部屋を出た。

「状況は?」

「先ほど、第二東京からA−801が発令されました」

「801?」

「はい。特務機関ネルフの特例による法的保護の破棄。および指揮権の日本政府への委譲(いじょう)です。
 日本政府からの最後通告ですよ。現在、MAGIがハッキングを受けています」

 ミサトは通路を歩きながら、携帯を通じて発令所の日向から報告を受ける。

伊吹(いぶき)です」

 日向から、マヤに電話がかわった。

「今、赤木博士がMAGIのプロテクト作業に入りました」

「松代のMAGIコピーからの攻撃は?」

「いえ。松代からは攻撃を受けていません」

「こっちから逆に、松代のMAGIをハッキングできないかしら?」

「ですが、MAGIオペレータは全員ハッキングを防ぐのに精一杯で、誰も手が空いていません」

百武(ひゃくたけ)さんがいるでしょ。ほら、加持君の部下だった()

「ヒャクメさんですか? 確かに、彼女は手が空いてますが、私には指示する権限がありません」

「私が許可するわ。どんな手段を使ってもかまわないから、松代を乗っ取りなさいって」

「わかりました」

 マヤは、オペレータ一人で何ができるんだろうと疑問に思ったが、とりあえずヒャクメに連絡を取ることにした。




 マヤからの連絡を受けたヒャクメは、急いで愛用の神族製のパソコンを開いた。

「こんなこともあろうかと、松代のMAGIにはあらかじめ細工をしておいたのよね〜〜」

 ヒャクメが、ウィンドウを開いてコマンドを一発すると、その瞬間に松代のMAGIはヒャクメの手に陥落(かんらく)した。

「技術者なら、『こんなこともあろうかと』ってセリフは、一度は口にしておきたいのよね〜〜」

 ヒャクメが次のコマンドを入力すると、松代のMAGIに潜伏(せんぷく)させていた特製のコンピューターウィルスが起動し、ネルフに攻撃を仕掛(しか)けている他のMAGIに対して、自動でハッキングによる攻撃を開始した。




 ミサトは、発令所下部に設置されているMAGI本体のある場所に、足を運んだ。

「あとどれくらい?」

「一次防壁展開まで、あと2分半くらい。敵の攻撃も(ゆる)んでますし、何とか間に合いそうです」

「さすが、赤木博士ですね」

 日向やマヤたちオペレーターの表情に、明るさが戻っていた。

「安心してる場合じゃないわよ。MAGIだけの侵入で済むような、生やさしい連中じゃないわ」




 リツコは、MAGI本体の一つであるカスパーの中に直接入って、防壁展開作業をしていた。

「必要となったら捨てた女でも利用する、エゴイストな男。
 なのに私、まだそんな男の言うことに従っている。バカなことをしてるわね」

 リツコは、カスパーの内側に貼られていたMAGIの裏コードを見ながら、端末にプログラムを打ち込む。

「でも、母さんなら、わかってくれるでしょ?」

 MAGIの裏コードが印刷された紙には、手書きの太い文字で、「碇のバカヤロー」と(なぐ)り書きされていた。




 ピーッという音とともに、ハッキングを受けていたメルキオール・バルタザール・カスパーが、全て正常に戻った。

「MAGIへのハッキングが停止しました!
 Bダナン型防壁を展開。以後、62時間は外部侵攻不可能です!」

 マヤが嬉々(きき)とした声で、MAGI復旧の報告を上げた。

「母さんの残した裏コードのお陰で、助かったわ」

 リツコはメガネを外すと、額に浮かんだ汗を手で(ぬぐ)った。

「また後でね、母さん」

 リツコは名残(なごり)惜しそうな顔をしながら、カスパーの中から出て行った。




 真っ暗な部屋に、ゼーレの十二枚の石板が集まった。
 早速、“SEELE01”のキール議長が発言する。

『碇はMAGIに対し、第666プロテクトをかけた。
 この突破は容易ではない。MAGIの接収は、中止せざるを得ないな』

 他のメンバーからは、特に異論はでなかった。

『できるだけ穏便(おんびん)に進めたかったのだが、いたしかたあるまい。本部施設の直接占拠を行う』




 芦ノ湖周辺の森に、迷彩服を着た兵士たちが身を潜めていた。
 その中で、隊長らしき軍人が、野戦電話の受話器を手にしていた。

「わかりました。これより、作戦を開始します」

 その軍人は受話器を置くと、周囲の兵士たちに告げた。

「始めよう。予定通りだ」




 第三新東京市の周囲に配置されていた戦略自衛隊、略して戦自の部隊が一斉に侵攻を開始した。
 戦車が発砲し、また背後の車両からはロケット弾が一斉に発射される。

大観山(だいかんざん)第8から17までのレーダーサイト沈黙!』

 発令所のスクリーンに映し出されていた地上の映像の幾つかが、砂嵐(すなあらし)へと変わった。

『特科大隊、強羅(ごうら)防衛線より侵攻してきます。御殿場(ごてんば)方面からも、2個大隊が接近中』

「やはり、最後の敵は人間だったな」

 冬月の言葉が終わると、ゲンドウは腕を組んだ姿勢で重々しく口を開いた。

「総員、第一種戦闘配置」

 その言葉にミサトは軽くうなづいたが、マヤが恐々(こわごわ)とした表情を浮かべた。

「戦闘配置……? 相手は使徒じゃないのに。同じ人間なのに」

「向こうは、そう思っちゃくれないさ」

 沈鬱(ちんうつ)な表情を浮かべたマヤに、横に座っていた日向が真剣な表情で声をかけた。




 シンジは自室で、第一種戦闘配置のアナウンスを聞いていた。

(とうとう、この時がきたんだ……)

 シンジは何度か深呼吸をして、ざわついた心を落ち着かせる。

「シンジ! 第一種戦闘配置って、どういうこっちゃ!」

 そのとき、(はと)が豆鉄砲をくらったような顔をしながら、トウジが(あわ)ててシンジの部屋に入ってきた。

「とにかく、ケイジに急ごう」

「綾波や惣流は、どないするんや?」

「レイもアスカも、心配ないから」

「わ、わかった!」

 シンジとトウジは、駆け足でケイジへと向かった。

「トウジ、走りながら聞いて!」

 横に並んだシンジが、走りながらトウジに声をかけた。

「生き残りたかったら、絶対にミサトさんの指示に従うんだ!
 納得できないこともあるかもしれないけど、僕たちやミサトさんを信じて欲しい!」

「わ、わかった!」

 トウジはなぜなんやと聞き返そうとしたが、いつになく気迫(きはく)(こも)ったシンジの顔を見て、そのままうなずいてしまった。







 ネルフ本部のあるジオフロントには、外部との出入り口となる専用のゲートが何箇所かに設置されている。
 通常は、ネルフ職員が専用のIDカードでそのゲートを通過するのだが、本部施設の出入りが全面禁止となっている今、それらのゲートには全てシャッターが下りていた。

 そのゲートの内側を、赤いベレー帽を(かぶ)り、肩紐(かたひも)のついた自動小銃を右肩にかけたネルフの保安諜報部員が、一人で巡回していた。
 そこに黒いヘルメットを被り、同じ色のボディスーツを着た一人の男が、物陰(ものかげ)に隠れながら接近していく。

「こちら、南ターミナル駅です。今のところ異常ありません」

 保安諜報部員は、暗号化機能付きの無線機で連絡をしていた。
 男は背後から接近すると、左手で口を押さえてから右手のナイフで(のど)を裂こうとする。

「バカめ」

 喉をかき切られたはずの保安諜報部員が、ニヤリと笑った。
 浅黒い肌をしたその男の皮膚には、傷ひとつ付いていなかった。

 慌てた男は、刃の先端で突こうとナイフを振り上げた。
 だが、その隙に保安諜報部員は、男に肘鉄(ひじてつ)を食らわせて男の拘束から脱出する。
 続けて、保安諜報部員が男の首筋に手刀をあてると、男は声もなく床に崩れ落ちた。

「霊力も()めていない刃で、魔族が傷つくはずないだろうが」

 その時、今まで締まっていたゲートのシャッターが、ガーッという音とともに開く。
 ゲートの外側には、床に倒れた男と同じ格好をし、自動小銃を構えた戦自の特殊部隊の隊員が、何十人もいた。

「どうやら俺が先陣のようだな。面白い。貴様ら、まとめてかかってこい!」




 5分後、侵入した戦自の特殊部隊の隊員たちは、一人残らず床に倒れていた。
 保安諜報部員の服装をした魔族の男は、両手をパンパンと叩いて(ほこり)を落とすと、通信鬼を呼び出した。

「春桐隊長ですか……はい、敵さんが侵入してきたので、全部叩きのめしました……わかりました。俺も本部施設に向かいます」

 周囲の壁や床には(おびただ)しい弾痕(だんこん)が残っていたが、戦自の部隊をたった一人で撃退した男には、怪我(けが)はまったくなかった。
 男は交信を終えると、ネルフ本部に向かって走り出した。




『台ヶ岳トンネル、使用不能』

『西5番搬入路(はんにゅうろ)にて火災発生』

『侵入部隊は、第一層に侵入しました!』

 発令所のミサトの下に、戦自部隊の侵攻状況が次々と届く。

「西館の部隊は陽動よ。日向君、チルドレンの状況は?」

「ファースト、およびセカンド・チルドレンをロスト。
 サード・チルドレンとフォース・チルドレンは、ケイジに向かっています!」

「本命がエヴァの占拠なら、必ずパイロットを狙うわ。
 シンジ君たちがケイジについたら、すぐにエヴァに搭乗させて」

「わかりました!」




「な、なんで、こんなことになるのよ!」

 銃弾が飛び交う中、鈴木カナミはネルフ本部の中を必死になって逃げていた。
 地下深くにある職員用居住区での暮らしに飽き飽きしていたカナミが、気晴らしにジオフロントで散策していた時に、戦自の部隊が侵攻してきたのである。
 避難が遅れたカナミがようやくネルフ本部にたどり着いたとき、そこは既に戦場となっていた。

『セントラルドグマ、第二層まで全隔壁(ぜんかくへき)を閉鎖します。非戦闘員は第87経路にて退避して下さい』

 カナミは第87経路を探すが、半ばパニックに陥っており、避難経路を見つけられなかった。
 カナミは頭を両手で抱えながら、通路を闇雲(やみくも)に駆け回る。

「カナミー、こっちこっち!」

 その時、カナミを探しにきていたヒャクメが、カナミを見つけて大声で呼びかけた。

「うわーーん。怖かったよー」

 カナミはヒャクメに駆け寄ると、そのまま正面から抱きついた。

「と、とにかく、早く逃げるのね!」

 ヒャクメはカナミの手を引きながら、第87経路に向かったが、逃げる途中で戦自の兵士に見つかってしまった。

『エヴァパイロットは見つけ次第、射殺。非戦闘員への無条件発砲も許可する』

 戦自の兵士に、ネルフ全職員への発砲許可が出た。
 ヒャクメとカナミを追いかけていた兵士が、二人に向けて小銃を発射する。

 ダダダッ!

「きゃあっ!」

 間近で銃声を聞いた二人は、その場で通路にしゃがみ込んだ。
 そこに、戦自の兵士二人が、銃を構えながら近づく。

「命令なんだ。悪く思わないでくれ、お(じょう)ちゃんたち」

 黒のヘルメットに黒のバイザー、そして黒のボディスーツと黒ずくめの服装をした戦自の兵士が、二人に銃口を向けて引き金に指をかけた。




「地下第三隔壁破壊! 第二層に侵入されました!」

 オペレーターの青葉が、報告を上げた。

「戦自は約一個師団を投入か。占拠は時間の問題だな」

 冬月がそう言ったとき、今まで両手を組んだまま司令席に座っていたゲンドウが、スッと立ち上がった。

「冬月先生、後を頼みます」

「……わかっている。ユイ君によろしくな」

 ゲンドウは司令席を離れると、ターミナルドグマに直通するエレベーターへと向かった。
 機密保持のため、専用の通路を歩いていたゲンドウは、歩きながら携帯を取り出す。

「レイ、私だ」

「はい」

「約束の日が来た。今すぐ、ターミナルドグマに来てくれ」

「……わかりました」




 ミサトは、ゲンドウが発令所から立ち去る姿を、チラリと横目で見た。
 それから、しばらく戦闘指揮を続けていたが、携帯に擬装(ぎそう)していた小型通信機が振動すると、それを手に取って二言三言(ふたことみこと)会話を交わす。
 ミサトは通信を終えると、意外な命令を発した。

「以後、ネルフ防衛に関するすべての命令の責任は、私が負います」

 ミサトの発言に疑問を感じたオペレーターたちが、ミサトのいる方を振り向く。

「それはどういう意味かね、葛城君?」

 ゲンドウが退出した今、この場で最高位となっている冬月が一歩前に進んだが、

「こういうことです。冬月副司令」

 銃口が首筋に当てられたのを感じて、動きを止めた。

「加持君かね。これは一体……」

「手短に言えば、クーデターです」

「この非常時にクーデターとは、君たちは正気か!?」

「正気ですとも。戦自の侵攻から生き残りたければ、俺たちに従ってください」

 そのとき、オペレーターの青葉がガタンと音をたてて、席を立った。

「葛城さん、加持さん!」

「落ち着いて、青葉君。文句があるなら、戦いが終わってからいくらでも聞くわ」

「ですが!」

「あなたが納得できない理由はわかるわ。でも今は、生き延びることが最優先よ。
 席に戻って、自分の責任を果たしてちょうだい」

 青葉は渋々しながら、自分の席についた。
 マヤは、驚いて顔をきょろきょろさせていたが、青葉が席に戻ったのを見ると、自分も前を向き直した。
 日向はミサトに視線を向けると、ニヤッと笑ってから元の姿勢に戻った。

 ミサトは、オペレーターたちが落ち着いたのを確認してから、携帯電話型の通信機でジークに連絡をとった。

「春桐君、発令所は抑えたわ。今から、作戦を開始してちょうだい」




 戦自の兵士に銃口を向けられたカナミは、思わず目をつぶって首をすくめた。
 しかし、いつまでたっても、銃声が聞こえてこない。
 カナミがおそるおそる目を開けると、銃を床に落とし、片腕を押さえてうずくまっていた戦自の二人の兵士の姿が見えた。

「だ、誰だ!」

 カナミが、兵士たちと同じ方向に視線を向けると、そこには赤いベレー帽を被り、ネルフの保安諜報部員の戦闘服を着た女性が、幅広(はばひろ)の剣をもって立っていた。

「わが名は小竜姫(しょうりゅうき)! 人の生命を軽んじ、仏道を乱す者はこの私が許しません!
 私が来た以上、もはや()くことも退()くこともかなわぬと心得(こころえ)よ!」







 戦自の兵士たちが銃の引き金に指をかけたその瞬間、小竜姫は兵士の手首を狙って霊波砲を撃った。
 威力は弱めておいたが、戦自の兵士たちは小銃を床に落とし、痛んだ手首をもう片方の腕で押さえた。

「小竜姫〜〜来てくれたのね〜〜〜〜!」

 カナミと一緒に床の上で縮こまっていたヒャクメが、ガバッと顔を上げる。

「くそっ!」

 思わぬ乱入者に二人の兵士は驚いたが、相手がたった一人であり、しかも銃をもたない若い女性であることを確認すると、装備していたコンバット・ナイフを引き抜いて小竜姫に(おそ)い掛かった。

「無駄です!」

 小竜姫は愛用の神剣を振るうと、戦自の兵士二人を苦もなく床に打ち倒した。

「殺したの?」

(みね)打ちです。無益な殺生はしません」

 小竜姫は右手で神剣をもつと、空いている左手でカナミとヒャクメを引っ張り上げた。

「ケガはないですか?」

 小竜姫が、カナミに(たず)ねた。

「はい、大丈夫です」

「私は小竜姫といいます。そこにいるヒャクメとは、前の職場で同僚でした」

「そうなんですか。助けていただいて、ありがとうございました」

「当然のことをしたまでです。それから、ヒャクメ。
 あなたがボヤボヤしてるから、この人が危ない目に()うのよ」

「小竜姫は、私には少しも優しくないのね〜〜」

 ヒャクメが小声でぼやいていると、通路の突き当たりに5人の戦自の兵士が姿を見せた。

「まだいたぞ! 殺せ!」

 兵士たちが銃を構えようとしたが、小竜姫はまるで瞬間移動したかのように、一瞬で戦自の兵士たちの(ふところ)に飛び込むと、目にも止まらぬ速さで神剣を振るって敵をすべて倒した。

「戦自の部隊は私が防ぎます! あなたたちは、早く安全な場所まで避難してください」

「わかったのね〜〜!」

 ヒャクメはカナミの腕を(つか)むと、避難経路に沿って走り出した。




 シンジとトウジは、いったんパイロット控え室に寄ってプラグスーツに着替えてから、ケイジへと向かっていた。

「センセ、すまんな。ワシのために時間を割いてしもうて」

 普段着でもエヴァとシンクロすることは可能なのだが、プラグスーツを着ている時と比べると若干シンクロ率が下がってしまう。
 わざわざプラグスーツに着替えたのは、まだシンクロ率が高くないトウジが、戦力ダウンすることを避けるためであった。

「大丈夫だよ。それより、急ごう」

 先ほどから、二人の耳には銃声の音が幾度も聞こえていた。
 事情を知らないトウジは元より、あらかじめ話を聞かされていたシンジも、表情がかなり固くなっていた。

「いたぞ! エヴァパイロットだ!」

 通路の先に、黒のアサルトスーツを着た戦自の兵士が立ちはだかった。
 シンジとトウジが、とっさに脇にあった通路に駆け込むと、彼らの背後で銃声が鳴り(ひび)いた。

「わ、わわわっ!」

 間近(まぢか)での発砲音を聞き、で兵士たちの殺意を感じたトウジは慌てふためいてしまう。
 シンジはいざという時はすぐに使えるよう、横島から預かっていた『護』の文珠を握り締めた。




「追えっ! 追うんだ!」

 シンジたちを見つけた戦自の兵士たちは、銃を発砲すると、すぐさま後を追いかけた。
 だが、シンジたちを追って脇の通路に入った戦自の兵士たちが見たものは、上半身が濃灰色で下半身が黒のアサルトスーツを着た男であった。

「うおおおおっ!」

 よくよく見ると、それはアサルトスーツではなかった。
 上半身はまるで(よろい)のように硬質であり、またヘルメットの部分には二本の尖った角が伸びていた。
 その男は武器をもっていないにも関わらず、雄叫(おたけ)びをあげながら銃をもった兵士たちに向かって突っ込んできた。

 タタタタッ!

 戦自の兵士が、持っていた自動小銃を乱射した。
 しかし、男の体に当たった弾は、その硬質な素材によってすべて弾かれてしまう。
 男は、唯一開いていた目の部分を片腕でガードすると、相手の懐に飛び込んだ。

 ドガッ! バキッ!

 男は両腕の拳を振るって、文字どおり戦自の兵士たちを叩きのめした。
 男は、周囲に敵がいなくなったことを確認すると、通信鬼を呼び出した。

「ジークか。俺だ、雪之丞(ゆきのじょう)だ。今、ルート47を制圧した。
 ……ああ、ガキどもは無事だ……わかった。俺もケイジに向かう」

 雪之丞は交信を終えると、今いる場所からケイジに向かって走り出した。




 ネルフ本部に侵攻した戦自の部隊は、各層を一つずつ制圧する部隊の他に、ネルフ最大の戦力であるエヴァンゲリオンを確保する部隊が用意されていた。
 その部隊の目標は、エヴァンゲリオンが格納されているケイジの制圧と、パイロットであるチルドレンの排除である。
 その部隊はケイジ目指して、ネルフの抵抗を排除しながら進んでいたが、ケイジを目前にして思わぬ障害に出くわしていた。
 なんと、ケイジへと向かう通路を、大量の(ちょう)が埋め尽くしていたのである。

「お、おい、どうする?」

「どうするって、行くしかないだろ」

 蝶で埋め尽くされた通路を前にして、兵士たちがたじろいだ。
 指揮官に報告したが、迂回(うかい)する通路が近くにないため、強行突破の命令が出る。
 まずは、二名の兵士が蝶の群れの中に入っていったが、群れの中に入るやいなや蝶が兵士たちに群がり、二人の兵士はたちまち昏倒(こんとう)して床に倒れてしまった。

「うわーーっ!」

 パニックに陥った一人の兵士が、蝶の群れに向かって銃を乱射する。

「無駄でちゅよ。そんな豆鉄砲、何発撃ったって、わたちには全然効きまちぇん!」

 蝶の群れの中から、突然舌足らずな女の子の声が聞こえてきた。
 その場にいた兵士たちは、声のした方に向かって集中的に発砲したが、やはり何の手ごたえもなかった。

「全員、始末してもいいんでちゅけど、ヨコシマの頼みだから命だけは助けてあげるでちゅ。
 燐粉(りんぷん)を吸って、みんな眠りなちゃい!」

 蝶の群れが、一斉に戦自の兵士たちに襲い掛かった。
 呼吸器のみならず、肌からも燐粉の毒が体内に吸収され、戦自の兵士たちは次々に意識を失い床に倒れていった。




『蝶だ! 蝶の群れが襲い掛かってくる! 早く援軍を……』

 ケイジに向かった部隊からの通信が、そこで途切れた。

「これは、どういうことだ?」

「よくわかりませんが、蝶を使った生物兵器という可能性があるのではないでしょうか?」

 連絡を受けた部隊の指揮官は、副官と相談するとすぐさま決断を下した。

「火炎放射器を持つ小隊を、すぐにケイジに向かわせろ。
 妙な生き物に遭遇(そうぐう)したら、火で焼き払うんだ!」

「それは、いけませんね」

 指揮官の後ろで、若い男の声がした。
 驚いた指揮官が背後を振り向くと、民間人の服装をした金髪の若い白人の男が立っていた。

「あなたが、この部隊の隊長さんですか?」

「誰だ、貴様!」

 戦自の副官が銃を突きつけようとしたが、その前に男の姿が(きり)に変わり、そして指揮官の背後に現れた。
 男が素早い動作で指揮官の首元に()みつくと、指揮官は音もなく床へと崩れ落ちてしまう。

「ヒッ!」

 その男の口には、鋭く(とが)った犬歯が二本生えており、その犬歯の先端から血が滴り落ちていた。
 副官は逃げようとしたが、すぐに服を掴まれて捕まってしまう。
 副官が後ろを振り返ると、そこには尖った二本の犬歯を生やした、かつての上官の姿があった。




 第三新東京市を見下ろす、箱根の外輪山の一角。
 そこに、ネルフに侵攻した師団の師団本部が設置されていた。

「意外と手間取るな」

「我々に、楽な仕事はありませんよ」

 ネルフ本部侵攻作戦の指揮をとる師団長と副長が、双眼鏡で第三新東京市の戦況(せんきょう)を眺めていた。

「ネルフ本部への攻撃はどうなってる?」

「先ほど、第三層への突入を開始したとの報告がありました」

 その時、師団の幕僚の一人が血相を変えながら駆け寄ってきた。

「報告します! 第三層に突入した部隊からの連絡が途絶えました!」

 報告を聞いた師団長の顔色が、サッと変わった。

「まさか、全滅か!?」

「詳細は不明です!」

「ネルフに、まだ予備兵力が残っていたのか。柳原隊と新庄隊はどうした?」

「そ、それが……」

 幕僚が急に口ごもった。

「どうしたのだ?」

「は、はい! 両隊とはまだ連絡が取れるのですが、意味不明な報告を上げています。
 蝶の大群に襲われて、襲われた隊員が意識を失い昏倒したとか、突然兵士が別の兵士に噛みつき、
 噛みつかれた兵士が、また別の兵士に襲い掛かっているとのことです!」

「バカな! 幻覚(げんかく)でも見ているんじゃないのか!?」

 副長が声を荒げたが、師団長は腕を組みながらじっと考え込んだ。

「破れかぶれになったネルフが、自爆覚悟でBC兵器を使ったのかもしれん。
 ネルフ本部に突入した部隊を、いったんジオフロントまで引き上げさせろ」

「報告します!」

 その時、別の幕僚が師団長のところにやってきた。

「ネルフ本部に突入した部隊、すべてと連絡が取れなくなりました!」

 報告を聞いた師団長は、一瞬顔色を失ってしまった。




 美神除霊事務所では、横島がしばらく不在であることと、GS協会に提出する書類が()まっていたため、その日は除霊の仕事を入れていなかった。
 おキヌは、美神の書類仕事を手伝っていたが、午後の三時になると台所にいってお茶を淹れた。

「シロちゃん、タマモちゃん、おやつにしましょう」

 おキヌは、事務所のテーブルにお茶とお菓子を並べる。
 屋根裏部屋でごろごろしていたシロとタマモが、おキヌの声を聞いて下に降りてきた。
 美神も久しぶりの事務仕事に疲れたのか、マホガニーの机を離れて、ソファへと座った。

「……」

 いつもだったら、ここで井戸端会議が始まるのだが、今日に限っては誰も話をしようとはしなかった。
 四人の女性は、黙々(もくもく)と菓子を食べお茶を飲んでいたが、やがておキヌがポツリと口を開いた。

「横島さん、今ごろ何をしてるんでしょうか」

「大丈夫よ、おキヌちゃん。
 横島クンは、直接前線には立たないみたいだし、そんなに心配いらないわよ」

「でもっ! 向こうでは戦争になるんですよね! 私、本当に心配で……」

 おキヌは、美神の方を向きながら、不安そうな表情を浮かべていた。

「ううっ、拙者も先生と一緒に行きたかったでござるよ……」

「バカね。銃で撃たれても問題ないことが、今回助っ人に選ばれる条件だったんでしょ?
 いくら人狼(じんろう)でも、あんたみたいに若かったら、弾が銀の弾丸じゃなくても危ないじゃないの」

 タマモにダメ出しされたシロが、くーんと鳴きながら、テーブルの上にぺたんと(あご)をのせてうなだれた。

「まあ、神族や魔族が大勢参加するみたいだから、まず負けることはないわね。
 横島クンも、なるべく犠牲者は出さないようにするって言ってたし、そのうちけろっとした顔で
 戻ってくるわよ」

 そう強気の発言をしながらも、紅茶のカップを手にしていた美神の目には、憂いの色が残っていた。



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