夜の体育館。
 度重なる吸血事件に腹を立てた私は、事件の犯人であり、義理の兄である氷室遊(ひむらゆう)の呼び出しに応じた。
 表向きは、女子生徒に原因不明の貧血が頻発しているだけだったが、加減を知らないあの男は、そのうち血を吸い過ぎて死者すら出しかねない。
 だが、風芽丘(かぜがおか)学園の体育館で私を待っていたのは、遊だけでなく、遊に血を吸われて使徒となった女子生徒たちだった。

「一人、二人なら、同族のよしみで見逃してあげるわ。けれども、二週間で15人はやり過ぎよ、遊!」

「取引に応じないつもりか。それなら……」

 遊が目配せをすると、私は突然羽交い締めにされる。
 私の両腕を掴んでいたのは、千堂(せんどう)先輩と鷹城(たかしろ)先輩だった。

「動くなよ、さくら。もし動いたら、この娘の血を死ぬまで吸う」

 遊が、私と同じクラスの子を招き寄せた。

「な……何をするつもりよ」

「決まってる。二度と俺に逆らえないよう、体に刻み込んでやる。
 夜の一族の女は、発情期でなければ妊娠することもないからな」

 遊が下卑(げび)た笑いを浮かべると、目に卑猥(ひわい)な色を見せた。
 こいつ、私を(おか)す気だ!

「や……やめて!」

 甘かった。まさか遊が、ここまで強硬な態度を取るとは思っていなかった。
 私以外で、遊に対抗可能な神咲(かんざき)先輩は、今海鳴(うみなり)の地を離れている。
 思わず目をつむって、体をすくませたそのとき、思わぬ声が聞こえた。

「そこまでだ、変態吸血鬼! 血を吸って女の子をはべらせるなんて、なんてうらやま……ゲフンゲフン。もとい、とんでもない奴め! このGS……が、極楽に送ってやるからな!」





 7 Years Later

作:湖畔のスナフキン

第一話






 PiPiPiPi……

 私は目覚ましの音で、目を覚ました。

「また、あの夢……」

 私が夢見ていたのは、高校一年の冬の時の事件だった。
 どうやら軽いトラウマになっているらしく、何度か夢に出てきている。

「もう、7年も経つのに」

 結局、遊が起こした事件は、無事解決した。
 地元の大学を受験するため、実家に長期間滞在することになった神咲先輩は、自分が不在の間に前から怪しいと睨んでいた遊が、事件を起こす可能性を考え手を打っていた。
 一つは、神咲先輩が住んでいたさざなみ寮の管理人であり、神咲一門の退魔師でもある槙原(まきはら)耕介(こうすけ)さんに、事件が起きた時の対応を頼んでいたこと。
 もう一つは、東京のゴーストスイーパー事務所に、応援を頼んでいたことだった。
 私は、遊の件は一族の問題だからと考えていたため、神咲先輩には相談していなかったが、結果として先輩の配慮に助けられることとなった。




 今日は、大学の研究室に行くのは午後からのため、朝食をゆっくりと摂っていると、私の携帯が鳴った。
 発信者を確認すると、「千堂 (ひとみ)」と表示されていた。

「はい、綺堂(きどう)です」

「あ、さくら? 瞳だけど」

 高校で二年上の千堂先輩とは、その後も友人関係が続いていた。
 真一郎(しんいちろう)先輩を経由して知り合いとなったのだが、その後千堂先輩は、長崎に住んでいた時の幼なじみであり、私の恩人でもある槙原さんに猛烈なアタックを掛けている。
 ここ海鳴に実家があるにも関わらず、わざわざさざなみ寮に引っ越しているくらいだ。
 しかし、女子寮であるさざなみ寮には、魅力ある女性が多く住んでおり、その内の何人かはやはり槙原さんを狙っていた。
 私が知る限りでは、さざなみ寮のオーナーであり、槙原動物医院の院長、そして槙原さんの従姉妹である槙原(あい)さん。
 クリステラソングスクールの卒業生であり、世界的歌手のSEENAさんこと椎名(しいな)ゆうひさん、
 それから、漫画家の仁村(にむら)真雪(まゆき)さんだ。
 神咲先輩も槙原さんには好意をもっていたようだが、自分はその争いに加わる気はないらしく、話を振っても苦笑するばかりである。
 ちなみに、耕介さんが鈍いこともあってか、7年経ってもいまだ決着はついていなかった。

「今日、暇な時間ある?」

「ええ、午後から研究室に行くので、昼までなら大丈夫ですが」

「ちょっと、聞いて欲しい話があるのよ。11時半に翠屋(みどりや)でいい?」

「はい、わかりました」




 時間どおりに11時半に翠屋に行くと、千堂先輩は既に席で待っていた。

「いつも悪いわね、さくら」

「いえ、いいんですよ。こうして、たまに会って話すのも、けっこう楽しいですから」

「でね、さっそくだけど聞いて欲しいのよ。耕ちゃんたらねぇ……」

 千堂先輩は、槙原さんのことを、幼なじみの気安さからか、耕ちゃんと呼ぶ。
 しばらくの間、私は千堂先輩が語る愚痴(ぐち)と、さざなみ寮での世間話に耳を傾けた。
 私は吸血種である夜の一族であり、普通の人間との間には壁を作ることが多いのだが、さざなみ寮の住人にはその壁はまったくなかった。
 なにせあそこは、人外の巣窟(そうくつ)と言ってもよい場所だ。
 一種の超能力者であるHGSをはじめ、獣人(猫又?)、狐の妖怪、退魔師、並の幽霊より希少な霊剣(れいけん)まで存在する。
 さざなみ寮で起きる珍妙な話に耳を傾けているうちに、自然と肩が軽くなり、リラックスした気分となった。

「ねえ、さくら。あなた、少し疲れてない?」

 ふと気づくと、千堂先輩が私の顔をのぞき込んでいた。

「ええ。昨夜、ちょっと夢見が悪かったので」

「どんな夢なの?」

「高校一年の冬の時のことです」

 それを聞いた千堂先輩の表情が、急に引き締まったものとなる。

「そう……あなた、まだあの時のこと引きずっていたのね」

「千堂先輩は、大丈夫なんですか?」

「それは、私もあの時のことは思い出すと恐いけど、でも耕ちゃんが助けにきてくれたから……」

 そう言うと、千堂先輩はふにゃっとにやけた顔になり、体をくねくねとさせる。
 心配して、少し損した。

「でもね、さくら。あなたもそろそろ、誰かいい人探してみたら?」

「そうですね……」

 高校の一年上の真一郎先輩に、淡い恋心のようなものを抱いたことはある。
 いや、あれが私の初恋だったのだろう。
 春原(はるはら)先輩に霊力を分けるためとは言え、真一郎先輩に正体を明かし、血を吸わせてもらったのだ。
 だが、真一郎先輩は野々村(ののむら)先輩を選んだため、私の恋は気持ちを告げることもなく終わってしまった。

「なんなら、耕ちゃんに聞いてみようか?」

 しかし、この海鳴で槙原さんの男性の知り合いというと、FOLXのマスターくらいしかいないんじゃないか、などと考えていると、カランカランと入り口のドアのベルが鳴った。

「うわ。けっこう混んでるな」

「仕方ないだろ、もうすぐ昼時なんだから」

「メシにするなら、別の店にしないか? おまえだって、こういう小綺麗な店は苦手じゃなかったのか?」

「……弓に頼まれたからな。海鳴に行くのなら、翠屋の洋菓子セットを送ってくれって」

「ふーん。有名なんだ、この店」

「ああ。俺はよく知らんが、弓が言うには、全国的にも相当レベルが高いらしい」

「わかった、わかった。んじゃ、用事済ませたら、さざなみ寮の耕介さんの所に顔をだそうぜ」

 槙原さんの名前を聞いた千堂先輩が、反射的に入り口の方を振り向いた。
 つられて、私もそちらに視線を向ける。
 そこには、私と同じか、やや年上くらいの男性が二人いた。
 一人はがっしりした体つきだが、背が低くて目つきがちょっと悪い。
 もう一人の人は、背丈は普通だが、額にバンダナを巻いていた。
 バンダナを巻いていた男の人が、私の視線に気づいたのかこちらを振り向いた。

「どうしたんだ、横島?」

 背の低い人が、その人に声をかける。
 その人の顔と名前を認識した途端、私の記憶が七年前へと遡った。




「そこまでだ、変態吸血鬼! 血を吸って女の子をはべらせるなんて、なんてうらやま……ゲフンゲフン。もとい、とんでもない奴め! このGS横島が、極楽に送ってやるからな!」

 体育館に入ってきたのは、額にバンダナを巻いた私より少し年上の男の人と、同じ年頃だが金髪で西洋人の男の人。
 そして、二十歳くらいの長身で、がっしりした体つきの男性だった。
 長身の男性は、片手に日本刀をもっていた。

「GSだとっ!? 人間どもめ、払い屋を呼んだのか!」

 遊の目が紅く光り、体育館に乱入してきた人たちを魅了しようとする。だが、

「わっはっはっはっ! 無駄、無駄ぁっ!」

 バンダナを付けた人が、小さな丸い珠を取り出すと、薄い光の幕が彼らをすっぽりと覆った。

「おまえらを相手にするのに、俺たちが何も準備しないわけないだろ!?」

「く、くそっ!」

 形勢不利を感じたのか、遊が逃げようとする。
 しかし、遊が遁走する前に、日本刀をもった長身の男性がススッと前に進み出た。

神我封滅(しんがふうめつ)!」

 日本刀をもった人が呪文のような言葉を唱えると、抜刀した刀身が白い輝きを帯びた。

「神咲無尽流(むじんりゅう)洸牙(こうが)!」

 男性が刀を勢いよく振り下ろすと、刀身から光の刃が飛び出した。
 その光の刃に撃たれた遊は、数メートル後ろに吹っ飛んで体育館の壁に体をぶつけると、気を失い床に崩れ落ちてしまった。

「気絶しているだけか。ピート」

 バンダナの人が、金髪の人を呼んだ。
 金髪の人が、気絶していた遊の体を起こして首筋に顔を寄せると、遊に操られていた女子生徒たちが正気に戻った。
 彼女たちを血の洗礼で支配していた遊の血を逆に吸うことで、支配秩序を崩壊させたのだろう。
 GSらしい荒っぽいやり方だ。すると、あの金髪の人は吸血種か。夜の一族ではないようだけど。

「耕ちゃん!」

 遊にかけられたマインドコントロールから解放された千堂先輩が、槙原さんに抱きついた。

「君、大丈夫?」

 ふと気がつくと、目の前にバンダナを付けた人が立っていた。
 遊から助けてはもらったが、私もまた純粋な人間ではない。
 むしろ、正体がバレたら、彼らから追われる方の立場だ。
 私は、衣服の乱れを直しながら、何か起きたらすぐに逃げられるよう、体を固くさせた時――

 フワッ

 突然、頭をなでられた。
 柔らかくて、まるで春の日差しのように暖かな霊気が、彼の手から私の頭に伝わってくる。
 強張っていた体から、急速に力が抜けていった。

「お嬢さん、お名前は?」

 バンダナの人が、私の目をのぞきこみながら、そう尋ねた。

「綺堂……綺堂さくらです」

「俺は、横島忠夫。東京でGSの事務所を開いてるんだ。よろしくな!」

 それが、私と横島さんの最初の出会いだった。



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