『妹』 〜ほたる〜

作:湖畔のスナフキン

第六話 −引越し騒動−



 その日は特に仕事の予定もなく、また緊急の除霊の依頼もなかったため、横島と蛍は夕刻に事務所をあとにした。
 蛍は今晩からホテルに宿泊するため、横島は蛍をホテルまで送っていく。

「えーと、302号室だな」

 横島と蛍が両親が泊まっている部屋の前まできた時、部屋の中から男女のいさかう声が聞こえてきた。

「ま、待て、百合子! これは違うんだ〜〜!」
「ふーん、じゃあこの会話はなにかしら。ヨリを戻したいとか何とか言ってるけど」
「いや、それは、啓子クンの恋愛相談に少しのっただけで……」
「それで、人気の少ない資料室に連れ込んだわけ? 覚悟はいいかしら」
「ハハハ……お手柔(てやわ)らかに」

 バキッ! ボキッ! グシャ!

 部屋の中から、何やらむごたらしい物音が聞こえてきた。

「あーあ。親父のやつ、派手にやられてるなー」
「お父さん、また浮気がバレたのね」
「またって、ナルニアでも何度かあったのか?」
「うん。私が見ているだけで四回目よ」

 やがて物音が静かになったので、横島は部屋のドアをノックした。
 中から百合子がドアを開ける。

「あら、お帰り。事務所の人たちに、蛍を紹介した?」
「ああ、しといたよ」
「忠夫にしては上出来ね。すぐにアパートに帰るの? それとも母さんと蛍と一緒に夕食を食べてく?」
「いいけど、あれは(ほう)っておいていいのか」

 横島が指差したその先には、全身から血を流して床に倒れている大樹の姿があった。




 翌日は土曜日であった。
 横島の隣の部屋に住んでいる小鳩は午前中の授業が終わるとすぐに帰宅したが、アパートに戻った時、横島の部屋が(あわただ)しいことに気がついた。

「横島さん、いったいどうされたんですか!」

 小鳩は、ダンボール箱を抱えて部屋を出てきた横島に声をかけた。

「ああ、小鳩ちゃん。実は俺、引っ越すんだ」
「えっ、急にどうしたんですか!」
「いや。引越しといってもそんな大げさじゃなくて、一階の部屋に移るだけなんだけど」
「よかったー。横島さんとお別れになるかと思って、心配しちゃいました」

 そのとき横島の背後に、百合子の姿が現われた。

「ほら、忠夫。入り口につっ立ってたら邪魔だよ!」
「お久しぶりです。横島さんのお母さん」
「あら、小鳩ちゃん。お久しぶり。うちのバカ息子が、迷惑かけてない?」
「そんな……。横島さんには、いつもお世話になってばかりです」

 百合子は、フーッと小さくため息をついた。

(やっぱり忠夫は、父さんの子だね。ま、父さんとの違いは、本人が無自覚なことくらいかな……)

「じゃ、小鳩ちゃん。忙しいから、また後で」
「何か手伝うことはありませんか?」
「だいじょうぶ。もともと俺の部屋にはたいした荷物はないし。気にしなくていいよ」
「それなら私、あとでお茶をお持ちしますね」

 小鳩は横島と百合子に向かって軽く会釈(えしゃく)をすると、自分の部屋に戻っていった。




 それから約ニ時間後、横島の部屋の引越しが終わった。
 頃合を見計い、小鳩がお茶とお(はぎ)を持参して一階の新しい部屋にやってきた。

「肉体労働のあとは、甘いものがおいしいわね」
「小鳩ちゃんは、本当に気がきくよなー」

 小鳩の好意に甘え、横島一家はお茶とお(はぎ)をご馳走になることにした。

(おい、忠夫。おまえ、この娘とどういう仲なんだ?)
(小鳩ちゃんは、ただの隣人だよ。オヤジは高校生は守備範囲外だろ。色目使うんじゃねーぞ)
(しかし、あの胸は反則だな。そう思わないか、忠夫?)

 横島と大樹の二人が、後ろの方でボソボソと小声で会話を交わしている。

「今度のお部屋は、ずいぶん広いですね。ひょっとしてご両親も一緒に住まわれるんですか?」
「私と父さんは、まだ海外赴任から戻れないからね。一緒に住むのは、この娘だよ」
「はじめまして。蛍と言います」

 蛍が小鳩に挨拶(あいさつ)をした。

「横島さんの妹さんですか。はじめて聞きました」
「あの……失礼ですけど、小鳩さんの後ろにいる方は、お知り合いですか?」

 蛍が小鳩の背後を指差した。

「蛍。小鳩さんの背後って誰もいないじゃないの?」

 百合子が不思議そうな顔をして、蛍の顔を見つめる。

「えっ!? あなたビンちゃんが見えるんですか?」

 だが小鳩は、蛍の言葉を聞いて驚きの表情を見せた。

「ふーん。やっぱり蛍は、霊能力があるんだな。おい、ビン。出てきていいぜ」

 横島が小鳩の背後の方に向かってそう呼びかけると、大きなタンガロンハットをかぶり、風呂敷のような布を身にまとった男が姿を現した。

「まいど! 元貧乏神のビンです」
「うわっ! アンタどこから出てきたんだ」

 さすがに取り乱したりはしなかったものの、大樹と百合子はふいに現われたビンの姿を見てかなり驚いた。

「ビンちゃんは元は貧乏神でして、悪徳高利貸しだった曽祖父の因縁で私が生まれる前からずっと私の家にいたんです。けれでも横島さんに助けていただいたお陰で、貧乏神の因縁が解けて今は福の神になりました」
「まぁ福の神ゆーても、ワイはまだ修行中やさかいあまり大きな福は授けられんが、それでも以前みたいに貧乏で苦労することはなくなったはずやで」

 そういうビンは、とても福の神には見えない貧相な服装をしているのだが。

「おい、忠夫。おまえ貧乏神の因縁を解くって、いったい何をしでかしたんだ?」

 敏腕商社員でビジネスに関しては一流の腕前をもつ大樹であったが、ことオカルトに関しては、一般人と同レベルの知識しか持っていない。
 理解できない内容については、その道のプロである息子に聞くしかなかった。

「うーん。実際のところ、俺は何もしてないんだよな。最後に試練を切り抜けただけで、あとのことは全部美神さんがやってくれたし……」
「そんな、横島さん。一緒に結婚式を()げたではないですか」

 小鳩はもじもじしながら、顔をうつむかせた。はにかんで(ほほ)がポッと紅くなる。

「「「け、結婚式だって!!!」」」

 その場で大樹・百合子・蛍の三人の声が重なった。

「おまえ、モテない男だと思っていたら、いつのまにそんなことを……」
「た、忠夫。お前まさか、世間さまに顔向けできないようなことをしたんじゃないだろうね!」
「お兄ちゃん。彼女がいないなんてウソだったんですね……。妹を(だま)すなんて、お兄ちゃんは最低です!」

 大樹・百合子・蛍の視線が、いっせいに横島に集まった。

「ご、誤解だよ。小鳩ちゃん、きちんと説明して欲しいな……」

 冷や汗を流しながら、横島は小鳩の方に視線を向ける。
 しかし小鳩は、頬を真っ赤にしながら、イヤンイヤンと首を振っていた。
 ときおり『こんなところでご両親に紹介だなんて、私なにも準備していませんのに……』とか、『学生結婚だなんて、小鳩恥ずかしいですわ』といった声が口元から()れてくる。
 横島の声は、全く聞こえていないようだ。

「忠夫! あっちの部屋で、詳しい話を聞かせてもらおうかしら」
「うむ。父親として、真実を知る必要があるな」
「それでは、小鳩さん。ちょっと失礼しますね。家族だけで内密の話がありますので」

 百合子はそう小鳩に伝えると、横島の襟首(えりくび)(つか)んでずるずると引きずっていった。
 大樹と蛍も、その後をついていく。

「ご、誤解じゃー! 小鳩ちゃん、ビン、俺を助けてくれ〜〜」

 だが小鳩は、両手を(ほほ)に当て目をつむったまま、『やっぱり新婚旅行はハワイですね』とか、『子供は多い方がいいですよね。頑張ってサッカーチームができるくらい生みますから』とひとり言をつぶやいていた。
 まだあっちの世界から、戻ってきていないようである。

「横島、これも小鳩のためや。きっちり往生(おうじょう)せい。骨だけは拾ってやるで」

 ビンは温かいまなざしで横島の後姿を見送る。やがて横島の姿は、百合子たちとともに別室の中へと消えていった。



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