『妹』 〜ほたる〜
作:湖畔のスナフキン
第十話 −シロの帰還−
横島が蛍と出会っていた頃、シロは人狼の村に帰省していた。
亡くなった父親の法事などもあり、シロは村に一週間ほど滞在した。
「長老殿!」
「なんじゃ、シロか。もう東京に戻るのか?」
シロは大きめのリュックサックを背負って、長老の家に来ていた。
「はい。父上のお墓参りも済ませましたし、あとは一刻も早く東京に戻って、
修業を再会するでござる!」
「本当は、横島殿に会いたいだけではないのか?」
その言葉を聞いたシロの頬が、急に赤く染まった。
「せ、先生にもお会いしたいのでござるが、それはその、拙者が修業中でござるからして……」
「ふふっ、もうよい。くれぐれも、美神殿と横島殿によろしくな」
「はい!」
シロは長老に一礼すると、村を外界から隠している結界の出入り口に向かって、まっしぐらに駆け出していった。
「うっ、うううぅぅぅーーっ! ほ、蛍〜〜〜〜!」
「ほら、お父さん。もう泣かないで」
成田空港の出発ロビーで、蛍が大樹の目をハンカチで拭いていた。
大樹の海外勤務はまだ終わっていない。今回の帰国は一時的なものであった。
本社の用事と蛍の転入手続きも済んだため、赴任先のナルニアに戻る日が来たのである。
「蛍。これクロサキさんの緊急連絡先。何かあったら、すぐに連絡するのよ」
「……息子を信用してねーな、うちのお袋は」
横島が、少し渋い顔つきとなる。
「大丈夫よ、お母さん。お兄ちゃんがいるから」
「そう? それじゃあ、忠夫。あとはよろしくね」
「了解。蛍のことは、俺に任せとけって」
横島は百合子に向かって、グッと親指を立てた。
「蛍〜〜っ! お父さんはなあ、お父さんはなあ……」
「ほら父さん、もう行くわよ。出国手続きが間に合わなくなるわ」
大樹は娘の前で滝のように涙を流していたが、百合子に袖(を引っ張られて、ようやく立ち上がった。
「忠夫!」
「なんだ、親父?」
「蛍に髪の毛一筋でも、傷をつけさせるなよ!」
「わかったから、早く逝(けって。仕送りケチるんじゃねーぞ」
父と子の視線が、空中で激しくぶつかりあう。
しかし数秒後、大樹は視線を外すと、フッと小さく笑った。
「少しはできるようになったな、忠夫」
「ぬかせ、この規格外中年が」
「蛍のことを頼んだぞ」
大樹は息子の肩をポンと叩(くと、百合子と一緒に出国ゲートへと向かった。
横島と蛍は空港の屋上から、大樹と百合子の乗った飛行機が飛び立つのを見送った。
「お父さんとお母さん、行っちゃったね」
「ああ」
「今日から二人で生活だね、お兄ちゃん」
蛍の言葉に、横島はドキッとした。
今までは両親の目があり、煩悩(や欲望を無意識のうちに抑えていたが、その両親はもはや日本にはいない。
(そ、そう言えば、これからずっと二人きりじゃないか!)
横島は、蛍にチラリと視線を向けた。
気のせいかもしれないが、普段より三割ほど可愛く見える。
(やっぱり、蛍は可愛(いよな。
何と言ってもルシオラ似だし……というか、本当にルシオラなんだけど)
今まで妹と割り切って見ていた反動か、横島は蛍のことを急に意識してしまった。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
やや挙動不審な横島を、蛍が不思議そうな目で見つめる。
「あ、いや、何でもないよ。ハハハ……」
乾いた笑い声を上げつつも、横島は内心、焦(りを感じていた。
その日の夕食は、カレイの煮付けときんぴらごぼうだった。
もちろん作ったのは、蛍である。
「お兄ちゃん、味はどう?」
「うん、おいしいよ」
蛍の料理の味付けは、母親の百合子の味と非常によく似ていた。
横島にとっては、なじみ深い味である。
「ごちそうさま」
横島は食事を終えると、すぐさま自分の部屋に引き上げた。
今の部屋に引っ越してから、寝る間際までリビングでテレビを見たり、家族で雑談したりしていたが、今日はそういう気分になれなかった。
横島は部屋に入ると、布団を敷(いて、その上に横たわった。
布団の上で目をつぶると、すぐさま蛍の顔が浮かんでくる。
しかし、次の瞬間、その顔がルシオラの顔へと変化した。
(ルシオラ!!)
横島は思わず、ガバッと跳ね起きてしまった。
「はあ〜〜っ。まだ初日だってのに、もうこれかよ」
夢の中でルシオラから、『蛍を露骨に口説かないで欲しい』と頼まれたことは、よく覚えている。
また蛍の方も、横島を純粋に兄として慕(っているので、大丈夫だろうと思っていた。
ところが両親がいなくなった途端(、蛍のことを意識してしいる自分がいることに気づいてしまった。
「とりあえず、気をつけないとな」
下手をすれば、ルシオラに再会できるチャンスを、自分で潰(してしまうことにも成りかねない。
また蛍の純粋な気持ちを、自(らの手で汚したくはなかった。
「しかし……本当に大丈夫かな?」
自分の理性があまり頼りにならないことは、今までの経験上よくわかっている。
不安な気持ちを抱えたまま、横島は大きなため息をついた。
「やっと、着いたでござる〜〜〜〜!」
前日の午後に人狼の村を出発したシロは、夜通し駆け続け、翌朝には東京に到着した。
自己記録更新である。
「ただいまでござるーーっ!」
「シロ殿、お帰りなさい。しかし、まだ誰も起きていませんが?」
時刻は朝の六時であった。毎朝、朝食を作るおキヌでさえ、まだ目を覚ましていない。
入り口の鍵は、人口幽霊壱号が開けてくれたが。
「問題ないでござるよ!」
シロは荷物を置くと、シャワーを浴びて汗を洗い流した。
そして事務所を飛び出すと、横島のアパートに向かって駆け出した。
シロにとって、事務所から横島のアパートまでの道のりは、汗をかくほどの距離ではない。
「せんせ〜〜っ! 今からシロが行くでござるーー!」
ピピピピ……
シロが事務所に到着した頃、蛍は目覚まし時計の音で目を覚ました。
「朝……」
蛍は起き上がると、寝巻き姿のまま玄関へと向かった。
玄関の鍵を開けると、玄関脇の郵便ポストに入っていた新聞を取り、台所のテーブルの上に置く。
次に冷蔵庫からハムとチーズとバターを取り出した。
そしてハムとチーズとバターをテーブルの上に並べると、卵をフライパンの上で割り、スクランブルエッグを作り始める。
「できたわ」
10分もしないうちに、朝食の準備が整った。
あとはトースターでパンを焼くだけである。
蛍は横島を起こすため、横島の部屋に向かった。
トントン
「お兄ちゃん、起きてる?」
蛍は横島の部屋のドアをノックした。
しかし、返事がない。
ガチャ
蛍はドアを開けると、部屋の中に入った。
ZZZ……
横島は、大口を開けて眠っていた。
寝相が悪いのか、掛け布団が半分めくれている。
「お兄ちゃん、起きて」
蛍は横島を軽く揺(さぶったが、目覚める気配はまったく見えない。
「お兄ちゃん」
「んが……」
もう一度揺(さぶってみたが、やっぱりダメだった。
蛍は、横島の枕もとの時計に目を向ける。
時刻は六時二十分だった。
横島が起きる時間は、だいたい七時半ごろ。
余裕をもって朝食を食べてもらいたかったので、早めに起きて仕度(をしたのだが、やはり少々早すぎたようだ。
「仕方ないわね」
そう言って、横島に掛け布団を掛け直そうとした時に、蛍は気がついた。
横島の横には、ちょうど一人が入れるくらいのスペースが空いている。
蛍の胸の内に、少しだけ横島に甘えたい想いが湧(いてきた。
(あと一時間は大丈夫よね)
蛍は素早く時間を計算すると、目覚まし時計の針をセットし直して、横島の布団に潜(り込んだ。
(お兄ちゃん……)
布団の中は、兄の匂(いで満ちていた。
蛍は横島に寄り添って横になると、安心して目をつぶった。
横島のアパートに到着したシロは、元の横島の部屋の前に来ると、勢いよくドアを開けた。
「せんせーっ! 朝のサンポに出かけるでござるよ!」
ところが、部屋の中は完全な空き室となっていた。
当然ではあるが、部屋の中には誰の姿も見えない。
「先生?」
部屋の臭いを嗅(ぐと、わずかではあるが横島の臭いが感じられた。
おそらく、数日前まではこの部屋に居たと思われる。
「いったいどこに、行かれたのでござるか?」
部屋の外へ出て臭いを嗅(ぐと、すぐに分かった。
階下の方から、横島の臭いが感じられる。
シロは一階に下りると、横島の臭いのする部屋のドアを開けた。
ガチャ
玄関に入ると、人間の鼻でも分かるほど、横島の臭いが感じられた。
しかし次の瞬間、シロは新たな脅威(を察知する。
(知らない女の臭いがするでござる!)
シロは瞬時に、横島の飼い犬モードから戦闘モードへと変化した。
音をたてないよう注意深く歩きながら、アパートの中を探索する。
(ここでござるな)
シロは、横島のものと思われる部屋の前に立った。
そしてドアの前で、大きく深呼吸する。
(先生……拙者(は、先生を信じているでござるよ!)
バタン!
シロはドアを開けて、部屋の中に踏み込んだ。
しかし部屋の中に入った瞬間、シロは期待を大きく裏切られたことを知った。
「せ、せんせーーーっ!」
「ん? なんだ、シロか。もう帰ってきたのか」
シロの大声で目を覚ました横島は、部屋の入り口に立っているシロに視線を向けた。
「せ、先生! その一緒に寝ている女子(は、いったい誰でござるか!?」
「一緒に寝てるって、いったい何の……」
いったい何のことだと横島はシロの言葉に反問しかけたが、自分の隣に人の気配があるのを感じた途端(、そこで言葉が止まった。
ギギギ……と音をたてるようにして小刻(みに首を回し、誰がいるのかを確認すると、顔面が蒼白(になってしまう。
「あ、いや、その、これは違うんだ、シロ!」
「先生の、バカーーーッ!」
シロは泣きながら、その場から走り去っていった。
「ま、待て、シロ。誤解するんじゃない!」
横島は慌(てて後を追いかけたが、全速力で走る人狼の足には、とても追いつけなかった。
「やん……お兄ちゃんったら……」
そのころ蛍は、横島にだっこされながら、頭を撫でてもらう夢を見ており、ひとり至福の気分の中にいた。
その日の午後、バイトに出かけた横島を、怒気を発した赤毛の鬼と巫女服を着た夜叉(が出迎えた。
夜叉(の絶対零度の視線で氷漬(けとなった横島が、赤毛の鬼によってその場で殲滅(されたことを付け加えておこう。
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