『妹』 〜ほたる〜

作:湖畔のスナフキン

思いつき番外編 (04)




 毎年、その日が近づくにつれて、横島は気分が憂鬱になるのが常であった。

 なにせ、バレンタインデーにはロクな思い出がない。
 ある年は、下駄箱に入っていた差出人不明のチョコを見つけられ、クラスメートにつるされたあげく、最後は(美神によって)自作自演という疑いをかけられた。
 またある年は、平穏無事におキヌからチョコをもらったものの、飯のおかずが何も買えないほど食費に窮していたため、もらったチョコをおかずに飯を食べようとした。
 さらに別の年は、西条に経済格差を見せつけられたあげく(横島:チョコ1個、西条:体が埋もれるほどのチョコの山)、魔鈴の魔法薬入りのチョコを食べた結果、女性に蛇蝎のごとく嫌われて、危うくトラウマになってしまう程の精神的ダメージを負う結果となったのだが……

「フン♪ フンフンフンフンフンフン♪ フンフッフッフッ、フッ、フフン♪」

 だが、今年の横島は違っていた。
 道を歩きながら、ベートーベンの第九を、鼻唄で歌ってしまうほどのルンルン気分である。

「ふ……ふははははっ! 人生っていいなあ! 青春っていいなあ!」

 横島の心は、希望で満ちていた。
 なにしろ今年は、例年より多くのチョコを貰えそうなのである。
 毎年貰っているおキヌ。続いて、横島の一番弟子を自認するシロ。
 そして期待度が一番高かったのは、同居している義理の妹の蛍であった。

「やっぱり、今までの俺って飢えてたよな。気持ちに余裕がないっていうか……
 だが、しかし! 今年の俺は違うんだ!」

 道の真ん中で立ち止まり、その場で叫び出すほど、横島の気分は高揚していたのだが……

「で、住所は? 道ばたで何を大騒ぎしていたんだ?」

「えー。現在、不審な人物を職質中。手配中の変質者の可能性あり」

 ハイになるあまり周りが見えなくなっていた横島は、数名の警察官に囲まれて職務質問をされていた。




 そして、いよいよバレンタイデー当日となった。
 横島は朝自分で起きると、朝一番のチョコを期待して居間へと向かったのだが、

「おはよう、お兄ちゃん」

 蛍は既に制服を着て、家を出ようとしているところだった。

「もう、出かけるのか?」

「ごめん、お兄ちゃん。朝ごはん、テーブルの上に置いといたから」

 蛍は横島にそう話すと、小走りしながら家を出て行く。
 後には、ポカンとした表情の横島が残されていた。




 学校の授業が終わってから、横島は事務所へと向かったが、その足取りはいつものより軽かった。
 なぜなら、愛子と小鳩からチョコレートを貰ったからである。
 学校でチョコを貰えるとは予想していなかったので、横島にとってはまさに望外の喜びであった。

「ちわーーす」

 横島が事務所のドアを開けると、真っ先にシロが駆け寄ってきた。

「横島せんせーーっ!」

 シロは横島の手前1メートルの場所でピタリと止まると、もっていた紙包みを差し出した。

「ばれんたいんでーのチョコレートでござる」

「おおっ。サンキュー、シロ」

 シロから貰えることは計算の内であったとはいえ、嬉しくなった横島はわしゃわしゃとシロの頭をなでた。
 シロは気持ちよさのあまり、目を細めながらくーんと声を漏らす。

「はい。これは私から」

 続いてタマモが、横島に100円の板チョコを渡す。

「タマモも、すまんな」

「お返しは、きつねうどんでいいから。カップ麺じゃなくて、ちゃんとしたうどん屋でね」

 うどん屋でおごるとなると、3倍返しどころか5倍返しを越えそうである。

「今年はいっぱい貰ってますね、横島さん」

「おキヌちゃん……」

 横島がふと気がつくと、おキヌが自分の横に立っていた。

「はい。今年のバレンタインチョコレートです」

「おキヌちゃん。毎年ありがとう」

「いいんですよ、横島さん」

 おキヌは、うふっと微笑を浮かべた。

「さて、あとは……っと」

 横島はさりげないふりをしながら、大きなマホガニーの机の向こうに座っている女性に目を向けたのだが、

「なに? この私が、菓子業界に踊らされるようなイベントに、参加するとでも思ってるの?」

 いや、でも西条には去年渡してるじゃないですかと横島は言おうとしたが、鉄拳制裁を食らいそうなので我慢した。

「……とまあ思ってたんだけど、アンタもうちの事務所きて長いし、西条さんの分を買うついでに
 アンタの分も買っといたわ」

「み、美神さん!」

 美神は横島に近づくと、後ろ手にもっていた綺麗に包装した箱を、横島に手渡す。
 本人はさりげなく渡したつもりだっただろうが、目をそらしながらサッと手だけ伸ばすその仕草は、普段の美神には似合わない可愛らしさい姿だった。

「事務所で働き始めてから苦節X年! と、とうとう美神さんが俺にチョコを!」

「言っとくけどね、義理よ。義理

 口先では義理を強調しながらも、美神はまんざらでもない表情をしていた。




 バイトが終わった後、学校と事務所で貰ったチョコをもって横島は家路へとついた。
 後は蛍からチョコを貰って、今日のミッションはコンプリートである。
 横島は期待に胸をはずませながら、マンションのドアを開けた。

「ただいまーって、あれ!?」

 バイトがある横島と違い、蛍は学校からまっすぐ家に帰る。
 ときおり友人と遊んで遅くなることはあるが、それでも暗くなる頃には家に戻っている。
 しかし、夜の八時を過ぎているにも関わらず、家の中は真っ暗であった。

「どこいったんだ、蛍は?」

 横島は携帯に電話をかけたが、電源を切っているのかつながらない。
 そのまま三十分ほど待ったが、蛍は帰ってこなかった。
 横島は最初は少しイライラしていたが、時間が経つにつれて心配する気持ちがしだいに強くなってきた。

「……仕方ない。クロサキさんに連絡するか」

 両親が万が一の際の相談相手として指名した、会社の部下であるクロサキ氏に電話をかけようとしたその時、玄関のドアがバタンと開いた。

「ただいま」

「遅かったじゃないか、蛍」

 蛍の声を聞いた横島は、すぐさま玄関へと駆け寄る。
 蛍に何かあったのではないかと心配していた横島は、蛍のいつもと変わらない姿を見て安堵した。

「遅くなるんだったら、先に連絡しなけりゃダメだろ。こっちから電話しても、全然出ないし」

「電話って……あっ、ごめんなさい」

 蛍が携帯の電源を入れると、横島からの伝言が何件も溜まっていた。

「で、今日はどこに行ってたんだ?」

「舞奈ちゃんの家。三人で集まって準備してたんだけど、何回か失敗して遅くなっちゃった」

「それって……」

「はい。お兄ちゃん」

 蛍はカバンから包装紙で包んだチョコレートを取り出すと、両手を揃えて横島に手渡した。

「蛍……」

 蛍からチョコを受け取った横島は、ジーンと感動していた。
 思わず、横島の目から心の汗がホロリとこぼれそうになる。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 蛍が横島の顔を覗き込もうとしたので、横島は慌てて手で顔をぬぐった。

「な、何でもないよ。そうだ。これ今食べてもいいかな?」

「うん。食べてみて」

 横島は紙包みをほどくと、板状のチョコレートをパクッと一口かじった。

「どう、味は?」

「ちょっと、苦いかな」

「うそ!? 味見したときは何ともなかったのに!」

 驚いた蛍は、カバンの中から財布の入ったポーチを取り出した。

「ちょっと待ってて! すぐに新しいチョコを買ってくるから」

 横島は、慌てて外に出ようとする蛍を、引っ張って引き止めた。

「冗談だよ、冗談。ちゃんとおいしかったから」

「よかったー。失敗したかもって、ビックリしちゃった」

「それより、早く夕飯にしようぜ」

「うん、わかった!」

 横島は居間でコタツに入りながら、台所で夕食の準備を進める蛍の背中を優しく見守る。
 台所と居間の二つの部屋に、穏やかで温かな空気が流れていた。


(お・わ・り)



(あとがき)
 バレンタインデーまでに書き上げて、GTY+に投稿しようと考えていたのですが、
 仕事の都合で間に合わなかったので、自サイトで公開することにしました。

 仕事も山を一つ越えましたので、これから少しずつ頑張りたいと思います。


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