おキヌと横島の青春日記

作:湖畔のスナフキン


「や……やっとついた」

 やつれきった表情の横島が、美神の事務所に出勤してきた。
 ドアを開けて中に入ると、そのままガクリと膝をついてしまう。

「ど、どうしたんですか、横島さん」

 事務所にいたおキヌが、横島を抱き起こした。

「い……いや、今月は出費が激しくて、三日ほど前からロクに食べてなかったから……」

 横島が事務所に来るのは、四日ぶりであった。

「もう仕方ないですね──。ちょっと待っててください。すぐにご飯をつくりますから」




 ガツガツガツガツ

 横島はおキヌが作ったご飯を、一心不乱に食べていた。
 メニューは、焼いた鮭の切身をほぐしてのせたおかゆと湯豆腐である。
 空腹が続いた後に胃腸に負担のかかる食事をとると、かえって胃腸を壊すことがある。
 料理のメニューや食材にまでおキヌは気配りしていたが、横島は空腹を満たすことに気を取られ、まったく気づかなかった。

「ごちそうさま」

 食事をおえた横島は、満足そうな笑みを浮かべていた。

「もう、横島さん。お金がないなら事務所にご飯を食べにくればいいじゃないですか」
「でも仕事もしないのに、メシだけ食いにくるわけにもいかないしなー」
「育ち盛りなんですから、ご飯だけはきちんと食べないと──」
「ただでさえ大メシ食らいなんだから、美神さんがイヤな顔をしないかな」
「美神さんだって鬼じゃないんですから、それくらい大丈夫ですよ」
「そう言えば、美神さんは? それにシロとタマモもいないな?」

 ようやく横島は、事務所におキヌしかいないことに気がついた。

「美神さんはザンス王国で緊急に開かれた、精霊石の即売会に出かけてます。シロちゃんは人狼の里に里帰り。タマモちゃんもシロちゃんにくっついて出かけちゃったんですよ」
「え!? ってことは、おキヌちゃんと俺だけ? 今日は給料日なんだけど、おキヌちゃん俺の給料預かってる?」
「そういえば、そうですね。でも横島さんだけじゃなくて、私の分も預かってないですよ」

 ガーン

 横島は激しいショックを受けた。

「そ、そんな……。仕送りがくるまで、あと一週間。このままでは飢え死にしてしまう!」
「だから、事務所にご飯を食べにくればいいじゃないですか」
「うーん、でもそれはおキヌちゃんに悪いし……」
「それなら、私が横島さんのところにご飯を作りにいきます!」
「そこまでしてもらわなくても……」
「いえ、ダメです! 横島さんが栄養失調で倒れたら、横島さんだけじゃなくてみんなが困るんですよ」

 横島は考えこむ。正直いって、おキヌの申し出はありがたかった。

「い、いいの、本当に?」
「いいんですよ。それじゃ、明日の夕方にうかがいますね」




 翌日の夕方、両手に買い物袋を下げたおキヌが、横島の部屋を訪れた。

「こんにちは」
「おキヌちゃん、あがって」

 おキヌは横島の部屋に入った。
 この部屋は、まだ幽霊だった頃から何度も訪れている。

「今日はお部屋が片付いてますね」
「さすがに部屋の片付けまでは頼めないからね」
「ふふっ。見られたくない本があるからじゃないんですか」

 横島は赤面してしまった。どうやら図星のようである。
 おキヌは生き返ってからはこの部屋を訪れる回数も減ったが、幽霊だった頃は人目を気にする必要もなかったから、何度も来ては部屋を片付けたりご飯を作っていたりしていた。

「じゃ、台所を借りますね。今日はすき焼きですよ」
「えっ、すき焼き?」
「ええ。牛肉もたっぷり買ってきました」

 横島はすき焼きと牛肉という言葉を聞き、目がらんらんと輝いた。
 よだれがこぼれかけてしまい、あわてて(そで)で口をぬぐう。

「調味料は(そろ)っているかな。みりんと砂糖と醤油と──、あらお醤油が足りないわ。買ってこないと」
「おキヌちゃん、俺が買ってくるよ」
「ついでに白滝(しらたき)もお願いしますね」

 横島はおキヌからお金を受け取ると、買い物にでかけた。
 おキヌはその間に、料理の下ごしらえを進める。


 プル・プルルル

 おキヌが米を()いで炊飯器のスイッチを入れたとき、横島の部屋の電話が鳴った。
 おキヌは一瞬迷ったが、電話に出ることにした。

「はい、横島です」
「伊達だけど──、えっ!? なんで横島の部屋に女がいるんだ?」
「あ、雪之丞さんですね。おキヌです」
「おキヌちゃんか。横島は?」
「えっと、横島さんはちょっと買い物に出かけてますが……」




 片道15分もかかるが、スーパーから戻る横島の足取りは軽かった。

(すき焼きかー。食べるの何ヶ月ぶりだろう──)

 横島の脳裏には、(あぶら)がたっぷりのった牛肉がグツグツと鍋で煮えている有様が浮かんでいた。

(おキヌちゃんは、こういうときにポイント高いよな。食事が終わったら、隣に座って肩に触れたりして……)

 横島の妄想(もうそう)がどんどん進んでいく。

(シロもタマモもいないから、誰からも邪魔は入らない。ひょっとしてひょっとしたら……)

 とうとう少年誌では掲載不可のシーンまで、妄想(もうそう)が進んでしまった。
 その状態でアパートに着いた横島は、階段を駆け上がると勢いよく部屋のドアを開ける。

「ただいまー、おキヌちゃん」
「おう、邪魔してるぜ!」

 横島に真っ先に返事をかえしたのは、おキヌではなく雪之丞であった。

「ゆ、雪之丞! お前、何しにきたんだ!」
「何しにって、ちょっと用事があって電話したらおキヌがいるじゃねーか。話しを聞いたらすき焼き作るっていうから、俺も参加しようってわけさ」
「お前に食わせる余分な肉なんてないぞ!」
「安心しな。ちゃんと俺の食う分の肉は用意したから」

 雪之丞は、肉の入った袋を指差した。

「多めに買っておいたから、野菜とかは分けろよな」
「そ、そうじゃなくてだな──」

(お前、邪魔しにきただけだろ)

 横島が目線で(うった)える。

(当然だろ。お前一人だけ、おいしい思いをさせてたまるか)

 雪之丞がニヤリと笑い返した。

「大丈夫ですよ、横島さん。ネギと豆腐は多めに用意しておきましたから」
「というわけだ。俺も仲間に入れてもらうからな」






 まもなくすき焼きができあがった。
 おキヌが台所から、部屋の中央に置かれたちゃぶ台の上に移す。
 横島と雪之丞は、欠食児さながらにすき焼きの牛肉にかぶりついた。

「あっ、それは俺の肉だぞ、横島」
「取ったもんの勝ちじゃーっ!」
「じゃ俺はこれを!」
「あーっ! そのでかいの狙っていたのにー!」
「まだお肉は余ってますから、無くなったら言ってくださいね」

 二人の大きな子供を前にしながらも、おキヌはニコニコと笑顔を浮かべていた。


 三十分後、すき焼きの鍋の中はほとんど空になった。
 さすがの二人の欠食児の胃袋も、最後にご飯を鍋の中に入れたおじやを平らげたところで、満腹となった。

「そういや雪之丞、何か用事があるんじゃなかったのか?」
「いや。野暮用だから気にすんな」
「ま、いいけど」
「……横島はいいよな。おキヌみたいな女が彼女でよ」
(わ、私、彼女ですか!?)

 横でその話しを聞いていたおキヌが、かーっと頬を赤らめる。

「誤解すんなよ。おキヌちゃんは彼女じゃないぞ」
「自分の部屋に呼んでメシを作ってもらいながら彼女じゃないって。ふざけんな!」
「なに(から)んでんだよ、雪之丞。……あー、わかった。お前、弓さんとケンカしたな?」

 横島が雪之丞の顔を見て、ニヤリと笑う。

「フ……フン! あんな女、彼女でも何でもねえ!」
「今度のケンカの原因はなんだ? ラーメン屋に入ろうとして嫌がられたか? 一緒に見る映画でもめたか?」
「あの女は鼻っ柱ばかり高くて、少しも素直じゃねえんだからな!」


 しばらくの間、横島とおキヌは雪之丞のグチを聞かされた。

「そんなにケンカばかりしているなら、いっそのこと別れてみたらどうなんだ?」
「でも……弓さんも、本当は雪之丞さんのことを嫌いじゃないと思うんですよ」
「えっ?」

 おキヌの発言に、雪之丞が意外そうな表情をした。

「弓さんが学校で週明けの日に機嫌がいい時って、たいてい週末にデートしていた時みたいなんですよ」
「えっ! 弓のヤツ、学校でそんなことまで話すのか?」
「はっきりと話さなくても、女の子どうしだからなんとなくわかるんです」
「そういうものなのか?」
「そういうもんなんですよ、雪之丞さん」

 おキヌがニコニコとしながら答えた。

「まんざらでもないって顔をしているな、えっ、雪之丞?」

 横島がツッコミを入れてきた。

「明日にでも弓さんから、話しを聞いてみますね」
「あ、ああ。悪いけど、頼むわ」




 そのあと雪之丞は、買ってきた缶ビールのフタを開ける
 横島もニ本、おキヌもグラスに一杯分だけもらった。
 雪之丞は立て続けに3本を空にしてしまうと、そのまま横になって(いびき)をかきながら眠ってしまった。

「まったく、はた迷惑なヤツだな。グチるだけグチったら、もう眠ってやがる」
「いいじゃないですか。横島さんを友達だと信じているんですよ……。あっ、そろそろ帰らないと」

 おキヌが腕時計で時間を確認した。

「それから、これ当座の生活費です。大事に使ってくださいね」

 おキヌがお金の入った封筒を横島に渡した。

「そんな……。悪いよ」
「大丈夫です。その代わりご飯はきちんと食べてくださいね。お金は美神さんに頼んで、給料から天引きしてもらいますから♪」
「……おキヌちゃん。じゃ俺、おキヌちゃんを送ってくよ」




 横島とおキヌは、最寄の駅まで歩いた。
 おキヌは駅まででいいといったが、横島は事務所まで送ると言って一緒に電車に乗った。

「横島さん、酔ってませんか?」
「酔ってないよ」

 ウソである。缶ビール二杯とはいえ、酒を飲みなれない横島はすでにほろ酔い気分であった。
 一方のおキヌも、(ほほ)をうっすらと紅くしていた。もともと酒に弱いせいもある。


 事務所の最寄の駅で下車すると、二人は事務所まで歩いていった。
 事務所のビルにつくと、入り口の前で横島がおキヌに話しかけた。

「今日はご馳走さん、おキヌちゃん」
「どういたしまして。横島さんさえよければ、また作りにいきますよ」
「あ、あのさ、おキヌちゃん。すごく聞きづらいんだけど、どうして俺のためにそこまで……」

 おキヌは両手を前に組むと、視線を少し下に向けギュッと唇を強く()んだ。
 そして、おずおずと唇を開く。

「わ、私……、横島さんのことが……」

 横島がごくりとつばを飲んだその時──、




「せんせー! おキヌどの! ただいまでござる〜〜!」

 駅の方角からシロが駆け寄ってきた。その後ろにはタマモの姿も見える。

「今、人狼の里から、帰ってきたでござるよ」
「やだ、どうしたの二人とも。顔を真っ赤にしちゃってさ」

 タマモが真っ赤になっている二人の顔を、じろじろと見つめる。

「やーね。お酒のにおいがするわ」
「先生! 二十歳未満はお酒を飲んじゃいけないって、美神殿が言っていたでござるよ!」
「べ、別にいいだろ!」
「本当にお酒のせいだけかしらね〜」

 その場は酒のせいにしてごまかしたが、シロはともかくタマモの詮索(せんさく)は、それからしばらくの間続くはめとなってしまった。


(お・わ・り)


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