ゼロの伝説の勇者
作:湖畔のスナフキン
第二話 −伝説の勇者− (02)
「使い魔品評会!?」
日課である洗濯から戻ってきた淳貴は、ルイズから思いがけない話を聞かされた。
「そうよ。毎年、生徒が召還した使い魔を学院中にお披露目する催しがあるの。特に今年は、おそれ多くも、トリステイン王家のアンリエッタ姫殿下が、この魔法学院を訪れて品評会をご覧になるのよ」
「それって、絶対に出なきゃいけないのか?」
「二年生は全員参加なの!」
ルイズは現在、魔法学院の二年生に進級したばかりである。
ちなみに、二年生に進級するための条件が、使い魔を召還して契約することだった。
「わかったよ。なにか見世物でもすればいいんだろ?」
「あの黄金の巨人をみんなに見せれたら、絶対優勝できると思うんだけど」
ルイズは、そこでため息をついた。
なぜなら緊急時以外に、関係者以外の人にライディーンを見せたり、ライディーンの話をしたりすることを、学院長のオスマンに固く禁止されていたからである。
「あと俺にできるのは、剣技と掃除・洗濯ぐらいかな」
「姫様の前で、洗濯をしてどうするのよ? まあ、洗濯ができる使い魔は、たしかに珍しいかもしれないけど」
「じゃあ、剣技かな。何をやるか、考えとくよ」
翌日、学院中の広場は、品評会の練習に励む生徒たちとその使い魔で満ち溢れていた。
キュルケは、使い魔のフレイムに様々な形の炎を吐かせている。
モンモランシーは、蛙の使い魔のロビンに大きなリボンを付けさせていた。
タバサは、我関せずとばかりに、壁に寄りかかって本を広げている。
そんな中ルイズは、広場の真ん中で自分の使い魔と顔をつき合わせているギーシュを見つけた。
「ああ、ヴェルダンデ。なんて君は愛らしいんだろう」
ギーシュの使い魔のヴェルダンデはジャイアントモール、つまり大きなもぐらである。
仔牛ほどの大きさのヴェルダンデは、丸くてつぶらな瞳をしていた。
ギーシュは唇にバラをくわえながら、ヴェルダンデに賛美の言葉を投げかけていた。
「ギーシュ。ちょっといいかしら?」
「なんだね、ルイズ」
「品評会でサイガが剣技を見せるんだけど、最後に相手が必要みたいなの。できれば、本番であなたのワルキューレに相手をして欲しいんだけど」
「わかったよ、ルイズ。その代わり、僕からも頼みがあるんだが」
「なんなの、頼みって?」
「君は姫殿下の幼馴染らしいね。機会があったら、僕を姫殿下に紹介して欲しいんだが」
ルイズが、驚きの表情を見せた。
「よく、そんなこと知ってるわね。入学してから今まで、誰にも言われたことなかったのに」
「僕の父は、国軍の元帥だからね。宮廷内部のことも、少しは耳に入るのさ」
ギーシュが、胸を張って答えた。
「とりあえず、考えておくわ」
「それじゃ、頼んだよ。ルイズ」
ギーシュはルイズから視線を外すと、再びヴェルダンデと顔を合わせて、延々と褒め言葉を語り始めた。
品評会の当日、魔法学院へと続く道を二台の馬車が歩んでいた。
先頭の馬車は白く塗られており、窓には高貴さを表す紫色のカーテンがかけられていた。
その馬車のあちこちに、金と銀とプラチナで聖獣ユニコーンと水晶の杖が組み合わされた王室の紋章がかたどられており、この馬車が王女のものであることを示していた。
王女の馬車の後に、現在トリステインの政治を一手に担っているマザリーニ枢機卿の馬車が続き、そして馬車の前後を、王室の近衛である王室魔法衛士隊が固めていた。
王室魔法衛士隊は、名門貴族の子弟で構成されており、国中の貴族たちの憧れの的だった。
魔法衛士隊は現在、騎乗する幻獣毎にグリフォン・ヒポグリフ・マンティコアの三隊で構成されている。
今日は列の先頭にヒポグリフ隊が、殿にはグリフォン隊が配置されていた。
「これで、本日十三回目ですぞ、殿下」
困った顔をしたマザリーニが、アンリエッタに小言をいった。
馬車が街の郊外に出て人目が少なくなってから、マザリーニは自分の馬車からアンリエッタの馬車に乗り替えていたのである。
昨今の政治情勢について、アンリエッタと話し合うためであった。
「なにがですの?」
「ため息です。王族たるもの、むやみに臣下の前でため息などついてはなりませぬ」
「王族ですって! このトリステインの王は、マザリーニ枢機卿、あなたでしょう。今、街で流行っている小唄をご存知ですか?」
「存じませんな」
マザリーニは関心なさそうな顔をしたが、実のところは知っていた。
トリステインの内政・外交に関するほとんどの情報は、マザリーニの下に一手に集まっており、その中には街の噂話まで含まれていた。
「それなら、聞かせてあげますわ。
トリステインの王家には、美貌はあっても杖はなし。
杖を握るは枢機卿。灰色帽子の鳥の骨」
マザリーニが、鼻をひくつかせた。
いくら政治の実権者とはいえ、自分の主筋から悪口を聞かされるのは、あまり気分のよいものではない。
マザリーニは、その小唄にあるように灰色の帽子を好んでかぶっており、また痩せぎすの体をしているため、貴族や民衆は陰でマザリーニのことを『鳥の骨』と呼んでいた。
「街女が歌うような小唄など、口に出すものではありませぬ」
「いいじゃない、小唄ぐらい。私はあなたの言いつけどおり、ゲルマニアへと嫁ぐのですから」
「仕方がありませぬ。ゲルマニアとの同盟は、トリステインにとって急務なのです」
「そのくらい、私だって知ってますわ」
何度も同じ話を聞かされうんざりしたアンリエッタは、カーテンを少し開けて、外の風景に目を向けた。
「いい!? 姫様に失礼がないよう、気をつけるのよ」
「わかってるってば」
魔法学院の正門をくぐった先で、生徒たちが道の両側に並んでアンリエッタの到着を待っていた。
正門が開き、王女の一行が中に入ると、生徒たちは姿勢を正して王女を出迎えた。
「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーりー!」
馬車の扉が開き、侍女に手を引かれてアンリエッタが姿を現した。
アンリエッタの姿を見た生徒たちの間から、ワーッと歓声があがる。
その歓声にアンリエッタが優雅に手を振って応えると、生徒の歓声が一層高まった。
(王女様っていうからどんな人かと思ったけど、たしかに可愛い人だな)
淳貴は、アンリエッタを興味深そうな目で見ていた。
年齢は17歳で、ルイズより一つ年上らしい。
王族らしく気品ある容貌は、美しさよりも愛らしさが感じられた。
このまま日本に連れて帰っても、清純派アイドルとして十分通用するんじゃないかと、淳貴は思った。
「あれがトリステインの王女? 私のほうが美人じゃない」
淳貴の横で、キュルケがつぶやいた。
「ねえ、ダーリンはどう思う?」
淳貴は返事に困った。
アンリエッタとキュルケではタイプが異なるため、比較が難しいのである。
「うん。二人とも、同じくらい美人だと思うよ」
とりあえず、無難な答えを返しておいた。
アンリエッタを迎えての使い魔品評会が始まった。
トリステイン出身の生徒は、アンリエッタへの印象をよくしようとお披露目に気合が入っていた。
ヴァイオリンを弾くモンモランシーに合わせて、蛙のロビンが踊った。
ギーシュは、ステージにバラの花を敷き詰め、そこにジャイアントモールのヴェルダンデと並んで横たわった。
本人としては気合を入れたつもりだったが、生徒たちにはかなり不評だった。
ゲルマニア出身のキュルケは、優勝の商品を目当てに頑張った。
フレイムがステージ一杯に広げた炎は、かなりの迫力である。
ガリア出身のタバサは、淡々と使い魔のシルフィードを呼び出すと、風竜であるシルフィードの上に乗って、大空を自在に飛び回った。
今のところ、一番気合の入っていないタバサとシルフィードが、最も優勢である。
「次は、私たちの番よ」
「うん」
「ヘマしたら、絶対に許さないからね!」
「ルイズこそ、少し落ち着けって」
アンリエッタが到着してからというものの、ルイズは明らかに緊張していた。
淳貴はいぶかしがったが、貴族には貴族の事情があるのだろうと思い直した。
「続いては、ミス・ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」
ルイズの名が呼ばれると、ルイズと淳貴が壇上に上がった。
「紹介します。私の使い魔は、サイガ・ジュンキ。種類は……平民です!」
生徒たちの間から、失笑する声が上がった。
口の悪い生徒たちの間からは、「使い魔を召還できなくて、その辺を歩いていた平民を連れてきたんじゃないのか」という悪口まで聞こえてきる。
ルイズの眉毛がビクビクと震えたが、なんとか怒りを抑えるとステージの脇に移動した。
その間に淳貴と学院の使用人たちが、台の上に立てた藁束をステージの上に間隔をあけて四本並べた。
「これから、使い魔が剣技を披露します!」
淳貴が、背に差していたデルフリンガーを抜いた。
「へへっ! いよいよ俺たちの出番だな!」
「頼んだぜ、デル公」
淳貴の左手のルーンが、白く光った。
淳貴はデルフリンガーを右肩の上に振り上げて、八双の構えをとる。
「やーーーっ!」
淳貴は、掛け声とともに走り出した。
そして藁束の所までくると、目にも止まらぬ速さでデルフリンガーを振り下ろす。
一閃、二閃、三閃、四閃。
淳貴が駆け抜けたあと、藁束が見事な切り口で真っ二つになっていた。
会場からは今までの笑い声が途絶えて、ざわざわとざわめき始めた。
「続いて、青銅のゴーレムと一騎打ちします!」
ルイズの隣にギーシュが立つと、観客に向かって一礼した。
そしてギーシュがバラの造花を振るうと、一体の青銅のゴーレムが現れる。
淳貴が剣を構えると、手に剣をもった青銅のゴーレムが、淳貴に向かって走り始めた。
「やあっ!」
青銅のゴーレムが剣を振り下ろした瞬間、淳貴は斜め前に飛びながら、ゴーレムの胴体を薙ぎ払った。
淳貴とゴーレムがすれ違った瞬間、青銅のゴーレムが横に真っ二つとなる。
ゴーレムの下半身が数歩進んだあと横に倒れ、上半身は空中を数回転してから、ステージの上へと落ちた。
「これで、使い魔の披露を終わります」
観客席は、完全に静まりかえっていた。
前回、ギーシュとの決闘を見た生徒は、あれが偶然ではなかったことを認識させられ、初めて淳貴の剣を見た生徒は、彼が只者ではないことを知るようになった。
パチパチ
ルイズと淳貴は、気まずい雰囲気の中ステージの上で終わりの挨拶をしたが、そのとき拍手の音が耳に入った。
ルイズが振り向くと、ステージの前に設けられたテントの中で、アンリエッタが笑みを浮かべながら拍手していた。
やがて、アンリエッタの拍手につられて、他の観客席からも拍手が鳴り響いた。
ルイズと淳貴はちょっぴり照れて顔を赤くしながら、ステージを降りていった。
使い魔品評会の結果は、優勝はタバサで、二位がキュルケ、三位がルイズだった。
「あーあ。せっかく姫様が見に来られたのに残念だわ」
「でも、結果は三位だったんだから、十分すごいじゃないか」
「入賞したのは嬉しいけど、あのツェルプストーに負けたのが悔しいのよ! サイガが口から火を吐けたら、あいつに勝てたかもしれないのに!」
「無茶言うなって」
俺は元はといえばただの高校生で、大道芸人じゃないんだからと、淳貴は心の中でつぶやいた。
「ま、品評会で、サイガが使えそうなやつだってことが学院中に知られたから、これからはバカなことを言って絡んでくるのが、少しは減るかもね」
俺は別にどっちでもいいんだけどと淳貴が小声でつぶやいたとき、ドアをノックする音が二人に聞こえた。
「誰だろ、こんな時間に?」
既に夕食も終わり、あとはもう寝るだけの時間になっていた。
床の上に座っていた淳貴が立ち上がろうとしたが、初めに長いノックが二回、それから短く三回ノックする音が聞こえたとき、ベッドに腰掛けていたルイズがハッと立ち上がった。
ルイズがドアを開けると、そこにはマントのフードを深くかぶった少女が立っていた。
少女は部屋の中をきょろきょろと見回すと、人目を恐れるかのようにそそくさと部屋の中に入ってきた。
そして、マントの隙間から杖を取り出すと、ディテクトマジックの呪文を唱えた。
「どこに目や耳が潜んでいるか、わかりませんからね」
そういうと少女は、かぶっていたマントのフードを取り払った。
現れた少女の顔を見て、ルイズと淳貴は驚愕してしまう。
「姫殿下!」
そこに立っていたのは、なんとトリステイン王国の王女、アンリエッタであった。
ルイズは慌てて、その場で膝をつく。
淳貴はどうしようか迷ったが、遅れてルイズと同じ姿勢をとった。
「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
アンリエッタは、感極まった表情を浮かべて、床に膝をついていたルイズを抱きしめた。
「ああ、ルイズ、ルイズ! 懐かしいルイズ」
「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所に、おいでになるなんて」
かしこまった声で、ルイズが答える。
「ルイズ・フランソワーズ。そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! 私たちはお友達じゃないの」
「もったいないお言葉でございます、姫殿下」
ルイズの後ろで淳貴は、まるで映画やテレビのドラマの一場面のように二人の美少女が抱き合っている様子を、あっけにとられた顔で眺めていた。
「昔馴染みのルイズ・フランソワーズ! ここには枢機卿も母上もいないのよ。あなたにまでそんなよそよそしい態度を取られたら、私死んでしまうわ!」
「姫様……」
ルイズの口調や態度が、多少柔らかくなった。
「なあ。ずいぶん親しいみたいだけど、どういう関係なんだ?」
淳貴が小声で尋ねると、ルイズが後ろを振り返った。
「姫様がご幼少の頃、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ」
そう言うと、ルイズは正面を向いた。
「でも、感激です。姫様が、そんな昔のことを覚えてくださってるなんて……私のことなど、とっくに忘れていると思ってました」
「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。悩み事なんてなんにもなくて」
突然、アンリエッタが表情に、憂いの影が走った。
「あなたが羨ましいわ。自由って、素敵ね、ルイズ・フランソワーズ」
「なにをおっしゃいます、姫様」
「王国に生まれた姫なんて、籠の中の鳥も同然。国の事情ひとつで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」
アンリエッタは窓の外に目を向けると、ふぅとため息を吐いた。
それからルイズの手をとって、にっこりと笑顔を浮かべた。
「結婚するのよ、私」
「おめでとうございます、姫様」
とりあえずそう返事はしたものの、ルイズはアンリエッタが喜んでいないことにすぐに気がついた。
「なにか、お悩み事があるのですか、姫様?」
「いえ、なんでもないわ……」
「おっしゃってください、姫様! 昔は何でも話し合ったじゃないですか。私をお友達と呼んでくださったのは、姫様です。その友達にも、打ち明けられない悩みなのですか!?」
ルイズが迫ると、アンリエッタは逡巡したが、すぐに決意の表情に変わった。
「今から話すことは、誰にも話してはなりません」
そう言うとアンリエッタは、淳貴をちらりと見た。
「席、外しましょうか?」
「いえ、残ってください。あなたの剣の腕前を見たので、私も決心ができたのです」
それからアンリエッタは、自分が結婚することになった事情を話し始めた。
アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、アルビオンの王室が今にも倒れそうなこと。
そして、反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろうこと。
それに対抗するため、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶこととなり、同盟のためにアンリエッタ王女がゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったこと。
「つまり、政略結婚なんですね」
淳貴は日本の戦国時代に、大名の間で同盟の証として政略結婚がよく行われていたことを思い出した。
そうだとすれば、アンリエッタは、自由のなかった戦国時代の女性と同じ立場である。
自分が籠の中の鳥だという言葉にも、納得できた。
「そうだったんですか……」
一方、ルイズの表情には、悲しみの色が浮かんでいた。
アンリエッタがこの結婚を望んでいないことは、彼女の口調からすぐにわかった。
「いいのよ、ルイズ。好きな相手と結婚できるなんて、物心ついた頃から諦めてますわ」
「姫様……」
「ですが、アルビオンの反乱貴族はこの結婚を望んでいません。したがって、私の結婚をさまたげるための材料を血眼になって探しています」
「もしかして、そのようなものがあるのですか?」
ルイズが真剣な表情で尋ねると、アンリエッタは深刻な顔でうなずいた。
「おお、始祖ブリミルよ! この不幸な姫をお救いください……」
淳貴は、アンリエッタがまるで映画に出てくる王女のように振舞っていることに、疑問を感じた。
もっとも、異世界とはいえ本物の王女を見るのはこれが初めてなので、素の態度なのかそれとも芝居なのかは判断できなかった。
「言ってください、姫様! 姫様のご婚姻を妨げる要素とはなんですか!?」
うつむいたアンリエッタが、わずかに陰のある表情を見せた。
「わたしが以前にしたためた、一通の手紙なのです」
「手紙!?」
「そうです。それがアルビオンの貴族の手に渡ったら、彼らはすぐにゲルマニアに送るでしょう」
「どんな手紙なのですか?」
「それは言えません。でもその手紙が読まれたら……ゲルマニアは決して、私を赦さないでしょう。婚姻は破綻し、ゲルマニアとの同盟は反故。トリステインは一国で、アルビオンの侵略に立ち向かわなければならなくなります」
「いったい、その手紙はどこにあるのですか!?」
ルイズが、アンリエッタに迫った。
「それが手元にはないのです。反乱勢と争っている、アルビオン王家のウェールズ皇太子がもっています」
「プリンス・オブ・ウェールズ! あの凛々しい皇太子さまですか!」
ルイズは、アルビオンのウェールズ皇太子を間近で見たことがあった。
アンリエッタのお供でラグドリアン湖で開かれた園遊会に出席した際に見たウェールズの姿は、王族らしく優雅で気品に満ち溢れていた。
「ああ、破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ敵の手に落ちてしまうでしょう。そうなったら、手紙は……」
アンリエッタは涙ぐんだのか、両手で隠しながら顔を大きく横に振った。
もっとも、淳貴の目には、それも芝居がかった仕草に見えたのだが。
「わかりました。その一件、土くれのフーケを捕まえたこのルイズにお任せください。姫様の御為とあらばこのルイズ、たとえ竜の巣の中だろうが地獄の釜の底だろうが、喜んで向かいます!」
「この私の力になってくれるの、ルイズ・フランソワーズ!」
「もちろんですとも、姫様!」
アンリエッタにあてられたのか、ルイズの振る舞いもずいぶん芝居がかっていた。
あるいは二人とも、自分の言葉や演技に酔ってしまっているのかもしれない。
今の日本ではまず見ることができない光景だなと淳貴は思ったが、そろそろ現実に戻って欲しかったので、二人に聞こえるように大げさにコホンと咳をした。
「えっと……アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅まで追い詰めていると聞いています。そういうわけで、とても急いでいるのです」
「わかりました。早速、明日の朝にも出発いたします」
話が一段落すると、アンリエッタはルイズの後ろに控えていた淳貴に視線を向けた。
アンリエッタに見つめられた淳貴は、思わず胸がドキッとする。
最初に見たときから、まるで清純派アイドルのようだと淳貴は思ったが、アンリエッタには、日本の芸能人にはない高貴さのようなものが感じられた。
ルイズも大貴族の娘らしいが、やはり貴族と王族は違うなあなんてことを淳貴が考えていると、ルイズが冷たい視線を向けていることに気がついた。
どうやら、ご機嫌斜めのようである。
「頼もしい剣士さん、私の大事なお友達をよろしくお願いしますね」
「は、はぁ」
「姫様! こいつはただの使い魔ですから!」
ルイズが語気を強くしていうと、アンリエッタがくすりと笑った。
「だって、人間が使い魔だなんて聞いたことないですもの! 彼はあなたのお父様が、あなたの護衛のために付けてくれた剣士なのでしょう?」
「いえ。俺は人間ですが、本当にルイズの使い魔なんです」
そう言うと淳貴は、左手についた使い魔のルーンをアンリエッタに見せた。
「まあ、本当に使い魔なの! 今日の品評会も、オスマン院長以下、皆が口裏を合わせると思ってましたわ。ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔から変わっていたけど、相変わらずなのね」
「好きで使い魔にしたわけではありません」
ルイズが、ぶすっと膨れた表情で答えた。
その様子を見たアンリエッタが、またくすくすと笑ったが、しばらくして落ち着いた表情に戻ると、淳貴の前に左手を差し出した。
淳貴は握手するのかと思ったが、見てみると手の甲が上に向いていた。
「いけません、姫様! こんな使い魔にお手を許すなんて!」
「いいのですよ。彼はあなたと共に働いてくれるのでしょう? 忠誠には報いるところがなければなりません」
「なあ、ルイズ。お手を許すってどういう意味なんだ?」
この場で一人、意味がわかっていなかった淳貴が、小声でルイズに尋ねた。
「もう、これだから平民は……いい、お手を許すってのはね、キスしていいってことなのよ」
キスってまさか……と淳貴は思ったが、いくらなんでもそれはないだろうと淳貴は思いなおした。
そして、映画の一場面を思い出した淳貴は、床に膝をつくと、アンリエッタの手をとって不器用に手の甲に唇をつけた。
ただし、恥ずかしさのあまり、顔が真っ赤になっていたが。
顔を上げると、アンリエッタが笑顔を浮かべていた。
それは、馬車から降りたときに見せたのと同じ営業用の笑顔だったが、淳貴はその笑顔に引き込まれそうになってしまう。
だがそのとき、ガタンという物音が淳貴の耳に入った。
「誰だ!」
淳貴は立ち上がると、部屋の入り口に駆け寄った。
そして勢いよくドアを開けると、一人の男子生徒が部屋の中に転がり込んだ。
「ギーシュ! あんた、今の話を立ち聞きしてたの!」
部屋に入ってきたのは、ギーシュ・ド・グラモンだった。
「姫様、こいつどうします? お望みなら、即刻首を刎ねますが」
アンリエッタの手にキスした淳貴は、ちょっと気分がハイになっていた。
自分まで映画に登場した騎士のような気分で、芝居がかったセリフを口にした。
「姫殿下! その困難な任務、このギーシュ・ド・グラモンにも仰せつけください!」
「グラモン? あのグラモン元帥の」
「息子でございます。姫殿下」
ギーシュは立ち上がると、恭しく一礼した。
「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようですね。それでは、お願いしますわ。ギーシュさん」
「姫殿下が、僕の名を呼んでくださった! トリステインの可憐な花、バラの微笑みの君が!」
感動したギーシュは思わず後ろにのけぞったが、そのまま倒れて失神してしまった。
「やれやれ」
とりあえず淳貴は、ギーシュの体を邪魔にならない場所に移動させた。
「それでは、明日の朝、アルビオンに出発します」
「ルイズ。ウェールズ皇太子にお会いできたら、これを渡してください」
アンリエッタはルイズの机に座ると、ペンを借りて手紙を書いた。
手紙を書き終えると、アンリエッタはそれを黙読したが、最後に一行だけ書き加えた。
「始祖ブリミルよ……この自分勝手な姫をお許しください……自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです」
アンリエッタが杖を振ると、巻いた手紙に封蝋と花押が押された。
そしてアンリエッタは、手紙と一緒に右手の薬指にはめていた指輪を、ルイズに渡した。
「母上からいただいた水のルビーです。この任務には、トリステインの運命がかかっています。どうかこの指輪が、アルビオンから吹いてくる猛き風から、あなた方を守りますように」
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