フェダーイン・横島
作:NK
第87話
ブ――ン……
本来大気のない月では羽音など聞こえはしないのだが、細かく打ち出される魔力の放射として低い衝撃を感知する。
どうやら衛星軌道上で見張りをしていたベルゼブルが、先程の戦闘を感知して様子を見に来たようだ。
「メドーサ!! どうした?」
「フン! また、ただのイヤガラセだよ! 連中にはそれしかできないからね!」
デミアンとの闘いの際に確認されたベルゼブル・クローンと姿形は同じだが、サイズが人間よりも大きい巨大蠅という外観のベルゼブル。
月神族は基本的に、彼の担当している高々度までやって来る事はないので、弱い者を嬲れなくて欲求不満になっているのだろう。
その表情には、明らかに闘いが終わっていた事への失望があった。
「そうか。もう終わっちまったのが残念だぜ。しかし、急いだ方がいいぞ。俺達は失点が続いてるんだ。あまり遅れるともう後がないからな」
「そんな事はわかってるさ。でも、アタシはこの月って場所は嫌いじゃないよ。これだけ魔力濃度が濃いと、かなり身体が楽だからね」
「確かに魔力濃度は高いが、こんな何もない場所はゴメンだな。さっさと帰りてーぜ。それで……ヒドラは順調か?」
メドーサの意見に一部だけ同意したベルゼブルだったが、さっさと帰りたいのは本心なのだろう。
吐き捨てるように呟くと、メドーサに今作戦の要となるヒドラの準備状況を訪ねた。
「アンテナは微調整にもう少し時間が掛かる。なにせこの距離から特定のポイントに霊波を発信するんだ。ほんの少しズレてもアシュタロス様には届かないからね。月の連中もどうせ、もう地球の連中と通じててわかってるんだろう。時間を引き延ばそうとしてるんだ」
「引き延ばすって事は――」
「ああ、邪魔者が地球からやって来るってことさ。妙神山に貼り付けといた監視から、連絡がないんだろう?」
「まあな。それに美神令子に付けた監視からの連絡も途絶えたぞ」
頷きながら答えるベルゼブル。
その表情はどこか忌々しそうだ。
「神族と魔族の上層部はデタントを維持しようとして、自分達の戦力を出す事はしないだろうからな。十中八九、人界の力ある者に代行を依頼するはずだ。まあ、そんなに多くの戦力を派遣する事は不可能だろうけどよ」
「そう言う事。そして中級魔族と対等に戦える横島がその役目を担うのは確実さ。今度こそ……今度こそ決着をつけてやる、横島め…!」
身体を小刻みに震わせながら、怨嗟に満ちた台詞を紡ぎ続けるメドーサ。
南武グループの魔物の塔で横島から受けた傷を、再調整を受ける際に完治させ、さらに延命措置を施された結果、自分はこの場所にいる。
全ては横島に恨みを晴らし、あの世へと叩き落とすため。
「ああ、俺もデミアンと組んだ時に、ヤツには多くのクローンを殺されたからな。あの時の恨みを晴らしてやるさ。どうせ人間は、宇宙空間では思うように動く事さえできないだろうからな」
「人間だからといって侮るなよ、ベルゼブル。特に横島は、神族の戦士だと考えて対応しても足りないぐらいだぞ」
「ケッ…! ムカつくけど、お前の言うとおりだ。だから対応する間もなく速攻で、宇宙船ごと破壊してやるぜ」
2鬼の魔族は、恨みの籠もった眼差しで地球がある方向の宇宙空間を睨み付けていた。
既にメドーサとベルゼブルにとって、横島が来る事は確定事項となっている。
まあ、神族でも魔族でもなく、人界の者の範囲で実力を考えれば、横島以上の存在はいないのだから当然かもしれない。
闘いの時は間近に迫っていた……。
「現在・本船は・月の楕円周回軌道上・にいます。20分後に・姿勢制御を・行い・低高度周回軌道に・入ります」
「OK、マリア。これで漸く月面着陸態勢に入れるわね」
司令船の窓から間近に見える月を眺めながら、ホッとしたように答える美神。
さすがの彼女も、安全性という面で多大なリスクを持つ宇宙旅行は、あまり精神的に安らげなかったようだ。
「ええ、やっと月へ到着ですよ。ところで美神さん、ドサクサにまぎれて、核兵器を購入してロケットに搭載したでしょう?」
「ぎくっ…! あはは……、バレてた?」
「まあ、有効な戦法だと思ったんで、何も言わずに黙ってたんですけどね。でも、俺とカオスで少しだけ手を加えさせてもらいましたよ」
「ふーん。一体何をしたのか興味あるわね。というわけで、キリキリと吐いてもらいましょうか」
穏やかな表情と口調だが、横島の返事は美神を焦らせるのに十分だった。
まあ、横島の事だから気がついても当たり前、と思っていもいるのだが……。
しかし、横島からの一言にカチンとくる美神は、眼が全然笑っていないにもかかわらず、澄んだ笑みを浮かべて横島に顔を寄せる。
『やっぱり、美神さんは美神さんだな。こういうところは平行未来の記憶と同じだよ……』
『そーね。さすがのヨコシマも、平行世界の記憶を思い出して腰が退けるんじゃない?』
『いや……、何とか大丈夫だよ』
『本当ですねぇ……。でも今の忠夫さんであっても、かなりの精神的なプレッシャーを感じるのは事実みたいですね』
『トホホ……、それを言わないでくれよ』
『大丈夫よ、ヨコシマ。私も小竜姫さんもいつも貴方と一緒なんだから。頑張ってね』
『ああ、ありがとう……』
アハハ…、と引きつった笑みを浮かべて身を引く横島なのだが、意外に暢気に頭の中ではルシオラ、小竜姫の意識と惚けた会話を繰り広げていた。
「……横島君?」
いつもの横島らしくない反応に、僅かに訝しそうな表情を浮かべて訪ねる美神。
そんな彼女の態度に、漸く現実に戻ってきた横島は苦笑を浮かべる。
「まあ、それは実際に使った時のお楽しみ、という事で。それよりマリア。月神族から教えられたポイントの上を飛ぶ軌道に乗せるのは大丈夫?」
「イエス・横島さん。マリアの計算では・現在予定の・周回軌道を・航行中です。ミサイル攻撃・可能ポイントまで・後15分です」
美神の追求に曖昧な返事を返した横島は、マリアに話を振って話を有耶無耶のうちに誤魔化した。
「ちぇっ…! また逃げられたか……」
悔しそうに呟く美神。
月までの航行の途中、何度か横島の女性関係(中世に行った時に聞いた、もう一人の大事なヒトに関して)を含めたプライベートに関する質問をしたのだが、ことごとく惚けられたのだ。
「さて、美神さん。お仕事の時間です」
「わかってるわ。マリア、目標の座標を入力して攻撃最適地点でミサイル発射よ」
「イエス、ミス・美神」
パイロット・シートに座り、ヘルメットを被る二人。
いかに竜気が込められた竜神の装具を身につけていても、なるべくノーマル・スーツを着ていたほうが消耗が少ないのだ。
『さて……、平行未来の記憶では、月の周回軌道上でベルゼブルが待機していて、迎撃にきたけど……。今回も同じかな?』
着々と進められる、ミサイル発射シークエンスを眺めながら、そんな事を考えている横島だった。
なにしろ、記憶ではベルゼブルに発射したミサイルを反転させられ、危うく宇宙の藻屑となるところだったのだから……。
おかげでミニサイズに分裂するなどという常識外の体験下、高機動戦を得意とするベルゼブルを宇宙戦闘を行うという、今思えば冷や汗が出る経験をしたのだ。
『今回はベルゼブル対策はバッチリよ、ヨコシマ。多分この作戦で、無傷で月面に着陸できるわ』
『ああ、アシュタロスには効かないが、ベルゼブル・クラスなら熱核攻撃の膨大なエネルギーに耐えられるわけないからな』
『そうですね。例え死ななくても、暫くは身動き取れないはずです』
そんな脳内会話をしながら窓の外を眺めていた横島だが、マリアのカウントダウンがゼロを告げ、核ミサイルが発射されたのを確認し、密かに後から取り付けた装置の操作ボタンに指をかけた。
噴射口からの光が月の地平線の彼方へと消え、目標に向かっているはずの戦術核ミサイルだったが、キラリと再び光が瞬きこちら向かってどんどん接近してくる。
方向が違うので月を一周したというわけでもなく、単純にミサイルが反転して飛んできたのだろう。
だが……自然にミサイルが向きを変える事などあり得ないため、当然その原因となった存在があるはずなのだ。
「えっ!! も、戻ってきたあっ!?」
あまりの出来事に、珍しく美神が狼狽し大声を張り上げる。
だが横島は、これあるを予想していたために冷静にその光景を見ていた。
「バカめ! 周回軌道上で誰も警戒していないと思っていたのか!?」
「マリア!! 軌道修正っ!!」
「待て、マリア! 大丈夫ですよ美神さん」
妙に冷静な横島に引きずられるように、美神もコックピットからよーく接近中のミサイルを凝視すると、何やら巨大な蠅のような存在がミサイルを抱き抱えるように飛んでいる。
既に美神としてはお馴染みの蠅の王、ベルゼブルだった。
その勝ち誇ったような台詞にムカッときた美神だったが、今はミサイルの直撃を回避しなければならない。
慌ててマリアに指示を出そうとするが、その叫びを落ち着いた声で遮る横島。
さらに、意地悪そうなニヤリ笑いまで浮かべていた。
「……ど、どういう事よ、横島君?」
「さっき訊きたがっていた、俺とカオスの行った細工をお目にかけますよ」
そう言ってタイミングを計るように、右手の人差し指でさっきから押そうとしていたスイッチを半分ほど押し込んだ。
「さあ来い、ベルゼブル」
一方、そんな横島の行動を知らないベルゼブルは、そろそろこの核ミサイルを投げ返そうと考えて一言言ってやろうと考えたようだ。
周回軌道に戦力を配置していないと浅はかにも考えた人間共を嘲笑うかのように、勝ち誇ったように叫ぶ。
「ククク……。自分達の武器で船ごと焼き尽くされるがいい!」
だが…………。
「いまだ! 滅びろベルゼブル!」
ベルゼブルが叫ぶのと、横島がそう言ってスイッチを押すのは殆ど同時だった。
もしベルゼブルが、こんな事を叫ばずにさっさとミサイルを投げ返していれば、あるいはもっと違った展開になったかも知れない。
だが、彼にはその事を理解する機会は恐らく永遠に無いだろう。
…カッ! ドゴオォォォォォオン!!
「なっ…!? ギャアアァッ!!」
横島の薦めでヘルメットの遮光バイザーを降ろしていた美神だったが、突如起こった閃光とそれに続く大爆発によって出現した巨大火球に、思わず腕で顔を覆ってしまう。
ミサイルが突然、自爆したのだ。
文字通りミサイルに密着していたベルゼブルは、その巨大な火球に飲み込まれ、荒れ狂う数千度の焔によって絶叫を上げながら跡形もなく消し飛ばされていく。
霊力などというものとは無縁の、文字通り単純な物理的エネルギーである核爆発だが、そのエネルギー量が膨大なため中級の下レベルの魔族や神族には効果がある。
わかりやすい例としては、平行未来でメドーサが大気圏突入の摩擦熱に耐えられず滅びてしまったが、あれは別に霊力が関与したわけではない。
滅びた理由は単純で、高熱にメドーサが耐えられなかったのだ。
ましてや今回のベルゼブルは、核爆弾の直撃を受けたと同様だ。
いかに中級魔族であるベルゼブルの霊波シールドであっても、第2の太陽とまで言われた強大なエネルギーを防ぎきる事など不可能。
こうして呆気なくベルゼブルは月周回軌道上に果てたのだった……。
「……成る程。私が装備した核ミサイルに、遠隔操作でコントロールできる自爆機能を付け加えておいたのね……」
「そう言う事です。それにやっぱり、自爆装置とドリルは漢の浪漫ですからね」
「ドクター・カオスも・自爆装置は・科学者の浪漫・と言っていました」
「はあ―――っ! 横島君やカオスと闘う敵に同情するわ……」
何だか美神にそんな事を言われて納得ができなかった横島だが、喋りながらも心眼を使って周囲をくまなくスキャンしていた。
何も残っていない事を確認した横島は、取り敢えず月にいる魔族の内の1鬼を殆ど無傷で葬り去った事に安堵する。
これで対メドーサ戦を、より有利に運ぶ事ができるだろう。
「さて、敵の迎撃の第一波を退けたか。次は敵前上陸を行わなけりゃいけませんね」
「ええ、残る敵はメドーサのみ。体勢を立て直す前に一気に攻めましょう」
「そうですね。マリア、月着陸船の分離準備」
「了解です・横島さん」
殆どの操作はマリアがやってくれるため、横島達は切り離された後の事だけを考えればよい。
横島はおそらく最後のものとなるでろう、メドーサとの闘いに思いを寄せていた。
『ヨコシマ……。メドーサの事を考えているの?』
『ああ、でも別に躊躇っているワケじゃないぞ。もうメドーサの事は倒すって決めてるからな』
『じゃあ、何を悩んでいるの?』
いつになく真剣に考え込んでいる様子の横島に、再度ルシオラの意識が尋ねる。
横島は自分が考えていた事を語り始めた。
『平行未来ではあの時、滅びる寸前だったメドーサが俺の霊体に寄生する形で、僅かに残った霊基構造から復活を果たしただろ?』
『そういえばそうだったみたいね』
『はい、確かにメドーサはそうして復活しました』
横島の言葉に、ルシオラは魂を融合させた際に垣間見た横島の記憶を思いだし、小竜姫は電波妨害が止んだ直後に通信スクリーンで見たシーンを思いだして頷く。
『いや……平行未来でさ、ルシオラが俺の霊基構造を補填する時に、メドーサみたいにする事ってできなかったのかな、って思ったんだ。つまり、1回俺の不足した霊体をルシオラの霊基構造で補ったわけだろ。その時メドーサがやった方法を少し変えてさ、時間をかけて俺の霊体が安定したら、今度は逆に俺の霊気構造を使ってルシオラが復活するっていう方法はなかったのかな、と……』
『………………』
『……ル、ルシオラ…?』
横島の説明を聞いても何も答えないルシオラの意識に対し、少し慌てたような口調で彼女の名前を呼ぶ横島。
だがルシオラはしばし考え込んでいたが、パッと顔を上げてウンウンと頷きながら口を開いた。
『……す、凄いじゃない、ヨコシマ! 確かにそういう方法があったかもしれないわね』
『まさか……ルシオラにもメドーサと同じような事ができたのか?』
『……わからないけど……でも……あの時試してみる価値はあったと思うわ』
『……そうですね。忠夫さんの言うとおり、可能だったかも知れませんね』
今更検証のしようもないが、あの時思い切ってルシオラの霊体を全部横島の霊体と融合させ、その後メドーサと同じように復活するという方法の成功確率は、決して低いものではなさそうに思えた。
そうだとすると、常日頃の冷静なルシオラにしては少しお粗末だったかもしれないな、と思う。
おそらくあの時は、このままでは横島が死んでしまうと言う焦りから、そこまで考えて検証している余裕がなかったのだろうが……。
自分でも試してみれば良かったな、と思ったルシオラの意識であったが、こうして思い返すとあの時の自分はかなり狼狽していたし、いつもと違って視野も狭窄していたのだとつくづく思い知らされた。
それを理解してしまったために落ち込みかけたルシオラだったが、横島に心配をかけまいと不自然に明るい口調で話題転換を図った。
『で、でも……あの時は動転していたから……。それに、結局無事に私も復活したんだから、結果良ければ全て良し、よ!』
『ルシオラさんの言うとおりです。それにあの場面で本当にメドーサと同じ事ができたかどうかは、簡単には言えないですよ。メドーサは元龍神ですから、いくら魔力レベルが違うとはいえ(人界で使用できる魔力はルシオラの方が圧倒的に大きかった)、妖蛍が起源のルシオラさんとは持っている能力も異なるでしょうしね』
『そうそう、小竜姫さんの言うとおり! 私だってやってみないと分からないわ。でも今度検証してみよっと』
そんな二人の言葉に大きく頷く横島だった。
可能性としては充分考えられるのだが、実際にあの時、神魔最高指導者の計らいがあったとはいえ、こうしてルシオラは無事復活し、自分の元へと戻って来たのだから。
ルシオラの言うように、結果良ければ全て良しなのである。
『気にしないでくれ。ちょっと考えてみただけなんだ。それより、いよいよ月着陸だ。気持ちを切り換えよう』
『そうね、それがいいわ』
『はい』
珍しく二人の意識は、はっきり横島の意識とコンタクトを取れる状態のまま、闘いへと臨むのだった。
「……むっ!?」
メドーサはいきなり動きを止め、フッと空を見上げた。
つい今しがた、ベルゼブルの魔力が消え去るのを感じたのだ。
「やられたか……! あれ程人間だからと侮るな、と言ったのに……。クズめ…!! いや、横島の事だ。ベルゼブルの予想を超えた事をしたのかもね……」
メドーサは即座に考えを修正した。
あの横島であれば……自分をあそこまで追い込み、一度は滅ぼした横島であれば、ベルゼブルを倒す事など不思議でも何でもない。
何しろこれまで3度闘った事のある自分でさえ、未だにあの男の実力は底が見えないのだ。
「ヒドラ! 暫く私がここを離れても大丈夫か?」
「グ……グルルルル……」
「アンテナ形態が完成するまでは、後どのくらいかかる?」
「グ…ヴヴヴ!」
「よし、それまでに戻る。『月』の連中がもしまた来たら、自分で蹴散らしておいてくれ! 私は軌道上に―――!! さすがは横島、対応が早いじゃないか」
禍々しく、いかにも生物的でありながらどこか機械じみた外観の、上から俯瞰すると月の大地に根を張ったアンテナ状の構造物に見えるヒドラ、と呼ばれた存在と会話をしていたメドーサ(傍目ではコミュニケーションが取れているようには聞こえないが)は、何かが接近してくる気配を感じて言葉を区切る。
自分から衛星軌道上に赴いて闘うつもりだったが、どうやら相手の行動が素早かったため、敵の着陸を許してしまったようだ。
上から感じられる、着陸のための逆噴射の光を認め(音は聞こえない)、忌々しそうに呟くと嫌がらせぐらいにはなるだろうと左手を上げた。
「歓迎の意を込めて、特大の魔力砲で出迎えてやろうか。食らえ!」
ドンッ!
正に着陸しようと降下してくる月着陸船目掛けて、1万マイトを超える出力の魔力砲を左掌から放つ。
これで連中の宇宙船に損傷を与える事ができれば、少しは自分が有利になるかもしれない。
あの横島はどうかわからないが、普通の人間ならば月面で長くは生きられないのだから……。
だが、その試みは即座にうち破られた。
バシュウゥゥゥ!
音ではなく魔力という純粋なエネルギーが引き裂かれ、自分の身体の脇を流れていくのを感じる。
この月面では、大気がないため空気の振動である音はそもそも存在しない。
だが、霊力や魔力というエネルギーを感じる事なら、霊能者ならば可能なのだ。
「盛大な出迎えありがとう。礼を言うよメドーサ」
飛竜を両手で構えた、宇宙服姿の横島が空中に静止し、メドーサの放った魔力砲を斬り裂いたのだ。
その身体からは、再調整を受けたものの魔力に満ち満ちた月という環境下で、殆ど全力を出せるようになったメドーサと同じぐらいの霊力が感じられる。
「大したモンだね。それがアンタの掛け値なしの実力ってわけか……。殆ど中級魔族の上位レベルだね。本当に人間なのかい?」
「ああ、少なくとも俺は神族や魔族じゃねーよ。かといって、人間かと訊かれれば人間だと答えたいけどな」
横島と会話(通信機を介してではなく、霊能力を使っての)を交わしているうちに、美神の乗った月着陸船は無事に月面に着陸を果たし、ハッチが開いて魔族のライフルを手に持った美神が出てきた。
「美神…! お前も来たのか?」
「メドーサ! あんたに言いたくてたまらなかった台詞があるのよ! 極楽へ――逝かせてやるわっ!!」
チカッ!
その言葉と共に魔族のライフルを構え、躊躇することなく引き金を引く。
一見コギャルにしか見えないメドーサだが、魔族を相手にする場合外観は当てにならないのだ。
プロである美神にとって、目の前の小娘風メドーサは早急に倒すべき敵に過ぎない。
シュッ!
ドッ!
「極楽か……! ゾッとしないね!」
美神がライフルを構え引き金を引こうとした時、既にメドーサは精神を集中して超加速へと入る準備を終えていた。
美神の目には、ライフル弾が当たる直前にメドーサの姿が消えたようにしか見えなかった。
しかし、超加速に入ってしまったメドーサから見れば、自分が避けた弾などあまりにも遅く当たる筈などない。
ビュンッ!!
「今度こそ決着をつけようぜ、メドーサ。月にお前の墓標を立ててやるよ」
「フンッ! それはアタシの台詞さね」
キ――――ンッ!
ギュ―――ンッ!!
無音の世界に飛び散る岩塊や砂塵、さらには閃光が湧き上がる。
音がないため、それぞれが一瞬の幻のように見えるが、それはまさに霊力と魔力がぶつかり合った結果だった。
それぞれ超加速状態になった二人は、互いをしっかりと視界に捉えながら高速で移動し、霊波砲を撃ち合っていた。
中距離レンジに距離を取り、同じ方向に走りながら霊波砲を撃ち合う姿は、まるでどこかの漫画の加速装置を使ってレイガンを撃ち合う姿にそっくりである。
少なくとも、少し遅れて超加速に入った美神には、アニメの1シーンを見ているようだった。
無論、かなり本気でハイパー・モードに入っている横島と、ほぼ自分の総魔力の75%を攻撃や防御に使用できるメドーサに比べ、霊力で劣る美神は二人より加速スピードが遅い。
二人の戦闘は、彼女にとってまるで数倍速でビデオを見ているような、どこか現実感に欠けるものに見えた。
故に、彼女は手出しをできないのが現状なのだ。
加速状態では、魔族のライフルなど使い物にならないのだから……。
「さすがだなメドーサ。俺の超加速に付いて来るとはな……」
「フン、アンタも人間のくせにここまでやるとはね……」
横島はメドーサにすらわからないほど微妙に、加速スピードを変化させて直線的な動きにもかかわらず、全ての攻撃を躱していく。
一方メドーサは、加速スピードこそ一定だが体捌きをフルに使って、横島の放つ霊波砲を躱していく。
技法としてはメドーサの方が高度に見えるが、横島の技も真似出来る者などそうはいない高度なもの。
したがって、メドーサはなぜ横島が何もしない(ように見えるだけだが)のに、自分の攻撃をことごとく躱す事ができるのか理解できなかった。
無論、メドーサは極端な例として最初に倒された際に同じテクニックを体験していたのだが、魔力砲着弾による爆煙や彼我の距離等によって、意識的に横島が加速スピードを小刻みに変化させている事に気が付けないでいるのだ。
『……ちッ! 横島め、どんな手品を使っているっていうんだ?』
既にかなりの時間、超加速を維持しているメドーサである。
しかも、攻撃回避のためにかなりの神経と労力を使っているため、そろそろ精神集中が限界に近付いているのだ。
二人の動きを上から俯瞰すると、最初に横島達が着陸した地点より一度離れたものの、大きな楕円を描くように再び最初の地点へと戻るような軌跡を描いている事に気が付くだろう。
『そろそろ限界か。だが……そろそろだね』
『メドーサめ……。この闘い方では決着はつかない事を分かっているはず。何を企む……?』
お互い、闘いの手を止めずに走ってはいるが、心の中では1人は限界を堪えつつもほくそ笑み、1人は未だ余裕があるものの訝しんでいた。
その時、超加速状態での中距離からの撃ち合いを繰り返していたメドーサが、いきなり異なる動きを見せた。
唐突にベクトルを90度変化させ、横に飛んだのだ。
「メドーサめ、一体何を? ……はっ!? いかん!」
その姿を見て一瞬眉をひそめる横島だったが、その瞬間何かが閃き慌ててメドーサとは反対側へと大きく跳躍した。
それは、見事な危機察知能力と言って良かった。
まさに横島が進もうとしていたすぐ先には、メドーサが設けた捕縛魔法陣が隠されていたのだから……。
「なっ…!? どうして気が付いたんだい!?」
横島の動きを捕縛結界を使って止めようとしたメドーサは、罠を見破って飛び退き一連の苦労を瓦解させてくれた横島を驚愕の表情で見詰める。
せっかく苦労しながら、超加速を長時間使用して誘き出したというのに。
普通であれば、こんな単純な策に横島が引っ掛かる事はない。
だが今回は待ち受ける立場にあったため、メドーサはかなり巧妙に魔法陣の存在を擬装し、まず気が付かれる事などないと考えていたのだ。
しかも、超加速中に同じ時間の流れにいる敵と戦っている最中は、その他の停まっているような存在など細かく認識し難いはずなのだ。
それなのに、横島は驚くべき反応速度で罠へと踏み込む事を回避して見せた。
メドーサが驚くのも無理はなかった。
バシュッ!
ドガアアァァァァアン!!
罠の存在を直感として察知した横島は、跳躍しながら心眼を使って周囲の精密スキャンを行う。
そして巧妙に隠された捕縛魔法陣を見つけるや、律儀にも集束霊波砲を放ちこれを破壊した。
結界に込められていた魔力と、横島の霊力が反発しあい強烈なエネルギー流が迸る。
「危なかったぜ。あれで俺の動きを封じて倒すつもりだったわけか。時間もあったろうから、こーゆー罠を色々仕掛けたんだろう?」
「フンッ……、何でアレに気が付いたんだい……? そうそう簡単に気が付けるシロモノじゃないはずなんだけどね」
「そうだろうな。殆ど直感だったし」
着地し、お互いが少し距離を取って対峙しながら会話する二人。
無論、かなり長時間連続して使った超加速は、一端解除している。
メドーサとしては、ここで少しでも体力の回復を図りたいところだった。
一方横島としても、メドーサが他にも色々な罠を仕掛けている可能性があるため、迂闊に動き回れないこと気が付いた。
いや、あるいは仕掛けは先程の捕縛魔法陣だけかもしれない。
しかし、これで横島はメドーサだけに意識を集中するわけにはいかなくなったのだ。
『ちッ! 厄介な事になったな……』
『そうですね……。でもメドーサは本来、こうやって周到に準備をするタイプですから』
『仕方がないわ。私と小竜姫さんが周囲の警戒を分担するから、ヨコシマはメドーサに集中して』
『すまない。頼むぞ、ルシオラ、小竜姫』
頭の中で素早く会話して、この後の対処法を確認し合う3人。
さすがのメドーサも、横島が3人の意識を持っているとはわからない。
ダッ!
双方が大地を蹴って自らの武器を煌めかせる。
横島は上段から、メドーサはそのまま突き出し、ぶつかり合いと同時に飛び散るエネルギー。
パシッ! チカッ!
先程までとは異なり、これまで数度繰り返された飛竜と二股矛による斬撃の応酬は、ようやく現場に到着した美神にとってもお馴染みのものだった。
彼女はバカ正直に横島とメドーサの後を追いかけてきたのではない。
超加速に入った美神は即座に遙かな高空まで上昇し、二人が戦いながらどのように移動しているかを冷静に観察したのだ。
そして、結局段々と元の場所へと戻って来ている事を確認し、大体の位置を予測して低空飛行で先回りし迎え撃とうと考えた。
尤も、その意図は横島達が超加速を解いたために外され、こうして出張ってきたのだが……。
「やれやれ、相変わらず余人には真似できないような神速の応酬ね。でもメドーサの奴、私に気が付いていないみたい」
おそらく自分の事など眼中にないだろうメドーサに、その事を必ず後悔させてやると思って身を屈め適当な場所を探す。
超加速を使わない展開であれば、ライフルを使う事ができるため自分でも援護する事ができる。
そう考えて、素早く岩陰に身を隠し、ライフルを構えてメドーサへと狙いを付けた。
『忠夫さん、砂地の中に魔竜が……』
『わかった』
斬り結びながらいつの間にか砂地へと移動していた横島に、小竜姫の意識が警告を発する。
飛竜を横薙ぎに振るいメドーサを後退させた横島は、すかさずその身を空中へと躍らせ真下に霊波砲を放った。
ドガアァァァアッ!
砂の中から躍り出た5匹程のビッグイーターが、爆発によって瞬時に吹き飛ばされ消滅していく。
これがメドーサの仕掛けた第2のトラップだった。
しかし、メドーサはさらに巧妙に第3のトラップを仕掛けていた。
『……おかしい。何か違和感があるわ……』
『私もです。ビッグイーターを倒してやっと微かに感じられるこれは……?』
メドーサの仕掛けたビッグイーターを全て滅殺し、飛竜を構え油断無く着地した横島の頭の中で、ルシオラと小竜姫の意志が何かを察知したようで首を捻っていた。
『二人とも……何かまだ罠があるのか?』
横島が二人に呼びかけた時、相対していたメドーサの唇の端がニヤリと釣り上がる。
「さすがだね。だが、遂にアタシの仕掛けた罠にかかったね」
そう言いながらスッと左手を前に出し、パチリと指を鳴らす。
バキバキッ! ズズンッ!!
メドーサの動きに合わせ、横島を取り囲むように高さ20m程のモノリスが4基、月の荒涼たる大地を突き破って横島を取り囲むように姿を現した。
そこに刻まれた数字は……20だった。
BACK/INDEX/NEXT