フェダーイン・横島

作:NK

第61話




「『ホレる』って何?」

 予想外の切り返しにずっこけながら、高島は異種とのコミュニケーションの難しさを実感していた。



『どーいう事だ? 魔物にはこーゆー概念が無いのか?』

 高島の眼には、どうにもメフィストという魔族がちぐはぐに見えた。
 肉体は十分大人なのに、知識というか精神がまだまだ未成熟のようにも思える。
 無論、メフィスト達魔物には人間が持つ『惚れる』という事に該当する感情が無いだけかもしれないが……。

「私を抱きたいのならいつでも構わないけど…?」

「マ…マジ!? そんじゃ今すぐ―――!!」

 しかしそんなシリアスな思考は、メフィストの本当に何でもない事を言うかのような一言で吹き飛んでしまう。
 もうほとんど脊髄反射のように、いきなり目を血走らせ衣服の上半身を脱ぎかける高島。
 だが次の瞬間、ハッとしてその手を止める。
 目の前には目を瞑り、すでに私をどうしてもOKよ、という態度のメフィストが立っている。

『おおぉぉぉ…………! 駄目だ! 今、ここで手を出したら…俺はなし崩しに終わってしまうぅ〜!』

 なけなしの理性を動員して、飛びかかり抱き締めようとする自分の身体を必死に抑える。
 そうだ、究極の目的のためには我慢が必要な時もあるのだ!!
 目を瞑っているメフィストには見えないので、高島は身をよじりながら己の中に湧き上がる葛藤を克服し、何とか本能の衝動を沈静化させることに成功した。
 この時メフィストがさらに誘惑的な行為を行っていれば、すでに勝敗は決していただろう。

「あ…あのなぁ……肉体だけじゃ困るんだよなっ! 愛だよ愛!! わかる!? 愛がなけりゃ、お前が言った事は単に快楽を求め合うだけの行為に過ぎない。俺が望んでいるのはもっと深い段階での事なんだよ!!」

 実際はそんな大層な事は考えていないのだが、こう言う時には頭も口も良く廻る高島である。
 今重要な事は、自分の願いはメフィストが心の底から自分を愛するようになり、尽くしたいと思うようになることだと理解させる事だと考えていた。
 そのためには、口先で何を言おうが問題ない。
 何しろどんな願いでも構わないと言ったのはメフィストであり、自分はその願いを言っただけだ。

「ホレるというのは発情すると言う事でしょ? 愛って何? どーいう関係があるの!?」

 しかしメフィストは高島が想定しなかった反応を見せた。
 その怪訝そうな表情は惚けているようには見えない。
 心底、横島が言った愛という単語の意味を理解できていないようだ。

「どういう関係って……そうだなぁ……上手く言えないけど、お前が身も心も俺と一つになりたい、って心の底から願うようになることだ。鬼や魔物でも愛情ぐらいあるだろう!? お前は違うのか!?」

 意表をつかれた高島は珍しく素のままの反応を見せ、普段は言わないような台詞を素直に口にしていた。

「私は―――!」

 こちらも高島に素直に自分の事を話そうと口を開いたメフィストだったが、近付いてくる追っ手の気配を感じ取り表情を真剣なモノへと変える。

「話は後よ! おかしいわね……。私を追ってこれる人間が……!?」

 寺の門の方へ向き直りながら、メフィストは相手の気配を読んで数を探ろうと試みた。
 正面に人間らしい気が二つ、神族らしき気が一つ。

「それがいるのよね! 何しろこっちにはヒャクメが―――!!」

 いつものボディコンスタイルで手に神通棍を持った美神が、ザッと木の影から飛び出す。
 だがその彼女は言葉を続ける事は出来なかった。
 なぜなら目の前に立っている女魔族の顔は、間近で見れば見るほど本当に自分とそっくりだったから……。
 何とかねじ伏せていた不安と恐怖が再び湧き上がる。
 耳がエルフのように長く尖っている事を除けば、まるで鏡を見ているようだ。

「な……なに!? やっぱり…こいつ……!? そうなの……!?」

 そう呟いて口を大きく開け、呆然と佇む美神。
 メフィストも同じように、唖然とした表情で立ち尽くしている。

「メフィストがもう一人!?」

 動かなくなった二人を見ながら高島も驚きに目を見張る。

「ヒャクメ殿……、これは一体どういう…?」

「ヒャクメ……やはり……」

「ええ……! 間違いありません! あのメフィストという魔族…! 美神さんの前世です!」

 高島をすぐにでも捕らえたい西郷だったが、横島に約束していたので大人しく傍観者となっていた。
 気配を断ってメフィストにさえ接近を感知されていなかった横島は、ヒャクメと予め打ち合わせていた会話をしてみせる。
 美神や西郷に状況と真実を説明するために……。

「そんな……。私が……魔族…!?」

 横島とヒャクメの会話をしっかりと聞いていた美神は、あまりの事実にそれを素直に受け入れる事を拒否しようとするが、その優秀な頭脳と霊能者としての感覚がそれを許さなかった。

「横島殿……あの魔族を退治するのか?」

「いや……事は複雑です。取り敢えず美神さんに任せましょう。美神さんが本気を出せば、あのメフィストという魔族に後れを取る事はない」

「ええ、メフィストの人界での魔力は400マイトぐらいです。美神さんがチャクラを全開にすれば互角以上に戦えるのねー」

 西郷の質問に答えながら、横島はヒャクメにチラリと視線を向けた。
 聞きたい事を察したヒャクメはそれに応じて、彼我の実力を解説する。

「何者なのこの女は!? どうして私に似ているの…!?」

「そんなはず―― そんな筈…ないわっ……!!」

 ヒャクメの決定的とも言える一言で、戒めが解けたかのように動き出す美神とメフィスト。
 メフィストは自分の中に湧き上がった苛々を消すために、そして自分の任務を妨害する者を排除するために。
 美神は認めたくない、あり得ない事だと逃げようとする自分を鼓舞するために、そして真実を知るために。

 美神は第3チャクラまで開放し、自分の霊力を限界まで練り上げ増幅させる。
 斉天大聖による修業を経ても第3チャクラを完全に制御できるようにはならなかった美神だが、それでも自分が制御できるチャクラを全開にすれば270マイトを少し超えるだけの霊力まで上げる事が出来る。
 それは人界に限って言えば、9,000マイトの魔力を持つ魔族(人界では450マイト、攻撃・防御魔力は225〜270マイト)と霊力的には互角に戦える事を意味した。
 正にメフィストと互角の力を持っている。
 だがメフィストはそんな事は知らなかった。

「一ッ!」

 跳躍と共に神通鞭を伸ばし、集束された霊力の鞭は曲線的な動きで横からメフィストに襲いかかる。
 神通棍は元々、普通の霊能力者が霊力を効率よく集束し武器と出来るように、霊力伝導度を高める素材と呪文加工がされている。
 だがその素材の耐久性は脆く、使い捨てのような形になってしまう。
 一流の霊能力者でなくとも自己の霊力の40%ぐらいなら、握り込むだけで集束できるのだ。
 これは退魔札などのお札類の方がより顕著だろう。

 美神は念法を使えるようになったため、神通棍が横島の飛竜の役目を果たすようになったのだ。
 無論、飛竜ほど高出力に霊力を溜める事は出来ないが……。

「クッ! 何、この出力は!? 本当にコイツ人間!?」

 美神の神通鞭の一撃を見切り、魔力を集めた掌でガードするメフィスト。
 信じられない事に、目の前の女(人間)の一撃は200マイト程の霊力が込められており、ほぼフル出力でピンポイントに魔力を集束させて楯を作らなければ防げなかった。

「二ッ!」

 美神は自分の初撃がガードされた事に何らの動揺も感じなかった。
 むしろ魔族相手なら当然の事だから。
 冷静に相手を観察していた美神は、今の防ぎ方を見た限りでは何とかできるレベルの相手だと判断した。
 流れるような自然な動作で、空いている左手に持った精霊石を放り投げる。

 カッ!! 

 メフィストは精霊石が発した閃光を迂闊にも直視してしまった。
 魔族といえど、いきなり強い光で眼を焼かれれば一時的に視界を失う。

「…し、しまった!?」

 無理矢理網膜の光量調節を行って取り戻した視界には…………。
 封魔札を右手に持ったあの女が腕を伸ばし、正に自分に突きつけようとする寸前だった。

『か、躱せない!?』

 何とも間抜けで呆気ない最後だな、となぜか自嘲する自分を感じる。
 生まれてからまだ10日余り……。
 最初の仕事で人間にやられるのだ。
 自分自身を情けなく思うメフィストだった。

「急急如律令! 霊符の力を散らしめよっ!!」

 いきなりの事態に傍観を決め込むしかなかった高島だったが、メフィストがやられそうになると持ち前の優しさから見捨てるわけにもいかず、陰陽術を発動させる。
 それは美神が手に持つ封魔札に込められた霊力と術を解除し四散させる術。

「なっ…………!?」

 突然自分の攻撃を無力化させる術を放った高島に眼をやる美神。
 明らかに横島の前世であるあの男は、目の前の魔族を庇ったのだ。

 ブシュッ! シュオオオ――! ボンッ!!

 強制的に放射された霊力に耐えきれず、美神が持った封魔札が破裂し小さな爆発を起こす。

「しまった!!」

 慌てて飛び退き、腕を上げて閃光と爆風から顔を護る美神。

「逃げるぞ! 飛べるか!?」

「え……ええ! 何とか―――!」

 封印はされなかったものの、放出された霊力の余波を食らってダメージを受けたメフィストを抱き起こす高島。
 性格はともかく、その陰陽術の実力は侮る事の出来ない男だった。

「逃がさんぞ高島!!」

 横島との約束があるためこれまで黙って経緯を見ていた西郷が、持っていた弓矢を構え放とうとする。

 ひゅっ!!

 だが今度はメフィストが指を唇に当てながら息を吹く。
 虎落笛(もがりぶえ)と共に放たれた息は、まるで引火性ガスに着火したかのように火炎となり、一気に膨れ上がって西郷を襲う。

 カッ!!
 パシュウゥゥゥ!

「伏せろ、みんな!!」

 それまで黙って戦いを見守っていた横島が『冷』の文字を込めた単文珠を炎に向かって放り投げ、発動した冷気は炎とぶつかり相殺していく。

「炎を一瞬で消した…!? なんて連中だ…!!」

 辛うじて被害を免れた西郷は、先程美神が見せた攻撃力同様、横島が垣間見せた能力の凄さに驚愕する。
 さすがに神族とタメ口をきくだけの事はある、と妙にズレた感心もしてはいたが……。

「ありがとう横島君! はっ!? あの魔族は?」

 炎を防いでくれた横島に礼を言った美神は、目標だった魔族の事を思いだしその姿を探す。

「! し、しまった……!」

 だがその眼に悔しさが宿る。
 メフィストは高島を掴んで飛翔すると、瞬間移動でその姿を消してしまったのだ。

「駄目ですね……。転移する寸前、ジャミングをしてくれたようだ。なかなか抜け目無い……」

 振り返られた横島は首を振り転移先が掴めない事を告げる。

「横島さんの言うとおりですねー。少し待たないと霊視は無理です」

 ヒャクメも同意したが、本当は大体の位置を掴んでいる。
 だがこれからのために、ある程度こちらの思惑通りに動いて貰わなければならない。
 美神を騙すような形にはなるが、これもやむを得ない事だと割り切っている二人だった。

 二人からそう告げられた美神は残念そうな表情を一瞬見せた後、いきなり俯いて黙り込んでしまった。
 その姿に、おそらく自分の前世が魔族であった事を受け入れかねているのだろうと察して、黙って見守っている横島とヒャクメ。
 西郷の方は高島を取り逃がした事を忌々しそうに呟いていたが、何やら重苦しい場の雰囲気に飲まれ、やはり黙って見守るしかなかった。

 キッ!

 10分ほど時折身体を震わせて、黙って自分の感情と戦っていた美神は顔を上げ、鋭い目つきで横島とヒャクメを睨み付ける。

「……なんでよ!」

「………………」

 呻くように絞り出された美神の言葉に応える事が出来ない二人+一人。
 察しは付くが何を指しているかがわからないから……。

「あれが……魔族が…………私だって言うの!? 私の前世は………私や母さんが戦ってきた魔族だったって言うの…………」

 横島に詰め寄り、グッとその胸元を掴み上げて自らの思いを吐き出す。
 だがその言葉はドンドン弱くなっていき…………最後はすすり泣きの声に埋もれて聞き取れない。
 横島は黙って美神を抱き寄せ、泣き止むまで優しく抱き締めていた。
 5分ほどで立ち直った美神は、少しだけ照れくさそうな表情を見せると横島から離れる。

「美神さん、気持ちはわかるけど落ち着いて! 人生と前世には何の関係もないのよ。今大事なのは、貴女が魔族に追われる理由の調査でしょ」

「正直、俺は美神さんの気持ちも苦しみも全部を理解する事は出来ない。俺は美神さんではないから……。だが、子供が親を選べないように、人は自分の前世を選ぶ事はできない。例え前世が何であれ、どうだったにせよ、今生きている俺は俺であってあの高島ではない。俺は俺の意志で自分の人生を生きていく。美神さんだって同じでしょう?」

 ヒャクメは一見冷徹に、横島は自らの意志を込めた力強い言葉で未だ複雑な表情の美神に言葉を掛ける。
 それは現実を受け入れた上で自分自身を肯定させるため。
 その言葉で少しだけ落ち着く美神。
 だが、未だ割り切る事も断ち切る事もできていないのは明白だった。

「君達……。一体何者なんだ? とっさの状況判断で信用したのだが、私にはわからない事だらけだ。場合によっては力になるよ」

「貴方ならそう言ってくれると思ったわ……! ありがとう西条さん!」

「西条!? 私は西郷だが……」

 良いところで西郷が話しに入ってくれた、と内心ホッとしている横島。
 ヒャクメも同様だ。

『いいタイミング! さすがに西条さんの前世だけあるわね』

『ああ、おかげで助かったよ……』

『美神さんは西条さんの事を兄としても、異性としても信頼していますからね』

『そうだな。まあ、俺としても西条さんには頑張って欲しいから応援しているんだが……』

 前世は今の人生とは違うのだ、とわかっていても自分、美神、西条の前世が同じ時代、同じ時に集っている事に奇妙な因縁を感じてしまう。
 これも宇宙意志とやらが関与しているのだろうか?
 自分達の力で精一杯生きている人間を、時に弄ぶかのような宇宙意志に対し、横島はあまり良い思いを持っていない。
 アシュタロスとの戦いの際には自分達に有利に働きはしたが、どこか掌の上で良いように動かされているように思えてならないのだ。

『さて……いよいよ菅原道真の怨霊が登場するな……。平行未来の時のように頸動脈を掻き斬られてヒャクメに乗り移られるのは御免だよなぁ……』

『今回は大丈夫よ♪ 横島の方がずっと強いんですもの』

『道真公のダークサイドは大体5,000マイト程の霊力というか魔力を持っていたようです。私の霊基構造とだけ共鳴しても、今の忠夫さんなら6,000マイト近くまで霊力を練り上げ増幅することができます。後れを取る事はないですよ』

『問題はアシュ様ね。この時代だと冥界チャネルを妨害する必要がないから、人界でも1千万マイトの魔力を使えるわ。攻撃や防御に使えるパワーが半分だとしても5百万マイト。どうやって6,000マイトの霊力で出し抜くかね』

『私の準備が終わるまで、アシュタロスを足止めしてくれればいいんですけどねー』

 美神と西郷が話しているのを見ながら、頭の中でルシオラ、小竜姫の霊基構造コピーの意志と会話をしていた横島にヒャクメが話しかけてくる。
 この辺は流石と言って良い。

『ああ、その通りなんだがそれをどうやってやるか、で悩んでるんだよ』

『アシュタロスは圧倒的ですからねー。元々学者肌で戦士系じゃないのが幸いなのねー』

 ヒャクメの言うとおりである。
 アシュタロスは逆天号、コスモプロセッサ、究極の魔体などの創作物を見ればわかるように、元々学者タイプで戦士ではない。
 魔力が桁外れに大きいから大抵の者が勝てないのだが、戦い方に関しては自分の巨大なパワーに振り回される素人に過ぎない。
 まあ、そうでなければ横島とて瞬殺されてしまうだろう……。

「それで……俺達はこの平安京の都で行くところがない。暫くの間、西郷さんの屋敷で世話になっても構わないか?」

 美神と西郷の会話が一段落したところを見計らって、横島は西郷に居候を申し出る。

「ああ、その程度なら構わないよ。今夜はこれ以上どうにも出来ない。私の屋敷に戻るとしよう」

「案内を宜しく。歩い帰るのも何なんで空から行きますから」

 これより少し後、廃寺の境内から4人の姿が空高くへと舞い上がった。






 都から数里離れた里山の中腹。
 何とかヒャクメの追跡を振り切った(と思っている)高島とメフィストが着の身着のままで露営していた。
 木にもたれ掛かり座り込んでいるメフィストの額には、顔全体を隠すようにお札が張られていた。
 先程の美神との戦いで、高島が散らした霊符の余剰エネルギーを受けて傷ついた身体を休めているのだ。

「具合はどうだ? あいにく俺は魔物を封じる術は教わったが、助ける方は素人でな」

「いや……作ってくれたお札、随分傷の痛みがましになったわ」

 火をおこすための薪を集めてきた高島がグッタリしているように見えるメフィストに声を掛けると、メフィストは指でお札を捲り上げ感謝の意を表情に浮かべながら答えた。
 しかしすぐに落ち込んだような表情に戻って言葉を続ける。

「……ったく…! 初仕事で客に助けられるなんて……いい恥っさらしだわ!」

 そう言い終わると既に効果が切れたお札を取り去る。
 だがその言葉を聞いた高島は怪訝そうな表情を浮かべた。―――――― 初仕事?

「初仕事だと!? だってお前、前にも誰かの願いを叶えたみたいな事を……」

「嘘に決まってるじゃない。だって私は10日程前に生まれたんだもの」

 高島の疑問にあっさりと正解を教えるメフィスト。
 今回の事で高島を相当信用したのだろう。

「10日……その割には随分育ってるな……」

「正確には『作られた』のよ。上級の悪魔には下級悪魔を作れる奴がいるの」

 どう見てもそのプロポーションから生後10日だと言う事を信じられない高島に、自分が上級悪魔の創造物であることを明かす。

『なんと! 上級悪魔ていうのは、こんないいネーちゃんを自由に創る事が出来るのか!? なんて羨ましい!』

 真面目そうな顔をして話を聞いている高島だが、内心で考えているのはしょーもない事だった。

「あんたの最初の願いさあ……ワケわかんないからパスしようと思ったけど……借りが出来たからちゃんと叶えなきゃね」

 大丈夫なような事を言っていたが、まだ傷が痛むのか木により掛かって座ったままで話すメフィスト。

「その…『ホレる』っての具体的にどーいう事か教えてくれる? 『愛』ってなに? 魔族の私でもできるのか?」

「そりゃー…………」

 真剣な表情で尋ねてくるメフィストに、こちらも真剣に答えようと口を開き掛けたが後を続ける事は出来なかった。
 目に涙が溢れ、グスグスと泣き始める高島。

「なぜ泣く?」

「いや…そーいや俺、愛した事も愛された事もないな、と思って…………」

 いきなり答えの途中で泣き始めた高島に怪訝な表情を見せるメフィストと、これまでの人生を振り返り自分が愛とは無縁の人間だった事を理解してしまった高島。
 なんとなく漫才のような、ほのぼのとした空間を作りだしていた……。



 平安京の正門である羅生門(羅城門)の上から朱雀大路を始めとする都の街並みを見下ろす二つの影。
 強風に煽られながらも微動だにしない影の一つは、フードを目深に被り全身をマントで覆っていた。
 もう一つはこの時代の貴族が着る衣服を身に纏い、険しい双眸で都を見詰めている。

「妙よな……。メフィストの気配が突然二つに増え、一方が遠くへ消えた……。平安京は有史以来最も霊的に計算された魔都ゆえ、望みの魂も多く手にはいるかと思ったが……。そうもいかんらしい」

 珍しく怪訝そうな口調で呟くマントの人物(?)。
 独り言なのか、隣の人物(?)に聞かせようとしているのか、区別が付きにくい。

「手の者を使わず新米を送り込むのは、その方が万が一にも余の動きを知られまいと思っての事――。なのにこれはどうした事だ? 予測もできなかった事態だ。後僅かで魔王となれる故、さすがの余も焦りすぎたか……。よもや神族や他の魔族どもに嗅ぎつけられたのでは―――」

「ご心配なさいますな、アシュタロス様! …大事の前の小事。今のあなた様にはいかなる不安があってもなりませぬ。この菅原道真にお任せ下さい! 不安はじきに……跡形もなく……」

 烏帽子を被り、黒衣に身を固めた菅原道真の身体からはどす黒い瘴気が吹き出しており、とても太宰府天満宮に祀られた神としての面影はない。
 まさに怨霊と呼ぶに相応しい禍々しさを持ち合わせていた。
 しかしその基礎魔力は小竜姫などを遙かに凌いでいる。

「クックックッ……任せよう」

 未だ眼下に広がる街並みから眼を離さない道真を見ながら、アシュタロスと呼ばれたマント姿の魔族はニヤリと笑みを浮かべる。
 アシュタロス…………それは魔界の六大魔王の1鬼であり大公爵の称号を持つ者。
 メフィストを創造した生みの親でもあった。
 やがて道真は一礼するとその姿を消した。

「アシュタロス様……道真殿一人に任せるおつもりですか?」

「是非、我らにも機会を……」

 アシュタロスの後ろに影が盛り上がり、2鬼の魔族の姿に変わる。
 どうやら、アシュタロスが連れてきた部下のようだ。

「まあ待て。いざとなったらお前達の力も借りる故、余の命を待て」

 アシュタロスの言葉に再び一礼すると。2体の魔族は再びその姿を闇へ隠した。






 翌日、大内裏の一角では今正に、衆人環視の前で罪人の処刑が行われようとしていた。

「処刑しろっ!」

 検非違使の指揮官が号令を下し、引っ立てられた高島とメフィストの首に打ち下ろされる白刃。
 血飛沫と共に斬首され事切れた遺体がゴロリと倒れる。

「よし、死体を片付けろ!」

 その指示で検非違使達の横から小者が走り寄り、遺体を手際よく片付けていった。

「やれやれ……ろくでなし一人と鬼一匹……」

「これで京も少しは平和になりますな……」

 処刑に立ち会っていた貴族共が囁きあう中、同席していた西郷は緊張した表情を漸く緩めていた。



 数時間後、自身の屋敷に帰ってきた西郷は部屋で横島、美神と向かい合っていた。
 無論、ヒャクメも同席している。

「で……上手くいったのね?」

「ああ……。私の術をあなた方の霊力で増幅させましたからね。よほどの陰陽師でもあれは見破れませんよ」

「死体は回収したでしょうね」

「ええ…」

 西条はスッと台に乗せた紙の人形2枚を見せる。
 それは人型に切り抜いた紙であり、見事に首が斬られていた。
 これが高島とメフィストの代わりに処刑されたのである。

「紙の人形を変幻させた式神……。バレたら私の首が飛ぶ」

 そう、この芝居を思いついたのは横島で、協力を持ちかけられた西郷がそれに乗ったのだ。
 無論、横島は見えないところで西郷の術を補強していた。

「いや、そうなったら俺の術で全員の記憶を書き換えるさ。でも本当に大したモンだよ西郷さん。これ程見事に変幻するとはね」

 黙って西郷と美神のやり取りを聞いていた横島が、素直に西郷の実力を褒める。
 事実、現代ではこのような術を使える人間は殆どいない。

「貴方に言われるとなかなか複雑な気分だよ、横島殿。貴方も高島の来世とは思えない立派な人物だし、使う術も桁外れだからね」

「そうかな? 俺は凄いものは凄いと素直に褒めたつもりなんだが……?」

 言い方が悪かったのか、と首を傾げる横島。
 そんな西郷の気持ちが美神には理解できた。
 自分も横島に最初会った時は、凄く劣等感を持ったから……。
 横島の霊力、能力、戦闘力は本当に規格外というか桁外れに凄いから……。

「とにかく。私達の事を信じてくれてありがとう西条……いえ、西郷さん」

「いや――」

 こちらも素直に礼を言う美神に気にする事はないという返事をし、西郷は目に映る美神の姿に昨夜会った魔族の女をダブらせていた。

『あの女魔族……メフィストとか言ったな。あの女…竜巻のように飛び込んできた――。どうも私は――あれに心を奪われてしまったようだ……』

 ふと心に浮かんだ思いを押し込め、今度は横島と向き合う。

「言いにくい事だが……その、私としては高島さえ後で殺せば帳尻はあうわけなのだが……」

 そして何とも言い難い表情で、素直にこれからの事を話した。

「それは仕方がないでしょう。別に俺を殺そうとするんじゃなければOKですし……」

 横島も最初からある程度、前世と来世では同じ魂でも違う人間なのだとわかっているので、西郷を責めるような事はしない。
  
「共同作戦でいきましょう。協力して連中を追うのよ。私はあの鬼女、西郷さんは高島をね」

 美神と西郷が話しているのを横目に、横島はテレパシーでヒャクメに語りかけていた。

『ヒャクメ……メフィストと高島の位置は掴めたか?』

『勿論なのねー、今の私はこの程度じゃ騙されないのねー。蛾に変身してこの部屋の柱に留まっているのねー』

『平行未来の記憶通りか……。でも流石だなヒャクメ! 普通なら美神さんの霊波長と同じだから、近くに来られたら混じり合ってわからないんだけどな』

『フフフ……、私だって神族なんですよ。同じ失敗は二度としないのねー』

 この世界ではそんな失敗などまだしていないヒャクメだが、何となく誇らしげに自分の成長を口にする。

『さて……いよいよ怨霊というか、魔属性の道真公の登場ですね』

『ああ、俺はともかく美神さんや西郷さんを庇いながらだと苦戦するな』

『ええ、強敵には違いないわよ、ヨコシマ。それに今回もアシュ様が道真の怨霊だけを連れているとは限らないわ』

『元始風水盤の事件の事もある。ルシオラの言っている事は傾聴に値するな』

 それぞれが相手とコミュニケーションを行っている時、部屋の柱に蛾の姿で留まっていたメフィストは漸く自分が昨夜追尾された理由を悟っていた。

「やっぱり……居場所がすぐにバレるなんておかしいと思ったのよ! ヒャクメが透視してたとはね―――」

 外の様子を監視していて、自分の前世と一緒にいた神族がヒャクメだと知ったのだ。
 しかしさすがのメフィストも横島の実力を洞察できてはいない。

「ま、ここにいれば当分見つかることはないわ。魔力の回復を待って、追っ払う方法を考えましょう」

 メフィストが化けた蛾の体内にいる横島に、床から伸びたチューブのようなものの先端に上半身だけという格好のメフィストが語りかける。

「そううまくいくかな? こんな近くで……」

「心配いらないわ。ヒャクメはきっと遠くを見るのに必死で、近くは盲点になっているはず。私は虫に化けているし、あなたは私の腹の中にいるのよ」

「しかし霊気は出ているだろう。怪しい気配で―――」

「大丈夫! あの美神って女……。あいつが私の来世だって事忘れないで。同じ波長なんだもの、傍にいる限りどっちがどっちかなんて分かるわけないわ」

「……その話だけど……信じるか!?」

「……ええ……。千年後に人間に生まれ変わるなんて納得いかないけど……わかるわ。あの女が言った事は嘘じゃないと思う。自分の事ですもの、感じるの。あなたはどう?」

 比較的単純に感じ取っていたメフィストに逆に尋ねられ、高島は考えながら自分が感じている違和感をどう説明しようか、とポツポツと言葉を選んだ。

「あいつが俺の来世……。確かに俺も感じるものはある。だが……あいつは単純な俺の来世というか、普通の人間じゃないような気がするんだよな……」

「それって……どんなところが?」

「上手くは言えないんだが……何か人間のワクを超えたような存在……って言うか、もの凄い力を…隠しているような…………」

 そう言って再び考え込んでしまう高島。
 最初に会った時から、どうにも近しいものを感じてはいた。
 自分の来世だと言う事もおそらく事実だろう。
 だが……どこか得体の知れない部分を隠している事も感じ取っていた。
 この辺り、高島もなかなかの実力者だと言える。

「とにかく体勢を立て直すまではどーしよーもないわ。上司は近くにいるし、仲間もいるから心配しないで!」

「仲間!?」

 深刻な表情で考え始めた高島の気を楽にしようと、メフィストは明るい声で話題を変えた。
 とりあえずそれに乗って一旦思考を中断する高島。

「ええ! 会ったらビックリするわよ、京の都じゃ有名人ですものね」

 明るく告げるメフィストだったが、既に上司が自分を見捨てているなどとは思ってもいなかった。
 黒い影は確実にこの屋敷に近付きつつあった。



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