フェダーイン・横島
作:NK
第82話
雪之丞は追いつめられていた。
先程から自分が放ついかなる攻撃も、タイガーによって跳ね返され自分はもうボロボロなのだ。
繰り出した拳や蹴りはどういうわけかわからぬが、全て自分自身へと衝撃が跳ね返り、霊波砲も反射したかのように跳ね返される。
魔装術を展開しているから何とか立っていられるのであり、とても闘いを続ける事などできない状態だ。
無論、横島に言われた事もありチャクラは第1しか使っていないし、技の威力も相手を殺さないように手加減している。
昔の雪之丞であれば、力任せに攻撃してタイガーの術を食い破ろうとしただろう。
そうしていなのは、彼が横島の基で相応の修行をしたためだ。
尤もそんな短慮をしていれば、最初の一撃で自分は戦闘不能になっているだろう。
『くそっ! わからねえ……。タイガーのやつ、どういう術を使ってやがるんだ!?』
内心の焦りを顔に出さないように必死に制御しながら、雪之丞は頭をフル回転させていた。
先程からタイガーは何一つ、自分から攻撃を仕掛けてこない。
ただ悠然と立っているだけだ。
これではまるで独り相撲だ。
自分で勝手に状況を悪化させ、そのために自滅していく。
「大した闘志じゃノー、雪之丞さん。じゃが、そろそろ楽になったらどうなんジャー?」
感心したような表情でそう言ってくるタイガー。
言われなくても、すでに立っている事だけでも限界に近い。
横になってしまえばどれほど楽だろう。
だが……それでは自分自身に負ける事になる。
ブッ倒されて負けるならまだしも、自分から諦めるなど冗談ではないのだ。
「心配してくれてありがとうよ。だがな、俺は自分から倒れるような無様な真似はできねーんだ」
虚勢に過ぎないが、それでも気力を振り絞って鋭い視線を送り込む。
「仕方がないノー。ではお望み通り止めを刺してあげますジャー」
そう言って動き出すタイガー。
やっと動いたか!
雪之丞はこの時を待っていた。
もう勝機は僅かしかない。
それは自分の最期の力を振り絞って放つカウンター攻撃。
いくらタイガーでも自分が攻撃する時にはこちらの攻撃を跳ね返せはしまい。
雪之丞はグッと両方の拳に力を込めた。
「……まずいな。雪之丞のヤツ、渾身の一撃を放とうと考えたな」
「えっ!? どうしてわかるんですかー? タイガーさんは何も動いていないですよー」
雪之丞が棒立ちになって1分ほど経ち、会場中の人間が首を傾げ始めた頃、横島がポツリと呟く。
それを聞いて不思議そうに尋ねるヒャクメ。
「雪之丞が今、グッと拳を握りしめたろう? 未だタイガーの幻覚の中にいるっていうのに、ああいう事を動作に現すとなれば勝負を決めようっていう気に違いない」
「じゃあ……それを実行しようとしたら……」
「ああ、このまま放とうと考えれば雪之丞の負けだ」
ジークの言葉に頷く横島。
それを聞いてグッと身を乗り出すおキヌ達。
いよいよ勝敗が決まるのだ。
『さあ来い……。俺を倒すために必殺の一撃を放ってこい!』
内心で早く攻撃を仕掛けろと考え、タイミングを計っている雪之丞。
だがふと先程から感じている違和感が大きくなってくる。
『何だ、この違和感は……? そういやあ、何でこんなに有利な状況のタイガーが俺の注文通り、カウンターを打てる範囲に入ってくるんだ?』
そう、それがタイガーが動き出してから感じていた違和感の正体だった。
何しろ、状況は明らかにタイガーに有利なのだから……。
『タイガーのヤツの能力は精神感応……。まさか俺は……彼奴の精神感応で独り相撲を取っているんじゃねーのか? そういえば……いくらチャクラを廻しているって言っても、これだけ攻撃を跳ね返されてボロボロになって、何でこんなに強力な一撃を放てる霊力が残っているんだ?』
一つおかしな点に気が付いた時、それ以外の事も驚くほどスラスラと考える事ができた。
それは思いこみによってタイガーに操られていた思考が、僅かに取り戻せた事を意味している。
そう、なぜ自分があれ程滅多打ちにされても立っていられたのか?
それは精神力が……気力が砕かれなかったからなのだ。
『これは全部幻覚なのか? あまりに強力な暗示は、たとえ幻覚であろうと人の精神を殺す事ができるって横島が言っていた。だとすれば……ヤツが近づいてくるのも幻なのか? だったら、反則だが一気に霊力を上げてタイガーの術を吹き飛ばすしかねえ!』
それまで虚ろだった雪之丞の眼に光が戻る。
そして横島に止められてはいたが、第2チャクラを廻し霊力を練り上げ始めた。
一方、タイガーは伝わってくる波動から、雪之丞が自分の技を見破ったのだと言う事を悟った。
だとすれば急いで勝負を決めるしかない。
遂にタイガーは止めを刺すべく、本当に動き始めた。
「むっ!? これは微かに空気が動いた……。タイガーめ、どうやら勝負を決める気になったな。行くぞ、タイガー!!」
気合いと共に全霊力を放出する雪之丞。
それまでの2倍以上という霊力は、雪之丞を捕らえていたタイガーの霊力を一気に吹き飛ばす。
「やはり! 俺は何のダメージも負っていなかったのか。むっ! そうか、勝負だタイガー!!」
「雪之丞さん、覚悟!!」
タイガーの猛虎幻魔拳をうち破った雪之丞は、闘気を纏って自分に向かってくるタイガーを認め、こちらも必殺の一撃を放つべく体勢を整えた。
「ウオオォォォオッ! 猛虎猛天掌――っ!!」
「あたあ!!」
身体の捻りを解放する事によって全身の力を100%打撃へと変換し、己の持てるだけの攻撃霊力を集束させた一撃。
タイガーの掌と前腕部は赤く光り輝いていた。
対して雪之丞も、魔装術を展開させた上にさらに集約した霊力を、上乗せするかのように拳から前腕部までに纏わせる。
ドガガガガッ!!
2人の身体が交錯し、周囲に轟音が響き渡る。
お互いの技を打ち合い微動だにしない2人。
だが……やがてタイガーの巨体がゆっくりと崩れ落ちる。
その胸には雪之丞の拳の後がくっきりと残っていたが、観客の大半は何が起きたのか理解できないでいた。
「勝者、伊達選手!!」
審判の勝利宣言を聞きながら、魔装術を解き荒い息を吐き続ける雪之丞。
右手をダラリと下げたまま倒れたタイガーを見下ろしている。
やがて担架で運ばれていくタイガーを見送ると、雪之丞はゆっくりと結界から出て医務室の方へと歩いていった。
「なかなか見応えのある闘いでしたね……」
「ああ、タイガーも強くなったよなぁ……」
「うちのタイガーも強くなったけど、やっぱり横島君の直弟子である雪之丞は格が違うワケ」
「雪之丞君だけでなく……タイガー君もここまで強くなっていたとは……」
最期の一瞬で繰り広げられた二人の攻防が完璧に見えていたジーク、横島が感嘆の言葉を紡ぎ、タイガーの雇い主であるエミが残念そうに呟く。
西条は想像を超えて強くなっていたタイガーに驚きを禁じ得ない。
同様に全てを視ていた小竜姫は、雪之丞とタイガーの成長具合を喜ぶようにニコニコとしている。
「あれが魔装術…………。もの凄い技ですわ……」
「あのーヒャクメ様…? 一体何がどうなったんですか? タイガーさんはどうしてあんなにダメージを受けてしまったんでしょう?」
「あ――、それって俺も興味あるんだ。あの雪之丞さんって、一体どんな攻撃をしたんだ?」
雪之丞がこの試験で初めて見せた魔装術の凄まじさに、放心したような表情で呟く弓。
おキヌと一文字は、頭の上に幾つもの疑問符を浮かべながら、周囲に座る多くの観客同様繰り広げられた攻防を理解できていなかった。
「えっ!? え―――と……私には視えていたんだけど……、格闘とかが苦手だから上手く説明できないのねー」
ヒャクメとしては、ここで格好良く自分の弟子であるおキヌに答えてあげたかったのだが、何しろ戦闘は門外漢であるため頭を掻いて誤魔化すしかないのである。
そんなヒャクメをフォローするように小竜姫が会話に割り込んだ。
「二人とも、タイガーさんが霊力を込めた掌底突きを、雪之丞さんが同じようにしてストレートパンチを繰り出したのは見えていましたね。雪之丞さんはタイガーさんの掌底突きを自らの拳で迎え打ち、力の向きを変えて軌道を上へと逸らしたんです」
「それによって腰が伸びて、タイガーの身体が起きた隙を突いて懐に潜り込み、掴まえようとしたタイガーに合わせるように左拳を密着させ、そのまま霊力を込めた拳を撃ち出したんでごわす」
さらに小竜姫の説明に続けて、タイガーの師匠の1人である幽霊の恐山が種明かしをしてみせた。
小竜姫と恐山の説明を理解してなる程と頷く一文字。
だがおキヌは今ひとつピンと来ない。
「要するに相手の身体に拳を触れさせて、そのままの姿勢から拳を打ち抜いたんだよ。無論、あの結界でも通用するように霊力を拳に集約させてね」
首を小さく傾げるおキヌに振り返り、簡単に説明する横島。
イメージはできないが、とにかく雪之丞が何をやったのかは理解できたおキヌはコクリと頷いた。
「氷室さん、そんな芸当は六道女学院の生徒ではとてもできませんわ。言葉にするのは簡単でも、それを為すにはもの凄い修練が必要なのです」
放心状態から戻って来た弓が締めくくるようにそう言い、あまりのレベルの高さに力無く首を左右に振る。
まさか目の前でそんな技を見せられるとは思わなかったからだ。
「これで決勝戦は雪之丞と氷雅さんだな。この前の組み手では雪之丞が勝ったけど、今回はどうなる事か……」
横島の一言で一同が顔をもう一つの準決勝が行われているコートへと向けると、そこにはグッタリと横たわる対戦相手を見詰めながら勝ち名乗りを受ける九能市の姿があった。
タイガーと雪之丞の試合が終わってすぐに始まったのだが、相手が最初から必殺技を使ってきたため、カウンター攻撃を決めた九能市が一瞬で勝負を決めてしまったのだ。
「さすがの相川先輩も、九能市さんには歯が立たなかったのですね……」
「あ――! 相川先輩でもやっぱり勝てないんだな……」
その光景を見ながら呟く弓と一文字の言葉から、九能市の対戦相手が六道女学院出身だと言う事がわかる。
面識があるところを見ると在校生なのだろう。
「相川…………? ああ、3年生のクラス対抗戦で優勝したチームにいた娘か」
「九能市さんとの試合を見ると、幻術と小太刀を使いこなすようですね」
二人の言葉に記憶を刺激された横島が、少し考え込むようにこの前のクラス対抗戦を思い出そうとし、無事答えを見つけたようだ。
そんな横島の言葉に相づちを入れる小竜姫。
なぜあの場にいなかったはずの小竜姫が、彼女の事を知っているのかという疑問は、残念ながら弓達に浮かばなかったようだ。
「あのー、九能市さんはどうやって勝ったんですか?」
タイガー対雪之丞戦の解説を受けていたため、試合の経緯を見ていなかったおキヌが怖ず怖ずと尋ねる。
言葉にこそしていないが、弓や一文字も同じ事を考えているようだ。
「あの…相川という人は見事な幻術で自分の姿を四つ身に分身させて、四方から包囲して九能市さんに襲いかかろうとしたんですよ。だけど、九能市さんは即座に上へと跳躍した。それを追って相川さんも跳んだのですが……」
「九能市さんはヒトキリマルの柄に巻き付けた紐を解いて端を握り、タイミングを計って霊力を込めた状態で紐の先の刀を振り回したのです。刀は綺麗に彼女の身体の周りを一周しました。いくら幻術で4人に見せていても、攻撃するのは1人ですから。結果、相川さんは九能市さんのヒトキリマルを横から食らって吹き飛んだんです」
「あれぞ忍法“月の輪”。本当は刀よりも斧みたいなのでやる方がいいんだけどね」
やはり試合で何が起きたのか正確に理解しているジーク、小竜姫が試合の経緯を説明し、横島が最期に九能市の使った術の名を告げる。
まあ、九能市と相川の試合は、見ていればおキヌ達にも十分理解できただろう。
3人の説明に納得したように頷いている。
「さて、わしはタイガーのところに行ってくるでごわす」
座っていた恐山がそう言って立ち上がり、横島も横目で頷く。
これも師匠としての恐山の配慮なのだ。
「さて、いよいよ決勝戦だな」
横島の呟きが残った人々の耳に響き渡った。
「解説の厄珍さん! いよいよ今回の試験も最期の試合、決勝戦になりましたね!」
「こうしてみると決勝戦は同門対決ある。伊達選手も九能市選手も横島忠夫の直弟子だけあって、他の受験生とは明らかに一線を画していたあるな」
「勝敗の行方はどうでしょう?」
「全く予想がつかないある! 伊達選手には魔装術が、九能市選手には忍術がある、あるからね」
アナウンサーと厄珍がそれぞれの仕事をしているうちに、決勝のコートに上がった雪之丞と九能市は静かに対峙していた。
お互いの手の内はかなり知り尽くしている。
今回の試験直前にも組み手をしているし、一緒に魔族やその尖兵とも闘った。
おそらくお互いが知らない技を持っているという事はないだろう。
むしろ、意表をつくような使い方や組み合わせによって勝敗が決まるのではないかと、どちらも考えていた。
「予想通り、決勝はお前とだったようだな、九能市」
「そうですわね。お互い、途中で負けたりはしないと思っていました」
言葉を交わした瞬間、雪之丞は魔装術と展開し、九能市は床を蹴ると一気に間合いを詰めヒトキリマルを抜刀する。
九能市が放ったのは得意技である居合い。
鞘走りにて神速を得たヒトキリマルは、正確無比に雪之丞の脇腹を斬り裂くべく弧を描く。
ガキッ!
だがその一撃は激しい金属音と共に弾かれる。
雪之丞が魔装を帯びて硬質化した腕を振り下ろし、その手刀で九能市の斬撃を防いだのだ。
僅かに驚いた表情を見せながら、すかさず回し蹴りを放って雪之丞の体勢を崩し、その隙に後方へと跳躍する。
「甘いぞ、九能市!!」
即座に体勢を整えた雪之丞が、そう叫びながら残像によって十数本の手刀が見えるほどの素早い貫手を繰り出し追撃する。
魔装で覆われているだけでもかなりの霊力が込められているのだが、さらに手刀に霊力を集約させることで朧気に光っている雪之丞の前腕。
「くっ…! 速い!」
こちらもヒトキリマルに霊力を込めて、雪之丞の手刀をことごとく迎撃してみせる九能市。
だがその表情に余裕はあまり感じられない。
今現在の二人の間合いでは、明らかに雪之丞の方に有利。
ヒトキリマルは太刀故に近接戦闘では使い勝手が悪い。
その事を百も承知の雪之丞は、怒濤のラッシュを浴びせる事で近接戦闘のポジションを堅持している。
『くそっ! 俺のこの技を食らっても防ぎきるとはな。だが、それなら……』
このままでは攻めきれないと判断した雪之丞は、即座に手での攻撃から足技へと切り替えた。
ズオッ!
ビシイィィイッ!!
間断なく繰り出される手刀突きに対処している九能市に対し、死角となる角度から鋭いローキックを放ったのだ。
雪之丞の狙いは当たり、思わぬ角度から放たれた蹴りを食らって派手に吹き飛ばされる九能市。
「やるなっ! だがこれでどうだ!!」
ドンッ! ドンッ! ドドドドッ!!
吹き飛び空中に身体を投げ出した九能市目掛け、雪之丞は容赦なく集束霊波砲を連射する。
「はっ! やあっ!」
バシュッ! ザシュッ!!
しかし九能市は即座に着地すると、ヒトキリマルに霊力を込めて雪之丞の霊波砲を弾き飛ばした。
「横島さん、なぜ九能市さんはあれだけの蹴りを食らってダメージを受けなかったのですか?」
何でもないように九能市が雪之丞の霊波砲を防いでいる姿を見て、弓が不思議そうな表情で尋ねる。
横島がチラリとおキヌや一文字にも視線を向けると、二人とも同じように不思議そうな顔をして横島を見詰めていた。
「氷雅さんは蹴りの衝撃を自ら跳ぶ事で逃がしたんだ。いくら氷雅さんが女性で体重が軽く、雪之丞の蹴りが水平に薙ぎ払ったものとはいえ、ああも派手に吹っ飛ぶ筈はないからね。勿論、雪之丞の蹴りに威力が無いというわけじゃないよ。雪之丞は、氷雅さんがそうやって上手く間合いを取ろうとしたのに気が付いて、ああして即座に攻撃を仕掛けたんだ」
「自らの身体を柔軟にして、力の方向に合わせて跳ぶのです。なかなか言うようにできる事では無いですけどね」
「ちなみに、私や令子だってできないワケ」
横島と小竜姫の説明を受け、そのあまりに高度な技に驚かされた上、エミに止めを刺されてしまう3人。
美神やエミにできない以上、自分達では話にならないだろう。
「まあ、氷雅さんは身体が柔らかいからああいうのが得意なんだよね。俺も最初は驚いたけどね」
横島の声を聞きながら、真剣な表情で試合を見守る3人。
『ちっ! さすが九能市と言う事か……。俺の攻撃パターンを良く知っていがる。なら……やはり近接格闘戦だな』
自らの放つ連続霊波砲をことごとく防がれた雪之丞は、内心で舌打ちをしながら戦法を切り替える事にした。
足の裏に霊気を溜め、指向性を持たせて一気に解放する事で九能市にも対処不能なスピードを使って、瞬時に間合いを詰める。
ドンッ! シャッ!
手刀に霊力を込め、横島の妙神双斬拳と同じ構えで肉迫する雪之丞。
おそらく横島の技を盗み、鍛錬の結果自らの物としたのだろう。
観客席で見ていた横島が、小さく感嘆の声を上げていた。
「ふっ…、かかりましたね雪之丞さん!」
だがこの雪之丞の攻めは九能市の予想範囲だった。
むしろ彼女から誘ったと言ってもよい。
「はっ!」
掛け声と共に、眼にも留まらぬ速さで跳躍から右回し蹴りを放つ。
それは正にカウンター攻撃となった。
元々、スラリと美しく伸びた九能市の脚が鞭のようにしなり雪之丞の顔面に襲いかかる。
「なにっ!? くっ…」
ドガッ!! ザシャッ!!
即座に右腕を上げてガードした雪之丞だったが、九能市の回し蹴りはかなりの霊力が込められていたため、その姿勢毎横に吹き飛ばされそうになる。
しかし素早く右足を踏ん張り、倒れることなく身体を支えて九能市の追撃に備えようとする姿は流石だったが……。
「いない!? 上かっ!? いや…もう後ろだ!」
踏みとどまった雪之丞は即座に対戦相手の動きを把握しようとするが、彼の視界から九能市の姿は消えていた。
視線を僅かに動かす事で左右180度の視界をサーチした雪之丞は、それでもなお九能市の姿を捉える事ができなかったため一瞬で上だと判断したのだが、背後でした微かな
音と空気の揺れですでに彼女が自分の頭上を跳躍し、背後に回り込んでいる事を理解した。
殆ど本能的とも言える無駄のない動きで、両手に霊力を込めながら振り返る。
「雪之丞、勝負!!」
「上等だ!」
九能市の右掌に圧縮された霊気の塊が握り込まれているのを認識しながら、スッと前に出した両掌を襲いかかる敵に向けて突き出す。
お互いが身体を密着させるほどの至近距離であっても、その状況で敵を倒すために考え、鍛錬してきた技を繰り出したのだ。
普段は集束させ、高速回転させて圧縮して放つ霊波弾を手にしたまま、相手に叩き付けようとする九能市。
一方、ジークを相手に初めて見せた時に横島に指摘され、掌を添えてから発射までの時間を可能な限り短くした“激壁背水掌”を繰り出す雪之丞。
どちらの技も、例え第1チャクラしか使っていなくてもまともに食らえば、一撃で身体毎吹き飛ばされる程のダメージを受けて昏倒してしまう技。
見ていた横島でさえ、一瞬相打ちしかないと思わせる光景だった。
ズドオォォォオオン!!
二人の姿が、お互いの手から発せられた霊力の余波によって光に包まれる。
激しい音と衝撃が発生し、見ていた多くの人々が身を竦ませる中、横島と小竜姫、そしてジークだけはその眼でしっかりと勝負の行方を見ていた。
「勝負はついたな……。防御能力の差が出たか」
「ええ、終わりましたね……」
横島と小竜姫の言葉に黙って頷くジーク。
その言葉によって、我を忘れて固まっていた弓、おキヌ、一文字が再起動する。
横島の言葉から、どうやら雪之丞が勝ったようだと察しを付ける。
しかし……。
「僕には……相打ちだとしか思えないが……?」
戸惑い勝ちに尋ねる西条の台詞が、残った人々の考えを代弁していた。
何しろお互いが抱き合うぐらいに身体を密着させたまま、ピクリとも動かずに静止しているのだから……。
「これは……気絶している。勝者、伊達選手!!」
沈黙する二人を訝しんで近寄った審判は、動かず苦しそうに息をしながらも意識がはっきりとしている雪之丞と、その姿勢のまま意識を失い沈黙している九能市を確認し、
試合の勝者を裁定した。
その言葉に未だ沈黙しながらも、僅かに顔を上げる雪之丞。
「お互い近接戦闘用の奥義を出した。威力はほとんど同じぐらいだったな」
「しかし……それではなぜ雪之丞君が勝ったんだ?」
「雪之丞さんは九能市さんが霊波弾を打ち込む寸前、魔装の外側にさらにピンポイントで霊気の楯を作り出し、防御を固めたんですよ」
西条の問いに答えたのはジーク。
彼は此処最近、雪之丞の練習相手を努める事が多かったので彼の手の内を良く知っているのだ。
「勿論、氷雅さんも同じように防御しました。だからこれは純粋に雪之丞が魔装術を発動させていたから生じた差です。普通の除霊であれば、氷雅さんも龍神族の防具を着ていますから、防御力は雪之丞の魔装術以上なんですけどね」
「今回の闘いは、持つ事のできる道具は一つだけと言う事でしたから、生身での防御力の差が出てしまったんです」
さらに丁寧に補足説明をする横島と、それがそのまま二人の本来の強弱にはならない事を告げる小竜姫。
「良く分かったよ……。確かにこの試験のルール上やむを得ないとはいえ、二人の実力は殆ど同じだと言う事がね。しかし……二人とも強さは尋常ではないな」
西条が納得した表情でそう言った時、漸く試合場の2人にも新しい動きが生じていた。
雪之丞が魔装術を解いたのだ。
すると……九能市が口から一筋の血を流し、ズルズルと雪之丞にもたれ掛かるかのように崩れ落ち始める。
雪之丞の僅かな動きによって、それまで均衡していた何かが崩れたのだろう。
「おい……九能市、しっかりしろよ………あっ!?」
未だ疲れが色濃く残る緩慢な動きで、崩れ行く九能市を支えようと密着させた手を動かした雪之丞。
だが……その両掌は何を間違えたのか、しっかりと……これでもかと言わんばかりに九能市の豊満な胸に添えられてしまった……。
いや、添えたと言うよりムニュッと掴んでしまったという方が正しいかも知れない。
故意にではないと言え、自らの行為にギョッと眼を見開き硬直してしまう雪之丞。
「……偶然とはいえ……雪之丞、だ、大胆だな……」
「ゆ、雪之丞さん……公衆の面前で……」
「……ふ、不潔…!」
観客席での呟きは雪之丞の耳には入らなかったが、それは果たして幸いだったのだろうか?
彼は決して間違った行動をしたわけではない。
邪な心もなかったに違いない。
ただただ、闘いに倒れた好敵手を支えようとしたに過ぎなかった。
『この感触、この大きさ……ママに似ている……。はっ!? 俺はこんな事をしようとしたんじゃ…! なぜだあぁぁぁぁあっ!?』
あまりの心理的衝撃に一瞬現実逃避しかかるものの、慌てて自分を取り戻し、事態を好転させるべく即座に九能市の身体を押し戻そうとした。
そう、………手を胸から離すのではなく、さらに手に力を入れて九能市の胸を……文字通り押しつぶさんばかりに力を込めて。
『私、また雪之丞さんに負けましたのね。……うん? 何だか胸が気持ち良いというか…痛いというか……微妙ですわ…』
意識を覚醒させながら九能市は、胸に感じる奇妙な感触(触覚)に戸惑いうっすらと眼を開ける。
おそらく自分は気絶していたのだろう。
互いの奥義とも呼べる技をぶつけ合い、彼は自分の技に耐え、自分は彼の技を耐えられなかった。
唯それだけの事……。
全力を尽くして闘ったのだから、結果には悔いはない。
そう、勝敗の結果に遺恨などあろう筈もない。
だが……。
そう、だが……今認識したこの状態を黙って見過ごすわけにはいかない。
自分の胸………元気良く発育した自慢の胸。
それを揉みしだいている不埒者に天誅を与えなければならない。
その不埒者の正体は………………雪之丞!!
「雪之丞さん…………。何の真似ですの…?」
「おわっ!? お、お、お、落ち着け、九能市! これは、その、何だ。偶然の産物っていうか、事故なんだ、事故!! わかるよな!?」
周囲の物を凍てつかせるような、低く平坦な口調。
九能市は激怒している!
そう瞬時に悟った雪之丞は慌てて状況を説明しようとするが、慌てふためいているために口から出る言葉は要領を得ない。
勿論、九能市の声が聞こえた段階で漸く両手を離す事には成功していた。
「……そう、事故ですか……。私にセクハラを働いて、それを事故だと言い訳するんですね。……見苦しいですわ―――!!」
バシュッ!!
先程の闘いで失神するほどだったダメージは一体どうしたのか? と思わせる程のスピードと技の切れで居合い切りを仕掛ける九能市。
「おわ――っ!」
それを寸前の見切りで躱す雪之丞。
その一撃は先程の試合の時よりも鋭く、何より殺気がたっぷりと乗せられている。
「うふふふふふ…………」
しっかりとした歩調で雪之丞へとにじり寄る九能市の顔には、透き通るような氷の微笑が浮かんでいる。
無論、その手には抜刀されたままのヒトキリマルが。
「おい、九能市……その手のヒトキリマルは何だ? もう試合は終わったんだぞ。一体何をするつもり……」
「問答無用――!!」
雪之丞の言葉を遮り、空気を裂く音と共にさらなる斬撃が繰り出される。
その攻撃は流れるように無駄のない動きを見せ、万全ではないとはいえ、雪之丞をして紙一重で躱すのが精一杯という恐るべきもの。
「わ―――っ!! 何でこうなるんだ――!!」
こんな状態の九能市と殺し合うのは御免だとばかりに、完全に逃走モードへと入っている雪之丞。
不気味な微笑みを浮かべてそれを追う九能市。
決勝戦を闘った試合会場は、一瞬で夫婦喧嘩としか言いようのない修羅場へと姿を変えた。
「やばい! 氷雅さんを止めないと……」
「私も手伝います!」
刃傷沙汰が始まったのを見て、すぐに立ち上がった横島とジーク。
おキヌ、弓、一文字は無論、エミでさえも呆然と事を見守っている中、そんな2人に頷いてみせる小竜姫。
小竜姫の返事を確認するや否や、横島とジークは電光石火の動きで観客席から跳躍し、弟子同士の争いを鎮めるべく渦中へと飛び込んでいく。
「は――っ。何でこんな事になっちゃったのねー?」
「そうですね……。何を間違えたんでしょう……」
ヒャクメの何とも言えない重い溜息と、呆れたような小竜姫の言葉が、今の状況を端的に表している。
伊達雪之丞と九能市氷雅。
その強さも特筆される事なのだが、この日2人はありがたくもない伝説を作り出す事となる。
GS試験で痴話喧嘩をした大呆けカップルという伝説を……。
(後書き)
取り敢えずオリジナルの第2回GS資格試験編はこれにて終了です。
何だか書いておいて何ですが……ほとんど雪之丞×九能市になってますね。
弓かおりが入り込む余地はあるのかどうか、私にも良く分かりません。
ただ、この組み合わせはこれで良いような気もしています。
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