フェダーイン・横島

作:NK

第91話




「あ〜あ……退屈だな。そろそろ身体を動かしたいんだけど……ダメですか?」

「駄目です」

 ベッドの上で身体を起こしていた横島は、おもねるような口調で横に座っている小竜姫に尋ねてみたものの、にこやかな笑みと共に速攻で却下されてしまう。
 その答えにガックリと俯く横島。
 対する小竜姫は、にこやかな表情で横島の顔を眺めている。

「でもですね、もう身体の方もすっかり治ったと思いますよ。大体、そんなに重症だったワケじゃ……」

「重症ではない? 横島さん、普通なら中級神魔族でも大気圏再突入なんて事をしたら、生きているわけないんですよ? 無事だったとはいえ、あんな無茶をしたために貴方の身体も霊体も、相当ボロボロだったのは事実なんです。ヒャクメと私の診断通り、2週間は安静にしてください。後1週間の辛抱です」

 ニコニコと穏やかな表情ながら、小竜姫の口調には有無を言わさぬ迫力があった。
 ここは東京にある白井総合病院の一室である。
 この病室に収容されている患者は、生身での大気圏突入という前代未聞の経験をした人間であり、名は横島忠夫という。

「うっ……。わかりましたよ……」

「分かってくださればいいんです。何しろ、いくら横島さんとはいえ生身で大気圏再突入をするなんて、無茶にも程があります。まあ、あの時はやむを得ない状況だったという事は理解していますし、万が一の時を考え対応策も練ってあったと言う事も事実ですけど。…………でも……心配…したんですよ。私……また…見ているだけでしたし……」

 そう言って小竜姫は身体を寄せて、横島の胸に顔を埋めるようにして抱き付いた。
 おそらく、あの時の事を思いだして泣きそうになった顔を見られたくないのだろう。
 それがわかってしまう横島は、小竜姫に心配をかけてしまった事を悔やみながら、あの時の事を思いだしていた。



『あの時……俺は“楯”と“断熱”、“冷却”の3個の文珠を同時制御して、何とか大気摩擦による高温から俺自身を守り抜いた。そして、高度1万mまで降下したところで“転”の文珠を発動させ、“位”の文珠を持っていた小竜姫様の元へと空間転位したんだ』

 いかに文珠を使って身体を守っていたとはいえ、5万マイト以上の霊力を凝集した現時点で横島が創り得る最高レベルの単文珠と双文殊を長時間操り、栄光の手を楯状にして再突入の間中、廻す事のできる全ての霊力を注ぎ込んでいたのだ。
 小竜姫のいる“星の町”の宇宙管制基地・コントロールルームに転位して姿を現した時、念法を修めている横島でさえ霊力は殆ど消耗しきっており、肉体も無茶をした反動が如実に現れていた。
 力無く床に倒れそうになる横島を、待ちかまえていたかのように超加速で近寄った小竜姫がしっかりと抱きとめる。
 懐に抱いていた『位』の文珠が発動した事から、横島が無事大気圏突入を切り抜け、この場所へと転位してこようとしている事はわかっていたから。 
 気力で意識を保たせていた横島は、自分を抱き締める小竜姫に微笑みかけ、「ただいま」の一言を告げると微笑を浮かべたまま意識を失った。

『でも、小竜姫様を泣かせちゃったからなぁ……』

 最後に横島が見た小竜姫の顔は、取り敢えず自分が生きている事への純粋な喜びに溢れていた。
 眼には歓喜の涙が湛えられていた事からも、そしてリンクした小竜姫の霊基構造コピーの意識から伝わる心からも、彼女の心の裡は明らかだった。
 だが、だからこそ自分が意識を失った後に、小竜姫が今度の事件で“また”何もできなかった自分に対して悲しみ、そして怒ったであろう事も想像が付いた。
 横島の想像通り、小竜姫は横島を抱き締めたまま膝を付くと、暫くは顔を押し付け、ただただ泣き続けていたのだから……。
 だれも横島にそんな事は言わなかったのだが、コピーとはいえ意識を持つ霊基構造が融合しているが故に、横島は意識を失いながらも小竜姫の心と行動を知っていたのだ。
 仕方がない状況とはいえ、小竜姫を悲しませてしまった事は、横島としても忸怩たるものがある。
 それ故にあの月の事件が終わり、意識が戻ってから暫くは大人しくこうして、小竜姫による24時間完全付き添いの基、病院での療養生活を送っていた。
 小竜姫の“お願い”を無下に断る事など、横島にできるはずもないのだから。

『まあ、退屈だと思えるなんて平和な証拠って事か……』

 そんな事を思いながら、自分に抱き付いている小竜姫の温もりを感じ、こんな状況も幸せなのだと自分に言い聞かせる。
 何しろ、嬉しそうにあれやこれやと世話を焼く小竜姫の姿を見せつけられ、さすがの弟子達3人も滅多に病室を訪れる事がない。
 それ故、久しぶりにルシオラの意識も交えて、3人でゆっくりと話す事もできたのだから。
 だが、遂に1週間が過ぎようかという時になると退屈に耐えられなくなっていたのだ。
 しかし、小竜姫に心配をかけたのは事実であり(あの場合、他にどうしようもなかったのだが)、彼女が時折見せる悲しそうな表情を前にしては、いかに横島でも大人しく我慢するしかなかったのである。

「すんません……。心配かけちゃって」

「…………分かってはいるんです。あの時はあれが最善の方策であり、横島さんがきちんと対応策を考えていた事も……。でも、平行未来での記憶が……。マリアさんと一緒に大気圏に突入して、一時的とはいえ記憶を失ってしまった事が頭から離れないんです」

「そうか……。そうだったっスね」

 いつもより弱々しく感じる小竜姫の身体に手を回し、縋り付くようにしている彼女をギュッと抱き締め返す。
 愛しい人の腕の中で小竜姫は、横島が力を込めるのに呼応するように、力を抜いてその身を委ねる。

「……横島さん、死なないでくださいね。横島さんが強い事はわかっていますが、私やルシオラさんを置いてどこかに行かないでくださいね……」

「わかってる。必ず……この後訪れるあの戦いを生き抜こう。そして全てが終わったら3人で平穏な暮らしを……」

「……はい、必ず掴みましょう」

『……そうね。必ず……』

 小竜姫の不安な心理状態を知っていたために、それまで黙って表に出てこなかったルシオラが、ポツリとその言葉にだけ返事を返した。
 自分はずっと横島と共におり、大気圏突入の際も一緒に頑張ったのだが、本体の小竜姫は地上で画面越しに心配する事しかできなかった。
 いかに後でリンクしている自分との間で記憶を共有したとしても、寂しかった事に違いはないと考え、小竜姫の好きにさせていたのだ。
 それなのに表に出てきたのは、横島の言葉が何としても生き抜く、という3人の誓いだったから……。



「小竜姫ったら、誰もいないと思うと甘え方も大胆ねー。でも、あまり堂々とイチャつかないで欲しいんだけど……」

 屋上で一見ボンヤリと、しかし万が一の襲撃を警戒してこの場に詰めていたヒャクメが呆れと羨ましさをミックスさせて呟く。
 無論、さすがに“視て”はいない。
 だが、全周囲を警戒対象としているヒャクメには、意識的に遮断しない限り聞こえてしまうのだ。
 これ以上は野暮になると思い、横島の病室内だけを警戒対象外へと切り換える。
 ヒャクメは自分のやるべき事に意識を集中させた。






「やっほー! 横島君、具合はどう?」

「先生! お体の具合はどうでござるか?」

「あっ、もう大分良いみたいですね」

 ノックとほぼ同時にドアが開かれ、病院という場所には似つかわしくない、元気いっぱいの声が響いた。

「やあ、美神さん。何だかご機嫌ですね。シロ、何だか久しぶりだな。おキヌちゃんも元気? 俺は元気なんだけど、小竜姫様がなかなか退院を許してくれなくてね」

「偶には身体を休める事も必要ですよ、横島さん」

 横島が入院して12日目、既に通常業務へと復帰していた美神がおキヌとシロを連れて見舞いに訪れた。
 いつもの通り、病室ではボンヤリとベッドの上で身体を起こした横島と、その傍らにニコニコとしながら座っている小竜姫、という構図は変わらない。
 多少違うとすれば、それはのんびりと横島が新聞を読んでいるという事ぐらいだろう。
 偶々眺めていた紙面には、『貨物機、離陸失敗』という煽り文字と、東京国立博物館で開催されていた「失われた文明展」で展示され、大英博物館に返却するはずの美術品多数が破損し、その被害額が天文学的なモノになった事を報じる記事が載っていた。

 なぜ美神は既に退院しているのか?
 美神の方は、宇宙空間で過ごしたために多少の筋力(特に下半身の)低下があっただけなので、数日の検査入院後に退院していたのだ。
 それ故、彼女はさっさと元気に仕事に戻り、相変わらずの荒稼ぎに励んでいたのである。
 横島の場合、2週間という入院に際して何かの治療が施されているわけではない。
 ただ単に、身体の疲労と限界まで振り絞った霊力をゆっくりと回復させるための入院なのだ。
 したがって、横島としても退屈を持て余す事になる。

「ほほほほほほほっ! 柄にもなく仕事絡みでダイエットしてね。お金もかかるし苦労もあったけど、体重が1kg減ったのよ」

 嬉しそうにその理由を話す美神。
 だがはっきり言おう、体重という意味では1kg程度の増減は誤差というかブレの範囲である。

「へえ……。でも美神さんはいつも理想的体重を維持している、と聞きましたが?」

「うっ…! ま、まあ……これも仕事絡みだったから。本当は私にダイエットなんか必要ないんだけどねー」

 不思議そうに首を傾げる小竜姫の問いかけに、一瞬ギクッとした様子を見せた美神だったが、即座に表情を切り換えて誤魔化しにかかった。
 さすがの小竜姫も、特に人命に影響なかった「古代悪魔グラビトン」事件の事など、月の事件並みに覚えているはずもない。

「良かったですね、美神さん。それより、俺が入院しいる間に大きな事故が起きたみたいですね。飛行機が離陸失敗したみたいですし、多くの美術品が破損したって新聞に書いてますよ。やれやれ、これって保険がきくんですかね? 保険会社が潰れなきゃいいけど……」

「「「…………」」」

 小竜姫同様、グラビトンの事を完全に忘れ去っていた(忘却可としてしまい込んだ)横島の口から放たれた、悪意の欠片もない台詞。
 ここ最近入院していたため、話題に乏しいと自覚していた横島が、わざわざ新聞の記事を話題に振っただけの行動。
 しかし、その言葉で美神達3人の動きが一瞬凍り付いた。
 そんな3人の様子に、再び怪訝な表情を見せる小竜姫と横島。

「あっ…! いえ、何でもないのよ! それよりいつ頃退院できるのかしら?」

『あうう……。言えない! 美神さんが古代の呪いをかけられて、体重が凄まじい事になったなんて……』

『ううっ……、言えないでござる! この飛行機の離陸失敗が美神殿のせいだなんて……』

 強引に話題を切り換える美神の後ろで、引きつった笑みを浮かべてそんな事を考えている二人。
 そう、横島も小竜姫も忘れているが、この時間の流れでも美神は悪魔グラビトンの呪いをかけられ、豪快な追跡劇を繰り広げていた。
 新聞を賑わしていた事件の大半は、体重が特撮映画の怪獣並となった美神が引き起こしたという事実は、多額の金をばらまいた事によってこの世界でも闇へと葬られたのだった。

「そうですね……小竜姫様が許可してくれるなら今すぐにでも退院したいんですが、予定では3日後ですね」

「横島さんはすぐに無茶をしますから、偶にはゆっくりと休養を取る事も必要です」

 チラッと小竜姫を盗み見ながら答える横島。
 それは美神達がいれば、小竜姫も拗ねてみせる事をしないだろうと踏んでの事。
 が、そんな事をしなくても鮮やかに正論で退ける小竜姫。

「ふーん……後2日はダメか……」

 握った右手を唇に触れさせ、少しだけ考え込む美神。

「……仕事の依頼なんですか?」

「まあそうなんだけど、今回は私達だけでも大丈夫だと思うから、いいわ」

「そうですか。ちなみにどんな内容の仕事なんです? 差し支えなければ教えて貰えますか?」

「えーと、なんでもビル街で起きている通り魔の調査と退治っていう仕事なんです」

 意外に事態を軽く見ている美神だったが、呆気なく受けた仕事内容をバラしたおキヌによって告げられた言葉に、得体の知れない不安感を覚える横島。
 その心の動きは、小竜姫にも伝わった。

『忠夫さん……、何か心配事でも?』

『いや……。だが、なぜだか分からないけど、俺の霊感に引っ掛かるんだ。記憶には何もないけど、何か大事な事を忘れているような気がして……』

『珍しいわね。人命に関わる殆ど全ての事件を記憶しているヨコシマが、そんな事を言うなんて……。もしかして、何かプロテクトでも掛かってる記憶があるのかしら?』

『そうですね……。平行未来の忠夫さんはこの頃、文珠を使えるようになってはいましたが、まだ霊力自体や知識、体術はアシュタロスとの戦い以降に比べかなり見劣りしますから、強力なプロテクトをかけられれば忘れているかもしれませんね』

 小竜姫本人が傍らにいるにも関わらず、霊基構造コピーの意識が浮かび上がり尋ねてきたのは、その方が話が早いと考えての事。
 続いて浮かび上がってきたルシオラの意識も、事の重要性に気が付いて考え込む。
 小竜姫の意識が述べた推測は実は当たっているのだが、平行未来の段階で既に連続性が断たれ、逆行してきた横島とは別の可能性だった未来が関与していること故、記憶そのものが非常に朧気になってしまっている。
 さすがの横島であっても、そのような記憶を即座に思い出せる筈もなかった。

「くーん……。せっかく先生と一緒に仕事ができると思ったのに、残念でござる」

 住んでいる所こそ同じ妙神山であっても、休日の修行以外は美神の所でバイトしているシロは、フェンリル事件やデミアン事件、南武グループ事件、この前の月事件の前哨戦ぐらいしか、師匠である横島と共にGSとしての仕事をした事がなかった。
 基本的に、通常の死霊、悪霊、怨霊、下級妖魔相手の仕事であれば、お金に強い執着を持つ美神が横島に助力を頼むはずがない。
 したがって、シロが仕事で横島と一緒になるのは、余程相手が大物である時しかなく、この結果は当然と言えた。
 それ故、楽しみにしてきたシロは残念そうに尻尾を垂れ下げる。

「シロ、我が侭言うんじゃないの! いくら横島君が超人とは言え、小竜姫様の言うとおり生身で大気圏突入なんて離れ業をやってのけたのよ! きちんと療養しなけりゃ後々まで響くかもしれないわ」

『凄い……! 美神さんが他人の健康について、ここまで心配して正論を言うなんて……』

 シロを叱る美神を眺めながら、何気に失礼な感想を思うおキヌ。
 無論、彼女は美神の優しい面を良く知っており、多少(かなり)意地っ張りな所はあるが根は善人である事も知っている。
 だが、これ程他人を気遣い、ストレートに言う事は珍しかった。
 これは、地球への帰還途中で横島とメドーサの怨霊の戦いを傍観者として眺める事しかできず、さらに地球へと生身で落下していく彼を見た時、浮かび上がった絶望、喪失感を認めざるを得なかった美神が、その時ただ純粋に横島に生きていて欲しいと願った事と無関係ではない。
 純粋に横島を心配し、生きていて欲しいと願った美神は、それまでの言動から西条が、心から自分に対して同じ事を願っていると気が付いたのだ。
 それは母親を失って以来、湧き上がる孤独を心の奥底へと押し込み、ひたすら強気を装ってきた美神にもう一度周囲の人々について考え直す機会を与えた。

 横島は優しい。
 だがそれは、美神1人を見詰め、彼女だけに特別の愛情を注いでくれるわけではない。
 小竜姫と未だ見ぬもう1人の女性を除き、横島は周りの人間全部に優しいのだから……。
 前世に影響を受けようが美神も女性である以上、自分だけをしっかりと見てくれ、愛してくれる男性に惹かれるのは当然の事。
 故に、彼女はここ数日、西条とかなり精神的な関係を進展させていたのだ。

「おキヌちゃんの話だけではよく分かりませんけど、今回の仕事に何か不安な点があるんですか? ……だったら西条さんに声をかけたらどうです? 西条さんなら腕も確かだし」

「そうなんだけど、西条さんはオカルトGメンでしょ。さすがに依頼を受けた私が、大きな問題もないのに援助を求めるっていうのはまずいのよ」

 西条と美神の仲を後押ししている横島の提案に、ちょっとだけ寂しそうにした美神が答える。
 その内容は十分納得のいくものだったので、横島としてもそれ以上話すわけにはいかなかった。

「まあ、取り敢えず相手の検討はついているし、シロとおキヌちゃんがいるから大丈夫だと思うわ」

「そうですか。しかし通り魔ですか……。とんでもない相手じゃなければいいんですが……」

「大丈夫でござる! 犬飼と八房クラスであっても、拙者が必ず倒してみせるでござる」

「まあ、シロなら大抵の相手なら負けないと思うが、くれぐれも油断するなよ」

 後方支援とはいえ、おキヌを同行させようと考えていた美神は、可能であれば横島に一緒に来て貰いたかったが諦めた。
 元々、今回の相手はおそらくカマイタチ。
 3匹一組の風の妖怪。
 自分の想定が当たっていれば、特性も対処法も分かっているし、対処できる範囲だ。
 それにシロもいる事だし、大丈夫だろうと自分に言い聞かせた。

 そんな美神を尻目に、おキヌはお見舞いの品(お菓子)を小竜姫に手渡していた。
 礼を言って受け取る小竜姫。
 美神達の会話に混ざっていなかったが、こちらはこちらで楽しく話をしていたようだ。



「さあ、そうと決まれば明日の準備をしなくちゃいけないから、私は帰るわね。お大事に、横島君」

「あっ、退院したらまた遊びに来てくださいね」

「退院の日には、雪之丞殿達と迎えに来るでござる!」

 そう言って去っていく美神一行を見送った横島と小竜姫は、笑顔を消して向き合う。

「何か……悪い予感がします」

「融合している小竜姫の意識とリンクしましたね? 俺もさっきから気になって仕方がないんです。何か重要な事を忘れているようで……」

「そうですね。こんな時はヒャクメが有効です。ヒャクメ!」

 二言三言の会話でお互いの懸念を伝えあった小竜姫は、即座に周囲の監視を行っているヒャクメに連絡を取った。
 すぐに転位して姿を現すヒャクメ。

「はいはい、ご用ですかー?」

「またしらばっくれて……。今の美神さん達との会話、聞いていたのでしょう?」

「一応、意識の端には入れていたのねー。でも、横島さんと小竜姫達との脳内会話までは聞いてませんよ?」

 確かに美神達との会話だけでは、いかにヒャクメといえども懸念が伝わるはずもない。
 頷いた横島が、自分が感じた嫌な予感と、小竜姫、ルシオラの意識との会話を要約し伝えた。

「ふーん。それは引っ掛かりますね」

「美神さんが前世の記憶を封印していた例もありますから、もしそうなら調べるのは面倒ですよ」

「一つ手はあるんだがな……。文珠で強制的に思い出させれば、何とかなるかもしれない。だが、結構精神に負担が掛かるから、ヒャクメが外からサポートしてくれないか?」

 横島の提案に同意した二人は即座に準備に取りかかる。
 横島の額にペタペタと吸盤のようなものを取り付けて、自分の鞄に内蔵された神族用コンピューターに接続していく。
 その間に『記』『憶』『再』『生』の文字を込めた単文珠を創りだした横島は、黙って準備が終わるのを待っていた。

「準備OKですよ」

「では横島さん、やってください」

 ヒャクメの言葉を受けて、小竜姫が発動開始を告げた。
 その言葉に頷いた横島は、右手に握り込んだ4個の文珠を発動させる。
 淡い光が横島を包み込み、彼の脳と魂の中に蓄積されている記憶を解きほぐしていく。
 ヒャクメの鞄の蓋の内側に高速で映し出されていく映像がやがて止まり、画面がブラックアウトしたかのように何も映さなくなる。

「どうやら……これがプロテクトされた記憶みたいですね」

「そうね。横島さん、出力を上げてください」

「了解」

 これまで文珠の霊力をセーブしていた横島は、文珠に込められた力を一気に解放する。
 彼を包み込む光が強くなり、画面に乱れながらも映像が再び映し出された。

「こ、これは……今では分岐してしまい、連続性が失われた未来からの干渉なのね」

「成る程、これでは記憶が曖昧となっているのも頷けます。さらに美神さんが『忘』の文珠でプロテクトをかけたんですからね」

「…………そうか、ルシオラと小竜姫を選ばなかった未来。平行未来のこの時点で、一つの可能性だった未来の俺が逆行していたのか……」

 未だに夢の如くボンヤリとしているが、それでも平行未来でのあの事件を思いだした横島だった。
 そして、この時間軸では絶対に美神の夫となった横島が逆行してくる事はない。
 あるとすれば、別の可能性の延長上である平行未来から、この世界に次元間移動してくるしかないのだから。

「さっき美神さんが言っていたカマイタチの事件では、特に何も起きないみたいだが……。しかし続いて起きるこの事件で美神さんは、10年後に妖毒による中毒症で生死の境を彷徨うってワケか……。これは、何とかしないといけねーな」

「そうですね……。標的の妖怪はこのままだと殲滅されてしまいます。それでは血清を作れませんし……」

『毒腺の組織片だけでも残っていれば、私の知識で抗血清が作れるんだけど。でも変な妖怪よね。だって、その場で効かなくて10年後に効果が出る遅効性の妖毒なんて、一体何のために持ってるのかしら?』

「んっ!? ……そうか、そうだよな」

 何気なく思いついた感想を口にしたルシオラの意識だったが、その言葉を聞いた横島は考え込む。
 確かにルシオラの言うとおりなのだ。
 そんな妖毒を、何のためにあの蜘蛛妖怪は持っていたのだろう?
 しかもその毒は唾液に含まれているのだ。

『……わからん。よく見るとこの妖怪、外観はクモに似ているが、どう見ても頭胸部とか口の形がクモと違うんだよな。まあ、妖怪化したんで変化したのかもしれないが、クモの毒液って大抵は獲物を麻痺させるためのものだし、唾液は消化酵素が含まれていて、獲物を溶かして栄養成分を吸収するのが食事のやり方なんだよな……』

 元々、クモの口器は上顎、下顎、上唇、下唇から成り、上顎の先端に牙がある。
 毒は大抵がこの牙を通して獲物に注入されるのだ。
 クモが持っていた毒が、いきなり10年も経って効果を発揮し対象を殺す程の威力を持つ妖毒になるとは考え難い。
 さらに分泌器官まで変化するなど、通常ではあり得ない。
 大体、潜伏期間が長すぎるから、そんな毒は何の役にもたちはしないだろう。



 いきなり真剣な表情で考え込んだ横島に、取り敢えず邪魔をしないように黙って見守る小竜姫とルシオラの意識だったが、横島が何に違和感を覚えたのかおおよそ察していたために自分達も考え始める。
 こんな、毒に犯された者が10年も経って忘れ去った時に、唐突に絶望の淵へと叩き落とす能力を妖怪が持つ理由。
 これではまるで、悪意を持った呪いではないか……。

『……呪いなのかしら?』

 そこまで思いつき、ポツリとルシオラが呟いた言葉にハッと顔を上げる横島だった。

「そういや……確かあの妖怪の核って、えらく小さなクモだったような気が……。何かの切っ掛けで霊力を帯びて、変化したとか言ってたな。じゃあその切っ掛けって何だったんだ? まさか……何かの呪いがクモに取り憑いて、全く異なる妖怪へと変わったとか……?」

「……あり得ますね。確かに、あんな遅効性の毒を持ってる合理的な理由なんて、考えつきませんから」

『かなり低い確率だけど、あり得ないとは言えないわ。でも……だとするとかなり古い呪いかもしれないわね。普通のクモをあそこまで妖怪化させるんだから』

「呪い自体じゃなくても、その触媒によって影響を受けて変化した可能性もありますねー」

 検証するための証拠が無いために、4人が話している内容は所詮は推論にすぎない。
 言うなれば、仮説に仮説を重ねた与太話なのだが……、何となく正解かもしれないと一同は思った。
 何しろ、ルシオラは平行未来で似たような事を行って、造魔を創っていたのだ。
 その方法は、依り代に魔力の源たるコアを術で融合させるといったもの。

「ルシオラが言うと説得力があるなぁ……。成る程、依り代がクモで、コアとなる霊力の源が呪いに関係する何か、っていうわけか」

『ヨコシマ……何だか言い方に棘がない? 確かに私も似たようなモノを創ったりしたものね』

「えっ!? そ、そんな事はないぞ。それに、その知識なら俺もアシュタロスをコピーした時に得た情報があるから、知っているし使えるぞ」

『あっ、そうだったわね。そういえばヨコシマも道具さえあれば造魔を創る事ができたっけ。』

 ルシオラが納得したように、メドーサが画策した勘九郎達を試験に合格させようとした事件の際、その技法を使って横島はエミの協力を得て蛾の眷族を創っていた。
 横島としては、その辺のオーソリティーであるルシオラの言葉の重み、という意味で言ったのだが、ルシオラにしてみれば平行未来での逆天号時代をからかわれたような気がしたのだ。
 それ故、僅かに雰囲気がキツくなる。
 無論、ルシオラが本気ではない事ぐらいわかるのだが、横島としては彼女にそんな態度を取られてしまうと未だに狼狽してしまう。
 そんな横島の姿にクスリと笑みを浮かべると、ルシオラは雰囲気を元に戻し、横島がかつて行った事を思いだして頷いた。
 無事、ルシオラの機嫌が直った事に安堵しつつも、横島としては何らかの手を打たなければならなかった。

「まあ、あの妖怪の正体に関しては、今はこれ以上わからないな。それより、どうやって美神さんを毒に犯されないようにするかだが……」

「幸い、明日の事件は特に問題ありません。1日とはいえ考える時間があるのはありがたいですね。しかし、どうやって気が付かせるか……。ヒャクメの霊視というのも、今回は無理があるような……」

「そうですねー。何しろ、未だ正式に依頼されたわけでもないし、私が積極的に関わるのも不自然ですから」

 ヒャクメの能力は、美神達にはよく知られてはいるが、何より未だ依頼さえ来ていない話である。
 神族がこんな段階で首を突っ込むのは、通常あり得ない。
 放っておけば東京全体が危機に陥る可能性が高かった、死津喪比女の時とは異なるのだ。

「確かにな。相手の唾液に毒があり、それが遅効性だなんていきなり言っても信じられないだろうし」

 横島の言った事に誰も異存はなかったが、どうやって話を持っていくかを考えると頭が痛かった。
 何しろ、この情報の出所は横島の平行未来での記憶なのだから。

『本当ね……。でも、知らせなければ美神さんが毒に犯されるし、シロさんやおキヌちゃんがやられるかもしれないわね。…………やっぱり、西条さんに上手く情報を伝えてサポートしてもらうしかないんじゃないかしら』

 最近…月から帰った頃から、美神の雰囲気が少し変わった事にルシオラは気が付いていた。
 会ったのは数回(美神が見舞いに来たのは)だが、昔に比べ肩の力が抜けたと言うか、少し素直になったと言うか……。
 前回(美神が退院する時)、西条と一緒に訪れた時の雰囲気は何となく進展の予感を感じさせるモノだったし。
 ならば、ここで西条の後押しをしてもいいかな、等と考えているルシオラ。
 ルシオラがそんな事を考えている間にも、その提案に少し考え込んだ横島だったが、すぐに顔を上げて頷いた。

「確かに、妖怪による失踪事件なら、西条さんなら現れても違和感が少ないな」

「そうですね。それに私やヒャクメが連日東京にいるわけですから、少し気になる妖気を感じたと言えば、話を持って行きやすいかもしれません」

「成る程。じゃあ俺も小竜姫様と一緒に西条さんの所に顔を出すか」

 体を動かすチャンスとばかりに、そう言ってベッドから降りようとした横島だったが、がっしりとその肩を小竜姫に掴まれてしまう。

「いいえ、西条さんの所には、私が行ってきます。横島さんは休んでいなければダメです。ルシオラさん、横島さんが抜け出さないようにしっかりと見張っていてくださいね」

『わかってるわ。じゃあヨコシマ、『投影』の双文珠を出してくれる?』

「あ、ああ……って、こんな病院の中で姿を現して大丈夫か、ルシオラ?」

 ルシオラのお願いが何をするためか、即座に気が付いた横島が慌てて尋ね返した。
 『投影』の文珠を発動させれば、横島の魂に融合しているルシオラの姿を半実体化させる事ができる。
 しかし、それによってルシオラの姿は、少しでも霊能力がある人間ならば見る事ができるようになってしまうのだ。
 未だルシオラの存在を秘密にしておかなければならない時期に、そんな危険な事をするのは容認できない。

「うふふ……。大丈夫ですよ横島さん。ヒャクメが外で見張っていますし、この病室には人払いの結界を張っておきます。ルシオラさんが姿を現しても何の問題もありません」

『そう言う事。さあ、お願いねヨコシマ』

 だが、奥さんズは対策をきっちりと立てており、もはや横島に反論の根拠は残されていなかった。



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