フェダーイン・横島
作:NK
第107話
横島がベスパと話をしている時、美神は自らの心の裡より湧き上がった、あまりにも自分らしくない感情に戸惑っていた。
「道具はある目的のために必要な機能を備えている……ただそれだけのものだ。一方、『作品』には作者の心が反映される。意図しようがしまいがね。お前は私が意図せず作った作品なのだよ」
ボウっと佇んでいる美神は、そう言いながらゆっくりと階段を下りてくるアシュタロスを見詰めている事しかできない。
先程から彼女の身体は、まるで金縛りにあったように動かす事ができないのだ。
「千年前。お前にしてやられた時は屈辱的に感じたモノだったが――――後でそれに気付いて――私は嬉しかったよ。私もまた、造物主に反旗を翻す者。お前は私の子供…分身なのだ。独り戦い続ける私の孤独を――お前という存在が和らげてくれる。私は創造する喜びを知った。戻ってこい、メフィスト! 私の愛が理解できるな!?」
その言葉と共に、階段を下りきったアシュタロスの身体から、先程までとは比べものにならない強烈な魔力が放出された。
その奔流を受けた美神は、強制的に魂に掛けていた前世の記憶のプロテクトを解除され、メフィストとしての記憶と意識が浮かび上がる。
「ア……アシュ様……!!」
「!! 令子、あんたっ!?」
横島に美神の前世の記憶が蘇りかけている、と聞かされていたエミは、注視していた美神の様子からその言葉が正しかったと判断した。
あまりにもいつもの彼女らしくない態度、そして目の前のアシュタロスを敬称付きで呼ぶなど……。
一応、美神の親友であるエミにとって、これだけの材料があれば判断は容易だ。
「お前の裏切りを私は許そう。おいで、我が娘よ」
その言葉に惹かれるかのように、フラフラと歩み出す美神。
エミは美神の腕を掴み、真剣な表情で呼びかける。
「ちょっと、令子!! 気を確かに持ちなさい!! アンタ、ここに戦いに来たんでしょ!? それとも、今更前世に引き摺られるってーワケ!?」
何故、横島はこんな状態の美神を止めようとしないのだろう、と思いながらも美神を正気に戻そうと大声を上げるエミ。
チラリと向けた視線の先には、ベスパとか言う敵の女魔族と何やら話している横島の姿が映っていたが、今は美神を正気に戻す事が先だった。
「…………正気を失ってるわけじゃないのよ、エミ」
「え!?」
「ただ……全部思い出しただけ……。生まれる前の事――――遠い昔に私がメフィストだったこと――――。私にとって、アシュ様は絶対だったのよ。アシュ様に捨てられて――――横島君の前世に優しくされて――――私は裏切った……!」
さらに独白を続けながらアシュタロスに近寄っていく美神。
だがその時、美神の後ろでは光と共に小竜姫とルシオラが姿を現した。
ルシオラの出現というその予想外の出来事に、それまで悠然としていたアシュタロスの表情が驚きへと変わる。
それはそうだろう。
土偶羅の報告では、ルシオラは確かにテン・コマンドメンツに触れ自己消去プログラムが作動したのだから……。
それが元気な姿を見せたと言う事は、一度発動したプログラムを何らかの方法で停止させ、さらには霊体を復元した事になる。
そしてその隙に、美神の手が自分の側頭部へと添えられた事に気が付き、視線を戻したアシュタロスの眼に飛び込んできたものは……。
「何だとっ!?」
「…っ! ざけんなクソ親父――ッ!!」
ドギャッ!!
いきなり登場したルシオラの姿に驚いたアシュタロスの霊圧が、僅かに揺らいだその瞬間。
自分を取り戻した美神は、近寄っていたアシュタロスの頭をしっかりと押さえ込み、渾身のヘッドバットを喰らわした。
そして即座に後ろへと跳躍する。
「冗談じゃないわよっ!! 思い出した以上、なおさらアンタをぶっ殺す!! 私を誰だと思ってんの!? ゴーストスイーパー美神令子!! 神も悪魔も恐れる私じゃないのよッ!!」
「フンッ! いつもの令子に戻ったワケ。いくわよ、令子!!」
「ええ!」
エミは『同』『期』と文字が込められた文珠をそれぞれ手に持ち、一気にその霊力を解放する。
するとエミの身体が徐々に消え去り、美神の身体へと吸い込まれ、全身が消滅すると強烈な閃光を発した。
「な……!? なに、このパワーは!?」
「霊力を同期させ共鳴させたのさ。小竜姫、ルシオラ、ベスパの事は頼む!」
「わかりました」
「しっかりね、ヨコシマ!」
横島には及ばないが、美神までもが信じられないほどのパワーアップを遂げた事に驚愕するベスパ。
だが、我に返り慌ててアシュタロスを援護すべく動き出そうとする。
しかし、横島に頼まれた小竜姫とルシオラがベスパを前後から挟むように立ち塞がり、その行動を妨げた。
「邪魔するのか!? 姉さん!!」
「アシュ様の相手はヨコシマと美神さん達がするわ。貴女の行動は私達が抑えるわよ。それがヨコシマのお願いだし」
「どうしても…というのであれば、私達を倒す事です」
キッと睨み付けてくるベスパの視線を受けながら、静かに落ち着いた口調で答えるルシオラ。
小竜姫も同様に、これから戦いを繰り広げるとは思えない程落ち着いている。
ベスパという懸念が無くなった横島は、飛竜を抜き放って一瞬で美神の横へと移動した。
「ほう……考えたな」
横島に注意を向けつつも、美神が行った事を興味深そうに見詰めるアシュタロス。
その口から、感心したように言葉が呟かれた。
「さあ、速攻で決めましょう!」
横島が横に現れて声をかけた時、エミと美神の合体は終了していた。
声に応えるかのように閉じられていた瞳が再び開かれた時、美神の身体は特撮物のヒーローのような格好へと変貌していたのだ。
ウル○ラマ○のような格好という方がわかりやすいかも知れない。
そして肩にはレンズ上の膨らみがあり、本来であればエミか美神の顔が映るのであるが……。
「「わかったわ、横島君!」」
なぜか返ってきた声は美神とエミ、2人のものだった。
そして、その顔は美神とエミのものが目まぐるしく入れ替わっている。
『うわ……、2人とも表に出てきてるよ……』
『美神さんもエミさんも、絶対に相手に主導権を譲らないタイプだものね……』
『それでも、きちんと体を動かせるなんて、常識外れですね……』
横島が脳内でルシオラ、小竜姫の意識と溜息を吐きながら会話しているように、美神とエミは相手に1つになった身体の主導権を譲る事を拒んでいた。
というより、隙あらば相手を表から引きずり下ろそうと争っている。
それにもかかわらず、きちんと身体を動かしているのには感心せざるを得ない。
「『竜の牙』『ニーベルンゲンの指輪』を1つの武器に!!」
「分かってるワケ! どーせ長くは保たないんだから!」
殆ど独り芝居に見えるやり取りで、右前腕部から1つの武器へと融合させた「竜の牙」、「ニーベルンゲンの指輪」を霊波刀のような形状にして出現させる。
それは鋭利な剣とでも言うべき武器となっていた。
一方、横島は最大限に練り上げた霊力を飛竜へと流し込み、最強の奥義を放つべく構えを取る。
横島の霊力は最大レベルの神魔共鳴によって約3万マイトへ、同期合体した美神とエミの霊力も約2万5千マイトへとなっている。
さらに横島の場合は、溜さえ作れれば攻撃に使う霊力を2倍近く上げる事が可能なのだ。
「す……凄い霊力だ……。何者なんだい、ヨコシマって…?」
「私と小竜姫さんの想い人よ! そして、あれがヨコシマの本当の力……」
少し離れたところでルシオラ、小竜姫と対峙しているベスパが放心したように、アシュタロスに挑もうとしている2人の霊力に感嘆の声を上げていた。
そんな妹に、少しだけ誇らしげに自分の最愛の人の実力を教えるルシオラ。
これで、ベスパが不用意に横島に襲いかかる事はないだろう、と内心で安堵しているのだが……。
「確かにパワーは人間の限界を遙かに越えたようだが、ちゃんと戦えるんだろうねメフィスト? 私の見たところ後2,3分で―――」
人界における上級神魔レベルの力を放つ横島達を前に、尚も余裕を持っていたアシュタロスだったが、横島が左手をサッと上げてその掌から4個の光が空中へと放たれたのを見て言葉を途切れさせた。
そして、己の魔力シールドに魔力を注ぎ込む。
「行きますよ! 『爆雷降臨』!!」
「ええ! 心配無用なワケ、アシュタロス! 今すぐ極楽へ―――」
「!! 3つの攻撃を、タイミングを合わせてか! …は…速い…!?」
空中で4個の文珠が発動し魔法陣が現れ、そこから放たれた6本の雷がそれぞれの方向から襲いかかる。
それにタイミングを合わせて、合体した美神&エミと横島は床を蹴ってアシュタロスとの間合いを詰め、必殺の一撃を放った。
ドガラララ! ドドドドン!!
「真・破邪滅却!!」
「―――逝かせてやるわッ!!」
『クッ!? 最初の法術攻撃でシールドに負荷が掛かって歪む……。予想の数倍以上の出力……!? まずい、このままでは!』
アシュタロスは法術文珠の使用を想定していなかったのだろう。
神魔界との接続妨害に自身の魔力の大半(98%)を振り向けているため、この状態でアシュタロスの振るう事が可能な魔力はせいぜい20万マイトである以上、6方向から襲いかかった各々2万マイトの雷撃を防ぎ、尚かつ美神&エミと横島の必殺技を食い止める事はさすがに不可能だった。
僅かな抵抗の後に破られたシールドを前に、珍しく笑みを消し真剣な表情を浮かべたアシュタロスは、即座に対応策に思いを巡らす。
ドシュ!! ズブブ……ッ!!
『いける……!?』
『やったか!? ……いや、これは……!?』
一方、確実に魔力シールドを突き破り、切っ先がアシュタロスの身体を捉えた手応えを感じた美神&エミは勝利を思い浮かべた。
横島は、一度限りの奇襲とも言うべき自分の作戦が上手くいった事に心の中で思わず頷いたのだが、途中から感じられた手応えの変化を敏感に感じ取って眉をひそめる。
刀身がアシュタロスの身体に突き刺さり、その身を抉り突き破る感触が確かに横島、美神&エミの腕を通して伝わってくるのだが………微かな違和感があった。
ドバッ!!
自分が叩き込んだ霊力の渦が、突き破ったアシュタロスの背中側の傷痕から盛大に吹き出すのを見て、横島は冷たい物が背中を走り抜けるのを感じた。
彼はアシュタロスが何をしたのか、一瞬で理解したのだ。
「美神さん、エミさん!! 直ぐに剣を引き抜いて後ろへ跳ぶんだ!!」
「「……えっ!?」」
合体している美神とエミは、横島がなぜか焦っていることはわかったのだが、その理由がさっぱりだった。
確実に自分達の攻撃は、アシュタロスの身体を貫いている。
それは、アシュタロスの背中側から紫色の血と魔力、霊力が吹き出した事からも明かではないか。
だが、横島はアシュタロスの腹に蹴りを入れ反動で突き刺した飛竜を抜き、さらに距離を取るべく跳躍へと移っている。
慌てて剣を抜こうとした美神&エミだったが、なぜか突き刺した剣はビクともしない。
「メフィスト……! お前は――所詮その程度にすぎんのか!? 自分が仕掛けた攻撃の結果も判断できんとはな……」
興醒めだ、と言わんばかりに吐き捨てたアシュタロスの声に、慌てて顔を上げて自分を見下ろす相手の顔を見る。
そこに浮かんでいたのは……侮蔑。
「!!」
「美神さん、エミさん! 喰らえ、蛍光裂斬!!」
「「きゃあッ!」」
美神達を援護するために放たれた横島の一撃だったが、無造作に振るわれたアシュタロスの腕の一閃で合体した美神&エミは吹き飛ばされ、さらに迫り来る霊力切断波を返す手でガシッと掴み取り、暫しの均衡の後、力を込めて握りつぶす。
その姿は、正に魔神という威厳に満ちたものだった。
「なかなか良い攻撃だったよ……ヨコシマ。さすがの私も、危うく霊力中枢を貫かれるところだった。メフィストとは違って、私を少しは楽しませてくれたよ」
「フン! あの瞬間に霊基構造を一部変化させて、中枢を迂回するようにわざと弱い部分を作ったってわけか。おかげで、叩き込んだ霊力衝撃波の大半は、その経路を伝って外に吹き出しちまった。刺突の方もそれによって、上手く急所を逸らせてくれたしな」
凄まじい勢いで吹き飛び、合体が解除されてしまった美神とエミの様子を伺いながら、忌々しそうにアシュタロスのやった事を解説する横島。
横島自身、今の攻撃でひょっとするとアシュタロスを倒せるのでは、と思っていたのだから。
だが、やはり武闘派ではないと言えども、アシュタロスは魔神であった。
横島は即座に自分の油断を戒め、作戦を変更する。
「それをあの刹那に理解し、即座に離脱。メフィスト達の支援まで行うとはね……。いやいや大したモノだ」
横島に賞賛の言葉を贈ると、アシュタロスは羽織っていたマントを脱ぎ捨てる。
その下からは、別に格闘戦のために体を鍛えたわけではないのだが、やたらとマッチョな肉体が現れた。
その胸部には、背中側へと達した2つの大きな傷痕が見える。
大きい方が横島の真・破邪滅却によって、少し小さい方が1つにした「竜の牙」&「ニーベルンゲンの指輪」によって付けられた傷痕である。
「だが……この程度の攻撃では、私を倒す事はできんよ。お前達の負けだ」
アシュタロスの言葉と共に、人間であれば致命傷であるその傷は、瞬く間に回復し消え去ってしまう。
その様子を床に倒れたまま見ていた美神とエミは、魔神のあまりの強大さに言葉も出せない。
あの一撃は、文字通り上級の神や魔を十分葬る事ができるものだった。
それさえも通用しないとなると、対抗策など考えようもない。
「メフィスト、お前を過大評価しすぎたようだ。まずはお前を消し飛ばすとしよう」
既に諦観を浮かべている美神へ、横島への注意を怠らずにスッと手を出したアシュタロスは、止めとばかりに魔力砲を放った。
ドギャアァァ! ビシッ!!
しかしその一撃は、アシュタロスから2人を守るように立ちはだかった横島によって斬り飛ばされる。
「ほう……自分達の攻撃が通用しないとわかっても、まだそれだけの闘志を持つとは……」
「そうかい? だが、今の一撃を受けてみて分かったぜ。お前も相応のダメージを受けているってな! お前の霊波……弱まってるじゃねーか」
未だ闘志をみなぎらせ対峙する横島に、微かに眩しそうな視線を送ったアシュタロス。
しかし、横島は冷静にアシュタロスの力を量っていた。
その一言に、ニヤッと笑みを返すアシュタロス。
「さすがだね……気が付いたのは褒めてやるがね、図には乗るなよ。傷の再生のために、一時的に外に放出するパワーが減少しているだけだ。だが……面白い。その気なら抵抗してみろ! それが生きる者の務めだ!!」
そう言って静かに近づくアシュタロス。
多少衰えたとはいえ、その威圧感は膨大である。
「奴は正しいワケ! 本体の力は全く落ちていないワケ!」
「私達だけじゃ勝てそうにもないわね」
ヨロヨロと立ち上がったエミと美神が、お互いに囁き合う。
本来なら闘志も戦意もとっくに尽きているのだが、自分達にはまだ横島がいる。
その思いが2人を支えているのだ。
「いえ、これで良いんですよ。奴が持つ本来の力は、この程度で落ちたりはしないんですから」
アシュタロスから眼を離さずポツリと呟いた横島の言葉に、エッと言う表情を見せる2人。
この絶体絶命の状況で、横島は何を言っているのだろう?
だが、今は迷っている場合ではない。
「俺達がアシュタロスを倒すだけが、この戦いの勝ち方じゃないってね……」
『それに……こうなったら、今確実に倒しておかなけりゃいけないのはむしろ…………』
後半は口に出さずにそう言った横島は、即座に極度の集中へと入っていった。
「なんだ……!? アシュ様はさっきから―――まるで倒されるのを望んでいるような……?」
先程からの一連の攻防を眺めるだけだったベスパは、あまりやる気の見られないアシュタロスの言動に頭を捻っていた。
彼女の言葉通り、アシュタロスの態度は自分を殺して見よ、と言わんばかりなのだ。
それはおそらく、圧倒的な力を持つ魔神としての余裕から発せられているのだと、最初は思っていた。
そう、相手の心を砕き、抵抗は無駄だと心の底から絶望させるための方策だと……。
だが……、だが、本当は違うのではないか?
自分の主は、………本当は倒される事を望んでいるのではないか?
そんな疑念が、ベスパの脳裏に閃いたのだ。
「ベスパ……。貴女やはり、まだアシュ様から真の願いを聞かされていないのね……」
「ルシオラ、アンタ何を知っているんだ?」
意味深な事を呟くルシオラに鋭い視線を送りながら、ジリッと右の爪先に力を込めようとするベスパ。
だが、それに応じるように、正面に立つルシオラの身体に力が入るのを見て、諦めたように力を抜く。
無論ルシオラと同時に、背後の小竜姫の気配が微かに変化するのを感じたからだ。
先程から、何とかアシュタロスを助けようと画策しているベスパだが、動こうとするなり前後にいるルシオラと小竜姫によってそれを断念させられているのだ。
2人を無視して動けば、その瞬間に自分は前後から攻撃を受け、おそらく動けなくなるほどのダメージを負うだろう。
『ちっ! ルシオラの奴、身体から放出されている魔力は以前より弱いみたいだけど、総魔力は上がったみたいだね……。一体どうやったっていうんだ? それに、情報では横島は念法とかいう術を使って身体の霊的防御を落とさずに、攻撃や防御に自分の総霊力と同じぐらいの出力を出せる、っていう事だし。小竜姫やルシオラも同じと考えた方が無難だろうね……』
これまでの情報や自分の勘を基に、今下手に動く事は危険だと判断しているベスパは、この睨み合いともいうべき状況を打開できないでいる。
何しろ、目の前のルシオラは自分達といた時が嘘のように、熟練の戦士といった足捌きや動きを見せている上、身体から放つ氣も自分を怯えさせるほど威圧感がある。
さらに、後ろの小竜姫は神剣の達人だ。
おそらく、ルシオラと小竜姫の実力は同じぐらい、というのがベスパの見立てだった。
その心中では、なぜ短時間でルシオラの実力がここまで上がったのか、という疑念の答えを求めていたが、導き出せたとしても状況は変わらない。
2対1という圧倒的に不利な状況では、自分にはパワーで押し切るしか手段など無いのだから……。
「動かないでね、ベスパ」
「動けば……残念ですが倒させて貰います」
「くっ……!」
今の自分には、眷族たる妖蜂達もいない。
せめてパピリオがいれば、互角の戦闘が望めるのだが……。
そういえば、パピリオからの連絡がない。
まさか……あの娘がやられたのだろうか?
精神を消耗させる睨み合いは、この後しばらく続けられた。
「クックックッ……。予想以上に骨のある男だね、君は。よかろう、生か死か―――ここがお前達の分かれ目だ!! 生き延びたければ足掻いてみるがいい!!」
ヴゥウン……ドドウッ!!
何やら楽しそうに笑ったアシュタロスは、両手を前に突きだし、彼が今の状態で込められる最大レベルの魔力砲を放った。
それは低出力の断末魔砲に匹敵する、10万マイトもの魔力が込められた必殺の一撃。
自分に楯突く横島を、この一撃で確実に葬り去ろうという意志が込められている一撃。
アシュタロスは、横島だけでなくここにいる小竜姫やルシオラ、ベスパをも全て巻き込んで吹き飛ばす事を躊躇しなかった。
「「横島君!!」」
既に観客となった美神とエミが、アシュタロスの意図を察し、吹き飛ばされる横島を想像して叫ぶ。
だが、迫り来る魔力砲を前にニヤリとする横島
『かかった! 俺が知るアシュタロスなら、必ずここで肉弾戦ではなく魔力砲を撃ってくると思っていたぜ』
自分の読みが当たった事にほくそ笑みながら、横島は4個の文珠を左手の指の間に挟み一気に発動させた。
光と共に浮かび上がる、霊力や魔力を弾き反射させる魔力の楯、術式“魔鏡氷循”。
横島は発動した文珠を空中に残し、突破された時の事を考え即座に跳躍して後ろへと下がる。
平行未来であれば、もっと威力のある攻撃をも楽に跳ね返すこの魔術も、今の横島では本来の強度を持たせるだけの実力はない。
それ故、8割方跳ね返したところで魔力で作られた氷の鏡は砕け散った。
だが、楯を突き破ったエネルギーは、飛竜から撃ち放たれた奥義・爆竜弾によって相殺される。
そして、爆竜弾を放った直後、横島の姿は一瞬で消えていた。
カ―――ッ!! バウッ!!
「…!! バカな!?」
魔力砲を放ち、防げるものなら防いでみよ、という構えだったアシュタロスの纏う雰囲気が、一気に緊迫したものへと変わる。
己の放った必殺の一撃が、信じられない事に横島の眼前で一瞬止められ、あろう事か跳ね返されて自分へと襲いかかってきたのだから。
さらに、いつの間にか先程いた場所から空中へと移動した横島が、連続で技を繰り出す際に制御できる最大レベル(5万マイト)の霊波砲を絶妙のタイミングで放つ。
超加速を使い、一瞬で攻撃位置へと移動したのだ。
「クッ! 跳ね返した私の攻撃と、自分の攻撃の着弾タイミングを合わせて威力を増すとは!! だが、避けてしまえば済むと……なにっ!?」
この戦いが始まって初めて、アシュタロスの表情から一切の余裕が消え去る。
即座に跳躍して躱そうとしたのだが、なぜか体を動かす事ができなかったのだ。
慌てて周囲を探ると、自分を取り囲むように4個の『縛』と文字の込められた文珠が光りながら浮いていた。
「ちっ! だが……私を甘く見るなよっ!!」
そう叫んで使用可能な魔力を一気に放出し、自分を縛り付ける霊力の鎖を引きちぎる。
だが、既に攻撃を回避するタイミングは失われていた。
最早防御するしかないのだが、今のまま(自分の殆どの魔力を冥界チャンネルの遮断に使った残り)の魔力ではこの攻撃を防ぐ事はできない。
今、自由に使える魔力は約15万マイト(先程の攻防で受けた傷の再生に廻しているため)。
戦士ではない彼が、即座に攻撃や防御に使える魔力は7万マイト程度。
この出力では、着弾位置に集束展開しなければ、跳ね返されてきた自分の攻撃を防ぐことすら難しい。
ましてや、上乗せされて襲いかかる横島の攻撃を同時に防ぐ事など、不可能なのだ。
この危機を回避するには、同等以上の出力をぶち当て、相殺するしかない。
「私は……こんなところでやられるわけにはいかん!!」
驚異的な速度で突き出した両手に魔力を練り上げると、間近に迫った魔力の塊目掛けて再度魔力砲を撃ち出す。
そして同時に魔力シールドを前方に集束展開にして、横島が放った霊波砲への防御を固めた。
グアッ!! ズガガガアアッ!!
ゴオオォォオッ!!
猛烈な衝撃が、爆発の至近距離にいたアシュタロスに襲いかかる。
「うぐぐぐぐぐっ!」
さすがのアシュタロスも膝を付き、歯を食いしばってその威力をやり過ごすまで耐えるしかない。
横島の撃った霊波砲の威力の大部分は、集束させた魔力シールドで防いだが、その代償としてシールドは破壊された。
いかに強大な魔力を持つアシュタロスであっても、日頃修行などしていないため、あの瞬間に5万マイトの集束霊波砲を防ぎきる魔力を集める事ができなかったのだ。
爆発の余剰エネルギーが容赦なくアシュタロスの身体に細かい傷を付けていく。
そして、衝撃を防ぎきったとアシュタロスがホッとした瞬間。
爆煙の中から影が躍り出た。
それは飛竜を振りかぶり、斬りつけようとしている横島。
「ばかめ、甘いわ!!」
これまで集めたデータから、この煙に紛れての奇襲を予想していたアシュタロスは、魔力を汲み上げて一瞬で前へと出ると、凄まじいスピードのパンチを叩き込む。
そのあまりのスピードのため躱す事ができない横島に、アシュタロスのパンチが突き刺さろうとした瞬間、その姿が揺らぎ幻のように消え去った。
勝利を確信していたアシュタロスの顔が、驚愕へと変わる。
「幻影……!!」
それは自分を裏切った部下、ルシオラの技だった。
そしてアシュタロスは背後に殺気を感じる。
エネルギー切れ寸前の状態から漸く回復させた魔力は、幻影への攻撃のために廻してしまったため、背後のシールドは下級魔族レベルでしかない。
このままでは背中から致命傷となる攻撃を受けてしまうだろう。
……シャッ! ドシュッ!!
本能的に霊力中枢を守ろうと、僅かに身体を横へと動かすと同時に、アシュタロスは自分の肩に何かが触れたような感触を感じた。
まだ危険が続いていると警告を発している本能に従い、日頃鍛えていないとは思えないほどの速度でそのまま横へと跳躍する。
「……ちっ! 避けたか」
「いつの間に後ろに……ぐはっ!?」
着地と同時に体を入れ替えて横島に向き直ったアシュタロスがホッと気を緩めた瞬間、彼の左肩から盛大に紫色の血と魔力が噴き出した。、
いつの間に傷を受けたのか、と驚きながら左肩を見ると、大きく斬り裂かれ抉られている傷口からドクドクと血が流れ出ている。
「な……なにっ!? バ、バカな……?」
「まさか今の拳を躱すとは思わなかったな……。でも油断したな、アシュタロス。俺の念法は別に武具を使わなくても、霊力をさらに練り上げる事ができるのさ。今の俺なら、痛みすら感じさせずに心臓を抜き取る事だってできるぜ」
今の拳を放ったのは横島に間違いないのだが、どうやって彼が自分の背後に回り込めたのか、アシュタロスには分からなかった。
そして、横島の多彩且つ凄まじい威力の攻撃に、所詮人間だと心のどこかで侮っていた自分の愚かさを反省する。
種明かしをすると、横島は先程『縛』の文珠をアシュタロス周辺に送り込む際、もう一つ『位』の文字を込めた文珠をも背後に放っていた。
そして煙に紛れると、まず『朧影』の文珠で自分の幻影を創り出してアシュタロス目掛けて放ち、その後即座に『転』の文珠を使って敵の背後至近距離へと転位する。
文珠の使用は、自分の腕に練り上げた霊力を消費しないため、転位後即座に最大級の霊力を込めた手刀を繰り出す事ができる。
そのため、溜を作らずに瞬時に攻撃を放てるのだ。
5万マイトを超える霊力の込めた横島の手刀は、下級魔族レベルにまで低下していた後ろのシールドを苦もなく突き破り、アシュタロスの背中から肩を斬り裂き、貫いたのだった。
更にいえば、溜を作らなくて済む分だけ速くなった攻撃に、格闘戦の心得など無いアシュタロスの防御が一瞬だけ遅れたということもあった。
「き……貴様アアッ!!」
「人間を甘く見過ぎたな、アシュタロス……。俺達だっていろいろと策略を練れば、相手が魔神といえども一泡吹かせられるんだぜ」
追撃を避けた横島は、彼の攻撃でガクッと片膝を突いたものの、こちらを睨み付けているアシュタロスに平坦な声で言い放つ。
だが、彼もよく見ればかなり息遣いが荒いし、疲れ切っているようにも見える。
連続で霊力を振り絞って攻撃を行ったため、実際には立っているのもやっとな状態なのだ。
制御にかなりの精神力を必要とする法術文珠の大盤振る舞いに加え、大量の霊力を必要とする奥義の連続使用。
横島の霊力は、ほぼ枯渇した状態だ。
今も平然としたように見せかけているが、全力で体中のチャクラを廻し、残り少ない霊気を練り上げ霊力の再生を図っている。
作戦目的を果たすために、技だけでなく、口先まで動員して何とか戦いを互角に持ち込んでいる横島だった。
そして、霊力を回復させつつ、横島は次なる大技の発動を密かに準備していた。
人間の攻撃の前に膝を着くという屈辱を味わったアシュタロスも、戦いの狭間で激高した感情を一瞬で落ち着かせ、横島の狙いを看破しようと頭を回転させていた。
この辺は流石に魔王だけの事はある。
連続で魔力を最大レベルで使ったため、余剰魔力が枯渇し傷の再生が思うように進んでいないのだ。
既に体外に放出できる最大魔力レベルは、当初の6割以下に落ちている。
それさえも、現時点では身体の傷の再生のためにかなりの部分を内向きに使っているのだ。
無論、アシュタロス自身の持つ魔力は、まだまだ膨大な量を誇っているが、それを自由に振るえる状態でないのが忌々しい。
しかも、目の前の男のおかげで月から奪った魔力量は、当初予定の半分程度であり、この一連の攻防でかなりを失ってしまった。
このままでは、目の前で霊力回復に努めている横島に、負けないまでも勝つ事も難しい状況なのは変わらない。
その上、横島が先程と同レベルの攻撃をさらに仕掛けてくれば、最悪の場合は冥界チャンネル遮断を維持できなくなるかもしれないのだ。
『……確かに私が冥界チャンネル封鎖に魔力を振り分けている限り、コイツは私を傷つけるだけの攻撃を放つ事ができるというワケか。だが、いろいろと奇策を使ってくる割に、力任せの攻撃が中心なのはなぜだ?』
自分の傷を再生させながら、アシュタロスは横島の攻撃が力押しであることに違和感を感じていた。
それに、目の前の男はまだ何か隠し球を持っているような気がする……。
1000年前と同様に、また何か思いもかけない奇策を考えているかも知れない、と頭をフル回転させる。
そして横島がチャクラを廻し霊力を回復させた頃(その時間は数分だったが)、アシュタロスの冷静な頭脳は1つの回答に辿り着いていた。
『…………そうか、ヨコシマは私の防御力を超える攻撃を連続で仕掛ける事で、私に冥界チャンネル封鎖に廻している魔力を防御に廻させようとしているのだな。そうすれば、奴らの負けはなくなるのだから。だが、自分だけでは私の防御を超える攻撃を放てない。故に私自身の力を利用する、か……。なかなか喰えない奴だな、ヨコシマ』
先程から戦いの主導権を完全に横島に奪われていたアシュタロスは、漸く敵の意図を見抜いた事で的確な対応を考えられる状態を手に入れたのだった。
神魔族の介入さえあれば、人類側の負けはないと冷静に計算しているのだろう。
あれだけの力を持ちながら、一切の幻想を抱かず、極めて現実的に彼我の戦力比を理解している点こそ恐ろしい。
アシュタロスは心の底からそう思った。
「……す、凄い」
「あのアシュタロスに……1対1で互角以上に渡り合うワケ?」
「エミ、動けるんだったら、もう一度合体するわよ!」
「分かったワケ! 私だってこのまま観客になるなんて御免だものね」
一方、観客となって戦いを後方で見ていた美神とエミは、常識外れの戦闘に呆気にとられていたが、漸く言葉を絞り出した。
横島の実力は知っていたつもりだったが……ここまで非常識だったとは。
ここまでの戦いを見る限り、横島がアシュタロス相手に有利に戦いを進めている。
今再び、自分達が同期合体して参戦すれば、この均衡を大きく崩せるかも知れないのだ。
しかし……彼女たちはそれが薄氷を踏むような有利さであることをわかっていなかった。
「ア、アシュ様――――ァ!!」
自分とは次元の違う戦闘を目の当たりにし、ルシオラと小竜姫に動きを封じられていたベスパは、横島の拳がアシュタロスの肩を斬り裂いた瞬間、絶叫していた。
横島の闘い方は見事だった。
霊力ではアシュタロスに勝てない事を知っていた彼は、様々な手段を用いてアシュタロスとの霊力差を埋めたのだ。
そのためにアシュタロスの魔力砲を跳ね返し、さらに上乗せして攻撃を加えて魔神の防御力を削り取った上で、まさかの肉弾戦を仕掛けたのだ。
パワー差が無くなった戦いでは、純粋なお互いの戦闘技量によって勝敗が決まる。
これまで格闘戦の訓練などしてこなかったアシュタロスと、ひたすらにその修行をしてきた横島。
同じ土俵に立った時、その違いが初めて戦況に結びついたのだ。
「さすがはヨコシマ、巧みな組み立てだったわ。でも、アシュ様もやっぱり魔神よね……」
「はい。横島さんは、これまで積み上げてきた能力を最大限に発揮して戦っています。でも……まだアシュタロスには余力があります」
そんなルシオラと小竜姫の会話を聞きつけたベスパは、キッとした表情でルシオラを睨み付ける。
尤も、小竜姫とルシオラは横島有利に見える戦況が、いつひっくり返ってもおかしくない拮抗したものだと理解していた。
そのため、口調はどこか心配するような響きが感じられる。
だが、3姉妹の中で最もアシュタロスを慕っているベスパには、そこまで察する事はできなかった。
「姉さん! 姉さんはこれで満足かい!? 自分の好きな男が、創造主であるアシュ様を傷つけて!?」
「ベスパ、それは違うわ。ヨコシマの攻撃はアシュ様を滅ぼそうとしたものではないのよ」
「そんな事言ったって、アシュ様はあんなに酷い傷を負ったじゃないか!」
「ルシオラさんの言うとおり、横島さんの攻撃はアシュタロスを殺そうとしているわけではありません」
「……?」
小竜姫の言葉に、表情は厳しいままだが怪訝そうな顔をするベスパ。
ルシオラは、未だ横島の意図がわかっていない妹に補足説明を加える。
「アシュ様が本気を出せば、いくらヨコシマだってあれ程拮抗した戦いはできない。圧倒的な火力での連続攻撃に、近付く事さえ困難だもの。でも今のアシュ様はそれができないわ。なぜだかわかる?」
「そりゃあ……今のアシュ様は冥界チャンネル遮断に魔力の大半を割いているからだろ!」
「ええ、そうね。でもそれだって、アシュ様が命の危険を感じれば防御のために使うしかないでしょ? だから、アシュ様が本気になれば、絶対に死にはしないわ」
「あっ! そ、そういうことか!?」
ルシオラの説明に、漸く横島達の目的を察したベスパが声を上げた。
よくよく考えてみれば、魔神であるアシュタロスに対抗できる戦力は、同じ魔神クラス以上の魔族か、超上級クラスの神族ぐらいしかいない。
それにもかかわらず、横島が実力伯仲に見える戦いを展開しているのは、アシュタロスが実力を発揮していないからだ。
だが、横島を倒すためにさらなる力を求め、引き出す事になれば…………。
「貴女の考えているとおりです。横島さんを圧倒するだけの魔力を放出すれば、神界と魔界を繋ぐ冥界チャンネルが復活します。そうすれば両界から高位の神魔が応援にやって来てアシュタロスは拘束され、今回の騒動は終わりです」
「別に、ヨコシマや私達が実力でアシュ様を倒す必要はないのよ。実際、そんな事は無理だしね。私達の目的はあくまで、アシュ様の人界における勝利条件を崩す事」
小竜姫とルシオラに言われた事を考えるベスパ。
確かに人間や神魔側がアシュタロスに負けないためには、今の説明内容で十分である。
そしてそれは、アシュタロスを殺したり行動不能に追い込む事より、数段ハードルが低いのだ。
「くっ……! 負けない戦い方っていうわけか……」
その事に思いもつかなかったベスパは、悔しそうに呟いた。
彼女にとって、戦いとは正面から相手を叩きのめし、制圧するという事を意味していたため、思考パターンが対応できなかったのだ。
だが、美神やエミは言うに及ばず、ベスパさえもこの戦いに重要な影響力を持つファクターを忘れ去っていた。
そして、横島達3人の真の狙いもまた…………。
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