交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第七話 −奇跡の価値は− (01)




 ミサトとリツコ、それにマヤは、使徒戦の後始末と停電事故の調査のため、徹夜で作業を続けていた。

「被害状況の報告をお願い」

 マヤが、先ほどまとまったばかりの、被害状況の資料を読み上げた。

「電線の物理的な切断が27ヶ所。
 それにプログラム操作による巧妙な隠蔽工作が10ヶ所発見されました。
 現在、58%まで回復しています」

「やはり、誰かが故意にやったのね」

 マヤの返答を聞いたミサトは、壁に寄りかかりながら、右の手のひらの上に(あご)をのせた。

「誰の仕業にせよ、目的はおそらくここの調査ね。復旧ルートから、本部の構造を推測できるわ」

 自分で()れたコーヒーを飲みながら、リツコが自らの推論を述べる。

「シャクな奴らね」

「MAGIにダミープログラムを走らせておいたから、全体の把握(はあく)はできなかったと思うけど……」

「でも本部初の被害が、使徒ではなく人間にやられたなんて、やり切れませんね」

「それにしても、いったい誰が……?」

「内部の人間、ということは確かね」

 リツコは、コーヒーの入ったマグカップを、目の前のテーブルの上に置いた。

「ネルフにスパイがいるってこと?」

「今、所員全員の動向を詳しくチェックしているわ。
 犯人は案外、近くにいるかもしれない。
 身近な人間ほど、本当の姿が見えないってこともあるわ」

 リツコのその言葉を聞いたミサトは、一瞬表情を引き締めた。
 そしてリツコの傍に寄ると、耳元で(ささや)きかける。

「彼は停電になったとき、私と一緒にいたわよ」

「確かにね。でも、それもアリバイ工作だと疑うこともできるわ。敵は一人とは限らないのよ」

「それも、そうだけど……」

「ところで、その彼は?」

「あのブワッカ、とっとと松代に逃げたわよ。外せない出張とか何とか言ってさ。
 本部がこんなに大変だってのに」

「まあ、特殊監察部の出番じゃないけどね。
 それに、正直助かるわ。本部内の監視網が寸断されていて、所員の行動を把握(はあく)しきれないのよ」

 不幸中の幸いなのか、リツコが冷めた笑みを浮かべていた。




 使徒戦が終わったあと、シンジたちは夜になって、保安諜報部に回収された。
 ミサトが停電事故と使徒戦の後処理に追われていたので、シンジとアスカは二人だけで帰宅した。

(それでミサトさんが、朝になっても戻ってきてないというわけか)

「そうなんですよ、横島さん」

 今日は横島が来ていたので、シンジは朝のトレーニングをしながら、昨日の停電と使徒戦のことを話していた。

(弐号機を(おとり)にして、下から待ち伏せ攻撃か。シンジも、けっこうやるな)

「アスカと綾波が、協力してくれたお陰です」

(パレットガンが効かない使徒もいたから、今回敵を倒せたのは、運が良かったということもあると
 思うけど、全体的に見れば、よくやったと思うよ)




 朝のトレーニングを終えたあと、シンジはいつものように朝食の準備に取りかかった。
 以前はシンジが作って横島が食べることが多かったが、アスカと同居するようになってからは、シンジが食べることが多くなっていた。

 今日はあまり食欲がなかったので、ベーコンを軽く(いた)めたのとスクランブルエッグを、朝食のおかずにする。
 しかし、朝食の時間になっても、アスカが部屋から出てこなかった。

「アスカが起きてきませんね」

(昨夜遅かったんだろ? アスカはシンジのように、早起きじゃないからな)

 シンジは朝食を食べたあと、学校に行く支度をしたが、アスカはまだ部屋から出てこなかった。

「アスカ、まだ寝てるの? 先に学校にいくよ!」

 自分の冷蔵庫から出てきたペンペンに、キッチンで生魚をあげながら、シンジはアスカを大声で呼んだ。

「シンジ〜〜」

 ようやくアスカが、部屋から出てくる。
 しかし彼女は、病人さながらに真っ青な顔色をしていた。

「学校、行っちゃダメ」

「は!? な、何で?」

「ダメったら、ダメ。アンタは今から、ネルフ本部に行くの」

「だから、何でさ!」

「アンタのせいで、加持さんに誤解されちゃったじゃないの!
 責任取って、誤解解いてよ! 私とは全然関係ないって!」

 昨日、アスカに迫られたことを思い出したシンジは、思わずうろたえた。

「あ、あれは、アスカの方から迫ってきたんだろ! 自分で何とかすれば、いいじゃないか!」

「できるなら、そうするわよっ! でも、今日は生理二日目で、死ぬほどお腹が痛いのよ!」

「せ、生理って、そんなおおっぴらに……」

「それに、あんなとこ見られちゃったのよ。どのつら下げて、加持さんに会えばいいのよ……」

 顔をうつむかせたアスカが、わずかに顔と肩を震わせていた。
 もう一歩踏み込めば、泣き出してしまいそうなアスカを前にして、シンジは引かざるをえなかった。

「わかった……行けばいいんだろ?」

「待って」

 アスカは持っていた手紙を、シンジに差し出した。

「何、これ?」

「手紙。アンタの言葉だけじゃ信用できないから、昨夜書いたの」

「はいはい」

「絶対加持さんに会って、直接手渡してよ! アンタは絶対、中を見ないでよ」

「わかったよ」

 ネルフ本部に行くため、シンジはマンションを出た。

(で、昨日アスカと何があったんだ?)

「よ、横島さん!」

 マンションを出てドアを閉めた途端、横島がシンジに話しかけてきた。

(アスカに迫られたって、何のことだ?)

「それは、その……」

(加持さんに見られたというのは?)

「えっと、つまり……」

(学校でシンジと入れ替わって、あることないこと全部話してもいいんだけどなー)

「わ、わかりましたよ! 全部話します!」




 ネルフに着くまでの間、シンジは昨日の停電中の出来事を、横島に話した。

(ふーん。そこで、アスカが迫ってきたと)

「はい、そうなんです」

(で、やったのか?)

「や、やるって何をですか!?」

(鈍い奴だなー。キスだよ、キス)

「やってません! その寸前までいったんですけど……」

 シンジはキスする直前に停電が回復し、エレベーターのドアが開いて、ミサトと加持に目撃されたことを説明した。

(それにしても、シンジは恵まれすぎだぞ。レイちゃんだけでなく、アスカにまで手を出すとはな)

「だから、手なんて出してないですってば!」




 そうこう言っているうちに、シンジはネルフ本部に到着した。
 電力が完全復旧していないため、幾つかのドアを手動で開けたが、何とかミサトの執務室までたどり着くことができた。

「失礼します」

「あら。シンちゃん、どうしたの? 今日は学校のはずでしょ?」

「アスカに加持さんへの用事を頼まれたんですけど、僕、加持さんの部屋を知らないんです。
 それで、ミサトさんに教えてもらおうと思って」

「残念ね。加持は出張で不在よ」

「えっ、いないんですか!」

 せっかく苦労してここまで来たのに、あてが外れたシンジは、ガクッとしてしまった。

「急ぎの用事なら、私から加持に伝えておくけど?」

「あ、いいです。直接伝えますので」

「そう、ならいいわ。ところで、シンちゃん」

 ミサトはニヤリと笑うと、下唇をペロリと()めた。

「昨日はアスカと二人で、いったい何をしてたのかな〜〜?」

「み、ミサトさんこそ、加持さんと何をしてたんですか!」

「あら。私と加持は、エレベーターが急に動き出して、それで姿勢が崩れただけよ。
 それとも、シンちゃんとアスカも、偶然ああいう姿勢になったの?」

「そ、それはですね!」

「うふふ。ここだけの秘密にしてあげるから、お姉さんにこっそり教えなさい。
 シンちゃんはレイとアスカ、どっちが本命?」

(絶対、それはウソだーー!)

 うっかりそんなことを話したら、噂話(うわさばなし)のネタにされて、たちまちネルフ中に広がるだろうとシンジは確信していた。

「あ、あの、学校に戻るのでこれで失礼します!」

 危険を悟ったシンジは、大急ぎでミサトの執務室から逃げ出していった。







 数日後、シンジは一人で美神除霊事務所を訪ねた。

「こんにちは」

「いらっしゃい。今日はシンジ君一人?」

 事務所で留守番をしていたおキヌが、シンジを迎えた。

「横島さんと待ち合わせして、こっちの世界に来たんですけど、横島さんが、用事があるから先に
 事務所に行っててくれと」

「それじゃあ、中に入って。飲み物は紅茶でいい?」

「はい、お願いします」

 しばらくすると、おキヌがティーポットとカップが()ったお盆を持ってきた。
 そしてカップをシンジの前に置くと、()れたての紅茶を注いだ。

「おいしいですね」

「美神さんが、いいお茶の葉を買っているから。紅茶の味は、淹れ方とお茶の葉が大事なのよ」

「そうなんですか。今まで、ティーバックの紅茶しか、飲んだことがなかったんです」

「ティーバックの紅茶でも、きちんと淹れれば、けっこうおいしく飲めるわ」

「そうですか。今度、淹れ方を教えてくれませんか?」

「それじゃあ、後でやりましょうか?」

「はい、お願いします」

 しばらくの間、シンジとおキヌは雑談をかわしていたが、急にシンジが口ごもった。

「あの……」

「どうしたの、シンジ君?」

「いえ、何でもないです」

「何か、言いたいことがあるんじゃないの?」

 おキヌが少し頭を下げて、シンジと目線を合わせた。
 シンジはうつむいて視線をそらせたが、やがておずおずとしながら、口を開いた。

「実は、ちょっと聞きたいことが……」

「何かしら? 秘密の相談?」

「いえ、横島さんも知っているんですが、話したら思いっきりからかわれたので……」

「大丈夫よ。きちんと聞いてあげるから」

 おキヌは(ひざ)の上に手を置き、背筋を伸ばしてにっこりと微笑(ほほえ)んだ。
 おキヌの態度に誠実さを感じたシンジは、他の誰にも話せなかったんですと前置きし、語り始めた。

「女の子って、好きじゃない人にもキスできるんでしょうか?」

「そ、そうね」

 シンジの意外な相談内容に、おキヌは少し驚いた。思わず目を、ぱちくりさせてしまう。

「とりあえず、詳しい事情を聞かせてくれないかしら?」

「はい。僕と同じエヴァのパイロットで、アスカという女の子がいるんですが……」

 シンジは、先日の停電のときの出来事を、おキヌに話した。

「それでアスカなんですけど、アスカは本当は、加持さんという人が好きなんです。
 そのことを僕が知っているのは、アスカもわかっているはずなのに、どうしてキスしようだなんて
 言ってきたのか、どうしても理解ないんです」

「加持さんは、どんな方なの?」

「加持さんは、以前にアスカのボディガードをしていた人です。
 歳は三十歳くらいで、僕から見ても、けっこうかっこいい方だと思います」

「アスカちゃんは、シンジ君と同い年よね?
 さすがに三十歳と十四歳じゃ、不釣合いじゃないかしら。
 加持さんには、奥さんとか恋人はいないの?」

「えっと、僕の上司でミサトさんという人がいるんですが、ミサトさんと加持さんは以前につきあって
 いたみたいなんです。
 アスカと加持さんが日本に来たときに、ミサトさんとも再会したんですが……」

「そこで、加持さんとミサトさんのよりが、戻ったということはないのかしら?」

「はい。たぶん、よりが戻ったんじゃないかと思います」

 シンジは停電が回復したときに、エレベーターの床の上で抱き合っていた、ミサトと加持の姿を思い出した。

「シンジ君。アスカちゃんのことなんだけど」

「はい」

「女の子には、恋に恋する時期があるのよ。
 そういう年頃に誰かに(あこが)れの気持ちをもつと、自分でもそれを本物の恋と思い込んでしまうことが
 あるけど、アスカちゃんの場合、加持さんがその対象だったんじゃないかしら?」

「はあ、そういうものなんですか」

 おキヌの言うことは何となく理解できたが、そうなると加持への気持ちはともかく、アスカは自分のことをどう思っているんだろうか?
 シンジは更なる疑問をもった。

「でも(あこが)れていた人に、手が届かないことがはっきりとわかったとき、身近な人に対象を切り替える
 ことがあるのよ」

「それって、まさか……」

「そう。たぶんアスカちゃんは、シンジ君をそういうふうに見ていたんじゃないかしら?」

 意識してそうしたのか、無意識のうちに行動したのかまではわからないけどねと、おキヌは付け加えた。

「ま、ま、ま、まさか! そんなことありえないですよ」

 シンジはおキヌに、アスカがいかに強情(ごうじょう)で、意地っ張りな性格かを説明した。

「やっぱり、そういう性格だったのね」

「知ってたんですか!?」

「そうじゃなくて、身近に似たような人がいるから」

 そのとき事務所のドアが開き、美神が部屋の中に入ってきた。

「ただいまー。おキヌちゃん、横島クンは?」

「もうすぐ来るみたいですけど」

「あっそう。私、ちょっとシャワー浴びてくるから」

 美神はそのまま、バスルームに入っていった。

「美神さんが、そういう性格なのよ。
 素直じゃないから、好きな人にもわざと意地悪することも、しょっちゅうあるしね」

 美神は好きな人に意地悪をする。
 シンジは少ない情報を元に、美神が好きな人が誰かを推理した。

「あの、まさか美神さんは、横島さんが好きだとか……?」

「そうなのよ。意地っ張りだから、人前では決してそうは言わないけどね」

 シンジは、かなり面食らった。
 横島と美神が似合わないとは思わなかったが、恋人どうしという雰囲気には、あまり見えなかったからである。

「そ、そうだったんですか。
 以前に横島さんに彼女がいるかどうか聞いたら、急に口をつぐんだので、てっきりいないのかと
 思ってました」

「勘違いしないでね。別に横島さんと美神さんは、つきあってはいないから」

「そ、そうでしたか」

「それから横島さんのことだけど、前につきあっていた人がいたの。
 私の口からはこれ以上話せないけど、いつか横島さんの方から、話してくれると思うわ」

「僕に……ですか?」

「ええ。横島さんはたぶん、シンジ君に昔の自分を重ね合わせていると思うから」

「あの……?」

 シンジは、おキヌの言った言葉の意味が、よく理解できなかった。

「心配しないで。それより、横島さんからも聞いたけど、シンジ君ってモテるのねー。
 レイちゃんとも仲がいいんでしょ?」

「ち、違います! 綾波とはそんな……」

 シンジはそこで、言葉が詰まってしまった。
 本当にウソがつけない子ねと、おキヌは思った。



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