交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第八話 −使徒、侵入− (02)




 加持は、第三新東京市の中心部からコンフォート17のある方向に、車を走らせていた。

「この車は、何という名の車なんですか?」

「ロータスエラン。セカンドインパクト前のイギリス製の車さ」

「外車なのに、右ハンドルなんですね」

「イギリスは日本と同じで、車は左通行なんだよ。だからイギリス車は、ほとんど右ハンドルだ」

「けっこう、古い感じの車ですが」

「生産が始まったのが1962年だからな。セカンドインパクトから数えても、十分クラシックな車だよ」

 加持は目の前の信号が赤に変わったので、ブレーキをかけて停車させる。

「この間のことなら、誰にも言いませんよ」

「そうしてもらえると、ありがたいな」

「ミサトさんにも、忘れろって言われました」

「忘れろと言われたら、忘れられるのかい?」

 加持の質問に、シンジは答えることができなかった。

「俺はね、シンジ君」

 加持は口にくわえていたタバコを指に挟むと、窓の外に出して灰を落とした。

「君があれを見て、良かったと思ってるんだ。
 君はもっともっと、知らなきゃいけないことがたくさんある」

 その言葉を聞いたシンジは、思わずハッとして、運転席に座る加持に視線を向けた。

「少し寄り道をしようか」

 加持は信号が青に変わると、ウィンカーを出して交差点を右折し、第三新東京市を(つらぬ)くバイパス道路へと進路を変えた。




 加持の運転する車は、第三新東京市郊外にある水族館の駐車場に入った。
 加持は水族館の敷地の中央付近にある巨大な水槽(すいそう)に向かうと、その脇にあるベンチに、シンジと並んで腰を下ろした。

「シンジ君。君はネルフについて、どれくらいの事を知っている?」

 シンジたちが座るベンチの前には大きなガラス窓があり、水槽(すいそう)の中が見えるようになっている。
 水槽(すいそう)の中では、多くの魚が群れを成して泳いでいた。

「使徒と呼称される正体不明の敵と戦い倒す、単にそれだけの特務機関と思っているだろう」

「違うんですか?」

「使徒が第三新東京市近郊にばかり現れるのを、不思議に思ったことはないかい?
 まるでネルフ本部を、直接狙っているかのようにだ。
 そして、それを予知しているかのような本部頭上の迎撃システム。そして、エヴァ」

「どういうことですか?」

「すべては、最初から仕組まれているということさ。
 君のお父さんは、これから起こるすべての事を知っているはずだ。
 そしてセカンド・インパクト……おそらく、あの事件が、あの日に起きることも予測していた」

 加持の話しを聞くうちに、シンジの(ほほ)が緊張して固くなっていく。

「そんな……でも、いったいなぜ……」

「ゼーレ」

 加持が、一言つぶやいた。

「君のお父さんの背後についている組織の名称だ。
 (いにしえ)より、世界を裏で操っていると言われている権力者の集団だ。
 ネルフの資金もそこから出ている」

 加持はタバコに火をつけると、息を大きく吸い込んだ。
 もともと血色のよくないシンジの(ほほ)が、さらに青くなる。

「そのゼーレが所有し、彼らの教典ともなっている『死海文書』。人類がこの世に現れたときから既に
 そこに()ったと言われている謎の古文書。
 俺の調べたことが正しければ、その古文書は一種の予言書のようなもので、人の歴史のすべてが
 記されている。今までのことも、そしてこれからのことも……
 その死海文書に(もと)づいて、ゼーレと君のお父さんはある計画を立てた。ゼーレが君のお父さんを
 利用しているのか、君のお父さんがゼーレを利用しているのかはわからないが。
 使徒との戦いは、その計画の序盤でしかない」

「待ってください!」

 シンジは大声で叫んだ。

「なぜ、僕がそんなことを知らなくてはいけないんですか!
 僕がそんなことを知ったって、仕方ないじゃないですか!」

 シンジは、胸の中に()まっていた鬱屈(うっくつ)した思いを、一気に吐き出した。
 シンジは興奮のあまり、肩で大きく息をする。
 加持はシンジがいくらか落ち着いてから、話を続けた。

「君には真実を知る権利と、そして義務がある。
 碇ゲンドウと、そしてエヴァを作り出した碇ユイの子供として生まれたからにはね」

 加持の口から母親の名を聞き、意表を突かれたシンジは、ハッとした表情を見せた。

「母さん……?」

「アダムより生まれしエヴァ。その基礎理論を解いたのは、君のお母さんだよ。
 君のお母さんは、優秀な生物工学の先駆者だった」

「僕が知っている母さんは……学者なんかじゃなかった。普通のお母さんだった。
 父さんの実験の被験者(ひけんしゃ)にされて、そして死んだって……」

「そう人から聞いたのか? いや君はその目で見ているはずだ。お母さんが消えるその瞬間を。
 君は(つら)いことを、無意識に記憶から()め出しているだけだ」



 …………
 …………


 ──碇、なぜ子供がここにいる。今日は大事な実験の日だぞ。

 まだ幼い自分が、ガラス窓のすぐ傍に立っていた。
 ガラス窓の向こうには、無数と言っていいほど多くのパイプやコネクタが接続されている、巨大な人型のロボットがあった。

 ──ごめんなさい、冬月先生。私が連れて来たんです。
 ──ユイ君。今日は君の実験なんだぞ。
 ──だからなんです。この子には、人類の明るい未来を、見せておきたいんです。

 『そうだ。僕は知っていた……』

 ──『主電源接続。全回路動力伝達。起動スタート』
 ──『大変です! シンクロ率の上昇が止まりません!』
 ──『いったい、何が起こった!?』
 ──『脳波心音共に停止。被験者(ひけんしゃ)、生命反応がありません!』
 ──『回路切断。実験中止だ!』

 『僕は……僕は、エヴァを知っていた!?』


 …………
 …………



 記憶が(よみがえ)るとともに、シンジは激しい頭痛を覚えた。
 目を大きく見開きながら、こめかみに指を当てて頭を(おさ)える。
 胸の動悸(どうき)が激しくなり、ハッハッハッと小刻みに呼吸を繰り返した。

「すまない。無理に思い出さなくてもいい」

 シンジの様子が急変したことに気づいた加持は、シンジを落ち着かせるため肩に手をかけた。

「だが、シンジ君。決して、目を(そむ)けてはいけない──真実からは」




 同じ頃、ゲンドウと冬月はネルフの司令室で、向かい合って座っていた。
 ゲンドウは頬杖(ほおづえ)をつき、リラックスした姿勢で椅子に腰掛けている。
 一方冬月は、背筋をピンと伸ばした姿勢で将棋の棋譜(きふ)を片手にもち、将棋版に駒を並べていた。
 ときおり将棋の駒音(こまおと)が、ピシッピシッと広い部屋中に響き渡っていた。

「碇。停電の件、委員会に報告したのか?」

「ああ。“事故”としてな」

「それで納得する連中ではあるまい」

「シナリオ通りに事が進んでいれば、問題ない」

「あの男の始末、どうするつもりかね?」

「今しばらくは泳がせておくよ。あれでなかなか、利用価値はある」

「そう言えば、また初号機がイレギュラーを起こしたらしいな。今度は瞬間移動だそうだ」

「問題ない。赤木博士には、ダミーの開発を優先するよう指示を出した」

「放っておいてよいのか?」

「イレギュラーが起きるのは、シンジが危機に(おちい)ったときだ。“覚醒”の兆候かもしれん。
 今はそれでいい」

「アダム計画はどうなんだ?」

「順調だ。2%も遅れていない」

「ロンギヌスの槍は」

「予定通りだ。作業はレイが行っている」




 ネルフ最深部、ターミナルドグマ。
 零号機に乗ってメインシャフトを降下したレイは、メインシャフト最下部の通路をまっすぐ進んでいった。
 その通路にはLCLが()まっており、零号機は足をLCLに(ひた)しながら進んでいく。
 そして通路の先には、シンジとミサトと加持が見たあの巨人の姿があった。

 零号機は片手に、エヴァと同じくらいの長さの槍を持っていた。
 その槍は先端が二股(ふたまた)に分かれており、刃から延びた柄が二重の螺旋状(らせんじょう)(から)み合っている。

 レイは零号機をその巨人の正面に立たせると、巨大な槍を振りかざす。
 そして無言のまま、目の前の巨人の胸に、その槍を突き刺した。







 加持と会った翌日、シンジは第三新東京市の郊外の山中にあるストーン・サークルへと向かった。
 シンジがストーン・サークルのある場所に着くと、先に来ていた横島がそこでシンジを待っていた。

「シンジ、調子はどうだ?」

「ええ、まあ……」

「元気ないな。また何かあったのか?」

「ええっと、いろいろ聞いて欲しいことがあるんですが、いったい何から話したらいいのか……」

 沈み込んでいるシンジを前にして、横島が両腕を組んで考えた。

「とりあえず、向こうに行こうか。いい場所を知ってるから、そこで落ち着いて話をしよう」

「はい」




 横島とシンジは、文珠を使って横島の部屋に移動すると、そのまま外に出かけた。

「今日は事務所に行かないんですか?」

「事務所でもいいんだけど、今日は気分転換も兼ねて別の場所にしようかと」

「どこに行くんですか?」

「それは、着いてみてからのお楽しみってやつだな」

 横島とシンジは駅で電車に乗り、事務所の近くの駅で下車すると、小奇麗な洋風のレストランへと入った。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの中から、栗色の長い髪の毛を三つ編みでまとめた女性が出てきて、二人を迎え入れた。
 つばが広く先が長い黒の帽子をかぶり、黒のワンピースを着たその女性は、シンジに何かを連想させる。

「魔鈴さん、お久しぶりです」

「珍しいですね、こんな早い時間から。しかも、男の子と一緒に来るなんて」

「まあ、いろいろと訳があってですね」

「ひょっとしたら、彼が例のシンジ君ですか」

 横島が軽くうなずくと、栗色の髪の女性がシンジに向かって手を差し出した。

「はじめまして。魔法料理店『魔鈴(まりん)』のオーナー兼シェフの魔鈴(まりん)めぐみです」

「あ、どうもはじめまして。碇シンジです」

 シンジは魔鈴の右手を軽く(つか)んで、握手をかわした。

「それじゃあ、お好きな席へどうぞ」

 ちょうどランチタイムが終わったばかりであり、店の中は閑散としていた。
 横島とシンジは、窓際のテーブル席に座る。
 すると、口にメニューを加えた黒猫がやってきて、二人のいるテーブルの上にそのメニューを置いた。

「とりあえず、飲み物を注文して欲しいんだニャー」

「うわっ! ね、猫が(しゃべ)った!」

 シンジは、目の前にいる黒猫が人語を話したことに、ひどく驚いた。

「ああ、こいつは魔鈴さんの使い魔なんだ」

 横島は黒猫の尻尾に手を当てると、ピンと指で毛をはじいた。

「俺はコーヒー。シンジには、適当に見繕(みつくろ)っておいてくれよ」

「わかったんだニャー」

 黒猫は注文を聞くと、テーブルの上から飛び降りて、カウンターへと向かった。

「あの、この使い魔というのも霊能力なんですか?」

「魔鈴さんは霊能力も使えるけど、これはちょっと違うんだ。魔法なんだよ」

「魔法……ですか?」

 シンジは、はじめて魔鈴を見たときにから何か心に引っかかっていたのだが、ようやく合点した。
 魔鈴の服装は、中世の魔女の姿そのままである。
 これで手にほうきを持てば、完璧な魔女スタイルと言えよう。

「お待たせしました」

 しばらくして魔鈴が、カップを二つ持ってきた。
 魔鈴は、横島に()れたてのコーヒーの入ったカップを渡す。
 一方、シンジに渡したカップには、薄いお茶のような色をしたお湯が入っていた。
 そのカップからは、植物性の強い香りが感じられた。

「あの……これは何という飲み物ですか?」

「ハーブティーよ。そのハーブティーには、緊張を和らげる効果があるわ。飲んでみて」

「いただきます」

 シンジはハーブティーを一口飲んだ。
 かなりクセのある味だったが、飲むと少しだけ気分が落ち着いた。

「どうかしら?」

「はい、おいしかったです」

「よかったわ。それから料理もどうかしら? ランチの残りでよかったら、すぐ出せますけど」

「え、でも……」

 遠慮がちな様子を見せるシンジに、魔鈴が微笑(ほほえ)みかけた。

「それに今のシンジ君の体には、『陰』の気がかなり()まっています。
 私の料理を食べて陰の気を改善しないと、そのうち健康まで悪くしてしまいますよ」

「ま、そういうことだ。人間、健康第一ってことさ」

「は、はあ……」

 自分では気づかなかったが、シンジはかなり体調が悪かったようだ。
 シンジは、二人の言うことを素直に聞くことにした。




「どうぞ、召し上がれ」

 シンジと横島の座るテーブルの上に、ハーブを使った肉や魚の料理、そしてサラダなどが並べられる。
 特に肉料理や魚料理からは、ハーブの香りが強く感じられた。

「うん、うまいうまい」

 さっそく横島は、目の前に並べられた料理に手をつけていた。

「どうした。シンジも食えよ」

「はい」

 シンジは、牛肉をトマトソースで煮込んだ料理を食べた。
 数種類のハーブの味と香りがうまくミックスされ、肉の臭みを消すと同時に、豊穣(ほうじょう)な味と香りが口中に広がる。

「あっ! これ、とてもおいしいです」

「だろ? 魔鈴さんの料理は、ほんと、いつ食べてもうまいよ」

 シンジはいわしの揚げ物や、手作りソーセージなども食べてみた。
 どの料理にも、魔鈴の手で調合されたハーブが含まれている。

「ふーっ、食った食った」

「ごちそうさま」

 それほど時間が経たないうちに、横島とシンジは出された料理をすべて平らげていた。

「どうだ。魔鈴さんの料理はうまかっただろう」

「ええ、本当においしかったです」

 シンジはどちらかというと小食な方だったが、今日に限っては横島と同じくらいの量を平らげていた。
 食事前の陰鬱(いんうつ)な気分も、すっかり影を(ひそ)めていた。

「それで聞いて欲しいことって、何なんだ?」

「あの……」

 シンジが口を開こうとしたとき、魔鈴が空のカップとコーヒーポットを持ってやってきた。

「食後のコーヒーをどうぞ」

「あ、すみません」

 魔鈴は空になった二つのカップを取り替えると、ポットから()れたてのコーヒーを注ぐ。

「私もお邪魔していいかしら?」

「はい。でも、お店のほうは大丈夫ですか?」

「ちょうどランチタイムが終わったばかりだから、ディナーの仕込みをはじめるまで休憩(きゅうけい)です」

 魔鈴はシンジの質問に答えると、隣の席から椅子をもってきて、二人と同じテーブルに座った。
 シンジは魔鈴に話を聞かせてよいか確認するため、横島に視線を向けたが、横島がうなずいたので話を続けた。

「実はですね……」

 シンジは加持と街中で会ったこと、そして水族館で加持から聞いた話を二人に話した。

「全ては仕組まれているか。たしかに、そう考えた方が自然だよな」

「『死海文書』という古文書があって、父さんとゼーレという組織は、それに(もと)づいて計画を立てて
 いると加持さんは言ってました」

「魔鈴さんは、死海文書という名前に聞き覚えがありますか?」

「はい。でも死海文書とは、クムランの遺跡から発掘されたユダヤ教の宗教文書を指します。
 現在は全部公開されてますので、別に謎でも何でもありませんよ?」

 魔鈴は、不思議そうな顔をした。

「俺たちの世界とシンジの世界とは、異なる部分もありますから、死海文書も違っている可能性も
 あります。詳しいことは、調べてみないとわからないですが」

「それにしても、世界を裏で牛耳る組織に謎の計画ですか。あまりいいイメージがしませんね」

「案外、アシュタロスみたいなヤツが、裏で糸を引いているのかも」

 横島は自分で言っておきながら、冗談にしても笑えない内容であることに気がつき、一人苦笑した。

「それにしても、(つら)かったでしょうね。お母さんが消えるところを、目の前で見たなんて」

「はい。僕自身、加持さんから言われるまで、そのことを思い出せませんでしたし」

 シンジは初号機に消えた母親のことを話すとき、こめかみを指で押さえながら二人に話していた。

「気分がよくなかったら、無理に思い出さない方が……」

「いえ、大丈夫です。横島さんと魔鈴さんに聞いてもらうことで、少し楽になりました」

 シンジは幾分やつれた顔をしていたが、それでも店に入った時と比べると、表情がすっきりとしていた。

「どちらにしても、ネルフについて、詳しく調べないといけないな」

「そういえば、助っ人を探すと言ってましたよね。ひょっとして、魔鈴さんなんですか?」

「いや。魔鈴さんは店があるから、こういう事は頼めないよ。
 今日はもう時間がないけど、次は直接そこに行こうと思ってる」

「そうですか」

「まあ、今はそんなに気にしなくていいよ。それより、先に事務所に行っててくれないかな」

「わかりました」

 シンジは「ごちそうさまでした」と言って魔鈴に会釈(えしゃく)すると、一人で店の外に出て行った。




 魔鈴は店の入り口までシンジを見送ると、横島のいる席に戻ってきた。

「本当に大変ですね、シンジ君」

 魔鈴は席に腰を下ろすと、小さな声でつぶやいた。

「こうして見ると、普通の中学生にしか見えないのに」

「人類の敵との戦いに、実の父親との葛藤(かっとう)。その上、世界を牛耳る謎の組織の陰謀(いんぼう)まで知るように
 なっちまって。俺だったら、とっくの昔に逃げ出してますよ」

「でも、逃げずに()みとどまったじゃないですか、横島さんは」

「あの頃は、俺も若かったんですよ」

 横島はカップに残ったコーヒーを、(のど)の奥に流し込んだ。

「その台詞は、私に対する皮肉ですか」

「いえ、その、そーゆー意味では……」

 横島は魔鈴の正確な歳は知らなかったが、魔鈴は横島より十歳年上の西条の後輩である。
 おそらく、自分より七つか八つは上であろう。
 自分の失言に気づいた横島は、首筋から冷や汗を流した。

「冗談ですよ、横島さん」

 (ちぢ)こまっている横島を前にして、魔鈴はクスリと笑った。



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