交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第九話 −死に至る病、そして− (02)




 “それ”は突然、第三新東京市の上空に出現した。

「富士の電波観測所は?」

「探知していません。直上にいきなり現れました」

「パターン・オレンジ。ATフィールドの反応、ありません」

「新種の使徒かしら?」

「MAGIは判断を保留しています」

 ミサトは、発令所のスクリーンに映っている“それ”の姿を、じっと見つめた。
 空中に浮かぶ“それ”は球形をしており、表面に黒地に白のストライプの紋様(もんよう)が描かれていた。

「これが使徒じゃないなんて、とてもじゃないけど考えられないわよ。
 日向君、エヴァンゲリオンの発進準備を急いで」




 ネルフ本部に到着したシンジたちは、プラグスーツに着替えるとすぐにエントリープラグの中に入った。
 発進準備が整うと、初号機・弐号機・零号機は市内の別々の場所に射出される。

「目標のデータは今送ったとおり。今はそれだけしか、わからないわ。
 慎重に接近して反応をうかがい、可能であれば市街地上空への誘導を行う。
 一機が先行して、残りの二機はバックアップに回って。いいわね?」

 ミサトがチルドレンに、情報の提供と作戦指示を行った。

「は〜い、先鋒(せんぽう)はシンジ君がいいと思いまーす」

 アスカが能天気な口調で、シンジが先行することを提案した。

「なにそれ?」

 シンジがアスカに聞き返す。

「そりゃもう、こういうのは成績優秀、勇猛果敢(ゆうもうかかん)、シンクロ率ナンバー1の殿方の仕事でしょ?
 それとも自信ないの、シンジ?」

 アスカはシンジが映っているモニターに目を向けると、フフンと鼻で笑った。
 シンジは、アスカの挑発的な言葉にカチンとしてしまう。

「戦いは男の仕事さ。手本を見せてやるよ、アスカ」

「手本だなんて、アンタずいぶんエラくなったじゃないの」

「はいはい。そこまでよ、アスカ」

 シンジとアスカがヒートアップしかけたとき、ミサトが二人の間に割って入った。

「初号機が先行して。零号機と弐号機は初号機のバックアップを」

「でも、ミサト!」

「これは命令よ、アスカ」

「……わかったわ」

 アスカの顔にはまだ不満そうな表情が残っていたが、渋々しながらミサトの命令を受け入れた。




 使徒はゆっくりとではあるが、第三新東京市郊外からネルフ本部直上に向かって進んでいた。
 シンジは初号機をビルの間に隠れさせながら、使徒らしき物体に向かって前進していく。

「綾波、アスカ。そっちの配置はどう?」

「まだだわ」

「そんなに速く、移動できるわけないでしょ!?」

 零号機と弐号機は初号機の斜め後ろを進んでいたが、初号機から離れた場所に射出されていたため、アンビリカル・ケーブルの長さが足りなくなっていた。
 零号機と弐号機は、いったんアンビリカル・ケーブルをパージし、近くの電源ビルへと向かう。

「……まだか」

 シンジは一人、初号機の中で()れていた。
 零号機と弐号機がアンビリカル・ケーブルを再接続し前進を再開するが、二人の到着を待ちきれなくなったシンジは、ビルの陰から初号機を乗り出させてハンドガンを構える。

「こっちで足止めだけでもしておく」

 初号機が三発の弾を発射した。
 だが、初号機が撃った弾が“それ”に命中すると、空中に浮かんでいた“それ”の姿が点滅し、消えてしまった。

「消えた!?」

 ミサトやリツコの視線が、今まで“それ”が映っていたメインスクリーンに集まったとき、オペレーターの青葉が大声で叫んだ。

「パターン青! 使徒発見、初号機の直下です!」

 初号機の足下の地面に、突然黒い影が広がった。
 初号機の足首がズブリと沈み、その影はゆっくりと初号機を飲み込み始める。

「わあああっ!」

 シンジは足下の影めがけて、ハンドガンを乱射した。
 しかし、初号機が飲み込まれる速度は、まったく(おとろ)えない。

「逃げて、シンジ君!」

 ふと気がつくと、先ほど消えた黒と白のストライプの球形が、初号機の上空に浮かんでいた。
 ミサトがシンジに逃げるよう指示を出すが、シンジは既にパニック状態に陥っていた。

「み、ミサトさん! 助けて!!」

 シンジは必死になってもがいたが、初号機の沈降を止めることはできなかった。
 まるで、底なし沼にはまったかのようである。
 やがて初号機の姿が、完全に影の中に埋没(まいぼつ)してしまった。

 ドン ドン!

 レイが空中に浮かぶ“それ”に、ライフルを発射した。
 すると空中の“それ”の姿が消え、弐号機の上空に現れる。

「アスカ!」

 黒い影が、弐号機の足下から広がった。
 アスカはとっさに弐号機を飛び下がらせると、近くにあったビルによじ登る。

「いや〜ん」

 弐号機が上ったビルは、広がった影に飲み込まれて、ずぶずぶと沈み始めた。

「レイ、アスカ。そのまま後退して」

「ちょっ……」

「待って! まだ碇君が!」

 アスカがミサトの指示に反論しようとしたが、その前にレイが声を出していた。
 だがミサトはレイの声に答えず、黙って首を横に振る。

「……命令よ。下がりなさい」

 ミサトはレイとアスカが安全な場所まで後退したことを確認すると、発令所のメインスクリーンから視線を外し、キッと(くちびる)を強くかみ締めた。







 シンジが使徒の影に飲み込まれてから、数時間が経過した。
 初号機を飲み込んだ使徒は、その場で動きを停止している。。
 ミサトは地上に指揮車を出し、そこで作戦指揮を取ることにした。

「国連軍、使徒の包囲を完了しました」

 指揮車に同乗していたオペレーターの青葉が、ミサトに現状を報告する。
 リツコも同じ指揮車に乗ると、各種観測器から寄せられる情報をその場で分析していた。

「独断先行、作戦無視。まったく、自業自得もいいところね」

 戦闘は昼間に始まっていたが、時刻は既に夕暮れ時を迎えていた。
 指揮車の外で立つレイとアスカを、夕暮れ時の赤い太陽が照らしている。
 (さび)しそうな目をするレイとは対称的に、アスカは不機嫌さを隠せずにいた。

「昨日のテストでちょーっといい結果が出たからって、お手本を見せてやるですって?
 シンジってば、とんだお調子者だわ」

 シンジの悪口を延々と並べていたアスカに、レイが近づいた。

「なによ。シンジの悪口を聞くのが、そんなに不愉快!?」

「あなたは、人に()められるためにエヴァに乗っているの?」

 レイはキッとした視線を、アスカに向ける。

「違うわ! 他人じゃない。自分で自分を()めたいのよ!」

「やめなさい、あなたたち」

 二人が言い合う声を聞いたミサトが、指揮車の中から出てきた。

「そうよ。たしかに独断専行だわ。だから、帰ってきたら(しか)ってあげないとね」

 ミサトは二人に背を向けると、両腕を組んでシンジと初号機を飲み込んだ使徒をジッと(にら)み続ける。
 日が完全に地面の下に沈むまで、ミサトはその場から動かなかった。




「ちょっと、ヒャクメ。何やってるのよ」

 ヒャクメを探していた総務部の鈴木カナミは、誰もいなくなったオフィスの中で彼女を見つけた。
 パチパチとパソコンのキーを叩いていたヒャクメは、カナミの声を聞いて顔を上げる。

「戦闘に関係ない一般職員は、シェルターに避難することになってるのよ。
 勝手に抜け出しちゃ駄目じゃない!」

「使徒が本部まで攻めてきたら、シェルターに隠れていたところで、どのみち終わりなのね。
 それなら、ここで仕事をしていた方が、まだましなのね〜〜」

 ヒャクメの能天気な返事を聞いたカナミは、口をへの字に曲げてしまう。

「そんなこと、わかってるわよ! でも規則なんだから、仕方ないじゃない」

「あと五分、待ってなのね〜〜」

「もう! 早くシェルターに戻りなさいよ」

 ヒャクメはカナミが部屋から出たことを確認すると、パソコンの画面に新しいウィンドウを開いた。
 そして、そのウィンドウに映された使徒の姿を、ジッと見つめる。

「さすがに、虚数空間の中までは見えないのね〜〜」

 ヒャクメは両手を上げると、うーんと伸びをした。

「生命維持モードに切り替えても、最大で16時間から17時間か。
 このままじゃ、シンジ君の命が危ないわ」

 ヒャクメ一人で、今の状況を打開するのは、ほぼ不可能な状況であった。
 情報の収集と分析において、ヒャクメは卓越した能力を持っていたが、その反面、第一線での活動能力は皆無(かいむ)に等しい。

「結局、横島さん待ちなのね〜〜」

 現在、横島はこちらの世界に来ていない。
 また、向こうの世界への連絡手段がないため、横島を呼び寄せることも不可能であった。




 シンジはパイロットシートに横たわった姿勢で、うとうとと眠っていた。
 ふと目が覚めたので時計を確認すると、エヴァを生命維持モードに切り換えてから12時間が経過していた。

「もう12時間経ったのか。このままじゃ、あと4〜5時間しかもたない……お(なか)減ったな」

 影の中に埋没したシンジは、自力での脱出をあきらめ、外部からの救援を待っていた。

「レーダーもソナーも反応が返ってこない。たぶん、空間が広すぎるんだ」

 最後に外の様子を見たときは、真っ暗で何も見えなかった。
 あれから状況に変化が見られないので、おそらく今も同じであろう。

「なんで、こうなっちゃったのかな……」

 エントリープラグの中でシンジは、今の状況に(おちい)ってしまったことを、ずっと()やんでいた。




 リツコが使徒の情報の分析を終えた時、既に時刻は深夜になっていた。
 リツコはすぐさま発令所メンバーを集めると、指揮車の外でホワイトボードに図や計算式を書き込みながら、現在わかっている使徒の能力を説明する。

「つまり、使徒の影のように見えているのが本体で、本体のように見えているのが影ってことですか?」

 オペレーターのマヤが、リツコに確認を求めた。

「そのとおりよ、マヤ。直径680メートル、厚さ約3ナノメートル。
 その極薄の空間を内向きのATフィールドで支え、内部はディラックの海と呼ばれる虚数空間に
 つながっていると思われるわ」

「それで、どうやってシンジ君を救出するの?」

 ミサトがリツコに質問をする。
 現状では、使徒はネルフ本部に侵攻する動きを見せていないため、まずはシンジの救出を優先すべきであると、ミサトは考えていた。

「現存する全てのN2爆弾を、影の中心部に投下。
 同時に2機のエヴァのATフィールドで、1000分の1秒だけ使徒の虚数空間に干渉。
 その瞬間に爆発エネルギーを集中させて、ディラックの海を破壊します」

「ちょっと待って! 現存するN2全てって、それじゃシンジ君が……」

「今回の作戦は、初号機の回収を最優先とします。
 例えボディが破壊されてもかまわないし、パイロットの生死も問いません」

「リツコ!」

 ミサトはリツコの腕を(つか)むと、指揮車の中までリツコを引っ張っていく。
 そして、指揮車のドアを閉めると、リツコの(ほほ)を平手で(たた)いた。

「碇司令やあなたが、そこまで初号機にこだわる理由は何?」

「初号機についての情報は、全てあなたに渡しているわ」

「ウソね! 初号機のイレギュラーのこと、何も教えてくれないじゃない!?」

 ミサトはリツコの胸ぐらを(つか)もうとしたが、リツコはその手を振り払った。

「私だって、全部わかってるわけじゃないのよ。それに言っておくけどね、ミサト。
 私はあなたほど状況を絶望視していないわ」

「だから、初号機にはいったい何があるのよ!? こんな極限状況にまで追い込んでおいて……」

 そこまで言ったところで、ミサトはハッと気づいた。

「まさか、あなたたち、わざとこんな状況に……」

「悪いけど、それについてはノーコメントにしてもらうわ」

 リツコは呆然(ぼうぜん)としていたミサトをこの場に残し、指揮車から出て行った。



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