交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十一話 −男の戦い− (01)




 初号機は野辺山で再びリニアレールに乗せられ、ネルフ本部へと運ばれた。
 ネルフ本部に到着した初号機は、ケージに格納される。

『ダメです。初号機の連動回路、カットされました』

「射出信号は?」

「プラグ側からロックされています。受信しません」

 冬月の問いに、マヤが答えた。

「シンジ君、聞こえるか!? バカなことはよすんだ」

 トウジに重傷を負わせたことに、シンジは強いショックを受けていた。
 それと同時に、そのような状況に追い込んだネルフ、特に指揮をとった父親のゲンドウに対して、シンジは深い(いきどお)りを覚える。
 シンジはエントリープラグに()もり、外に出ることを(こば)んでいた。

「ああしなければ、君がやられていたんだぞ!」

 オペレーターの日向が、シンジに対して説得を続ける。

「わかってるよ、そんなこと。でも、僕は……」

「シンジ君、話を聞いて! 碇司令の判断がなければ、みんな死んでいたかもしれなのよ」

 マヤも必死になって、シンジに訴えかけた。

「そんなの関係ないです!」

 激昂(げきこう)したシンジが、発令所に向かって怒鳴(どな)り返した。

「父さんは……父さんは、トウジを殺そうとしたんだ! この僕の手で!」

 シンジは初号機の操縦桿(そうじゅうかん)を、グッと握り締めた。
 ケージの中で初号機が動き出し、初号機の拘束具(こうそくぐ)を破壊する。

「父さん、そこにいるんだろ。何か言ってよ!」

(シンジ、よせ。ここで暴れたところで、何の解決にもならないぞ)

 横島もまた、シンジを落ち着かせようと説得を続けていた。
 力づくで表に出て、シンジを抑えることができないわけではなかったが、それは問題を先送りすることにしかならないと、横島は考えていた。

『な、何をするんだ!』

『予備電源終了まで、あと一分!』

 初号機は拘束具を破壊すると、さらにアンビリカルブリッジを叩き折った。
 見境なく振り回される初号機の(こぶし)が、ケージの壁に次々と傷をつけていく。

「LCL圧縮濃度を、限界まで上げろ!」

「は、はい」

 ゲンドウの命令により、マヤは初号機プラグ内のLCLを圧縮させた。

「うっ!」

 急に息苦しさを感じたシンジが、うめき声を()らした。

「く、くそっ! ちくしょう……ちくしょう……ちくしょう……」

 息苦しさはさらに続き、シンジの意識がしだいに薄れていく。
 やがてシンジの手足が、ガクンと力を失った。

(おい、シンジ。しっかりしろ!)

 横島がシンジに呼びかけるが、気を失ったシンジはその呼びかけに応えなかった。

(どうするか)

 横島は表に出て文珠で呼吸を確保すると、そのまま気を失っているふりを続けた。
 シンジを起こすこともできなくはなかったが、いつまでもここに留まっていたところで、仕方がないことである。

 しばらくすると、レーザーカッターでプラグのハッチが切断され、回収班の手によってシンジの体が外に運び出された。
 横島はじっと様子をうかがいつつ、そのまま流れに任せることにした。




 リツコは松代で起きた爆発に巻き込まれたが、(さいわ)い怪我は軽傷で済んでいた。
 近くの病院で手当てを受けたリツコは、そのまま病院で一泊すると、(ひたい)に包帯を巻いたままの姿で野辺山へと向かう。
 戦場となった場所は、人家など多くの建物が倒壊(とうかい)していた。
 折れ曲がった電柱や信号、(さら)にはエヴァから噴出した血痕(けっこん)でどす黒く染まった家屋やビルの廃墟が、戦闘の(すさ)まじさを物語っていた。

「もう起きていいの?」

 リツコが背後を振り返ると、ギブスで固定した左腕を三角巾(さんかくきん)でつっていたミサトが立っていた。

「仕事ができれば、問題ないわ」

「この非常時に、休んでいられないか」

「――シンジ君は?」

「病院よ。あの後、プラグから強制排除されたらしいわ」

 ミサトは目を閉じて軽くうつむくと、ふうっとため息をついた。

「参ったわね。今度ばかりは……」




 レイとアスカは、本部施設内の病院に来ていた。
 シンジの見舞いに来たのだが、本人がまだ意識を取り戻していないため、病室には入らなかった。

「ダメかもしれないわね」

 アスカがポツリとつぶやいた。

「きっと、立ち直れないわよ。アタシやあんたと違って、あいつ神経細そうだもん」

「碇君、ずっと眠り続けているわ」

「ケガはしてないんだし、そのうち気がつくわよ。案外、今頃夢でも見てるんじゃないの?」

「夢?」

「そうよ。アンタ見たことないの?」




『碇君……』

 シンジは薄っすらと目を開けた。
 ぼやけているが、目の前に誰かの人影が見える。

「誰?」

『私よ、碇君』

 目の前にいたのはヒカリだった。
 ヒカリはハンカチで(つつ)んだ弁当を、両手でもっている。

『鈴原は……鈴原はどこにいるの? せっかく一生懸命にお弁当作ったのに、どこにもいないの』

「ぼ、僕は……」

『碇君。鈴原を返して』

 うつろな目をしたヒカリが、シンジに一歩近寄った。

「僕じゃない……トウジを殺そうとしたのは、僕じゃないんだ!」

『殺そうとした? ……鈴原、死んだの?』

「僕じゃない! 僕はやめてって言ったのに……父さんが、父さんがトウジを殺そうとしたんだ!」




 シンジがハッと目を開けると、そこはいつもの病室だった。
 太陽の光が、カーテンの隙間(すきま)から部屋の中に差し込んでいる。

「気がついたみたいだな」

 シンジが声のした方を振り向くと、加持が壁に寄りかかって立っていた。

「加持さん……」

「起き上がれるかい?」

 シンジがコクリとうなずいた。

「司令が君に会いたいそうだ。気が進まないだろうが、()ってでも来るようにとの命令だ」

 シンジの表情が一瞬強張(こわば)ったが、やがてのろのろと動きながら起き上がって、用意されていた衣服に着替えた。

「加持さん、一つだけ教えてください。トウジの容態(ようだい)はどうなんでしょう?」

「鈴原君の意識はまだ戻っていない。ただ、命には問題ないそうだ」




 シンジは加持に付き添われて、司令室に入った。

「思ったより元気そうだな」

 ゲンドウは机の上に置いたパソコンと向き合っていたが、シンジが部屋の中央に立つとゆっくりと顔を上げた。

「命令違反、エヴァの私的占有、それによる本部施設の一部破壊。これらは全て犯罪行為だ。
 何か言いたいことはあるか」

 シンジはうつむきながらゲンドウの話を聞いていたが、話が終わると右手をギュッと握り締めた。

「……父さんこそ、僕に言いたいことがあるんじゃないの?」

「何のことだ? 今、質問しているのは私だ」

 微動だにしないゲンドウの姿を見て、シンジの怒りが沸騰(ふっとう)した。
 シンジはゲンドウの席に向かって駆け寄りながら、右手を大きく振り上げる。

「シンジ君!」

 あわてて後を追いかけた加持が、シンジの右手を(つか)んだ。

「よせっ! そんなことをしても、何にもならない」

「放せ、放せよっ!」

 背後から押さえ込まれたシンジは、加持の手を振り払おうとするが、力の差はどうにもできなかった。
 シンジは必死になって体をもがいていたが、やがて力尽きてしまう。

「僕はエヴァには乗りたくない! もうエヴァには乗らない!」

 シンジは大声でわめきながら、両目からポロポロと涙をこぼした。

「ここにも居たくない! 父さんの顔は二度と見たくない!」

 ゲンドウはじっと話を聞いていたが、シンジの声が途切れると口を開いた。

「わかった。ならば出て行け。おまえには失望した」

 シンジはうなだれた姿勢で、ゲンドウの言葉に耳を傾ける。

「もと居た所へ戻れ。望みどおり、二度と会うこともあるまい」

 シンジは拳をブルブルと(ふる)わせていたが、やがて顔を上げると(きびす)を返して司令室から出て行った。
 加持は無言のまま司令室を出て行くシンジを見送ったが、シンジが部屋を出るとゲンドウに視線を向けた。

「私だ」

 ゲンドウは受話器を取り上げると、冬月の部屋に電話をかけた。

「サード・チルドレンは登録抹消。
 初号機の専属パイロットはレイをベーシックに、ダミープラグをバックアップにまわせ。以上だ」







 司令室を出たシンジは、着替えのためいったん病室へと戻った。
 入院用の衣服から学生服に着替えたとき、入り口のドアが開いてヒャクメが部屋の中に入ってきた。

「シンジ君、調子はどう?」

「もう大丈夫です」

「でも、まだ元気じゃないみたいねー。
 そうそう。横島さんから頼まれたんだけど、ちょっと枕の下を見てもらえる?」

 シンジがベッドの枕を上げると、そこに文珠が四つ置いてあった。

「この前みたいに、勝手にエヴァが動いたときの対処ですって。
 『停』『止』の文珠でエヴァが止まって、『同』『期』の文珠で制御が戻るわ。
 文珠でエヴァにシンクロすると、横島さんみたいにエヴァで霊能力が使えるようになれるそうよ」

「ヒャクメさん、これ横島さんに返してください」

 シンジが、文珠をヒャクメに差し出した。

「僕、もうエヴァに乗るのやめたんです」

「えっ!?」

「父さんの指示で初号機が勝手に動いて、三号機をなぶり者にしたんです!
 もし、横島さんが来るのが遅れていたら、トウジは助からなかったかもしれません。
 僕はトウジを助けられなかった。
 でも、トウジを殺そうとして、平然としている父さんに僕は……」

 感情的になったシンジは、思わず声を詰まらせてしまう。

「僕はもう、エヴァにはもう乗りません! ネルフになんて、二度と関わりたくないんだ!」

「シンジ君、落ち着いて!」

 興奮したシンジを落ち着かせようとして、ヒャクメが懸命にシンジをなだめた。
 しばらくしてシンジは落ち着きを取り戻すが、その場でがっくりと肩を落とした。

「すみません……ヒャクメさんには直接関係ない話なのに」

「いいのよ。それよりシンジ君は、エヴァのパイロットを()めてどうするの?」

「昔、一緒に住んでいた、叔父さんの所に戻ります」

「そう。第三新東京市からも、出て行っちゃうのね」

「はい。ですから、これはもう不要なんです」

 しかしヒャクメは、シンジが持っていた文珠を受け取らなかった。

「ごめんなさい。でも、それを受け取るわけには、いかないのね〜〜」

「どうしてですか?」

「文珠の力が、万能すぎるのよ。
 勝手な使い方をされないように、その文珠にはプロテクトがかかっているはずだけど、それを
 外せばたいていのことは実現できてしまうのね〜〜。
 横島さんが私を疑うことはないと思うけど、立場上ちょっとね」

「そうなんですか」

「そういうことなのねー。だから、今度横島さんが来たときに、直接渡してくれる?
 それから、居場所が落ち着いたら、連絡してもらえないかしら」

 シンジは、ヒャクメの携帯電話の番号を教えてもらった。

「それじゃ、私は仕事があるから戻るけど、これからも気をつけてね」

「はい」




 シンジはミサトのマンションに帰ると、すぐに荷物作りをはじめた。
 自分の荷物をダンボール箱にまとめたあと、数日は食事に困らないように、大鍋でカレーを作る。
 そして翌朝、シンジはミサトが手配した黒塗りのネルフの公用車に乗って、新箱根湯本駅へと向かった。

「長い間、お世話になりました」

 他に誰もいない改札口の前で、シンジがミサトに別れの挨拶(あいさつ)をした。

「もう一度、考え直すつもりはないの?」

「ありません。何度聞かれても同じです」

 冷たく言い放つシンジを前にして、ミサトは一瞬言葉を失ってしまう。

「……鈴原君のことは、悪かったと思っているわ。
 どんなに弁解の言葉を並べても、あなたの心の傷は癒せないでしょうけど。
 でもシンジ君、これだけは覚えておいて。
 私はあなたに、自分の夢・願い・目的を重ねていたわ。
 いえ、私だけじゃない。
 それがあなたの重荷となっているのがわかっていても、私たちネルフのスタッフは、
 あなたに未来を託すしかなかったのよ」

「ミサトさんの夢って、願いって何ですか?」

 黙ってミサトの話を聞いていたシンジが、ミサトの目を見つめ返した。

「人類の平和ですか? 人の生命の重さは、皆同じなんじゃないんですか?
 人の生命を踏みつけにしておいて、よく言えますね?」

 シンジの反論に、ミサトは答えることができなかった。

「ごめんなさい。勝手な言い分だったわね」

「いいんです、もう」

「本部までのパスコードと、あなたの部屋はそのままにしておくから」

「無駄です」

 シンジはミサトの言葉を、断ち切るようにして言った。

「僕はもう、エヴァには乗りません。さようなら、ミサトさん」

 シンジは一礼すると、ミサトから離れて駅の改札口へと向かう。
 シンジは駅のホームに上がるまで、一度も後ろを振り返らなかった。




 シンジと別れたミサトは、ネルフの公用車の後部座席に乗った。
 ネルフ本部に向かう道の途中、ミサトは物思いにふける。

(私の夢と願いか……)

 ミサトはセカンド・インパクトのときのことを思い出していた。
 南極で事故が起きたあと、ミサトの父親は自分がケガをしながらも、ぐったりとしていた自分を、必死になってエントリープラグに似たカプセルの中に押し込んだ。

『ミサト……おまえは生きるんだ。母さんを頼む』

 それがミサトの父親の、最後の言葉となった。

(人類の平和か……偽善ね)

 ミサトは自嘲を含んだ笑みを浮かべる。

(今までガムシャラにやってきたけど、その目的は建前でしかなかった)

 ミサトは窓の外を流れる景色に、視線を向けた。

(お父さん……私は、あなたの仇を討ちたかっただけなのかもしれない)




 駅のホームでシンジは、一人空を見上げていた。
 空には白いふわふわした雲がいくつか浮かんでいたが、それ以外は真っ青に晴れ渡っていた。

(変だな……空はあんなにも青いのに、なぜか暗く見える)

 シンジは視線を、空から地面へと下げた。

(わかってる。その理由は、僕が心の窓を閉じようとしているからだ)

 シンジは駅のホームに立ったまま、ひとり物思いに(ふけ)っていた。

(この街に来てから、いろんなことがあった。本当に、信じられないことばかりだった。
 きっと僕は、ずっと閉ざしていた心の窓を、知らず知らずのうちに開いていたんだと思う。
 最初に心の扉を叩いたのは、横島さんだった。
 次に綾波やアスカと知り合い、トウジやケンスケとも友達になった。
 それから、仲間で助けたり助けられたり、友達どうしでバカやってるうちに、心の扉がどんどん
 開かれていったんだ。
 でも……そういうことも、もう終わりなのかもしれない)

 シンジの脳裏に、勝手に動き出した初号機が三号機をズタズタにする場面と、意識を失い頭から血を流していたトウジが、エントリープラグから(かつ)ぎがされる場面が浮かび上がった。

(横島さんが今の僕を見たら、どう思うんだろう?
 笑うんだろうか? 怒るんだろうか? それとも……)

 そのとき、駅の周囲一帯に、大きなサイレンの音が鳴り響いた。
 シンジが駅の案内板を振り返ると、次の電車の到着時刻の表示が、避難通路を示す表示に切り換わる。

『ただいま、東海地方を中心に非常事態宣言が発令されました。
 住民の方々は、速やかに指定のシェルターに避難してください』

 続いて、住民に避難を呼びかけるアナウンスが、街のあちこちに設置されたスピーカーから流れ始めた。

(使徒だ)

 シンジは駅の外に向かって歩きながら、手に持っていたカバンのひもをギュッと(にぎ)り締めた。



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