交差する二つの世界

作:湖畔のスナフキン

第十四話 −涙− (02)




 シンクロテストが終わった後、テストプラグを出たシンジは、LCLを洗い落とすためにシャワールームに入った。
 普段のテストでは、この後にシンクロテスト結果の講評があるため、プラグスーツを着たままシャワーを浴びるのだが、今日は講評が無くなったという連絡があったため、プラグスーツを脱いで(はだか)でシャワーを浴びていた。

「シンジ。妹が家でメシ用意して待っとるさかい、先にあがるわ」

「じゃあ、また明日学校で」

 トウジがシャワールームを出るのと入れ替わりに、カヲルが中に入ってきた。
 カヲルは、シンジの隣でシャワーを浴び始める。

(シンクロテストか……本番でエヴァに乗れないのなら、意味がないのにな。
 それに、どうして今回は結果を教えてくれなかったんだろう?)

「ねえ」

 シンジがシャワーを浴びながら考え事にふけっていると、不意に背後から声をかけられた。

「わっ!」

 シンジのすぐ後ろに、カヲルが立っていた。
 ビックリしたシンジは、思わず声を出してしまう。

石鹸(せっけん)貸して?」

「石鹸? そっちに置いてないの?」

「小さくてさ、使えないんだよ」

 カヲルは周囲を見回すと、シンジの背後の石鹸置き場に、大きな石鹸があるのを見つけた。

「ああ、それ。ちょっと貸して」

 石鹸を取ろうとしたカヲルが、シンジにグッと近寄る。
 シンジは密着してくるカヲルから離れようとして、背を後ろに反らせた。

「急に近寄らないでよ」

「なんで? 君、一定の距離以内に近寄るのを、妙に嫌がるな。ヘンなの」

「普通のことさ。好きでもない人に必要以上に近寄られるのは、誰だって気持ちのいいもんじゃない」

「――好きじゃない?」

 カヲルが、シンジに聞き返した。

「悪いけど、僕は君のこと好きになれそうにないよ」

 第三新東京市に来る前、他人と打ち解けるのが苦手だったシンジは、集団の中で生活することが苦手だった。
 だがそのことは、横島に憑依(ひょうい)されることで、木っ端微塵(みじん)に打ち(くだ)かれてしまう。
 朝起きてから夜寝るまで、横島と共にすごすという生活を続ける中で、シンジは以前ほど人嫌いではなくなっていた。
 もっともそれは、身近で親しい人間に限られており、よく知らない人や、あるいは知っていても友好的でない人については、以前と同じような感情をもっていた。

「ここ、使っていいよ。僕はもう出るから」

 シンジは、自分が使っていたシャワーをカヲルに(ゆず)ると、シャワー室から出ていった。




「まったく、いったい何を考えてるだ、あいつは」

 シャワー室でのカヲルの態度に腹を立てたシンジは、一人でブツブツと文句をこぼしていた。

(出会ってからずっと振り回されっ放しで、すごく疲れるんだよな)

 シンジはYシャツと学生ズボンに着替えてから、パイロット控え室を出た。
 ネルフを出るためエスカレーターに乗ろうとしたとき、学校の制服に着替えて、カバンを手にもっていたレイと出会った。

「綾波」

 シンジはレイに近づいてから、彼女に声をかけた。

「これから、家に帰るんだ」

「ええ。碇くんは?」

「僕も家に帰るところ」

 シンジとレイは、ネルフ本部に設置された長いエスカレーターを、二人で並んで降りていく。

「なんか、綾波と二人で話すの久しぶりのような気がするな」

「そう?」

 二人はしばらく無言のままでいたが、しばらくしてからレイが口を開いた。

「惣流さんは?」

「アスカ? 元気だよ。病院を退院してから、すっかり元通りの調子さ」

 シンジは、レイの横顔にチラリと視線を向ける。
 レイはシンジとエスカレーターの左側のベルトに(つか)まっていたため、右側のベルトに掴まっていたシンジとの間に、若干の距離が空いていた。

(僕と綾波の距離は、出会った頃から比べると確実に(ちぢ)まっている。
 でも……この距離感は、この先縮まることがあるんだろうか)

 手を少し伸ばせば、レイの肩に()れることができる場所にシンジは立っていた。
 だがシンジは、うつむいた姿勢でエスカレーターの先をじっと見つめているレイに、自分から触れることができなかった。




 シンジが家に帰ると、リビングで横島とアスカがポテトチップスをつまみながら、二人で雑談していた。

「でさぁ、熱遮蔽板(ねつしゃへいばん)を切り離して、メドーサを振り落としたとこまではよかったんだけど、その後
 メドーサの攻撃食らって、俺まで船から落ちちゃってさ。
 結局、俺を追いかけてきたマリアと二人で、生身(なまみ)で大気圏突入する破目になっちまった」

「生身で大気圏突入って……よく生きてたわね」

「実はどうやって地上に降りたか、全然覚えてないんだよ。
 たぶん、文珠を使ったと思うんだけど、それから一時的な記憶喪失(そうしつ)になっちまってさ」

 シンジがリビングに入ると、横島とアスカがシンジの方を振り向いた。

「ただいま」

「おかえり、シンジ」

「何の話をしてたの、アスカ?」

「横島さんに、GSやってて面白い話がなかったかって聞いたのよ。
 今は月に行ってきた話を、聞いてたところ」

 アスカの話によると、学校から帰ってきたとき、ちょうど横島がマンションを訪ねてきたため、部屋に上げて話をしていたとのことである。

「えっ!? 横島さんって、月に行ったこともあるんですか?」

「そういやシンジには、その話をしたことがなかったっけな。
 前に神族や魔族から依頼を受けて、月まで行ったことがあるんだよ」

「そうだったんですか」

 シンジは、以前から横島には何度も驚かされていたが、最近は真新しい事件もなかったため、横島のことで驚くのはずいぶん久しぶりだった。

「シンジ。どうしてもっと早く、横島さんのことを教えてくれなかったのよ。
 こんな面白い人のことを知らなかったなんて、ずいぶん損した気分だわ」

「そんなこと、僕に言われても……」

 シンジは困った表情を浮かべた。
 シンジ自身は、横島がらみの特殊な事情をアスカが受け入れるとは、実のところ思っていなかった。

「まあ、その件については、こっちの準備もなかなか整わなくてな。
 それより、シンジ。ヒャクメからお(ふだ)を預かってないか?」

「はい」

 シンジは、ネルフでヒャクメから受け取った4枚のお札を、横島に渡した。

「よし。間違いないな」

 横島はお札の内容を確認すると、シンジの部屋に移動し、部屋の壁の四方にお札を一枚ずつ貼り付けた。

「これだけでいいんですか?」

「文珠を使う上で、一番重要なのはイメージなんだ。お札は補助的な役割にすぎないよ」

 横島は、文珠を二つ取り出した。

「じゃ、ちょっと試してみるわ」

 文珠を使った横島がシンジとアスカの目の前から消えたが、三十秒もしないうちに元の場所に戻ってきた。

「これで問題なしと。あとは部屋の掃除だけは、きちんと頼むな。
 部屋が汚れると、場の気が乱れる原因になるから」

「はい」

「まあ、普段どおりにしていれば、全然問題ないよ」

 清潔好きなシンジは、自分の部屋はもとより、リビングや台所の掃除を定期的に行っていた。

「それじゃ、二人ともそろそろ行こうか」

「えっ、これから向こうの世界に行くんですか?」

「シンジは修行。それからアスカちゃんには、向こうで話したいことがあるんだ」

「私は、いつでもいいわよ」

「事務所に直接転移するから、二人とも靴をもってきて」

 シンジとアスカが玄関から自分の靴を取ってきてから、横島は文珠を使用した。




 事務所の中庭に転移したシンジたちが建物の中に入ると、エプロンを付けたおキヌが出迎えた。

「いらっしゃい。シンジ君、アスカちゃん。ちょうど、お茶の準備をしてたんですよ」

「おキヌちゃん。シンジはすぐに訓練に入るから、シンジの分のお茶は後でいいや。
 それから、ヒャクメが来てないかな?」

「ヒャクメさんでしたら、別室で横島さんを待ってます」

 横島は事務所の中を見回してから、シロをこちらに招き寄せた。

「シロ。シンジの霊波刀の訓練は、おまえに任せるからな。ガンガンやってくれ」

「了解でござる!」

 シロは微妙に顔を引きつらせたシンジの肩に手をかけると、そのままシンジを引きずって中庭へと出て行った。

「それじゃあ、アスカちゃんは別の部屋に行こうか」

 横島はアスカを連れて、ヒャクメが待っている部屋へと入った。
 横島はアスカを一人用のソファに座らせると、自分はヒャクメと並んで、小さなテーブルの向かい側のソファに腰を下ろした。

「わざわざ、この場所を選んだのは、万が一にも他人には聞かれたく内容だからなんだ」

「それって、シンジにも?」

「今はまだ……ね。なぜなら、これから話すのは、アスカちゃんのお母さんのことだからなんだ」

 その言葉を聞いたアスカの表情に、サッと緊張の色が走った。







「アスカちゃんは、シンジが自分と同じエヴァのパイロットをしていることに、疑問を感じたこと
 はないかな?」

「そりゃ、あるわよ。
 あんな、なよなよした男がサード・チルドレンだったなんて、最初信じられなかったもの」

「まあ、シンジの運動能力は並み以下だし、学力の方は少しはマシだけど、大学を出たアスカちゃん
 とは比べものにならないしな。

「……けっこう、あなたも言うわね」

 アスカのこめかみに、大粒の汗が浮かんだ。

「そのシンジが、なぜエヴァのパイロットになれたのか、アスカちゃんはわかるか?」

 アスカは、しばらく考えてから答えた。

「ネルフ司令の息子だから?」

「本当にそう思う? アスカちゃんは知らんかもしれんが、あの司令は幼いシンジを親戚(しんせき)に預けて
 それからずっと放っといたような男だぞ?」

「そう言われてみれば、そうねえ」

 アスカは以前に、シンジにほとんど無関心なゲンドウの姿を見たときのことを思い出した。

「じゃあ、何なのかしら?」

「実は、シンジとアスカちゃんには、共通点があるんだ。
 一つは、二人とも実の母親がいないこと。
 もう一つは、その母親がエヴァンゲリオンの開発者だったことだ」

 横島から意外な話を聞いたアスカは、驚いてその場で大きく目を見開いた。

「えっ!? ママが……ママがエヴァを造ったって言うの? そんな話、初耳だわ」

「間違いない、事実だ。シンジのお母さんが初号機を、アスカちゃんのお母さんが弐号機の設計と
 製造を担当したんだよ」

「その話は本当なのね」

 横島の隣にいたヒャクメが、アスカに一枚の紙を渡した。
 アスカはドイツ語で書かれたその書類に、サッと目を通す。

「……本当だわ。開発責任者の名前が、ママになってる」

「重要なのはここからだ。なぜ、エヴァ開発者の子供がパイロットになっているのか。
 その理由なんだけど、アスカちゃんはエヴァのシンクロシステムの仕組みがどうなっているか、
 誰かから聞いたことある?」

「いえ、誰からも聞いたことないわ」

「ずばり言うと、エヴァは使徒のクローンなんだ。
 15年前のセカンドインパクト、あれは使徒によるものだった。
 そのとき採取した使徒の細胞を培養(ばいよう)して造ったのが、エヴァンゲリオンなのさ」

「そ、そうなの!?」

 セカンドインパクトが隕石の落下ではなく、実は使徒が起こしたものであることについては、以前に話を聞いていた。
 そのとき、どうやって使徒を殲滅(せんめつ)したのかはわからないが、サンプルの入手ぐらいは当然していただろう。

「次の問題は、クローンした使徒を人がどうやって制御するかだった。
 この難問について、開発者の出した答えが、人の(たましい)をエヴァに宿らせることだった。
 エヴァ初号機の最初の被験者には、碇ユイさん――シンジのお母さんだけど――が自ら志願した。
 そして目論見どおり、シンジのお母さんは、シンクロ過多が原因でシンクロテスト中に消失した
 というわけさ」

「う…そ……」

「最初は事故だと思ったんだけどね。
 いろいろ調べてみると、どうも意図的にやったとしか思えないんだ」

「シンジは、そのことを知ってるの!?」

「おおよその話はしてある。まあ、ショックを受けるといけないから、お母さんの話については、
 いろいろとぼかしているけど」

 そのとき、おキヌがお茶を()せたお盆をもって、部屋の中に入ってきた。
 深刻な雰囲気を察したおキヌは、何も言わずにお茶を三つテーブルの上に置くと、そのまま部屋を出て行く。
 横島は、おキヌがもってきたお茶を一口飲んでから、話を続けた。

「さて、ここからがアスカちゃんのお母さんの話だ。
 日本での初号機のシンクロテスト事故の結果、その後に行われた弐号機のテストでは、被験者を
 守るための安全装置が取り付けられた。
 だが、依然として被験者のリスクは高いままだった。それで弐号機のテストには、アスカちゃんの
 お母さんが志願することとなったんだ」

「ママが……自分で!?」

「弐号機のシンクロテストの結果は、やはり失敗。
 安全装置のお陰でエヴァに取り込まれることはなかったけど、その代わりに重度の精神汚染を
 受けてしまった。これが公式の報告書にある内容だ」

「うっ……」

 そのとき、アスカを強い頭痛が(おそ)った。
 アスカは強く(くちびる)()みながら、顔をうつむかせる。
 使徒の心理攻撃を受けたときと同じフラッシュバックが、アスカの脳裏に浮かび上がった。

「だけど、俺たちの見解は少し違うんだ。(つら)いかもしれないが、聞いてくれるか?」

 アスカは顔を上げると、わずかにうなづいた。

「弐号機の最初のシンクロテストのときも、シンクロ過多の事故が発生した。
 安全装置が作動したため、被験者が消失することは無かったが、そのときに被験者の魂の一部が、
 エヴァに取り込まれてしまった。
 それが原因で、事故のあと、外部の状況を正しく把握できなくなってしまったんだ」

 アスカは、薄暗い病室の中で、人形を自分の娘と思い込んでしまっていた母親の様子を思い起こした。

「もし、誰かがアスカちゃんのお母さんを支えていたなら、事態は改善されていたかもしれない。
 でも、誰も彼女を手助けすることができなかった。
 かつての夫は離婚したあと別れた妻に見向きもせず、またアスカちゃんはあまりにも(おさな)かった。
 結局、彼女は自分の(から)に閉じこもってしまい、最後には自ら命を絶ってしまった」

「イヤーーッ!」

 突然、アスカが悲鳴をあげた。

「やめて! それを思い出させないで!」

 驚いた横島とヒャクメが、アスカをなだめようとするが、アスカは近寄ってきた二人の手を振り払った。

「アスカちゃん、落ち着いて!」

「落ち着くんだ」

 横島とヒャクメが、両側からアスカの体を押さえ込む。
 アスカはしばらく体をもがいていたが、やがて落ち着きを取り戻した。

「大丈夫か? 気分が悪いのなら、話の続きは別の機会にするが」

「……水をちょうだい」

 ヒャクメはいったん部屋の外に出ると、水の入ったコップを持って戻ってきた。
 アスカは、ヒャクメからコップを受け取ると、その中身を一気に(のど)に流し込む。
 アスカが心配になったヒャクメは、そのままアスカの隣へと座った。

「お願い、続けて」

「本当に大丈夫か?」

「あまり平気じゃないけど……乗り越えなくちゃいけない。そんな気がするの」

 アスカは焦燥(しょうそう)した表情を浮かべながら、再びソファーに座った。

「話を戻すけど、人がエヴァを制御するには、エヴァに魂を宿らせることが必要だ。
 初号機はまさにそうなってるわけだが、じゃあ弐号機はどうなのか」

 アスカはこめかみを押さえながら、わからないと言うかのように大きく首を横に振った。

「結論を言うと、アスカちゃんのお母さんの魂は、弐号機に宿っている。
 だから、アスカちゃんが弐号機にシンクロできるんだ」

「本当……なの?」

「間違いない。ヒャクメが霊視して確かめた」

 アスカが横に座っていたヒャクメに視線を向けると、ヒャクメが大きくうなずいて、その発言を肯定した。

「その場を見たわけじゃないからはっきりとは言えないけど、お母さんの魂が肉体を離れたときに、
 エヴァに取り込まれていた魂のある場所に向かって行って、一つになったんだろうな。
 実際のところ、俺たちの常識ともずいぶん違ってるんだが、そう考えないと説明がつかないんだ」

「私たちから見ても、エヴァって本当に不思議な存在なのね」

 横島やヒャクメの話を聞いているうちに、霊的な知識のないアスカにも、おおよその事情がわかってきた。

「それじゃあ、今までママはずっと、私と一緒にいたんだ」

「それだけじゃあない。
 アスカちゃんのお母さんは、弐号機でアスカちゃんをずっと守り続けてきたんだよ」

「ママ……ママ、ママ、ママ……」

 アスカの目から、一筋の涙がテーブルの上に零れ落ちた。
 母親を呼ぶアスカの声がやがてすすり泣く声へと変わり、そして大粒の涙を流しながら、大きな声で泣きはじめた。



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