この世界の魔法使いは、皆二つ名というものを持っている。
淳貴が召還されたときにいた教師のコルベールの二つ名は『炎蛇』、ルイズの友人というより、ケンカ友だちのキュルケには『微熱』、キュルケの友人のタバサは『雪風』、決闘相手のギーシュは『青銅』である。
二つ名にはそれぞれ由来があるが、淳貴の主人であるルイズの二つ名は『ゼロ』であった。
なぜルイズの二つ名がゼロなのか、後に淳貴は身をもって知ることになる。
ゼロの伝説の勇者
作:湖畔のスナフキン
第一話 −甦る伝説− (02)
淳貴が目を覚ますと、辺りは既に暗くなっていた。
周囲を見回すと、そこは見慣れたルイズの部屋だった。
どうやら自分は、ルイズのベッドで寝ていたらしい。
ベッドから上半身を起こしてしばらくぼーっとしていると、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
淳貴が返事をすると、シエスタが部屋に入ってきた。
パンとミルクの入ったカップを載せたトレイを、手に持っている。
「お目覚めですか、サイガさん?」
「俺は、いったい……」
「サイガさん、決闘の後にヴェストリの広場で気絶してしまったんですよ。ミス・ヴァリエールと友人の方たちが、サイガさんをこの部屋に運んだんです」
「そっか」
淳貴は軽く体を動かした。
痛みはないので、怪我はしていないようだ。
「お腹空いてませんか? よかったら、これ食べてください」
「ありがとう」
淳貴はベッドの上で、シエスタのもってきた食事を食べた。
「あの……すみません、サイガさん。私のせいで、こんな目に会ってしまって」
「いいんだよ。ケンカを買ったのは、僕の方だし」
「それに私、ちょっと感動しちゃいました! 平民でも、貴族に勝てるんだって!」
シエスタは、目をきらきらと輝かせながら喋っていたが、不意に顔をうつむかせた。
「それに、サイガさんのような方なら……ひょっとしたら……を使いこなせるかも……」
シエスタが小さな声でつぶやいたが、淳貴にはよく聞こえなかった。
「えっ!? 今、なんて言ったの?」
「な、なんでもないです!」
シエスタが顔を上げると、ニコニコと微笑んだ。
「それじゃ、これで失礼します。体に気をつけてくださいね」
淳貴がトリステイン魔法学院での生活を始めてから、一週間が経った。
淳貴は部屋の隅に藁をしき、それを寝床としていた。
日本人の淳貴は、床の上に寝ることに格別疑問は持っていない。
淳貴は、シエスタに頼んで古いシーツを一枚もらい、藁の上にシーツを敷くことで敷布団代わりとした。
淳貴の日課は、朝ルイズを起こすことから始まる。
ルイズは起きるとまず着替えるのだが、下着は自分で着けるものの、制服を着るのは淳貴にさせていた。
貴族のルイズは、淳貴のことを下僕同然と見ているので何とも思わなかったが、淳貴の方は毎朝目のやり場に苦労していた。
着替えのあとは、ルイズと一緒に食堂で朝食をとる。
床に座らせることに変わりはなく、出される食事も相変わらず粗末だった。
これがこの世界の常識だと理解はしたものの、淳貴は陰で「やれやれ」とぼやかない日はなかった。
朝食のあとは、部屋の掃除と洗濯である。
相変わらず淳貴は洗濯が苦手だったが、あれからときどきシエスタが手伝ってくれるようになったため、淳貴の負担は軽減された。
さすがに慣れてはきたものの、やはり女性の下着を洗うのには抵抗があるのである。
食事の量が少ないため、たいてい洗濯の後に小腹が空いてくる。
そうなると淳貴は、迷わず厨房へと足を運んだ。
「おーい、『我らが剣』のお出ましだ!」
決闘で貴族のギーシュに勝った淳貴は、いまや魔法学院で働いている平民たちの人気者である。
中でもコック長のマルトーは、淳貴のことを『我らが剣』と呼び、淳貴が厨房にくるといつでも大歓迎した。
ただ困ったことに、興奮すると淳貴に抱きついて、顔にキスしようとする癖がある。
淳貴が必死になって抵抗するため、まだされたことはないが。
「シエスター! 我らの勇者にガリアの古いのを注いでやれ!」
「はい、コック長」
この世界には、清涼飲料水といった気のきいた飲み物はないため、飲み物というとたいていワインであった。
いちおう茶はあるらしいが、東方から少量の茶葉が運ばれてくるだけなので、貴族階級も含めてまだ一般的な飲み物とはなっていない。
また、未成年は飲酒禁止といった法律もないため、淳貴は生まれて初めてのアルコールを、ここトリステインで口にすることとなった。
一日の雑用が終わると、淳貴はルイズのお供で学校の授業に出る。
食事のときと違い、ここでは床ではなく椅子に座ることが許可された。
教室の様子は、黒板の後ろに長い机があり、後ろの人がきちんと黒板を見れるように、段差がついて高くなっている。
淳貴が今まで通っていた中学校や高校のようではなく、ドラマなどでみる大学の授業風景に似ていた。
当たり前のことだが、授業の内容は淳貴が今まで習ってきたこととは、まったく異なっていた。
文字はまだ読めないものの、言葉はわかるので、授業の内容について多少は理解できる。
もともと、勉強好きだった淳貴は、教師の語る話に熱心に耳を傾けていた。
淳貴が今まで理解した内容を大雑把にまとめると、この世界の魔法は、失われた『虚無』を除いて火・水・土・風の4系統があり、そのうち一つの系統を使えるメイジをドット、二つの系統を足せるのがライン、三つがトライアングル、四つをスクウェアと呼ぶらしい。
扱える系統が増えれば増えるほど、そのメイジは強くて優秀ということになる。
このまえ決闘したギーシュは、ドットのメイジのようだ。
そんなに強い相手でなくてよかったと、淳貴はほっと胸をなでおろしていた。
「それでは、この錬金の魔法の実習ですが……ミス・ヴァリエール。前にきて、やってみなさい」
「えっ、あたしですか!?」
中年の女性教師のシュヴルーズが、ルイズを指した。
ルイズが教壇に出て行くのを見て、周囲の生徒たちがあたふたと慌てる。
「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を、頭の中に強く思い浮かべるのです」
生徒の多くが、なぜか机の下へと避難した。
タバサに至っては、杖をもって教室から出て行く始末である。
「やります!」
ルイズが杖を上げ、ルーンを口にした瞬間、教壇の机の上にあった石ころが机ごと爆発した。
教室の中にいた使い魔たちが、一斉に暴れ出して大騒ぎである。
爆発を起こしたルイズは、煤だらけになった顔でむくりと起き上がった。
着ていたマントや服のあちこちが破れ、見るも無残な姿である。
教壇の近くに立っていたシュヴリーズは、あおむけで床の上に倒れたまま気絶していた。
「ちょっと、失敗したみたいね」
「ちょっとじゃないだろう。ゼロのルイズ!」
「いつだって成功の確率、ゼロじゃないか!」
生徒たちからの反撃に、ルイズは沈黙を余儀なくされる。
淳貴は、なぜルイズが『ゼロのルイズ』と呼ばれているのか、ようやく理解した。
その日の夜、平民用の蒸し風呂で一日の汗を流した淳貴が、ルイズの部屋に戻る途中、廊下ですれ違ったサラマンダーにズボンの裾をくわえられた。
「な、なんだよ、おまえ」
淳貴はちょっと驚いたが、サラマンダーのような今まで見たこともなかったような生き物に出くわしても、ちょっとしか驚かなくなった自分に苦笑した。
慣れというのは、おそろしいものである。
「俺を、どこへ連れて行くんだ?」
そのサラマンダーには見覚えがあった。
ルイズの友人のキュルケの使い魔で、たしか名前はフレイムといったはずだ。
そのフレイムは、きゅるきゅると鳴きながら、淳貴をある部屋に引っ張っていった。
「お邪魔します……」
部屋の中は、真っ暗だった。
「扉を閉めて」
部屋の奥の方の暗がりから、キュルケの声が聞こえてきた。
淳貴は、言われたとおりにドアの扉を閉める。
「ようこそ。こちらにいらっしゃい」
「そう言われても、暗くて足下もよく見えないんですが」
パチンと指を弾く音が聞こえると、部屋の中に立てられていたロウソクに火がついた。
ロウソクが灯した幻想的な風景の中に、ベッドに腰掛けたキュルケの姿があった。
「そんなところに立ってないで、こちらにいらっしゃいよ」
キュルケは、トリステインの東隣にあるゲルマニア出身の貴族である。
肌は浅黒かったが、長くて真っ赤な髪と、グラビア・アイドルのような体をしていた。
胸は限りなく平面に近いルイズと違い、大きく盛り上がっている。
一言でまとめれば、グラマラスな美人だということだ。
淳貴は、ゴクリとつばを飲んだ。
淳貴とて年頃の少年。そういった方面に、興味がないわけではない。
ただ、いかんせん実体験が皆無なため、いざとなると二の足を踏んでしまった。
「な、何の用ですか?」
声を震わせながら淳貴が返事をすると、キュルケがベッドから立ち上がった。
薄いネグリジェしか身に着けていないため、すらりとした足が丸見えである。
「ギーシュと決闘したときのあなた、とても素敵だったわ」
「そ、そ、そうですか」
「私の二つ名は、微熱」
「は、はい。知っています」
「微熱はね、情熱にもつながるのよ。今の私を焦がしているのは、あなたへの情熱なの」
キュルケは軽く前かがみになると、ウフッと息を漏らした。
なんかもう、いろんなところがヤバい。思わずフラフラと前に出そうになってしまう。
だが、そんな淳貴の心に浮かんだのは、なぜか母親の林檎と妹の倉夏が、幼馴染の栞が、そして主人のルイズとメイドのシエスタが睨みつける姿だった。
「もう、シャイな人ね」
キュルケが淳貴に向かってにじり寄ったとき、突然、部屋の窓が開いた。
「キュルケ!」
「ペリッソン!」
「待ち合わせの時間に君が来ないから、様子を見に来てみれば……」
「え、ええと……二時間後に」
「話が違う!」
この部屋は三階にある。
どうやら、ペリッソンというハンサムな男子生徒は、魔法で宙に浮いているらしい。
キュルケは煩そうに、胸の谷間に差していた魔法の杖を取り上げると、それを振った。
すると、部屋のロウソクから炎が飛び出し、窓枠のところにいた男を吹っ飛ばした。
「まったく、無粋なフクロウね」
どうやら今の男は、キュルケにとってはフクロウ並らしい。
「今の誰?」
「彼は、ただのお友だちよ」
キュルケは体の向きを変えると、再び淳貴へと近づいた。
淳貴は、蛇に睨まれた蛙のように、だらだらと汗を流すばかりである。
「キュルケ!」
「スティックス!」
今度は別の男が、窓の外にいた。
「ええっと、四時間後に」
キュルケがフレイムに合図を出すと、フレイムが炎を吐いて、窓の外の男を追い払った。
「……今のも友だち?」
「友だちというより、ただの知り合いよ」
とうとう、キュルケが淳貴の目の前まできてしまった。
キュルケが手をあてて、淳貴のあごをクイッと持ち上げたとき、部屋のドアが大きな音をたてて開いた。
「キュルケ!」
ドアのところに立っていたのは、怒りの感情をあらわにしたルイズだった。
目には怒りの炎が、爛々と燃え盛っている。
「取り込み中よ、ヴァリエール」
「ツェルプストー! あんた、ぬわに人の使い魔に、手を出してるのよ!」
「しかたないじゃない。だって、好きになっちゃったんだもん」
キュルケは、やれやれといった具合に両手を上げた。
「恋と炎は、フォン・ツェルプストーの宿命なの。あんただって、よく知ってるはずじゃないの?」
「そうよ。よく知ってるわよ。あんたたちが、泥棒猫の家系だってね!」
「泥棒猫は失礼ね。ちゃんと相手をキープしとかない、あんたたちが悪いんじゃない」
「言わせておけば〜〜!」
ルイズはギリギリと歯をかみ締めたが、すんでのところで思いとどまると、一人あたふたとしていた淳貴の首根っこを掴まえて、キュルケの部屋から出て行った。
自分の部屋に戻ったルイズは、内側から鍵をかけると、淳貴と向き合った。
「なによ、さっきのは! まるで、盛りのついた犬みたいじゃないの!」
ルイズの両目が、見事に釣りあがっていた。どうやら、怒りを再燃させたらしい。
「そこに、はいつくばりなさい」
「な、何で?」
「わたし、あんたを一応人間扱いしてたけど、それが間違ってたわ」
ルイズはプルプルと肩を震わせながら、机の引き出しから乗馬用の鞭を取り出した。
「ツェルプストーの女に尻尾を振るなんて! この犬〜〜〜〜っ!」
ルイズが、鞭を振り上げた。
さすがに鞭で叩かれるのは嫌なので、とっさにルイズの懐に飛び込んで、大きく振り上げた手首を掴んだ。
「なによ、放しなさいよっ!」
「放すもんかっ!」
ルイズは暴れたが、さすがに力では男の淳貴にはかなわない。
ルイズは足をすべらすと、背後にあったベッドに倒れこんだ。
「放しなさいよ、この犬!」
「少しはこっちの話も、聞いてくれよ」
「イヤよ! どうせ、あの女とキスでもしてたんでしょ!」
「してないよ。してもいないし、されてもいない」
「本当?」
淳貴の弁解の言葉を聞いたルイズが、ようやく大人しくなった。
「だって、キュルケが顔を近づけたときに、あんた抵抗してなかったじゃない?」
「経験ないから、焦って身動き取れなかっただけなんだ。俺の経験は、サモン・サーヴァントとかで呼び出されたときの、一回だけだよ」
それを聞いたルイズの頬が、さっと赤くなった。
つられて、淳貴まで照れてしまう。
「それより、聞かせて欲しいな。キュルケがルイズのケンカ友達なのは知ってたけど、なんであそこまで怒ったんだ?」
「わかったわ。話すから、そこどいてちょうだい」
ベッドに押し倒すような形で、ルイズにのしかかっていた淳貴は、慌ててルイズから離れた。
ルイズは鞭を机の引き出しに戻すと、ベッドに腰掛ける。
「わたしの実家があるヴァリエールの領地はね、ゲルマニアとの国境沿いにあるの。だから戦争になると、いつも先頭切ってゲルマニアと戦ってきたの。そして、国境の向こうの地名はツェルプストー! キュルケの生まれた土地よ」
ルイズは、ギリギリと歯軋りしていた。
「つまり、あのキュルケの家、フォン・ツェルプストー家は、ヴァリエールの領地を治める貴族にとって、不倶戴天の敵なのよ!」
「わかった。家どうしが仇ってわけだな。でも、それだけか? 泥棒猫がどうとか言ってたじゃないか」
「ただの色ボケの家系よ! キュルケのひいひいひいおじいさんのツェルプストーは、わたしのひいひいひいおじいさんの恋人を奪ったのよ! 今から200年前に!」
「ずいぶん、昔の話なんだな」
「それだけじゃないの! ひいひいおじいさんは、キュルケのひいひいおじいさんに、婚約者を奪われたわ!」
「はあ」
「ひいおじいさんのサフラン・ド・ヴァリエールなんかはね、奥さんを取られたのよ!」
「なるほど。つまりルイズの家系は、あのキュルケの家系に恋人を取られまくったわけか」
「とにかく! 小鳥一匹だって、あのキュルケに取られてたまるもんですか!」
ルイズは一気にまくしたてると、息が切れたのか水差しからコップに水を入れて、一息に飲み干した。
「というわけで、あのキュルケだけは絶対にダメ! 禁止!」
「とりあえず、事情はわかった」
キュルケはたしかに美人だが、お付き合いしたいとまでは思っていない。
今は、なんで俺なんかにという、戸惑いの気持ちの方が強かった。
「それに、平民がキュルケの恋人になったなんて噂が立ったら、あんた無事じゃすまないわよ?」
その意見には、一理あった。
今日だけで、自分以外に二人の男が、キュルケとデートの約束をしていた。
この分だと、他に何人いるかわからない。
もし、キュルケと出来ているなんて噂が流れたら、たちまち彼らから決闘を申し込まれるだろう。
「……」
淳貴は、背筋が一気に寒くなった。
「あのさ、ルイズ」
「なに?」
「身を守る武器が欲しい」
淳貴は、真剣な顔をしていた。
身分制度のあるこの国では、現代の日本と同じように安全が守られるとは思えない。
このまえの決闘騒ぎでわかったが、決闘という形式さえ取れば、多少怪我をさせても罪に問われることはなさそうだ。
魔法の使えない自分が身を守るには、武器に頼るしかないというのが淳貴の考えだった。
「わかったわ。明日は虚無の曜日だから、街に買い物に連れて行ってあげる」
キュルケの友人であるタバサは、青みがかった髪をもつ少女だった。
物静かで体格も小柄なタバサは、行動的で体の発育もよいキュルケとは対照的である。
体が細いため、実年齢より4〜5歳若く見られることも多かったが、卓越したメイジであるタバサは、周囲から一目置かれていた。
もっとも、生意気盛りの同級生たちの中で、彼女の位置が定まるまでには、多少の揉め事もあったのだが。
そんなタバサの唯一の趣味は、読書だった。
本ばかり読んで目を悪くしたのか、大きな縁のついたメガネを常時かけている。
普段から本を持ち歩くような生活をしていたが、休みである虚無の曜日ともなると、一日中読書に耽るのが常であった。
その日も、朝から自分の部屋で読書していたのだが、昼近くなった時にタバサの部屋のドアが、ドンドンと大きな音で叩かれた。
鬱陶しく思ったタバサは、サイレントの呪文でもかけようかと思ったが、部屋に入ってきたキュルケの姿を見ると考えが変わった。
「タバサ、今から出かけるわよ! 早く支度をしてちょうだい!」
「虚無の曜日」
タバサは、ぼそっとつぶやいた。
意訳すると、今日は一日読書をしていたいという意味である。
「わかってるわよ。あなたにとって、虚無の曜日がどれだけ大事か。
でも今はね、そんなこと言ってられないの。恋なのよ、恋!」
キュルケは友人の言葉を肯定しつつも、『恋』という言葉一つで、自分の用事は最優先なのだと主張した。
もっとも、その単語だけでは意味が伝わらなかったらしく、タバサは小首をかしげたままである。
「わかったわ。きちんと説明する。私ね、恋をしたの! でも、その恋した人が、にっくきヴァリエールと一緒に馬で出かけたの! 追いかけたいけど、あなたの使い魔じゃないと追いつかないのよ! お願いだから、助けて!」
タバサはクールな性格だったが、泣きついてくるキュルケを無視するほど、情が薄いわけではない。
彼女は窓際に近づくと、窓を開けてピューッと口笛を吹く。
そして、窓枠によじ登ってから下に飛び降りると、タバサの使い魔であるシルフィードが、彼女の体を受け止めた。
「いつ見ても、あなたのシルフィードは、惚れ惚れするわね」
続いてシルフィードの背中に飛び降りたキュルケが、突き出た背びれに掴まりながら、タバサの後ろに座った。
タバサから風の妖精の名を与えられたシルフィードは、風竜の幼生である。
幼生とは言っても、人を数人乗せて飛行できるだけの大きな体と翼をもっている。
シルフィードは翼を数回羽ばたかせてから、魔法学院の塔に当たって上空に抜ける上昇気流を巧みに捕まえて、たちまち200メイルも上空に上った。
淳貴とルイズは、トリステインの城下町を歩いていた。
淳貴は朝、乗馬の基本をルイズから教わったあと、三時間かけて馬でこの城下町まできた。
乗ってきた馬は、町の入り口にある駅に預けている。
今日、初めて馬に乗った淳貴は、乗馬で痛んだ腰を手でさすっていた。
「情けないわね。馬にも乗ったこと無いなんて。これだから平民は……」
ちなみに、淳貴の元の世界での乗り物は、電動スクーターである。
長距離を走るのには向かないが、馬よりはよほど快適だった。
「道が狭い」
ルイズと淳貴が歩いている通りは、道幅が5メイルほどしかなかった。
その通りを老若男女、大勢の人が行き来している。
道の両脇には石造りの店や、あるいは屋台や露店など、多くの店や物売りの人が並んでいた。
「狭いって!? ここはブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。この先にトリステインの宮殿があるわ」
人の混み具合だけを見れば、休日の新宿の地下街や渋谷のセンター街と、比較できるかもしれない。
そんな人ごみの中を、ルイズと淳貴は人をかき分けながら進んでいった。
「あった、ここよ!」
ブルドンネ街から狭い路地を通り過ぎた先に、剣の形をした看板をぶら下げている店があった。
ルイズと淳貴は、店の入り口にある小さな石段を上って、店のドアを開けて中に入った。
店の中は、昼間だというのに薄暗かった。
ドアの先に横に広がったカウンターがあり、その向こう側にこの店の主人らしい中年の男がいた。
「貴族のだんな。うちは真っ当な商売をしてまさぁ。お上に目をつけられるようなことは、これっぽっちもありませんぜ」
「客よ」
プイッと横を向きながら、ルイズが答えた。
「この使い魔に持たせる武器を探してるの」
店の主人は、いったん奥に引っ込むと、一メイルほどの長さの細身の剣をもって現れた。
「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々で、下僕に剣を持たせるのがはやってましてね。その際にお選びになるのが、このようなレイピアでさぁ」
「貴族の間で、下僕に剣を持たせるのが流行ってる?」
「へえ。なんでも、最近このトリステインの城下町を、土くれのフーケとかいうメイジの盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂でさぁ。それを怖れた貴族の方々が、下僕にまで剣を持たせる始末だそうで」
「ふーん」
盗賊に興味がなかったルイズは、じろじろと剣を眺めた。
「これでどう?」
「悪いけど、これは突き専用の剣だ。できれば、片刃で切れ味がよくて、頑丈な剣が欲しいんだけど」
本音は日本刀がいいと思っていたが、異国どころか異世界の武器屋で日本刀が手に入るとは思わなかったので、できるだけそれに近い剣が欲しかった。
「へえ。おめえさん、若いわりには、なかなかわかってるじゃねえか」
「だ、誰だ!?」
突然、低い男の声が聞こえてきた。
「やい、デル公! お客様に失礼なことを言うんじゃねえ!」
店の主人が、店の一角に積んであった剣の山に向かって、怒鳴り声をあげた。
「デル公?」
淳貴が無造作に山積みになった剣に近づくと、一番上に置かれていた錆の浮いた剣から、その声が出ていた。
「剣がしゃべってる!?」
淳貴はその剣を、まじまじと眺めた。
長さは1.5メイルほどで、刀身はやや細いが、淳貴が望んでいた片刃の長剣である。
ただ、表面に錆が浮いているため、お世辞にも見栄えがよいとは言えなかった。
「これ、インテリジェンスソード?」
ルイズが、店の主人にたずねた。
「そうです。意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったい、どこの魔術師が始めたんでしょうかね。剣をしゃべらせるなんて。それはともかく、こいつはやたらに口は悪いわ、客にケンカを売るわで閉口していまして……やい、デル公! これ以上失礼があったら、てめえを溶かしちまうからな!」
「おもしれえ! やれるものなら、やってみやがれ!」
「ちょっと、待った。しゃべる剣なんて、面白いじゃないか」
淳貴が、その剣を手にとった。
「おまえ、デル公って名前なのか?」
「ちがわい! デルフリンガー様だ」
「俺は、才賀淳貴。よろしくな」
デルフリンガーと名乗った剣は、淳貴を観察するかのように、しばらく黙り込んだ。
「おでれーた。見損なってた。おめえ、『使い手』か」
「使い手?」
「ふん、自分のことも知らんのか。まあ、いい。おめえ、俺を買え」
「わかった。買うよ」
淳貴は剣をもって、ルイズに向かって振り返った。
「ルイズ、これにするよ」
「え〜〜っ!? そんなのにするの?」
「ちょっと錆びてるけど、俺の欲しかった剣に近いし、それにしゃべる剣なんて面白いじゃないか」
ルイズは少し不満だったが、満足そうな顔の淳貴を見てあきらめた。
「おいくら?」
「あれなら、金貨100でけっこうでさ」
「安いじゃない」
「こっちにしてみりゃ、厄介払いみたいなもんで」
淳貴はポケットからルイズの財布を取り出すと、店の主人に金貨を渡した。
「毎度。どうしても煩いときは、こうやって鞘に入れれば大人しくなりますんで」
店の主人はデルフリンガーを鞘に収めて、淳貴に手渡した。
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