ゼロの伝説の勇者

作:湖畔のスナフキン

第一話 −甦る伝説− (03)




 土くれのフーケは、メイジの盗賊である。
 その手口は多彩で、あるときは夜陰にまぎれて屋敷に忍び込んだかと思えば、またあるときは家屋を丸ごとぶっ壊してから盗み出したり、ときには白昼堂々と王立銀行を襲ったりもする。
 行動パターンが読めないため、トリステインの治安を預かる王室衛士隊の魔法衛士たちも、フーケに振り回されているのが実情だった。

 そのフーケの二つ名である『土くれ』だが、目標の場所に侵入する際、壁やドアを錬金の呪文で土や砂に変え、穴を開けることに由来している。
 その他、城でも壊せそうな身の丈30メイルほどのゴーレムを造りだして、力任せに屋敷や宝物庫を破壊することもあった。

 フーケの正体を見た者は、まだ誰もいなかった。
 男であるか、女であるかすらもわかっていない。
 わかっているのは、おそらくトライアングルクラスの土系統のメイジであること。
 犯行現場の壁に、『秘蔵の○○、確かに領収しました。土くれのフーケ』というメッセージを残すこと。
 そして、強力な魔法が付与された物品――いわゆる、マジックアイテム――が、何よりも好きということである。

 そのフーケが、5階に宝物庫のあるトリステイン魔法学院の壁に、垂直に立っていた。
 魔法を使い地面とほぼ水平に立っていたフーケは、足でトントンと壁を鳴らし、足に伝わる感触で壁の厚さを確かめている。
 石の壁の厚さを認識したフーケは。思わず舌打ちをした。

「さすがは、魔法学院の本塔の壁ね……確かに、固定化の魔法以外はかかっていないけど、これじゃ私のゴーレムでも壊すのは難しいわね」

 壁に強力な固定化の呪文がかけられていたため、錬金の呪文で壁に穴を開けることは、今のフーケの力では不可能だった。
 ゴーレムを使って力任せに壊すしか手はなさそうだが、あまり破壊に時間がかかるようだと、学院の魔法使いがやってきてしまう。

「手際よくやらないと、お宝は拝めないってことか」

 フーケは、口元をゆがませてニヤリと笑うと、マントを翻してこの場から去っていった。




 同じ頃、ルイズは自分の部屋で、激しく歯軋りをしていた。

「どういう意味? ツェルプストー」

「だから、武器屋でいい剣を手に入れたから、サイガにプレゼントするって言ってるのよ」

「おあいにくさま。使い魔の武器なら、間に合ってるの。ねえ、サイガ」

 だが肝心の淳貴は、キュルケがもってきた剣に、思いきり見とれていた。

「すっげえ! この剣、ピカピカ光ってるよ」

 その剣は、両刃のグレートソードだった。
 長さはデルフリンガーとほぼ同じだったが、刀身が厚く、いかにも頑丈そうである。
 また、錆が浮いていたデルフリンガーと異なり、刃面には曇り一つなく光り輝いていた。
 片刃の剣がいいと思っていた割には、両刃の剣にも興味をもったようである。

「この剣は、ゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿が鍛えたそうよ。やっぱり剣も女も、ゲルマニア生まれに限るわね」

「あんたなんか、ただの色ボケじゃない! どうせ、ゲルマニアで男を漁りすぎて相手にされなくなったから、トリステインまで留学に来たんでしょ」

 ルイズとキュルケは部屋の真ん中でにらみ合っていたが、同時に飛び下がると、杖を取り出して魔法をかけようとした。
 だが、ベッドに腰掛けて本を読んでいたタバサが、自分の杖を持ち上げると、二人より早く魔法をかける。
 一陣の風が舞い上がり、二人の手から杖を吹き飛ばした。

「室内」

 タバサが、淡々とした口調で言った。

「でも、これ本当にもらっていいの? ずいぶん、高そうだけど」

「いいのよ、気にしないで。私が持ってても、使い道ないから」

 金貨1000枚で買った剣――言い値は金貨4500だったが、武器屋のオヤジに色気を振りまきながら、負けさせた――だが、キュルケは惜しみなく淳貴に譲った。
 恋に生きる女キュルケは、大事な獲物を捕まえるのに、ケチケチしない性格である。

「あんたも、節操なしね」

 ルイズは腰に両手を当てながら、冷めた目で淳貴を見つめていた。




 その日の夜、淳貴は夢を見た。
 黄金の鎧を着た巨人が、同じく銀の鎧を着た巨人と戦う夢だった。

 黄金の巨人と銀色の巨人の背中には、折りたたんだ羽のようなものが付いていた。
 黄金の巨人と銀色の巨人は離れて向き合っていたが、接近すると互いに相手の手を掴んで、がっぷりと組み合う。
 やがて、黄金の巨人が右手に大きな弓を構え、左手で光の矢を放ったところで、目が覚めた。

(なんなんだ、今の夢は……)

 淳貴は、藁とシーツで作った寝床から体を起こすと、ルイズが目を覚ますまで、夢の意味を考えていた。




 翌日、一日の日課を終えたルイズは、本塔地下にある女子生徒専用の風呂に入った。
 風呂からあがって自分の部屋に戻ると、淳貴の姿が見えない。
 ルイズは湯冷めしないようにマントを羽織ってから、淳貴を探しに出かけた。

「サイガ、どこへ行ったの?」

 寮を出て学院の敷地内を歩いていると、やがてヴェルストリ広場の片隅で、剣を振っている淳貴を見つけた。
 近くには、キュルケとタバサの姿もある。

「ちょっと、サイガ。こんなところで、なにやってるの!?」

「せっかく剣も買ったんだし、久しぶりに素振りでもしようかと思ったんだけど……」

「でも、訓練にはなってないみたいね」

 横から、キュルケが口をはさんだ。

「どういうこと?」

 事情を飲み込めていないルイズが、淳貴にたずねる。

「このまえの決闘のときもそうだったんだけどさ、剣を握ると左手が光って、それから体がすごい軽くなるんだ」

 淳貴はキュルケからもらった、グレートソードを片手で構えた。
 本来は両手で扱う剣を、淳貴は片手で軽々と振り回す。

「へーっ。けっこう、かっこいいじゃない」

 まるで腕利きの剣士のように、颯爽と剣を振る淳貴を見て、ルイズが感嘆の声をあげた。

「だけど、これは僕の力じゃない。たしかに便利だけど、こんなんじゃ剣の腕は磨けそうにないよ」

「やっぱり、このルーンが原因かしらね」

 キュルケが、淳貴の左手にあるルーンを見つめた。
 淳貴が剣を握っている間、そこがずっと光っていたのである。

「よかったじゃない、ルイズ。あんたの使い魔、ただの平民じゃないみたいよ」

「そ、そうみたいね!」

「ま、いずれ私のものになるんだけど」

「誰があんたなんかに、渡すものですか!」

 またもや、ルイズとキュルケが睨み合いを始めたとき、広場の別の場所で異変が起こった。




 広場にある植え込みの中で、フーケが長い呪文を唱えていた。
 その呪文が完成すると、フーケは地面に向かって杖を振る。
 深くかぶったマントの内側に、薄い笑みが見えた。

 ゴゴゴゴ……

 フーケが杖で指した先の地面が盛り上がり、やがて巨大なゴーレムへと姿を変えた。

「な、なにあれ!」

 そのゴーレムを見たルイズが、叫び声をあげる。

「本塔の方に向かっていくわ!」

 キュルケが杖を手に持ち、ファイア・ボールの呪文を唱えた。
 杖から飛び出した大きな火の玉がゴーレムにぶつかるが、ゴーレムはびくともしない。
 タバサが竜巻の呪文を使うが、やはり効かなかった。

「私もやるわ!」

 ルイズが、ゴーレムに向かって駆け出した。

「おい、待てよ!」

 心配した淳貴が、あわてて後を追いかけていく。

「これでも、食らえっ!」

 ゴーレムに接近したルイズが、ファイア・ボールの呪文を唱えた。
 だが、ルイズの杖から火の玉は出なかった。
 代わりに、本塔の宝物庫の壁が爆発し、大きな亀裂が入ってしまう。

(チャンス!)

 土ゴーレムの肩に乗っかっていたフーケは、思いもよらない幸運に舌なめずりした。
 下から飛んでくる魔法は気にもとめず、ゴーレムの右腕を大きく振り上げると、ルイズが作った亀裂に拳を打ち下ろす。
 壁にぶつかる瞬間、フーケの呪文で鉄に変わったその拳は、見事に宝物庫の壁を打ち破った。

 フーケはゴーレムの拳を戻すと、出来た穴から侵入した。
 宝物庫の中には様々な宝物があるが、フーケの狙いはただ一つである。
 フーケは、それを見つけると懐に収め、そして宝物庫から去る間際に、杖を振って壁に文字を刻んだ。

『伝説の腕輪、確かに領収しました。土くれのフーケ』




 翌朝、ルイズと淳貴、それにキュルケとタバサは学院長室に呼ばれた。
 そこにはルイズたち以外に、学院の教師が全員集まっていた。

「犯行現場を見たのは、君たちかね?」

 学院長のオスマンが、ルイズたちに尋ねた。

「はい」

 代表して、ルイズが答えた。

「ふむ……君たちか」

 オスマンが、興味深そうに淳貴を見つめた。
 淳貴は、なんだか偉そうな老人にジロジロ見られ、こそばゆくなってしまう。

「詳しく説明したまえ」

「私たちが、ヴェルストリの広場にいたら、突然あの大きなゴーレムが出てきて、塔の壁を壊したんです。そして、ゴーレムの肩に乗っていた黒いメイジが中に入って、そして出てきました。それから、ゴーレムは城壁を越えて歩き出して、私たちは使い魔の風竜に乗って追いかけたんですけど、草原の真ん中で崩れて土になっちゃいました」

 フーケが宝物庫に侵入したあと、ルイズたちはタバサの使い魔であるシルフィードに乗って、上空に退避していた。
 そして魔法学院から離れるゴーレムを追いかけたのだが、突然ゴーレムが崩れて、元の土に戻ってしまったのである。
 その時には、フーケの姿はどこにも見えなかった。

「ふむ……後を追おうにも、手がかりなしというわけか」

 オスマンは、顎から生えた長い髭をしばらく撫でていたが、何かに気づいたのか、隣にいたコルベールに尋ねた。

「ときに、ミス・ロングビルはどうした?」

「それがその……朝から姿が見えません」

「この非常時に、どこに行ったのじゃ?」

 そのとき、ミス・ロングビルが学院長室に入ってきた。

「ミス・ロングビル! この緊急時に、いったいどこに行ってたんですか!」

 興奮した口調で、コルベールがミス・ロングビルにまくし立てた。

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしていたものでして」

「調査?」

 オスマンが、ミス・ロングビルに問い返す。

「朝起きてすぐ、学院の宝物庫が荒らされた件は聞きました。壁のフーケのサインを見つけましたので、すぐさま調査を開始したのです」

「仕事が早いの、ミス・ロングビル。それで、結果は?」

「はい。フーケの居所がわかりました」

「な、なんですと!」

 コルベールが、興奮気味の声で叫んだ。

「近在の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブを着た男を見たそうです。おそらく彼がフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと」

「黒ずくめのローブですって!? それはフーケに間違いありません!」

 ルイズが、思わず叫んだ。

「そこは近いのかね?」

「はい。徒歩で半日。馬なら4時間といったところでしょうか」

「すぐに王室に連絡しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵を差し向けるのがよろしいかと」

 コルベールがそう発言したが、オスマンがコルベールの方を振り向くと、カッと目を大きく開いてコルベールを怒鳴った。

「バカ者! 王室なんぞに知らせている間に、フーケが逃げてしまうわ! そもそも、身にかかる火の粉を振り払えずして、何が貴族じゃ! これは魔法学院の問題じゃ。当然、我らで解決せねばなるまい!」

 ミス・ロングビルが微笑んだ。まるで、この答えを待っていたかのように。

「では、捜索隊を編成する。我と思わん者は、杖を掲げよ」

 オスマンが、この部屋にいる一同に問いかけた。
 だが、誰も杖を上げようとはしない。

「どうした!? フーケを捕まえて、名を上げようと思う貴族はおらんのか!」

 ルイズはじっと顔を伏せていたが、やがて杖を自分の顔の前に掲げた。

「ミス・ヴァリエール! あなたは生徒ではありませんか」

 シュヴルーズが、驚きの声をあげた。

「ここは教師に任せて……」

「誰も掲げないじゃないですか!」

 ルイズの目に、強い決意の思いが出ていた。
 ルイズが杖を下げようしないため、キュルケも渋々杖を掲げる。

「ふん。ヴァリエールには負けられないわね」

 キュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも杖を掲げた。

「タバサ、あんたはいいのよ。関係ないんだから」

「心配」

 タバサが、ポツリとつぶやいた。

「そうか。では、頼むとしよう。魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 ルイズとキュルケとタバサは背筋を伸ばして立つと、「杖にかけて!」と同時に唱和した。







 ルイズ・キュルケ・タバサ、それにルイズの使い魔である淳貴は、ミス・ロングビルを案内役にして出発した。
 一行は、学院が用意した屋根なしの馬車に乗った。その馬車の御者は、ミス・ロングビルが買って出た。
 タバサの使い魔であるシルフィードに乗らなかったのは、目的地に着くまでは魔法を温存するようにとの、オスマンの配慮である。

「まったく、何で俺まで……」

 ルイズの隣の席で、淳貴が一人ぼやいていた。

「あんたは、私の使い魔じゃない! 使い魔は、主人のいる所についてくるものなのよ」

「俺は盗賊退治を志願してなんかいないし、そもそも、またあのゴーレムが出てきたら、どうするつもりなんだよ!?」

「心配しすぎよ。隠れ家を不意に襲えば、ゴーレムを出す前に勝てるわ」

「ルイズは、楽観的すぎるよ」

 そこで、二人の会話が途切れた。
 ルイズとて、勝算があって名乗り出たわけではない。
 魔法の使えないメイジという評価を覆すために、あえて名乗りをあげたのだ。

「ミス・ロングビル。手綱取りなんて、学院の付き人にでもやらせればいいじゃないですか?」

 キュルケが、ミス・ロングビルに話しかけた。

「いいのです。私は、貴族の名をなくした者ですから」

 キュルケが、きょとんとした表情を浮かべた。

「だって、あなたはオールド・オスマンの秘書なのでしょう?」

「ええ。ですがオールド・オスマンは、貴族や平民だということに、あまりこだわらないお方です」

「差し支えなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 ミス・ロングビルは薄っすらと微笑を浮かべたが、キュルケの質問にはいっさい答えなかった。




 馬車が、平原から深い森へと入っていった。
 途中の小道に別れていた場所で、ミス・ロングビルが馬車を止めた。
 目的地が馬車の入れない小道の先にあるため、そこからは徒歩で進んでいく。
 うっそうとした森の中は、昼間だというのに薄暗い。
 キュルケが「暗くて怖い〜〜」と言って淳貴の腕にすがりついたが、ルイズは緊張していたためか、キュルケの挑発には乗らなかった。

 やがて一行は、森が開けた場所に出た。
 おおよそ、魔法学院の中庭くらいの広さがあり、ちょうど真ん中の辺りに廃屋があった。
 元は、木こり小屋か何かに使われていたのだろう。
 ルイズたち5人は、小屋から見えないように、森の茂みに姿を隠していた。

「私の聞いた情報だと、あの中にいるとのことです」

 5人は固まって、作戦会議を始めた。
 まず、偵察者が近づいて、中の様子を確認する。
 もし、中にフーケがいたら、挑発して小屋の外に誘い出す。
 そして、相手が小屋から出たところで、ゴーレムを出す前に、魔法で一気に攻撃して相手を倒そうということになった。

「で、誰が偵察をやるの?」

 ルイズはそう発言しながらも、視線が淳貴の方を向いていた。
 キュルケとタバサも、一緒になって淳貴を見る。

「わかったよ」

 淳貴は、その役目を引き受けた。
 一行の中でただ一人の男だし、剣を握れば誰よりも速く動けることはわかっているので、魔法にさえ気をつければ問題ないだろう。
 ただ、ため息を漏らすあたりに、嫌々ながらという気持ちが現れていたが。

 淳貴はキュルケから貰ったグレートソードを、鞘から抜いた。
 左手のルーンが光り出すと同時に、体が軽くなる。
 森の端から数回ジャンプしただけで、小屋へとたどり着いた。

 小屋の中を覗くと、中には一部屋しかなく、部屋の真ん中に大きなテーブルがあり、その上に大きな木箱が置かれていた。
 人の姿は見えない。
 淳貴は背後を振り返ると、中に人がいなかったときのサインを出した。
 やがて、森に隠れていた残りのメンバーが、淳貴のいる場所までやってきた。

「誰もいないよ」

 タバサが杖を掲げ、ディテクトマジックの呪文を唱えた。

「罠はない」

 そう言うと、タバサはドアを開けて小屋の中へと入った。
 淳貴とキュルケがタバサのあとに続き、ルイズは見張りをするといって、その場に残る。
 ミス・ロングビルは、辺りを偵察してきますと言って、森の中に消えていった。




 小屋に入った淳貴たちは、フーケの残した手がかりがないか、部屋の中を調べることにした。
 まずは、一番目立つ場所にあった、テーブルの上の木箱を開ける。

「あった」

 なんと、木箱の中から黄金の腕輪が出てきた。

「それ、本物か?」

 疑問に思った淳貴が、タバサとキュルケに尋ねる。

「本物よ。あたし見たことあるもん。以前に、宝物庫を見学したときに」

 キュルケが答えた。

「腕輪の内側を見て。なにか、文字のようなものが刻まれてるでしょ? 古代のルーン文字とも違うし、アカデミーの研究者でも読めないらしいの。不思議に思ったから、この腕輪のことはよく覚えてるわ」

 腕輪に刻まれた文字を見た淳貴は、思わずハッとした。
 なぜか、その文字が読めたのだ。
 いや。読めたというよりも、文字の意味が急に頭の中に湧いて出てくるような感じだった。

「きゃあああっ!」

 そのとき、外で見張りをしていたルイズの悲鳴が聞こえた。

「どうした、ルイズ!」

 皆が一斉にドアの方を振り向いたとき、バコーンと音をたてて、小屋の屋根が吹き飛んだ。
 屋根がなくなったため、青空が見える。
 その青空を背景にして、巨大な土ゴーレムの姿が見えた。

「ゴーレム!」

 キュルケが叫んだ。
 真っ先に反応したのはタバサで、自分の身長より大きな杖を振るって、空気の刃を飛ばした。
 続いてキュルケが、胸元に差していた杖を取り出し、杖の先から大きな炎を出す。
 だが、巨大な土ゴーレムは、それらの攻撃を意にも介さなかった。

「退却」

 キュルケとタバサが、走って逃げた。
 淳貴も逃げようとしたが、ルイズがその場にいるのを見て立ち止まった。

「逃げろ、ルイズ!」

「イヤよ!」

 ルイズは杖を振り上げると、何かの呪文を唱えた。
 ゴーレムの胸の表面が爆発し、土ぼこりが舞い上がった。

「あのゴーレムを見ろよ! あんな大きなヤツに、勝てるわけないだろっ!」

「絶対、イヤ! あいつを捕まえれば、誰ももう、私をゼロのルイズとは呼ばなくなるわ!」

 その言葉に、淳貴はハッとした。
 淳貴はルイズのプライドの高さはわかっていたが、それが深く傷ついていることに、今まで気づいていなかったのだ。

「ここで逃げたら、ゼロのルイズだから逃げたって言われるに決まってるじゃない!」

 淳貴はどうすべきか迷ったが、ゴーレムがこちらを見ながら拳を振り上げるのを見ると、すぐさま行動した。
 背中に差していた剣を抜くと、それを左手にもち、右脇にルイズを抱えて思いきり横に跳ぶ。
 淳貴がその場から離れた瞬間、ゴーレムの拳が振り下ろされ、地面に凹みをつけた。

「バカっ! 死んだら、なんにもならないじゃないか!」

 淳貴が珍しく、真剣な表情でルイズに怒った。
 するとルイズは、目からぽろぽろと涙をこぼし、泣き出してしまった。

「泣くなよ」

「だって……悔しくて……私、いつもバカにされて……」

 淳貴は、ようやく気がついた。
 貴族の身分を鼻にかけ、いつも強気で生意気だけど、やはりルイズも女の子なのだ。
 プライドの仮面がはがれたルイズは、子供のように泣きじゃくった。

「本当にバカだな」

 淳貴が、たまに妹にしているようにルイズの髪を撫でたが、状況はそのままでいることを許さなかった。
 背後に土ゴーレムが迫り、二人を踏み潰そうと足を上げる。
 淳貴がルイズを抱えて走って逃げたところに、タバサが使い魔のシルフィードに乗って、低空飛行で近づいてきた。

「ルイズを頼む!」

 淳貴が、ルイズをシルフィードの背中に放り投げた。
 タバサの後ろに座っていたキュルケが、ルイズの体を受け止める。
 それを確認すると、淳貴はグレートソードを構えて、迫ってくるゴーレム目掛けて走り出した。

 ガッ!

 淳貴が、ゴーレムの足を斬りつけた。
 ゴーレムの動きは、それほど素早くない。
 左手のルーンが光っている状態では、それほど問題ではなかった。

 しかし、耐久性はずば抜けていた。
 数回剣を振るって、ゴーレムの足や腕に傷をつけたが、ゴーレムは足元の地面から土を吸い上げて、付けられた傷を修復してしまう。

 ドゴン!

 ゴーレムの拳が振り下ろされた。
 淳貴はその拳をかわしたあと、突っ込んで斬りつけようとする。
 しかし、淳貴が剣を振るった瞬間、ゴーレムの手が鉄に変わった。
 それに力強く斬りつけた淳貴の剣は、ガキンという音とともに、根元から折れてしまった。




 ルイズは上空から、淳貴が苦戦している様子を、はらはらしながら見ていた。
 なにか自分にできないことはないかと探していると、キュルケがもっていた伝説の腕輪が目に入った。

「キュルケ、それ貸して! タバサ、私にレビテーションをお願い!」

 ルイズはキュルケから伝説の腕輪を受け取ると、地面に飛び降りた。
 タバサのかけたレビテーションの呪文の効果で、ルイズはゆっくりと降り立つと、ゴーレムに向かって走りながら一生懸命に腕輪を振った。

「ねえ! 伝説の腕輪なんでしょ! お願いだから、力を貸してよ!」




 地面に降り立ったルイズを見て、淳貴は驚いた。
 慌ててルイズに駆け寄ると、伝説の腕輪に手を触れる。
 すると左腕のルーンが光り、腕輪の正しい使い方が淳貴の脳に流れ込んだ。

「違うんだ、ルイズ。これは、こう使うんだ!」

 淳貴は左手で伝説の腕輪を受け取ると、その言葉を口にした。

「――ライディーン」




 天空から地上に、光の柱が走った。
 その光が地上にぶつかると、そこから空中に大きな円い形の魔法陣が現れて、空中に上がりながら広がっていく。
 そして、その魔法陣の中から、鎧を着けた半透明の巨人が姿を現した。

 地上にいたルイズが、そして空中でシルフィードに乗っていたキュルケとタバサが、あっけにとられながらその光景を眺めていた。
 やがて巨人が完全に姿を現すと、鎧の表面の色が半透明から金色へと変わる。
 鎧が完全に金色に変わると、兜の後ろに白い二筋の髪のようなものが一瞬現れ、そして巨人の目に緑色の光が宿った。

 それは淳貴が先日夢に見た、黄金の巨人と同じ姿だった。
 淳貴は、巨人の目に光が宿ったのを見ると、次の言葉を発した。

「フェード・イン!」

 淳貴の体が、巨人の中へと吸い込まれた。
 淳貴が目を開くと、なぜか裸の姿で真っ暗な空間の中にいた。
 淳貴の周囲には数本の金と銀の輪があり、それらが淳貴を中心としてクルクルと回っていた。

 淳貴の左腕には、少し大きさが広がった伝説の腕輪がはまっていた。
 淳貴の左手の甲にあるルーンが、自分が思ったとおりに動くという、この巨人の基本的な操縦方法を教える。
 淳貴が目を凝らすと、巨人の目を通した外の視界が、淳貴に見えるようになった。




「な、何あれ……」

 ルイズは上を見ながら、呆然としていた。
 そこには、フーケの土ゴーレムよりも、さらに大きな黄金の巨人の姿があった。
 そこに、シルフィードが低空飛行で近づき、キュルケが手を伸ばして、ぼーっとしていたルイズをシルフィードの上に引っ張り上げた。

「ね、ねえ! いったい何があったの!?」

「私に聞かないでよ」

 黄金の巨人が腕を振り上げ、土ゴーレムを殴った。
 ゴーレムの胸に穴があき、ゴーレムは衝撃で数歩後退する。
 今度は、ゴーレムが拳を鉄に変えて巨人を殴ったが、巨人はビクともしなかった。

「あれって、私たちの味方よね?」

「そ、そうじゃない? サイガが呪文みたいな言葉をしゃべったら、あれに吸い込まれたんだし」

「うそっ! ダーリンがあれを操ってるの!?」

 キュルケが、嬉々とした表情で叫んだ。




 一方、淳貴は焦っていた。
 巨人でゴーレムを殴ればダメージは与えられるものの、地面から土を吸い上げて、破損箇所を修復してしまうのである。

(このままじゃ、いつまで経っても堂々めぐりだ。なにか、一撃で相手を倒す方法はないのか……!?)

 そのとき淳貴の脳裏に、先日見た夢の内容が浮かんできた。
 大きな弓を引き、光の矢を放った巨人の姿が。

「そうだ! あれはライディーンの武器だ!」

 淳貴は、一瞬目を閉じた。
 頭の中に、“それ”を起動するための言葉が浮かびあがる。

「ゴッドアロー」




 突然、黄金の巨人が金色の光を発した。
 兜の後ろから、白い二筋の髪のようなものが一瞬現れる。
 そして、巨人の右腕に折りたたまれていた弓がぐるりと一回転し、それが上下に大きく開いた。

 右腕の弓を構えたあと、矢を引き絞るようにして左手の指をぐっと引っ張ると、指の先端から光の矢が現れる。
 そして、左手を目一杯引き絞ったところで、矢を放った。

 ギュインと甲高い音をたてながら、光の矢が高速で飛んだ。
 その矢がゴーレムの胸に突き刺さると、大爆発を起こす。
 しかし、爆発が半径数十メートルまで広がったところで、爆発の中心部にブラックホールのような黒い穴が現れ、爆発したエネルギーが全部そこに吸収されたため、被害はそれ以上には広がらなかった。

 敵が完全に消え去ると、黄金の巨人は出てきたときと同じように半透明の色に変わり、そして虚空に消えていった。







 黄金の巨人が消えたあと、その場所の地面の上に、才賀淳貴が立っていた。
 淳貴がゆっくりと目を開けて周りを見渡すと、元小屋だった廃墟が目の前にある。
 空き地の周囲では木が何本も倒れており、戦いの激しさを物語っていた。

「サイガーーっ!」

 そこに、シルフィードから降りたルイズが、駆け寄ってきた。
 淳貴は、自分が裸のままであったことに気づくと、あわてて元小屋だった廃墟の陰に隠れた。

「サイガ。どうして隠れるのよ?」

 淳貴の姿が見えなくなったことに気づいたルイズが、首をきょろきょろさせた。

「あの、できたら服かマントを貸して欲しいんだけど」

 廃墟の陰から、淳貴が声をかけた。

「どうして?」

「さっきの巨人に乗ったら、なぜか裸になっちゃったんだ。このままじゃ、ルイズたちの前に出れないよ」

「もう、しかたないわね。ちゃんと洗って返しなさいよ」

 ルイズが羽織っていたマントを脱いで、淳貴に手渡した。
 淳貴は裸の体にマントを巻きつけたが、ルイズが小柄なため、太ももの半分くらいまでしか隠れなかった。
 ちょっと足を上げると、大事なところが見えてしまいそうである。

「あらん。なかなか色っぽいじゃないの」

 そんな淳貴の姿を、キュルケが舐め回すような視線で見つめていた。

「そういえば、フーケは?」

 淳貴の一言で、皆がハッとした。
 あわてて、周囲の森に視線を向けると、森の中から憔悴した表情のミス・ロングビルが現れた。

「ミス・ロングビル。フーケの姿を見ませんでしたか?」

 だがミス・ロングビルは、ルイズの問いには答えなかった。
 ミス・ロングビルはルイズに近づくと、喉元にナイフを突きつけた。

「ミス・ロングビル!」

「そうか……おまえが、フーケだったんだな!」

 淳貴がそう言うと、ミス・ロングビル、いやフーケは淳貴をキッと睨んだ。

「お黙り、使い魔! いいから、伝説の腕輪を渡すんだよ。それから、そこのメイジ二人は、杖をお投げ!」

 ルイズがフーケの人質となっているため、キュルケとタバサは、やむなく地面に杖を放り投げた。

「さあ、早く伝説の腕輪をお出し!」

「腕輪をどうするつもりだ!?」

「決まってるさ。あの腕輪を使って、あの巨人を使うんだよ! 私のゴーレムを歯牙にもかけぬ強さ! 背筋がゾクゾクしてくるね」

「たとえ腕輪を渡したところで、おまえには“ライディーン”は扱えないよ」

「なぜ、そんなことがわかる!?」

「教えてくれるんだ、このルーンが。ライディーンは選ばれた者しか、操縦できないってね」

 淳貴はマントの隙間から、左腕を出した。
 淳貴の左手の甲にはガンダールブのルーンが刻まれていたが、左腕の手首近くにまた別の模様が生じていた。
 それはルーンのような文字ではなく、幾つかの記号を組み合わせたものだった。

 淳貴が左手を前に出して、そのタトゥーのような模様を上に向けるとそこから金色の光が生じ、そしてその光が黄金の腕輪へと変化した。

「ライディーン」

 天空から光の柱が走り、再び黄金の巨人が姿を現した。
 フーケは、自分のすぐ背後に現れた巨人を、思わず見上げてしまう。
 ルイズはフーケの気が一瞬それた隙を見計らい、自分の喉にからまっていた腕に思いきり噛みついた。

「痛っ!」

 ルイズは、フーケの腕を振り払って逃げた。
 そして走りながら自分の杖を取り出すと、後ろを振り向いて、追いかけてくるフーケと正面から向き合う。

「錬金!」

 ルイズはフーケがもっていたナイフに焦点を合わせて、錬金の術をかけた。

 ドーン!

 案の定、フーケのナイフが爆発した。
 さすがに、ミセス・シュヴルーズのように気絶することはなかったが、フーケは爆風で後ろにひっくり返ってしまう。

「チェック・メイト」

 いつのまにか、自分の杖を手にしていたタバサが、フーケに杖の先を突きつけていた。
 爆発のショックで自分の杖を手放していたフーケは、大人しく両手を上げて降参した。




 魔法学院に戻った四人は、学院の衛兵にフーケを引き渡した。
 そして、ギーシュから服を借りて淳貴に着せると、学院長室へと出向いた。

「ふむ……ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったとはな。美人だったもので、なにも疑いもせず秘書に採用してしまった」

「いったい、どこで採用したんです?」

 コルベールが、オスマンに尋ねる。

「実はな……」

 オスマンの弁明によると、街の居酒屋で給仕をしていた彼女のお尻を撫でたのが、きっかけらしい。
 それでも、愛想よく酌を続ける彼女と話をしているうちに、秘書にならないかと言ってしまったとのこと。
 それを聞いていたルイズや淳貴たちは、年甲斐もないオスマンの行動に、すっかり呆れてしまっていた。

「まあ、その話はさておき、君たちはよくぞフーケを捕まえてくれた! 間もなく、王室衛士隊が引き取りにくるじゃろう。ところで、伝説の腕輪はどうなったかね?」

「それについてですが……」

 ルイズが代表して、オスマンとコルベールに説明をした。

「なんと! 君の使い魔が、あの伝説の腕輪を使ったというのかね!?」

「はい。彼があの黄金の巨人、えーと名前はライディーンというらしいんですが、それに乗ってフーケのゴーレムを倒したんです」

「ふむ、なるほど。そういうことか」

 オスマンは顎髭を手で撫でながらしばらく考えていたが、やがて口を開いた。

「君たちには、シュヴァリエの爵位申請を宮廷に出すことにする。ただし、ミス・タバサは既にシュヴァリエの爵位を持っているから、精霊勲章の授与を申請することにしよう」

「オールド・オスマン。サイガには、何もないんですか?」

 ルイズが、オスマンに尋ねた。

「残念ながら、彼は貴族ではない」

「俺は、そういうのはいりませんので、気にしないでください」

 淳貴が、オスマンにそう答えた。

「それから、今夜はフリッグの舞踏会じゃ。予定どおり行うから、君たちは部屋に戻って準備をしたまえ。ああ、そこの彼は少し残ってくれるかな?」

 オスマンは淳貴だけを引き止め、他の三人を退出させた。

「俺に、何の用ですか?」

「君にいろいろ聞きたいことがあってな。こっちに来たまえ」

 オスマンが、淳貴を遠見の鏡の前に立たせた。

「これは遠見の鏡と言ってな、遠くの場所を見たり、またその内容を記録することができるマジック・アイテムじゃ。君たちが出かけたあと、森の方角で天から光の柱が差すのを見た私は、その場所で起きたことを遠見の鏡で見ながら保管したんじゃ」

 オスマンが、杖を掲げて幾つかの呪文を唱えると、黄金の巨人が現れてフーケのゴーレムと戦う様子が映し出された。

「君が、この黄金の巨人を操っていたのかね?」

「はい。間違いありません」

「その時の様子を、詳しく教えてくれんかの?」

 この魔法学院で最高の地位にありながら、物腰が柔らかなオスマンに、淳貴は好意を感じた。

「伝説の腕輪を森の中の小屋で見つけたとき、伝説の腕輪の内側に刻まれていた文字が、俺も知らないはずなのになぜか読めたんです。その後フーケのゴーレムが出てきて、ルイズが持っていた伝説の腕輪に触れたとき、左手のルーンが光って、その文字の内容を叫べと俺に教えてくれたんです。なぜ、そうなったのかは、俺には全然わからないですが……」

「ふむ。やはりガンダールブの印か」

「ガンダールブ?」

「伝説の使い魔の名じゃよ。君の左手に刻まれたのは、間違いなくガンダールブの印じゃ。その伝説によると、ガンダールブはありとあらゆる武器を使いこなせたそうじゃ。伝説の腕輪の使い方を教えたのも、あの巨人が一種の武器だと解釈すれば納得がいくの。ただし、なぜ腕輪の文字が君に読めたのかは、まだわからんが」

「どうして俺が、その伝説の使い魔に?」

「わからん」

「伝説の腕輪と、そのガンダールブとかって言うのは、何か関係があるんですか?」

「伝説の腕輪は、ここから歩いて数日ほどかかるタルブの村の遺跡で発見されたものじゃ。遺跡に刻まれた壁画から、この地に古くから伝わる巨人の伝説と関わりがあることがわかり、それで伝説の腕輪と名づけられたのじゃが、同じ伝説でも始祖ブリミルの伝説とはまた別のものじゃな」

 始祖ブリミルという名には、淳貴は聞き覚えがあった。
 食事の時間、貴族たちがお祈りをするときに、欠かさず始祖ブリミルへの感謝を口にするのである。
 淳貴はよくわからなかったが、誰か偉い人なんだろうなと漠然と思っていた。

「すみません。俺、その始祖ブリミルって誰なのか、全然知らないんです」

「本当に知らんのかね? いくら平民でも、始祖の名くらいは知っておろうが」

「実は俺、この世界の人間じゃないみたいなんです」

 淳貴はオスマンに、自分が別の世界から来たらしいことを手短に説明した。

「なるほど。ひょっとしたら、お主がこの世界に来たことと、ガンダールブの印は何か関係があるのかもしれん。いずれ、調べてみることにしよう」

「よろしくお願いします」

 淳貴は、オスマンに頭を下げた。
 今はまだ何もわからないとはいえ、元の世界に戻れる可能性がこれで少しは増えたかもしれない。

「ところでその伝説の腕輪じゃが、君の話によると、新しく出来た印に封じ込まれているそうじゃな?」

「はい。なんでこうなったのかは、さっぱりわかりませんが」

「おそらく君は、ガンダールブに選ばれると同時に、その巨人の主(あるじ)にも選ばれたんじゃろう。無くさないよう気をつけたまえ」

「俺が持ってて、いいんですか?」

 淳貴が、オスマンに尋ねた。

「今は伝説の腕輪と、黄金の巨人の謎を解くことが最優先じゃよ。その為には、巨人を操れる君が持っとることが一番じゃろう」

「わかりました」




 フリッグの舞踏会は、魔法学院の中央にある本塔の大きなホールで開かれた。
 淳貴は部屋の外にあるバルコニーで、一人手すりに寄りかかりながら、飲み食いしていた。
 中では着飾った多くの生徒や教師たちが、歓談したりダンスを踊ったりしている。
 淳貴はもともとダンスのスキルがまったくないし、またこういう場にも慣れていなかったので、ホールの中に入る気分にはなれなかった。

「相棒。飲みすぎなんじゃねーか?」

 手すりに立てかけていたデルフリンガーが、淳貴に話しかけた。
 キュルケからもらったグレートソードが折れてしまったため、今はデルフリンガーを持ち歩いている。

「たまには、飲みたくなる時だってあるさ」

 部屋の中にいる生徒たちは、実に楽しそうな表情をしていた。
 彼らにとっては、あれが日常生活の一つなんだろう。
 まだ淳貴は経験していないが、自分が通っていた高校で年に一回学園祭が開かれるように、この舞踏会もそういうイベントの一つなのだ。
 淳貴もほんの一週間ちょっと前までは、そういう何の疑いもない日常の中で生活していたのだが、今はずいぶん遠いものとなってしまった。

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおなーりー!」

 呼び出し役の衛士の声とともに、ホールの扉が開いてルイズが入ってきた。
 ルイズは長い桃色がかった髪をバレットにまとめて結い上げ、白のパーティードレスを身にまとっていた。
 肘まで伸びた白い手袋と、ふわっと開いたレースの付いたスカートが、ルイズの高貴さを演出している。
 日常ではあまり見られないルイズの可憐さに、淳貴は思わず息を呑んでしまった。

 楽士が演奏を再開し、ホールの中央にダンスに興じる生徒や教師たちが集まった。
 ルイズの可憐な姿に目をつけた何人かの貴族の生徒たちがルイズに声をかけるが、ルイズは彼らの誘いを断ると、バルコニーにいた淳貴に近づいた。

「楽しんでるみたいね」

「別に。そうでもないよ」

 淳貴はグラスの中のワインを空けると、皿にもった肉料理を口にした。
 普段、厨房の賄いでは口にできない料理を食べれることは嬉しいのだが、やはり心がすっきりと晴れなかった。

「うん。やはり馬子にも衣装だな」

「うるさいわね!」

 デルフリンガーのからかう声に、ルイズが文句を返した。

「ルイズは踊らないのか?」

「相手がいないのよ」

 さっき、何人か声をかけられただろうと淳貴は思ったが、そのことを口にする前にルイズがスッと手を差し出した。

「踊ってあげてもよくてよ?」

「俺、踊ったことないんだけど?」

「私に合わせてくれればいいわ」

 淳貴は戸惑ったが、やがて意を決するとルイズの手を取り、ホールの中央へと向かった。
 そして、周囲を見ながら、見よう見まねで踊り始める。

「……ありがとう」

 突然、そんなことを言い出すルイズに、淳貴は驚いた。

「どうしたのさ、急に」

「このまえ、フーケのゴーレムに潰されそうになった時、助けてくれたじゃない」

 淳貴の胸の内にあったもやもやとした感情が、少し晴れた。
 心配事は山のようにあるが、今を楽しむのも悪くない。そんな気分になってきた。

「気にするなよ」

「どうして」

「だって、俺はおまえの使い魔じゃないか」

 ルイズを見つめる淳貴の顔に、いつしか微笑が浮かんでいた。




「おでれーた! 相棒はてーしたもんだぜ! 主人のダンスの相手を務める使い魔なんて、長生きする中で初めて見た!」

 月明かりの中、バルコニーにいたデルフリンガーが、まるで自分のことのように大はしゃぎしていた。



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